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《2024.November》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのLV石山~石山寺あたら夜もみじ2024編~<br /><br />11月最終日となった今日は、12:00出勤と少し早めであった。元々余裕を持った行動が〝できない〟私故に余裕を持って出勤することもまずしない。そんな私ではあるが、バスが減便されたことにより〝ギリギリ〟の選択はイコール遅刻する可能性が高いという結果を齎すことに最近気が付いた。毎時31分発というバスが、昼間の時間帯に運行を休止しているために、その前の11分か若しくはその後の41分のバスに乗ることを余儀なくされている。41分でも何もなければ間に合うのだが、渋滞に少しでも巻き込まれるとOUTとなる。今は交通機関の〝延着証明〟で遅刻は消すことはできるものの、さすがにそれでは…となってしまう。そんな背景があり止むを得ず11分発のバスを利用するようになった。しかし天気の良い週末は、最近渋滞が酷くなりつつあり、余裕〝あり過ぎ〟の出発でも、普通の時刻にしか到着できないことも増えた。今日は偶々早めに準備できたので、いつもより30分早い時間のバスに乗り、軍資金を駅前で調達してから出勤する予定であった…はずだったのだが、予定時刻になってもバスが来ない。まぁ時間的な余裕はあるので気長に待っていると5分遅れでやっとバスが到着する。どうやら石山寺付近の混雑により遅延が発生しているらしい。確か行楽期は門前駐車場の乗用車利用が出来なくするようなことが書かれていた記憶がある。駐車場に入る車による渋滞を緩和する筈だったが、結局〝臨時駐車場〟の情報が伝わっていないようで、結局のところ例年と同じになっている。加えてそちら方面に向かう〝脇道〟的な道路までが渋滞し、到着時刻が全く読めない状況になってしまっている。結局倍の所要時間を要し、職場到着は12:00キッカリ。遅刻は免れたが、軍資金もない状態。朝から機嫌が悪くなっている自分に気付く。加えて癪に障るような電話が来るなど、ここ数年職場で〝怒り〟を見せていなかったこともあり、逆に同僚から〝怒ることあるんですね~〟なんて感心されたりもした。このまま仕事を終えて帰ったら、この怒りを持ち帰ってしまう…と考えた私はふと腹を立てた最初の理由に回帰する。つまり石山寺の混雑のことだ。退勤後に行くならば大手を振って行くことができると自己暗示をかけて、定時退勤し先ずは軍資金を調達する。仕事中は禁煙なので約8時間ぶりに駅前の喫煙所を利用して一服し、石山寺への移動につく。いつもの田舎の赤バス利用は変わらないが、今回利用するのは4号系統大石小学校前行きである。19:55田舎駅のバス停を出発し、石山寺山門前バス停には20:02に到着。横断歩道を利用するが、やはりよそ者ナンバーは止まる気配すら見せない。半ば強引に道路を渡り、数年ぶりのあたら屋もみじ開催中の石山寺へとやって来た。例年設けられているチケットブースで入場料を支払う。チケット代は1,000円也、高くなったものだと改めて思う。<br /><br />愚痴を言っても始まらないので会場入りする。東大門をくぐって最初に見る参道は、石山寺の〝顔〟と言っても過言ではない場所である。そんな参道脇には紅葉の木が立ち並び、紅葉参道らしい雰囲気を醸し出している。今年は大河ドラマ〝光る君へ〟の舞台として、石山寺が取り上げられたことから〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟なる展示も行われている。あたら夜もみじ開催期間中は夜も開催されているので、あとで立ち寄るとし、順路沿いに歩いて行く。僧坊手前から〝淳浄館〟〝拾翠園〟と続く。拾翠園は園庭に八龍龍王社があることで知られており、確か〝休憩所〟的な役割だったと記憶していたのだが、現在では〝石山寺物産館紫〟と言うお土産物屋になっていた。