2025/02/11 - 2025/02/12
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2月12日(水)うす曇り
2日目は水戸市内観光です。
水戸は知れば知るほど深い歴史に彩られた街でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝7時過ぎ、ホテルの朝食。
ビュッフェからねばねばお好み丼、あんこう雑炊、あんこう唐揚げ、茨城コロッケなど郷土色豊かな料理をチョイス。
ビジホ朝食でこれほど旅気分が味わえるのは最高です。天然温泉 香梅の湯 ドーミーイン水戸 宿・ホテル
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8:30 チェックアウト。
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車で偕楽園に向かいます。
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千波湖
千波湖 自然・景勝地
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偕楽園駅
水戸梅まつりの時期に期間限定で開設される臨時駅。梅まつりは昨日から開催されているので駅も稼働中。
開業して今年で 100周年を迎えるので、記念列車「水戸観梅号」が昨日運行されました。偕楽園駅 駅
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偕楽園下駐車場に車を停めます。梅まつり期間中は1日1回800円。
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常磐神社大鳥居
参道の長い階段。 -
常磐神社は第2代水戸藩主 徳川光圀、第9代徳川斉昭を祀る神社。1874年(明治7年)に現在地に社殿が造営されました。
常磐神社 寺・神社・教会
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昨夜呑んだ水戸の銘酒「一品」が奉献されています。
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末社 三木神社
徳川光圀は水戸藩家老三木邸にて誕生、幼少期は三木夫妻に慈育されました。また、三木家の末裔が松下幸之助を若い頃に援助したので、同氏の寄付でこの神社が奉献されたとのこと。テレビドラマ『水戸黄門』が松下電器(現パナソニック)の提供になったのもその縁の由。 -
東門から偕楽園に入ります。
妻は、偕楽園・好文亭・弘道館セット券 730円(通常970円)。
70歳以上の私は、個別にチケットを買うと半額の480円とさらに安いので3ヶ所それぞれで購入。
残念ながら今年の梅はまだ咲いていません。そのぶん人も少なく、ゆっくり散策できます。偕楽園 名所・史跡
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偕楽園のボランティアガイドは10時スタートということなので、先に好文亭を見学します。
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好文亭は徳川斉昭(烈公)が別邸として、また藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として建造。太鼓橋廊下でつながる奥御殿を含めた総称です。別邸3階は特に楽寿楼と呼んでいます。
「好文」とは梅の異名。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事にもとづいて斉昭が命名。好文亭 名所・史跡
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建物は1945年(昭和20年)8月の水戸空襲で全焼しましたが、1955年(昭和30年)から3年をかけて復元されました。
玄関から入って順路はまず茅葺の奥座敷から。 -
菊の間、桃の間
つつじの間、松の間 -
紅葉の間、竹の間、梅の間
萩の間、桜の間
いずれも見事な襖絵です。襖絵も水戸空襲で焼失し、復元の際に昭和を代表する二人の日本画家、須田珙中氏と田中青坪氏により描かれました。 -
徳川斉昭書「種梅記碑拓本」
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梅の間入側
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イチオシ
庭園
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太鼓橋廊下
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華燈口
奥座敷から茶室に渡る出入口。小坊主が控えて連絡にあたった部屋です。杉戸には古今集の和歌が色紙短冊に書かれて貼られています。 -
東広縁
18畳総板張り(漆塗り)の広間で、斉昭は藩内の家臣(80歳以上)、庶民(90歳以上)を招いて養老の会を催したそう。 -
藩主の間
藩主斉昭が好文亭に来たときは、ここで文人、墨客、庶民と接した部屋。床の間は設けず簡素な竹の柱だけ。格天井が格式を表しています。 -
3階の楽寿楼に上がる急な階段。2階小部屋は警護の武者控室。
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配膳用の滑車式昇降機
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柿(こけら)葺きの好文亭と太鼓橋廊下の屋根。
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楽寿楼からの眺め
千波湖を借景にした清々しい景色です。偕楽園開園当時、千波湖は現状の3倍以上の広さの湿地帯だったそうです。
晴れていれば遠くに筑波山も望めるらしい。 -
偕楽園の南側には偕楽園公園 四季の原が広がっています。偕楽園が造られた1842年当時の里の風景をイメージしているそう。
偕楽園と合わせた面積は約300ヘクタールに及び、都市公園ではニューヨークのセントラルパークに次ぐ世界第2位の広さと言われています。 -
楽寿楼3階正面8畳の正室
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書院の丸窓は陣太鼓の端材を利用して作ったそう。
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玄関を出て奥座敷の景観。
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待合
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何陋庵 簡素な茶室
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手水鉢
水が流れているように見えますが、蛇口も鉢も全て凍っています。 -
好文亭を退出し、偕楽園に戻ります。
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徳川斉昭は、千波湖に臨む七面山が気に入り、本草学者の長尾景徳に造園させて1842年(天保13年)7月に巨大な大名庭園を開園。前年の1841年(天保12年)に完成した藩校「弘道館」と一対の施設で、弘道館で文武を学ぶ藩士の余暇休養の場を供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、斉昭自ら「偕楽園」と名づけました。
園内には約100品種、3,000本の梅があるそうですが、紅梅が1本だけ咲いていました。偕楽園 名所・史跡
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こんな感じ。
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気休めにはなります。
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10時からボランティアガイドさんにお願いして偕楽園見物。
竹囲いの中の丸い枯葉は晩秋に刈り込まれた萩の茂み。春にはまた芽吹いて、秋に咲き乱れます。 -
こちらはツツジ。
梅だけでなく、さまざまな花で四季の移り変わりが楽しめるようになっています。 -
松も丁寧に剪定されています。
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千波湖大噴水
30分間隔で10分間、姿を変えながら水を噴き上げます。 -
左近の桜
1831年(天保2年)有栖川宮家の登美宮吉子が徳川斉昭の正室として降嫁する際、仁孝天皇から京都御所紫宸殿前の「左近の桜」の苗木を賜ったことにさかのぼります。初代・二代目は枯れ、1963年(昭和38年)宮内庁より拝領した三代目も2019年(令和元年)9月の台風で倒木。現在の桜は2023年(令和5年)に宮内庁から京都御所の左近の桜の苗木を拝領し、佳子内親王殿下によってお手植えされたもの。 -
仙奕台(せんえきだい)
見晴らし広場の南端の突き出た所を仙奕台といい琴石、石の碁盤、将棋盤等が据えられています。 -
佐渡川の対岸には茨城県護国神社が見え、その奥の林の中に水戸徳川家第15代当主の邸宅があります。当主は現在、東京在住のサラリーマンだそう。
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偕楽園から見た好文亭。
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偕楽園記碑
既述の偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが斉昭の直筆による隷書・漢文で記されています。 -
今年は梅の開花が遅く、梅園の中を歩いてもこんな感じ。
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その代わり「水戸の梅大使」と黄門様に会えました。黄門様から印籠を拝借して記念写真。
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ところどころ蕾が膨らんでいる樹もあります。
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こんな感じです。
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常磐神社・好文亭・偕楽園を2時間ちょっと時間をかけ、ゆっくりと見学して駐車場に戻ります。
通路に農人形の銅像が立っています。このあと弘道館でも再会します。 -
弘道館は車で15分ほど。無料駐車場に車を停めてまずは水戸城跡と水戸城大手門を見学します。
水戸城大手門 名所・史跡
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水戸城は北部を流れる那珂川と南部に広がっていたかつての千波湖(現在の千波湖の3倍以上ある広大な湿地帯)を天然の堀とした台地上に築かれています。
1609年(慶長14年)家康の末子で十一男の徳川頼房が下妻城より25万石で入城して以降、廃城まで水戸徳川家の居城となりました。 -
二の丸跡に現在は県立水戸第三高等学校と茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園があります。
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水戸彰考館
彰考館は水戸藩が日本の通史である『大日本史』を編纂するために作られた修史局。水戸光圀が1657年(明暦3年) 江戸駒込の藩邸に史局を設けて着手し、これを小石川の藩邸に移して彰考館と名づけたのが始まり。後に1697年(元禄10年)に主な史館員を水戸城内へ移転させ、水戸彰考館を発足させています。つまり彰考館は江戸の江館と水戸の水館の二つがあります。 -
光圀の死後、修史事業は1715年(正徳5年)には完了し、書名が『大日本史』(正徳本)と定められます。明治以降も『大日本史』編纂は続けられ、彰考館も存続して1906年(明治39年)に編纂事業が終了。現在の常磐神社あたりに彰考館文庫として保存されましたが、水戸空襲によって大部分が焼け落ちてしまいます。残った史料は徳川ミュージアム内の彰考館文庫に引き継がれているそうです。
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大手門から見た弘道館正庁。
明治維新の際、水戸藩では改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が激しく争い、弘道館に立て篭もる諸政党と水戸城に陣を構える天狗党が銃撃戦を繰り広げました(弘道館戦争)。 -
弘道館前の「徳川慶喜向学の地」の石碑
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特別史跡 旧弘道館
弘道館 名所・史跡
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正門(国指定重要文化財)
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かなり修復されたとのことですが、よく見ると銃撃戦の弾痕が残っています。
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弘道館正庁(国指定重要文化財)
1841年(天保12年)徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られました。
弘道館もボランティアガイドさんに案内してもらって見学します。 -
左近の桜
偕楽園のものと同じく、1963年(昭和38年)に弘道館の修理工事が完了したのを記念し、宮内庁から賜ったもの。偕楽園の桜は台風で倒木しましたが、こちらは3代目が残っています。 -
弘道館の敷地面積は約10万5千平方メートルあり、藩校の敷地としては全国最大の規模。正庁北側の文館には学生が学ぶ教室や寄宿舎があり、南側には武館、さらには天文台、医学館、馬場、調練場も備える総合大学のような施設でした。しかし、弘道館は正門、正庁、至善堂を残して焼失。城内の建物のみならず、多くの貴重な蔵書も焼失しました。
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歴史に疎い私ですが、2021年(令和3年)に放送されたNHK大河ドラマ『青天を衝け』に登場する水戸藩主 徳川斉昭や第15代将軍 徳川慶喜、ヨーロッパ留学に出発する弟の徳川昭武の話はよく覚えています。
ドラマにも登場した「尊攘」(尊王攘夷)の掛軸(現物)。能筆家で知られる藩医 松延年が1856年(安政3年)に書いたものです。 -
諸役会所
正面玄関奥の来館者控えの間です。 -
正庁の柱にも何ヶ所か弾痕が残っています。
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手前の部屋は二の間。
学問の試験会場。試験は問答で行われます。 -
対試場
武術の試験などが行なわれた場所です。 -
正庁正席の間
藩主が臨席をして、二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験を観覧した場所です。 -
床の間の掛軸は弘道館記碑の拓本(縮刷)。徳川斉昭の名で公表された五つの建学精神が示されています。
弘道館記碑は現存しますが、痛みが激しく、東日本大震災でも碑文がかなり剥がれ落ちて危険なので一般公開されていません。 -
十間畳廊下
正庁と至善堂をつなぐ畳敷きの廊下です。 -
至善堂(国指定重要文化財)
廊下を渡って正庁の奥にあり、御座の間をはじめ4室に仕切られています。藩主の休息所であり、また諸公子の勉学所でもありました。 -
三の間
教授陣の控室 -
二の間
徳川慶喜が幼少期に勉学した部屋です。 -
広縁の向こうに見えるのは十間畳廊下。
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至善堂 御座の間
この御座の間は、明治維新で将軍職を辞した徳川慶喜が恭順の意を表し、静かに朝廷の命を待った由緒あるところです。 -
床の間の要石歌碑拓本
徳川斉昭の詠んだ和歌で「行末毛(ゆくすえも)富美奈太賀幣曽(ふみなたかへそ)蜻島(あきつしま)大和乃道存(やまとのみちぞ)要那里家流(かなめなりける)」と、日本人としての進むべき道が示されています。 -
四の間 いくつかの史料が展示されています。
長持
この長持は、将軍職を辞した徳川慶喜が至善堂で謹慎していた当時に使用したものと伝えられています。 -
「溜り」にもさまざまな史料が展示されています。
渋沢栄一の書
渋沢栄一は駿府(静岡)で謹慎生活を送っていた慶喜の元を度々訪ね支援しています。 -
農人形
徳川斉昭は「愛民謝農」の心で、自作の小さな農人形を食膳に置き、食事のたびに最初の一箸を初穂として農人形に供えてから食事をしたと伝えられています。 -
『大日本史』全巻
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徳川家の家族写真
徳川慶喜(左端)、昭武(左から4人目)、徳川吉子(斉昭正室、右から3人目)などが写る貴重な写真です。 -
徳川慶喜の書
雄渾な筆遣い。先の渋沢栄一の書と比べると、武家と平民の書体の差がはっきりとわかります。
大河ドラマ『青天を衝け』の主人公は渋沢栄一ですがその印象は薄く、過酷な運命に翻弄された徳川慶喜に感情移入して観ていた記憶があります。その人生が実感できる興味深い見学でした。 -
13時 車で中川楼へ。2週間ほど前に電話予約してあります。
創業200年超の老舗鰻屋 by beanbagさん中川楼 グルメ・レストラン
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1822年(文政5年)創業の鰻屋。維新の志士や横山大観、小川芋銭、板谷波山、舟橋聖一といった文人墨客が数多く訪れた老舗です。旧制水戸高等学校に通った舟橋聖一は『悉皆屋康吉』の中で当店を紹介しています。
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鰻屋らしからぬ料亭のような立派な部屋に通されたので、会席料理が出てくるのではないかとちょっと不安になりました。
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でも出てきたのはちゃんと美味しい鰻重でした。ふっくら柔らかく大満足。
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デザートもついて2人で10,890円。リーズナブル。
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最後に訪れたのが水戸芸術館。
水戸市制百周年を記念する高さ100mの塔をシンボルとし、コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーの3つの専用空間で構成された複合文化施設です。
設計は磯崎新。初代館長は音楽評論家の吉田秀和、その後任として小澤征爾が2代目館長として就任していました。水戸芸術館 美術館・博物館
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このオブジェはなんだろう?
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エントランスホールにはパイプ総数3,283本の国産最大級のパイプオルガンが設置されています。
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高さ100メートルの水戸タワー。展望室は地上86mの高さにあります。
タワーのかたちは、1辺9.6mの正四面帯を28個積み重ねた構成で、外壁パネルはチタン材で57面あります。水戸タワー 名所・史跡
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タワーの構造は、厚さ5cmから10cmの鋳造の円柱とそれらを接合する鋳鋼ジョイント金物で構成された、全て斜めの立体トラス構造になっています。力強い!
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展望室の小さな丸窓から水戸を中心とした360度の景色が見られます。
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千波湖と茨城県庁
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那珂川に架かる水府橋など。
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地上に降りてサザコーヒー水戸芸術館店で一服。
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徳川将軍カフェラテ @900円
徳川将軍珈琲は、1999年にサザコーヒー社長 鈴木誉志男氏が徳川慶喜のひ孫にあたる徳川慶朝氏に『将軍慶喜とコーヒー』という演題で講演を依頼したことが縁で慶朝氏が珈琲焙煎修行を始め、自ら焙煎した豆を2004年から「徳川将軍珈琲」として商品化し、サザコーヒーで販売したことが由来です。 -
14:30 水戸を出発して水戸ICから常磐道。2時間ほどでスカイツリーが見えてきます。
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私は10年前に現役引退しましたが、その後の東京の変貌ぶりには驚くばかり。
渋滞もさほどなく、17時過ぎには帰宅しました。
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