東白川・石川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2024年6月下旬の週末に、茨城・福島県境を跨る奥久慈地域へ一泊二日の一人旅に行って来ました。

<br /><br />今回は福島県南部の塙町(はなわまち)にある湯岐(ゆじまた)温泉に宿を取り、併せて未訪問の茨城県大子町(だいごまち)に立ち寄る計画を立てました。<br /><br />今年は例年になく関東・東北地方の梅雨入りが遅く、出発の前日にようやく関東地方の梅雨入りが発表されました。<br /><br />旅の1日目は曇りがちな晴れ、2日目は時折雨の降る生憎の天気でしたが、日本三名瀑の一つに数えられる袋田の滝に古城跡巡りと、本格的梅雨入り前の久慈川の上流部を楽しんで来ましたよ。<br /><br />本編は2日目前半の福島県東白川郡棚倉町(たなぐらまち)の旅行記です。

2024年6月夏の週末一泊一人旅~茨城県&福島県奥久慈④:磐城棚倉古城跡巡り~

67いいね!

2024/06/23 - 2024/06/23

42位(同エリア185件中)

チャムンパス

チャムンパスさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

2024年6月下旬の週末に、茨城・福島県境を跨る奥久慈地域へ一泊二日の一人旅に行って来ました。



今回は福島県南部の塙町(はなわまち)にある湯岐(ゆじまた)温泉に宿を取り、併せて未訪問の茨城県大子町(だいごまち)に立ち寄る計画を立てました。

今年は例年になく関東・東北地方の梅雨入りが遅く、出発の前日にようやく関東地方の梅雨入りが発表されました。

旅の1日目は曇りがちな晴れ、2日目は時折雨の降る生憎の天気でしたが、日本三名瀑の一つに数えられる袋田の滝に古城跡巡りと、本格的梅雨入り前の久慈川の上流部を楽しんで来ましたよ。

本編は2日目前半の福島県東白川郡棚倉町(たなぐらまち)の旅行記です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
タクシー JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • この前編は『2024年6月夏の週末一泊一人旅~茨城県&福島県奥久慈③:湯岐温泉山形屋旅館さん~』です。<br />https://4travel.jp/travelogue/11913079<br /><br />旅の2日目の6月23日(日)の11時15分に、宿泊先最寄りの福島県塙町のJR磐城塙駅から水郡線の郡山行きの普通列車に乗車しました。<br /><br />11時26分に磐城棚倉(たなくら)駅に到着し、ここで下車ました。<br /><br />磐城棚倉駅は福島県棚倉町の代表駅で、以前は有人駅でしたが現在は無人駅です。

    この前編は『2024年6月夏の週末一泊一人旅~茨城県&福島県奥久慈③:湯岐温泉山形屋旅館さん~』です。
    https://4travel.jp/travelogue/11913079

    旅の2日目の6月23日(日)の11時15分に、宿泊先最寄りの福島県塙町のJR磐城塙駅から水郡線の郡山行きの普通列車に乗車しました。

    11時26分に磐城棚倉(たなくら)駅に到着し、ここで下車ました。

    磐城棚倉駅は福島県棚倉町の代表駅で、以前は有人駅でしたが現在は無人駅です。

    磐城棚倉駅

  • 駅舎を出ると左手にJRバス関東の磐城棚倉車庫があります。<br /><br />ここから白河駅に向かう路線バス『白棚(はくほう)線』が運行されています。

    駅舎を出ると左手にJRバス関東の磐城棚倉車庫があります。

    ここから白河駅に向かう路線バス『白棚(はくほう)線』が運行されています。

    JRバス関東 (福島) 乗り物

  • 棚倉町を観光する前にカフェで休憩を取りました、<br /><br />駅前にある『駅前リビングルーム』さんにお邪魔しました。

    棚倉町を観光する前にカフェで休憩を取りました、

    駅前にある『駅前リビングルーム』さんにお邪魔しました。

  • お店の内装は店名通りですね。

    お店の内装は店名通りですね。

  • アイスコーヒー税込400円を注文し、店内で頂きながらどこに行こうか暫く考えていました。

    アイスコーヒー税込400円を注文し、店内で頂きながらどこに行こうか暫く考えていました。

  • 駅前リビングルームさんを出て磐城棚倉駅に戻り、地元のタクシー会社に連絡して配車をお願いしました。<br /><br />到着したタクシーに乗車して向かった先は『赤館公園』です。<br /><br />運賃は850円でした。<br /><br />駐車場で降ろしてもらい周囲を見渡すと誰もいない…

    駅前リビングルームさんを出て磐城棚倉駅に戻り、地元のタクシー会社に連絡して配車をお願いしました。

    到着したタクシーに乗車して向かった先は『赤館公園』です。

    運賃は850円でした。

    駐車場で降ろしてもらい周囲を見渡すと誰もいない…

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 標高345mの山の上にある赤館公園ですが、かつてここに『赤館城』がありました。<br /><br />築城時期は不明な山城ですが、戦国時代にはこの城を含む奥久慈地域を巡って、南の佐竹氏と北の伊達氏や白川氏が激しい争奪戦を繰り広げていました。<br /><br />安土桃山期にここを領有した佐竹氏も関ヶ原の戦いの後に秋田に転封させられ、その後関ヶ原の戦いで西軍に味方して所領を没収された九州の大名、立花宗茂が奇跡の復活を果たしてこの城の城主になりました。<br /><br />宗茂が故郷の筑後国(現在の福岡県南部)柳川に転封した後、この地の領主になった丹羽長重(織田信長の重臣、丹羽長秀の息子)は1627(寛永4)年に麓に築城した『棚倉城』に居城を移して、赤館城は廃城となりました。

    標高345mの山の上にある赤館公園ですが、かつてここに『赤館城』がありました。

    築城時期は不明な山城ですが、戦国時代にはこの城を含む奥久慈地域を巡って、南の佐竹氏と北の伊達氏や白川氏が激しい争奪戦を繰り広げていました。

    安土桃山期にここを領有した佐竹氏も関ヶ原の戦いの後に秋田に転封させられ、その後関ヶ原の戦いで西軍に味方して所領を没収された九州の大名、立花宗茂が奇跡の復活を果たしてこの城の城主になりました。

    宗茂が故郷の筑後国(現在の福岡県南部)柳川に転封した後、この地の領主になった丹羽長重(織田信長の重臣、丹羽長秀の息子)は1627(寛永4)年に麓に築城した『棚倉城』に居城を移して、赤館城は廃城となりました。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 訪問当時は誰もいなかった公園ですが、園内にはソメイヨシノが植えられていました。<br /><br />春のお花見シーズンは訪れる人が多い様です。<br /><br />6月のこの時期に訪問客の目を楽しませてくれるのは、数は少ないですが紫陽花です。

    訪問当時は誰もいなかった公園ですが、園内にはソメイヨシノが植えられていました。

    春のお花見シーズンは訪れる人が多い様です。

    6月のこの時期に訪問客の目を楽しませてくれるのは、数は少ないですが紫陽花です。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 展望台の様な場所がありました。

    展望台の様な場所がありました。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • そこから棚倉の街を眺めることができました。

    そこから棚倉の街を眺めることができました。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 棚倉町には市街地に棚倉城跡『亀ヶ城公園』があり、そこを町の城として観光案内しているため、ここが城跡だとは余り知られていない様です。<br /><br />城跡を示すものは先程紹介した、駐車場そばの案内板だけです。<br /><br />園内を歩いてみると、神奈川県にある大山阿夫利神社の祠や戦前に建てられた『神武天皇(陵)遥拝所』の石碑がありました。<br /><br />城跡と思って見ると、それらしく見えてきます。

    棚倉町には市街地に棚倉城跡『亀ヶ城公園』があり、そこを町の城として観光案内しているため、ここが城跡だとは余り知られていない様です。

    城跡を示すものは先程紹介した、駐車場そばの案内板だけです。

    園内を歩いてみると、神奈川県にある大山阿夫利神社の祠や戦前に建てられた『神武天皇(陵)遥拝所』の石碑がありました。

    城跡と思って見ると、それらしく見えてきます。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 赤館城跡の『探検』はこのくらいにして、帰りは徒歩で麓に下りて行きました。

    イチオシ

    赤館城跡の『探検』はこのくらいにして、帰りは徒歩で麓に下りて行きました。

    赤館城跡(赤館公園) 公園・植物園

  • 赤館公園から狭い車道を下りて行くと、途中に『赤館旅館』さんがあります。<br /><br />植栽も剪定されていて、今も現役の旅館です。

    赤館公園から狭い車道を下りて行くと、途中に『赤館旅館』さんがあります。

    植栽も剪定されていて、今も現役の旅館です。

    赤館旅館 宿・ホテル

  • 麓を通る県道25号線に出て、棚倉市街方面に向かって歩きました。<br /><br />途中、建設会社の敷地に植えられていたアナベルの花に目が留まり撮影。

    イチオシ

    麓を通る県道25号線に出て、棚倉市街方面に向かって歩きました。

    途中、建設会社の敷地に植えられていたアナベルの花に目が留まり撮影。

  • さらに市街地に向かって歩いて行くと、左手に『宇迦(うか)神社』の石碑を見つけました。

    さらに市街地に向かって歩いて行くと、左手に『宇迦(うか)神社』の石碑を見つけました。

  • 戦前の神社の格付けで『県(縣)社』ですから、地域を代表する歴史のある神社の様ですね。<br /><br />こちらに行ってみることにしました。

    戦前の神社の格付けで『県(縣)社』ですから、地域を代表する歴史のある神社の様ですね。

    こちらに行ってみることにしました。

  • 二の鳥居を潜ると石段となります。<br /><br />二の鳥居の近くに随神門が建っていますが、門の両脇の木像が特徴的です。<br /><br />表(入口)側が神社で一般的な束帯姿の神像なのに対し、裏(本殿)側は寺院の山門で見かける仁王像です。<br /><br />江戸時代以前の神仏習合の名残なのでしょうか。

    二の鳥居を潜ると石段となります。

    二の鳥居の近くに随神門が建っていますが、門の両脇の木像が特徴的です。

    表(入口)側が神社で一般的な束帯姿の神像なのに対し、裏(本殿)側は寺院の山門で見かける仁王像です。

    江戸時代以前の神仏習合の名残なのでしょうか。

  • 石段を上がり突き当たりを右折、平坦な参道を歩いて突き当たりを左折、再度石段を上がりました。<br /><br />境内に着いた時点で汗をいっぱいかきました。

    石段を上がり突き当たりを右折、平坦な参道を歩いて突き当たりを左折、再度石段を上がりました。

    境内に着いた時点で汗をいっぱいかきました。

  • 宇迦神社は奈良時代に創建されたと言い伝えられていますが、現在の場所に祀られたのは立花宗茂が赤館城主の頃だそうです。<br /><br />御祭神は『宇迦明神(=宇迦之御魂神)』で、いわゆる福の神です。<br /><br />社殿の前で旅の無事を祈りました。

    宇迦神社は奈良時代に創建されたと言い伝えられていますが、現在の場所に祀られたのは立花宗茂が赤館城主の頃だそうです。

    御祭神は『宇迦明神(=宇迦之御魂神)』で、いわゆる福の神です。

    社殿の前で旅の無事を祈りました。

  • 宇迦神社を出て棚倉市街に入りました。<br /><br />町のメインストリートにあたる県道177号線、通称『棚倉街道』を南に向かって寄り道しながら歩きました。<br /><br />画像右上は『蓮生寺(れんしょうじ)』、鎌倉期に起源を持つ江戸前期の1627(寛永4)年に建立された浄土真宗東本願寺派の寺院。<br /><br />左下は『金刀比羅神社』、小さな境内の神社です。

    宇迦神社を出て棚倉市街に入りました。

    町のメインストリートにあたる県道177号線、通称『棚倉街道』を南に向かって寄り道しながら歩きました。

    画像右上は『蓮生寺(れんしょうじ)』、鎌倉期に起源を持つ江戸前期の1627(寛永4)年に建立された浄土真宗東本願寺派の寺院。

    左下は『金刀比羅神社』、小さな境内の神社です。

  • 時刻は13時を過ぎましたので、この辺りで昼食を摂ることにしました。<br /><br />レストラン『武駒』さんに来店しました。

    時刻は13時を過ぎましたので、この辺りで昼食を摂ることにしました。

    レストラン『武駒』さんに来店しました。

  • 店内は昭和の喫茶店の様な佇まいです。

    店内は昭和の喫茶店の様な佇まいです。

  • お店のメニューは洋食と中華の二本立てです。<br /><br />チャーハン税込850円を頂きましたが、ボリューム感満点でした。

    お店のメニューは洋食と中華の二本立てです。

    チャーハン税込850円を頂きましたが、ボリューム感満点でした。

  • 武駒さんで腹ごしらえをしてから旅を再開しました。<br /><br />南に向かって歩き、亀ヶ城公園に到着しました。

    武駒さんで腹ごしらえをしてから旅を再開しました。

    南に向かって歩き、亀ヶ城公園に到着しました。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 城跡を囲む濠の中に噴水があります。<br /><br />濠の水質浄化に一役買っています。

    城跡を囲む濠の中に噴水があります。

    濠の水質浄化に一役買っています。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 2ヶ所ある城跡の出入口のうち、北側の『北二門』跡から入城しました。

    2ヶ所ある城跡の出入口のうち、北側の『北二門』跡から入城しました。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 城跡に入るとだだっ広い広場に出ました。<br /><br />ここは棚倉城の本丸跡です。

    城跡に入るとだだっ広い広場に出ました。

    ここは棚倉城の本丸跡です。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 本丸跡の東側です。<br /><br />城跡に城廓建築物は建っていません。<br /><br />本丸跡は土塁に囲まれていますが、土塁の上に樹々が生い茂っています。

    本丸跡の東側です。

    城跡に城廓建築物は建っていません。

    本丸跡は土塁に囲まれていますが、土塁の上に樹々が生い茂っています。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 本丸跡の西側です。<br /><br />土塁の上に大きな樹が立っています。<br /><br />土塁の城は東日本の城郭では一般的で、東北地方の石垣の城は会津若松城や盛岡城など数える程しかありません。

    本丸跡の西側です。

    土塁の上に大きな樹が立っています。

    土塁の城は東日本の城郭では一般的で、東北地方の石垣の城は会津若松城や盛岡城など数える程しかありません。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 先に訪問した赤館城跡で説明しましたが、江戸前期にここの領主だった丹羽長重が赤館城に代わる城として築城したのが棚倉城です。<br /><br />防衛重視の戦国の山城から、政庁として使いやすい平城に代わったのも、天下泰平の江戸時代らしい風潮です。<br /><br />しかし、いつまでも平和でいられる筈もなく、幕末~明治初頭の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加盟した棚倉藩は薩長土肥率いる新政府軍の攻撃を受け、1868(慶応4)年に落城しました。

    先に訪問した赤館城跡で説明しましたが、江戸前期にここの領主だった丹羽長重が赤館城に代わる城として築城したのが棚倉城です。

    防衛重視の戦国の山城から、政庁として使いやすい平城に代わったのも、天下泰平の江戸時代らしい風潮です。

    しかし、いつまでも平和でいられる筈もなく、幕末~明治初頭の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加盟した棚倉藩は薩長土肥率いる新政府軍の攻撃を受け、1868(慶応4)年に落城しました。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 帰りは城跡の東南部にある『追手枡形門』跡から出ました。

    帰りは城跡の東南部にある『追手枡形門』跡から出ました。

    棚倉城跡(亀ヶ城公園) 公園・植物園

  • 追手枡形門跡近くにある『大ケヤキ』です。<br /><br />幹の根元近くにある瘤が特徴的な、風格を感じられる巨木です。<br /><br />樹齢650年と推定される古木ですが、元々は棚倉城が築城される前にここにあった『馬場都々古別(ばばつつこわけ)神社』の御神木だったそうです。<br /><br />神社は築城の際に別の場所に移転しましたが、この樹は伐採されずにそのまま残りました。<br /><br />最初樹の全体を撮影しましたが、撮った画像に自分の指が大きく写り込んでいましたので、こちらの画像を掲載しました。

    追手枡形門跡近くにある『大ケヤキ』です。

    幹の根元近くにある瘤が特徴的な、風格を感じられる巨木です。

    樹齢650年と推定される古木ですが、元々は棚倉城が築城される前にここにあった『馬場都々古別(ばばつつこわけ)神社』の御神木だったそうです。

    神社は築城の際に別の場所に移転しましたが、この樹は伐採されずにそのまま残りました。

    最初樹の全体を撮影しましたが、撮った画像に自分の指が大きく写り込んでいましたので、こちらの画像を掲載しました。

  • 亀ヶ城公園から磐城棚倉駅に戻る途中で『蓮家寺(れんげじ)』に立ち寄りました、<br /><br />大きな山門のある、浄土宗の寺院です。

    亀ヶ城公園から磐城棚倉駅に戻る途中で『蓮家寺(れんげじ)』に立ち寄りました、

    大きな山門のある、浄土宗の寺院です。

  • 蓮家寺は江戸初期の1603(慶長8)年に創建されましたが、寺号は2人の開基者の苗字から採られたそうです。<br /><br />歴代の棚倉藩主や江戸徳川将軍から篤い崇敬を受けました。<br /><br />戊辰戦争では棚倉城落城後、土佐藩の本陣となり板垣退助がここで軍の指揮を執ったそうです。

    蓮家寺は江戸初期の1603(慶長8)年に創建されましたが、寺号は2人の開基者の苗字から採られたそうです。

    歴代の棚倉藩主や江戸徳川将軍から篤い崇敬を受けました。

    戊辰戦争では棚倉城落城後、土佐藩の本陣となり板垣退助がここで軍の指揮を執ったそうです。

  • 徒歩で磐城棚倉駅に戻り、駅前から14時30分発の白河駅行きのJRバス関東『白棚線』に乗車して棚倉町を後にしました。<br /><br />棚倉町は交通アクセスの面ではちょっと不便ですが観光地化されていなくて、その分落ち着いた雰囲気の町を楽しむことが出来ました。<br /><br />本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。<br /><br />この続きは『2024年6月夏の週末一泊一人旅~茨城県&福島県奥久慈⑤:雨の白河小峰城~』となります。<br />https://4travel.jp/travelogue/11914704

    徒歩で磐城棚倉駅に戻り、駅前から14時30分発の白河駅行きのJRバス関東『白棚線』に乗車して棚倉町を後にしました。

    棚倉町は交通アクセスの面ではちょっと不便ですが観光地化されていなくて、その分落ち着いた雰囲気の町を楽しむことが出来ました。

    本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。

    この続きは『2024年6月夏の週末一泊一人旅~茨城県&福島県奥久慈⑤:雨の白河小峰城~』となります。
    https://4travel.jp/travelogue/11914704

    磐城棚倉駅

67いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP