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今年も福井の勝山のハーヴェストの冬の予約が取れました!<br />ハーヴェストのスキー場隣接は、福島のグランデコが無くなっちゃったので、長野の斑尾とココ福井の勝山の2つだけになっちゃいました。<br />1月2月の予約は会員の中で激戦なんです。<br />で、横浜からは遠くて、岐阜で前泊。<br />昨年は岐阜の関市内を観光して1泊してから勝山に向かいましたが、今回はやはり岐阜の可児市へ。<br />戦国山城ミュージアムと、あの森蘭丸が生まれた美濃金山城がある可児に行ってみたかったのです。<br /><br />美濃金山城は大きな山城で、室町時代後期である天文6年(1537年)に斎藤大納言正義によって築城された烏峰城が始まりです。<br />斎藤大納言正義は、あの斎藤道三の養子です。<br />この地に城を構え、近くの土岐氏とは争っていたようです。<br />やはり室町末期の永禄8年(1565年)に織田信長が烏峰城を攻略!<br />信長は家臣の森可成にこの城を任せます。<br />この森可成はあの森蘭丸の父親です。<br />この森可成が烏峰城から金山城に名称変更を行っています。<br />森氏の居城であった美濃金山城は、織田・豊臣政権下で東美濃支配拠点としての役割をしたお城なんですね。<br /><br />戦国山城ミュージアムのあとに、歩いて兼山川湊跡を訪れました。<br />昔の川湊の様子がわかり面白かったです。

2025年も福井の勝山でスキー ①一気には行けないので岐阜で前泊。一度行ってみたかった可児の山城へ。城下町の兼山から・・・

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2025/01/19 - 2025/01/23

110位(同エリア372件中)

旅行記グループ 2025年も福井の勝山でスキー

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nichi

nichiさん

この旅行記のスケジュール

2025/01/19

この旅行記スケジュールを元に

今年も福井の勝山のハーヴェストの冬の予約が取れました!
ハーヴェストのスキー場隣接は、福島のグランデコが無くなっちゃったので、長野の斑尾とココ福井の勝山の2つだけになっちゃいました。
1月2月の予約は会員の中で激戦なんです。
で、横浜からは遠くて、岐阜で前泊。
昨年は岐阜の関市内を観光して1泊してから勝山に向かいましたが、今回はやはり岐阜の可児市へ。
戦国山城ミュージアムと、あの森蘭丸が生まれた美濃金山城がある可児に行ってみたかったのです。

美濃金山城は大きな山城で、室町時代後期である天文6年(1537年)に斎藤大納言正義によって築城された烏峰城が始まりです。
斎藤大納言正義は、あの斎藤道三の養子です。
この地に城を構え、近くの土岐氏とは争っていたようです。
やはり室町末期の永禄8年(1565年)に織田信長が烏峰城を攻略!
信長は家臣の森可成にこの城を任せます。
この森可成はあの森蘭丸の父親です。
この森可成が烏峰城から金山城に名称変更を行っています。
森氏の居城であった美濃金山城は、織田・豊臣政権下で東美濃支配拠点としての役割をしたお城なんですね。

戦国山城ミュージアムのあとに、歩いて兼山川湊跡を訪れました。
昔の川湊の様子がわかり面白かったです。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 横浜町田インターから東名に乗って西へ。<br />暫く渋滞してて、1時間10分。<br />途中、足柄SAで休息。<br />富士山の下だけ見えてる。

    横浜町田インターから東名に乗って西へ。
    暫く渋滞してて、1時間10分。
    途中、足柄SAで休息。
    富士山の下だけ見えてる。

  • 次の休息は、新東名の浜松SAです。<br />御殿場を過ぎたあたりから渋滞は解消され、1時間30分で到着しました。<br />どんより曇ってます。

    次の休息は、新東名の浜松SAです。
    御殿場を過ぎたあたりから渋滞は解消され、1時間30分で到着しました。
    どんより曇ってます。

  • 新東名の浜松サービスエリアから約1時間20分。<br />新東名~東海環状自動車道~可児御嵩IC経由で可児市内へ。<br />お目当てのランチのお店がこの日お休みで、テキトーに国道21号線沿いの中華料理屋さんに入りました。<br />中華食房石狩さんです。<br /><br />店内は平日にもかかわらず、お子さん連れのご家族が3組。<br />シニア夫婦は、窓側の真ん中付近の席に案内されました。

    新東名の浜松サービスエリアから約1時間20分。
    新東名~東海環状自動車道~可児御嵩IC経由で可児市内へ。
    お目当てのランチのお店がこの日お休みで、テキトーに国道21号線沿いの中華料理屋さんに入りました。
    中華食房石狩さんです。

    店内は平日にもかかわらず、お子さん連れのご家族が3組。
    シニア夫婦は、窓側の真ん中付近の席に案内されました。

  • 相方はチャーハン。

    相方はチャーハン。

  • 餃子は2人でシェア。

    餃子は2人でシェア。

  • 私は担担麺。<br /><br />全部、ふつ~に美味しかったです。

    私は担担麺。

    全部、ふつ~に美味しかったです。

  • ランチを終えて、お目当ての可児市兼山へ。<br />街の駐車場は可児市観光交流館です。

    ランチを終えて、お目当ての可児市兼山へ。
    街の駐車場は可児市観光交流館です。

  • 中には多くの甲冑が展示されています。

    中には多くの甲冑が展示されています。

  • ここで可児市に関する資料をいくつか頂き、美濃金山城址への車での行き方を教わりました。

    ここで可児市に関する資料をいくつか頂き、美濃金山城址への車での行き方を教わりました。

  • で、隣りの可児市戦国山城ミュージアムへ。

    で、隣りの可児市戦国山城ミュージアムへ。

  • 入口に5体の人形。<br />一番右は信長ですが、他が判らず。。。<br /><br />信長の隣の妙向尼はどなた?<br />森蘭丸の母で、森可成の妻だそうです。<br /><br />その左隣は森蘭丸です。<br /><br />その左の坊丸、力丸ってどなた?<br />2人とも、森蘭丸の弟でした。<br />そっか~~<br />本能寺で森蘭丸は討ち死にしますが、この弟2人共に亡くなっているのですね。<br /><br />森家は、目の前にある美濃金山城の城主でした。<br />森蘭丸もこのお城で生まれています。

    入口に5体の人形。
    一番右は信長ですが、他が判らず。。。

    信長の隣の妙向尼はどなた?
    森蘭丸の母で、森可成の妻だそうです。

    その左隣は森蘭丸です。

    その左の坊丸、力丸ってどなた?
    2人とも、森蘭丸の弟でした。
    そっか~~
    本能寺で森蘭丸は討ち死にしますが、この弟2人共に亡くなっているのですね。

    森家は、目の前にある美濃金山城の城主でした。
    森蘭丸もこのお城で生まれています。

  • チケット購入して中へ。

    チケット購入して中へ。

  • こんな雰囲気のミュージアム。

    こんな雰囲気のミュージアム。

  • 美濃金山城主であった、森長可ですね。<br />信長の小姓として有名な森蘭丸の兄です。<br /><br />そもそも森家は美濃国の守護大名である土岐氏に200年ぐらい仕えていた家なんですね。<br />斎藤道三が土岐氏を追放すると、森長可は織田家の家臣になったようです。<br />森家ってずっと織田家の家臣だったのではないのですね~<br />この長可、信長の家臣として桶狭間の戦いにも参加してます。

    美濃金山城主であった、森長可ですね。
    信長の小姓として有名な森蘭丸の兄です。

    そもそも森家は美濃国の守護大名である土岐氏に200年ぐらい仕えていた家なんですね。
    斎藤道三が土岐氏を追放すると、森長可は織田家の家臣になったようです。
    森家ってずっと織田家の家臣だったのではないのですね~
    この長可、信長の家臣として桶狭間の戦いにも参加してます。

  • 目の前に展示されていたのは、脛当です。<br />武具の一つで脚の脛に装着するやつ。<br /><br />説明書きによると、この脛当は森長可の遺品で、鎌倉時代に造られた脛当なんだとか・・<br />良く残ってたな~

    目の前に展示されていたのは、脛当です。
    武具の一つで脚の脛に装着するやつ。

    説明書きによると、この脛当は森長可の遺品で、鎌倉時代に造られた脛当なんだとか・・
    良く残ってたな~

  • 美濃金山城の模型です!<br />山城ですね~~<br /><br />

    美濃金山城の模型です!
    山城ですね~~

  • このミュージアムのすぐ近くにある標高約277メートルの古城山がお城です。<br />山頂には天守台があります。<br />本丸、二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配されています。<br /><br />後ほど上がってみます。<br />車で途中まで上がれるのです。

    このミュージアムのすぐ近くにある標高約277メートルの古城山がお城です。
    山頂には天守台があります。
    本丸、二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配されています。

    後ほど上がってみます。
    車で途中まで上がれるのです。

  • 金山越?<br />面白い説明書きがありました。<br /><br />金山城の建物が解体され、天守は犬山城の天守として移築されたという伝承のことを金山越というのだそうです。<br />犬山城って美濃金山城の建物だったのですね~<br />知らなかった~

    金山越?
    面白い説明書きがありました。

    金山城の建物が解体され、天守は犬山城の天守として移築されたという伝承のことを金山越というのだそうです。
    犬山城って美濃金山城の建物だったのですね~
    知らなかった~

  • 美濃金山城における様々な出土品の展示です。

    美濃金山城における様々な出土品の展示です。

  • 立派な天目茶碗や瀬戸黒茶碗ですね~

    立派な天目茶碗や瀬戸黒茶碗ですね~

  • 森氏の説明書と系図。<br /><br />これを熟読したシニア夫婦。<br />そもそも森可成は織田信長の清州攻めが、信長に従軍した最初なんですね。<br />今川義元を破った桶狭間の戦いにも参加していました。<br />そして可成は信長から後の美濃金山城を与えられています。<br />そして可成は信長の長男であった信忠に従軍して川中島の海津城に入っているのですね~<br />海津城と言えば、上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦に於いて、武田側が築いたお城ですよね~<br /><br />その際、可成の弟である森蘭丸が美濃金山城に入っています。<br /><br />じっくり読んで面白かったな~<br />

    森氏の説明書と系図。

    これを熟読したシニア夫婦。
    そもそも森可成は織田信長の清州攻めが、信長に従軍した最初なんですね。
    今川義元を破った桶狭間の戦いにも参加していました。
    そして可成は信長から後の美濃金山城を与えられています。
    そして可成は信長の長男であった信忠に従軍して川中島の海津城に入っているのですね~
    海津城と言えば、上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦に於いて、武田側が築いたお城ですよね~

    その際、可成の弟である森蘭丸が美濃金山城に入っています。

    じっくり読んで面白かったな~

  • 兜に「南無阿弥陀仏」。<br />森蘭丸の鎧兜ですね~

    兜に「南無阿弥陀仏」。
    森蘭丸の鎧兜ですね~

  • 知名度が高い森蘭丸の説明書きです。<br /><br />キムタクと綾瀬はるかの主演映画だった「レジェンド&バタフライ」では、市川染五郎が森蘭丸役を演じていましたね~<br /><br />今で言うところのジャニーズ系であった森蘭丸は、美少年の信長の小姓として有名ですが、様々な武将に対する伝達役として優秀だった逸話が紹介されています。

    知名度が高い森蘭丸の説明書きです。

    キムタクと綾瀬はるかの主演映画だった「レジェンド&バタフライ」では、市川染五郎が森蘭丸役を演じていましたね~

    今で言うところのジャニーズ系であった森蘭丸は、美少年の信長の小姓として有名ですが、様々な武将に対する伝達役として優秀だった逸話が紹介されています。

  • 可児市にはいくつか山城があったようです。<br />ここに紹介されていたのは、久々利城(くくりじょう)。<br />美濃金山城の少し南にあるお城で、土岐氏のお城でした。<br />一時は美濃の東側を治めていましたが、室町末期である天正11年(1583年)、美濃金山城の森長可(蘭丸の兄)によって攻められて陥落しています。

    可児市にはいくつか山城があったようです。
    ここに紹介されていたのは、久々利城(くくりじょう)。
    美濃金山城の少し南にあるお城で、土岐氏のお城でした。
    一時は美濃の東側を治めていましたが、室町末期である天正11年(1583年)、美濃金山城の森長可(蘭丸の兄)によって攻められて陥落しています。

  • 久々利城の模型もありました。<br />立派な山城です。

    久々利城の模型もありました。
    立派な山城です。

  • なななんと、可児市には10もの山城があったのですね~<br /><br />そもそも室町の初期から美濃は土岐氏が治めていたので、土岐氏のお城が多いです。<br />羽崎城、明智永山城、久々利城は土岐氏のお城です。<br />金山城は斎藤氏から森氏のお城。<br />塩河城は可児氏、室原城は森氏、今城は小池氏。<br />大森城と吹ケ洞砦は奥村氏、<br />土田城は土田氏から生駒氏、<br />のお城だったのですね。<br />みんな山城です。

    なななんと、可児市には10もの山城があったのですね~

    そもそも室町の初期から美濃は土岐氏が治めていたので、土岐氏のお城が多いです。
    羽崎城、明智永山城、久々利城は土岐氏のお城です。
    金山城は斎藤氏から森氏のお城。
    塩河城は可児氏、室原城は森氏、今城は小池氏。
    大森城と吹ケ洞砦は奥村氏、
    土田城は土田氏から生駒氏、
    のお城だったのですね。
    みんな山城です。

  • ミュージアムの窓から山が見えます。<br />この山の上部に美濃金山城があります。<br /><br />後ほど上ります。<br />途中までは車で行けました。

    ミュージアムの窓から山が見えます。
    この山の上部に美濃金山城があります。

    後ほど上ります。
    途中までは車で行けました。

  • 美濃金山城の復元図がありました。<br />これは判りやすい!<br /><br />山城の下には城下町である兼山の街が木曽川沿いに広がっています。<br />高低差は170m。<br />町割りがきちんと整備された城下町は、木曽川の水運で栄え、お城が廃城になっても商業の湊街として栄えました。

    美濃金山城の復元図がありました。
    これは判りやすい!

    山城の下には城下町である兼山の街が木曽川沿いに広がっています。
    高低差は170m。
    町割りがきちんと整備された城下町は、木曽川の水運で栄え、お城が廃城になっても商業の湊街として栄えました。

  • 商人の街であった兼山です。<br />2001年に廃線になってしまいましたが、名鉄八百津線という鉄道が走っており、岐阜や名古屋に出ることができました。<br />

    商人の街であった兼山です。
    2001年に廃線になってしまいましたが、名鉄八百津線という鉄道が走っており、岐阜や名古屋に出ることができました。

  • 商人の街として栄えていた頃が想像できます。

    商人の街として栄えていた頃が想像できます。

  • 昔のそろばんや帳面も・・・

    昔のそろばんや帳面も・・・

  • この並んでいるうちわ、全部この兼山の商店の広告です。<br /><br />上は引き札という昔の広告チラシですね。

    この並んでいるうちわ、全部この兼山の商店の広告です。

    上は引き札という昔の広告チラシですね。

  • このうちわ、面白くてじっくり見ちゃいました。<br />昔はお医者さんで牛乳や煙草を売っていたのですね。<br /><br />営業案内<br />無料診療 入院随意<br />貧者施薬 廉価調剤<br />牛乳各種 滋養品類<br />煙草各種 燻物香類<br />蚕廟消毒 フォルマリン<br /><br />藤掛蘇春館はお医者さん?薬局?<br />と思ったら、相方が、<br />「さっき車で 蘇春館 藤掛内科 の前を車で通ったよ~」<br />というのです。<br />よく見てたね~~<br />「こんな所に医者があるんだ~」と思ったのと、名前が特徴的で面白かったから覚えていたようです。<br />このうちわの頃のご主人のひ孫か玄孫の方が医者を継いでいらっしゃるのでしょうね?<br />と思って、藤掛内科のHPを拝見したら、今の先生は4代目でした。<br />立派だ!!

    このうちわ、面白くてじっくり見ちゃいました。
    昔はお医者さんで牛乳や煙草を売っていたのですね。

    営業案内
    無料診療 入院随意
    貧者施薬 廉価調剤
    牛乳各種 滋養品類
    煙草各種 燻物香類
    蚕廟消毒 フォルマリン

    藤掛蘇春館はお医者さん?薬局?
    と思ったら、相方が、
    「さっき車で 蘇春館 藤掛内科 の前を車で通ったよ~」
    というのです。
    よく見てたね~~
    「こんな所に医者があるんだ~」と思ったのと、名前が特徴的で面白かったから覚えていたようです。
    このうちわの頃のご主人のひ孫か玄孫の方が医者を継いでいらっしゃるのでしょうね?
    と思って、藤掛内科のHPを拝見したら、今の先生は4代目でした。
    立派だ!!

  • この引き札、<br />右は「菓子製造」、左は「穀物肥料内外油」と表記がありますね。<br /><br />帆船の画は、北前船を現しているのでしょうか?<br />

    この引き札、
    右は「菓子製造」、左は「穀物肥料内外油」と表記がありますね。

    帆船の画は、北前船を現しているのでしょうか?

  • これは呉服屋さんの引き札ですね。

    これは呉服屋さんの引き札ですね。

  • この引き札は畳屋さんですね。<br />「大勉強」の表記が面白い!<br />今で言う「大安売」ですね。

    この引き札は畳屋さんですね。
    「大勉強」の表記が面白い!
    今で言う「大安売」ですね。

  • 「絹地代用うら地」との表記。<br />高級な絹織物を販売しているのでしょうか?<br /><br />神国印と大きく表記されています。<br />品質の高さ、信用を訴えているのでしょうね。

    「絹地代用うら地」との表記。
    高級な絹織物を販売しているのでしょうか?

    神国印と大きく表記されています。
    品質の高さ、信用を訴えているのでしょうね。

  • こちらは、<br />海鮮物産<br />お料理仕出し<br /><br />山の中に呉服屋さんや海産物屋さん。<br />高価な物が多いですね。<br />栄えた街だったのでしょうね~

    こちらは、
    海鮮物産
    お料理仕出し

    山の中に呉服屋さんや海産物屋さん。
    高価な物が多いですね。
    栄えた街だったのでしょうね~

  • こちらも海産物を扱っているお店ですね。

    こちらも海産物を扱っているお店ですね。

  • 隣の部屋では、可児に関する武者絵の展示がありました。

    隣の部屋では、可児に関する武者絵の展示がありました。

  • 本能寺の変です。<br />信長がまさに討たれようとしてます。<br /><br />美濃金山城の森蘭丸が一番左から信長を助けるために駆けつける所です。

    本能寺の変です。
    信長がまさに討たれようとしてます。

    美濃金山城の森蘭丸が一番左から信長を助けるために駆けつける所です。

  • 一つ一つ拝見して行きます。

    一つ一つ拝見して行きます。

  • これも本能寺の変です。<br /><br />右の信長が襲われそうになっていますが、左から長い槍を持って森蘭丸が駆けつけています。

    これも本能寺の変です。

    右の信長が襲われそうになっていますが、左から長い槍を持って森蘭丸が駆けつけています。

  • 可児市戦国山城ミュージアムから外に出ました。

    可児市戦国山城ミュージアムから外に出ました。

  • 半鐘など、古い町並みが残ってますね~<br /><br />消防団の右隣鵜の白い建物が、蘇春館 藤掛内科です。<br />昔の藤掛蘇春館です。<br />ココで長~いこと地元兼山の為に医者を営んでいらっしゃるのですね。

    半鐘など、古い町並みが残ってますね~

    消防団の右隣鵜の白い建物が、蘇春館 藤掛内科です。
    昔の藤掛蘇春館です。
    ココで長~いこと地元兼山の為に医者を営んでいらっしゃるのですね。

  • 森家が金山城の城下町として街割り整備を行った兼山の街です。

    森家が金山城の城下町として街割り整備を行った兼山の街です。

  • いくつか古いお寺がありますね。<br />でもじっくり見ている時間はないので、

    いくつか古いお寺がありますね。
    でもじっくり見ている時間はないので、

  • 徒歩10分<br />木曽川にある兼山港までやってきました。

    徒歩10分
    木曽川にある兼山港までやってきました。

  • ここがこの兼山の街が栄えることができた理由の一つである兼山湊があった所です。<br /><br />奥に見える大きな橋は、東海環状自動車道ですね。

    ここがこの兼山の街が栄えることができた理由の一つである兼山湊があった所です。

    奥に見える大きな橋は、東海環状自動車道ですね。

  • ここに多くの生活物資が運び込まれ、材木やお茶が運ばれて行ったのですね。<br />このような川湊の跡を始めて見ました。

    ここに多くの生活物資が運び込まれ、材木やお茶が運ばれて行ったのですね。
    このような川湊の跡を始めて見ました。

  • ここがまさに湊の跡です。

    ここがまさに湊の跡です。

  • 石が敷き詰められ、川まで行けますが、少し急ですね。

    石が敷き詰められ、川まで行けますが、少し急ですね。

  • 昔の川岸工事ですね。

    昔の川岸工事ですね。

  • この兼山湊、美濃兼山城に森氏が入る前の斎藤氏のころにはすでにあったようです。<br />木曽川水運の重要性は、材木の運送でしたが、森氏の時代には軍事的、政治的な要所になっています。<br /><br />この港のおかげでこの兼山の街は繁栄していきます。<br />大正から昭和初期にダムがいくつか作られ、鉄道や道路の陸運にかわり、水運は衰退して行きました。<br />でも、室町~江戸~明治と3つの時代はこの港が兼山の街に繁栄をもたらしたのですね。

    この兼山湊、美濃兼山城に森氏が入る前の斎藤氏のころにはすでにあったようです。
    木曽川水運の重要性は、材木の運送でしたが、森氏の時代には軍事的、政治的な要所になっています。

    この港のおかげでこの兼山の街は繁栄していきます。
    大正から昭和初期にダムがいくつか作られ、鉄道や道路の陸運にかわり、水運は衰退して行きました。
    でも、室町~江戸~明治と3つの時代はこの港が兼山の街に繁栄をもたらしたのですね。

  • 森蘭丸の時代劇のロケもここで行われたのですね。

    森蘭丸の時代劇のロケもここで行われたのですね。

  • 兼山湊には春吉稲荷大明神が祀られていました。

    兼山湊には春吉稲荷大明神が祀られていました。

  • この貴重な川湊の跡、もっときちんと保護保存をしてほしいな~

    この貴重な川湊の跡、もっときちんと保護保存をしてほしいな~

  • 兼山川湊をあとにして、車で美濃金山城に上がってみましょう。<br /><br />つづく

    兼山川湊をあとにして、車で美濃金山城に上がってみましょう。

    つづく

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 城megrist KAZさん 2025/01/25 16:49:06
    大変面白かったです! 
    行きたくなりました! 有難うございます。

    nichi

    nichiさん からの返信 2025/01/25 21:42:03
    RE: 大変面白かったです! 
    こんばんは!

    城マニアのプロでいらっしゃる城megrist KAZさんにそう言っていただけると嬉しいです。
    この後に美濃金山城に訪れていますので、旅行記をアップしたらご覧いただきたくお願い申し上げます。

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