姫路旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日本全国には、県立美術館、市立美術館があり、郷土作家の作品をメインにしたコレクションがあります。また、印象派を中心とした西洋画の名作も日本各地にあります。最近は、写真撮影がOkとなった美術館も多くなっています。姫路市立美術館も2022年より國富奎三コレクション室(近代フランス絵画モネからマティスまで)につきまして、一部の作品を除き、作品の撮影が可能になりました。※作品解説は、HPを参照

姫路市立美術館(大阪・姫路の旅⑥)

79いいね!

2024/10/20 - 2024/10/20

102位(同エリア2327件中)

旅行記グループ 国内美術館めぐり

0

29

+mo2

+mo2さん

日本全国には、県立美術館、市立美術館があり、郷土作家の作品をメインにしたコレクションがあります。また、印象派を中心とした西洋画の名作も日本各地にあります。最近は、写真撮影がOkとなった美術館も多くなっています。姫路市立美術館も2022年より國富奎三コレクション室(近代フランス絵画モネからマティスまで)につきまして、一部の作品を除き、作品の撮影が可能になりました。※作品解説は、HPを参照

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
新幹線 JRローカル
  • 姫路市立美術館の建物は、明治38年(1905年)に陸軍省技官の宮本平治・井田熊吉の設計により、姫路陸軍兵器支廠(後、第10師団兵器部)の西倉庫として建てられたものです。

    イチオシ

    地図を見る

    姫路市立美術館の建物は、明治38年(1905年)に陸軍省技官の宮本平治・井田熊吉の設計により、姫路陸軍兵器支廠(後、第10師団兵器部)の西倉庫として建てられたものです。

    姫路市立美術館 美術館・博物館

  • 美術館HPより~<br />平成6年に市内在住の國富奎三氏から寄贈を受けた、近代フランス絵画を中心とする50点の作品から、常時約30点を公開しています。<br />このコレクションは、自然主義、写実主義を標榜したコロー、クールベから、印象派のモネやピサロ、野獣派のヴラマンクを経て、モダニズムへの指針を示したマティスまで―我々日本人にもなじみの深い、19世紀から20世紀にかけてのフランス美術が中心となっています。近代フランス美術の流れを辿ることができます。

    美術館HPより~
    平成6年に市内在住の國富奎三氏から寄贈を受けた、近代フランス絵画を中心とする50点の作品から、常時約30点を公開しています。
    このコレクションは、自然主義、写実主義を標榜したコロー、クールベから、印象派のモネやピサロ、野獣派のヴラマンクを経て、モダニズムへの指針を示したマティスまで―我々日本人にもなじみの深い、19世紀から20世紀にかけてのフランス美術が中心となっています。近代フランス美術の流れを辿ることができます。

  • カミーユ・コロー「湖」1860年頃<br />木々に挟まれるように中央に湖が広がっています。地平線は低く、薄明かりの空が広く見えています。遠くに建物が見えますが、おぼろげな輪郭しか確認できないのは、画家が湖に漂う大気を描き出しているからです。湖の手前には小舟に乗る赤い帽子をかぶった人物が、また右の木々の近くに二人の人物がいます。帽子の赤い色は画面に秩序を与えるとともに、視点を木々から湖、そして遠くへと導いていきます。

    カミーユ・コロー「湖」1860年頃
    木々に挟まれるように中央に湖が広がっています。地平線は低く、薄明かりの空が広く見えています。遠くに建物が見えますが、おぼろげな輪郭しか確認できないのは、画家が湖に漂う大気を描き出しているからです。湖の手前には小舟に乗る赤い帽子をかぶった人物が、また右の木々の近くに二人の人物がいます。帽子の赤い色は画面に秩序を与えるとともに、視点を木々から湖、そして遠くへと導いていきます。

  • ギュスターヴ・クールベ「波」1870年頃<br /> 弾ける波、垂れ込める暗雲、そして大きくうねる波の透明感。迫真の描写力によって嵐の前の海岸風景が、ただならぬ力動感と美を湛えてカンヴァスに再現されています。クールベが生まれ育ったのは、海に接することのないスイスとの国境近くのオルナンという町で、初めて海を目にしたのは、22歳の時でした。その後、地中海の風景や英仏海峡の海を数多く描きました。

    ギュスターヴ・クールベ「波」1870年頃
     弾ける波、垂れ込める暗雲、そして大きくうねる波の透明感。迫真の描写力によって嵐の前の海岸風景が、ただならぬ力動感と美を湛えてカンヴァスに再現されています。クールベが生まれ育ったのは、海に接することのないスイスとの国境近くのオルナンという町で、初めて海を目にしたのは、22歳の時でした。その後、地中海の風景や英仏海峡の海を数多く描きました。

  • アドルフ・モンティセリ「モスクの前の集まり」1860-70年頃<br />モンティセリは絵具の厚塗りと大胆な色使いで独自の絵画表現を確立した画家で、ヴァン・ゴッホにも影響を与えました。彼が扱った主題の多くは架空の情景ですが、風景画や風俗画、肖像画については、現実の対象を参照して制作されました。モンティセリの作品にはこの作品のように木に描かれたものも多く、中には古い家具の板に施された塗装や組木細工をそのまま作品の表現として残したものもあります。当時のフランスではオリエンタリズムが流行していましたが、モンティセリもその流れに与していますこの作品ではイスラム寺院の前にアラブ風の装いをした人々がたむろする情景が、ダイナミックな筆致で生き生きと描き出されています。北アフリカに近接した港町マルセイユで育ったモンティセリにとって、このような情景はごく身近であったと思われます。

