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月山富田城は、戦国時代には難攻不落の山城と言われ、尼子氏、大内氏、毛利氏などの激しい攻防の舞台になりました。現在では城跡や登城ルートがきれいに整備されているので、頂上まで登り戦乱の時代に思いを馳せることができました。<br /><br />旅の全体日程は以下のとおりです。<br />1日目:新神戸駅→備中松山城→米子(米子泊)<br />2日目:レンタカーで、月山富田城、足立美術館(米子泊)<br />3日目:松江城と城下町、茶室(出雲市泊)<br />4日目:レンタカーで、古代出雲の遺跡巡り(出雲市泊)<br />5日目:レンタカーで、奥出雲たたら製鉄の歴史巡り、出雲空港→羽田空港<br />

島根+備中松山城 ②月山富田城

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2024/06/01 - 2024/06/01

270位(同エリア345件中)

旅行記グループ 島根+備中松山城

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ポールさん

この旅行記のスケジュール

2024/06/01

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月山富田城は、戦国時代には難攻不落の山城と言われ、尼子氏、大内氏、毛利氏などの激しい攻防の舞台になりました。現在では城跡や登城ルートがきれいに整備されているので、頂上まで登り戦乱の時代に思いを馳せることができました。

旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→備中松山城→米子(米子泊)
2日目:レンタカーで、月山富田城、足立美術館(米子泊)
3日目:松江城と城下町、茶室(出雲市泊)
4日目:レンタカーで、古代出雲の遺跡巡り(出雲市泊)
5日目:レンタカーで、奥出雲たたら製鉄の歴史巡り、出雲空港→羽田空港

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 駐車場にレンタカーを停めて登城開始です。

    駐車場にレンタカーを停めて登城開始です。

  • 麓の歴史資料館に展示されていた復元模型です。<br />月山富田城はこの地方を代表する広大な中世山城跡で、築城の始まりは平安時代末期と推定されています。<br />1221年、近江源氏の佐々木義清が承久の乱の功績で出雲・隠岐の守護となり、月山富田城に入りました。<br />1343年、京極高氏が守護となり、吉田厳覚を守護代とし富田城主としましたが、山名時氏に敗れ、城も山名領に入りました。<br />1391年、山名氏は明徳の乱で敗れ、再び京極氏が守護となりました。<br />1392年、京極高詮は甥の尼子持久を守護代として月山富田城に入れ、その孫、尼子経久は勢力を拡大し、山陰から山陽に跨る11か国を支配する勢力を形成し、尼子氏の全盛期を築きました。<br />1542年、大内義隆が毛利元就ら国人衆も集め、2万の兵で出雲に来襲。月山富田城は包囲されましが、大内軍の補給線を分断し、大内配下の吉川興経ら国人衆を寝返らせ、1543年に敗走させました。【第一次月山富田城の戦い】<br />1562年、毛利元就は和睦を破棄し、出雲侵攻を開始。1565年4月17日から総攻撃を開始。1566年11月に尼子氏は降伏しました。【第二次月山富田城の戦い】<br />1591年、吉川広家が豊臣秀吉から東出雲・隠岐・西伯耆12万石を与えられましたが、1600年、関ヶ原の戦いの後岩国に転封となり、堀尾吉晴が出雲・隠岐23.5万石を与えられ、月山富田城に最後の大改修を施しました。自らの居館として、月山山頂に至る麓の地に山中御殿を造営。また山頂部にも石垣を導入し、総石垣の曲輪を築き上げました。

