2026/01/03 - 2026/01/03
-位(同エリア379件中)
あおしさん
京阪電車・石山坂本本線は路面電車区間もある大手私鉄のローカル電車。
その電車に乗って、紫式部が「源氏物語」を書き始めたとされる石山寺、中世絶大な軍事集団だった園城寺こと三井寺、そして延暦寺の鎮守社として、時の権力者である白河法皇が思い通りにならぬものとして「賀茂河の水、双六の賽、山法師」と嘆いた日吉大社と3つの寺社をまわりました。
最後は明智光秀の坂本城の跡地からびわ湖を眺めてきました。
https://www.youtube.com/watch?v=MDQ4m8LvZZU
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
京都で1泊して、京阪電車・京津線で滋賀県の県都・大津市の「びわ湖浜大津駅」へ。
この駅の近辺では京阪電車は路面電車のようになっていました。びわ湖浜大津駅 駅
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びわ湖浜大津駅では、京都とを結ぶ京阪京津線と、石山坂本線が合流します。
石山坂本線の電車は昭和時代からのオンボロ電車。
でも、今となっては、なかなか風情のある貴重な電車です。京阪大津線 (京津線・石山坂本線) 乗り物
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びわ湖浜大津駅からはびわ湖が見えました。
まるで海のような大きな湖です。琵琶湖 自然・景勝地
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まずは隣の三井寺駅へ。
この駅は東京の路面電車のような簡素な停留所駅で、無人駅です。三井寺駅 駅
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三井寺駅から三井寺へ歩いていく途中には琵琶湖疏水があります。
明治時代に、琵琶湖から京都へ水を引いた水路です。琵琶湖疏水 名所・史跡
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駅から歩いて10分ほどで三井寺に着きました。
かつては園城寺と呼ばれ、平安時代には白河法皇や多くの貴族の崇拝を受け栄えました。
平安時代の記録に「寺」とあると園城寺のことを指したほどです(延暦寺は「山」と表現されました)。
また源氏と協力関係にあり、源平合戦の時代の際には源頼政や山本義経の挙兵に協力したりしています。
また、ここで修行をしていた鎌倉2代将軍・源頼家の息子、公暁が3代将軍源実朝を暗殺するという事件が起きたりもしています。三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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お寺の境内はとても広く、また城跡のような石垣も多く残っていました。
さすがにかつては強大な軍事集団だっただけあります。 -
園城寺(三井寺)金堂。
国宝です。
園城寺の歴史は古いですが、源氏の宿敵・平氏や延暦寺からたびたび焼き討ちにあっており、この金堂は豊臣秀吉の妻・北政所ねねが寄進したものです。園城寺(三井寺)金堂 名所・史跡
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唐院灌頂堂(重要文化財)。
ここはこの寺の開祖・智証大師円珍の御廟で、園城寺で最も神聖な浄域とされている建物、場所です。
その後ろの三重塔は徳川家康が寄進したもので重要文化財です。 -
毘沙門堂。
平成の大修理で当時の鮮やかな色彩がよみがえりました。
京都などの残る多くのお寺も創建時はこのような鮮やかな色彩だったのです。 -
少し離れた場所にある観音堂(重要文化財)
平安時代、藤原摂関家に政治闘争を挑んだ後三条天皇の病気快癒を祈願して建てられました。
この建物時代は元禄時代に再建されたものです。 -
観音堂はやや高台にあるので、琵琶湖が眺めることができました。
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今度は大津市役所前駅から京阪電車・石山坂本線に乗ります。
今度の電車は緑と白の本来の京阪カラー。 -
今度は南の終点・石山寺駅へ。
この路線は東京の都電と同じく、ほとんどの区間は専用軌道ですが、駅の間は短く、こまめに停留所の駅に停まっていました。石山寺駅 駅
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石山寺駅の目の前には瀬田川が流れていて、美しい景色でした。
今は公園として整備されて穏やかな場所ですが、かつてはここでは何度も合戦が行われました。
有名な戦いだけでも壬申の乱、木曽義仲と源範頼・源義経の合戦、承久の乱などこの川を血で赤く染める激しい戦いが行われたのです。 -
石山寺駅から歩いて10分、石山寺に到着。
正月3が日でもあり、初もうでの人でにぎわっていました。石山寺 寺・神社・教会
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石山寺も奈良時代から続く古刹で、歴史的にも多くの場面で出てきます。
