2024/08/07 - 2024/08/07
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ぱっちゃんさん
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昨年12月の娘との会話。
私:「ネルトリンゲンって知ってる? 行ってみたい?」
娘その1(大学生):「知ってるよ! 行ってみたーい!」
絶対行かないという回答が帰ってくると思っていたのでびっくりしました。
そこで、もう一人の娘にも聞いてみました。
私:「ネルトリンゲンって知ってる? 行ってみたい?」
娘その2(中学生):「ネルトリンゲンって何処? 何があるの?」
私:「進撃の巨人のモデルになった街で、ドイツにあるんだよ」
娘その2:「行ってみたーい!」
こうして、突然始まった我が家のドイツ旅。フランクフルトに到着して、ローテンブルク/ヴュルツブルクを観光して、いよいよベルリンに移動します。
□ 8/5 (月) 成田→フランクフルト フランクフルト泊
□ 8/6 (火) ローテンブルク/ヴュルツブルク観光 フランクフルト泊
■ 8/7 (水) フランクフルト→ベルリン移動+観光 ベルリン泊
■ 8/8 (木) 午前ベルリン観光→午後ミュンヘン ミュンヘン泊
□ 8/9 (金) ネルトリンゲン/アウクスブルク観光 ミュンヘン泊
□ 8/10 (土) ノイシュバンシュタイン城観光 ミュンヘン泊
□ 8/11 (日) 午前ミュンヘン観光→フランクフルト フランクフルト泊
□ 8/12 (月) ライン川下り観光 夜便で日本帰国
3日目はベルリンの東側、4日目はベルリンの西側を観光します。東西冷戦を最も肌で感じることのできるベルリンはどういう街なのでしょうか?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フランクフルト中央駅6:14発でベルリン中央駅に10:32到着のICE676で出発します。5人で280ユーロ(日本円で4万5千円くらい)ですので、日本の新幹線よりも安いくらいです。但し、一人だと120ユーロくらいなので、いかに人数割りの影響が大きいか分かります。
フランクフルト中央駅 駅
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フランクフルト中央駅を出ると幻想的な景色が出現。毎朝の様に鉄道移動しましたが、こういう景色は最初で最後でした。
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ICEが日本の新幹線と違うのは座席が大きく高いこと。新幹線は2-3=5座席ありますが、ICEは2-2=4座席なので当然と言えば当然、それと荷物置き場がいたるところにあって、大きなスーツケースでも不自由なく乗降りできます。行先案内表示も車内・ドア付近にあって、非常に見易い。
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フランクフルトはドイツの南西に位置しており、北東のベルリンに向かってドイツを横切る様に進んで行きます。ドイツは再生可能エネルギーの比率が高いと言われていますが、車窓からは風力発電設備が途切れなく続いていました。
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ベルリンまで4時間もあるので食堂車に行ってみました。日本語だと食堂車ですが、英語ではOn-board Bistroという表記になって、ちょっとお洒落な感じがしました。
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ベルリン中央駅に到着しました。ベルリン中央駅はICE等の長距離路線が発着する下のプラットフォームとSバーン等の近郊路線が発着する上のプラットフォームがあって、下から上までエスカレータで移動です。途中階にはお店があるので駅というよりもデパートの上と下に駅がある様な感じです。
ベルリン中央駅 駅
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上のプラットフォームに到着。ホテルの最寄り駅はフリードリッヒシュトラーゼ駅で一駅(ベルリン中央駅から東側)なのですが、電車の行先とかを見ても分からないので、Googl mapで位置を確認して電車に乗り込みました。
ベルリン中央駅 駅
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フリードリッヒシュトラーゼ駅に到着。シュトラーゼは日本語にすると通りなので、フリードリッヒ通り駅となります。フリードリッヒは、古いドイツ語の「frid 平和」と「rîhhi 権力、君主」が語源で、ドイツ人の名前や地名に多く使われているのもうなづけます。
ベルリンフリードリッヒ通り駅 駅
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ベルリンのホテルはレオナルドホテル ベルリンミッテです。外観は4星ホテルとは思えない造りですが、内装・ホテルの人々の接客態度はそれなりに立派なものでした。取敢えず荷物を預けてベルリン観光の始まりです。
レオナルド ホテル ベルリン ミッテ ホテル
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ホテルはベルリン中央を流れるシュプレー川沿いにあるので、川沿いに博物館島方向に向かいます。遊覧船が行きかっており、パリオリンピックの開会式みたいだと、皆手を振っていました。
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ベルリン観光のガイドブック等でお馴染みの博物館島の景色が見えてきました。その左にはテレビ塔。ボーデ博物館脇の道路は観光客もまばらで、独り占めした気分です。
博物館島 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館島はかつてのプロイセンの王宮があった場所で、ベルリンを代表する「旧博物館」「新博物館」「旧国立美術館」「ボーデ博物館」「ベルガモン博物館」が集まっています。
