2024/11/05 - 2024/11/06
762位(同エリア1603件中)
芦花さん
2024年秋:滋賀県周遊自転車の旅は、大津市エリアが最後。以下3回に分けて展開。今回は、天台宗の二大勢力:比叡山と三井寺に源氏物語ゆかりの石山寺について。
*湖西地方のビワイチ→琵琶バレー→大津市へ
*天台宗の二大勢力:比叡山と三井寺に源氏物語ゆかりの石山寺
*旧東海道と湖南一周の旅
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
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大津市街地の宿から比叡山坂本ケーブルカー入り口まで向かう。
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30分ごとの発車。
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同じケーブルカーに駅の隣にある比叡山高校の生徒。聞くと定期的にケーブルカー乗って修行(ハイキング?)に行くそうです。
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ケーブルカーからも琵琶湖が望めます。
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乗った車両はこちら。
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比叡山ケーブルカーから比叡山に入ると、さっそく慈眼大師「天海」の住房跡。
戦国時代から江戸時代にかけて活躍した天海は、徳川家康の参謀役として江戸幕府や江戸の街とその仏閣や日光東照宮の創設のほか、比叡山延暦寺の復興に大きな力を発揮した天台宗の名僧。 -
修復中の根本中堂の修学ステージでは、青龍院門跡の襖絵でも有名な大津市出身の画家木村英輝の作品が掲げられている。
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修理・修復は、2024年年末まで続くようだ。
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正面の階段を登り、文殊楼。
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後ろを振り返ると根本中堂。
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文殊楼を降り、宿泊施設の延暦寺会館の駐車場からも琵琶湖が見える。
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さらに戻って坂道を上ると大講堂。
大講堂に並ぶ祖師像は、それぞれの宗派から奉納されたもので、その姿もそれぞれ異なる。
宗教思想家の梅原猛いわく「彼らはすべてこの叡山仏教の反逆者であるが、その反逆者たちもかつて若き日、自らが学んだ比叡山に祀られて、さぞ複雑な気持ちであろう」『京都再発見9』同18頁」 -
とはいうものの、延暦寺視点では「皆、延暦寺から巣立った名僧で、そのルーツは全て天台宗延暦寺にある」という、自分たちにとって都合のいいストーリー(フィクション)になっているのが面白い。
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また根本中堂の前に戻り、
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バスターミナルにある茶屋にて
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ぜんざい食べつつ一服。
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バスに乗って横川(よかわ)に向かう。比叡山にとっての反逆者、曹洞宗の始祖:道元の一生が描かれた掲示板が参道を埋める。
横川は、山門派の始祖:円仁=慈覚大師(794-864)が新たに創設した比叡山の聖域。 -
円仁は、権力闘争に明け暮れる延暦寺から逃れるため横川に籠る。弟子たちには貴族などの俗権力とできるだけ関わらないよう伝え、弟子たちは、その教えを守り続けます。この結果、横川は金欠になって疲弊・衰退。
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ところが円仁派の中に長浜市虎姫出身の良源(912-985。慈恵大師・元三大師)という台密を完成させた名僧が誕生。
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良源は「俗に関わるな」という円仁の教えに反し、摂関政治を始めた藤原忠平(880-949)やその次男にして藤原道長の祖父たる藤原師輔(909-960)に取り入って重用され、966年には天台座主となり、円仁派が勢力拡大。
この結果横川は復興し、今でも比叡山の横川を歩くと元三大師(良源)の名がところどころに登場してきます。 -
紅葉が美しい横川中堂。
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そして横川からバスに乗って西堂へ。
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西塔からは歩いて東塔に戻る予定。
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さっそく、比叡山の反逆者:親鸞聖人修行の地。
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常行堂・法華堂をこえて
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階段を降りると
