2025/01/08 - 2025/01/10
1894位(同エリア5996件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
奈良市で昼食を食べて次に向かったのが柳生の里。
柳生新陰流の開祖柳生石舟斎をはじめ、柳生但馬守宗矩、柳生十兵衛など小説で見慣れた人物が生まれ育った場所を観光した。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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昼食の後は柳生の里へ向けて出発。
皆さん柳生の里ってどこにあるかご存じですか?私は全く知らなくて、吉野かもっと南側の地域かと思っていたんですが奈良市だったんですね。
方向としては奈良市の中心部から北東方向、そちらに向かうと奈良市柳生町があります。
という事で観光バスは奈良公園の中の国道169号線を北に向かいました。
道の両側は奈良公園で鹿が沢山いました。就学旅行を思い出しますね。奈良公園 公園・植物園
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春日大社一の鳥居です。
春日大社 寺・神社・教会
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ここも奈良公園。やはり奈良公園って広いな。
若い頃はJR奈良駅や近鉄奈羅駅から歩いて興福寺や国立博物館、東大寺まで来たものでした。
特に正倉院展には足を運びましたね。かなりの距離を歩いて来ていましたが、若い時には全く苦になりませんでした。奈良公園 公園・植物園
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奈良公園です。
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奈良公園の一角の交差点。ここは大宮通だったかな。
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若草山が見えてきましたよ。
若草山 自然・景勝地
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そしてここは東大寺西大門跡。
ここは初めて見ましたね。
市内から国道369号線の柳生街道を通って観光バスは柳生の里へ。 -
柳生の里の到着しました。
正面の丘の上にあったのが旧柳生藩陣屋跡。旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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道路の反対側に見える小高い山は大和柳生古城跡。
元弘の乱で後醍醐天皇が笠置寺に逃れた時に柳生氏が築いたと伝えられています。この山の北尾根は笠置寺に通じていたので当時は交通の要衝だったそうです。
城は山城で堀切や曲輪、主郭、が今でもはっきり残っている城なので当初今回登る観光コースになっていたのですが、現在は参道が荒れ放題でとてもではないが登れないとの事で中止になりました。
事前に登山ガイド2名で登山道を確認しに行ったところ、地元の人々がボランティアで行っていた参道整備がここ数年全くされなくなったそうです。
多分住民の高齢化が原因だろうとの事でした。 -
と言うことで大和柳生古城趾の観光は断念して最初の観光は旧柳生藩家老屋敷でした。
さて、柳生藩は現在の奈良市柳生町1万2500石を治めた小藩です。
藩祖は将軍家剣術指南役の柳生但馬守宗矩。宗矩が亡くなると領地は長男柳生十兵衛三厳(みつよし)に8300石、三男の柳生宗冬に4000石、四男の列堂義仙に200石分け与えられたため大名から旗本になりました。
跡取の十兵衛三厳が急死すると三男宗冬が家督を継ぎ、1700石を加増されて1万石となり大名に復帰しました。
なお代々の藩主は将軍家の剣術指南役を務めていたため江戸に定府し、家老が藩政を切り盛りしていました。
写真白壁が家老小山田主鈴の屋敷。 -
柳生街道を歩いて行くと右の高石垣の上に家老の屋敷があります。
柳生街道 名所・史跡
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ここが家老屋敷の入り口。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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屋敷の表門。
柳生藩(1万石)の家老、小山田主鈴の旧宅。主鈴は文政9年(1826年)国家老として江戸から柳生に移り、柳生藩南都屋敷を預かって藩財政の立て直しに成功、弘化3年(1846年)に家督を譲って隠遁、先に藩公柳生但馬守俊章から賜っていたこの土地に新邸を建てて余生を送りました。
この屋敷は1847年8月に着工し、翌年の1848年6月に上棟。
主鈴は安政3年に75歳で亡くなりましたが、子孫はここに留まりました。昭和になり米蔵その他の付属施設が撤去されましたが、主屋は創建当時の姿を留めていて奈良県下では唯一の武家屋敷です。
昭和31年に子孫が奈良市に移ったため屋敷は人手に渡ったものの、昭和39年に小説家の山岡荘八氏の所有となり、以後度々ここに逗留したそうです。
昭和55年山岡氏の遺族から奈良市に寄贈され現在に至っています。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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家老屋敷の表門。