もっとも大河ブームの間だけなのかも知れないが…。<br /><br />拾翠園の斜め前に位置する公風園は、普段は一般開放されてはいない。パンフレットにも記載の通りあたら夜もみじの期間のみ夜間解放されている場所である。庭を取り巻くように竹林があり、それが緑色にライトアップされている。紅葉のライトアップと言えば暖色系のライトアップが多いようだが、そんな中で寒色系の緑色に浮き上がる様は幻想的である。そんな場所故に〝撮影ポイント〟であるために人の流れが悪くなる傾向がある。子供がはしゃぎ回るのは良いのだが、足元は砂利敷きなので、狭い園内で走ると怪我する可能性もある。そう言ったところは親が注意を払うことではないかとふと独り者の私は思う。<br /><br />公風園隣には大河ドラマの資料館となっている明王院と世尊院がある。前者が〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟、後者が〝源氏物語恋するもののあはれ展”〟を開催中である。明王院は〝この時期〟のものであるが、世尊院は少し微妙なところがある。〝紫式部ゆかりの石山寺〟というキャッチフレーズは今に始まったことではない。そのため源氏物語に纏わるイベントは継続的に開催し続けられてきた。展示内容からその流れを組んでいる部分は感じ取れる箇所はありもするが、ここで言われている〝平安時代とつながるもののあはれな恋〟に現代に於ける〝恋愛物語〟は、今も昔も変わらない的な部分があるようにイラスト化された描写が為されている。勿論恋愛そのものに今昔はなく、恋焦がれる想いは普遍のものである。しかし現代チックなイラストを見ると、大河ドラマがリアルに対しあはれな恋は夢見る乙女チックなギャップを感じずにはいられない。勿論イラストの出来があまりにも完璧過ぎる故に出て来てしまう“弊害”だとも感じるのであるが、ちょっとこじつけ感の強さを感じた私であった。<br /><br />まぁ人によって思うことは違って当然と思いながら世尊院を出て来た。いつもならばこの付近にチケットブースがあるのだが、夜間拝観実施中に於いて昼間は無料エリアの参道や僧坊もイベント会場となっているために東大門での入山料徴収となっている。また急に夜間拝観料が上がったと勘違いしたのは、〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟と〝源氏物語恋するもののあはれ展〟の入場料を含んでいるということであった。故に昼間であれば無料エリアにある明王院と世尊院に入るかどうかは任意であり、石山寺入山料だけならば600円である。しかし資料館の入場料だけでも600円するために、別々に料金を支払うと1,200円となってしまう。因みにセット券は1,000円であり、あたら夜もみじの入山料と同じである。夜間拝観は東大門から有料エリアとなるために、当然有料エリアにある明王院と世尊院は入る体で入山料を徴収していると考えれば納得出来る。そんな蘊蓄に感心しながらくぐり岩に到着する。潜ると願い事が叶うご利益があるとされるパワースポットだが、先客がいたのでその姿だけをカメラに収めて出発する。次に硅灰石広場に至る石段横の手水舎に立ち寄る。この大石段はプロジェクションマッピングを行うなどライティングイベント自体に利用されることが多く、尚且つ急なものなので夜にはあまり利用させていないものである。ただ今年は石段両脇に提灯が吊り下げられており、歩く分には問題なさそうだ。もっともまだ先にライトアップされている場所があるためにどれだけの利用者がいるのかは不明ではあるが…。<br /><br />そんな大階段を通り過ぎ、辿り着いた先は閼伽井屋の池。逆さもみじが望める場所である。背景にある紅葉に照明があたり、池の水面にその姿が浮かび上がる。あたら夜もみじ屈指の名所として、その姿がイベント情報に取り上げられる場所でもある。