2025/06/11 - 2025/06/28
171位(同エリア402件中)
タブラオさん
梅雨の時期に長めの休みを取って一人でバルカン半島7ヵ国を回ってきました。
100ヵ国訪問を目指し、これまで行ったことのない国ということでバルカン半島の国々を回ることにしました。今回はバスで回りましたがどのルートで回るか悩みました。6月のだんだん暑さが増す時期であるため南から北へ移動するルートにしました。最初はアルバニアのティラナから入ることを考えましたが、その後のルート作りが難しく、結局、北マケドニアのスコピエから入ることにしました。それとコソボとアルバニアは首都のプリシュティナ、ティラナには寄らずプリズレン、シュコダルに行くことにしました。国数を増やすことが目的のため、首都に行く必要はなく、ルート作りが楽になるように行き先を決めました。
で、どうだったかというと、期待せずに行ったのが良かったのか、大満足のバルカン半島の旅となりました。正直、訪問国数を増やすことが最大の目的でしたので、事前学習も行き先の下調べもなかなかやる気が起こらず、ホテルとバスだけ押さえて、後は現地で考える方式で行きました。イスタンブールを3日間追加したのも、バルカン諸国はどうせ見るところもないだろうと思い日数を絞ったためですが、こんなことならイスタンブールを削ってバルカン半島だけにすれば良かったと後になって後悔しました。心配していたバス移動でしたが、まあ色々と気を揉んだ場面もありましたが、トラブルも不快な思いをすることもほとんどありませんでした。快晴続きで連日30℃オーバーの中、毎日2万歩ペースで歩きましたが、幸い体調を崩すこともありませんでした。特に最近はお腹の調子を崩すことが多かったですが、油っこい物を食べないようにするとか、量が多い時には頑張らずに残すように心掛けたのが良かったのか、今回は大丈夫でした。
一方、最後におまけで訪問したイスタンブールですが、かなり残念な内容でした。今回3回目の訪問で約30年振りでしたが、トラブル多発、物価バカ高、タバコ臭いetc.で、まあイスタンブールのところで書きますが、自発的に次にまた行くことはないと思います。バルカン半島7ヵ国はトラブルもなく気分良く旅行が続けられてきたのに、イスタンブールでは早く日本に帰りたいと思うほどでした。最後の方は交通事故と盗難だけは気を付けようとそればかり考えていた気がします。
これで訪問国数は66ヵ国になりました(今回は北マケドニア・コソボ・アルバニア・モンテネグロ・セルビアが新規訪問国)。7月にモンゴル、9月には昨年6月のリベンジでアゼルバイジャン・ジョージア・アルメニアに行く予定です。まずは70ヵ国をクリアしたいと思います。
1日目 朝方、スコピエ着後、市内観光。半日で終ったため予定変更しプリズレンへ。プリズレン泊。
2日目 昼前にジャコーバへ移動し終日ジャコーバ観光。木造建築群を見学。ジャコーバ泊。
3日目 プリズレンへ戻り、終日プリズレン観光。プリズレン城塞登山他。プリズレン泊。
4日目 シュコダルへ移動。シュコダル市内観光。けんたびさんと夕食。シュコダル泊。
5日目 コトルへ移動後、ペラストへ。人工島上陸他、ペラスト観光。コトルで夕食。コトル泊。
6日目 コトル城壁登山後、午後ブドヴァへ日帰り観光。夕方、コトル観光。コトル泊。
7日目 ドブロブニクへ移動。スルジ山登山他、ドブロブニク観光。ドブロブニク泊。
8日目 モスタルへ移動。終日、モスタル観光。バスで一緒になった日本人の方と夕食。モスタル泊。
9日目 サラエボへ移動。ホテル周辺を緩く観光。サラエボ泊。
10日目 終日、サラエボ観光。トンネルツアー参加。スナイパー通り見学他。サラエボ泊。
11日目 ベオグラードに飛行機で移動。ホテル周辺を緩く観光。ベオグラード泊。
12日目 終日、ベオグラード観光。ユーゴスラビア博物館に行くも閉館日。ベオグラード泊。
13日目 午前、ユーゴスラビア博物館見学。イスタンブールへ飛行機で移動。イスタンブール泊。
14日目 終日、イスタンブール観光。ボスポラス海峡クルーズ他。イスタンブール泊。
15日目 イスタンブールでお土産品購入。バザール巡り。イスタンブール泊。
16日目 午後便で帰国。
⑩はサラエボ旅行記「その2」、10日目と11日目午前中の旅行記です。この日は朝から精力的に歩きました。サラエボオリンピック跡地の墓地を見学した後、スナイパー通りを歩きました。午後はトンネル博物館ツアーに参加しました。翌日午前中にはサラエボ包囲関連の博物館を3つ回ってきました。サラエボ紛争関連のスポットばかり回ってきましたが、改めて平和の有り難みを痛感しました。詰まらないことに腹を立てている自分が恥ずかしく感じました。こうやって旅行出来ることはもちろんですが、平和な日常を過ごせることに感謝しなければと改めて思いました。
この日の主なイベントは次の通りです:
●サラエボオリンピック跡地の墓地訪問
●スナイパー通りを歩く
●トンネル博物館ツアーに参加
●ホテル横のレストランで夕食
●サラエボ包囲博物館他を見学
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14時00分にトンネル博物館ツアーに予約していましたので、その前にサラエボオリンピック跡地、スナイパー通りを回ってしまうことにしました。
写真は途中で見つけた「REMEMBER SREBRENICA」の壁画です。サラエボに来るまでSREBRENICAの地名すら知りませんでした。下の花はスレブレニツァ虐殺の犠牲者を追悼するシンボルであるエーデルワイスの花だそうです。 -
まずはサラエボオリンピックの跡地に向かって歩きました。サラエボオリンピックの跡地が墓地になっていると知り、何とも切ない気持ちになりましたが、その現場を見てみたいと思い、「ゼトラ オリンピック ホール」を目指して歩きました。
左の写真は途中で見かけた墓地です。墓石が新しいものではないため、恐らくサラエボ包囲で亡くなった方の墓地ではないと思います。ちょうど2つの写真の間に車道がありましたが、右側の写真はマーケットの屋根です。 -
そのマーケット内を歩いてみました。普通のマーケットでしたが、土地柄なのか、花屋が並んでいました。
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恐らくここがサラエボオリンピックの跡地が墓地になっているところだと思われます。中央の塔にはお亡くなりになられた方の名前が刻まれていました。
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この墓地にお墓がある方の名前がすべてここに刻まれているか不明ですが、名前が刻まれている方は1992年から1995年にお亡くなりになられた方ばかりでした。サラエボ包囲が1992年4月から1996年2月までですのでサラエボ包囲で命を落とされた方なのだと思われます。
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別の角度から撮ったものです。墓石をいくつか見てみましたが、1992年から1996年までの間にお亡くなりになられた方ばかりでした。墓石は全てが白くて新しいものぱかりでした。大量に一度に埋葬されたのでしょう。墓石は同じ形、大きさのものが均等に並んでいました。そして、遠くにはオリンピックのマークが付いたタワーが見えました。
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サラエボは1984年の冬季オリンピック開催の地です。写真のタワーは当時のシンボルタワーなのでしょうか? オリンピックと言えば平和の祭典ですが、そのわずか8年後にサラエボ包囲が始まっています。平和の象徴であったオリンピックの跡地には紛争の犠牲者たちがたくさん眠っているのです。オリンピックの開催地となるのはどこの国にとっても大変名誉なことだと思います。その正に栄光の地が紛争の悲劇を物語る場所となっているのです。何とも切ない話でありませんか。
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オリンピックスタジアムの近くにもまた別の墓地がありました。新しいお墓が多数でしたので、ここにもサラエボ包囲の犠牲者の方が眠っているのだと思われます。
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これがオリンピックスタジアムなのだと思いますが、特に説明書きもなく、周囲も閑散としていました。取り敢えず、写真だけ撮って引き返しました。
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「ホテル ホリデー(旧ホリデイ・イン)」
オリンピック跡地から戻ってきて、幹線道路を更に西に行ったところにありました。この辺りから西に伸びる片側3~4車線の広い道がスナイパー通りなのだそうです。旧ホリデイ・インは、1992年から1995年のサラエボ包囲時に唯一営業を続けたホテルなのだそうです。世界中のジャーナリストがこのホテルに宿泊し、紛争の取材を続けていたという、歴史あるホテルなのだそうです。 -
「ボスニアヘルツェコビナ歴史博物館」
スナイパー通りを挟んで、ホテル ホリデーの向かい側付近にありました。この博物館に入りたかったというより、トイレに行きたかったため入った博物館です。紛争関連の展示品があるのかと思いきや、ただの博物館でした。いいお値段しましたので、高いトイレ代を払いました。 -
この辺りがスナイパー通りだと思われます。サラエボ包囲の際、高層ビルに潜むセルビア人狙撃兵が、通りの「動くものすべて」、すなわち女性や子供も含めた全ての人を標的にしていたため、そう呼ばれていたのだそうです。スナイパー通りと言っても特に何があるわけでもなく、ただの広い通りです。観光地ではないため、人も歩いていません。紛争の傷痕が今でも残っていると聞いていたため、取り敢えず西に向かってどんどん歩いてみました。
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歩いても歩いても、ただ、だだっ広い通りを歩いているだけでした。特に私が歩いている側は何もありませんでしたが、反対側の通りには、旧ソ連時代に建てられたと思しき老朽化ビルが建ち並んでいて、それらを眺めながら西に進みました。
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かなり西に来たため、反対側の通りに渡り、引き返すことにしました。写真は途中の建物です。建物の小さな穴は弾痕だと思われます。
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「サラエボローズ」
砲弾による死者が出た爆発の跡を赤い樹脂で埋めたものですが、その赤い樹脂が花のように見えることから「サラエボローズ」と呼ばれているのだそうです。紛争の傷痕の象徴として今でもサラエボ市内のあちこちで見られるのだそうですが、注意していてもサラエボ市内では全く見つけることが出来ませんでした。スナイパー通りを半分歩いても全く気付きませんでしたが、歩く側を変えたら、早速一つ見つけました。 -
その後、この近辺で立て続けにサラエボローズを見つけました。もう少し鮮やかな赤なのかと思っていましたが、年月が経っているため、かなりくすんだ赤になっていました。
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途中のビルですが、ここも弾痕が残ったままでした。
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ホテル ホリデー前の路上ですが、こんなものを見つけました。これがサラエボローズと関係あるのか分かりませんが、何かのメッセージなのでしょう。
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14時00分から「トンネル博物館ツアー」に参加しました。泊まっていたホテルを管理している「Insiser」という旅行会社のツアーに参加しました。参加者はドイツ人、チェコ人、シンガポール人×2と私の計5人でした。
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「トンネル博物館」
サラエボ国際空港の近くです。サラエボ包囲の際に、包囲されたサラエボ市内と外部を結ぶために建設されたトンネルの一部を保存した博物館です。写真はトンネルの出入口となった一般の民家です。このトンネルは、物資の輸送、負傷者の搬送、そして人々が外部へ脱出するために使用されたのだそうです。包囲されたサラエボの市民にとって、食料や医薬品の調達、負傷者の搬送など、文字通り「生命線」の役割を果たしたのだそうです。 -
この民家の前にもサラエボローズがありました。
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ツアーのガイド兼ドライバーの方です。ご自身もサラエボ包囲を経験されていて、足に銃撃を受けたのだそうです。確か元警察官だと言っていたような記憶があります。実際にサラエボ包囲を生き抜いた方の実体験に基づく説明ですので、言葉の一つ一つに迫力を感じました。色んな思いがあるのでしょう。話し始めると止まらなくなるほど熱のこもった説明でした。
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約800メートルほどのトンネルの内、約20mが公開されていました。写真がその公開部分だと思われますが、もうちょっと距離があったような気がします。実際に歩いてみましたが狭いです。この狭いトンネルが、物資の搬入や避難、兵士の移動などに使用されたそうですが、過酷な作業だったのでしょう。
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ホテル周辺やサラエボ中心部ではサラエボローズを全く見なかったため、どこにあるのだろうと思い調べたら、以下のサイトを見つけました。
https://sarajevoroses.net/#map
この地図によると泊まったホテルの近くにもあるようでしたので見に行ってきました。写真がそれですが、これ以外は地図の通り行ってもサラエボローズは見つかりませんでした。 -
「サラエボ旧市庁舎」
ボスニア紛争で大きな被害を受けたがその後に修復されたのだそうです。サラエボのシンボル的な建物と地球の歩き方に紹介されていたため、見に行ってきました。 -
「Viewpoint Of Sarajevo」
Viewpoint Of SarajevoとGoogleマップにあったため行ってみました。坂道を結構登りました。天気は良かったのですが、西日がもろに逆光となっていました。 -
「Kovači Cemetery」
viewpointの手前に新しい墓地がありました。墓石は確認しませんでしたが、お墓は新しいのでサラエボ包囲の時にお亡くなりになられた方の墓地だと思われます。 -
ここの墓地は斜面にあるため、墓地全体が迫って来るようでした。
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前日に引き続き、また夕食で苦労しました。前日入ったレストランにもう一度行くのも嫌だしと思いながら、また彷徨い歩きました。レストランはたくさるあるのですが、一人だと入りにくかったり、良さそうだけど喫煙可だったり、アルコールはダメだとかそんなのばかりでした。
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「PekSar」
困り果ててホテルまで戻ってきたところ、ホテルの隣のこのレストランを発見しました! 正に灯台もと暗しでした! -
出てきた料理を見て、すぐに食べ切れないと思いました。パンも美味しかったですが、パンだけでもかなりの量でした。
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バルカン諸国で人気の伝統的な肉料理である「チェヴァピ(Cevapi)」のようです。パンの下は前夜食べた牛肉の棒と同じようですが、溶けたチーズに絡めて食べたら美味しかったです。
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「Airport Bus Stop」
さて、翌日ですが、この日は15時10分の飛行機でベオグラードに飛ぶ予定でしたので、朝方にエアポートバスのバス停を確認しに行きました。ちょうど始発が6時55分でしたので、この時間前にGoogleマップで「Airport Bus Stop」と表示されていたところに行ってみましたが、写真の通りどうみてもバス停には見えませんでした。 -
始発のバスだし、エアポートバスのバス停なら絶対に誰かがバスを待っているはずだから、ここはバス停ではないと思いました。ホテルの受付が開いたら、受付の人にでも聞けばいいかと思いつつ、ここを離れようとしたら、たまたま写真のこれに気が付きました。そう、ここがやはりバス停だったのです! 6時55分にしっかり始発のバスが来ましたが、結局、乗客は0人でした。
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散歩がてら、昨日訪れた展望スポットまで行ってみました。
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上の写真はバルカン地域で良く見かけた「KONZUM」というスーパーです。ここのKONZUMは予想外に小さく、パンは売っていなかったため、ヨーグルトを2つ買って朝食にしました。
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「サラエボ包囲博物館(Siege of Sarajevo Museum)」
この日は午前中を使って、サラエボ包囲関連の3つの博物館・記念館に行ってきました。それぞれ開館時間が違っていたため、一番早く開館するここに最初に行きました。 -
サラエボは、1992年4月から1996年2月まで、セルビア人勢力によって包囲されました。これは、史上最長の都市包囲の一つなのだそうです。包囲下のサラエボでは、市民は砲撃やスナイパーによる攻撃に怯えながら生活し、食料や水、電気などの生活必需品の不足に苦しみました。また、民族浄化の標的となり、多くの市民が殺害されたり、避難を余儀なくされました。サラエボ包囲の約4年間で約12,000人の方が亡くなり、約50,000人の方が負傷されたのだそうです。この惨劇は遠い昔の知らない時代に起こったのではなく、ほんの2、30年前の私が生きている間に起こった出来事だと考えると恐ろしいです。
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「人道に対する罪と虐殺に関する博物館(Museum of Crimes Against Humanity and Genocide)」
今回訪れた博物館の中では一番、刺激の強い博物館でした。 -
死体があちこちに転がっているような凄絶な写真もたくさん展示されていました。
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平和へのメッセージを書いたポストイットで埋め尽くされた部屋がありました。今、進行中の戦争の当事国の方や危うい動きをしている国の方のメッセージもありました。平和への思いはどこ国も変わらないのでしょうが、なかなか上手くいかないものです。
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私が博物館建物から出た直後に男性の方が博物館から走って出てきて、道路で嘔吐していました。私なんか、どんな悲惨な展示物を見ても吐くほどではありませんが、やはりどこか自分とは関係ないという思いがあるのでしょう。自ら体験したり、身内がひどい目に遭った方にとっては、思い出したくもない、堪えられない出来事だと思います。
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「Srebrenica Genocide Memorial Exhibition」
サラエボ中心部の「イエスの聖心大聖堂」の横を歩いていると、嫌でもこの看板が目に入ってきます。Srebrenicaといえば、この日の午前中に町中で壁画を見掛けたところですが(この旅行記の1枚目の写真)、サラエボ包囲の期間中の1995年に約8,000人もの大虐殺が行われたところです。 -
スレブレニツァの悲劇とは、1995年7月にボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで発生した、セルビア人勢力による大量虐殺事件です。1993年4月に国連の安保理がスレブレニツァを「安全地帯」に指定しました。その国連が安全を保証したスレブレニツァで約8,000人ものイスラム教徒の男性と少年が殺害されるという事件が起きたのですが、その間、国連は何も出来なかったという出来事です。一体何を信じればいいのか? 当時のサラエボでは、何もしない、出来ない国連を「United Nothing 」と揶揄していたそうですが、その通りだと思います。
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サラエボで起こったことは、決して他人事ではなく、どこの国でも起こり得ることだと思います。現在進行形で戦争が継続中です。ヘイトは世界中にあります。平和な日常に改めて感謝しなければと思った次第です。
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11時25分のエアポートバスで空港に行きました。サラエボからベオグラードへはバスでも行くことが出来ましたが、これまで以上に長距離・長時間となるため無理をせずに飛行機にしました。15時10分サラエボ発のエア・セルビアでベオグラードに向かいました。
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