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貞子といえば日本が誇るホラー物語の主人公。<br />印象的なのは、何度も出てくる太陽フレアの様に、リング状に輝く光の環。<br />ネタばれになるけど、知ってる人も多いので、アレが何か、というと、井戸の底から、蓋をされた井戸の口を見上げた時に見える景色、ということだったんですよね。<br />つまり、井戸の底に落とされ、閉じ込められた時に初めて見る景色。<br />絶対に見たくない景色。<br />しかし、それを見てしまった人の痕跡が残っていたらどうなるか。<br /><br />それがここ、雉岡城にあります。<br /><br />雉岡城には「夜泣き石」があります。<br /><br />以下、夜泣き石の伝説です。<br />「あるとき、殿様の夕食に針が入っているのが見つかる。<br /> 奥方は側女・お小夜の仕業だと決めつけ、お小夜を”お仕置き井戸”に沈めた。<br /> お小夜のお腹はその時、臨月の子がいた、との事、<br /> お小夜の死後、井戸の水が白濁し、夜な夜なお小夜の鳴き声が城に聞こえるようになった。<br /> 井戸の底から棺桶を引き上げると、お小夜は石になっており、小さな石を抱いていた、という。<br /> お小夜への仕打ちを後悔した奥方は、お堀端に二つの石を祀り、女衆に慰めの言葉を絶やさぬよう言い含め、自らは剃髪し、出家した。」<br />と説明文にはありました。<br /><br />いや、突っ込みどころが満載ですが。<br /><br />いくら人の命が軽かった時代とはいえ、井戸に人を沈めたら、そりゃ汚染されるでしょう。<br />また、側女って、要は殿様の妾ですよね?<br />築山殿(瀬名)による家康の側室・お万の方(万阿弥)に対する折檻は有名ですが、同じ構図があったんでしょうね。<br />つまり、”殿様”のお手付きになった侍女が正妻によって亡き者にされた、ということでしょう。(実際、正妻にはその権限はあった。)<br />中世には「よくあること」でしたが、井戸を使えなくした、という点で、奥方にペナルティーが科されて出家させられた、というのが真相でしょうか。<br /><br />とはいえ、火のないところに煙たたず。<br />実際にあった話か、そういうことがありそうな正室が居たのでしょう。<br />では、この雉岡城はどのような城だったのか。<br /><br />雉岡城は鎌倉時代に武士の居館として存在していたようですが、室町末期(戦国時代初期)に城郭としての体裁を整えたと言われています。<br />山内上杉家(関東管領)によるものとされているものの、それ以前に城塞の体を成していた可能性もあるようです。<br />平井城(群馬県藤岡市)に上杉家が居城を移す以前は、ここ雉岡城を居城としたようです。<br />上杉家退去後は、JR本庄駅南東にあった五十子陣への補給拠点として利用されていたようです。(五十子陣は女堀川と小山川の合流地点付近にあったようですが、雉岡城の位置が平井城と五十子陣との直線上ではなく、南寄りに位置しているのが、当時の街道を想像できて面白いです。)<br /><br />泣き石の逸話の元になったのは、上杉の殿様だったのか、その後の城主となった有田豊後守定基なのか。<br />もしくは後北条氏の時代の話なのか。<br />徳川の天下になった時の八幡山藩時代の話か。<br />想像が膨らみます。<br /><br /><br />

リアル貞子の城~雉岡城址~

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2025/11/28 - 2025/11/28

143位(同エリア144件中)

旅行記グループ 古城跡

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スネフェル

スネフェルさん

貞子といえば日本が誇るホラー物語の主人公。
印象的なのは、何度も出てくる太陽フレアの様に、リング状に輝く光の環。
ネタばれになるけど、知ってる人も多いので、アレが何か、というと、井戸の底から、蓋をされた井戸の口を見上げた時に見える景色、ということだったんですよね。
つまり、井戸の底に落とされ、閉じ込められた時に初めて見る景色。
絶対に見たくない景色。
しかし、それを見てしまった人の痕跡が残っていたらどうなるか。

