2025/07/12 - 2025/07/28
171位(同エリア10339件中)
どらみさん
※自分の旅行の記録として作成していますが、インターネットで情報を引き出していますので、皆様のお役に立つところがあれば幸いです。
7月12日(土) NH494 NGO-NRT 1410-1530, TG677 NRT-BKK 1725-2155
7月13日(日) TG934 BKK-BRU 0030-0740,ブリュッセル観光【ブリュッセル泊】
7月14日(月) SN2093 BRU-LHR 0950-1015にてロンドン到着後、観光【ロンドン泊】
7月15日(火) 大映博物館、オペラ座の怪人鑑賞【ロンドン泊】
7月16日(水) コヴェントガーデン、バラマーケット、ライオンキング鑑賞【ロンドン泊】
7月17日(木) BA0416 LHR-LUX 0825-1045にてルクセンブルクへ。到着後、ルクセンブルク観光。
LH2323 LUX-MUC 2010-2115, LH1626 MUC-KRK 2210-2330にてクラクフへ【クラクフ泊】
7月18日(金) クラクフ観光【クラクフ泊】
7月19日(土) ヴェリチカ岩塩坑、アウシュビッツ【クラクフ泊】
7月20日(日) 一泊二日のスロバキアツアー
7月21日(月) 一泊二日のスロバキアツアー【ブダペスト泊】
7月22日(火) バラトン湖観光【ブダペスト泊】
7月23日(水) ブダペスト観光【ブダペスト泊】
7月24日(木) ドナウベンド観光【ブダペスト泊】
7月25日(金) LO534 BUD-WAW 0945-1100, LO771 WAW-VNO 1145-1350, ヴィリニュス観光【ヴィリニュス泊】
7月26日(土) AY1102 VNO-MUC 0945-1130, ヘルシンキ観光【ヘルシンキ泊】
7月27日(日) ヘルシンキ観光後、HO1608 HEL-PVG 1455-0640(+1 day)
7月28日(月) (浦東から虹橋へ移動) NH970 SHA-HND 1355-1745, NH85 HND-NGO 1920-2020
大英博物館 Room.52 古代イラン
3000BC-651AD
イランは古代文明と帝国発祥において重要である。ローカル色の強いイランの手工芸品ともに近隣地域との交易品を展示されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
-
Room 52
Ancient Iran -
中央アジアの民族が南下し、イランに住み着いたのは1450BC頃以降と考えられている。美術や文化に大きな変化をもたらし、インドーヨーロッパ語族の言語が取り入れられたと考えられている。
この時期の記録はほとんど残っておらず、遺跡からの発掘品が重要になる。印象的な焼き物や複雑な金属の工芸品がこの時期の高度な文明の証拠となっている。また、移動性の高い人々にとって馬が非に重要な移動手段となった。
※メソポタミアでは記録に粘土が使用されました。粘土は戦争などがあっても燃えても、焼き固まって残ります。そのため記録が残っており、解明が進んでいます。 -
注ぎ口の付いた壺
8世紀BC
石灰岩のモールド
8世紀BC -
金属製品
-
古代イランの剣
北西イランでは12世紀BCから9世紀BCにかけて様々な剣が使用されているが、鉄、または銅の刃と別の金属でできた取っ手部分から成っている。取っ手の部分は、刃に鋳造されていることもある。木などで作られていることもあるが、現在まで残っていない。 -
ロレスターンの銅器
9世紀BC-8世紀BC -
馬が描かれた石のレリーフ
この破片はアッシリヤのリリーフの破片で、複数の馬が戦車を引いている。アッシリヤは9世紀BCから8世紀BCにかけて度々イラン北西部に攻撃を仕掛けており、馬は戦車や騎兵で重宝された戦利品であった。
9世紀BC 北イラクのNimurudで発掘 -
ルリスタン(Luristan)の壺
定住しないノマドは、移動には壊れやすくて使いにくい土器は使用しなかった。ルリスタンの墓から土器が出土するのは、彼らが定住していたことを示す。模様は凧模様として知られている。
9世紀BC-8世紀BC ルリスタン地方から出土 -
つやのある容器
これらの容器は、微量のアルカリや石灰を含む微粉末状の石英粒子を加熱して作られた人工組成物から作られている。コップとして使用されたものや蓋として使用されたもの、小さな容器として使われたものなどさまざまである。蓋には穴があり、ひもでつながれている。
9世紀BC-8世紀BC イラン西部 -
部屋の周り方がおかしいのか、時代が逆行(3000-1400BC)です。
イランでの最初の都市は3000BC頃に建設された。ちょうど文字が発明されたころである。長距離にわたる交易や近隣地域との接触が増加した。
イランは金属や石の資源に富んでおり、これらが様々な工芸品の製作に使用され輸出された。
紀元前2500BC-1800BC -
紀元前2500BC-1800BC
-
紀元前2500BC-1800BC
-
ラピスラズリ
アフガニスタンのラピスラズリは非常に貴重で、宝飾品を作成するのに使用された。北西アフガニスタンで採取され、イランを通して中東の他地域へと輸出された。
球場の頭の付いた長い留めピンはイランの南西部Khinamanで発掘された。
2500BC-2000BC -
様々な装飾の施された銅製の斧や短剣、メイスのヘッド
装飾の施された儀式用のものもあり、中にはトラの装飾も見られる。現在イランではトラは絶滅している。
2500-2000BC -
また時代が飛びます。今度はペルシャ帝国(550-330BC)です。
550-330BCにかけ、アケメネス朝ペルシャ帝国はエジプトからパキスタンにかけて領土を広げた。ダリウス1世(522BC-486BC)の時代には領土が最大となる。ペルシャの支配者は自分のことを'king of king'と呼んだ。
ペルシャの王はペルセポリス、スーサ、バビロンなどに宮殿を建設し、スーサとサルディスを結ぶ王の道を建設した。
■銀製のワイン注ぎ瓶(rhyton)
これはペルシャ帝国のもっとも有名なもののひとつである。ワインを注ぐt目に使用され、容量は1.5リットルである。グリフォンの足の間には穴が開いており、そこからワインが注がれる。上部はパルメットとロウバイのつぼみで装飾され、交互に花が描かれ、金箔で強調されている。
6世紀半ば-5世紀BC
■銀製のボウル
ワインを飲むのに使用された。ボウルの肩部からワインを注いでもいいようにバランスがとられている。最も大きいもので1リットル以上、最も小さいもので600mlの内容量がある。
6世紀半ば-5世紀BC -
rhytonの使われ方
-
バビロンは非常に豊かな地域で、その富は農業と交易によりもたらされている。楔形文字で書かれた粘土板が大量に発見されており、ペルシャ帝国の生活や経済についての詳細な情報を得ることができる。
■バビロンから発見されたこれらの石板には、ダリウス王(521-486BC)の戦争のリスト、Xerxes(485-465BC)が息子により暗殺されたこと、ダリウス3世がアレキサンダー大王に331BC10月1日に敗北したことが記されている。
■ペルシャの女王
ペルシャの女王についてはほとんどわかっていない。見つかった粘土版には'PA-am-mu-u'という女王の名前があり、BorsippaのNabu寺院の活動に関わっていたことが記されている。 -
■アケメネス朝のミニチュア美術
ペルシャのレリーフに見られる服や道具のミニチュアである。馬乗りのミニチュアもある。竹が長めの上着を着、バタバタする帽子をかぶっている。ベルトからは短剣を下げている。
6世紀BC-4世紀BC
■女性と化粧品
ペルシャでは女性を表現することは非常にレアである。例外が金属の化粧瓶で、神を留めた女性を表現している。3つ目のものは硝子でできた化粧瓶で、コーカサスで製作された。
6世紀BC-4世紀BC -
オクサスの遺宝
1877年にオクサス川周辺で発掘されたアケメネス朝時代の金や銀細工。アケメネス朝時代の美術の解明に活用された。
5世紀BC-4世紀BC -
オクサスの遺宝のズームアップ
-
オクサスの遺宝のズームアップ
-
オクサスの遺宝
-
オクサスの遺宝
-
奉納像
これらはおそらく奉納物として製作されたものである。1つは、ゾロアスター教の司祭が聖火のために使用する小枝の束(barsoms)を持った、髭を生やした男性dである。
小さな像はベルト付きのチュニックとズボンを着ており、肩には偽の袖が掛けられた重厚な装飾のオーバーコートを着ている。このコートは、ペルセポリスのレリーフに示されているスキタイ人からの献上物と似ている。
一方で背の高い裸の像は、まったく異なったスタイルで、目立つ髪飾りは、南西トルコのサルディス付近で見つかった像に似ており、ペルシャの西方から来たのかもしれない。
5世紀BC-4世紀BC -
シリアからの出土品
(上)
粗雑な火で黒くなったランプはイラン北西部のもので、個人の所有物だったに違いない。lekythosとして知られる細かく装飾されたオイルフラスコは450BC頃のもので、ギリシャから輸入されたものである。ギリシャから輸出されたものがこれほど東方で発見された例はほとんどない。
(下)
この形状のワインボウルは金属、焼き物を問わず、ペルシャ全土で広く使われ、埋葬品としても使われた。
ワインは通常水で希釈され、大きな銅製の入れ物がそうであったのかもしれない。ペルシャでは赤、白、ブドウ、デーツなど様々なワインが飲まれていた。粗粒のワインやビールを飲むのにはストローが使用されていた。
6世紀中頃-4世紀BC Deve Huyuk, North Syria -
ペルシャ支配下のエジプト
エジプトは525BCにペルシャに支配された。ペルシアの行政拠点はメンフィスに拠点を置いていたが、軍の駐屯地はナイル川上流のアスワンに置かれた。この時代における大きな功績は、ナイル川と紅海、地中海を結ぶ運河の建設であった。ペルシャ文化はエジプトの日常生活、美術、工芸などの一部に影響を与えた。
■エジプトのファラオの格好をしたダリウス
この木製ドアの右にはダリウス1世(521-486BC)がファラオの格好をし、真ん中のエジプトの神アヌビスに供え物をしている。イシス神が左に立っている。
■印(左)
この有名な円柱状の印では、ダリウス1世が戦車に立ち、ライオンに矢を放っている。戦車はオクサスの遺宝の戦車のものに似ている。
6世紀BC半ば-4世紀BC
■印(右)
この印はエジプトとペルシャの要素を組み合わせている。
エジプトの象形文字の碑文には健康が記されており、ハヤブサはホルス神を表し、上部と下部にはエジプトの神聖な目のシンボルの列が飾られている。
跳躍するアイベックスは古典的なペルシアの象徴である。中央の香炉は、ペルセポリスの彫刻やペルシア帝国の属州リディアの銀器に見られる表現と似ている。
6世紀BC半ば-4世紀BC
■特徴的な冠をかぶったエジプトの小人神ベスは、エジプトでは子供たちの守護神として知られていた。ペルシャではベ?は強力な守護の役割を持っていた。彼の姿はお守り、宝石類、銀の器、オクサスの遺宝の戦車の前面にも描かれている。
6世紀BC半ば-4世紀BC
■ペルシャの駐屯地はアスワンに置かれたが、焼き物は破片に描かれた説明には、物資、人、手紙などの行き来が記されている。他の文書にはイオニア人、カリア人、フェニキア人、ギリシャ人などの居住者について書かれている。
475BC頃 -
イランの復興(330BC-224AD)
334BC以降しばらくの間、アレキサンドリア大王がペルシャの大部分を支配下に置いた。この期間、セレウコス朝のもとでペルシャはギリシャの文化の影響を大きく受けた。
171BC、パルタヴァ東部の州知事Mithradatesはギリシャの支配に挑戦し始めた。ペルシャを次々に支配下におさめ、141BCにはバビロンの支配下に置いた。Mithradatesはクテシフォン(→イラクの旅行記でわずかにですが触れています)を新たな首都と定め、パルティア帝国を築いた。イランの文化が再びパルティアの下で栄えた。
ペルシャの陶器
釉薬のため、内部に何が入っていたかがわからい。
1世紀AD-3世紀AD スーサより -
墓から見つかった金製品
これらは1852年にニネヴェの墓から発見されたものである。ニネヴェはパルティアとローマ国境付近の戦略的な都市となった。これらの品から、ローカルのファッションや埋葬習慣が両国の影響をどのように受けたかがわかる。
■金の仮面
パルティア人の墓で発見された2つの金の仮面のうちの1つである。元々は、おそらく遺体の顔の上に置かれ、角の穴に紐を通して固定されていた。これはローマ時代から続く地中海東部の習慣で、パルティア西部に伝わった。
1世紀AD
■ローマの古い通貨 1世紀AD
■金の目と口のカバー
もともと金の仮面同様に、遺体に取り付けられていたものである。1世紀AD
■金の装飾品、指輪など 1世紀AD -
■ひげを生やしたマーキュリー(上) 1世紀AD Masjid-i Suleiman
このパルティアの寺院の彫刻はローマのマーキュリー神をを示している。マーキュリー神は神の使者であり、商売の神である。しかし、王冠やひげは元のものと異なっており、海外の考え方がどのように適用されたかを示している。
■塗装された建物の破片 1世紀AD ウルク
3世紀BC頃、彫刻は中東では鮮やかな色で装飾された。これらの像は石膏で出来ており、赤、オレンジ、黄、緑、ピンクなどで装飾されている。 -
■銀のプレート
プレートの構成は後期ヘレニズム時代に基づいているようだが、金属る細工の技術からこの皿はもう少し遅い時代のものであることが示唆される。職人は、ディオニュソス的な場面と宴会の場面を組み合わせるために、そうした可能性がある。
制作年代はパルティア朝後期からササン朝初期まで定まっていないが、東方で制作されたと推定される。
2-3世紀AD Qunduz, アフガニスタン
■ミトラ神に捧げられたパルティの石板
この石板には一般的なパルティアの格好をしてマットレスに横たわっている男が描かれている。また、ミトラ神に敬意を表する記述も見られる。ミトラ神は光の神で、インドで最も重要な神の一人である。
1-3世紀AD -
■上真ん中
アレクサンダー大王の死について、楔形文字で書かれている。
■左上
楔形文字でバビロンで作成された。セレウコス朝の王と日付のリストが記されている。
■右上
学生の宿題
■真ん中
バビロニアの宇宙の観察記録には、月と惑星の記録が7世紀BC頃から残されている。この164BCから163BCにかけての記録にはハレー彗星の観察記録が残されている。
■年代測定可能な最新の楔形文字の石板(右下)
惑星の動きを記録している。61AD
■下
この石板にはパルティアのMithradates1世がセレウコス朝を141世紀に撃破したことが記録されている。141BC -
ササン朝ペルシャは224年ADから651年ADの間、シリヤからパキスタンにわたる帝国であった。Ardshir1世が建国し、パルティアのステシフォンを首都とした。
ササン朝は中央主権国家でローマと対立した。記念碑や装飾用の銀板はササン朝の軍事的勝利を記念し、その地域全体における権威と権力を強調した。
ササン朝の文化は国境を越えて広がり、輝くカットガラスのボウルが東アジアに輸出された。
銅製のドラゴン
この置物は南アフガニスタンで発見されており、ササン朝に支配されていた時代のものである。
3世紀AD Helmand、アフガニスタン -
金メッキの銀板
senmurwはペルシャ神話の慈悲深い鳥で、頭は犬、胴体はライオン、しっぽが孔雀となっている。中期ペルシャ文学では「害がなく多くの種のある木に」止まり、将来の成長を促すために種をまいていると描写されている。そのため、栄光と良い未来の象徴と考えられている。
7世紀-9世紀初頭 AD -
ブドウ収穫の場面を描いた金箔張りの銀製の壺
ブドウのつるはゾロアスター教の生命の樹を表しており、全体の構成は満足と秩序の証拠として解釈することができる。
5世紀-7世紀AD Mazanderan -
ササン朝の剣と兜
6世紀-7世紀初頭AD -
装飾された陶器の壺
6世紀から7世紀にかけて、ササン朝の西部において、明確な特徴を持つ壺が発達した。動物やその他のモチーフを枠の中に囲み、一定の間隔でそのモチーフを繰り返すという、ササン朝後期の装飾概??念にインスピレーションを得たものである。建築装飾、織物、金属細工、そしてこのような壺に大きな影響を与えた。
6世紀-7世紀AD Borisippa -
Magic Bowl
メソポタミアでは魔法の伝統はバビロニアの時代にさかのぼる。ササン朝後期には、人々は陶器の鉢に呪文を書き、それを家や墓地に埋めた。呪文はユダヤのアラブ語、シリア語、マンダ語、中期ペルシア語の文字で書かれた。この鉢にはアラビア語で書かれているが、持ち主の名前Bahram Gushnaspはイラン語で書かれている。絵には、支配しようとして手足を縛られた乱れた髪の悪魔が描かれている。 -
ペルシャの建築
ペルセポリス、スーサ、Hamandanなどの宮殿は柱のある大きなホールを備え、外は石やレンガの彫刻で装飾されていた。
Median Dress
この男性は柔らかい帽子とチュニスをズボンの上に着用しており、Median Dressと呼ばれる。akinakesと呼ばれるペルシャ独特の剣の鞘を身につけている。蓋付きの脚のついたゴブレットを持ち、階段を登っている。司祭か召使かもしれない。
500BC-400BC頃 ペルセポリス -
ペルシャの役人
ペルシャのローブを着たこの役人は、頭を向けて会話をしながら左へ進んでいる。円形のイヤリングを着けており、ベルトに短剣を刺している。顔は19世紀の復元技術が見られ、ペルセポリスの彫刻が展示された1865年に復元さたものかもしれない。
500BC-480BC頃 ペルセポリス -
ラクダを引くバビロニア人
ひげの様子からこの男がバビロニア人であることが示唆される。右手には棒を持っており、左手に持った綱でラクダ(鼻しか残っていないが)を引いている。詳細が描かれていないところがあり、未完成であるのかもしれない。
500BC-480BC頃 ペルセポリス -
施釉レンガ
アケメネス朝の施釉レンガには複雑な技術が使われていた。粘土の代わりに砂と石灰が使用され、装飾が成形された。レンガには異なる色の釉薬を定着させるために数回焼かれた。金属酸化物で着色されており、その色は細い線によって区別されている。
521-500BC頃 スーサ -
翼を持った雄のスフィンクス
元は宮殿のファサードであったが、のちに新しく建造された宮殿のファサードに移動された。この日付から、ペルセポリスの宮殿がアレクサンダー大王に破壊される直前まで再建され続けたことを示している。
358-338BC頃 ペルセポリス -
ここからは壁に飾られていたペルセポリスの謁見の間(アパダーナ)の北階段の彫刻です。本物ではなく、キャストです。
ペルシャのドレスを着た男性に連れられたリディア人 -
リディアはペルシャの豊かな州で、王の道によりイランとつながれていた。リディア人は貴金属のボウルとビーカーを贈り物として持っている。馬車の形と補強された車輪はオクサス遺宝の馬車と似ている。
-
メディナの服装をした人に連れられたカッパドキア人
-
トルコ中央のカッパドキアは、ペルシャの州であった。
パンツスーツと帽子を身にまとっている。たたんだローブと馬を王のもとへ運んでいる。馬の房状のたてがみは、他のアケメネス朝時代の表現と同一である。 -
ペルシャの服装をした人に連れられたイオニア人
-
イオニアはペルシャの最西部の州で、近くにあるギリシャの島々も含まれている。頭に何もつけていない男性は、フリンジのついた外套を羽織り、さまざまな種類の飲み物を入れる器、折りたたんだ布、大きな毛糸玉などを持った姿が描かれている。
-
メディナの服装をした男に連れられたパルティア人あるいはバクトリア人
-
パルティアとバクトリア州は現在の東イラン、アフガニスタン、中央アジアにあたる。これらの男性は、結び目のついたヘッドバンド、ベルト付きのチュニック、ゆったりしたズボン、長いブーツを身に着け、さまざまな種類の飲み物用のボウルを持ち、2つのこぶを持つラクダを引いている姿が描かれている。
先ほど写真を載せたラクダを連れた男のレリーフは、このレリーフのかけらである。 -
ペルシャの服装をした男に連れられたインド人
-
ペルシャの最も当方の州は現在のパキスタンやインドの一部を含んでいた。ヘッドバンドとスカートを身につけた男性たちは、斧、ロバ、そしてカゴに入った小さな貴重な壺を持っている。ギリシャの歴史資料によれば、インドはペルシャに砂金を供給していたとされており、これらの壺は金の輸送を表しているのかもしれない。
-
この説明は楔形文字で書かれており、Artaxerxes3世(359-338BC)がこの階段の部分を再建した。
-
3列の人が中央に向かって歩いている。左では、メディナの服装をした男がそれぞれのグループを連れており、右では、ペルシャの服装をした男がグループを連れている。メディナのパンツスーツは乗馬に適している。王、廷臣、衛兵が着用するペルシャのローブは、ベルトで締めるもので、広い袖が付いた足首までの長さのゆったりとしたガウンである。
-
雄牛を攻撃するライオン
このシーンはペルセポリスの階段やその他の箇所で繰り返し使用されている。神と悪魔の戦いを表しているかもしれず、雄牛はゾロアスター教の悪の魂Ahriman、ライオンは神Ahura Mazdaなのかもしれない。ほかの解釈としては、王の反乱軍への勝利や、占星術上の重要な意味を示しているという解釈もある。 -
階段を上る人々はブレスレット、飲み物を飲むボウル、動物の毛皮などの贈り物w持っている。彼らはゆったりしたローブをまとった男に連れられている。
壁に飾ってあったものすべての写真を撮ったわけではないですが、ペルセポリスでこういうの見たなあというかんじで非常に面白かったです。メソポタミアとともにペルシャの歴史まで見ることができ、大満足です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
202507 弾丸ヨーロッパ
-
前の旅行記
弾丸ヨーロッパ再び ~7月15日 大英博物館 Room 55 (古代メソポタミア)~
2025/07/12~
ロンドン
-
次の旅行記
弾丸ヨーロッパ再び ~帰国~
2025/07/12~
ヘルシンキ
-
202507 弾丸ヨーロッパ再び ~準備編~
2025/07/12~
スロバキア
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月12日 出発編~
2025/07/12~
ブリュッセル
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月13日 ブリュッセル~
2025/07/12~
ブリュッセル
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月17日 ルクセンブルク~
2025/07/12~
ルクセンブルク
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月19日 ヴィリチカ岩塩坑~
2025/07/12~
クラクフ
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月20日 スロバキア(1)~
2025/07/12~
スピシュ城周辺
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月14日 ロンドン~
2025/07/12~
ロンドン
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月15日 大英博物館 Room 56 (古代メソポタミア)~
2025/07/12~
ロンドン
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月21日 スロバキア~
2025/07/12~
ヴィソケー・タトリ
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月22日 バラトン湖&ブダペスト夜景~
2025/07/12~
バラトン湖周辺
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月23日 ブダペスト~
2025/07/12~
ブダペスト
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月24日 ドナウベンド~
2025/07/12~
ドナウベント
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月26日 ヘルシンキ~
2025/07/12~
ヘルシンキ
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月15日 大英博物館 Room 55 (古代メソポタミア)~
2025/07/12~
ロンドン
-
弾丸ヨーロッパ再び ~7月15日 大英博物館 Room 52 (古代イラン)~
2025/07/12~
ロンドン
-
弾丸ヨーロッパ再び ~帰国~
2025/07/12~
ヘルシンキ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ロンドン(イギリス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 202507 弾丸ヨーロッパ
0
56