2024/10/27 - 2024/10/28
481位(同エリア1205件中)
芦花さん
彦根を拠点に湖東を周遊。今回は近江八幡市や東近江市の戦国時代の軌跡や近江商人、湖東三山などをテーマに自転車で周遊しました。
*東近江市・多賀町・甲良町・豊郷町
*彦根市・長浜市・竹生島
*近江八幡市・安土町
今回は、彦根市・長浜市・竹生島を紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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彦根城は、建築当初はこっちが正門。
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大手門から入城するも、ほとんどが表門からの入城者が多く、ガラガラです。
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敵が攻めてくるのを防ぐため、まずは長い坂道で相手の勢いを削ぐ仕掛け。
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やっとここまで辿り着く。これは攻めるの大変。
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やっと坂道が終わったと思ったら、高石垣が登場し、銃や矢でやられそう。
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一旦、天守からは逆の坂を上るも、ぐるっと回って攻めようとすると、廊下橋があり、ここを落とされたら中に入れない。なので別名「落とし橋」という。
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彦根市によると、
「まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。 日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけ」 -
天秤櫓を越えるとやっと、天守のある敷地に。
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天守閣は、木造のままで姫路城の規模には遠く及ばないものの、こちらも貴重な建築。
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ちゃんと相手を攻撃する仕掛けも。
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天守に登れば、もともとの小山(金亀山)の標高差もあって、見事な見晴らし(後で佐和山城に登ってさらに感嘆しますが)。
宿泊した彦根キャッスル&リゾートが真正面。 -
琵琶湖方面の景色
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彦根駅と彦根城を直結する道路(その向かって左に彦根市役所)。
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屋根の形状が実に見事な天守を越えて
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西の丸三重櫓へ。ここは来訪必須です。
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他の城であれば立派な天守といってもおかしくない。木造の見事な建築です。
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その三重櫓から。
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この辺りの石垣も、見事です。やはり坂本の穴太衆の野面積なんでしょうか?
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穴太衆は、現在は「栗田組」のみ残存していて、今でも各地の石垣(城や新名神高道路など)の石を積んでいるとか。
最近では竹田城や丹波篠山城も修復。熊本地震において石垣が大規模に崩れましたが、実は穴太衆の野面積みの石垣(県立第一高校内)は崩れず、旧陸軍の担当した石垣の身が崩れたと言います。 -
井伊直弼の誕生地を横目に見つつ、
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玄宮園へ。
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若干紅葉も見ることができましたが、まだまだ。
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ここで美しい庭園を見ながらお茶ができます。
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利用者は私だけでしたが。。。
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地元の銘菓「埋もれ木」とともにお抹茶をいただく
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茶碗が実に見事!
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そして彦根城博物館へ。
甲州武田家の赤備えを受け継いだ、井伊家の赤備えですね。 -
中には素敵な茶室も。
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外に出れば、なぜか「ひこにゃん」登場。大変な人だかりでした。
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彦根城を後にし、自転車で数分しか離れていない佐和山城へ向かう。
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ここに石田三成の邸宅があったとか。
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井伊家の菩提寺「清涼寺」を横目に見つつ、
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龍潭寺の奥の墓場を過ぎて、佐和山を登る。
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おおよそ30分くらいかかりました。サンダルばきでは難しそう。運動靴以上の格好が必要かな。
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頂上は、かつてここに巨大な城があったとは思えない、実に静かな平地。
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それでも彦根市街を一望できる景観が見事。
確かにこれならどこから攻めてこられてもすぐにバレてしまう。 -
彦根城もずっと下の方に見える。
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ここに五層の天守があったという
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佐和山城の石垣などは、彦根城建設に悉く流用されたため、その痕跡はほとんど残っていない。微かに石の跡があるものの。。。
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伊吹山と東海道新幹線。
伊吹山から吹き下ろす雲が、この地の気候(日本海→琵琶湖)を体現しているよう。 -
宿は、NPO法人が運営しているという「本町宿」。
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一人用としては十分な広さ。
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お風呂場も綺麗にリノベーションされています(共用です)。
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ここも共用のリビング。
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朝食は、炊き立ての土鍋ご飯が美味い。
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さりげなく地元の食材が使われています。
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この日は、長浜に向かってビワイチを北上。
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彦根市内から、40分弱で長浜港に到着。
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フェリーに乗って40分ぐらいで、竹生島に到着。
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竹生島は、神仏習合の聖なる島だったので明治政府による神仏分離は大変だったようです。以下『滋賀県の歴史』283-284頁より。
明治2年大津県は、法厳寺住職「峯覚以」を出頭させ、『延喜式』に式内小社として都久夫須麻神社の記載がある旨を指摘して縁起や古記録類の提出を命じた。さらに4年2月には縁起の記述などを根拠に、弁財天社の都久夫須麻神社への改称を命じた。これに対して宝厳寺は、大津県の命令はかえって神仏混淆の事態を招くと反論、弁財天社の仏堂としての存続と都久夫須麻神社の新設を嘆願した。しかし、大津県の態度は強硬であり、あくまでも拒否すれば坂本日吉社における廃仏毀釈のような事態が発生するとも限らないと宝厳寺を威嚇して、改称命令のすみやかな実行を要求した。このため、宝厳寺はやむなく改称命令を受け入れ、弁財天社は観音堂(のちに宝厳寺塔頭妙覚院座敷)に移され、常行院覚潮が還俗・神勤するようになって、竹生島の神仏分離は一応終了したのである。 -
古代の日本人は、海の彼方に常世(あの世)があると思っていたので、ここ竹生島も湖に浮かぶ島とはいえ、常世の島と考えられ、聖なる島との扱いを受けたのでしょう。
ここで祀られている千手観音は、宗教民俗学者の五来重によれば、千手観音の立像は船にかける帆の形をしているということから、補陀落信仰と千手観音の関係ができたのでは、と想像しています。
もともと西国三十三観音は現世利益なんですが、ここではあの世の利益、つまり来世利益も想定されているのですね。 -
神仏習合の象徴でもある不動明王もちゃんと祀られています。
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この塔は重要文化財だとか。
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ちゃんと「弁財天」の旗も立ててありますね。
弁天さんはもともと、浅井姫(あざいひめ)が仮の姿(本地)で、浅井姫はこの地の神様。現在の神社ではイチキシマヒメという女神が祀られており、この女神が浅井姫ではないかと思います。
浅井姫は水の神様だから浅井姫のおかげで湖北地方は農耕ができると崇められていたそう。その浅井姫、つまり弁天さんが宝厳寺の中に一緒に祀れていたのですが、神仏分離で千手観音・弁天=仏教と、浅井姫(イチキシマヒメ)=神道に分離させられたというのが今の状態。 -
以下現地掲示より。この唐門は、豊臣秀吉の大坂城のうち、現存する唯一の遺構とのことで国宝なのも納得です。
***
「唐門」とは、唐成風(中央が高く、左右になだらかな曲線で重れる映風)をもつ門という意味。
この『唐門』は、京都東山の豊国廟(秀吉の亡がらを葬った廟所)に建っていたものを、慶長7年(1602)豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものと考えられています。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。
桧皮革、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍼金の節金具が散りばめられ、虹染
中央の基股の周囲には風風や松・兎・牡丹の脱刻を、二枚の大きな様唐戸や壁には牡丹唐草の膨刻を極彩色塗りで飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐
門』の代表的遺構です。
平成18年(2006)、オーストリアにあるエッゲンベルク城で豊臣期大坂図屏風が発見されました。絵中にはこの門が大坂城にあった姿で、本丸北方に架けられていた『極楽橋』の形が描かれています。
唐門が付いたこの橋は、城内の堀などを越えて城主のいる本丸へと渡る廊下橋という形式の橋で、橋の上には屋根や望機を持つ豪華なものです。大坂城の極楽橋は慶長元年(159)に建造され、慶長5年(1600)に京都の豊国へ移築されたことが分かっています。エッゲンベルク城の絵図から判断して、付生島の「唐門」は秀吉が建てた現存する大坂城唯一の遺構であることは、ほぼ間違いありません。 -
現世利益の観音信仰。南無観世音菩薩。
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都久夫須麻神社の本殿。かつての宝厳寺の本堂だったので、明治時代の神仏分離までは、ここに千手観音(仏教)が祀られていたという。
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ここも重要文化財で、船の底をひっくり返して廊下にした形状が興味深い。このふな廊下を渡ると神社エリアになります。
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名物のお皿ですね。
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鳥居を通過すると願い事が叶うそうですが、私は願い叶いませんでした。
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神仏習合と神仏分離の時代の流れがこの竹生島で体感できたのが良かった。
もう戦前の国家神道はなくなったんだから、神仏習合の姿に戻せばいいのに、と個人的には思います。 -
そしてフェリー乗り場に向かう。
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なかなかおもしろかった西国三十三所の三十番宝厳寺でした。
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帰りも40分かけて長浜港へ。
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長浜ではあいにくの雨になってしまいましたが、この辺りまで来ると冬はしっかり雪が降るようで融雪用の設備も道路に。
地元の方によると、ちょうど彦根あたりが雪国の南限らしい。 -
長浜市の観光地、黒壁スクエアも平日はひっそり。
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そして名物の鯖そうめんをいただきに翼果楼へ。
定番の焼鯖そうめん税込990円に、焼鯖寿司三貫同780円、合計1,770円でした。 -
湖北地方には五月見舞いといって農家へ嫁いだ娘のところへ農繁期に実家から焼き鯖を届ける風習があったとか。
農繁期の忙しい時期に娘を案じた親が届けたというのです。特に焼鯖そうめんは忙しい作業の合間に手軽に食べられる食事として地元の定番だったそう。 -
その焼鯖そうめんですが、正確には焼鯖というよりも鯖を長時間煮込んだあとに焼いた鯖で、焼鯖ならではのホクホク感はなく、しっとりとした食感で、かつ鯖味噌などの定番料理と違って身の中までしっかりタレが染み込んでいる鯖。
したがって鯖の佃煮風と言ったらよいのか、そんな感じの鯖にサバを煮込んだタレが染み込んだそうめんをいただく。このそうめん、どうやってらタレを染み込ませているのか不思議なそうめんで、確かに一度は食べるべき、不思議な料理でした。ちなみにそうめんは三輪素麺(奈良)を使用しているとのこと。 -
一方で焼き鯖寿司の方は、至ってノーマルな焼鯖寿司でした。
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なんといってもここを利用する価値は、この独特の店内の雰囲気にあり、と言ってもいいかも知れません。昔ながらの伝統的かつ高級な古民家の仕様で、ただ和風に特化するでもなく、洋の要素も取り入れて、独特の空気感を醸し出しています。
構造も実に複雑な構造で、増築してこうなったのか、元々こういう構造なのかはわかりませんが、中2階があって回廊的になっていたり、でとても興味深い建物でした。 -
これが日本最古の鉄道駅舎旧長浜駅。今は博物館になっています。
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蒸気機関車の雄、D51の実物も展示されています。
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そして駅舎に隣接する文化遺産「慶雲館」。慶雲館の名は、伊藤博文が命名したという。
地元の名士、長浜の太湖汽船の頭取、浅見又蔵が明治天皇をお迎えするために資材を投じて突貫工事で建築したという。 -
埋め立てされるまで、かつては美しい長浜港が見えたそうですが、今は庭園のみが鑑賞可能。
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若干の紅葉もたなおしめました。
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そして、復元された長浜城の天守=長浜城歴史博物館へ。
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江戸時代の徳川の天下では、豊臣家をイメージさせるあらゆる遺産は完全に排除されたため、その痕跡はほとんど残っていない。長浜城もその例外ではない。
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そして、ビワイチ使って彦根に戻る。
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夜は宿の方おすすめの彦根駅前の「すし浜」さん。
確かにここはリーズナブルでバラエティー豊かなメニュー。写真はシメサバ -
そしてアジフライに、
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鯖味噌をいただきました。
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ご参考までにそのメニューですが家族経営でアットホームかつ丁寧な接客で、一人利用でも問題なく、観光客が落ち着いて食事したい場合にはうってつけのお店でした。
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