2015/07/21 - 2015/07/21
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jijidarumaさん
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【Oberes Donautalドナウ渓谷の上流にあるDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフには記憶に残る独特な古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城がある。】
ドナウ川にはDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフ(いわゆるドナウ川の渓谷である)は幾つかあって、川幅の広いドナウ渓谷では観光船に乗る機会もある。
この観光船には2018年5月、バイエルン州ニーダーバイエルン地方のKelheimケールハイムから乘った事がある。
観光船はドナウ船着場からケールハイム とKloster Weltenburgベルテンブルガー僧院間のドナウ川を往復する就航である。
< Schwaben*シュヴァーベン地方を行く>
2015年7月21日(火) 晴 26~33℃ 268km
Colmarコルマール =>415・B31 32km(Breisachブライザッハ)・(Freiburgフライブルク)=>B31(Titiseeティティゼー)(Huefingenヒュフィンゲン)=>B31 101km Immendingenインメンディンゲン =>B31・B311(Tuttlingenトゥットリンゲン)=>B311・L? 53km Beuronボイロン =>L? 16km Burg Wildenstein=>L? (Sigmaringenジグマリンゲン) =>B313(Trochtelfingenトローヒテルフィンゲン)=>L? 66km Sonnenbuehl-Erpfingenゾンネンビュール・エルプフィンゲン・Romatik Hotel & Restaurant Hirschロマンチックホテル ヒルシュ
参考写真はMerianメリアン(後述)が1643年に描いた古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
17世紀の高名な版画家Matthaeus Merianマテウス・メーリアン(1593~1650年)が1643年に作成したビルデンシュタイン城の版画は、このあたりの特長を実に印象付けるものになっている。
*バーデン・ヴュルテンベルク州の中東部・南東部を中心(シュトゥットガルトやウルムなど)として、バイエルン州南西部などを含む一帯を指す。
現在となってはやや漠然とした、歴史的な地方名称として残存している。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フランスのアルザスから、再びライン川を渡り、まずドイツのフライブルクに向かう。相変わらず、工事中の道が多くて、フライブルクの近郊でやや迷い、ここを抜けるとB31を一気にドナウ川沿いに黒い森の南端を東に走った。
国道31号線は長い山道が続く。コルマールから2時間半133kmを走ると、さすがに疲れる。
Obere Donauドナウ上流の人口6千人の町Immendingenインメンディンゲンを出て、Beuronボイロンを目指す。
本編は前述の行程途中の短い区間がとりわけ記憶に残ったものだ。
Tuttlingenトゥットリンゲン)=>B311・L? 53km Beuronボイロン =>L? 16km Burg Wildenstein=>L? (Sigmaringenジグマリンゲン)
トゥットリンゲンからドナウ川に沿って渓谷を行くと、ドナウ川は帯のように細く、大きく蛇行を繰り返して流れていく。
Oberes Donautalドナウ渓谷の上流にあるDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフはこのドナウ川の流れを云い、下流の川幅の広い流れとは大きく異なる。
写真は*Merianメリアンが1643年に描いたTuttlingenトゥットリンゲン城
*マテウス・メーリアン(Matthäus (またはMatthew)Merian der Ältere(またはthe Elder、Sr.)、1593年~1650年)は、スイスのエングレービングを主に用いていた版画家、製図家。出版業にも従事し、都市図や世界地図の製作など17世紀のドイツを代表するイラストレーターであった。
Tuttlingenトゥットリンゲン:
黒い森の東に位置するTuttlingenトゥットリンゲンはシュヴェービッシュ・アルプ街道の左の起点の町になる。ローマ時代には砦が築かれていた。
ドナウ川畔に沿って発展した町の人口は現在33千人を数える中規模の都市である。
この町はとりわけ、新旧キリスト教徒で争われた三十年戦争の<Schlacht bei Tuttlingenトゥットリンゲンの戦い>で知られている。
戦いは1643年11月24日にフランス王国と神聖ローマ帝国・バイエルン・ロレーヌ連合軍との間で行われ、連合軍の奇襲によって冬営していたフランス軍の敗北に終わり、7千人もの捕虜をだした。
この為、フランス軍はヴュルテンベルクでのフランス軍を支えきれず、ライン川の向こうのアルザスへ撤退せざるを得なかった。だが、この撤退作戦も冬期の寒さ、空腹、脱走でフランス軍は多くの兵や武器を失うこととなった。
