2024/06/07 - 2024/06/07
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kirinbxxさん
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トレドで絶対に入場してみると決めていたところは次の3つ。
1.パラドール(泊まりました)
2.アルカサル
3.タベラ施療院
6月7日、まずはアルカサルへ向かいました。アルカサル(Alcázar)はスペイン語で城を意味しますが、アラビア語が語源となっています。勿論これはイベリア半島の相当部分がかってはイスラム勢力の支配下にあり、その時代に建てられた砦・宮殿などをレコンキスタ後も利用してきたためです。
トレドの場合は、最初はローマ帝国が3世紀に建設したもので、その後はイスラム勢力の支配下にあり、アルフォンソ6世が奪還したのちは要塞に。カルロス5世が改築を命じました。
他の都市のものほど重要視されていないのは、度重なる火災、1710年のスペイン継承戦争、1808年からのスペイン独立戦争、とどめに1936年9月のスペイン内戦による激戦でほぼ壊滅状態になってしまったから。日本の多くのお城と同様、多くの部分が戦後に始まった再建によるものだからですね。それでも、残された部分はきっと見所満載に違いない。そう思って向かったのですが・・・
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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Alcázar de Toledo、パラドールからみた夕暮れ時の姿です。アルカサルは正方形の建物の四隅に小塔があるという、割と近代的な建物です。アルカサル=王城、ということでこのトレドがかってスペインの首都だった、と勘違いする人は多いですがそうではありません。そもそも1561年にフェリペ2世がマドリードを「恒久的な首都」と定めるまで、明確な首都などはありませんでした。何しろスペインの王は、広い国土を移動しながら統治するのが一般的だったのですから。王によって、好きな都市に留まった人もいれば、イベリア半島から離れることも多かった人もいます。トレドは、比較すれば宮廷が置かれることが多かった都市です。
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私にとってはとても残念なことに、アルカサルの方は改修工事のために閉鎖中です。現地の新聞などを見ると、どうやら予算不足・人手不足で遅れに遅れているようです。
公式サイトを見るとスペイン語では ”EL EDIFICIO HISTÓRICO (ALCÁZAR) ESTÁ CERRADO POR OBRAS. LA ENTRADA AL MUSEO DEL EJÉRCITO ES GRATUITA, TEMPORALMENTE.” と説明がありました。アルカサル / 軍事博物館 (トレド) 城・宮殿
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うーん、残念。
影響はアルカサルの内部を見られない、というだけのことではありません。アルカサル閉鎖、ということは博物館本館ではなく、アルカサルの中にあるコレクションも見ることができない、ということで・・・・仕方ないからなのか、太鼓なんかの「企画展」をやっているようですが、軍事博物館ですからねぇ。 -
トレドのアルカサルに併設されているのは、Museo del Ejército、軍事博物館です。1803年にスペイン史上最も悪名高い人物の一人であるマヌエル・ゴドイによってマドリードに設立された王立軍事博物館がその前身で、一度は兵科ごとに分割されたものが現代になってこの場所に統合されました。本来は、膨大なコレクションがあるみたいなのですが・・
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軍事博物館側でも、火災があったそうで、その影響なのか屋外に展示してあるはずの重火器類が見当たりませんでした。また、内部も行けない場所がいくつか。
そんなこんなで、とりあえず博物館の入場は無料になっていました。まぁ、仕方ないのでざっと見て回ることにしました。 -
おや、これはどう見てもスペイン陸軍とは関係がありませんね。
実はトレドは紀元前17年頃にリウィウスによって書かれたとされる「ローマ建国史」にも大きく取り上げられている北部高原の征服の拠点でした。これはローマ時代の貯水槽です。この貯水槽を使っていた建物は全く残っていませんが、貯水槽の内部のセメント(がローマ時代からあったとは!)コーティングの一部と、樽型天井の下部、そして汚れの蓄積を防いで清掃を簡単にするための溝が残っています。
ローマの建築・土木については何かで見るたびに驚くばかりです。 -
陸軍が利用した楽器のコレクションです。世界中で、戦闘時に兵士を円滑に動かすために様々な手段が開発されましたが、その一つが「楽器」です。
上段左は、メディナセリ公爵家が所有していた、中国から伝わったと思われる太鼓。右は、19世紀スペイン歩兵のラインドラム(Line Drum)、この場合のラインとは、戦列歩兵(Line Infantry)という当時の欧州の陸軍で主力を担った横一列に並んで戦う歩兵のこと。
下段左はクラリオン、19世紀後半のスペイン陸軍で使っていた真鍮製のラッパ。右が20世紀、同じくスペイン陸軍の信号用ホルン、コルネットとも呼びます。 -
こういう古代から使われていた武器の展示もかなりありました。
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ぼろぼろになってはいますが、剣ですね。
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ですが、スペインといえばやはりこれでしょう。
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ヨーロッパの陸軍、といえばやはりこちら、花の騎兵です。13世紀スペインの重騎兵、鎖帷子を下に着込んで槍を携えています。
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こちらは弓騎兵ですね。
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騎兵の模型。
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この大砲そのものは、1773年の日付が刻まれていて、王室の廷吏から当時の国王に献上されたものです。
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見学不可の場所が沢山あり、ちょっと物足りない見学となりました。まぁ、仕方ない。トレドはまたいつか来る機会も作れるでしょう。外の空気を吸おうと屋外にでてみました。トレド旧市街ではもっとも高い場所にあり、見晴らしはいいですね。