勿論フォトスポットであるために人は集まるが混雑しているというものでもない。確かに水面に映る景色は幻想的ではあるが、特に池の水が綺麗だとも思えない。そのあたりは逆に水質が良いから綺麗に映る訳ではないので、相関関係はなんとも言えないのだが、今に限って言えば〝さかさもみじ〟を映し出しているだけで良いのかも知れないと割り切って、その景色を切り取って先へと向かうことにした。<br /><br />補陀落山の石標を越えたところにある無憂園。菖蒲の名所として知られている場所ではあるが、年によって夜間拝観時にはライトアップ会場となる場所である。今年はその会場に選定されているが、ライトアップされているだけだったので、カメラの腕を必要とせずその様子を写真で切り取ることが可能であった。<br /><br />無憂園を後にして硅灰石前広場に繋がる脇階段へと向かう途中に注連縄が巻かれた岩がある。天智天皇の石切り場と記されているこの場所は、第三十八代天智天皇の御世に石切り場であったとされている場所であり、採石跡が残されている。これは近年の調査により天智天皇が明日香川原宮跡に川原寺を建立した際、中金堂の礎石として利用されたことが明らかになったためだとされている。この川原宮は天智天皇の母であり、第三十七代斉明天皇(第三十五代皇極天皇・重祚)の治世に飛鳥板蓋宮が火災に遭ったために川原宮に移ったが、その一年後に後飛鳥岡本宮を建てて遷宮したとされており、仮住居的なものだったとされている。ただ後飛鳥岡本宮も放火されて焼失し、その後唐と新羅によって滅ぼされた百済復興の戦のために九州に作られたと言われる朝倉橘広庭宮で斉明天皇は逝去。称制期間七年の後中大兄皇子が天智天皇として即位している。母の菩提を弔うために川原寺を宮跡に建立したが、天智天皇の御世は僅かに四年足らずであり、後を継いだ息子の第三十九代弘文天皇は僅か七ヶ月で壬申の乱に於いて天智天皇の弟にあたる大海人皇子に敗死している。僅か十年程の短い期間に明日香・難波・大津京と遷宮された中で、実際にはどの時代に川原宮跡に川原寺を建立したのかは記録が残っておらず不明である。もしかすると大津京造営の際に見つかった〝石〟を川原寺に用いたのかも知れないが、それはそれでわからないまま〝古代のロマン〟としておくのが一番良いのかも知れない。石山寺縁起絵巻に承暦二年(一〇七八)の本堂火災の場面に今と変わらぬ切り出し途中の岩が描かれていることが石切り場の存在をしめすものとなっており、それに加え飛鳥時代の建物に石山寺界隈の石が用いられていたという史実は、石山寺が創建された奈良時代天平19(747)年より前のこととなり、石山寺創建前一世紀には既に〝石〟の存在が認知されていたことを示しているということに繋がることになる。詳細となると過去のことを知るには限界はあるものの、石切り場から創建された石山寺という繋がりは、語呂を含めて素晴らしき歴史ある場所として捉えるのに不足はないだろう。創作部分もあるとしても創建前からの石切り場=石山寺と考えると余計に歴史的な空想が広まると言っても過言ではないと感じたのは私だけではないだろう。そんな想いに耽りながら先へと進んで行く。<br /><br />階段を上って行くのだが、照明は〝石山寺〟と書かれた提灯である。これを入れて背景を紅葉ライトアップにすればなかなか良い写真になるとは思うのだが、脇階段の広さは余裕ある広さではないために、そのアングルを考えながら写真を撮るには向いていない。取り敢えず枚数を撮っておいて後で選べば良いかと思い、そうしたのだが結局のところそう上手くは行かなかった残念…。<br /><br />そうして硅灰石前広場に到着する。ここには蓮如堂・観音堂・毘沙門堂等石山寺に於ける歴史的建物が立ち並ぶ場所であるのだが、今回のライトアップでは活用されておらず扉が閉まっていた。毘沙門堂脇の宝篋印塔の背景の紅葉ライトアップは素晴らしく、こちらも今年のあたら夜もみじの撮影ポイントのひとつであろう。そして石山寺の名前の由来ともなっている硅灰石は、その後ろにライトアップされた多宝塔が見えなかなかの景色を作り出していた。その後本堂に上るが、どうやら本堂はコンサート開催時のみの開帳で、今晩はクローズされていた。あの〝紫式部人形〟の故障時以降になされたバージョンアップを確認したかったのだが、それも出来ず舞台から眼下の紅葉の景色のみをカメラに収めるに留まった。<br /><br />このあたりからカウントダウンが始まったのか?観光客の逆走防止のスタッフが横一列になってグズグズしている観光客を急かして行く。あまり見た目は良くないのだが、石山寺の夜間拝観時には必ず行われている行為なので、適当に気にしながら進んで行く。初代神武天皇から第三十八代天智天皇迄を祀った三十八所権現社は、何故に神道?と思わせるが細かいことは抜きにして、ここから見下ろした紅葉ライトアップは私個人的に一番キレイに見える景色だと思っている。そして硅灰石脇の通路を進みながら、硅灰石と紅葉ライトアップのコラボを楽しみながら進んで行った。今年度のあたら夜もみじ夜間拝観の最高地点は、国宝多宝塔前に至る階段の下であった。ライトアップされた多宝塔は勿論素晴らしいのだが、どうしても下方から眺めると塔の下部が見えないためにその美しさが半減してしまうのは残念だった。でも硅灰石情報から眺めた〝石の芸術〟と紅葉ライトアップのコラボはまさに圧巻であり、少し物足りないと感じていたあたら夜もみじ2024年版にとっては良いアクセントになっていたように感じた。<br /><br />そのまま順路を進むと鐘楼がある。いつもならばカメラに収めている観光客も少なくはない場所ではあるが、この追い立てられる時間故に塔前でのんびりとしていた方はいなかったようだ。硅灰石横の階段を下りると多宝塔と硅灰石のコラボ写真の撮影ポイントに戻ってくるのだが、これは逆走になるようでそちらに進むことは止められていたようだ。ならば残りは下山のみとなる。御影堂前からの提灯が灯りとなっている下向坂の石段を下って行く。九十九折になっている階段は、その曲がり角の部分を上から撮るとなかなかの仕上がりとなる。この辺りはモバイルカメラで適当に撮影をしながら歩くことが出来るから便利である。そして大黒天堂を抜けると参道へと戻って来る。とはいえ私がいる立ち位置が押し出し隊のすぐ前のために振り向く余裕はない。行きは東大門方向から、帰りは東大門方向の紅葉ライトアップをカメラに収めて東大門を出ると間もなく照明が落とされる。本日令和6(2024)年11月30日のあたら夜もみじはこれにて終了と相成った。<br /><br />石山寺の中は全て禁煙となっており、灰皿がおいてある市営駐車場に設けられているトイレ横のベンチまでやって来た。取り敢えず一服タイム~と調子に乗っていると、まさかの帰りに乗車予定のバスが目の前を通り過ぎて行った。行ってしまったものは仕方がないのだが、次のバスまで約30分の待ち時間がある。何故か私が石山寺を訪れると、帰りのバスに乗り遅れるジンクスが続いている。今回も例に漏れずバスが行ってしまった。とはいえこの辺りはバスに乗り遅れるといつも〝歩いている道〟なので、今回もそれに従うことにした。バスが通るルートは直角三角形の二辺を走るために3km程の距離となるが、そこを歩く場合は〝斜辺ルート〟を歩くため2km程迄短縮される。平日であれば必ず途中で次のバスに抜かされるのだが、今回は次のバスが駅を出発する時間に自宅に到着した。無事に着いたのは良いのだが、怖いのは翌日以降にやってくる筋肉痛だ。運動不足と加齢で翌々日に筋肉痛に襲われることが多くなってきた。しかし今回に限っては3日後の今日12月3日でもまだ筋肉痛がやって来ない。明日来るのか?と毎夜毎夜不安になるもの好き約一名の紅葉ライトアップ散策の旅は一応無事終わったのであった。<br /><br />  《終わり》

