2023/06/17 - 2023/06/27
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さいたまさん
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1944年、日本軍は、英国軍をビルマから駆逐した後、インドから中華民国政府軍への補給を断つ目的のため、インパール作戦により、援蒋ルートを遮断することを決定しました。
しかしながら、空軍力及び陸軍勢力に勝る英国軍は、日本軍の鉄道等を爆撃したり、後方地域に空挺部隊を降着させたり、後方攪乱を図りました。
日本軍は、インパールに2個師団、コヒマに1個師団を指向し、ディマプールを中心とする鉄道網、道路網を遮断し、蒋介石政権軍を孤立させようとしましたが、コヒマの国道三叉路の西側の高地を奪取できず、結局、敗退せざるを得ない状況に追い込まれました。
その激戦の地が、コヒマのテニスコートの台であり、Garrison Hillと呼ばれる高地でした。その後、コヒマ戦没者墓地が設置されました。
コヒマの戦没者墓地は、テニスコートの台の跡に、設置されています。
先般、コヒマその1として、コヒマ戦没者墓地の全般事項について紹介させて頂きましたが、今回は、コヒマその2として コヒマ戦没者墓地の施設内の配置について紹介いたします。
また、その3としてコヒマ戦没者墓地周辺の史蹟や戦跡を紹介する予定です。
今回のコヒマの戦没者墓地の紹介は、英国史上、最も激戦であったとの認識のもと、コヒマに設置された戦没者墓地の内部配置等について記述するものです。
インパールにも、英軍等の戦没者墓地がありますが、コヒマの戦没者墓地の方が、格段に立派だと感じられます。
日本国内(保土ヶ谷)にも、英連邦の戦没者墓地がありますので、別途、紹介させて頂きます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
コヒマ戦没者墓地は、ディマプールからインパールに通ずる国道の三叉路を制する重要な場所にあります。
国道三叉路の傍に、大きな標識があります。
この周辺の高地を巡り、日英両軍が、長期間にわたる激戦を続けました。コヒマ戦没者墓地 観光名所
-
コヒマの国道三叉路周辺の様子です。
インパールに通ずる幹線道路は、この三叉路で大きく屈曲しています。
写真中央の塔は、コヒマの交通警察の交通統制タワーです。 -
コヒマの国道三叉路と奥に見えるコヒマ戦没者墓地です。
コヒマは、交通の要衝です。
写真の右側の道路を進むとディマプール空港に通じています。
左側に進むと、インパールです。ディマープル空港 (DMU) 空港
-
国道の傍にあるコヒマ戦没者墓地の標識です。
車両が間断なく、通過しているのがわかります。 -
「コヒマの戦没者墓地は、英連邦戦争墓地委員会により開設され、維持管理されています。」と記されています。
委員会の長及び委員には、英国王室をはじめとして、各国の代表者が就任しています。 -
コヒマ戦没者墓地の最も高い場所にある火葬記念碑です。
ヒンズー教では、教義に基づき、亡くなった方々は、火葬に付されるのが、本来の姿です。 -
火葬された記念碑には、亡くなった英霊の姓名等が記されています。
シーク教徒も、火葬されます。
個人ごとの墓石はありません。 -
綺麗に手入れされているコヒマ戦没者墓地です。
コヒマ戦没者墓地は、コヒマの国道の横の市内で、最も重要な場所にあります。 -
コヒマ戦没者墓地のほぼ中央に、十字架を形創った十字塔があります。
そばには、テニスコートの白線の跡があります。
因みに、コヒマの住民の90%は、キリスト教徒です。 -
十字架を備えた塔です。キリスト教徒のための塔です。
コヒマの南にキサマ民俗村がありますが、ともに地域特有の伝統的宗教からキリスト教に改宗しています。
手前の芝生に、テニスコートの白線が見えます。キサマ民族村 観光名所
-
コヒマ戦没者墓地の東側には、旧市街地が広がっています。
住宅街が、丘陵部の上部まで延びています。 -
十字塔と墓石の間の場所に、以前、テニスコートがあったとのことです。
テニスコートの白線が見えます。
激戦の跡を示すものとして残されています。 -
テニスコートの跡を示す白線です。
テニスコートの戦いと称される日英両軍との激戦の舞台です。 -
英国人が設置したテニスコートがあった跡です。
激戦の歴史として残されています。 -
整然とした、墓石の配置です。
右側に、白色の記念碑が見えます。 -
白色の色が鮮やかな記念碑です。
ヒンズー教、キリスト教、イスラム教、そしてシーク教を信ずる将兵やその家族が多くいますので、特定の宗教を主体とすることはできません。
宗教色を出さない共通的(公式行事)な記念碑として、設置されています。 -
記念碑に捧げられた花束が置かれています。
公的な行事があったのでしょう。花束が哀悼の意を表しています。 -
芝生の中に置かれている墓石の様子です。
JAHAN MUHAMMADという名前の将兵の墓石です。
SEPOYとありますので、インド人のイスラム教徒です。 -
JAHAN MUHAMMADの墓石に該当する戦没者の記録です。(戦没者墓地の記録)
戦没者の名簿を見ますと、所属が輸送中隊となっています。
国籍は、インド人となっています。戦没者の詳細な記録が残されています。 -
MUHAMMAD TUFAILという名前の将兵の墓石です。
1944年7月28日に死亡したとのことで、年齢は、18歳です。
砲兵隊の砲手のようです。 -
コヒマ戦没者墓地の西側に、石製の記念碑が見えます。
墓石群の南側です。生垣に囲まれています。 -
コヒマ戦没者墓地の西側に置かれている記念碑です。
テニスコートの台を守備していた部隊の記念碑でしょう。
背景に見える台は、Garrison Hill です。(日本名称:イヌの台) -
芝生に囲まれ、石で作られた記念碑が、歴史の重みを感じさせます。
丸と四角の銘板が、独特の雰囲気を醸し出します。 -
ドーデットシャー聯隊の第2大隊の記念碑です。
1944年の4月から6月の間、日英両軍による激闘が繰り返されました。 -
日本の国会図書館に収められているコヒマの戦いを記録している著作です。
当時の戦闘様相を克明に伝えています。
この本の著者は、コヒマの戦いに参加したアーサー・スウィンソン大尉(当時の階級)です。
大変参考になりました。(邦訳の本もあります。) -
コヒマ戦没者墓地の南側の周縁部にも、記念碑が置かれています。
インド歩兵旅団の記念碑です。 -
四角の形状をした記念碑です。
背景に見える建物は、国道沿いに建てられた商店です。 -
英印軍の記念碑です。
80年も経過しているため、碑文がはっきり確認できません。
長い歴史を刻んでいるのでしょう。 -
墓石の周辺の芝生を手入れするコヒマ戦没者墓地の職員です。
丁寧に、除草する等の様子は、訪れる人々の心に伝わります。 -
英軍のウエストケント聯隊の第4大隊の記念碑です。
戦闘で亡くなった将兵等の姓名、階級、職務等が刻されています。 -
ウエストケント聯隊第4大隊の戦没者の名前が記載されている碑文です。
CORPOLALとの文字が見えます。伍長としての階級と氏名があります。
多くの将兵が亡くなったことがわかります。 -
コヒマ三叉路に位置するコヒマ戦没者墓地の東端の様子です。
生垣の奥に茶褐色の記念碑が建てられています。 -
KOHIMA WAR CEMETERY と表示された標識の左上に見えるのは、英国第2師団の記念碑です。
コヒマの戦いの中で、重要な役割を担った部隊です。 -
英軍の第2師団の記念碑です。
戦没者墓地の内部に入って、撮影した写真です。 -
中央の英第2師団の記念碑の前に、同師団に係る碑文が置かれています。
記念碑を囲んで、関係部隊の碑文も並べられてます。 -
長い月日が経っていますので、碑文もはっきり読めません。
1944年から約80年が経過しています。 -
2nd Divisionとあります。
コヒマの戦いにおいて亡くなった方々とあります。 -
高い第2師団の記念塔の半ばには、
WHEN YOU GO HOME TELL THEM OF US AND SAY FOR YOUR TOMMOROW
WE GAVE OUR TODAY
とあります。亡くなった将兵の正直な思いが伝わってきます。 -
コヒマ戦没者墓地の周囲を、国道2号線が巡っています。
インパール空港に通ずる国道の標識です。
コヒマは、ディマプールからインパールに通ずる国道を制する重要な場所です。
激戦が続けられた理由が、解ります。インパール空港 (IMF) 空港
-
ディマプール空港のあるディマプールへの国道の分岐点の標識です。
コヒマを制することは、援蒋ルートの核心都市ディマプールに脅威を与えることになり、日本軍の進出は、英国に深刻な事態と考えられていました。
英軍は、他正面から部隊を増派して、対処した記録が多くあります。 -
コヒマの市街地の案内板です。
ナガランド州立博物館は、コヒマ三叉路の北側にあります。ナガランド州立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
コヒマの案内板です。
コヒマから南に国道が、インパールに延びています。
この国道は、インパールのカングラフォートに通じています。カングラ フォート 史跡・遺跡
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キリスト教徒の多いコヒマにおいて、コヒマ大聖堂教会は、国道の南側の屈曲部にあります。
日本からの多額の寄付により、建設されました。コヒマ大聖堂教会 寺院・教会
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コヒマの案内板の横には、記念碑があります。
鉄の柵で囲ってあるので、歴史的な記念碑と思われます。 -
コヒマの国道三叉路の傍に置かれている記念碑です。
記念碑の文字等が消えていて、内容が確認できません。
インパールのイマ市場の感じが思い起こされます。イマ市場 市場
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インパール空港に向かう国道沿いにある標識です。
インパール空港を経て、コルカタに向かう際に、撮影しました。
コヒマの戦いの時期から、80年が経過しました。
歴史の移り変わりが伺えます。ネータージー スバース チャンドラ ボース国際空港 (CCU) 空港
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コヒマのホテルの一つであるアラドゥラホテルの方向です。
見晴らしの良い尾根にあります。ニラーマヤ リトリーツ アラドゥラ コヒマ ホテル
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