2024/11/13 - 2024/11/15
1066位(同エリア6938件中)
杏仁豆腐さん
京都3日目は、ホテルを出て、六波羅蜜寺に向かいました。
2022年「令和館」が新設されたので、空也上人立像に久しぶりにお会いするのが目的です。そして、河井寛次郎記念館、方広寺、豊国神社、蓮華王院と歩いて巡りました。京都は目的以外でも歩いていると偶然に出会う場所もあり、興味深く、飽きることがありません。
☆1日目
東京(08:42)→のぞみ311号→京都(10:57)
京都駅→(taxi)→桂離宮
桂離宮→桂駅→上桂駅→地蔵院(竹の寺)→バンブーコーヒー京都→華厳寺 (鈴虫寺)→月読神社→松尾大社→松尾大社駅→(阪急電鉄)→大宮駅→ホテル
夕食 モリタ屋四条猪熊本店(すき焼き)
☆2日目
烏丸駅→(烏丸線)→国際会館駅→(taxi)→古知谷阿弥陀寺→(taxi)→寂光院→芹生(昼食)→三千院→宝泉院→(taxi)→国際会館駅→(烏丸線)→今出川駅→晴明神社→(taxi)→松前屋・大極殿本舗本店→ホテル
夕食 東華菜館 本店(北京料理)
☆3日目
六波羅蜜寺→河井寛次郎記念館→方広寺・豊国神社→前田珈琲 京博店(昼食)→三十三間堂→(taxi)→京都駅
京都(15:13)→のぞみ406号→東京(17:24)
〇ホテル アーバンホテル京都四条プレミアム
秋の京都①(1日目前半)☆桂離宮・地蔵院(竹寺)☆バンブーコーヒー 京都☆2024/11/13
https://4travel.jp/travelogue/11942955
秋の京都②(1日目後半)☆華厳寺(鈴虫寺)・月読神社・松尾大社☆モリタ屋四条猪熊本店☆2024/11/13
https://4travel.jp/travelogue/11943926
秋の京都③(2日目前半)古知谷阿弥陀寺・寂光院☆芹生☆2024/11/14
https://4travel.jp/travelogue/11944143
秋の京都④(2日目後半)☆三千院・宝泉院・晴明神社☆松前屋・大極殿本舗本店・東華菜館本店☆2024/11/14
https://4travel.jp/travelogue/11944737
秋の京都⑤(3日目)☆六波羅蜜寺・河井寛次郎記念館・方広寺・豊国神社・蓮華王院☆前田珈琲 京博店☆2024/11/15
https://4travel.jp/travelogue/11946107
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー 新幹線 徒歩
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朝、ホテルを出て、六波羅蜜寺に向かいます。
途中の高木珈琲店 高辻本店で朝食です。 -
モーニングのAセット
トースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、ポトテサラダ
美味しいモーニングです。 -
珈琲
オリジナルのカップがよい -
高瀬川
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高辻橋
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高瀬舟船廻址
高瀬川には、四条通より下流に船廻し場が設けられており、舟の追い越しや回転がなされました。 -
松原橋を渡ります。
-
松原橋は、五条大橋から一つ上流で鴨川に架かる橋です。
平安時代にはこの橋が五条の橋でした。牛若丸(源義経)と弁慶が戦ったとされる五条の橋は、この松原橋ということになります。
豊臣秀吉による五条の橋の架け替えにより、この橋は松原橋と改称されました。松原通はかつての五条大路で、清水寺へと続く参道であり大いに賑わっていたそうです。 -
六道之辻
六道とは、仏語で衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界、すなわち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上を言います。
六道の辻は、六道へ通じる道の分かれる所の意で、一般的に珍皇寺の門前のことを言います。 -
西福寺
平安時代の貞観年間(859年 - 876年)に、空海が自作の土仏地蔵尊を、「六道の辻」に建立した地蔵堂に祀ったのが当寺の始まりとのことです。 -
みなとや幽霊子育飴本舗
日本一歴史がある飴屋です。
約450年の歴史を持ちます。
幽霊子育飴の原材料は麦芽糖とザラメ糖のみを使用し、それらだけを溶かし、容器に流しこみ固めて作っています。 -
由来
~母の深い愛情の物語~
命をつないだ飴の由来 今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て
土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし
妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜なよな飴を
買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。
此の児八才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高吊な僧になる。