    アドルフ・モンティセリ「モスクの前の集まり」1860-70年頃
    モンティセリは絵具の厚塗りと大胆な色使いで独自の絵画表現を確立した画家で、ヴァン・ゴッホにも影響を与えました。彼が扱った主題の多くは架空の情景ですが、風景画や風俗画、肖像画については、現実の対象を参照して制作されました。モンティセリの作品にはこの作品のように木に描かれたものも多く、中には古い家具の板に施された塗装や組木細工をそのまま作品の表現として残したものもあります。当時のフランスではオリエンタリズムが流行していましたが、モンティセリもその流れに与していますこの作品ではイスラム寺院の前にアラブ風の装いをした人々がたむろする情景が、ダイナミックな筆致で生き生きと描き出されています。北アフリカに近接した港町マルセイユで育ったモンティセリにとって、このような情景はごく身近であったと思われます。

  • アルフレッド・シスレー「望楼」1875年頃<br />シスレーはイギリス系の実業家の家に生まれました。家業を継ぐためイギリスへ渡ったものの、芸術に関心をもつようになり、帰国します。1861年にスイス人画家シャルル・グレールの画塾に入り、画家を志します。そこで後の印象派のメンバーとなるモネやルノワールに出会いました。生涯900点に及ぶ作品を残したシスレーですが、そのほとんどが風景画です。フランス郊外が描かれたそれらの作品は、対象の具体的な形がしっかりと捉えられた中に、人物が小さく描き込まれることが多いのが特徴です。画面左にはフランス語で望楼を意味する“ル・ドンジョン”と画家自らが記しています。望楼とは、中世のヨーロッパ城の天守閣を指します。

    アルフレッド・シスレー「望楼」1875年頃
    シスレーはイギリス系の実業家の家に生まれました。家業を継ぐためイギリスへ渡ったものの、芸術に関心をもつようになり、帰国します。1861年にスイス人画家シャルル・グレールの画塾に入り、画家を志します。そこで後の印象派のメンバーとなるモネやルノワールに出会いました。生涯900点に及ぶ作品を残したシスレーですが、そのほとんどが風景画です。フランス郊外が描かれたそれらの作品は、対象の具体的な形がしっかりと捉えられた中に、人物が小さく描き込まれることが多いのが特徴です。画面左にはフランス語で望楼を意味する“ル・ドンジョン”と画家自らが記しています。望楼とは、中世のヨーロッパ城の天守閣を指します。

  • オーギュスト・ルノワール「母性」1886年<br />1880年代は、ルノワールにとって転換期でした。1881年から翌年にかけてイタリアに滞在して古典回帰への志向を強くし、デッサンに格別の注意を払うようになります。画商ヴォラールの回想によれば、ルノワール自身、1883年頃から印象主義の限界を感じていたようです。<br /> またこの時期に、アリーヌ・シャリゴと出会い、1885年3月21日に彼女との間に長男ピエールを授かります。以後、アリーヌが授乳する姿を描くようになりました。いずれも《母性》と題されたこれらの油彩画は、同一の構図ですが、このデッサンは1886年に制作された油彩画の習作とされています。ピエールに続き、ジャンとクロードという二人の息子に恵まれたルノワールは、妻アリーヌと三人の息子たちの姿を数多く残しています。彼にとって家族の存在がいかに自らの制作の着想源となっていたかを、うかがい知ることができます。

    オーギュスト・ルノワール「母性」1886年
    1880年代は、ルノワールにとって転換期でした。1881年から翌年にかけてイタリアに滞在して古典回帰への志向を強くし、デッサンに格別の注意を払うようになります。画商ヴォラールの回想によれば、ルノワール自身、1883年頃から印象主義の限界を感じていたようです。
     またこの時期に、アリーヌ・シャリゴと出会い、1885年3月21日に彼女との間に長男ピエールを授かります。以後、アリーヌが授乳する姿を描くようになりました。いずれも《母性》と題されたこれらの油彩画は、同一の構図ですが、このデッサンは1886年に制作された油彩画の習作とされています。ピエールに続き、ジャンとクロードという二人の息子に恵まれたルノワールは、妻アリーヌと三人の息子たちの姿を数多く残しています。彼にとって家族の存在がいかに自らの制作の着想源となっていたかを、うかがい知ることができます。

  • アンドレ・ドラン「裸婦」<br />ドランは、コロー、セザンヌ、そしてキュビスムに傾倒する一方、ルネサンス期における巨匠たちの作品研究にも熱心に取り組み、過去から同時代に至る様々な芸術を貪欲に吸収して自らの表現を追求した画家でした。<br /> 1920年代、ドランは多くの裸婦を描いています。これらは、人体の均衡に重きが置かれ、より堅固で写実的に描写されています。裸婦の後姿を描いた彼の油彩画は、形体の把握や細部の描写を西洋美術の古典から学ぼうとするドランの姿勢をよく伝えています。油彩の薄塗りによって軽やかな筆の動きが明快に表われたこの作品は、デッサンにしばしば見られる自由闊達な筆致を生き生きと伝えています。また、座る裸婦の後ろ姿は、新古典主義の画家達が好んだ主題であり、太い輪郭線はフォーヴィスムに特徴的な表現です。同時代の芸術と古典芸術の調和を目指したドランの特徴がよく表われた一作です。