・・・・・ -
Fridingen an der Donauフリディンゲン(ドナウ) とBeuronボイロンの中間に伝説の崖*があり、そこからの眺望は天下一品と云う。
*番外編:伝説“Knopfmacherfelsenボタン職人の岩壁”
http://4travel.jp/travelogue/11026145 を参照。
人々から尊敬されていた実直なボタン職人のFidelis Martinフィデリス・マルティンは森の女性(妖精・魔女?)に案内されて、この崖から墜落した。
伝説の崖に気づかぬまま、人口664人の小村Beuronボイロンに着いた。
駐車場から僧院に向かうと、近隣のハイキングの道や名前の付いた洞窟や岸壁、ビューポイント、古城・城址、レストラン、休憩所、駐車場を示している地図がある。
写真はKloster_Beuronボイロン僧院ドナウ川が蛇行を繰り返す様子が分かる図。 -
有名なKloster Beuronボイロン僧院が広大な敷地の中に立っていた。
畑の前方には特徴的な白い肌をした岩壁がむき出ているのが見える。
この景観とボイロン僧院がこの地を有名にした。
参考写真は2015.07.21.Kloster_Beuronボイロン僧院の遠望 -
参考写真は2015.07.21.Donautal_vom_Knopfmacherfelsenボタン職人の岩壁から望むドナウ渓谷・・・地図を見ると、青少年用のキャンプ地の印があちこちに見えた。
Der Donaudurchbruch bei Beuron ist ein Durchbruchstal am Oberlauf der Donau zwischen Fridingen und Sigmaringen im ehemaligen Dreiländereck von Württemberg, Hohenzollern und Baden.
バイロン近くを流れるドナウドゥルヒブルッフ(いわゆるドナウ川の渓谷である)はドナウの上流にあたり、フリディンゲン(ドナウ)とジグマリンゲン間を流れている。
かつてこの地はヴュルテンベルク、ホーエンツォレルン、バーデンの三国国境にあったと云う。 -
看板横にはかつてのボイロン僧院の巡礼者であろうか、2mほどの銅像が長い杖を持ち、帽子をかぶり、小さなマントを背に、携行カバンをさげ、厳重な脚づくりをした昔の格好で立っている。
写真はボイロン僧院:かつての巡礼者の像と。 -
<Kloster Beuronボイロン僧院>
13:20~14:15 、駐車料Euro0.5(~14:45まで)
Erzabtei St. Martin zu Beuron (正式名はボイロン聖マルティン大修道院)
D-88631 Beuron 、Abteistrasse 2
開館:月~土8時=12時、14時=17時半
http://www.erzabtei-beuron.de/
南ドイツのSigmaringenジグマリンゲンから凡そ30km西にドナウ川をさかのぼると、ベネディクト派の大修道院がある。
海抜610mだと云う。この辺りのドナウ川は帯のように細く、蛇行を繰り返して流れ、大河ドナウの印象はない。
しかも一帯の地形は岩山が碧く、白い肌の岩壁をむき出しにした峡谷の景観が珍しい。ボイロン僧院の近くがやや平野が開け、居住空間がある。
ボイロン僧院の起源は11世紀のアウグスティヌス派の修道参事会にさかのぼるが、ベネディクト会修道院となったのは1863年のことである。
典礼改革に先駆的役割を果したが、宗教美術、数百年も伝えられてきたグレゴリオ聖歌の研究と演奏(ボイロン大修道院修士歌隊)、各種の学術研究で知られ、現在も50名ほどの修道士が活動している。
写真はKloster_Beuronボイロン僧院の入口・・・Abteikirche僧院教会(1900年)の正面ファサードには聖母子像の下にザンクト・マルティンの“マントの伝説”が描かれていた。全体に改装されたのだろう。古びたイメージをもって来たが、新装なったといった感じだ。
ザンクト・マルティンはキリスト教の聖人に殉教をせずに列聖された初めての人物であり、ヨーロッパ初の聖人でもある。フランスやドイツの守護聖人である。 -
教会内は数名の観光客が見学していたが、荘厳な雰囲気に皆静かに回っていた。
天井には壮麗なフラスコ画の宗教画、絢爛たるオルガン、イエスの主聖壇、色鮮やかで美しいGnadenkapelle慈悲の礼拝堂など。
写真はAbteikirche僧院教会・Gnadenkapelle慈悲の礼拝堂 -
さて先に進む。
ボイロン近くにはいくつかの城があり、独特の形をした*Fürstenhausフュルステンベルク侯爵家の支城の一つBurg Wildensteinビルデンシュタイン城には是非行きたい。
*Fürstenhausフュルステンベルク侯爵家:
ボーデン湖近くのSchloss Heiligenbergハイリゲンベルク城などの十数を数える城主で、黒い森、高ライン、ボーデン湖一帯、シュヴェービッシュ-アルプ地方を支配した南ドイツ(南西部)のフュルステンベルク侯爵家もこと。
尚、これと異なるが同じ名を名乗るのはBurg Schnellenbergシュネレンブルク城(Sauerlandザワーラント)を居城としたFreiherr von Fürstenberg フュルステンベルク男爵家でライン・ヴェストファーレン地方の騎士貴族である。
アルンスベルク行政管区・ザワーラント地方の北部に位置するKreis Soest ゾースト地方から出た有力貴族であり、後にケルン大司教、ケルン選帝侯等を輩出している。
