2025/07/12 - 2025/07/28
226位(同エリア10343件中)
どらみさん
※自分の旅行の記録として作成していますが、インターネットで情報を引き出していますので、皆様のお役に立つところがあれば幸いです。
7月12日(土) NH494 NGO-NRT 1410-1530, TG677 NRT-BKK 1725-2155
7月13日(日) TG934 BKK-BRU 0030-0740,ブリュッセル観光【ブリュッセル泊】
7月14日(月) SN2093 BRU-LHR 0950-1015にてロンドン到着後、観光【ロンドン泊】
7月15日(火) 大映博物館、オペラ座の怪人鑑賞【ロンドン泊】
7月16日(水) コヴェントガーデン、バラマーケット、ライオンキング鑑賞【ロンドン泊】
7月17日(木) BA0416 LHR-LUX 0825-1045にてルクセンブルクへ。到着後、ルクセンブルク観光。
LH2323 LUX-MUC 2010-2115, LH1626 MUC-KRK 2210-2330にてクラクフへ【クラクフ泊】
7月18日(金) クラクフ観光【クラクフ泊】
7月19日(土) ヴェリチカ岩塩坑、アウシュビッツ【クラクフ泊】
7月20日(日) 一泊二日のスロバキアツアー
7月21日(月) 一泊二日のスロバキアツアー【ブダペスト泊】
7月22日(火) バラトン湖観光【ブダペスト泊】
7月23日(水) ブダペスト観光【ブダペスト泊】
7月24日(木) ドナウベンド観光【ブダペスト泊】
7月25日(金) LO534 BUD-WAW 0945-1100, LO771 WAW-VNO 1145-1350, ヴィリニュス観光【ヴィリニュス泊】
7月26日(土) AY1102 VNO-MUC 0945-1130, ヘルシンキ観光【ヘルシンキ泊】
7月27日(日) ヘルシンキ観光後、HO1608 HEL-PVG 1455-0640(+1 day)
7月28日(月) (浦東から虹橋へ移動) NH970 SHA-HND 1355-1745, NH85 HND-NGO 1920-2020
大英博物館 Room.55 古代メソポタミア
~アッシリヤとバビロン~
1500BCから500BCにかけて、メソポタミアの人々は同じ文化を持っていたが、政治的な面では北部のアッシリヤ帝国と南部のバビロニア帝国に分かれていた。この時代、まずアッシリヤが拡大し、続いてバビロニアが拡大し、中東の大部分を単一の帝国に統合していく。
紀元前1500年以降、北メソポタミアの大部分はミタンニ王国の支配下に入った。紀元前1300年頃には、アッシュール市の司祭王たちは政治権力を行使し、ミタンニの中心部を支配した。干ばつや気象異変により、紀元前1200年頃にはアッシリヤ王朝の支配地域はアッシュール市とニネベに限定されていく。帝国は300年後のアッシュルナシルパル2世の時代(883BC-859BC)まで拡大することはなった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
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Tiglath-pileser1世の功績
この八角形柱はTiglath-pileser1世(1114-1079BC)のシリアや地中海沿岸での軍事的な功績を記録したものである。ジッグラトの一角に埋め込まれていた。このような記録は神、そして未来永劫に読まれることを目的として造られた。 -
石板
(上)Tukulti-Ninurta1世によりDinitu神の寺院を再建したことを記録している。異例なことではあるが、この石板を記録した人物名Ubrumが最後に表記されている。
1243-1207BC Ashurより出土
(下)この石板はAshuのMarduk神の寺院のそばに家を建築した記録がされている。記録者Marduk-nadin-ahheは自分自身のことをAshur-uballit1世の王室初期であると説明している。
1363-1328BC Ashurより出土 -
豪華な食器
3000BC頃から知られている焼き物の技術は1500-1200BC頃までメソポタミアでは一般に使用されていた。装飾された食器は陶器や土器から作られている。その形状や鮮やかな色はカーネリアンやラビスラズリを模擬することができた。
1500BC-1300BC -
1500BC頃から南メソポタミアは北西の山岳地帯からやって来たカッシートに支配される。カッシートはバビロンを首都として維持する。
アッシリアやエラムとの対決において、1155BCにカッシートは敗北し、カルデア人やアルメア人が南メソポタミアで大きな影響力を持つようになる。
(左)石板 900BC-750BC バビロンより出土
(右)両側に神を示した石板 900-750BC バビロンより出土 -
雄牛と木が書かれた焼き物の板
雄牛の尻の碑文は、シン・エリバによる治癒の神グラへの捧げ物である。
1100BC-900BC 南イラク -
銅製のゴブレット
これらはバビロニアで製作されたが、西イランLuristanで発見されており、戦利品であったのかもしれない。ふたには模様が施されているが、本体部分と異なっており、Luristanで後に施されたものであることを示している。
1100-900BC Luristan()西イラン -
翼を広げたSiren
Siren(女性の頭を持った鳥)はもとは大きな壺の一部であった。背中の大きな輪で壺を運んだ。
650-550BC 南イラク -
Royal eye stone
後期のバビロニア王はカッシート王の間で人気であったeye stoneを復活させた。この石には現生の神ネブカドネザル2世に捧げる言葉が丁寧に刻まれている。
ネブカドネザル2世の時代(605-562BC)
バビロンから出土 -
太陽神の寺院への奉納物