門の入り口左側には塀があり、右には納屋がありました。この部分は取り壊されており今はありません。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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屋敷の主屋。母屋の奥には立派な日本庭園があります。
向かって母屋の右には塀がありその奥に米蔵がありましたが、米蔵が撤去された時に塀も取り除かれたそうです。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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主屋の奥にある日本庭園。
なかなか風情のある庭園だと思います。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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家老屋敷の庭園。
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家老屋敷の庭園。
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座敷から眺めた庭園の景色。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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座敷から眺めた庭園。よく管理された庭園でした。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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玄関から一番奥にある座敷。
8畳間の和室ですが茶室の設えがされていました。でも茶室にしたら広すぎですね。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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茶室兼用の客間。
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離れの8畳間から玄関入口の間へと続く和室。
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御殿様を迎えるための客間。
伝統的な書院造りの部屋ですが、主君は将軍家指南役のため国元に帰る事は無かったそうです。 -
殿様の客間の説明。
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殿様用の客間の展示品
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国家老小山田主鈴の紹介
生まれは福島県の天栄村、白河藩の郷士小山田孫右衛門の弟で幼名は弥一郎。
文化3年(1806年)25歳の時に江戸の柳生藩邸に仕え、才腕を認められて重職に栄進、文政9年(1826年)45歳の時に国家老として奈良に移りました。
柳生藩南都屋敷を預かり、大阪堂島の米相場で巨万の富を得て藩財政の窮乏を救い、藩財政の立て直しに成功しました。
伝承によれば米相場の成功の陰にはこんにゃく橋の下の流れの水温によって米価の騰落を予想した妻保女の示唆があったという事です。 -
殿様用の客間から庭を望むとこんな感じです。
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玄関入口の間と展示品
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家老屋敷内にある山岡記念館の隣の部屋
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屋敷内にある山岡記念館
小説家山岡荘八は昭和38年に人手に渡った家老屋敷を買い取り、ここで柳生但馬守宗矩を主人公にした小説春の坂道」を執筆しました。
後に大河ドラマになったのでご記憶の方も多いかと思います。 -
山岡荘八の紹介文
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記念館の展示品
山岡荘八の小説や大河ドラマのパネル写真などが展示されていました。
大河ドラマの主人公柳生但馬守宗矩を演じたのは中村錦之助(後の萬屋錦之助)。 -
相手役ヒロインは松本留美(写真右端)さん。
光りの反射でヒロインの顔が写っていませんでした。申し訳ありません。 -
館内にあった柳生の里の観光地図
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御家老様が乗った籠、かなり老朽化していました。
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家老屋敷母屋と玄関入口。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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長屋門の説明書き
説明書きの一部の文字が薄れていて判別できませんが、正門の両側に長屋門があったそうで、昭和30年代に長屋門の手前の部分と両端の納屋部分が取り壊されました。 -
ここは柳生街道。
家老屋敷の坂道を下ると柳生街道に出ます。柳生街道は奈良市内から春日山と高円山の谷を越えて柳生へつながる道で、その先は伊勢街道へと続いて行きます。そしてその終点は伊勢神宮です。柳生街道 名所・史跡
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柳生街道の道しるべ。
左に進めば笠置、右は八坂神社。我々は右に進んで八坂神社の方へ。柳生街道 名所・史跡