ドイツ最後の夜に1泊するSchloss Hugenpoetフーゲンポエト城や、Schloss Loersfeldレルスフェルト城(ケルン近郊Kerpenケルペン、ミシュラン1星のレストランがある)など、15余の古城の所有者になっていた。
31℃と暑くなったボイロンを14:15にスタートした。
写真は前方に緑の中に白い肌の岩壁が見える。 -
ジグマリンゲンに向って流れるドナウ川沿いの道を東に走る。
緑の中に白い肌の岩壁が乗り出したような景色の中を走る道はさすがドイツらしく、道も立派だ。
時折、対向車と高速で追い抜いていく後続車がある。
十字架の立つ岩壁(それぞれ岩壁にはHexsenturm(魔女の塔)、Hahnenkamm(とさか)などの名前があるようだが)が見えた。
写真は十字架の立つ岩壁 -
15分も走ると左手の岩壁上に、高々と見上げる赤い屋根瓦のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城が見えてきた。
≪Burg Werenwagヴェレンヴァーク城≫
“Perle des Oberen Donautalsドナウ川上流の真珠”と称されるヴェレンヴァーク城はドナウ川を見下ろす岩壁上(凡そ200mの高さ)に立っている。
trotziger Raubritter傲慢な(喧嘩好きな)盗賊騎士と呼ばれた当時の城主は、敵対する連中に“Wer wagt’s、an mich heran zu gehen?”「大胆にも誰が、私にあえて近づこうとしようか?」と吠えたと云う。
この伝説が城の名となっったそうだが。
フュルステンベルク侯爵家の支城の一つであり、現在も所有しているため、見学はできない。
写真は2015.07.21.Burg Werenwagヴェレンヴァーク城 -
<ヴェレンヴァーク城の歴史>
1100年に築城され、Burg Firstフィルスト城の城主であったEdelfreien von Firstエーデルフライエンが所有した。当時の天守閣は現在も残っている。
Herren von Werenwagヴェレンヴァークの騎士領主は中世後半の頃、ホーエンツォレルン家の一族であるシュヴェービッシュのGrafen von Hohenbergホーエンベルク伯やハプスブルク家に仕えている。
1629年、Grafen von Fürstenbergフュルステンベルク伯が取得したが、1721年には Freiherren von Ulm zu Erbachウルム・エルバッハ男爵に売却。
1830年より再びFürstenhausフュルステンベルク侯爵家のものとなった。
参考写真は2015.07.21.Burg Werenwagヴェレンヴァーク城:俯瞰して見ると、下から見ているより規模も大きい。 -
イチオシ
参考写真は2015.07.21.ドナウ橋上から望むBurg Werenwagヴェレンヴァーク城-von_der_Brücke_in_Hausen1
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<Burg Bronnenブロネン城>
ドナウ川上流のボイロンの4km南にあり、岩壁上に立つ城からの眺望が良い。
12世紀にHerren von Bronnenブロネンの騎士により築城された。
16世紀の初めにHerren von Enzbergエンツベルクの騎士が所有し、その後、城主は何度か変わったが、現在、再びエンツベルク家の所有に戻り、城郭は見学不可となっている。
参考写真は2015.07.21.Burg Bronnenブロネン城 -
参考写真は2015.07.21.Burg Bronnenブロネン城・・・Ludwig_Mayer_-_Burg_Bronnen_mit_Mühle,_Stahlstich_1836年作
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ここから少し行った所でドナウ川を渡り、山中に上がっていく。
すると上った先はもう平場で農村地帯になっていた。
更に迂回して、ドナウ川を眼下に望む岩壁上に立つ古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城に着いたのは14:45を過ぎた頃だった。
参考写真はMerianメリアンが1643年に描いた古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
17世紀の高名な版画家Matthaeus Merianマテウス・メーリアン(1593~1650年)が1643年に作成したビルデンシュタイン城の版画は、このあたりの特長を実に印象付けるものになっている。 -
参考写真は2015.07.21.Burg_Wildenstein_s-w ca1920年頃の郵便葉書Postkarte・・・幅20m、深さ20mの空堀は見事なほどに防衛上の利点を持っている。
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≪Burg Wildensteinビルデンシュタイン城≫
ビルデンシュタイン城はボイロンから東に6kmにある古城、現在はYHに使用されている。
城はドナウ川から200mの高さ、海抜810mの岩壁上に立ち、そこからの眺望はすこぶる良いとして知られている。
Fürstenhausフュルステンベルク侯爵家の支城の一つでした。
この城の城主ゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯は1536年作のWildensteiner Altarビルデンシュタイナー祭壇画で良く知られている。
この祭壇画の左にはゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯、右にGraefin Apollonia von Henneberg妻のアポロニア・ヘンネベルク伯爵夫人が、Messkirchメスキルヒェの画家(Oberschwaben上シュヴァーベン地方の町、ビルデンシュタイン城の南東15kmにある。画家の名は分かっていないが、メスキルヒェの画家としてたくさんの作品がベルリン、ロンドン、モスクワなどの美術館に展示されている。)によって見事な色彩で描かれている。
また、作者は不明だが、1538~1540年頃、城内に描かれた大きなルネサンス風壁画は花の巻きひげ(つる)と鳥をモチーフにしたものだそうだ。
参考写真はビルデンシュタイン城の俯瞰・・左に駐車場、右手が本丸 -
駐車場近くには子供たちが遊ぶ草原があり、城外の角には納屋がある。駐車場からはすぐ空堀(外堀)をまたぐ第一の橋があり、そこは城門につながる。
写真はビルデンシュタイン城の入口と第一の橋・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。 -
中に入ると長方形のWehrgangベールガング(城壁上の銃眼がある通路)があり、左に東塔、右に西塔が立っている。
写真はビルデンシュタイン城のWehrgangベールガング左・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。 -
写真はビルデンシュタイン城のWehrgangベールガングの右側・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
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イチオシ
更に第二の橋がある。ここは20mの深さという空堀(内堀)だろう。
これを渡ると、Hauptbastion主たる稜堡となる。
写真はビルデンシュタイン城の第二の橋と20mの空堀は見事なほどに防衛上の利点を持っている。・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。 -
写真はビルデンシュタイン城の本丸への橋・・・ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
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<ビルデンシュタイン城の歴史>
古くは11世紀に砦があったと、ボイロン僧院の文書に残っていると云う。
ビルデンシュタイン城がHerren von Wildensteinビルデンシュタインの騎士により築城されたのは13世紀のことで、城の周辺には首飾りのように連携した、岩壁に立ついくつもの小さな城砦があったと云う。
古い名でいうと、Altwildensteinアルトビルデンシュタイン城、Unterwildensteinウンタービルデンシュタイン城、 Wildensteiner Burg Hexenturmビルデンシュタイナー・魔女の塔城、Wildensteiner Burg Hahnenkammビルデンシュタイナー・ハーネンカム(とさか)城がそれらである。
城主Gottfried Werner Graf von Zimmernゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯(1484~1554年)は1514年以来、城の強化を図り、要塞化した。
1554年当時の城郭は今も当時の姿を見せている。
ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
城郭の広さは十分にあり、幅20m、深さ20mの空堀は見事なほどに防衛上の利点を持っている。
17世紀の高名な版画家Matthaeus Merianマテウス・メーリアン(1593~1650年)が1643年に作成したビルデンシュタイン城の版画は、このあたりの特長を実に印象付けるものになっている。
1627年、Grafen Wratislaus I. von Fürstenbergヴラチスラウス1世・フュルステンベルク伯が所有。
1971年、フュルステンベルク侯爵家の王女TheresテレサはシュヴァーベンのYH当局に、城を150,000DMで売却した。
現在はYH(Jugendherberge Burg Wildenstein)になっている。城内にレストランBurgschenke Wildensteinがある。
写真はビルデンシュタイン城の縄張り図 -
稜堡の狭い通路を先に進むと、急に明るくなり、そこはBurghof城内で、中庭があり、周囲に赤い屋根の建物が城郭を作っている。
それらは日除けの下にテーブルや長椅子を置いたBurgschenkeブルグシェンケ、礼拝堂、YH用食堂、レセプション、WC、YHの施設などとなっている。
この時期は建物内の見学はできず、9月にならないと許可されないのだと云う。
中身は殆どないのはYHとなった古城の一般的な姿だが、仕方がないのだろう。
ともあれ、空腹を満たすことにした。
写真はビルデンシュタイン城の本丸・中庭 -
夏季シーズンで小学生たちがYH活動にやって来たらしく、中庭は騒がしい。
日除けの下で小学生たち十数人がゲームや、工作をして遊んでいた。