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西塔の中心:釈迦堂。
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釈迦堂では「秘仏本尊釈迦如来像特別ご開帳」
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延暦寺の始祖:伝教大師最澄の御廟のある「浄土院」
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長い坂を登り、
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山王院堂。ここは、智証大師円珍(814-891)のかつての住房。
寺門の始祖:円珍=智証大師は、山門の円仁が活躍したのち、良源が横川を復興する前に活躍した天台宗の名僧。 -
そして東塔に戻り、有形登録文化財の坂本ケーブルの延暦寺駅。
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帰りは、ゆったりできたので景色を楽しむ。
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坂本ケーブルを降りて数分で日吉神社。
日吉神社は、江戸時代までは、神仏習合で比叡山延暦寺と一体となって栄えた神社。
しかし明治時代の神仏分離令で、日吉神社の神主たちの、延暦寺に対するこれまでの不満が爆発し神祇官の樹下重国が廃仏。樹下は、坂本の農民100人余りを雇って暴動を起こしたという。
この廃仏運動が明治初期、日本全国に嵐のように吹き荒れた廃仏毀釈の始まり。 -
長年、長い間僧侶から虐げられた神官たちの逆襲に燃える気持ちは尋常ではなかったからこそ、これだけ廃仏毀釈運動は一気に全国に広がったのでしょう。
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重要文化財の山王神輿。
山王神輿は、日本全国の神輿のルーツで平安時代の神輿は信長の比叡山焼き討ちで焼失。現在の神輿は桃山時代の作。
実はこの神輿もいわくつきの神輿で、神仏習合時代に延暦寺が都の権力へ圧力をかけるために使われたツール。 -
比叡山の要求を通すため、都に圧力をかけるべくこの神輿を根本中堂まで引き上げる。そして要求を呑まなかった場合は、この神輿を京都に持ち込んで都大路で騒いだそうです(これを強訴という)。
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さて、日吉大社を出るとすぐそばに「穴太衆」の石積みが見られます。
穴太衆は今も生きる石積みの専門家集団で、竹田城や丹波篠山城などの石積みや、現在では新名神高速道路の石垣(の一部)も担当し、コンクリートよりも強靭だと言われています。 -
さらに北に進むと坂本を拠点にした明智光秀の供養塔もある「西教寺」
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美しい参道を通り、
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琵琶湖の景色も一望に
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引き続き。
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伽藍の瓦越しも美しい。
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ここが明智光秀の供養塔。
信長の命とはいえ、比叡山含めて西教寺も焼き討ちした張本人である光秀は、坂本の地を与えられて以降は西教寺の復興に尽力したという。 -
需要文化財の本堂
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美しい境内の庭園。
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大河ドラマのポスターもちゃんと残っていました。
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光秀が生きた時代から残っているという石段。きっと光秀もこの石段を昇降したに違いありません。
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西教寺の坂を下り琵琶湖畔の県道沿いにある「聖衆来迎寺」。ここは西教寺などと違っって小さなどこにでもある寺ですが実は由緒は深い。
前述の徳川家康のブレイン「天海」が再興した寺で、もともと比叡山焼き討ちの際に信長軍の大将・森可成の遺骸を葬った縁から焼き討ちを免れた寺。
その後、明智光秀の領地となって坂本城の門とされる山門と、光秀寄進の陣鐘が残っています。当時随一の狩野一族の絵画が各所に見られ、これも天海の力によるものではないかとされるという。
とはいうものの、残念ながら拝観不可。 -
大津市街地に向かいつつ、坂本城跡からの琵琶湖の風景。
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坂本城址には、明智光秀の石像もありますが、「長浜城」「佐和山城」など歴史上敗者となった存在の痕跡と同様、その痕跡はまったく残っていない。
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翌日、比叡山延暦寺の対抗勢力「三井寺(園城寺)」の拝観。
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ここから石段を登り、
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観音堂へ。