    アンドレ・ドラン「裸婦」
    ドランは、コロー、セザンヌ、そしてキュビスムに傾倒する一方、ルネサンス期における巨匠たちの作品研究にも熱心に取り組み、過去から同時代に至る様々な芸術を貪欲に吸収して自らの表現を追求した画家でした。
     1920年代、ドランは多くの裸婦を描いています。これらは、人体の均衡に重きが置かれ、より堅固で写実的に描写されています。裸婦の後姿を描いた彼の油彩画は、形体の把握や細部の描写を西洋美術の古典から学ぼうとするドランの姿勢をよく伝えています。油彩の薄塗りによって軽やかな筆の動きが明快に表われたこの作品は、デッサンにしばしば見られる自由闊達な筆致を生き生きと伝えています。また、座る裸婦の後ろ姿は、新古典主義の画家達が好んだ主題であり、太い輪郭線はフォーヴィスムに特徴的な表現です。同時代の芸術と古典芸術の調和を目指したドランの特徴がよく表われた一作です。

  • ラウル・デュフィ「小公園」1920年頃<br />デュフィは、時代様式の特徴を反映させながら、独自の世界を拓いた画家です。デュフィの画面から奥行が消えるのは、フォーヴィスムの画家とみなされ始める頃からです。1919年にポール・ポワレというデザイナーに出会ったデュフィは、テキスタイル・デザインを手がけ、1920年代までこの分野で本格的に活動しました。染色制作の過程で、技法上の特性として輪郭と色の面のずれを体験したデュフィは、絵画制作にこの経験を生かしていきます。<br /> デュフィは1919年から20年にヴァンスに滞在し、太陽の光に照らされた風景を満喫しました。この《小公園》も明るい画面に仕上げられています。平面的に構成され、ところどころ短い曲線で簡略に描かれた木の葉など、細部は装飾的に表現されています。ここにも画家の特徴である、色と線のずれが見られます。この傾向は、後年、一層強まり、色と線がそれぞれ独立した動きを示すようになります。

    ラウル・デュフィ「小公園」1920年頃
    デュフィは、時代様式の特徴を反映させながら、独自の世界を拓いた画家です。デュフィの画面から奥行が消えるのは、フォーヴィスムの画家とみなされ始める頃からです。1919年にポール・ポワレというデザイナーに出会ったデュフィは、テキスタイル・デザインを手がけ、1920年代までこの分野で本格的に活動しました。染色制作の過程で、技法上の特性として輪郭と色の面のずれを体験したデュフィは、絵画制作にこの経験を生かしていきます。
     デュフィは1919年から20年にヴァンスに滞在し、太陽の光に照らされた風景を満喫しました。この《小公園》も明るい画面に仕上げられています。平面的に構成され、ところどころ短い曲線で簡略に描かれた木の葉など、細部は装飾的に表現されています。ここにも画家の特徴である、色と線のずれが見られます。この傾向は、後年、一層強まり、色と線がそれぞれ独立した動きを示すようになります。

  • ラウル・デュフィ「ミシェル・ビヌーの肖像」1934年<br />デュフィは画業の前半期、あまり肖像画を描くことはありませんでした。しかし1920年代頃から、近しい関係にある人物の肖像を描くようになります。<br /> この作品のモデル、ミシェル・ビヌーは、パリの画商エティエンヌ・ビヌーの息子です。1920年頃からデュフィとの交流が始まっていたと考えられます。<br /> モデルは単身の構図で描かれ、鮮やかな青が支配する空間に人物がたっぷりと明瞭に捉えられています。赤、白、青の反復によって、少年像は爽やかな印象を与えながら存在感を湛えています。画家の特徴である描線と色面のずれはミシェルが座る椅子の輪郭に表れています。デュフィはこの作品とほぼ同じ構図で1933年にもミシェルの肖像を描いています。

    ラウル・デュフィ「ミシェル・ビヌーの肖像」1934年
    デュフィは画業の前半期、あまり肖像画を描くことはありませんでした。しかし1920年代頃から、近しい関係にある人物の肖像を描くようになります。
     この作品のモデル、ミシェル・ビヌーは、パリの画商エティエンヌ・ビヌーの息子です。1920年頃からデュフィとの交流が始まっていたと考えられます。
     モデルは単身の構図で描かれ、鮮やかな青が支配する空間に人物がたっぷりと明瞭に捉えられています。赤、白、青の反復によって、少年像は爽やかな印象を与えながら存在感を湛えています。画家の特徴である描線と色面のずれはミシェルが座る椅子の輪郭に表れています。デュフィはこの作品とほぼ同じ構図で1933年にもミシェルの肖像を描いています。