大河ドラマ「光る君へ」でもありましたが、紫式部が石山寺に参篭したときに、「源氏物語」の着想を得た、とか、室町15代将軍・足利義昭が織田信長に対して挙兵してこの寺にこもったもののほどなく降伏、石山寺も信長に寺領を没収されたりしています。 -
石山寺の本堂(国宝)。
奈良時代に創建されたものの火災などにより、現在は3代目。
豊臣秀吉の側室・淀殿が寄進したと伝わります。石山寺本堂 名所・史跡
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本堂の一室で紫式部が過ごしたとされ、「紫式部源氏の間」と呼ばれています。
紫式部の人形の置いてありました。 -
多宝塔(国宝)
1194年に建てられたとされ、現在日本に残る最古の多宝塔です。
「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」の源頼朝により寄進されました。
この隣にある月見亭からは瀬田川や琵琶湖の景色が良かったです。石山寺多宝塔 名所・史跡
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境内には紫式部の像もありました。
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石山寺から京阪電車の石山寺へ戻ります。
京阪バスもやってきました。
ただ、京阪バスは間もなく廃止、滋賀県から撤退するとの案内がありました。
赤と白のカラーのバスも滋賀県ではまもなく見納めです。 -
さて、南の終点・石山寺駅から今度は北の終点・坂本比叡山口駅へ。
坂本比叡山口駅 駅
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駅は現代アートのような駅舎でした。
日吉神社や比叡山延暦寺への駅としてはやや違う気もしますけど・・・ -
坂本は日吉大社や延暦寺の門前町として中世から近世にかけて栄えました。
ここには穴太衆と呼ばれる石工集団がいました。
穴太衆による石垣は、「石の声を聞け」という口伝に象徴されるように、加工しない自然石を巧みに組み合わせる「穴太衆積み」という技法で作られ、戦国時代には城壁にも用いられました。 -
坂本には延暦寺の僧たちが住む里坊が多く作られました。
それらの美しい建物が現在も多く残っています。
ただ、これらの里坊で延暦寺の僧たちは「王城の鎮守たりといえども、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないにふけり、ほしいままに相働く」とでたらめな生活ぶりで織田信長の怒りをかい、延暦寺焼き討ちにのときにこの坂本も町も炎上、多くの老若男女が殺されています。 -
坂本の町を歩いていくと日吉大社があります。
初もうでの人でここもにぎわっていました。日吉大社 寺・神社・教会
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日吉大社は東本宮と西本宮に別れていてとても広い神社です。
さすがは大社です。 -
東本宮境内。
真ん中にあるのが東本宮拝殿。
左手にあるのは摂社の樹下神社本殿、右は樹下神社の拝殿です。 -
拝殿の後ろに東本宮本殿、国宝です。
飛鳥時代、天智天皇の時代に建てられましたが、織田信長の延暦寺焼き討ちで炎上、豊臣秀吉の時代に再建された建物です。日吉大社東本宮本殿 名所・史跡
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日吉大社の神輿も7台展示されていました。
平安時代、延暦寺の僧兵たちはこの神輿を担いて京都に乱入、強訴を繰り返しました。
当時の朝廷も手を焼き、白河法皇も思い通りにならぬと嘆かせました。
ただし、織田信長の延暦寺焼き討ちのときに日吉大社も焼き討ちされ、神輿もすべて焼かれました。
この展示されている神輿は豊臣秀吉時代に作られた2代目です。 -
今度は西本宮へ。
日吉大社では西本宮がメインで「大宮」、東本宮は「二宮」となっています。
この楼門は重要文化財です。 -
西本宮拝殿では、祈祷らしきものが行われていました。
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西本宮本殿。
これも国宝です。 -
日吉大社のあと琵琶湖の方面へ歩いていきます。
織田信長は延暦寺や日吉大社を焼き討ちしたあと、明智光秀にこのあたり一帯を料地として与えました。
明智光秀はここに坂本城を築きました。
現在は石碑が残っているだけです。坂本城址碑 名所・史跡
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城跡は住宅地になっていますが、琵琶湖湖畔は公園として整備されています。
明智光秀の像がありました。坂本城址公園 公園・植物園
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琵琶湖の夕景。
対岸には大津市街が見えました。 -
琵琶湖に夕日が沈んでいきました。
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