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備えは万全のようです。
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FAMET( Fuerzas Aeromóviles del Ejército de Tierra 陸軍空挺部隊)のMBB Bo 105も待機しているので、対戦車戦も可能ですね。この機体は、1970年代から2010年代まで運用されました。
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で、その前で寝転ぶ若者達。
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ちょっと離れたところから見るとこういう場所にあります。まぁ、もとは要塞ですから。今回の訪問は、残念な結果に終わりました。今後スペインのニュースに注目し、完全に再開されたら訪れるということにしておきます。
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次の目的地にむかいつつ、旧市街の車窓観光です。
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Puerta de Bisagra、10世紀に建設されたトレドの市門の一つ。
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これはまたインパクトのあるファサードです。さて、何の建物か。車なのであっという間に通り過ぎてしまいました。
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その側面。この雰囲気はどうみても学校。紋章の下の幕をみると「Escuela de Arte de Toledo」とあります。なるほど、美術工芸学校ですね。建物は修道院だったようです。
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路地もなかなか趣があってよし。
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市街地を少し離れて川沿いにやってきました。
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このように、かなり昔の建物の名残がそのままになっています。
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と思って対岸を見ると、崖の下になにやら建造物が。そしてその上を見るとそこには古い教会の他に、今も人が住んでいそうな住宅も。
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タホ川はポルトガルではテージョ川と呼ばれている、イベリア半島最長、流域面積二位の河川、水運にも利用されていました。
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カスティーリャ=ラ・マンチャ州はタホ川沿いの歴史的中心地の河岸復元プロジェクトについての表示があります。さて、これは完結したのでしょうか?それとも途中?あるいは・・・
このアルカンタラ新橋からダイカンの水車小屋までのタホ川右岸が対象ということで、Barca de Pasaje、というのは昔この地域で運行されていた渡し舟のことです。 -
とりあえず、野鳥がのんびりとしているので、目的の一つ「河岸の自然化」は達成されたのかなぁ。
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河辺でほっこりしたあとはこちらへ。一般にHospital de Taveraと呼ばれている建物で、日本では「タベーラ施療院」と訳されていることが多いですね。施療院(せりょういん)とは、無料で貧困者の病気を治療したり、食事を与えたりする施設で、四世紀以後各地の教会が創立しています。
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久々に感じました。「でかっ!」
門に近づいていく人、停まっているバンと比べると一目瞭然です。
この建物の建設は、厳格な古典様式での建築、という道を開き、そこから最高傑作であるエル・エスコリアルが生まれたとのこと。そして後の改装時にはそのエル・エスコリアルから影響を受けたのだそうです。 -
これがこの施療院の建設を命じた、枢機卿ファン・パルド・デ・タベラさま。描いたのはスペインの巨匠エル・グレコ。絵の下にあるのはこの絵の元になったであろうデスマスクです。
Juan Pardo de Tavera (1472-1545) は、1531年に枢機卿に任命され、スペインの首座大司教・大審問官を務めました。一方で、王立評議会議長、カスティーリャ摂政として政治の世界でも辣腕を振るった人物です。20年ほど前の「大航海時代オンライン」というゲーム上での重要人物です。教育目的にも利用されたゲームで、多くの歴史や地理、生物の知識を与えてくれましたが、この方の存在もその一つ。 -
広い中庭は、玄関ホールから教会の礼拝所へ続くギャラリーによって二つに分割されています。”Los Patios Gemelos" と名付けられていました。
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La Capilla Hospitalaria、この施療院の教会礼拝堂です。創設者タベラ枢機卿の墓所として建設されました。祭壇画は1608年にエル・グレコによって制作されたものです。
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これがアロンソ・ベルゲテ によって作られたタベラ枢機卿の墓。スペインの著名な大司教の多くは任地の大聖堂に自分のための礼拝堂を作らせていますが、この方は施療院内に作らせたのですね。
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ここには多くのタペストリーも展示されていましたが、これはその一つ、絵柄はこの施設所有者であるメディナセリ公爵家の家紋です。スペイン有数の名家で内戦終了時点ではスペイン一の大地主、多くの土地は手放した今も数多くの歴史的建造物と、膨大な美術コレクションを所有しています。少し前の当主が財団を設立して文化遺産はその管理下にあります。
現在は15ユーロになっているガイド付きツアーに参加すると、ほぼ全ての部分に入場でき、ここにある絵画などを見ることができます。エル・グレコをはじめとする17世紀以前のスペイン絵画が好きな方にはお勧め。私は好きではなく、枢機卿のご尊顔を拝することができれば良かったので、6ユーロの入場券での見学で十分でした。
今回のトレド観光はこれで終了です。
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