2024/09/15 - 2024/09/19
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夏子の探検さん
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この旅行記スケジュールを元に
小泉八雲氏に尊敬の念が消えない時代が有った・・・彼の著書「怪談」は既に中学時代には読んでいたが、改めて彼の生涯も追う事が出来て、良かったと思う。
松江城は前回に書いたが、かなり写真数が多く成るので、2部に分けました。
数機な運命をたどり、日本に住む事に成った小泉八雲氏~~本名ラフカディオハーンがどのようにして、日本の小説家?に成ったか?
とても興味深いお話でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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城山西堀川の橋を渡ります
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橋沿いの道を歩いて~
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小泉八雲記念館発見!!
小泉八雲記念館 美術館・博物館
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しかし、中は撮影禁止でした・・・
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入場券
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中は結構充実していました。(入口にあったVIDEO)
この先は此処で見て来た彼の生涯を書いて行きます。 -
その先に、小泉八雲旧居が有って・・・
小泉八雲旧居 名所・史跡
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旧居の説明
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彼の歴史などを見て来た事をこの先語ります。
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遺髪塔・・・小泉八雲の髪の毛を妻のセツが持って居た物を、3男坊が彼が好きだった古式五輪塔を模して作られたようです。
小泉八雲は1850年6月27日イオニア海のレフカダ島で生まれた。
2歳で父の実家のアイルランド・ダブリンへ移るが、ギリシャの島生まれの母が馴染めず、4歳の彼を残してギリシャに帰ってしまい、彼は叔母さんに育てられたようだ。 -
13歳の時に、全寮制の神学校に入れられ、遊戯中のケガで左目を失明した。
この事がずっと彼のコンプレックスであったらしい。ただ、神学校での教育の影響かキリスト教が嫌いに成ったらしく、神教(日本の神社関係)や他国の神に興味を抱いたらしい。その後叔母さんの破産によって、最後まで学べず、テムズ川あたりを放浪する生活も有ったようだ。 -
19歳の時単身移民船に乗り渡米、ニューヨークからシンシナティーの親類を頼るが相手にされず、日雇い業などをして暮らしていたが、印刷屋さんの友達が出来て、その仕事を手伝うようになった。
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仕事の合間に公立図書館に通い、読書や物語の活動をするように成り、印刷やさんの友人の紹介で業界誌や構成の仕事をに着くが、文才が認められ24歳でシンシナティーの新聞社で記事を書く正社員に成った。
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ニューオーリンズで異文化に触れて、タイムズ=デモクラット社の文芸部長と成りフランス・アフリカ・ネイティブアメリカンの文化が融合したクレオール文化の存在を知って、オープンマインドで3冊の本を書いた。
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作家としてのキャリアを本格的に歩み始め、ニューオーリンズで各種の事に触れ日本文化にも興味を持つ事に成る。
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1887年5月にタイムズ=デオクラット社を退職し、カリブ海の西インド諸島に取材旅行し、「真夏の熱帯行」の本にまとめ、その原稿料で、カリブ海の西インド諸島マルティニークから貿易港」サン・ピエール周辺にも滞在しながら、クレオールの人達に愛着を持って取材する。
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1889年38歳の時にニューヨークで英訳された「古事記」に出会い日本行きを切望するようになった。
ハーパー社の特派員として大陸横断鉄道に乗り、カナダのバンクーバーから汽船アビニシア号に乗って横浜に向かったようだ・・・一体何時間掛かって日本に着いたのだろうと今思えば大変だった時代ですよね。 -
八雲氏の使っていた机(彼の背の高さを物凄く感じた)
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八雲は16歳の時事故によって左目を失明していたが、・・・後は写真をタップすれば説明を読めます。
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ホラ貝はセツ夫人が江ノ島で買って来たものらしい
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生垣が素敵★
この家の庭は小さいですが、枯山水の庭でした。
この庭が八雲の重要作品の「知られぬ日本の面影」の舞台に成った居るようです。 -
怪談「雪女」や「耳なし芳一」などを書いた八雲邸の説明
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1890年40歳の時に島根県尋常中学校・師範学校の英語の教師に成り、境域者の道を進む事になる。教え子達にも好かれ、放課後彼らに案内され、寺社仏閣を周る事を楽しんで居たそうです。
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土塀の蔵
夏休みに初めて出雲大社近辺をおとづれ、日本の神教に特別な思いを寄せたそうで、寺社仏閣のお守りやその他を集め、現在はアメリカマサチューセッツ州の博物館に展示されている様子 -
この館に越して来てからは、日本の庭園美にも興味を持ち、その頃恩師の紹介で、武士の娘だった小泉セツさんと結婚した。
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1年3か月の松江滞在を終えて、熊本第五高等学校の英語教師としてセツさん一家と共に熊本に渡る。1893年に長男が生まれ、ラヅカディオのカディオから「一雄」と名付けたらしい。
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44歳の時に英字新聞「神戸クロニクル」の新聞記者として神戸に赴任したが、日本の文化や思想などにも触れ、日本人として日本に帰化したようだ。
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その後帝国大学文化大学(現在の東大文学部)から招集され、6年間にわたり教師として働くその後任は、ロンドンから帰国した夏目漱石だったらしい。
1904年狭心症によって54歳で亡くなったらしい。
今でも有名な「怪談」を出版したのは亡くなる半年前だった。 -
田部美術館には入って居ませんが、同じ並びに有ります
田部美術館 美術館・博物館
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田部美術館
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こんな建物が並ぶ道です
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武家屋敷は入館券に入っていましたので、お邪魔します。
武家屋敷 名所・史跡
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大きな入口(昔は馬車などでも入る事が出来る為に)を入ると、下記が説明
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亭内の説明
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大きなお屋敷(以前は商家だったらしい)
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内玄関(家族用)
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玄関の間(ここから来客用の玄関)
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座敷(説明は写真をアップして下さい)
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私も商談中「家の中の電気配線について」(笑)
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家族部屋
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当主の居間
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築山式の庭園
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この時代のトイレは一昔前の洋式と変わらない感じですね
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トイレ=雪隠(せっちん)と言うと何だか綺麗・・・
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築山式庭
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庭
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当主居間
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奥方の居間(奥の化粧道具入れが珍しい)
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茶室
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仏間
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奥に井戸がある
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台所
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食器など
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お風呂ですね
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神棚がこんな所に・・・
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長屋門および中間部屋
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旅の方などを泊める施設かな?
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こんな武家屋敷通りをまた歩く・・・暑い。。。汗だらだら(笑)
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反対側は、お城のお堀です
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明々庵
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この奥の道の先に有るようですが、あまりの暑さに、そこは抜かす・・・
明々庵 名所・史跡
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北惣門橋
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この辺の地図
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地図
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塩見縄手と言うバス停???
縄手と言うのは、縄のように一筋に伸びた道路の事だそうだが、この道の武家屋敷に住んで居た塩見小兵衛氏が住んで居たようで、この名前が付いたそうです。 -
1級河川 北田川
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北田川
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松江歴史館には時間的には入れませんでした
松江歴史館 美術館・博物館
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北惣門橋の説明
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先程遠くから見た北惣門橋
北惣門橋 名所・史跡
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教会を発見☆彡
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松江キリスト教会
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堀川めぐりの船着き場
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大手前堀川遊覧船のチケット売り場
ぐるっと松江堀川めぐり 乗り物
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乗船券
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堀川めぐりのポスター
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待合所
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喫茶店も入っていました
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堀尾吉晴公の説明
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城下町松江街歩きマップも有りました
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堀尾吉晴公の説明~~島根城を建てた方
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堀尾吉晴公が晴天に輝いて居ました
松江城に入口の戻って来ました。
あ~~?暑かった。。。その後車を預けていたホテルに戻り、旅を続けました
~~~最後までありがとうございました~~~
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