2021/04/29 - 2021/04/29
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スネフェルさん
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武田信玄の関東攻めでは様々なドラマが生まれたが、この新堀多比良城もその一つであるに違いない。
今はもう忘れ去られた歴史ではあるが。
城の所在地は山地が途切れる位置、舌状山地の先端部にある。地形的には東西と北が急峻な斜面、南側が平地である。
恐らく、落城したのは南側から攻められてであろう。
南側では寺(普賢寺)がある以外、掘割跡などの遺構は見られない。(寺社がある、と言うことは、その方面の防御力が弱かったことを示す遺構の一つ)
ちなみに、信玄と対峙した城主・多比良友定の官職はなんと豊後守。
豊後国は上国なので、従五位下。いわゆる大夫(貴族)だったと言うこと。
今はただの田舎の廃城で痕跡もほとんど残ってないけと、高位貴族が守っていたと知ると「強者どもが夢の跡」との一説が思い起こされる。
この城には上杉家の宝物が保管されていたらしい。
信玄に宝物を奪われるのを良しとせず、城を枕に家中尽く討死し、城を焼いて宝物を信玄に奪われるのを防いだらしい。
落城は1563年。
山内上杉氏が関東を追い出されて越後に入ったのは1552年。上杉謙信が関東管領になったのは1561年だから、落城は謙信の時代と言うことになる。
山内上杉方の白井長尾氏(今の渋川市)、総社長尾氏(今の前橋市)が北条に服属したのが1560年だから、落城はその三年後。
信玄の関東攻め(北条攻め)は1569年。
落城の6年後。
つまり、多比良城の落城は歴史に埋もれてしまっているのだ。
上杉家はすでに関東に無く、周囲のかつての上杉家の家臣は次々と北条に下り、孤立無縁。
なんとなくだが、頑固でありながら、忠義の士、というイメージが見えてくる。
戦国では長生きできないタイプの人であることは理解できるが、愚直に生きたであろう多比良友定みたいな人は、自分は好きだ。
単なる判官贔屓かもしれないけど。
城跡は掘割に沿って畑が作られていた。
土盛りの全てが破壊されていない、という観点で眺めると意外と大きな城であったことか分かる。
ただ、広すぎるため、守兵は1000人近くは必要であったであろう。
井戸の痕跡もないから、籠城戦では不利であったであろう。
近くの寺(普賢寺)の墓を見てみたが、多比良氏の墓と思しきものは見当たらなかった。
一族郎党討死だと、だれも供養してもらえないのだろうか・・・
複雑な気持ちにさせられる。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
本丸跡へ続く道。
畑が広がり、城の痕跡は無い。 -
本丸外観。
土塁が残り、少し小高いことが分かる。 -
本丸は一面の畑となっている。
ただし、意外と広い。
城跡説明板によると90x80m四方。
名前が残っていない支城の本丸としては意外と広い。 -
本丸の西側の斜面。
自然の傾斜ではあるが、登るのには苦労する傾斜。 -
本丸の北側には土塁が残る。
一応舗装がされた道があるが、遊歩道ではなく、農道のようだが、この道がなぜ設置されたかは不明。 -
北側は鬱蒼とした竹藪だが、斜面はかなり急。
攻めのぼるのは難しそう。 -
東側は緩やかな斜面。
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東側には土塁の遺構と平台が残る。
ここには二の丸か三の丸があったのだろう。 -
城跡の南西に位置する普賢寺
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鐘楼があることから古くからある寺であることが分かる。
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菅原道真の手になる経があるらしいが寺宝だから見れないだろうなぁ~
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多比良城の東側稜線の南側にあたる位置には多比良神社がある。
鳥居が三つ連続している珍しい形式(稲荷さんではない) -
社殿は近年建て替えた模様
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しっかりと龍が彫られている
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本殿(神様の家)がきちんと設けられており、単なる郷社とすればかなり豪華。残念ながら縁起を示す案内がなく、社格は分からず。
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雹害の碑。
雹害の碑は初めてみたけど、そんなにすごかったのか!
「忘れん」という一文が怖い。 -
本殿の裏には双人像が三体。
道祖神らしいが、何故ここに?
道祖神は四辻や街道から集落の入り口にあるものだが・・・
背後に落城した場所があるのに関係が?
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