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博物館には目もくれずベルリン大聖堂で向かいます。ここはプロイセンのホーエンツォレルン王家の記念協会で、プロテスタント教会としてはドイツ最大級です。高さ114mもある中央の大きなドームはバチカン市国のサンピエトロ大聖堂をモデルにしています。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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人の流れにのっていくとチケット売り場をパスして受付まで行ってしまいました。一旦外に出てチケット売り場を探すと、ちゃんとありました。ここを通り過ぎたのですが、てっきりロッカー室だと思い込んでしまいました。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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大聖堂の内部は広く、高く、そして荘厳な雰囲気で一杯でした。ドームの内側は聖書の八福(イエスが最初に行った8つの幸福の教え)を表現した8つのモザイク画とステンドグラスに彩られていて、すごく綺麗でした。何よりも白を基調とした壁と金色の装飾品が正に映えていました。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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それらに負けていないのがパイプオルガンです。7269本のパイプを持ち、1905年創建時にはドイツ最大だったそうです。ベルリン大聖堂を訪れた理由は内部よりもドーム屋上からの眺めです。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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270段の階段は登りがいがありましたが、ベルリン市街の景色はそれに見合いました。上の写真は東から北の方角で、中央に「赤の市庁舎」左手に「テレビ塔」が見えます。下の写真は北から西の方角で、シュプレー川と博物館が見えます。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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上の写真は西の方角で、ベルリン大聖堂の片側のドームとルストガルテンの緑が鮮やかです。遠くに気球が豆粒の様に見えます。この後分かります、チェックポイントチャーリー近くの観光用気球でした。下の写真は南側で、手前にフンボルトフォーラムが見えます。
ベルリン大聖堂 寺院・教会
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もう13時を過ぎているのでベルリン初のご飯です。日差しは強いのですが、湿度が低くてからっとしているので日影にいくとそれ程暑さは感じません。ビルが日除けになっているレストランのテラス席でお昼ご飯。
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これまでドイツらしい肉料理を食べていなかったので、ソーセージとシュバイネハクセを注文。本当はアイスバインを食べたかったのですが、シュバイネハクセは豚すね肉をローストしたもので、皮がカリカリしていて評判でした。
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当初予定には入っていなかったのですが、娘その1が是非見たいというので、ベルリン大聖堂の隣にある「東ドイツ博物館」に入りました。
DDR博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ベルリンは現在のドイツの首都ですが、第二次世界大戦後から1990年10月3日のドイツ再統一するまでは東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都でした。東ドイツの首都ベルリンの中に西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の飛び地である西ベルリンがあったのですから、ちょっと考えれば何故そうする必要があったのか、不可解に思います。
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その東ドイツと西ベルリンを隔てていたのがベルリンの壁です。一言で壁と言っていますが、実際には壁と壁に近づけないようなスペースと監視塔、そして鉄条網から構成されています。第二次世界大戦映画のドイツの収容所と同じで、映画「大脱走」でお馴染みの景色です。
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この他には当時の東ドイツの暮らしぶりが分かるような提示物が多く陳列されていました。今の生活水準から考えると、ひどい生活だったのだ思いますが、西ドイツも同じ様なものだったのではないかとも思いました。それよりも、周りにいるドイツ人はこれを見てどう思っているのか、何故ここに見に来ているのかが不思議でした。
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赤の市庁舎前のネプチューン噴水で一休み。赤の市庁舎は1860年年代に建造されており、ベルリン市庁舎、東西分裂時は東ベルリン市庁舎、そして統一後もベルリン市庁舎としての役割を担っていました。現在はベルリン市長の公邸となっていますが、ベルリンではなかなか見ることのない赤煉瓦造りの建物が目を引きます。
ベルリン市庁舎 (赤の市庁舎) 史跡・遺跡
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聖マリア教会、テレビ塔の近くを通ってアレクサンダー広場駅に向かいます。テレビ塔の上にも登ってみたかったのですが、ベルリン大聖堂のドームに登っているのでパス。ウーラニアー世界時計を見るのを忘れたのがちょっと心残りです。
テレビ塔 建造物
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アレクサンダー広場駅からSバーンで一駅のベルリン東駅に到着。駅からイーストサイドギャラリーまでは徒歩数分なので、あっという間にベルリンの壁とご対面。事前に各種サイトで見たことのある壁が次々に現れてきます。
イーストサイドギャラリー 博物館・美術館・ギャラリー
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人だかりが凄かったのが、この旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー議長の情熱的なキスシーン。長年の天気や汚染の影響、観光客による心無いいたずら書き等によって、この絵は描き直されたので、2代目になります。
イーストサイドギャラリー 博物館・美術館・ギャラリー
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富士山と五重塔の壁画もありました。日本人によるものだと思いましたが、実は西ベルリン在住のドイツ人作家によるものだそうです。
イーストサイドギャラリー 博物館・美術館・ギャラリー
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イーストサイドギャラリーはシュプレー川沿いの左岸1.3kmに壁が設置されており、オーバーバウム橋で一旦終わりを告げて、右岸に壁が設置されます。壁を越えた人々はこの川を渡って西ベルリンに亡命しなければならなかったと考えると、何故ここだけ左岸に壁があったのか、その理由が気になります。
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オーバーバウム橋は2層構造(下層が道路橋、上層が鉄道橋)という珍しい構造の橋です。18世紀に木造の跳ね橋として造られたのが始まりで、19世紀末に二つの塔を持つネオゴシックの橋として2階建ての橋に建て替えられました。第二次世界大戦後の冷戦時代には東西ベルリンを繋ぐ数少ないポイントでした。
オーバーバウム橋 建造物
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橋の上を鉄道が走るので、柱はこれでもかというくらい太く頑丈そうでした。橋から数メール上を電車が走るので、音と振動が半端なく、あまり近くにいたくはないレベルでした。
オーバーバウム橋 建造物
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橋を渡って直ぐにあるスカリッツアー通り駅からUバーンに乗って、ハレッツェトール駅で乗り換えて、チェックポイントチャーリー駅に向かいます。
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地上に出ると、もうそこはチェックポイントチャーリーでした。東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所で、数少ない東西ベルリンの交流の場所です。この写真は東ベルリンから見た景色で、通りの真ん中に米軍兵士の写真が掲げられています。
チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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左はチェックポイントチャーリーそのもので、この小さな建物が壁の内側(西ベルリン側)にありました。右の写真はソ連兵士の写真で、昔はこの様に米ソ両兵士がそれぞれを見張っていたのでしょうか・
チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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チェックポイントチャーリーから西へ数百メートルいったところにあるのが「テロのトポグラフィー」です。ここはナチスドイツ時代にゲシュタポ本部のあった場所です。偶然にもここにもベルリンの壁が築かれており、ナチスと冷戦という2つの恐怖(テロ)が実際に繰り広げられた場所(トポグラフィー)ということを意味します。イーストサイドギャラリーはベルリンの壁がアートとして活用されていますが、ここはそのままの状態で残っている数少ない場所です。
テロのトポグラフィー 博物館・美術館・ギャラリー
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娘その1が英語の説明分を読みながら、娘その2に説明しています。一つ二つだけかと思っていましたが、一つ一つ手を抜くことなく最後までやっていました。娘その1の性格というか、知りたいこと・やりたいことはトコトン追求するという面を初めて見た気がしました。父にとっては「娘その1のトポグラフィー」と言える場所でした。
テロのトポグラフィー 博物館・美術館・ギャラリー
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元々ここにはベルリン城壁の門であるポツダム門があったことからポツダム広場という名前になりました。ベルリンの壁はこの広場を分断しましたが、ベルリンの壁崩壊によって広場は元の姿を取り戻しました。現在は再開発が進み大規模ショッピングモールもあって大人気の街だそうです。
ポツダム広場 広場・公園
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予定ではギュンター・リトフィンメモリアム(ベルリンの壁を越境しようとした最初の犠牲者の碑)に行く予定でしたが、もう19時になってお腹も空いてきたので諦めました。ポツダム広場駅からDBに乗ってホテルのあるフリードリッヒシュトラーゼ駅まで戻ります。
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今日の夕食はホテル近くのブルーバードフリードリッヒシュトラーゼ店。フリードリッヒ通りに面していますが、木立の下にテラス席があって、良い雰囲気のお店です。日本人の口コミも多く期待できそうです。
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注文したのは、カレーブルスト(カレー味のソーセージ)、アイスバイン(塩漬け豚すね肉の煮込み)、シュ二ッツェル(子牛のカツレツ)です。ベルリンに来てようやく食のモードが全開になってきた様です。
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もう21時を過ぎているので3日目も終了です。流石4つ星ホテルです。内装は広く立派でした。明日は珍しく朝移動のない日なので、皆ぐっすり休みました。
レオナルド ホテル ベルリン ミッテ ホテル
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8/7 4日目です。この日は唯一朝鉄道での移動の無い日です。「ゆっくり朝マックしたい」という娘その2の提案で、フリードリッヒシュトラーゼ駅近くのマックへ。開店直後なので店内はガラガラ。日本のマックとは商品名が違うので、写真付きのタッチパネルで注文しました。値段はほぼ日本と一緒でした。
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今日の観光コースは、ブランデンブルク門をスタートして、ベルリン中央部に位置する公園ティアガルテンの反対側にあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ行きます。ホテルから歩いても2km弱なのですが、Uバーンで行くことにしました。
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フリードリッヒシュトラーゼ駅からU2/U3線に乗って、ウンター・デン・リンデン駅で乗り換え。そしてU5/U6線でブランデンブルク駅に向かいます。改札は無いし、切符はDBアプリで買っているので、街を歩いてエスカレーターに乗ったらホームについて、そのまま電車に乗るので、まるでタダで乗っている様な感覚になってきました。
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ブランデンブルク門駅に到着。駅の壁にはドイツの歴史が写真入りで掲示してありました。至る所に歴史を考えさせられるものがあって、歴史特に過ちに対して真摯に向き合っている様な気がしました。
ブランデンブルク門駅 駅
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地上に出ると、目の前にはブランデンブルク門です。周りは広場の様に見えますが、元々ここは道路で、門は道路の上にあったのです。但し、門の向こう側はティーアガルデン公園になっているので、本当の道路は門を迂回しています。
ブランデンブルク門 建造物
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ここにはベルリンの城壁がありましたが、通行税を取るために城壁の一部を壊して門が作られました。対仏戦勝利を祝うために1791年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム2世によって現在の門が作られました。この門はベルリンの壁のすぐ脇にあり、東ドイツ領にあった為、通行できない状況が続きました。ベルリンの壁崩壊によって、観光名所として復活したのです。
ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の北側にはシュプレー川が流れていますが、この辺りにはお洒落な外観の建物が数多くありました。また水際まで近寄れる様になっているので、ちょっとした水遊び気分満点です。
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ブランデンブルク門の隣にあるのがドイツ連邦議会議事堂です。1894年にドイツ帝国時代に建設されましたが、ナチスが実権を握ると国会が不要となり、さらに東西ドイツ分裂時代は西ベルリンにあったため使われなくなってしまいました。東西ドイツ統一後、大改築を進め1999年にドイツ連邦議会議事堂として復活しました。
ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
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前の写真でも分かる様に非常に幅の広い建物で、正目にあるドイツ連邦政府庁舎との間では全景を収めるのが難しく、子供達も壁に張り付いて写真を撮っていました。娘その1、その2は少しでも離れようと窓のちょっとした隙間まで入り込んでいました。
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この建物の屋上には巨大なガラスドームがあり、観光客もそこからの景色を見ることができます。事前予約が必要でHPにアクセスしましたが工事中とのことで諦めていました。実際近くまでくると、ドーム・それ以外の建物も改修工事中で、近づくことすらできない状況でした。このドームの景色を期待していて、これが表紙の写真になるかと思っていたので、残念。
ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
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ティーアガルデン公園を西に向かうと現れるのがソビエト戦争記念碑です。ドイツが占領した領土は、西から連合軍、東からソ連によって解放されていきますが、ベルリンを占領したのはソ連でした。ここはベルリン攻防戦に250万人の兵士を投入しましたが(因みにドイツは100万人)、17万人がこの戦いで死亡し、その慰霊碑としてソビエト戦争記念碑を作りました。ここは西ベルリン側にありますが、何故東ドイツ領にしなかったのか不思議でした。
ソビエト顕彰碑 モニュメント・記念碑
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更に西に進むと、大きなロータリーの中央に戦勝記念塔があります。1864年の対デンマーク戦勝利、1866年の対オーストリア勝勝利、1871年の対フランス戦勝利を記念して建てられました。戦勝塔の下にはモザイク画がありますが、ドイツを統一したヴィルヘルム一世、宰相ビスマルク、参謀モルトケ、大臣ルーム、そして敵としてナポレオンが描かれています。
