2025/06/17 - 2025/06/23
80位(同エリア148件中)
ミータさん
この旅行記のスケジュール
2025/06/20
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2025年はトーマス・マン生誕150年ということで、小説の舞台など関連する場所を巡った。既に訪れたことのある街が多い。
今回は『魔の山』に向かう途中の寄り道編なので、トーマス・マンはあまり関係ない。代わりにアインシュタインの生まれ故郷ウルムを訪れる。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6:30頃、アウクスブルクに到着。電車の乗り継ぎ時間を利用して少しだけ市内観光をする。と言っても、30分弱しか時間はないけどね。
アウクスブルク中央駅 駅
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まだ薄暗い。
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駆け足で歩く。
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アウクスブルク市庁舎。ここで駅に戻る。時間があれば世界最古の社会福祉住宅と言われるフッゲライの見学とかもしたかったが、さすがに時間がない。フッゲライには25年ほど前に母親を連れて南ドイツを廻った時に訪れたことがある。その時、母親が日傘を忘れかけたのだが、住人に声をかけられ取りに戻ることができた。そう、フッゲライには今も人が住んでいる。
アグスブルク市庁舎 建造物
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アウクスブルク中央駅に戻ってきた。
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7:00発のデュッセルドルフ行のICE特急に乗る。
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アウクスブルクから45分程でウルムに到着。まだ8時前。
写真はウルムの裁判所。
ウルム近郊のグラーフェネックにナチスの障がい者「安楽死」施設があり、「安楽死」や強制不妊手術に関するパネルが裁判所前にある。
ナチスの障がい者「安楽死」施設には、2023年にもドレスデン近郊ピルナのゾンネンシュタイン記念館を訪れている。
その時の旅行記↓
「2023年 ポーランド・ドイツ ちょっとヘヴィーな旅 その9」
https://4travel.jp/travelogue/11848263 -
ウルムの裁判所前にある
「ナチスの強制不妊手術と安楽死殺人のウルム犠牲者のための記念碑」 -
1933年にナチスが政権に就いた直後から、精神障がい者や知的障がい者などに対し、子孫を残せないようする法律が制定され、強制不妊手術が行われるようになった。
グーグルレンズの翻訳機能による説明(少し修正)。
「強制不妊手術
(社会のために悪い遺伝子を排除すべきという優生思想があり)この「悪い遺伝子」には身体障害者や放火犯も含まれていた。 19世紀以降、精神障害者やその他の烙印を持つ人々も劣等とみなされた。「安楽死」(ギリシャ語で「無害な衛生行為」を意味する)と呼ばれる方法も用いられた。
1933年1月、アドルフ・ヒトラーが帝国首相に任命された。その直後、病人や障害者の公的かつ法的排除が始まった。1933年7月、ナチスの最初の法律の一つが「遺伝性疾患を持つ子孫の予防に関する法律」だった。この根拠に基づき、1934年初頭、ウルムに遺伝性健康裁判所が設立され、強制不妊手術の決定を下した。
ウルムにおける強制不妊手術には、医師、施設長、看護師、ソーシャルワーカー、助祭、教師、助産師、そして個々のケースでは親族など、多くの人々や施設が関与していた。保健局職員は、対象者とその家族の生活を細部に至るまで調査した。裁判官は判決を言い渡し、医師は手術を行った」 -
グーグルレンズの翻訳機能による説明(省略し、少し修正)
「ウルム遺伝性保健裁判所はオルガス通り106番地の裁判所に設置されていた。同裁判所は「遺伝性疾患の子孫の予防に関する法律」に基づき不妊手術を命じた。有罪判決を受けた者が抵抗した場合、警察の武力を用いて不妊手術が執行された。
病人や障害者は、ナチスの絶滅政策の最初の犠牲者だった。1945年以降、彼らに対する不当な扱いはほぼ忘れ去られた。国民も司法も彼らの苦しみを認めなかった。彼らの運命はしばしば家族の中に隠されていた」 -
1939年、ドイツのポーランド侵攻によって第2次世界大戦が始まった。戦争には多くの物資や食料、人員(特に医療従事者)が必要になる。そこで「生産性」のない障がい者は「生きるに値しない」とみなされ、「安楽死」が行われるようになったのだ。
グーグルレンズの翻訳機能による説明
「「安楽死」殺人
排除と「安楽死」殺人の激化
1930年代半ば以降、病人や障害者の排除は激化した。プロパガンダでは、介護患者の収容費用は国家社会にとって不当な経済的負担であると描写された。(中略)第二次世界大戦勃発の1939年、ヘルトーヘンボスで病人や障害者の組織的な登録が開始され、1940年1月には殺害が始まった。
「T4作戦」
1939年10月、ヒトラーは秘密文書で末期(治る見込みのない)患者の殺害を命じた。施設入院患者に対する「安楽死」プログラムは中央集権的に組織され、ドイツ帝国全土の6つの辺鄙な施設で厳重な秘密の下で実行された。ベルリンの管制センターはティアガルテン通り4番地に置かれていたため、「T4作戦」と呼ばれていた。(ウルムのある)ヴュルテンベルク州では、ミュンジンゲン近郊の旧グラーフェネック障害者ホームが1万人以上の殺害現場となり、ウルム出身者6人を含む犠牲者が出た。ヘッセン州ハダマーではウルム出身者6人が、リンツ近郊のハルトハイムでは2人が殺害された」 -
グーグルレンズの翻訳機能による説明。
「「T4」作戦の犠牲者たち
「安楽死」作戦の犠牲者たちは慢性疾患を患い、ケアを必要としていた。彼らは生産性がない、あるいは病院スタッフにとって扱いにくい患者とみなされていた。ユダヤ人患者や犯罪歴のある者は特に危険にさらされていた。「T4」作戦のウルムにおける犠牲者のほとんどは女性で、精神疾患のために施設に収容されていた。
(中略)
1941年から1945年までの「(分散的な)安楽死」作戦
あらゆる努力にもかかわらず、「T4」作戦は秘密にしておくことができなかった。1941年8月24日、ヒトラーは国民の間に不安を広げたとして、この(T4作戦による組織的な「安楽死」施設での)虐殺計画を中止した。しかし、多くの病院や施設で分散的な病人や障害者の殺害は続いた。患者は薬物の過剰摂取、放置、あるいは飢餓食によって殺害されるようになった。ウルムの成人住民にとって、この分散型「安楽死」の場の一つはツヴィーファルテン療養所だった。カウフボイレン療養所では、児童安楽死プログラムの一環として、子供や青少年が殺害された。
(中略)
ドイツ帝国では合計27万人以上が殺害され、その中にはウルム出身の少なくとも183人が含まれていた」 -
グーグルレンズの翻訳機能による説明。
「グラーフェネック(T4作戦の「安楽死施設」があった)で「生きるに値しない」と殺害されたヨゼフィーネ・アンガーマイヤー
ヨゼフィーネ・アンガーマイヤーは1891年3月19日、ニーダーシュトッツィンゲン近郊のシュテッテン・オプ・ロンタールで生まれた。1916年、夫と共にウルムに移り、3人の娘を出産した。2人目の娘の出産後、彼女は精神疾患を患った。1934年に夫が亡くなると、彼女はヴァイゼナウのサナトリウムに入所した。1940年、ヨゼフィーネ・アンガーマイヤーはグラーフェネックに移送され、殺害された」 -
さらに歩いて、次の目的地に到着。
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ここはアインシュタインの泉。アインシュタインはウルムの出身。しかし、ユダヤ人ということもあり、ナチスが政権を取った後にアメリカに移住。
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奥に見えるのはウルムの大聖堂。
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ウルム市庁舎。壁画が描かれている。
市庁舎(ウルム) 建造物
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ウルム市庁舎。
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ウルム市庁舎。
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肉屋の門をくぐってドナウ川の方に向かう。
肉屋の塔 建造物
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ドナウ川。まだ上流の方なのだが、それなりに川幅はある。
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ドナウ川の方から見たウルムの市壁。
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”Schiefes Haus(傾いた家)”。古い建物のためその名の通り傾いている。現在はホテルになっている。
Hotel Schiefes Haus ホテル
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「傾いた家」の前を流れる運河。
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ウルム大聖堂。
Wikipediaによると「尖塔を含めて高さが162メートルほどあり(正確には161.53メートル)、現在でも教会堂建築としては世界一の高さである」のだそうだ。
斎藤茂吉がドイツ留学時代にドナウ川の源流を目ざしたことがあり(『ドナウ現流行』)、その時にこの大聖堂の塔に登った。私も最初のドイツ旅行で斎藤茂吉の真似をして塔に登ったが、高所恐怖症のため途中でつらくなった。何とか展望台にたどり着くことができた。ウルム大聖堂 寺院・教会
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思い出の塔に登ろうとしたが、大聖堂が開くのは9時からだった。次の予定があるから無理だ。残念。
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ウルム大聖堂。
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ウルム中央駅。
ウルム中央駅 駅
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予定より少し早い8:47発のフリードリヒスハーフェン行の列車に乗れた。ウルム滞在は約1時間。
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1時間余り、9:52にフリードリヒスハーフェンに到着。少し歩くとそこはボーデン湖。トーマス・マンの小説『魔の山』では、主人公はハンブルクから列車でボーデン湖まで出て、そこから船に乗り換え、ロールシャッハで再び列車に乗ってダヴォスを目指す。ボーデン湖のどこから船に乗ったかは小説では書かれていなかったが、フリードリヒスハーフェンからロマンスホルンは1時間ごとに船が出ているので、多分このルートに違いないと考えた。
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フリードリヒスハーフェン。
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フリードリヒスハーフェン。
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ロマンスホルン行は9番乗り場だった。
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これは飛行船のツェッペリン博物館だったかな。
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切符売り場は少し混んでいたので、出発の5分前に切符が買えた。一本後の電車に乗っていたら間に合わず、11:20発のフェリーになった。
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ユーレイルパスを持っていたので乗船券は割引料金(6.3ユーロ)で購入できた。
スイスに向かう。
続く。
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