この豪華な鋭い石はMariのTukulti-Mer王からSipperの太陽神の寺院へ奉納されたものである。
1075-1070BC Sipperから出土 -
天候の神への奉納物
この4角柱はNinurta-resushuという男性からAdad神への奉納物である。
2面に見られる波線はAdadのシンボルである雷を表しており、献酒が注がれている。
1300BC頃 Sipperから -
この有名な石板は、シッパー寺院の太陽神シャマシュの古代の像がどのように破壊され、儀式が中断されたかを示しています。オリジナルの粘土像が発見された後、Nabu-apla-iddina王は金とラピスラズリで新しいシャマシュ像を作らせた。石板に刻まれた場面は、国王が新しい像を設置したことを祝うものです。シャマシュは寺院い座っており、正義の杖とリングを持っている。彼の前には祭壇の上に太陽のシンボルがある。
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バビロニアのBoundary Stone
Boundary Stoneまたは、kudurru monumentsは土地の所有権や免税などの特権を記録している。
この石には、戦車の指揮官Ritti-Mardukがネブカドネザル1世のためにエラムで戦った軍事行動について記述している。その報酬として、Rittiが管理する地区の住民は税金と法的義務を免除された。太陽、月、星は、王の報酬の永続性を保証するシャマシュ、シン、イシュタルの神々を象徴する。
1125-1104BC Sipperより出土 -
この記念碑は、アッシリヤに対する作戦で功績を挙げた将校Marduk-nadin-ahheに王から土地が贈られたことを記録している。
1099BC-1082BC バビロンから出土 -
王族による土地の購入
土地の価値は銀1700シェケルと評価されましたが、代金は物品で支払われた。弓矢を持った王の右側には、”The Establisher of the boundary Forever”という名が石に刻まれています。蛇に囲まれた呪いと神々のシンボルが石を守っている。
1099BC-1082BC バビロン -
土地の所有権のはく奪
石碑には通常、呪いや神の象徴によって守られた土地譲渡の詳細が記録されている。
干渉を控えるよう警告されていたにもかかわらず、ここの碑文は削除された。しかし、非常に丁寧に行われたため、おそらく公式の承認を得て行われたものと考えられる。
1100-1050BC頃 Sawosatより -
思い出の石碑
この石碑はBoundary Stoneのように見えますが、父親を敬う息子によって建てられたものです。二人は一緒に描かれており、剃髪から二人とも聖職者であることが分かかる。息子は一般的にそうであるように、父親の職を引き継いだ。神のシンボルが聖なる守護を表している。
900BC-800BC頃 バビロンのMarduk Templeより -
エジプトに対するアッシリヤの軍事作戦
この石板はアッシリヤがエジプトのメンフィスを攻撃している様子を表しており、最終的にはAshurbanipal王がTaharka王に勝利した。667BC
この板はもともとはニネヴェにあるAshurbanipalの内壁を飾っていたものである。
石板の一番下にはナイル川が描かれている。 -
Austinen Henry Layardによるアッシリヤの宮殿内部の復元図。
870BCまでにはアッシリヤは北メソポタミアで勢力を回復し、首都はNimrudに置かれた。宮殿は鮮やかな色のレンガや彫刻された石板で飾られ、アッシリヤ軍の勝利を描いている。その後の首都のKhorsabadやニネヴェでも大きな宮殿が建設され、動物園まであった。 -
アッシリヤの展示物
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アッシリヤの展示物
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ネブカドネザル2世の玉座の間にレンガの壁のライオン像の想像図。
最近ベルリンのVorderasiatisches ミュージアムに返還された。 -
ネブカドネザル2世(605-562BC)のバビロン
ネブカドネザル2世はバビロンで広大な建築を行った。Procession way, Ishtar Gate, 宮殿の王座の間がその代表である。 -
北メソポタミアのアッシリヤはイランへの交易ルートをコントロールしたく、軍隊を率いてバビロニアと戦った。バビロンは689BCと648BCにアッシリヤの軍隊に略奪されたが、626BCにはネブカドネザル王がアッシリヤを追い出し、バビロンを大きな交際都市へと変貌させ、息子のネブカドネザル2世(605BC-562BC)により完成した。
このアッシリヤのレリーフは、バビロンの囚人を示している。 -
泥で出来た6角柱はアッシリヤ王Sennacheribのバビロンに対する戦争をリスト化している。691BC
泥の柱と石柱はアッシリヤ王Esarhaddon(680-669BC)によるバビロンの修復を示している。両方のオブジェクトの上部にあるシンボルは、エジプトの象形文字を模倣した王の名前と称号を表している。670BC頃 -
この石板はバビロンから発見されたもので、ネブカドネザル2世の宗教的献身と市民としての功績を示す。長い説明には、Procession wayやIshtarゲートの建設とともに、寺院を装飾したり、新年を祝うための備品類を修復したことが書かれている。
また、寺院を建設し、城壁を改修したことも書かれている。 -
Snake Dragon
mushhushshu(アッカド語で恐ろしいヘビ)は尊敬され、バビロンの神であるMardukに同行するトカゲのような怪獣である。その恐ろしい外観とパワーは敵を撃退すると信じられていた。
800-500BC
これってイシュタル門に描かれている動物みたいなやつでしょうか?
板は南イラクから、お守りはDiyalaから -
バビロンにあったとされるネブカドネザルの空中庭園の証拠はまだ見つかっていない。ぜいたくな水やりが必要な植物を集めることができるのは王のみであった。この粘土板にはMarduk-apla-iddina王の庭の植物がリストされており、玉ねぎ、にんにく、リーキ、レタス、キュウリ、カブだけでなく、ミント、クレス、タイム、コリアンダーが含まれている。slave girl-buttockという植物は特定されていない。
721-710 & 703BC 南イラク -
バビロンの壁
この粘土板のかけらはImgur-Enlilと呼ばれる内側の城壁に対する詳細な計測を与えてくれる。近代的な調査から、数値は現実的なものであることがわかっている。記録は王族の建築プログラムの中で行われた調査によるものと考えられる。 -
この粘土板のよくできたバビロンの地図にはTuba地域、2つの門、内側の城壁内部の市街地、ユーフラテス川から引かれた水路が示されている。
650-500BC バビロン -
上のかけらの示す地域です。
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バビロニアの世界地図
説明文の下の図のようになっています。
この粘土板はかなり昔からの伝統を記録しており、大洪水物語にすら言及している。バビロニアの世界は鳥瞰図で、リングラベルの付いた川に囲まれた円盤として表示されている。バビロンはユーフラテス川をまたいでおり、川は南の沼地から海へと流れていく。丸が描かれた場所はメソポタミアの都市や地域を示しており、だいたい地理的な位置と一致している。
これはまさにイラクのバビロンで見た地図です! -
世界地図のかけら
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この粘土板に示された文章は、聖書のノアの箱舟のストーリーに驚くほど似ている。
粘土板には、神が人類を滅ぼすため、どのように洪水を起こしたかが書かれている。Ut-napishtimはEa神より人類と動物の生き残りのためにボートを建造するよう忠告を受ける。ボートがアッシリヤ北部のNitsir山に上陸する前に、鳥が放たれている。この話は少なくとも1000年前から知られていた。
アッシリヤ後期 紀元前7世紀 -
Nabonidusはシン神を宣伝したことにより、バビロニアの国家神であるマルドゥクの司祭職に反することになった。その後彼は10年間アラビアのTeimaに留まり、息子のBelshazzarが摂政となった。本当の王が不在だったため、春分の日に行われる重要な新年祭を祝うことができなかった。
Nabonidusがバビロンに戻った時、当地は失敗に終わった。539BC、バビロンはキュロス王に征服され、その領地はペルシャ帝国に組み込まれた。こうしてメソポタミアの先住民王によるメソポタミアの統治は終わった。
Nabonidus(556-539BC)の石碑
Nabonidusは伝統的なバビロンの服装をし、正義と権力を象徴する物体を持っている。彼の前にはIshtarの星、Shamashの翼のある円盤、そして月の神Sinの三日月が描かれている。 -
バビロニアと聖書
バビロンは旧約聖書で重要な位置を占めている。楔形文字のテキストの中には、ユダにおけるナブカドネザル2世の遠征に関する聖書の物語と重なる部分がある。597BCと587BC、地域を支配するためにユダの人々は場バビロンに連行されており、バビロン捕囚の始まりとなった。
(左から順に)
この公式文書は605BCから595BCにかけてのネブカドネザル王朝の重要な出来事を記録している。紀元前 597 年にエルサレムがバビロンに征服され、ユダの王エホアキムがエルサレムに降伏したことを示す。
首席宦官Nabu-sharussu-ukinはマルドゥク寺院に金を寄付した。彼の名前と称号は、エレヌア書の中でヘブライ語でネボ・サレスキムとして登場する。彼はネブカドネザルの597BCの第2次捕囚において、おそらく預言者エレミヤに会った。
ここでバビロニアの学者は、いかに強力で独立したメソポタミアの神々がマルドゥク神の側面として見られるかについて推測している。同様の考えが、入ってきたユダヤ人の宗教の特徴であったと考えるのは興味深い。
この行政文書はNabonidus王の治世11年キスリム月24日に遡るものである。そこには王の息子ベル・シャラ・ウスールの奴隷について記されている。Belshazzarは摂政となったが、Nabonidus王はまだ君臨する王であった。
Nabonidusの月の神Sinへの執着はバビロン郊外の建築工事へとつながった。この粘土柱にはウルのSinのジッグラトの復元とともに、Sin神にNabonidusとその息子を守ってほしいと懇願している。
以上でこの部屋は終わりです。イラクに行った際にバビロンで聞いた話と一致する展示品や聖書との関係性は非常に興味深いものでした。
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