2023/06/14 - 2023/07/01
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さいたまさん
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インド北東部において、インドの多様性の一端を、現地で垣間見ました。(宗教編)
ヒンズー教徒とシーク教徒は、主として火葬です。
墓石は、ありません。
キリスト教徒とイスラム教徒は、埋葬されます。
墓石を作りますが、戦争墓地内の他は、見たことがありません。
宗教の面では、これらの点が、大きく異なります。
その他、食の面でも、顕著な差異が見られます。
それは、それぞれの宗教の教義の考え方の差異に起因するため、特に留意する必要があります。
その具体例は、セポイの反乱です。
インドの宗教の中で、最も大きな信者を擁しているのは、ヒンズー教です。
その次の信者数を占めるのは、イスラム教徒です、
1857年、北部インドのメーラムの反乱を発端として、インド各地で、英国に対して反乱が発生しました。
その原因は、弾薬の弾薬の防湿のための薬包に、牛と豚の脂が使用されているとの訴えでした。
英国のインド植民地支配には、従来からのインドの習慣を無視して、搾取を続けてきた実態により、不満が溜まっていました。
そこに、宗教上の教義に係る問題として、牛と豚の脂が、火に油を注いだのです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は、インドの宗教面について、勉強しています。
インドにおける最も重要な部分かもしれません。
宗教について、とある講師に質問したところ、宗教面には、「Touchy」な部分があるので、注意するように言われました。つまり宗教に関することは、「信ずる」ことなので、説明ができない部分があることを理解しておくことが必要だと、教えたかったのでしょう。
日本人としては、はっきりさせたいという真面目な気持ちでも、大きな争いになることに、注意が必要なのかもしれません。
食事の際には、政治のことや宗教を、話題にしないようにと助言を受けたことを思い出しました。 -
コヒマに戦争墓地墓地があります。
コヒマの幹線道路の中心にある三叉路の北側に置かれています。
この墓地の管理は、英国の政府系団体のCommmonwealth War Grave Commission (CWGC)に委嘱されています。
ヒンズー教やシーク教、そしてキリスト教徒とイスラム教徒の墓が、広大な敷地に広がっています。コヒマ戦没者墓地 観光名所
-
コヒマの戦争墓地のうち火葬された戦没者を祀っている記念碑です。
戦争墓地の最も高い位置(北側)にあります。
火葬されたヒンズー教徒とシーク教徒が祀られています。 -
ヒンズー教徒とシーク教徒は、主として火葬です。
墓石は、ありません。
キリスト教徒とイスラム教徒は、埋葬されます。
墓石を作りますが、戦争墓地内の他は、見たことがありません。
宗教の面では、これらの点が、大きく異なります。 -
インドにおいては、ヒンディー教徒が一番多いようです。
シーク教徒や仏教徒と同じように、輪廻転生という考え方で、魂は、死後も、いろんな形に生まれ変わって、生きていくとのお教えなのでしょう。
身体は、無くなっても、魂は、姿を変えても生き続けるとの考えなのでしょう。
火葬や、聖なるガンジス川に戻すという水葬が続けられているのでしょう。
キリスト教徒やイスラム教徒は、神による最後の審判を受けてから、天国に迎え入れられるとのことで、戻るべき身体を残しておかねばならないようです。
つまり、土葬が主のようです。 -
コヒマ戦争墓地に祀られている兵士2,338名のうち、約40%の917名がインド軍に所属する将兵で、火葬されています。
残りの1,421名が、埋葬されています。
それぞれの墓石があり、広大な敷地内に広がっています。 -
今回は、グワーハーティ国際空港からディマプール国際空港を経て、コヒマに移動しました。
コヒマの戦争墓地(戦没者墓地)は、ディマプールからインパールを結ぶ国道の三叉路に位置しています。グワーハーティー国際空港 (GAU) 空港
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コヒマ戦没者墓地の入口です。
左側に、標石が掲げられています。
誰でも入れる、とてもきれいな墓地です。 -
この場所は、第2次世界大戦のおり、激戦地となった場所です。
英国の副弁務官事務所があった場所です。
英軍の第2師団の記念碑があります。 -
「故郷に帰ったら伝えて欲しい。
貴方達の明日のため、我々の今日を捧げます。」との碑面があります。
彼我の多くの将兵が、この地で、亡くなりました。 -
正面中央に、火葬されたヒンズー教徒とシーク教徒の戦没者を祀る記念碑があります。
コヒマ戦争墓地内では、火葬記念碑と称されKohima Cremation Memorialとして
埋葬墓石とは、別個に、区分されています。
手前の地上には、埋葬された戦没者の墓石が並んでいます。 -
Stone of Rememberance と称されている追悼石碑です。