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三井寺の観音堂からの景色も素晴らしい。湖南の風景がよく見える
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そして石段を下り、金堂へ
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さらに歩いて金堂へ向かう。
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桃山時代を代表する名建築だという「金堂」。
ここも比叡山同様、信長の焼き討ちにあったので、その後、秀吉の正室北政所によって再建。
比叡山西塔の山王院でも紹介した、ここ三井寺(園城寺)を根拠地とした寺門の始祖:円珍=智証は、15歳で比叡山にて出家し、最澄の後継者にして初代天台座主義真のもとで修行。比叡山での難行の後も熊野で修験の荒業を完遂。
そして修験と天台宗を融合させた神仏習合の世界を発展させます。その縁もあってか、もともと修験者でもあった教待和尚(伝説の人)が住んでいた三井寺=園城寺に円珍がやってきて意気投合し、円珍が比叡山延暦寺に所属しつつ、園城寺の長吏(住職)を兼任。
園城寺=三井寺について、かつてその近隣には天智天皇(626-672)が開いた大津京(667-672)があり、大津京にあった崇福寺は園城寺に統合されたこともあって、園城寺は天智天皇ゆかりの寺になったといわれます。 -
ここが三井寺の名称の由来となった閼伽井。
園城寺の別名である三井寺の名称は、天智・天武・持統三皇の浴井の閼伽井から名付けられた名称で、三人の天皇をここの産湯で清めたという伝説も。 -
そして園城寺は修験と融合し、寺門派は実践的で法験僧と山岳修行僧を多く出したので、庶民信仰を獲得しました。さらに霊場巡礼修行者を多く出したので、如意輪堂が霊場化されたものと思われます(五来重著『西国巡礼の寺』より)。
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何度も比叡山の山門の焼き討ちにあったという三井寺に私たちが伺うと、その名残として山門派の弁慶(1155-1189)が寺門との抗争の際に寺門の鐘を奪って引き摺ったという鐘「弁慶の引き摺り鐘」が現存しています(本当かどうかは不明)。
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ということで、寺門は延暦寺とは別途、台密の雄としてその座を確立していったのです。
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東洋のマルコ:ポーロと言われた円珍。その円珍が中国から持ち帰ったというお宝がここにあります。これは究極のお宝。以下ユネスコが登録したときの内容。すでに中国でも散逸している関所の記録など、歴史好きなら堪らないお宝が目の前で実際に見ることができます。
?智証大師円珍関係文書典籍ー日本・中国の文化交流史ー
(申請者:宗教法人園城寺、独立行政法人国立文化財機構東京国立博物館)
中国・唐に渡り、日本に密教の教えをもたらした智証大師・円珍に関連する史料群であり、日本と中国の文化交流の歴史や、当時の唐の法制度・交通制度を知ることができるほか、円珍が唐から持ち帰った唐代の通行許可書の原本が含まれるなど、非常に貴重な史料。全て国宝。 -
そして観音堂に戻り「CaFe KanOn」。
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おはぎ2個とドリンクセットで税込合計950円。おはぎは色々ある中から抹茶とナッツを選択。
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双方とも、おはぎというよりも、上品な和スイーツという感じで、特にナッツの方は、多種多様なナッツがおはぎのもちもち感と見事にマッチしていて非常に美味でした。したがって、(意外な組み合わせではあるものの)紅茶と一緒にいただいてもピッタリの相性でした。
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平日のお昼時ということもあり、伺った時はお客さんが私一人だけだったので、のんびり過ごすことができました。
お寺の境内とは思えないほど、北欧風のクールなセンスの雰囲気。特に女性のお客さんに人気が出そうなカフェ。 -
再度観月堂より琵琶湖の風景。
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そして、三井寺敷地内のあるもう一つの国宝「新羅善神堂」ですが、国宝に対するなんとも残念な整備状況。
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こんな雑草いっぱいの場所に国宝があること自体が驚き。
「智証大師ゆかりの新羅明神像(国宝)を安置する新羅善神堂は、 足利尊氏による再興の伝えをもつ社殿」との三井寺自身による紹介ですが、もうちょっとなんとかならないものでしょうか。 -
さらに奥に進むと武田信玄の甲州武田家のご先祖「源義光=新羅三郎」のお墓があります。
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ここが源義光=新羅三郎のお墓。
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くれなずむ琵琶湖の風景も大津市歴史博物館から。
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大津駅の南側から撮影された写真(昭和32年)も展示されていて、高層マンションがない時代の開かれたかつての大津市街と琵琶湖の風景が懐かしい人もいるのではないかと思います。
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先ほど伺った間の運動の風景もこんな感じだったのか。
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大河ドラマ「光る君へ」の特集展示も。
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翌日、大津市内から自転車を走らせ、源氏物語発想の原点と言われる「石山寺」へ。
*西国三十三所の十三番。 -
紅葉になったら綺麗だろうなと想像しつつ、
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共通券を買ってまずは石山寺塔頭の明王院「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」
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「光る君へ」で使用されている12単や、各出演者のエピソード、役者さんたちの自筆サインなどが展示されていて、「光る君へ」ファン来訪必須の展示。
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まひろと藤原彰子の写真スポット
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石山寺の名前の所以ともいえる天然記念物の石山寺硅灰石。
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そして石山寺の本堂へ。
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本堂の中には源氏物語ゆかりの部屋「源氏の間」。ここで紫式部は「源氏物語」を構想したという。
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多宝塔は、1194年に源頼朝の寄進によって建立された日本最古の多宝塔。
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山の上の方にある「豊浄殿」では石山寺が保持する源氏物語関連のお宝を展示。
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近江八景と言われた石山寺から琵琶湖を望む景色。今でも日本三名橋の唐橋や東海道新幹線が見られます。
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ここがかの有名な月見亭。ここで月を愛でつつ歌を詠むのが平安貴族の生活なのか。
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石山寺を離れて、日本土木の象徴すべき箇所ともいえる「瀬田川洗堰」。
こちらは旧堰。 -
こっちが現在の堰。『滋賀県の歴史』(309-310頁)によれば、滋賀県下の水害は、明治時代45年間だけでも16回と、3年に1回は水害に。特に大きかった明治29年の水害は、下坂本村:全戸700戸水没、彦根町:全町の80%浸水など、ほとんど街が水没してしまったかのような水害だったのでしょう。
瀬田川は、巨大な水がめ琵琶湖から流出するただ一つの河川。
南郷付近に、当時ハゲ山だった田上山系から流出した土砂が堆積して水の流れをあっという間に止めてしまうのです。
田上山系は、古代の藤原京・平城京造成に伴う木材の伐採にあったり、森が育ちにくい地質そのもののに要因があって長い間ハゲ山だったらしい。したがって明治20年代から植林を進めるとともに、淀川や利根川など日本全国の治水事業を担ったオランダ人技師デ・レーケの指導に基づき、砂防ダムを進めたことで、水害の要因を排除。 -
そして琵琶湖方面に走り、瀬田の唐橋
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唐橋を渡り、
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ランチで石山駅近くの中華料理「FUFU」。
本格中華料理店ということで、ランチ定食1,600円にデザート200円プラスで合計税込1,800円でした。 -
ランチのメインは各種選べるようになっていて、辛いものが好きなら麻婆豆腐がおすすめとのことで、素直に麻婆豆腐を選択したところ、確かにこの麻婆豆腐は、ちょっと他では食べたことない麻婆豆腐。
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料理自体の方は、まずはひき肉の量が半端なく多い。豆腐と同じくらいと言ってもいいほどの肉の多さでしかも不均一なところが本格的。
そしてなんと言っても辛いのはもちろんですが、なんともいえないマイルドな旨みがあるのです。このマイルドな旨味は各種スパイスを工夫しつつ調合しているらしく、薬膳料理を謳うお店ならではの絶妙なスパイスの使い方ではないかと思います。
量も非常に多く、ご飯は大盛りにしておいた方がいいかもしれないくらいのボリュームで、しかも熱々の土鍋で提供されるため、あったかい状態がキープされているのも良い。副菜のクラゲ等も質が高く、ちゃんとされているところもいい。
給仕の方が非常に丁寧で、常連の方も多い地元の人気店のようです。石山駅からもほど近いので、近隣の方も行きやすい店舗。
以上、湖南の名刹「延暦寺」「西教寺」「三井寺」「石山寺」を中心に周遊しましたが、どの寺も歴史が深く所縁も深い、実に魅力的な寺で、京都のインバウンド爆発に疲れるようでしたら、滋賀の寺めぐりもたまにはいいのでは、と思います、
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