《2024.November》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅その LV石山~石山寺あたら夜もみじ2024編~

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2024/11/30 - 2024/11/30

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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《2024.November》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのLV石山~石山寺あたら夜もみじ2024編~

11月最終日となった今日は、12:00出勤と少し早めであった。元々余裕を持った行動が〝できない〟私故に余裕を持って出勤することもまずしない。そんな私ではあるが、バスが減便されたことにより〝ギリギリ〟の選択はイコール遅刻する可能性が高いという結果を齎すことに最近気が付いた。毎時31分発というバスが、昼間の時間帯に運行を休止しているために、その前の11分か若しくはその後の41分のバスに乗ることを余儀なくされている。41分でも何もなければ間に合うのだが、渋滞に少しでも巻き込まれるとOUTとなる。今は交通機関の〝延着証明〟で遅刻は消すことはできるものの、さすがにそれでは…となってしまう。そんな背景があり止むを得ず11分発のバスを利用するようになった。しかし天気の良い週末は、最近渋滞が酷くなりつつあり、余裕〝あり過ぎ〟の出発でも、普通の時刻にしか到着できないことも増えた。今日は偶々早めに準備できたので、いつもより30分早い時間のバスに乗り、軍資金を駅前で調達してから出勤する予定であった…はずだったのだが、予定時刻になってもバスが来ない。まぁ時間的な余裕はあるので気長に待っていると5分遅れでやっとバスが到着する。どうやら石山寺付近の混雑により遅延が発生しているらしい。確か行楽期は門前駐車場の乗用車利用が出来なくするようなことが書かれていた記憶がある。駐車場に入る車による渋滞を緩和する筈だったが、結局〝臨時駐車場〟の情報が伝わっていないようで、結局のところ例年と同じになっている。加えてそちら方面に向かう〝脇道〟的な道路までが渋滞し、到着時刻が全く読めない状況になってしまっている。結局倍の所要時間を要し、職場到着は12:00キッカリ。遅刻は免れたが、軍資金もない状態。朝から機嫌が悪くなっている自分に気付く。加えて癪に障るような電話が来るなど、ここ数年職場で〝怒り〟を見せていなかったこともあり、逆に同僚から〝怒ることあるんですね~〟なんて感心されたりもした。このまま仕事を終えて帰ったら、この怒りを持ち帰ってしまう…と考えた私はふと腹を立てた最初の理由に回帰する。つまり石山寺の混雑のことだ。退勤後に行くならば大手を振って行くことができると自己暗示をかけて、定時退勤し先ずは軍資金を調達する。仕事中は禁煙なので約8時間ぶりに駅前の喫煙所を利用して一服し、石山寺への移動につく。いつもの田舎の赤バス利用は変わらないが、今回利用するのは4号系統大石小学校前行きである。19:55田舎駅のバス停を出発し、石山寺山門前バス停には20:02に到着。横断歩道を利用するが、やはりよそ者ナンバーは止まる気配すら見せない。半ば強引に道路を渡り、数年ぶりのあたら屋もみじ開催中の石山寺へとやって来た。例年設けられているチケットブースで入場料を支払う。チケット代は1,000円也、高くなったものだと改めて思う。

愚痴を言っても始まらないので会場入りする。東大門をくぐって最初に見る参道は、石山寺の〝顔〟と言っても過言ではない場所である。そんな参道脇には紅葉の木が立ち並び、紅葉参道らしい雰囲気を醸し出している。今年は大河ドラマ〝光る君へ〟の舞台として、石山寺が取り上げられたことから〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟なる展示も行われている。あたら夜もみじ開催期間中は夜も開催されているので、あとで立ち寄るとし、順路沿いに歩いて行く。僧坊手前から〝淳浄館〟〝拾翠園〟と続く。拾翠園は園庭に八龍龍王社があることで知られており、確か〝休憩所〟的な役割だったと記憶していたのだが、現在では〝石山寺物産館紫〟と言うお土産物屋になっていた。もっとも大河ブームの間だけなのかも知れないが…。