火葬記念碑とキリスト教徒、イスラム教徒の墓石の間に置かれいます。
宗教色を排し、共通的な追悼行事に際して、利用しています。
それぞれの宗派への配慮なのでしょう。 -
それぞれの宗教上の教義により、火葬された戦没者と埋葬された戦没者は、別個に扱われていますが、宗教の区分から離れて、戦没者の慰霊するためには、宗教色を排した共通的な慰霊碑が置かれています。
STONE OF REMEMBERANCE, KOHIMA と呼称されています。 -
犠牲の十字架(Cross of Sarifece)と称せられている十字塔です。
主として、キリスト教徒を念頭に置いた施設です。
このためヒンズー教徒、イスラム教徒等の間には、異論が存在すると言われています。 -
十字塔は、激戦となっていたテニスコートの東側に設置されています。
テニスコートの線は、白色の石で、表示されています。 -
コヒマの戦争墓地は、段差があり、各段差が、東に向かって緩やかに下がっています。
最終的には、英軍の第2師団の記念碑付近で、国道のコヒマ三叉路に至っています。 -
火葬にふされた将兵の概要は、火葬記念碑に、姓名とともに刻されます。
埋葬された将兵の墓石は、芝生の表面に置かれています。 -
CWGCの戦争墓地は、インパールにもあります。
インパール戦争墓地は、カングラフォートの北側にあります。
国道から少し東側に入っています。
奥まった場所なので、青色の標識を見落とすと、わかりにくくなると思います。カングラ フォート 史跡・遺跡
-
インパール戦争墓地です。
戦争墓地の入口の正面には、犠牲の十字架が見えます。
インパール市内で一番立派なホテルのすく近くです。クラシック グランデ インパル - メンバー オブ ラディソン インディビドゥアルズ ホテル
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インパール戦争墓地の入口の門柱です。
国道から奥まった位置にある入口と門柱は、南に向いています。 -
インパール戦没者墓地(インパール戦争墓地)の入口の標識です。
カングラフォートからコヒマに向かって、北に向かう国道から、約200mほど東側に
入った場所にあります。インパール戦没者墓地 観光名所
-
インパール市内には、もう一ケ所、戦争墓地があります。
インパール陸軍戦争墓地です。
同じインパール市内に、しかもインパール戦争墓地から、800mも離れていない場所に、同じような戦争墓地が、二ケ所に置かれている点に疑問を持っています。
CWGC本部に、理由を尋ねるメールを送っても、回答がありません。 -
インパールのカングラフォートの東側にあるインド陸軍戦争墓地の標識です。
観光地で有名なイマ市場の東側です。
判りにくい場所にありますので、注意が必要です。イマ市場 市場
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インド陸軍戦争墓地の配置図です。
CWGC(Commonwellce War Grave Commision) が管理する戦争墓地の一つです。
全世界の140ケ所の戦争墓地を管理するの英国政府の団体です。
ただし、英連邦構成国の国籍を有する戦没者のみを対象としている点に、留意する必要があります。
インド -
インパール戦争墓地とインド陸軍戦争墓地も、コヒマの戦争墓地と同じ構成です。
即ち、ヒンズー教徒とシーク教徒は、教義のお教えに従い、火葬され、火葬記念碑が建てられています。
キリスト教徒とイスラム教徒は、神の最後の審判を受けるため、肉体を残し、埋葬されています。 -
火葬されたヒンズー教徒とシーク教徒の姓名等が刻されている火葬記念碑です。
また、碑の上部に、星が描かれています。
インドのヒンズー教の神々と星には密接な関係があり、ヒンズー教の神々は、星から生まれているとの教義であり、星が描かれています。
同じインパール市内に、同じCWGCの管理下にある2ケ所の戦争墓地が存在する
理由が解っていません。CWGC本部にメールしていますが、回答がありません。
インパールの博物館にも、聞きましたが、これまた、音沙汰がありません。
再度、現地に行かねばならないと解らないのかもしれません。 -
インド陸軍戦争墓地の中には、池があります。
インドの名所旧跡には、池が設けられている例が少なくありません。
勝手ながら、自分流に、聖なる水で、身を清める意味と理解しています。 -
火葬が圧倒的になっている日本にも、英連邦戦争墓地があります。
CWGCが管理しています。
英軍が日本を占領していた時期に、横浜の保土ヶ谷地区に置かれました。
日本国内においては、イスラム教、ヒンズー教、シーク教等の戦没者を祀っている珍しい例です。(英国にとっては、当たり前のことなのでしょうが。)英連邦戦死者墓地 寺・神社・教会
-
保土ヶ谷の英連邦戦争墓地には、3ケ所に区分された区域があります。
それらの3ケ所は、CWGCの宗教に関連する基本的な考え方を具現化されています。
1 横浜火葬記念堂 英国連邦、オランダ王国、米国の兵士などの遺灰を収納
2 横浜記念碑 墓石のない20名のインド兵を追悼
3 横浜戦争墓地 英連邦諸国、アメリカ合衆国、オランダ王国将兵を埋葬 -
横浜戦争墓地は、英国軍地域等の4ケ所個別の埋葬地及び火葬記念堂からなっています。
埋葬された墓地区域(4ケ所)と火葬記念堂と横浜記念碑があります。
横浜記念碑は、インド統一軍とインド王立空軍の20名が追悼されています。
オーストラリアセクションはメインエントランスの右側にあり、他のすべてのセクションと通路でつながっています。オーストラリアの区画に上がる階段があり、セクションの上端の中央に犠牲の十字架が立っています。
オーストラリアセクションから小道を進むと、小道は公園を抜けてニュージーランドとカナダセクションへと続きます。ここには敷地に入る階段が 2 つあります。犠牲の十字架は階段の隣にあります。
ニュージーランドとカナダのセクションからは、メインの入り口に向かって舗装された小道が曲がりくねって続いています。小道には T 字路があり、右の道を進むと、インディアン セクション、戦後区画、イギリス セクションがあります。 -
CWGCが定めた英国基準の構成に従っている横浜戦争墓地です。
正面に見えるのが、英国軍区域の犠牲の十字架(Cross of Sarifece)と称せられている十字塔です。(インド軍区域には、ありません。)
手前には、埋葬されている将兵の墓石です。 -
最大の広さを有している英国軍の墓地地域です。
犠牲の十字架(Cross of Sarifece)と埋葬された将兵の姓名等が刻されている個別の墓石です。 -
英国軍の区画の正面に十字塔が置かれていること及び火葬記念堂が、別個の位置に置かれていることから、埋葬されているのは、キリスト教徒と推測されます。
また、次の写真にあるように、式典等が、英国の司教もしくは司祭によって運営されることからも、埋葬されているのはキリスト教徒と、推測しています。 -
写真の式典は、英国大使館の武官により、計画されています。
宗教面の運営は、英国の司教もしくは司祭によって執り行われています。 -
横浜戦争墓地には、他のCWGCの戦争墓地とは異なり、宗教色を排した共通的な
追悼施設(STONE OF REMEMBERANCE)がありません。
それぞれの宗派の場所が、離れているためなのでしょうか?
理由が、よく解かりません。 -
横浜火葬記念堂です。
英国連邦軍、オランダ王国、米国の将兵などの遺灰が納められています。
身元の不明な51名の将兵も含まれています。
火葬記念堂に収められている将兵は、火葬された将兵ですので、キリスト教徒、イスラム教徒ではないことが想像されます。(あく) -
写真は、横浜火葬記念堂の顕彰碑文と骨壺です。
顕彰碑文の下部の骨壺には、英国連邦構成国の陸海空軍将兵の将兵及びオランダ王国、米国の兵士など335名の遺灰が納められていると記載されています。
壁には、284名の姓名が刻まれています。 -
英国軍の将兵が眠る英国軍区域の十字塔と墓石です。
広大な敷地の中に、整然と墓石が配置されています。 -
戦没者の個別の墓石は、それぞれの地域の指定された場所に、整然と置かれています。
横列と縦列の組み合わせで、個別の場所が指定されています。 -
横浜戦争墓地のほぼ中央に、インド軍の将兵が祀られているインド軍地域があります。
十字塔は、ありません。メモリアルと記載された塔が置かれています。
この地区の東側の奥に、墓石のない20名のインド兵の姓名が刻された横浜記念碑 が配置されています。 -
インド軍地域の標識と20名のインド兵の姓名が刻された横浜記念碑です。
埋葬されている将兵は、イスラム教徒なのでしょう。
(ヒンズー教徒やシーク教徒を収めている火葬記念堂は、別地域にあります。) -
インド軍との表示があります。
数字は、1939年~1945年の間に、犠牲となった捕虜等を祀ったものでしょう。 -
INDIAとの表示が刻されています。
インド軍地域に置かれている標識柱です。 -
埋葬されたインドク軍将兵の墓石です。
奥に、横浜記念碑が配置されています。 -
インド軍地区の奥に配置されている横浜記念碑です。
墓石のない20名のインド将兵を追悼する施設です。 -
横浜記念碑の碑面です。
5th ROYAL GURKHA RIFLEとの部隊名があり、階級や複数の
氏名、職務等が刻されています。 -
横浜戦争墓地には、英連邦構成国ではないオランダの英霊も祀られています。
英国軍に編入され、インパールやコヒマの戦いにおいて激戦の末、英国に勝利をもたらしたグルカ兵は、英連邦構成国の国籍を有していなかったため、インパール及びコヒマ戦争墓地に祀られていません。
同じく、英連邦構成国の国籍を有していない米国軍将兵も、祀られている現実を見ますと、よく解らない面があります。 -
埋葬されたイスラム教徒の墓石です。
パンジャブ連隊所属とあります。24歳の若さで亡くなっています。
セポイとありますので、インド軍に編入されていたようです。 -
インド軍地域内に置かれている埋葬されたインド軍将兵の墓石です。
SEPOYとの文字が見えますので、インド軍に雇用されていたインド人の兵士の墓石なのでしょう。
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