寛文六年三月十五日、六十八歳にて遷化し給う。されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と
唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるゝに至る。
洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外に
なしと今に及んで京の吊物の吊高き品となれりと云う。らんすい
亡くなった母の魂が、わが子のために飴を届け、大切な命を
守りぬいたという言い伝えをみなとやでは450年以上も伝え
続けています。京都にお越しの際は、お店にお越しいただき、
命をつないだ飴を堪能してみてください。
みなとや幽霊子育飴本舗 -
六波羅蜜寺に到着
福寿弁財天堂 -
一願石
ひとつの願い事を祈りを込めながら、金文字から手前に3回まわすと、願い事を叶えてくれる不思議な石。 -
天暦5年(951)、醍醐天皇の皇子・光勝空也上人が建立した真言宗智山派の寺院。
西国三十三所霊場の第十七番札所でもあります。 -
右が阿古屋塚
平家物語に登場する平景清の恋人で白拍子の阿古屋の塚と言われています。
左が平清盛の供養塔 -
六波羅蜜寺の境内で発見されたお地蔵さま。
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此附近平氏六波羅第跡
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御本尊 御開帳12年に一度の辰年、御本尊である国宝十一面観世音菩薩立像が御開帳です。
そのため、多くの人が訪れていました。 -
951年に京都で疫病が流行った際、空也上人が自ら刻まれたと伝わる十一面観世音菩薩立像。その御仏を荷車に載せて市中を曳き廻り、小梅と結び昆布をいれた薬湯(皇服茶)を病人に授け疫病を鎮めたと伝わります。
2024年11月3日(日)~12月5日(木) 12年ぶりに御厨子の扉が開かれました。 -
2022年5月22日、六波羅蜜寺の文化財を収蔵・展示する「令和館」が新設されました。
空也上人立像(重要文化財)の他、平安期の薬師如来坐像(重要文化財)や
鎌倉期の平清盛坐像(重要文化財)など、重要文化財14体を含む17体を見ることができます。
六波羅蜜寺での空也上人は、2020年以来、東京国立博物館では2022年以来の御対面です。
晩秋の京都⑤(3日目前半)☆六道珍皇寺・六波羅蜜寺・若宮八幡宮☆みなとや幽霊子育飴本舗☆2020/11/25
https://4travel.jp/travelogue/11666188
空也上人と六波羅蜜寺 東京国立博物館☆川しま☆レボン快哉湯☆2022/03/11
https://4travel.jp/travelogue/11743491 -
曹洞宗高祖 道元禅師御説法之御遺蹟
寛元元(1243)年4月29日六波羅蜜寺に於て「正法眼蔵」「古仏心」の巻を、衆に示された。
このことを顕彰するために、ここに建碑する。 -
なで牛
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銭洗い弁財天
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六波羅蜜寺から河井寛次郎記念館に来ました。
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久しぶりの河井寛次郎記念館です。
40年ぶりくらいでしょうか。 -
大正から昭和にかけて活躍した河井寛次郎は、陶芸家、詩人、造形作家、インテリアデザイナーなど、多様な顔を持つ芸術家です。
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昭和12年(1937)に自らが設計して建てた工房と自宅が、昭和48年(1973)から記念館として公開されています。
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記念館の大部分は河井寛次郎が家族と暮らしていた当時のままだそうです。
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「暮しが仕事 仕事が暮し」の言葉を残した陶工・河井寛次郎。
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京都の町中にあるにもかかわらず、当時の暮らしをそのままに感じる静かな空間です。
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広々とした中庭。
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河井寛次郎は、明治23(1890)年8月24日島根県安来に生まれました。
大正9(1920)年、現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持ち独立、つねと結婚。大正13年には娘・須也子をもうけます。 -
昭和12(1937)年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。
昭和41(1966)年11月18日、76歳で亡くなりました。 -
家具や調度類のデザインも自身が手がけたもので、さりげなく洒落た装飾がされた家具や窓枠などに、寛次郎のこだわりを見ることができます。
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河井寛次郎記念館に来ているのは、ほとんど外国からの観光客です。
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付近には、近年ホテルがかなり建ち、通りにも外国の方々が目立ちます。
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河井寛次郎のいろいろな作品を間近に見ることができます。
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記念館の最奥には、寛次郎が実際に使っていた登り窯が遺されています。
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昭和30年代に横幅を1メートルほど縮小されたそうですが、それでもその大きさに驚かされます。
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町家にしては広めの中庭です。
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日本古来の寛ぎを感じます。
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急な階段を上って、二階へ行きます。
2階床梁から吊されている数珠は手すりとして使われています。 -
床の間の掛けられているのは、柳宗悦から、娘の須也子さんの結婚祝い品として贈られた掛け軸です。
楽しみ其の中に在り -
窓が大きく、開放的な部屋です。
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窓辺では、猫ちゃんが気持ちよさそうにお昼寝。
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置いてあるものが、一つ一つ素敵です。
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ゆっくりしたい部屋です。
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棟梁に設けられている滑車です。
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河井寛次郎が当時使っていた家具や道具は、「そこが居場所です」と主張しているようです。
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人の営みを感じる空間。使い手があってこその作品です。
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河井寛次郎記念館を出て、方広寺に来ました。
大佛殿石垣
天正14(1586)年、豊臣秀吉は奈良の大仏に匹敵する、高さ六丈三尺(約19メートル)の木製金漆塗坐像大仏を造営しました。 大仏が安置された大仏殿は二重瓦、高さ二十五間(約49メートル)、桁行四十五間二尺七寸(約88メートル)、梁行約二十七間六尺三寸(約54メートル)という壮大なもので、文禄4(1595)年頃に完成しました。その周囲には巨大な石垣がめぐらされました。 -
方広寺 鐘楼
創建は、 豊臣秀吉の発願で天正14(1586)に建てらました。慶長元年(1596)の大地震の後、秀頼と淀君によって再建されましたが、そのときに鋳造された鐘に「国家安康・君臣豊楽」と刻んだことが、徳川家康の怒りを買い、その後、豊臣家は滅亡の道を辿りました。 -
梵鐘に刻まれた銘文の中で、白く囲われた箇所があります。
これが『国家安康??君臣豊楽?です。 -
鐘楼の天井には、迦陵頻伽(かりょうびんが)が描かれています。迦陵頻伽は、仏典に登場する想像上の鳥です。
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本堂です。
かつての大仏の10分の1の大きさで江戸期に造られた盧舎那仏坐像や、大仏殿の欄間に施されていた左甚五郎作の龍の彫刻(部分)などが残ります。
通常非公開です。 -
大黒天堂
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槇本稲荷神社
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豊臣秀吉像
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豊国神社 唐門
桃山時代建築の国宝建造物です。
本殿正面に建つ四脚唐門。南禅寺金地院から移築された。伏見城の遺構と伝えられ、欄間や扉などに豪華な装飾が施されています。 -
京都美術工芸大学芸術学部3年「プロジェクト演習Ⅲ」の1つ「豊国神社干支オブジェ制作プロジェクト」で制作した作品「運山青昇龍(うんざんせいしょうりゅう)」が奉納されています。
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「豊国大明神」の扁額
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拝殿、本殿が見えます。
普段は唐門から奥に入る事が出来ません。 -
宝物館
宝物館は大正13年(1924)に秀吉の正室である北政所の没後300年を記念して着手され、翌年12月に開館しました。
設計者は“関西近代建築の父”と呼ばれ、京都市役所本庁舎など数々のモダン建築を手掛けた武田五一。当時の最先端技術を採り入れた鉄筋コンクリート造りです。
豊国祭礼図屏風などを見ることができます。 -
大鳥居
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耳塚(鼻塚)
この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手を伸ばそうとして朝鮮半島に侵攻した「文禄・慶長の役」の際に造られたもので、高さ約7mの塚の上に五輪塔が据えられています。
秀吉が配下の武将に敵の首を送れと指示したことから、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬けにして日本へ持ち帰り、埋めたものです。 -
前田珈琲 京博店でランチです。
外から入ることができます。 -
見晴らしのいいガラス張りの開放的な店内です。
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赤味噌ハヤシライスをいただきました。
西京味噌を使っています。
国産牛バラ肉と玉葱の甘さが旨味です。 -
蓮華王院に来ました。
天台宗の古刹です。鎌倉時代に再建された本堂は南北約120メートルの長大なお堂で国宝に指定されています。堂内の内陣にある柱間が33あることから「三十三間堂」と通称されています。 -
東大門
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久寿2年(1155)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲って以後、上皇として「院政」をおこないました。
三十三間堂は、その御所に長寛2年(1164)造営されましたが、80年後に焼失し、まもなく後嵯峨上皇によって再建されました。 -
鎌倉時代に再建された本堂は南北約120メートルの長大なお堂で国宝に指定され、安置されている本尊千手観音坐像はじめ千体千手観音立像など諸仏すべてが国宝です。
千手観音立像は、平成30年(2018)にそのすべてが国宝指定されたことを記念して、国立博物館に寄託されていた像が本堂に還座し、1,001体が勢ぞろいしました。
また、同年に二十八部衆像と風神・雷神像の配置が、鎌倉時代の版画やこれまでの学術研究に基づき、本来の状態に戻されました。 -
何回か来ている蓮華王院ですが、時間もあったので、じっくりと見ました。
千手観音坐像は、像高が355cm、桧材の寄木造りで玉眼(水晶材)が嵌め込まれ、全身に漆箔が施されています。
四十二手で「千手」を表す通例の像形で、台座は八角七重の蓮華座、光背は舟形に雲形や宝樹形を透かし彫りしています。鎌倉期の再建時に、大仏師湛慶(たんけい)が同族の弟子を率いて完成させました。
千体の観音像は正式に「十一面千手千眼観世音菩薩」と呼ばれ、観音が困苦の衆生を救うために「十一面と千手千眼」の姿を具備されたものとされます。 -
以前、蓮華王院を訪れた時と異なり、参進閣(参拝者用玄関通路)がリニューアルされ、とてもきれいになっていました。
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鐘楼
この梵鐘は、毎日8時20分と17時に鳴らされ、拝観時間の開始と終了を告げる役割を果たしているそうです。 -
法住寺殿址
1158年(保元3年)に子の二条天皇に譲位した後白河上皇の院庁として造営されたのが法住寺殿。1161年(永暦2年)に完成。 -
法然塔(名号石)
1204年(元久元年)、土御門天皇が蓮華王院で後白河法皇の十三回忌を行った際、法然は天皇の特請によって声楽に秀でた僧侶を集めて「六時礼賛」という法要を修し、参集の人々に紙筆を与えて写経を勧めたそうです。
南無阿弥陀仏と刻まれた石碑は、その事跡を記念するものです(鎌倉時代)。 -
夜泣泉(よなきせん)
本堂創建の翌年(1165)六月七日、堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で「『古今著聞集』には「いつも冷たく美味く汲んでも尽きず、汲まぬ時は余らざる不思議な泉。」と記されています。
夜のしじまに湧き出す音が“すすり泣き”に似ることから“夜泣き”泉と言われるようになり、いつからか地蔵尊が奉られ、その「前掛け」を持ちかえり子供の枕の下に敷けば“夜泣き”が治癒するとの信仰がうまれたそうです。 -
昭和36年(1961)の後白河法皇770回忌記念事業の際に、「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作氏により造園されました。
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庭園内には、遊歩道が整備されています。
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広々とした庭は、心が休まります。
蓮華王院からタクシーで京都駅へ。京都駅から帰路につきました。
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