拾翠園の斜め前に位置する公風園は、普段は一般開放されてはいない。パンフレットにも記載の通りあたら夜もみじの期間のみ夜間解放されている場所である。庭を取り巻くように竹林があり、それが緑色にライトアップされている。紅葉のライトアップと言えば暖色系のライトアップが多いようだが、そんな中で寒色系の緑色に浮き上がる様は幻想的である。そんな場所故に〝撮影ポイント〟であるために人の流れが悪くなる傾向がある。子供がはしゃぎ回るのは良いのだが、足元は砂利敷きなので、狭い園内で走ると怪我する可能性もある。そう言ったところは親が注意を払うことではないかとふと独り者の私は思う。

公風園隣には大河ドラマの資料館となっている明王院と世尊院がある。前者が〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟、後者が〝源氏物語恋するもののあはれ展”〟を開催中である。明王院は〝この時期〟のものであるが、世尊院は少し微妙なところがある。〝紫式部ゆかりの石山寺〟というキャッチフレーズは今に始まったことではない。そのため源氏物語に纏わるイベントは継続的に開催し続けられてきた。展示内容からその流れを組んでいる部分は感じ取れる箇所はありもするが、ここで言われている〝平安時代とつながるもののあはれな恋〟に現代に於ける〝恋愛物語〟は、今も昔も変わらない的な部分があるようにイラスト化された描写が為されている。勿論恋愛そのものに今昔はなく、恋焦がれる想いは普遍のものである。しかし現代チックなイラストを見ると、大河ドラマがリアルに対しあはれな恋は夢見る乙女チックなギャップを感じずにはいられない。勿論イラストの出来があまりにも完璧過ぎる故に出て来てしまう“弊害”だとも感じるのであるが、ちょっとこじつけ感の強さを感じた私であった。

まぁ人によって思うことは違って当然と思いながら世尊院を出て来た。いつもならばこの付近にチケットブースがあるのだが、夜間拝観実施中に於いて昼間は無料エリアの参道や僧坊もイベント会場となっているために東大門での入山料徴収となっている。また急に夜間拝観料が上がったと勘違いしたのは、〝光る君へびわ湖大津大河ドラマ館〟と〝源氏物語恋するもののあはれ展〟の入場料を含んでいるということであった。故に昼間であれば無料エリアにある明王院と世尊院に入るかどうかは任意であり、石山寺入山料だけならば600円である。しかし資料館の入場料だけでも600円するために、別々に料金を支払うと1,200円となってしまう。因みにセット券は1,000円であり、あたら夜もみじの入山料と同じである。夜間拝観は東大門から有料エリアとなるために、当然有料エリアにある明王院と世尊院は入る体で入山料を徴収していると考えれば納得出来る。そんな蘊蓄に感心しながらくぐり岩に到着する。潜ると願い事が叶うご利益があるとされるパワースポットだが、先客がいたのでその姿だけをカメラに収めて出発する。次に硅灰石広場に至る石段横の手水舎に立ち寄る。この大石段はプロジェクションマッピングを行うなどライティングイベント自体に利用されることが多く、尚且つ急なものなので夜にはあまり利用させていないものである。ただ今年は石段両脇に提灯が吊り下げられており、歩く分には問題なさそうだ。もっともまだ先にライトアップされている場所があるためにどれだけの利用者がいるのかは不明ではあるが…。

そんな大階段を通り過ぎ、辿り着いた先は閼伽井屋の池。逆さもみじが望める場所である。背景にある紅葉に照明があたり、池の水面にその姿が浮かび上がる。あたら夜もみじ屈指の名所として、その姿がイベント情報に取り上げられる場所でもある。勿論フォトスポットであるために人は集まるが混雑しているというものでもない。確かに水面に映る景色は幻想的ではあるが、特に池の水が綺麗だとも思えない。そのあたりは逆に水質が良いから綺麗に映る訳ではないので、相関関係はなんとも言えないのだが、今に限って言えば〝さかさもみじ〟を映し出しているだけで良いのかも知れないと割り切って、その景色を切り取って先へと向かうことにした。