  • マックス・ペヒシュタイン「帆船」1912年<br />1906年、ペヒシュタインはドイツ表現主義の作家集団「ブリュッケ」に参加しました。このグループは、対象を自らが感じたままに激しい色彩を使って描き出すという共通の志向性を持っていました。<br /> 1908年にパリに滞在した彼は、フォーヴィスムの画家達と交流し、影響を受けています。この作品が描かれた1912年、ペヒシュタインはブリュッケから離れる時期にあり、原色を用いて平面的に描く傾向を強めていました。<br /> 彼はしばしば船やボートのある情景を描いています。この《帆船》においては、空も海も緑色でおおっています。一見穏やかに見えますが、画面の右に立つ木がしなり、帆が揺れる様などから、荒ぶる自然の力に晒されている情景であることが判ります。水平線はやや高めに設定され、左に見える太陽の光が帆船を照らし、船の青と照りかえす光の黄色の強烈な対比があいまって、見る者の感情を揺さぶります。

    マックス・ペヒシュタイン「帆船」1912年
    1906年、ペヒシュタインはドイツ表現主義の作家集団「ブリュッケ」に参加しました。このグループは、対象を自らが感じたままに激しい色彩を使って描き出すという共通の志向性を持っていました。
     1908年にパリに滞在した彼は、フォーヴィスムの画家達と交流し、影響を受けています。この作品が描かれた1912年、ペヒシュタインはブリュッケから離れる時期にあり、原色を用いて平面的に描く傾向を強めていました。
     彼はしばしば船やボートのある情景を描いています。この《帆船》においては、空も海も緑色でおおっています。一見穏やかに見えますが、画面の右に立つ木がしなり、帆が揺れる様などから、荒ぶる自然の力に晒されている情景であることが判ります。水平線はやや高めに設定され、左に見える太陽の光が帆船を照らし、船の青と照りかえす光の黄色の強烈な対比があいまって、見る者の感情を揺さぶります。

  • クロード・モネ「ル・プティ=ジュヌヴィリエにて、日の入り」1874年 姫路市立美術館<br />アルジャントゥイユの向こう岸にあるル・プティ=ジュヌヴィリエは、毎年夏にヨットレースが開かれる場所でした。1874年、モネはこの場所で様々な視点から作品を描いています。この年はまた第1回印象派展の開催年に当たります。この作品では大胆且つ力強い筆使いで、日の入りの瞬間が捉えられています。時間と共に移ろいゆく光と色彩の変化をカンヴァスに捉え続けた印象派の巨匠モネが、まさにこの時期この地に誕生したことを物語る作品と言えるでしょう。

    イチオシ

    クロード・モネ「ル・プティ=ジュヌヴィリエにて、日の入り」1874年 姫路市立美術館
    アルジャントゥイユの向こう岸にあるル・プティ=ジュヌヴィリエは、毎年夏にヨットレースが開かれる場所でした。1874年、モネはこの場所で様々な視点から作品を描いています。この年はまた第1回印象派展の開催年に当たります。この作品では大胆且つ力強い筆使いで、日の入りの瞬間が捉えられています。時間と共に移ろいゆく光と色彩の変化をカンヴァスに捉え続けた印象派の巨匠モネが、まさにこの時期この地に誕生したことを物語る作品と言えるでしょう。

  • フランク・ウィリアム・ブラングイン「ヴェニスの朝市」1925年<br />ブラングィンは、特定の流派に染まることなく、独自の表現方法を確立し、多彩な分野でその才能を発揮しました。インテリアデザインやエッチングでも数々の賞を受賞しています。大規模な壁面装飾から陶磁器に至るまで、生涯に約1万2千点以上の作品を制作し、そのうち油彩画は800点にのぼると言われます。<br /> 1916年に実業家にして美術品のコレクターである松方幸次郎と出会った画家は、松方が作品を収集する際のよきアドヴァイザーとなりました。ブラングィンの助言のもと、松方は西洋の美術品を約2千点集めました。この作品も松方コレクションの1点でした。画面の手前には、ヴェネツィアの市場で賑わう人々の姿、運び込まれる果物、パラソルなどが素早い筆さばきによって描かれ、活気溢れる空気感が巧みに演出されています。奥のほうでは、明るい橙色の建物とヴェネツィアの青空の色の対比がみられ、作品をより印象深いものに仕上げています。<br />

    フランク・ウィリアム・ブラングイン「ヴェニスの朝市」1925年
    ブラングィンは、特定の流派に染まることなく、独自の表現方法を確立し、多彩な分野でその才能を発揮しました。インテリアデザインやエッチングでも数々の賞を受賞しています。大規模な壁面装飾から陶磁器に至るまで、生涯に約1万2千点以上の作品を制作し、そのうち油彩画は800点にのぼると言われます。
     1916年に実業家にして美術品のコレクターである松方幸次郎と出会った画家は、松方が作品を収集する際のよきアドヴァイザーとなりました。ブラングィンの助言のもと、松方は西洋の美術品を約2千点集めました。この作品も松方コレクションの1点でした。画面の手前には、ヴェネツィアの市場で賑わう人々の姿、運び込まれる果物、パラソルなどが素早い筆さばきによって描かれ、活気溢れる空気感が巧みに演出されています。奥のほうでは、明るい橙色の建物とヴェネツィアの青空の色の対比がみられ、作品をより印象深いものに仕上げています。

  • モーリス・ユトリロ「サン・メダール教会とムフタール通り」1913年<br />サン・メダール教会はパリのリュクサンブール公園の南東にある17世紀の教会です。この作品では、教会の手前に、サン・メダール小公園の入口が見え、左手にはムフタール通りが奥へ続いています。ムフタール通りは店の立ち並んだ賑やかな通りで、古い風変わりな看板が見られることで知られています。<br /> ユトリロはこの教会の建物全体に、この通りを画面に加えるため、教会の南側の交差点を隔てたところから描いたようです。画面で中心的な色彩として用いられているのが、教会の屋根や樹木の緑であり、これが歩道や看板、左の建物の窓にも見られます。一般に「白の時代」と呼ばれる最盛期の作品ですが、その中でも特に重要な、ブロ画廊で開かれたユトリロの最初の個展に出品された31点の内の1点です。全ての作品が、ユトリロ自身が選んだものでした。サインの末尾にVの字が書かれていますが、これは母の姓ヴァラドンに由来すると考えられています。<br />

    モーリス・ユトリロ「サン・メダール教会とムフタール通り」1913年
    サン・メダール教会はパリのリュクサンブール公園の南東にある17世紀の教会です。この作品では、教会の手前に、サン・メダール小公園の入口が見え、左手にはムフタール通りが奥へ続いています。ムフタール通りは店の立ち並んだ賑やかな通りで、古い風変わりな看板が見られることで知られています。
     ユトリロはこの教会の建物全体に、この通りを画面に加えるため、教会の南側の交差点を隔てたところから描いたようです。画面で中心的な色彩として用いられているのが、教会の屋根や樹木の緑であり、これが歩道や看板、左の建物の窓にも見られます。一般に「白の時代」と呼ばれる最盛期の作品ですが、その中でも特に重要な、ブロ画廊で開かれたユトリロの最初の個展に出品された31点の内の1点です。全ての作品が、ユトリロ自身が選んだものでした。サインの末尾にVの字が書かれていますが、これは母の姓ヴァラドンに由来すると考えられています。

  • アンドレ・ユッテル「田舎の橋・コルシカ」1919年<br />コルシカは西地中海に浮かぶ島で、ナポレオンの生まれた島として有名です。<br />奥のほうには小高い丘が描かれていて、円錐形といってもよいほど整然とした形に整えられています。その形状は手前の橋と呼応するかのようです。家々の屋根は赤く、フランスというよりイタリアを思わせる風景です。<br /> ユッテルは画家としての業績よりも、モーリス・ユトリロの親友で、後にユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンと結婚した人物として有名です。一家がコルシカを訪れたのは1913年のこと。この作品から感じられる穏やかで、幸福な地中海の明るい雰囲気は、その時の旅行で彼が感じた幸福感に由来するものでしょうか。対象を整理し、簡潔で嫌味なくまとめあげたこの作品には、モダンな感覚が感じられます。

    アンドレ・ユッテル「田舎の橋・コルシカ」1919年
    コルシカは西地中海に浮かぶ島で、ナポレオンの生まれた島として有名です。
    奥のほうには小高い丘が描かれていて、円錐形といってもよいほど整然とした形に整えられています。その形状は手前の橋と呼応するかのようです。家々の屋根は赤く、フランスというよりイタリアを思わせる風景です。
     ユッテルは画家としての業績よりも、モーリス・ユトリロの親友で、後にユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンと結婚した人物として有名です。一家がコルシカを訪れたのは1913年のこと。この作品から感じられる穏やかで、幸福な地中海の明るい雰囲気は、その時の旅行で彼が感じた幸福感に由来するものでしょうか。対象を整理し、簡潔で嫌味なくまとめあげたこの作品には、モダンな感覚が感じられます。

  • ジョルジュ・ルオー「町外れ」1909年<br />苦悩や孤独を表した画家ルオーは、この作品でもすべてを暗がりの中に描いています。太い筆致は、この頃のルオーのフォーヴィスム的傾向の一面といえます。画面の左右は立ち並ぶ建物に占められ、その間(あいだ)に奥へとつながる細い一本の道があり、二人の人物が立っています。<br /> ルオーは世俗世界と精神世界を、時に感情的に、時に象徴的に、そして宗教的に描きました。この《町外れ》は画家の初期の風景表現と考えられ、世俗的な光景となっています。しかし後(のち)に制作する作品では、類似した構図の中で奥へと道を進もうとするキリストの姿が描かれるようになります。この作品の中央の人物においてもすでにキリストや聖母子の姿が重ねられているのかもしれません。<br /> かつてこの作品はパリでルオーと交流のあった画商、福島(ふくしま)繁(しげ)太郎(たろう)のコレクションでしたが、帰国時に日本には持ち帰られませんでした。遍歴の後に日本に辿り着いた作品としても意義深い一作です。

    ジョルジュ・ルオー「町外れ」1909年
    苦悩や孤独を表した画家ルオーは、この作品でもすべてを暗がりの中に描いています。太い筆致は、この頃のルオーのフォーヴィスム的傾向の一面といえます。画面の左右は立ち並ぶ建物に占められ、その間(あいだ)に奥へとつながる細い一本の道があり、二人の人物が立っています。
     ルオーは世俗世界と精神世界を、時に感情的に、時に象徴的に、そして宗教的に描きました。この《町外れ》は画家の初期の風景表現と考えられ、世俗的な光景となっています。しかし後(のち)に制作する作品では、類似した構図の中で奥へと道を進もうとするキリストの姿が描かれるようになります。この作品の中央の人物においてもすでにキリストや聖母子の姿が重ねられているのかもしれません。
     かつてこの作品はパリでルオーと交流のあった画商、福島(ふくしま)繁(しげ)太郎(たろう)のコレクションでしたが、帰国時に日本には持ち帰られませんでした。遍歴の後に日本に辿り着いた作品としても意義深い一作です。

