2025/04/23 - 2025/05/01
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ミューズさん
2025年のGWに初のエジプトに行ってきました。
ひとり旅ですが3日目にナイル川クルーズに参加。
早いものでナイル川クルーズも最終日。
今日は王家の谷とハトシェプスト葬祭殿と2大遺物を巡って14時頃に解散の予定。
王家の谷でついにツタンカーメンのミイラと対面できました!
全部で5つのお墓を回ってたくさん写真を撮りましたが、後で見返すと似通ったものが多くどこの墓のものなのか分からなくなってしまう。しかも帰国後にPCに移したら順序がバラバラになってしまい、整理が大変でした。
これから行かれる方は旅行中に写真を分類しておくことをお勧めします。
どなかの参考になれば嬉しいです。
【旅程】
旅程はこのような感じです。基本ひとり旅でナイル川クルーズだけ現地混載ツアーに参加しました。
4/23 エミレーツ航空 羽田空港0:05出発
11:00カイロ到着
ピラミッド観光 カイロ泊
4/24 カイロ観光(オールドカイロ、エジプト文明博物館、シタデル)カイロ泊
4/25 エジプト航空でアスワンへ
3泊4日のナイル川クルーズ開始。
イシス神殿ほか アスワン泊
4/26 早朝アブシンベル(バス)
夕方コムオンボ観光
4/27 アスワン~ルクソール
早朝エドフ
午後カルナック・ルクソール神殿観光
4/28 熱気球(強風でキャンセル)
王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿の観光
ランチ後解散 ルクソール泊
4/29 熱気球(再トライ)
デンデラのハブ神殿観光 ルクソール泊
4/30 メディネットハブ神殿、
カーターハウス見学。
15:35 ルクソール発→カイロ着 カイロ泊
5/1 エジプト考古学博物館
20:45 カイロ発ドバイ経由で帰国
-
早いものでもうナイル川クルーズの最終日です。
今日も早朝5時くらいに集合してバスで河岸に向かい船に乗り込みました。
熱気球が登るのは対岸(西岸)なのでそちらに渡ります。 -
船の中で熱気球に乗るための説明があります。
お茶を振る舞われ、表が書かれた紙に一人ずつ「体重」を書かされます。
きっと熱気球の箱の重さが均等になるように割り振るのでしょう。
まだ薄暗い中、揺れる船の中で紙コップやメモが飛びそうになります。
自分の体重が見られないかドキドキしました。
西岸に着くと6人ずつ小型のシャトルに乗せられて離陸場所に向かいました。
広場でずーーっと待ちましたが待てど暮らせど、エジプト政府から許可の旗が上がらず、
1時間くらい経った後でキャンセルになったと言われました。
早起きしてこんなに待たされた挙句、キャンセルでがっかりしました。
ガイドによると熱気球は2-3日に1日はキャンセルになると。このツアーではキャンセルになっても25ドルしか返金されません。
私はこんな事もあろうかとルクソールに2日滞在する予定なので、熱気球に明日もトライしたいとガイドに申し出ました。
ガイドが同じように明日リトライしたい人いるか確認したら、ツアー仲間の半分くらいが手を挙げたので、熱気球の会社に交渉してくれることになりました。
明日乗れる希望が見えたのでひとまず安心しました!! -
気を取り直して王家の谷に向かいます。
入り口からは歩くこともできるけど遠いのでカートに乗っていきます。
後方の後ろ向きシートが大人気でツアー仲間が歓声をあげてました 笑 -
多くの神殿が立つ東岸にたいして、太陽が沈む西岸は死者の街と言われてる。
歴代のファラオのミイラが埋葬されていた場所だけあっておごそかなムードが漂います。
独特の雰囲気に眠気が吹っ飛びます。 -
王家の墓の入場料にはフリーで見れる3つの墓が含まれてます。
ガイドからおすすめはラムセス3世、ラムセス4世とメルエンプタハの墓と言われました。
入場料に含まれてる3つの墓以外は入り口で別料金を支払う必要があると言われ、
一人ずつ会計に並びました。
入場料が別途必要な主な墓は、ツタンカーメン(約2,000円強)とラムセス5、6世の墓(約600円)、そしてセティー1世(約6,000円)です(2025年4月時点)。
セティー1世の墓は入場料が異様に高いです。
私は共通チケットでラムセス3世、ラムセス4世とメルエンプタハ、
そして別料金でツタンカーメンとラムセス5、6世の墓の5つにしました。 -
盗掘を防ぐためアリの巣穴のように地下に張り巡らされたファラオの墓。
権勢を誇った王ほど墓も大きく通路も長い。
たくさんお墓を作るうちに隣のファラオの墓にぶつかることもあり、中で通路を曲げて作られたりしていたそう。 -
古代エジプトの人は王墓を見つけるとその上に家を建ててしまい、夜な夜な盗掘しては埋葬品の宝石や彫像などを古物商に売っては生活していたそうです。その結果、エジプトの貴重な遺産は海外に流出してしまいました。
日本では考えられないことですが、それだけ貧富の差が激しい国だと王への崇拝や国の遺産より明日の食い扶持を得る方が優先されるのかもしれません。
忠臣によってファラオのミイラだけは盗掘されるたびに移動してなんとか穴倉に隠し通せたようですが、ほぼ全ての王墓の埋葬品やミイラの中に埋め込まれた宝石は盗掘されてしまったようです。 -
1922年の時点で主だった王墓は全て暴かれてしまい手付かずの墓は皆無だった。
唯一ファラオの妃の両親(王族ではないが貴族)のミイラが無傷で発見されたのがユウヤとチュウヤで、ツタンカーメンが発見される前まではエジプト考古学博物館の目玉でした。
ハワード・カーターがカーナボン卿の援助のもと6年もの歳月をかけてこの王家の谷を掘り続け、ついに1922年11月5日、すでに有名なラムセス5,6世の墓の横の作業小屋の下に
ツタンカーメンの墓を見つけたのです!
ツタンカーメンの治世が短く19歳で夭折してしまったので、存在自体も不明で小さなお墓だったことから、盗掘を免れたのです。 -
ではお目当てのツタンカーメンのお墓に参ります。
これから行かれる人は撮った写真がどこなのか分からなくならないように、お墓の入り口の看板をとっておくことをお勧めします。 -
入り口にはハワード・カーターがツタンカーメンの墓を見つけるまでの記録が写真として残ってる。
でもじっくり読んでると、どんどん人が増えてくるので後で読みました。
出発前に「日出処の天使」で有名な山口涼子氏の「封印(ツタンカーメン)」という漫画で予習してきました。
「封印」はハワードカーターがツタンカーメンの黄金のマスクとミイラを発見するまでのストーリーです。
何度もこのマンガを読んだので、実物を見て感激!! -
特に感動したシーンが1922年10月末。
すでに観光地になっていたラムセス5・6世の墓を立ち入り禁止にして、すぐ横の作業員小屋の下を掘っていくとなんと階段が見つかり、すぐに掘りたいのを我慢してカーナボン卿に電報をうつところ。
「おめでとう、すばらしい遺物を発見した、貴殿の到着を待つ」と。
そして数週間待って11月5日、二人で封印(カルトウーシュ)が解かれていない壁にたどり着きます。その壁に小さい穴を開けて松明の火で中を照らしたハワード。
呆然と中をのぞいているハワードにしびれを切らした卿が、何か見えるかね?と尋ねると「はい、素晴らしいものが・・・」と感極まったハワード。
なんとそこには奇妙な動物の枠がついたベッドや椅子、ボードゲーム、少年王が冥界で食べられるようにと保存食などが納められてました。
3000年あまり封印されていた埋蔵品は二人の目にどう映ったのでしょう!!私なら感動で腰が抜けるかも! -
出資者カーナボン卿(右)とハワード・カーター(左)。
宝物庫の奥には2人の立像に守られたツタンカーメンの棺が見つかった(下)
出資者のカーナボン卿が英国のロンドン・タイムズと独占契約をしたことで、それ以外のマスコミはシャットアウトされ選抜されたカメラマンが一つ一つの遺物を撮影してます。
第一次世界大戦の頃にこれだけ詳細な写真が残っているのは、この発見がどれだけセンセーショナルなことだったか想像できますね。 -
実はお墓が見つかってからが大変でした。
玄室には巨大な厨司があり、中にはマトリョーシカのように3つの厨司、さらに石棺、さらに3つの人型棺が入ってました。
第3の人型棺の中にようやく黄金のマスクを被ったツタンカーメンのミイラがありました。
墓の発見から黄金のマスクまでたどり着くのに1年以上かかったそうです。
ツタンカーメンの墓を発見した後は国同士の主導権争いが大変で、本来は発見者のカーナボン卿(イギリス人)が主導するはずが、彼が急死したことでエジプト考古学博物館を所有していたフランスと現地エジプト政府からも横やりが入りハワードは調査チームから外されました。
せっかく自分が発見したのに・・・
しかしあまりにも繊細で気の遠くなるような作業に他の研究者は根を上げてしまい、(オイルでギトギトになった包帯や黄金のマスクとミイラを剥がすのも一苦労)、やっぱり器用なハワードが手がけることになったそう。
結局、お金や名誉で動く人より情熱がある人の方が上手くいくのよね。
左から二番目の写真はハワードが助手とともにツタンカーメンの黄金のマスクを修復してる様子ですが、まるで父親のように少年王を見つめるハワードの姿に感動しきり! -
ついつい熱弁を振るってしまいました 笑
現地に戻ります。
ツタンカーメンのお墓は通路も短く、すぐに玄室に辿り着けました。
そしてついに、ツタンカーメンのミイラとご対面。 -
とても小さなツタンカーメンのミイラ。
少年王のミイラは体を包んだ包帯とオイルによって自然発火してしまい、残念ながらすでに保存状態が良くなかったそうです。
たしかにカイロの国立文明博物館で見た他のファラオより焼けてしまった印象。
しかし王家の谷に葬られてるミイラはツタンカーメンだけ。
それはハワード・カーターがここからツタンカーメンを動かすことを強く反対したからだと言われてます。
とにかくツタンカーメンと会えて感無量です。 -
棺の向かいの壁には少年王の「口開けの儀式」を描いた壁画がありました。
「口開けの儀式」とは来世で永遠の生を享受するために一度ミイラになったファラオの身体的機能を回復するべく呪文を唱えながら目や耳、口の機能を復活させる儀式のこと。
現世(仮の人生)が終わり冥界に旅立ってからが永遠の命を生きられるという世界観が信じられてきたんですね。
なんかもう感激してぼーっとしたまま外に出ました。 -
次はラムセス5・6世の墓に向かいます。
これは前述した通りツタンカーメンの墓のすぐ横にあります。
ラムセス5世が建設を開始し、6世が拡張し墓として使用したので二人のお墓ってことになってるそう。 -
長ーーい通路を進みます。
天井いっぱいに広がる色鮮やかな「昼の書(左)」「夜の書(右)」。
太陽と星の動きが表現されてるそう。
背中合わせに2体のヌト神。体が長ーーーくて反対側に足があります。ちょっとマンガチックで可愛い。
ヌト神は西に沈んでいく太陽神ラーを体内に取り込み、再び翌朝に産み落とす女神です。ヌト神は廊下にも描かれてましたが、玄室の方が綺麗に残ってました。 -
昼と夜。現世と冥界。
古代エジプトでの宇宙観を表現した天井画を首がつるほど見上げてしまいます。 -
突き当たりの第一列柱室にある「冥界の書」。
-
冥界の入り口で現世の行いを判定されてる絵かな?
地獄の閻魔様みたいなのがいる。 -
玄室の壁いっぱいに大きな太陽円盤(一番上のミカンみたいなもの)をふくめた壁画が圧巻でした。
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ラムセス6世の石棺は破壊されてます。
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とにかく色鮮やかで圧巻の一言。
最初の方でこんなに保存状態の良いお墓を見てしまったので他の墓が地味に見えてしまうかも。 -
王家の谷の中心に出てきました。
ツアーだと2時間くらいの自由時間だけど、個人で来てる人はここのカフェで休憩しながらじっくり回ることができますね。 -
次はラムセス3世の墓。こちらは共通チケットに含まれてました。
ラムセス3世は統治はBC1187年から30年ほど。あの偉大なラムちゃん(ラムセス2世)から100年あまり経ってます。古代エジプトで大きな権威をもった最後の王だったためかお墓も広くて立派でした。 -
ラムセス3世の墓の入り口に入ってすぐ
太陽神に冥界入りの挨拶をするラムセス3世の壁画に迎えられます。
ここの通路は脇の壁画に触れないようにガラスの隔壁が張り巡らされてました。 -
125mものながーい通路をひたすら歩きました。
突き当たりは2階建てのようになっていて、今日は下の通路は立ち入り禁止でした。 -
2階の踊り場のようなところに来ました。
色彩の残る壁画が屏風のように並んでて見てて飽きない。
しかも保存状態が良く色もしっかり残ってます。 -
右の神様は左手に命の鍵(アンク)を持ってます。
アンクは冥界への新しい命の扉を開く鍵。
左上のファラオの上で翼を広げてる鳩は守護してるマアト神だと思います。 -
こちらの太陽神もアンクを持っている。
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追加料金なしでこれだけの遺物が見られるなんて感激です。
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奴隷(捕虜?)たちが何かを運んでる図?
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ラムセス3世が冥界の神に香を捧げている画。
冥界の神は顔が黒いのね。 -
次はラムセス4世の墓。
お父さんの3世の治世が長かったため、4世の治世は6年くらいだったそいう。やっぱり治世が長いほど墓も立派なのかしら。 -
入り口入るとすぐに太陽神に挨拶するラムセス4世の壁画が。
色は薄くなってますが3世のと似てます。 -
ヒエログリフがびっしり描かれた壁を見ながら通路を進みます。
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玄室につきました。
天井にはやはり「昼の書」と「夜の書」が描かれ、保存状態はラムセス5、6世には劣るものの、充分何が書いてあるのかが分かります。
ヌト神を支えてる縁の下の力持ちみたいな人のがシュウ神かな? -
ラムセス4世のお墓は花崗岩でできた巨大な石棺が有名です。
王家の谷で一番の大きさだそうです。 -
石棺のまわりは結構人が多くてかなり混み合ってました。
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玄室の壁には美しい壁画で覆われてました。
冥界をわたる船でしょうか? -
このカルトゥーシュ(王家の紋章)にはラムセス4世の名が刻まれてるはず。多分。
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チップを払ってエジプトのおじさんに写真をとってもらいました。
いろんなところに立たせるのでちょっと恥ずかしい。
個人的には白い石棺を取り囲むこの黄色とオレンジの壁が美しかったです。 -
最後はガイドさんに勧められたメレンプタハの墓。
こちらは中心からやや離れた坂の上にあります。 -
メルエンプタハはあの偉大な王ラムちゃん(ラムセス2世)の息子です。
ラムセス2世の統治は70年近くも続き、90歳まで長生きしたので、その間に長男・次男たちは先に亡くなり…跡継ぎは13番目の息子メルエンプタハでした。
メルエンプタハが即位した時には、彼も既に60歳だったとか!! -
メルエンプタハのお墓は、他の2つと比べると損傷が激しい印象でした。天井も・・・うーん。人は少なめでした。
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ここも薄いですが壁画が見えます。
顔が鳥だったり、狼?だったりと動物を神に例えるエジプト独自の表現が斬新すぎる。
しかも紀元前ですよ!!すごくないですか? -
突き当たりの玄室には巨大な人型棺がありました。
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石棺の周りは広めのドームになってました。
ここで演奏したらよく響きそうです。 -
石棺の中も覗けるようになっていますが、内壁にもびっしり絵が描かれていました。
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墓5つを見終わってようやく王家の谷にあるカフェに来ました。
まだ10時くらいですが、すでに35度の暑さ。そのせいかカフェはすごく混んでいて、空席が見当たらない。
すると後ろ方で「ここ空いてるよ!」と声がして振り向くとインドのご夫婦でした。
こんな時、仲間がいてくれるのはありがたい。
ご主人がファラオのマーク付きの紙コップの写真を撮らせてくれました。
グループツアーだと自由時間が2時間程度なので、時間的には墓5つでちょうど良かったですが、それに加えてセティー1世まで見てきた人もいました。
6箇所見た人は休憩なしだったそうです。
次回はここだけで1日ゆっくり回りたいです。 -
暑いので頭がぼーっとしたけど、スイカのスムージーで生き返りました。
王家の谷は見どころが多くて、お腹いっぱいになってしまう。
例えるなら映画ダビンチコードを1日5回見た感じです。
ツアーとは言え、短時間でこれだけの遺物を詰め込み過ぎて目も記憶も追いつけない。
しかも写真を携帯からPCに移す過程でなぜか順序がバラバラになってしまい、かろうじて携帯に残った写真と照らし合わせて並べ変えました。
帰国して時間が経つほど記憶も遠ざかり、まとめるのに苦労しました 汗
これから行かれる方はぜひ写真を撮ったらすぐに、墓ごとのカテゴリーに分けておくことをお勧めします。
次はハトシェプスト葬祭殿に向かいます。
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