補陀落山の石標を越えたところにある無憂園。菖蒲の名所として知られている場所ではあるが、年によって夜間拝観時にはライトアップ会場となる場所である。今年はその会場に選定されているが、ライトアップされているだけだったので、カメラの腕を必要とせずその様子を写真で切り取ることが可能であった。

無憂園を後にして硅灰石前広場に繋がる脇階段へと向かう途中に注連縄が巻かれた岩がある。天智天皇の石切り場と記されているこの場所は、第三十八代天智天皇の御世に石切り場であったとされている場所であり、採石跡が残されている。これは近年の調査により天智天皇が明日香川原宮跡に川原寺を建立した際、中金堂の礎石として利用されたことが明らかになったためだとされている。この川原宮は天智天皇の母であり、第三十七代斉明天皇(第三十五代皇極天皇・重祚)の治世に飛鳥板蓋宮が火災に遭ったために川原宮に移ったが、その一年後に後飛鳥岡本宮を建てて遷宮したとされており、仮住居的なものだったとされている。ただ後飛鳥岡本宮も放火されて焼失し、その後唐と新羅によって滅ぼされた百済復興の戦のために九州に作られたと言われる朝倉橘広庭宮で斉明天皇は逝去。称制期間七年の後中大兄皇子が天智天皇として即位している。母の菩提を弔うために川原寺を宮跡に建立したが、天智天皇の御世は僅かに四年足らずであり、後を継いだ息子の第三十九代弘文天皇は僅か七ヶ月で壬申の乱に於いて天智天皇の弟にあたる大海人皇子に敗死している。僅か十年程の短い期間に明日香・難波・大津京と遷宮された中で、実際にはどの時代に川原宮跡に川原寺を建立したのかは記録が残っておらず不明である。もしかすると大津京造営の際に見つかった〝石〟を川原寺に用いたのかも知れないが、それはそれでわからないまま〝古代のロマン〟としておくのが一番良いのかも知れない。石山寺縁起絵巻に承暦二年(一〇七八)の本堂火災の場面に今と変わらぬ切り出し途中の岩が描かれていることが石切り場の存在をしめすものとなっており、それに加え飛鳥時代の建物に石山寺界隈の石が用いられていたという史実は、石山寺が創建された奈良時代天平19(747)年より前のこととなり、石山寺創建前一世紀には既に〝石〟の存在が認知されていたことを示しているということに繋がることになる。詳細となると過去のことを知るには限界はあるものの、石切り場から創建された石山寺という繋がりは、語呂を含めて素晴らしき歴史ある場所として捉えるのに不足はないだろう。創作部分もあるとしても創建前からの石切り場=石山寺と考えると余計に歴史的な空想が広まると言っても過言ではないと感じたのは私だけではないだろう。そんな想いに耽りながら先へと進んで行く。

階段を上って行くのだが、照明は〝石山寺〟と書かれた提灯である。これを入れて背景を紅葉ライトアップにすればなかなか良い写真になるとは思うのだが、脇階段の広さは余裕ある広さではないために、そのアングルを考えながら写真を撮るには向いていない。取り敢えず枚数を撮っておいて後で選べば良いかと思い、そうしたのだが結局のところそう上手くは行かなかった残念…。

そうして硅灰石前広場に到着する。ここには蓮如堂・観音堂・毘沙門堂等石山寺に於ける歴史的建物が立ち並ぶ場所であるのだが、今回のライトアップでは活用されておらず扉が閉まっていた。毘沙門堂脇の宝篋印塔の背景の紅葉ライトアップは素晴らしく、こちらも今年のあたら夜もみじの撮影ポイントのひとつであろう。そして石山寺の名前の由来ともなっている硅灰石は、その後ろにライトアップされた多宝塔が見えなかなかの景色を作り出していた。その後本堂に上るが、どうやら本堂はコンサート開催時のみの開帳で、今晩はクローズされていた。あの〝紫式部人形〟の故障時以降になされたバージョンアップを確認したかったのだが、それも出来ず舞台から眼下の紅葉の景色のみをカメラに収めるに留まった。

このあたりからカウントダウンが始まったのか?観光客の逆走防止のスタッフが横一列になってグズグズしている観光客を急かして行く。あまり見た目は良くないのだが、石山寺の夜間拝観時には必ず行われている行為なので、適当に気にしながら進んで行く。初代神武天皇から第三十八代天智天皇迄を祀った三十八所権現社は、何故に神道?と思わせるが細かいことは抜きにして、ここから見下ろした紅葉ライトアップは私個人的に一番キレイに見える景色だと思っている。そして硅灰石脇の通路を進みながら、硅灰石と紅葉ライトアップのコラボを楽しみながら進んで行った。今年度のあたら夜もみじ夜間拝観の最高地点は、国宝多宝塔前に至る階段の下であった。ライトアップされた多宝塔は勿論素晴らしいのだが、どうしても下方から眺めると塔の下部が見えないためにその美しさが半減してしまうのは残念だった。でも硅灰石情報から眺めた〝石の芸術〟と紅葉ライトアップのコラボはまさに圧巻であり、少し物足りないと感じていたあたら夜もみじ2024年版にとっては良いアクセントになっていたように感じた。

そのまま順路を進むと鐘楼がある。いつもならばカメラに収めている観光客も少なくはない場所ではあるが、この追い立てられる時間故に塔前でのんびりとしていた方はいなかったようだ。硅灰石横の階段を下りると多宝塔と硅灰石のコラボ写真の撮影ポイントに戻ってくるのだが、これは逆走になるようでそちらに進むことは止められていたようだ。ならば残りは下山のみとなる。御影堂前からの提灯が灯りとなっている下向坂の石段を下って行く。九十九折になっている階段は、その曲がり角の部分を上から撮るとなかなかの仕上がりとなる。この辺りはモバイルカメラで適当に撮影をしながら歩くことが出来るから便利である。そして大黒天堂を抜けると参道へと戻って来る。とはいえ私がいる立ち位置が押し出し隊のすぐ前のために振り向く余裕はない。行きは東大門方向から、帰りは東大門方向の紅葉ライトアップをカメラに収めて東大門を出ると間もなく照明が落とされる。本日令和6(2024)年11月30日のあたら夜もみじはこれにて終了と相成った。

石山寺の中は全て禁煙となっており、灰皿がおいてある市営駐車場に設けられているトイレ横のベンチまでやって来た。取り敢えず一服タイム~と調子に乗っていると、まさかの帰りに乗車予定のバスが目の前を通り過ぎて行った。行ってしまったものは仕方がないのだが、次のバスまで約30分の待ち時間がある。何故か私が石山寺を訪れると、帰りのバスに乗り遅れるジンクスが続いている。今回も例に漏れずバスが行ってしまった。とはいえこの辺りはバスに乗り遅れるといつも〝歩いている道〟なので、今回もそれに従うことにした。バスが通るルートは直角三角形の二辺を走るために3km程の距離となるが、そこを歩く場合は〝斜辺ルート〟を歩くため2km程迄短縮される。平日であれば必ず途中で次のバスに抜かされるのだが、今回は次のバスが駅を出発する時間に自宅に到着した。無事に着いたのは良いのだが、怖いのは翌日以降にやってくる筋肉痛だ。運動不足と加齢で翌々日に筋肉痛に襲われることが多くなってきた。しかし今回に限っては3日後の今日12月3日でもまだ筋肉痛がやって来ない。明日来るのか?と毎夜毎夜不安になるもの好き約一名の紅葉ライトアップ散策の旅は一応無事終わったのであった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
32いいね!

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