  • シャルル・コッテ「静物」1919年<br />コッテが最も関心を向けたのは、現実世界の写実的な描写でした。人物の群像のほか、海の景色や静物も描いており、また岬や山などの風景画からは、対象に向かう実直な眼差しが窺えます。ブルターニュ地方に惹かれ、その風俗や儀式の場面が描かれた作品の画面からは、宗教的感情を見て取ることもできます。<br /> 若い頃に描いた静物画は、正面から見た構図で細部まで描かれており、古典的な静物画を思わせます。後に手がけたパステル画は、極めて明るいものです。この《静物》は油彩ですが、コントラストは抑制されており、パステル画に近い様相を呈しています。テーブルの上には花、果物あるいは野菜が置かれています。やや高い視点から見た構図で捉えられており、同時代の印象派的な態度が垣間見えます。初期の作風とは明らかに異なるこの作品は、自身の制作の幅を広げつつあるコッテの微妙な動静を示す一点と言えるでしょう。

    シャルル・コッテ「静物」1919年
    コッテが最も関心を向けたのは、現実世界の写実的な描写でした。人物の群像のほか、海の景色や静物も描いており、また岬や山などの風景画からは、対象に向かう実直な眼差しが窺えます。ブルターニュ地方に惹かれ、その風俗や儀式の場面が描かれた作品の画面からは、宗教的感情を見て取ることもできます。
     若い頃に描いた静物画は、正面から見た構図で細部まで描かれており、古典的な静物画を思わせます。後に手がけたパステル画は、極めて明るいものです。この《静物》は油彩ですが、コントラストは抑制されており、パステル画に近い様相を呈しています。テーブルの上には花、果物あるいは野菜が置かれています。やや高い視点から見た構図で捉えられており、同時代の印象派的な態度が垣間見えます。初期の作風とは明らかに異なるこの作品は、自身の制作の幅を広げつつあるコッテの微妙な動静を示す一点と言えるでしょう。

  • アンリ・オットマン「裸婦」1915-20年<br />オットマンはルノワールに強い影響を受けた画家です。特に裸婦画においては、その反映を顕著に見ることができます。本作《裸婦》における豊満な裸婦の存在の重みや甘美さはルノワールの作風に通じます。より官能的な作品においては、新古典主義を想わせるものがあり、裸婦像表現の伝統に向かう画家の眼差しが窺えます。<br /> オットマンは光こそが作品を永遠たらしめるものと考えていました。この《裸婦》における煌めくような画面は、繊細な緑の色調で表現された自然の光を表しています。緑の濃淡を用いて表現された背景の中心に、頬や手足の血色を見せるように体の先端部分をほのかに赤く染めた裸婦が描かれています。この緑と赤はオットマンが好んで使用した色でした。彼の手法の特徴がこの作品にもよく表れています。

    アンリ・オットマン「裸婦」1915-20年
    オットマンはルノワールに強い影響を受けた画家です。特に裸婦画においては、その反映を顕著に見ることができます。本作《裸婦》における豊満な裸婦の存在の重みや甘美さはルノワールの作風に通じます。より官能的な作品においては、新古典主義を想わせるものがあり、裸婦像表現の伝統に向かう画家の眼差しが窺えます。
     オットマンは光こそが作品を永遠たらしめるものと考えていました。この《裸婦》における煌めくような画面は、繊細な緑の色調で表現された自然の光を表しています。緑の濃淡を用いて表現された背景の中心に、頬や手足の血色を見せるように体の先端部分をほのかに赤く染めた裸婦が描かれています。この緑と赤はオットマンが好んで使用した色でした。彼の手法の特徴がこの作品にもよく表れています。

  • ジョルジュ・デスパーニャ「読書する裸婦」1930年<br /> デスパーニャの初期の作品は印象派、特にルノワールに傾倒し、この作品でも主題となっている裸婦像を多く手がけています。加えて花のモティーフや、母子、子供も主要なテーマとしました。とりわけ後期には室内画を描き、人物と空間による親密な雰囲気を穏やかな色調で表現しています。1920年代から30年代に、室内の情景を描いた作品を多く残しており、この作品も画家がこのテーマを追求するなかで制作した作品と考えられます。<br /> デスパーニャはナビ派の画家たちと交流をもち、その影響も受けたといわれ、太い線で描かれた花瓶や果物の輪郭、平面的に配された色面など、ナビ派の作品に共通する特徴を見出すことができます。《読書をする裸婦》では、花や模様のある壁、そこに掛かる画中画に囲まれるようにして、座って読書をする裸婦が描かれています。画面は平面的で、装飾的な印象を与えますが、後期のデスパーニャの関心をよく示す作品です。