一人の子が蜂Wespeヴェスペ(スズメバチ)に刺されて泣きだし、付き添いの先生が慌てていた。
写真はビルデンシュタイン城のレストランBurgschenke :中庭でYH活動の子供たち -
<昼食:ビルデンシュタイン城・Burgschenkeブルグシェンケで>
15:00~15:30
レセプションと城内案内版にはあったが、要するに酒類、ジュース類、軽食、菓子類を販売する小さな場所だった。
メニューを確認すると太った生きの良いおばちゃんが、ソーセージならあると言う。ビールもアルコール無しがあると言うので頼んだ。
私共も傍の長椅子に座って、昼食にした。確かに蜂が多い。食べ物やアルコールの匂いに誘われて飛んでくるので、少々落ちつかない。
そうこうしている内に蜂がビールの瓶中に落ちて、半分飲みかけを放棄することになった。
バイエルンの有名なPaulanerビール0.33lX2本、パンにはさんだソーセージ2、ポテトサラダ1でEuro12(1,671円)でした。
写真はビルデンシュタイン城の中庭で:昼食はBurgschenkeブルグシェンケで -
写真はビルデンシュタイン城から見る眺望
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イチオシ
写真は古城Burg Wildensteinビルデンシュタインから望んだドナウ川
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川沿いからのビルデンシュタイン城の立ち姿を撮れずじまいだったが、ビルデンシュタイン城から細いドナウ川の眺望は眺められた。
15:50に城を出発した。
写真はフュルステンベルク侯爵家の支城の一つBurg Wildensteinビルデンシュタイン城から眺めたドナウの細流 -
写真は帰途に改めて撮った岩壁上のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2026年01月15日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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この旅行記へのコメント (3)
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- pedaruさん 2026/01/17 14:09:14
- 緊急削除要請
- ごめんどうですが、ひとつ削除おねがいします。
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- pedaruさん 2026/01/17 14:06:22
- 古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城
- jijidarumaさん こんにちは
お元気にお過ごしのことと思います。ご無沙汰しております。
過去に旅したお宝の写真、金庫から出して、旅行記に仕上げる、実に楽しい作業です。しかも、昨日のことのように記憶が鮮明です。
私も歳をとったら(とっくに歳をとりましたが)、何処にも行くことがなくとも
旅行記を作成し、4トラベルの仲間とつながっていたいと思います。
ところでビルデンシュタイン城はロッククライミングして入場するのかしらと思えるような要塞ですね。絵を見てびっくりしました。
それにしても、恐ろしい世の中ですね、ここまで強固に守りを固めなければ安心できないなんて、もっとも、失うものが多くある者ほど、心配が多いのですね。
そこへいくと、私なんぞは失うものなんて何もないから、安心して熟睡できます(笑)。盗られて困るのは、入れ歯くらいなものです。これはその時から困ります。恥ずかしいから黙っていましたが、彦根へ旅行した時、入れ歯を忘れたために、
柔らかい物しか食べられず、苦労をしました(笑)。
では、本年もよろしくお願いします。
pedaru
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- pedaruさん 2026/01/17 14:06:22
- 古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城
- jijidarumaさん こんにちは
お元気にお過ごしのことと思います。ご無沙汰しております。
過去に旅したお宝の写真、金庫から出して、旅行記に仕上げる、実に楽しい作業です。しかも、昨日のことのように記憶が鮮明です。
私も歳をとったら(とっくに歳をとりましたが)、何処にも行くことがなくとも
旅行記を作成し、4トラベルの仲間とつながっていたいと思います。
ところでビルデンシュタイン城はロッククライミングして入場するのかしらと思えるような要塞ですね。絵を見てびっくりしました。
それにしても、恐ろしい世の中ですね、ここまで強固に守りを固めなければ安心できないなんて、もっとも、失うものが多くある者ほど、心配が多いのですね。
そこへいくと、私なんぞは失うものなんて何もないから、安心して熟睡できます(笑)。盗られて困るのは、入れ歯くらいなものです。これはその時から困ります。恥ずかしいから黙っていましたが、彦根へ旅行した時、入れ歯を忘れたために、
柔らかい物しか食べられず、苦労をしました(笑)。
では、本年もよろしくお願いします。
pedaru
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