それがここ、雉岡城にあります。

雉岡城には「夜泣き石」があります。

以下、夜泣き石の伝説です。
「あるとき、殿様の夕食に針が入っているのが見つかる。
 奥方は側女・お小夜の仕業だと決めつけ、お小夜を”お仕置き井戸”に沈めた。
 お小夜のお腹はその時、臨月の子がいた、との事、
 お小夜の死後、井戸の水が白濁し、夜な夜なお小夜の鳴き声が城に聞こえるようになった。
 井戸の底から棺桶を引き上げると、お小夜は石になっており、小さな石を抱いていた、という。
 お小夜への仕打ちを後悔した奥方は、お堀端に二つの石を祀り、女衆に慰めの言葉を絶やさぬよう言い含め、自らは剃髪し、出家した。」
と説明文にはありました。

いや、突っ込みどころが満載ですが。

いくら人の命が軽かった時代とはいえ、井戸に人を沈めたら、そりゃ汚染されるでしょう。
また、側女って、要は殿様の妾ですよね?
築山殿(瀬名)による家康の側室・お万の方(万阿弥)に対する折檻は有名ですが、同じ構図があったんでしょうね。
つまり、”殿様”のお手付きになった侍女が正妻によって亡き者にされた、ということでしょう。(実際、正妻にはその権限はあった。)
中世には「よくあること」でしたが、井戸を使えなくした、という点で、奥方にペナルティーが科されて出家させられた、というのが真相でしょうか。

とはいえ、火のないところに煙たたず。
実際にあった話か、そういうことがありそうな正室が居たのでしょう。
では、この雉岡城はどのような城だったのか。

雉岡城は鎌倉時代に武士の居館として存在していたようですが、室町末期(戦国時代初期)に城郭としての体裁を整えたと言われています。
山内上杉家(関東管領)によるものとされているものの、それ以前に城塞の体を成していた可能性もあるようです。
平井城(群馬県藤岡市)に上杉家が居城を移す以前は、ここ雉岡城を居城としたようです。
上杉家退去後は、JR本庄駅南東にあった五十子陣への補給拠点として利用されていたようです。(五十子陣は女堀川と小山川の合流地点付近にあったようですが、雉岡城の位置が平井城と五十子陣との直線上ではなく、南寄りに位置しているのが、当時の街道を想像できて面白いです。)

泣き石の逸話の元になったのは、上杉の殿様だったのか、その後の城主となった有田豊後守定基なのか。
もしくは後北条氏の時代の話なのか。
徳川の天下になった時の八幡山藩時代の話か。
想像が膨らみます。


旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
2.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車
  • 出発は八高線児玉駅

    出発は八高線児玉駅

  • 児玉駅は無人駅です

    児玉駅は無人駅です

  • 雉岡城に到着。<br />県レベルの指定史跡なので、かなりマニアックな城跡です

    雉岡城に到着。
    県レベルの指定史跡なので、かなりマニアックな城跡です

  • 大手から入ります。<br />とはいえ、戦国初期であれば、当時の大手の幅はもっと狭かったはずです。

    大手から入ります。
    とはいえ、戦国初期であれば、当時の大手の幅はもっと狭かったはずです。

  • 交通往来が激しくない通り沿いでありながら、なぜか交通安全の塔が・・・<br />隣にある電話ボックスも、何かの存在を示唆するようです。<br />ちょっと普通では無い雰囲気。

    交通往来が激しくない通り沿いでありながら、なぜか交通安全の塔が・・・
    隣にある電話ボックスも、何かの存在を示唆するようです。
    ちょっと普通では無い雰囲気。

  • 雉岡城の地図。<br />本丸や二の丸、三の丸と始めとした北側と西側の遺構の大部分は、中学校建設のため、失われています。

    雉岡城の地図。
    本丸や二の丸、三の丸と始めとした北側と西側の遺構の大部分は、中学校建設のため、失われています。

  • 大手を入って西側。

    大手を入って西側。

  • 大手を入って西側。<br />土塁は綺麗に残っています。

    大手を入って西側。
    土塁は綺麗に残っています。

  • 大手東側。<br />馬出と名付けられていたので、騎馬武者溜まりを想定したエリアでしょう

    大手東側。
    馬出と名付けられていたので、騎馬武者溜まりを想定したエリアでしょう

  • 大手の東側の土塁の様子。

    大手の東側の土塁の様子。

  • 雉岡城と鎌倉街道の位置関係。<br />通常なら、街道の至近に城を造りそうなものですが、街道近くには手ごろな丘がなかったのでしょう。<br />この辺の事情が、当主の居城とはなりえなかった事情の一つかもしれません。

    雉岡城と鎌倉街道の位置関係。
    通常なら、街道の至近に城を造りそうなものですが、街道近くには手ごろな丘がなかったのでしょう。
    この辺の事情が、当主の居城とはなりえなかった事情の一つかもしれません。

  • 雉岡城の石碑

    雉岡城の石碑

  • 大手前の小高い丘に登ります。<br />結構広いですが、本丸ではありませんでした。

    大手前の小高い丘に登ります。
    結構広いですが、本丸ではありませんでした。

  • 夜泣き石の説明文

    夜泣き石の説明文

  • 丘から見下ろすと夜泣き石が・・・

    丘から見下ろすと夜泣き石が・・・

  • 近くに言っています。<br />丘を下ります。

    近くに言っています。
    丘を下ります。

  • 丘を下ると井戸が・・・

    丘を下ると井戸が・・・

  • 説明文によるとこの井戸は大正時代に作られたようです。<br />夜泣き石と直接関係は無さそう。<br />ただ、水源がある、ということは、ここで井戸を作ることは容易だった、ということは想像できます。<br />

    説明文によるとこの井戸は大正時代に作られたようです。
    夜泣き石と直接関係は無さそう。
    ただ、水源がある、ということは、ここで井戸を作ることは容易だった、ということは想像できます。

  • 夜泣き石に到着

    夜泣き石に到着

  • なんてことは無い石ですが、石と頂上には小銭が置いてありました・・・<br />自分も小銭を置いて、手を合わせます。

    なんてことは無い石ですが、石と頂上には小銭が置いてありました・・・
    自分も小銭を置いて、手を合わせます。

  • L字型の石が「泣く」らしいので、この石で間違いなさそうです。<br />

    L字型の石が「泣く」らしいので、この石で間違いなさそうです。

  • 本丸方面に向かいます。

    本丸方面に向かいます。

  • 本丸・・・と思ったものの、武者走りくらいのスペースしかありません。<br />中学校を建築する際にカットされたようです。

    本丸・・・と思ったものの、武者走りくらいのスペースしかありません。
    中学校を建築する際にカットされたようです。

  • 二の丸は辛うじて残っているようです。

    二の丸は辛うじて残っているようです。

  • 本丸の南側の出丸に向かいます。<br />本丸と出丸は土橋でつながっています。

    本丸の南側の出丸に向かいます。
    本丸と出丸は土橋でつながっています。

  • 金毘羅神社に到着

    金毘羅神社に到着

  • 小さな社がありました。

    小さな社がありました。

  • これが芭蕉句碑のようです。<br />文字はすり減り、ほとんど読めません。

    これが芭蕉句碑のようです。
    文字はすり減り、ほとんど読めません。

  • 南側にする進むと鳥居がありました。<br />こちら側から入ると道は穏やかです。

    南側にする進むと鳥居がありました。
    こちら側から入ると道は穏やかです。

  • こちらの出丸にはちいさな仏像が鎮座。<br />地蔵かな?

    こちらの出丸にはちいさな仏像が鎮座。
    地蔵かな?

  • 土塁には武者走りがあります。<br />土塁は意外としっかりと作られています。<br />

    土塁には武者走りがあります。
    土塁は意外としっかりと作られています。

  • かろうじて馬頭と読めるので、馬頭尊のようです。

    かろうじて馬頭と読めるので、馬頭尊のようです。

  • ほうき郭の南側の湿地エリア。<br />本来は堀だったのかもしれませんが、北側の女堀川から引いたとすると水量は少なかったように思います。

    ほうき郭の南側の湿地エリア。
    本来は堀だったのかもしれませんが、北側の女堀川から引いたとすると水量は少なかったように思います。

  • 右側がほうき郭、正面が本丸、左側が出丸。<br />高さは結構あります。

    右側がほうき郭、正面が本丸、左側が出丸。
    高さは結構あります。

  • 湿地エリアから北側を見る。<br />左が本丸。<br />右がほうき郭。<br />隘路の先が二の丸。

    湿地エリアから北側を見る。
    左が本丸。
    右がほうき郭。
    隘路の先が二の丸。

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