    ジョルジュ・デスパーニャ「読書する裸婦」1930年
     デスパーニャの初期の作品は印象派、特にルノワールに傾倒し、この作品でも主題となっている裸婦像を多く手がけています。加えて花のモティーフや、母子、子供も主要なテーマとしました。とりわけ後期には室内画を描き、人物と空間による親密な雰囲気を穏やかな色調で表現しています。1920年代から30年代に、室内の情景を描いた作品を多く残しており、この作品も画家がこのテーマを追求するなかで制作した作品と考えられます。
     デスパーニャはナビ派の画家たちと交流をもち、その影響も受けたといわれ、太い線で描かれた花瓶や果物の輪郭、平面的に配された色面など、ナビ派の作品に共通する特徴を見出すことができます。《読書をする裸婦》では、花や模様のある壁、そこに掛かる画中画に囲まれるようにして、座って読書をする裸婦が描かれています。画面は平面的で、装飾的な印象を与えますが、後期のデスパーニャの関心をよく示す作品です。

  • アンリ・ルバスク「赤い服を着た女」1930年<br />ルバスクは異なる流派の画家との交流から、自らの芸術表現を巧みに発展させていった画家と言えます。1893年のアンデパンダン展でのシニャックとの出会いは、彼が点描画法を作品に取り入れるきっかけとなり、画中の影の処理を新印象派の画家たちの色彩理論から学びました。取り上げる主題は、住み慣れた空間での日常の穏やかな出来事を描く、「アンティミスト」と呼ばれる一派の影響を大きく受けています。ルバスクが描く対象は彼の家族であり、また実際に彼が滞在し、過ごした場所の装飾や室内等がもとになっている場合が多いようです。この作品ではカンヴァスが置かれたイーゼルのある室内で、くつろいだ様子で椅子に腰掛ける女性が描かれています。画中のカンヴァスの表は見せず、イーゼルの背後が画面のなかに描き込まれることによって、描かれた室内の世界と鑑賞者との距離を縮め、親密な関係を築くことに成功しています。

    アンリ・ルバスク「赤い服を着た女」1930年
    ルバスクは異なる流派の画家との交流から、自らの芸術表現を巧みに発展させていった画家と言えます。1893年のアンデパンダン展でのシニャックとの出会いは、彼が点描画法を作品に取り入れるきっかけとなり、画中の影の処理を新印象派の画家たちの色彩理論から学びました。取り上げる主題は、住み慣れた空間での日常の穏やかな出来事を描く、「アンティミスト」と呼ばれる一派の影響を大きく受けています。ルバスクが描く対象は彼の家族であり、また実際に彼が滞在し、過ごした場所の装飾や室内等がもとになっている場合が多いようです。この作品ではカンヴァスが置かれたイーゼルのある室内で、くつろいだ様子で椅子に腰掛ける女性が描かれています。画中のカンヴァスの表は見せず、イーゼルの背後が画面のなかに描き込まれることによって、描かれた室内の世界と鑑賞者との距離を縮め、親密な関係を築くことに成功しています。

  • アンリ・マティス「ニース郊外の風景」1918年頃<br />美術学校でモローに師事したマティスは、先生の勧めで古典絵画の模写に専念しました。このため、初期の作品は、重い色使いが特徴のひとつとなっています。しかし1898年に南フランスのコルシカ島に半年間滞在したことが契機となり、色彩を強調して描き、作風を変化させていきます。<br /> この作品の舞台、ニースは、1917年以降、活動の拠点となった場所です。手前には、穏やかな緑色の大地に、横たわる二人の女性が描かれています。中ほどには黒を基調にして描かれた木々と、奥に続く小道が描かれ、奥行きのある空間を演出しています。画面の要所に的確に絵の具が施され、カンヴァスの地を見せることを憚らない筆の運びは自信に満ちて軽やかで、作品に躍動感と開放感を与えています。1908年以降17年まで幾何学的な形態を研究し、色調のさらなる可能性を追求した画家の成果がよく表れています。

    イチオシ

    アンリ・マティス「ニース郊外の風景」1918年頃
    美術学校でモローに師事したマティスは、先生の勧めで古典絵画の模写に専念しました。このため、初期の作品は、重い色使いが特徴のひとつとなっています。しかし1898年に南フランスのコルシカ島に半年間滞在したことが契機となり、色彩を強調して描き、作風を変化させていきます。
     この作品の舞台、ニースは、1917年以降、活動の拠点となった場所です。手前には、穏やかな緑色の大地に、横たわる二人の女性が描かれています。中ほどには黒を基調にして描かれた木々と、奥に続く小道が描かれ、奥行きのある空間を演出しています。画面の要所に的確に絵の具が施され、カンヴァスの地を見せることを憚らない筆の運びは自信に満ちて軽やかで、作品に躍動感と開放感を与えています。1908年以降17年まで幾何学的な形態を研究し、色調のさらなる可能性を追求した画家の成果がよく表れています。

  • マックス・ペヒシュタイン「婦人像」1917年<br />ペヒシュタインは、木版やリトグラフなどの技法による肖像や風景をモティーフとした作品を多数制作しています。第一次世界大戦中の1916年から17年、軍隊服役中には、女性の頭部を描いたリトグラフを数点残しています。1916年、ペヒシュタインは日本軍に捕らえられて長崎に連行された後、解放されたと言われています。おそらくこの時に彼が目にした、着物を着た女性の姿もリトグラフ作品として残しています。<br /> ペヒシュタインは画家としての眼差しと技術をもって、戦禍の下で目にしたものを描き留めました。この作品《婦人像》の女性は、一瞬、大きく目を見開いて何かを見定めようとするかのようです。<br /> 目もとや口もとの特徴的な表情が的確に捉えられ、睫毛、眉、額や頬の皺、そして髪、装飾品まで巧みな描線で簡潔に表現されています。描くことに対する画家の毅然とした姿勢が窺える一作です。

    マックス・ペヒシュタイン「婦人像」1917年
    ペヒシュタインは、木版やリトグラフなどの技法による肖像や風景をモティーフとした作品を多数制作しています。第一次世界大戦中の1916年から17年、軍隊服役中には、女性の頭部を描いたリトグラフを数点残しています。1916年、ペヒシュタインは日本軍に捕らえられて長崎に連行された後、解放されたと言われています。おそらくこの時に彼が目にした、着物を着た女性の姿もリトグラフ作品として残しています。
     ペヒシュタインは画家としての眼差しと技術をもって、戦禍の下で目にしたものを描き留めました。この作品《婦人像》の女性は、一瞬、大きく目を見開いて何かを見定めようとするかのようです。
     目もとや口もとの特徴的な表情が的確に捉えられ、睫毛、眉、額や頬の皺、そして髪、装飾品まで巧みな描線で簡潔に表現されています。描くことに対する画家の毅然とした姿勢が窺える一作です。

  • オーギュスト・ロダン「私は美しい」1882年<br />1880年に政府からパリの装飾美術館の門の扉の制作を依頼されたロダンは、主題を変容させながらも、終生この構想に取り組むことになります。この壮大な作品構想のなかで、《考える人》をはじめ数々の独立した傑作を誕生させました。<br /> この男女の群像は、《地獄の門》の中に、それぞれ単体で存在する、《うずくまる女》と《堕ちる男》の組合せによって制作されました。ロダンは、別々に制作した像を組み合わせ、腕や脚の位置関係に多少の変更を加えて全く異なる文脈の群像を生み出す手法をしばしば用いました。この作品は、その初期の取り組みです。<br /> 題名《私は美しい》は、台座に刻まれたボードレールの詩集『悪の華』の中の詩「美」の一節に由来するものです。この詩集の挿絵を手がけていたロダンは、その中にこの作品と類似した絵を含めています。<br />

    オーギュスト・ロダン「私は美しい」1882年
    1880年に政府からパリの装飾美術館の門の扉の制作を依頼されたロダンは、主題を変容させながらも、終生この構想に取り組むことになります。この壮大な作品構想のなかで、《考える人》をはじめ数々の独立した傑作を誕生させました。
     この男女の群像は、《地獄の門》の中に、それぞれ単体で存在する、《うずくまる女》と《堕ちる男》の組合せによって制作されました。ロダンは、別々に制作した像を組み合わせ、腕や脚の位置関係に多少の変更を加えて全く異なる文脈の群像を生み出す手法をしばしば用いました。この作品は、その初期の取り組みです。
     題名《私は美しい》は、台座に刻まれたボードレールの詩集『悪の華』の中の詩「美」の一節に由来するものです。この詩集の挿絵を手がけていたロダンは、その中にこの作品と類似した絵を含めています。

  • アンリ・マティス「Jazz」1947年<br />版画集『ジャズ』は、マティスによる切り紙絵に基づいた挿絵本です。<br />20点の切り紙絵のカラー印刷にマティス自身の筆跡による文章を交互に配し、あたかも中世ヨーロッパの装飾写本を現代に蘇らせたかのような構成になっています。<br />色と動きを自由で即興的に組み合わせて生み出された作品は、まるでジャズ音楽のよう。カラフルで自由なモチーフのぶつかりあいが、ジャズ特有のリズムとなっていることから、そのタイトルがつけられました。

    アンリ・マティス「Jazz」1947年
    版画集『ジャズ』は、マティスによる切り紙絵に基づいた挿絵本です。
    20点の切り紙絵のカラー印刷にマティス自身の筆跡による文章を交互に配し、あたかも中世ヨーロッパの装飾写本を現代に蘇らせたかのような構成になっています。
    色と動きを自由で即興的に組み合わせて生み出された作品は、まるでジャズ音楽のよう。カラフルで自由なモチーフのぶつかりあいが、ジャズ特有のリズムとなっていることから、そのタイトルがつけられました。

  • 「道化師」<br />サーカスの呼び込みのため寸劇を行う道化師の姿

    「道化師」
    サーカスの呼び込みのため寸劇を行う道化師の姿

  • 「サーカス」<br />サーカスの垂れ幕、赤いカーペットと綱渡

    「サーカス」
    サーカスの垂れ幕、赤いカーペットと綱渡

  • 「ロワイヤル氏」<br />長年、サーカスの曲馬団長を務めた人物

    「ロワイヤル氏」
    長年、サーカスの曲馬団長を務めた人物

  • 「コドマ兄弟」

    「コドマ兄弟」

  • 「馬、曲馬師、道化師」<br />白黒のスカートを履いた曲馬師が馬に乗り、緑のコスチュームを着た道化師の傍に立つ姿

    「馬、曲馬師、道化師」
    白黒のスカートを履いた曲馬師が馬に乗り、緑のコスチュームを着た道化師の傍に立つ姿

79いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP