2024/12/20 - 2024/12/24
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chemireさん
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篠山城。別名 桐ヶ城。
1609年(慶長14)徳川家康の天下普請により築城。
大坂城の豊臣秀頼の存在を警戒する家康は、普請総奉行に池田輝政を任じ縄張を藤堂高虎に手がけさせ、わずか6ヶ月という短期間で篠山城を完成させます。初代城主は松平康重で、松平氏3家8代、青山氏6代と、徳川譜代の有力大名に引き継がれました。
明治維新後に城内の建物は取り壊されましたが、大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたと言われる大書院は残され、学校などに転用されていたそうです。その建物も1944年(昭和19)に焼失してしまいますが、2000年(平成12)に復元されました。
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12月23日(月) 旅4日目 続き
12:14
内堀に架かる土橋を渡り、篠山城跡へ。往時は城門、渡櫓、多門櫓等で堅固な虎口だったそうです。 -
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表門跡
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さっそく刻印石発見。
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現在は石畳のせいでカーブして歩きやすそうに見えますが、本来の虎口はカクッと曲がっています。
先は見えないし、もしかしたら行き止まりかも。いつ攻められるか分からない。そんな緊張感のある虎口はワクワクします。攻める側の立場になったら、そんな事は言えないけど。 -
中門跡
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刻印や矢穴がいっぱい。おいしいところだらけです。
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鉄門跡。正面には大書院が建っています。
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鉄門跡を振り返って。
左右の石垣の大きさは対照的ではなかったし、積み方もちょっと変わっています。諸侯の普請分担による違いなのかな。他にも、石垣の形相が違っているように見える所がありました。 -
篠山城大書院。2000年(平成12)復元。
休館日だったので入城できなかったけど、壮大な大書院は、現存する京都二条城の二の丸御殿にある遠侍と呼ばれる建物に類似しているそうです。
二条城かぁ。また旅が繋がりました。そうなると建物内を見学したかったな。 -
井戸の説明板より。
この井戸は城北の玉水から流れ出た水脈を利用していると伝えられており、厳しい日照りにも涸れたことがありません。 -
多くの大名が関わる普請現場で石の盗難が相次ぎ、その防止策として刻印されたという説には、6ヶ月で完成させろと言われたら、そんなこともあるよねと納得。
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二の丸跡。二の丸御殿や庭園跡が平面復元されています。
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二ノ丸東にある本丸入口。青山神社が鎮座しています。
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青山神社
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城主であった青山家が祀られています。
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白樺?
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天守台跡へ。
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天守台の石垣は高さ約17m、東西約19m、南北約20m。
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広い天守台には、南東隅に平櫓が1棟建ってただけ。天守は築造されず、その隅櫓を代用したそうです。
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天守が築かれなかった理由は、堅固過ぎる城郭のため、実戦向きの城のため、敵の標的になるという家康の命によるなど諸説あり。実際には、次に予定していた名古屋城の普請にあたるためだったらしい。
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東に見えた八上城跡がある高城山。通称 丹波富士。
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眼下には、三の丸跡に建つ篠山小学校が見えました。
建物にある2594の文字は起工年だそう。西暦ではなく、皇紀(紀元)で記されているところに歴史を感じます。
日本書紀に記された神武天皇即位の年(紀元前660年)が皇紀元年となり、皇紀2594年は西暦1934年(昭和9)。 -
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二の丸跡に戻って大書院の遠景。
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南側搦手口にあった埋門跡。往時は、櫓門形式だったようです。
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石段を下り振り返って見た埋門。
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埋門跡に向かって右側の、二の丸南西隅の石垣側には行けません。
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なので、左に進みます。
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篠山城 刻印を検索すると、必ずと言っていいほど出てくる「三佐之内」。角度を変えて見たりしたけど、あまりハッキリしません(もしかして、これじゃないって事はありませんよね)。
この文字は普請奉行であった池田輝政の事と云われていますが、池田家家臣の名の説もあるそうです。 -
斜面を下った先に埋門の開放時間の表示がありました。南馬出方面から訪れる人も多いのかな。
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北西石垣下の内堀端に巡る犬走りは、以前は歩けたそうですが工事のため進入禁止になっていました。
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土橋を渡って、三の丸から内堀を跨いで見た主郭部南辺。右端が天守台。
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石垣の下に碑が見えたので藩主のものかと思ってズームしたら、農校発祥の地と記されていました。1933(昭和8)、篠山城跡旧大書院において開校した現在の県立篠山産業高等学校の碑は、元々は篠山城跡に建立され時が流れ校名や科も変わっているそうですが、歴史ある場所が発祥の地なんてかっこいい。
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桜の時期に再訪したい。
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近付いたり離れたりして石垣を眺めます。往時は建物まであったなんて、よく半年で築城したものです。
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説明板の所から0°北に向かって撮影。だからどうしたと自分でも思いながら遊んでみました。分かったのは、天守台は縄張りの南側にあるってこと。
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三の丸広場よりの遠景。向かって左が、埋門跡から下りてきた斜面。
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右に見えるのが篠山小学校。
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現在、三の丸にある土塁状の盛土は往時通りの復元ではなく、こんな雰囲気ですよと作られたものです。
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南馬出から城外に出られますが、外堀周囲を歩くのが大変なので、蓮に関する説明板と堀にいた水鳥をしばらく眺めてから来たルートを戻りました。
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北側大手に戻り、三の丸広場を歩いてみます。
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説明板によると、本丸と二の丸を囲む内堀は廃城後に埋め立てられ石垣の大半は抜き取られていたことから、発掘調査の成果をもとにした内堀の整備が行われたそう。江戸時代の古絵図により、この場所は内堀石垣と一体となった櫓台があったことが分かりましたが、石垣の高さに関する資料はなく、往時のものとは異なるところがあるようです。
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折れ曲がった石垣。それと犬走り。ここ、歩きたかったな。
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天守台跡から見えた篠山小学校へ。
開校は1873年(明治6)。改称や篠山城跡大書院への移転を経て、1910年(明治43)に三の丸東の現在地に築造されたそうです。近くには幼稚園もありました。 -
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木造校舎は珍しく、薄いピンクが小学校らしくて素敵。
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敷地には入らないとしてもズームして撮るのはどうかと思ったけど、案内板が出ているくらいだったので、配慮しながら撮影させていただきました。
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古さを感じる傷み具合がなんとも言えません。
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小学校の近くにあった顕彰碑。
一部抜粋すると「道なき道を拓き − 昼夜にわたる労役のもと − 途上 事故で尊い命が失われ 血を流す者 病に斃れる者数知れず まさに血と汗の結集なり」
みなさんのおかげで、こうして城めぐりを楽しめています。合掌。 -
13:38
城跡の見学後は武家屋敷群をめぐる時間はなく、まっすぐに二階町に戻って来ました。バス停近くで半額だという焼き栗を1袋買って、3時間半かけた篠山のまち歩きはおしまい。 -
13:46
二階町バス停から篠山口駅に戻りましたが、10分ほどバスが遅れて来たので、予定した電車に乗り遅れるのではと焦りました。それを逃したら、次の電車は1時間後。駅到着後、急いでコインロッカーから荷物を取り出し改札へ。
1分前に無事ホームに到着。次は神戸・元町に向かいます。
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