ジーゲスゾイレ (戦勝記念塔) モニュメント・記念碑
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戦勝塔のてっぺんにいるのは勝利の女神ビクトリアです。戦勝塔は元々ブランデンブルク門近くに建てられましたが、ヒットラーのベルリン世界首都構想によって、ここに移設されました。
ジーゲスゾイレ (戦勝記念塔) モニュメント・記念碑
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ティーアガルテンにドイツ作曲家のベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトの記念碑があるので行ってみました。公園内では自転車に乗っている人が気持ちよさそうにペダルをこいでいました。ドイツは電車にも自転車が持ち込めるので、自転車旅行もいいな~とも思いました。
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ベルリン動物園を過ぎてハルテンベルク通りに出た途端、周辺の景色とは明らかに異質と思われる建物が現れました。カイザー・ヴィルヘルム記念教会です。19世紀末に建てられたネオロマネスク風の教会で。第二次世界大戦の砲火で破壊され、戦争の恐ろしさを伝える記念碑として、建物が破壊されたままの状態で永久保存されています。
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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ヴィルヘルム1世によるドイツ統一を記念して1895年に建てられた教会です。外壁はまるで廃墟の様な無残な姿を晒していますが、内部の天井画は修復されており綺麗でした。ここを訪れたのは、旧教会の隣にある新教会、青の教会です。
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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教会に足を一歩踏み入れた途端、青の教会の意味が分かりました。20世紀を代表するフランス人のステンドグラス作家であるガブリエル・ロワールにより、21334枚のステンドグラスが使われていて360度全て青でした。
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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蒼のステンドグラスと金色のキリスト像が印象的ですが、振り返ってみると、教会入口の2階にはパイプオルガンが存在感を放っていました。パイプがステンドグラスの青色を受けて同じ様に青色に光っており、教会との一体感が感じられました。ベルリン観光は戦争の悲惨さを感じるものが多かったのですが、最後の最後は未来を感じさせる蒼で締めくくったのが、気持ちを軽くさせてくれました。
ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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DBベルリン動物園駅からSバーンでフリードリッヒシュトラーゼ駅まで行き、ホテルまで戻って荷物をピックアップして、ベルリン中央駅まで戻ってきました。昼ご飯を食べていないので、ICE車内用に買い出しに出かけました。
ベルリン中央駅 駅
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13:39ベルリン中央駅発、19:03 ミュンヘン駅到着のICE1601に乗車しました。5時間24分なので結構乗りでがあります。更に、この電車はベルリン始発ではなく、ハンブルク発というので驚きです。ハンブルクを11:19発なので、ミュンヘンまでは7時間44分です。東京 - 鹿児島中央とほぼ同じ。ベルリン発の時間が読めなかったので、当日券にしましたが、これは大失敗。5人分で643ユーロ(ほぼ10万円)もかかってしまいました。前日予約であれば、この半額だったのに。
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予定よりも大幅に遅れて19:40ミュンヘン中央駅に到着。ミュンヘン中央駅もフランクフルト中央駅と同じく行き止まり駅でした。
ミュンヘン中央駅 (ハウプトバーンホフ) 駅
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ミュンヘンではホテルではなく、所謂ホステルにしました。フランクフルト、ベルリンに比べて宿泊費が3倍くらい高く、しかもそこに3泊するので大出費です。ホステルの中でも評判の悪くないイエーガーズミュンヘン - ホステルにしました。場所はミュンヘン中央駅から徒歩1分程度だし、周りには高級ホテルもあるので、治安も大丈夫そうです。
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チェックインしたり荷物を整理していたらもう21時近く。急いで夕飯に向かいます。ホステルから徒歩30秒くらいで良い感じのお店"Münchner Stubn"がありました。口コミチェックしましたが、日本語でも良い口コミがあったのでここに決定。
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この頃になると注文するものも定着してきて、あまりメニューを見ても目が泳ぐ様なことはなくなってきました。ここで初めてなのは、豚肉煮込みのシュヴァイネブラーテン。日本の豚肉は火を通すと硬くなりますが、ドイツで食べたのはどれもしっとり柔らかでした。お店を出たのは22時近く。明日はいよいよネルトリンゲンです。
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