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道しるべは八坂神社でしたが、同じ方向に摩利支天碑、陣屋跡、しょうぶ園があるそうです。
柳生街道 名所・史跡
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道しるべに進んでここは摩利支天山。
山と書かれていますが実際は小さな丘という程度の場所に摩利支天碑がありました。
これは柳生の摩利支天山の沿革の説明板。
要はこの丘に武士の守り神である摩利支天を祀ったと言う事です。現在は摩利支天の祠はありませんが摩利支天のレリーフを復元して設置してあるそうです。 -
こちらが摩利支天のレリーフ、摩利支天碑。
摩利支天はイノシシの背に乗る姿で描かれたユニークな神様。
武士の守り神として広く戦国時代の武将の信仰を集めたそうです。 -
摩利支天山から眺めた柳生の里の景色。
町としては大変小さな町という印象でした。 -
次は柳生八坂神社。
神社の本殿は初代藩主柳生宗冬が天石立神社から移したものです。 -
次は旧柳生藩陣屋跡。
藩の政務を司る場所として柳生宗矩が建築しました。旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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旧柳生藩陣屋跡。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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陣屋跡の敷地にあった柳生十兵衛は隻眼。
これは小説などで作られた諸国を漫遊する柳生十兵衛の姿。実際の柳生十兵衛三厳は隻眼ではなかったそうです。 -
柳生藩陣屋跡の説明板。
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柳生藩陣屋跡からは柳生家の菩提寺芳徳寺が見えました。
陣屋跡からは道を隔てた向かい側の山の中にあり、天乃石立神社を見た後最後の観光地でした。芳徳寺 寺・神社・教会
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R369号線から山道を登って行くと天乃石立神社があります。
天石立神社 寺・神社・教会
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手力男命が天岩戸を開いた時力が余って当地に飛来した扉石をご神体とした神社です。
本殿を持たないと言うか、本殿は柳生宗冬の命で八坂神社の本殿に転用されたのですが・・・、結果として古来の形式の神社なりました。 -
ご神体の扉の形をした巨岩。
ご神体は前立盤、後立盤、前伏盤の3つに割れています。これらの岩はそれぞれ異なる神のご神体として古来よりあがめられてきました。
前立盤は豊盤門戸命(とよいわまどのみこと)、後立盤は櫛盤門戸命(くしいわまどのみこと)、前伏盤は天岩戸別命(あまのいまとわけのみこと)さらに天照大御神のご神体もあるのですが、この方向からは見えません。
この写真では前立盤と後立盤が写っています。
登山ガイドの説明ではこれらは手力男命が天岩戸を開いた時にその扉石が当地に飛来したもので、その扉石が2枚の大石だそうです。
ここに天照大御神のご神体の岩があるなどガイドからは説明がありませんでした。
その事実を知ったのはこの旅行記を書こうとした時でした。確かに神社の説明文には御祭神として天照大御神の名があるのですが、どの岩が天照大御神の御神体なのか記述はありません。
ただ全く意識していなくて、偶然にも天照大御神のご神体の写真を写していたので後ほどご紹介します。天石立神社 寺・神社・教会
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天乃石立神社の説明文
登山ガイドが説明してくれたことが書かれています。
なお、ここは柳生石舟斎が剣術の修行をした場所でもあるそうです。 -
説明文が見難いためアップにしました。
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前立盤、その右の岩が後立盤。
天石立神社 寺・神社・教会
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前立盤と後立盤を横から見た写真。
この姿であれば天岩戸から飛んで来たと聞いてもさほど違和感はありません。天石立神社 寺・神社・教会
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再び天乃石立神社の説明板。
内容は先ほどとほぼ一緒。 -
ここが天乃石立神社
この神社はご神体から先に見るタイプの神社。天石立神社 寺・神社・教会
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神社は拝殿とご神体のみで本殿はありません。
ここで偶然にも前伏盤と天照大御神の御神体である、きんちゃく岩が写っていました。
中央に横たわっている岩が前伏盤、左隅の大きな岩がきんちゃく岩です。 -
拝殿が暗すぎたので撮り直ししました。
拝殿前の2つの灯篭は柳生宗弘と柳生俊平が寄進したものですが、どの灯篭がどちらの藩主の寄進した物なのかは分かりません。天石立神社 寺・神社・教会
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前立磐。
こうしてみると二つの角を持つ鬼の顔のようにも見えますね。
柳生の里前偏はこれで終わりです。後編は今回の旅行記完結編です。
訪問下さり有り難うございました。
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