    麓の歴史資料館に展示されていた復元模型です。
    月山富田城はこの地方を代表する広大な中世山城跡で、築城の始まりは平安時代末期と推定されています。
    1221年、近江源氏の佐々木義清が承久の乱の功績で出雲・隠岐の守護となり、月山富田城に入りました。
    1343年、京極高氏が守護となり、吉田厳覚を守護代とし富田城主としましたが、山名時氏に敗れ、城も山名領に入りました。
    1391年、山名氏は明徳の乱で敗れ、再び京極氏が守護となりました。
    1392年、京極高詮は甥の尼子持久を守護代として月山富田城に入れ、その孫、尼子経久は勢力を拡大し、山陰から山陽に跨る11か国を支配する勢力を形成し、尼子氏の全盛期を築きました。
    1542年、大内義隆が毛利元就ら国人衆も集め、2万の兵で出雲に来襲。月山富田城は包囲されましが、大内軍の補給線を分断し、大内配下の吉川興経ら国人衆を寝返らせ、1543年に敗走させました。【第一次月山富田城の戦い】
    1562年、毛利元就は和睦を破棄し、出雲侵攻を開始。1565年4月17日から総攻撃を開始。1566年11月に尼子氏は降伏しました。【第二次月山富田城の戦い】
    1591年、吉川広家が豊臣秀吉から東出雲・隠岐・西伯耆12万石を与えられましたが、1600年、関ヶ原の戦いの後岩国に転封となり、堀尾吉晴が出雲・隠岐23.5万石を与えられ、月山富田城に最後の大改修を施しました。自らの居館として、月山山頂に至る麓の地に山中御殿を造営。また山頂部にも石垣を導入し、総石垣の曲輪を築き上げました。

  • 千畳平を仰ぎ見ます。

    千畳平を仰ぎ見ます。

  • 千畳平は、有事の際の城兵集合、或いは馬揃えの場として使われたと言われています。

    千畳平は、有事の際の城兵集合、或いは馬揃えの場として使われたと言われています。

  • 千畳平の北側は崖になっており、堀尾氏時代に、石垣を組み上げて谷を土砂で埋め曲輪を拡張したと考えられています。<br />城下町から見上げる位置にあることから、復元模型のように立派に見えるようになったと思われます。

    千畳平の北側は崖になっており、堀尾氏時代に、石垣を組み上げて谷を土砂で埋め曲輪を拡張したと考えられています。
    城下町から見上げる位置にあることから、復元模型のように立派に見えるようになったと思われます。

  • 下に見えているのは、馬乗馬場です。

    下に見えているのは、馬乗馬場です。

  • 太鼓壇です。この丘に太鼓をつるした建物を建て、平時には時を告げ、非常時には兵士を招集し、攻め太鼓として士気を鼓舞しました。

    太鼓壇です。この丘に太鼓をつるした建物を建て、平時には時を告げ、非常時には兵士を招集し、攻め太鼓として士気を鼓舞しました。

  • 奥へ進むと、槍を小脇に三日月に祈る、有名な姿の山中鹿介の像があります。

    奥へ進むと、槍を小脇に三日月に祈る、有名な姿の山中鹿介の像があります。

  • 山中鹿介は主家への忠義を貫き、尼子家再興を願い続けました。

    山中鹿介は主家への忠義を貫き、尼子家再興を願い続けました。

  • 次は、奥書院平です。

    次は、奥書院平です。

  • 奥書院平を抜けると、大きな堀切で遮られて、花の壇(北側)があり、遠方に七曲りと山頂の主郭部が見えています。

    奥書院平を抜けると、大きな堀切で遮られて、花の壇(北側)があり、遠方に七曲りと山頂の主郭部が見えています。

  • 花の壇は、多くの花が植えられていたことからその名がついたと言われますが、実は侍所とのことです。<br />発掘調査によって、尼子氏時代の建物跡と思われる柱穴が見つかっており、それを元に主屋と侍所を想定した建物が復元されています。

    花の壇は、多くの花が植えられていたことからその名がついたと言われますが、実は侍所とのことです。
    発掘調査によって、尼子氏時代の建物跡と思われる柱穴が見つかっており、それを元に主屋と侍所を想定した建物が復元されています。

  • 北側と南側の花の壇の間は深い堀切で遮られており、そのまままっすぐは進めないので、引き返して横の小道へ降ります。

    北側と南側の花の壇の間は深い堀切で遮られており、そのまままっすぐは進めないので、引き返して横の小道へ降ります。

  • 花の壇(北側)の石垣です。

    花の壇(北側)の石垣です。

  • 堀切の西端に屋根がかかっているところがあり、発掘調査によって発見された当時の通路跡の断面が展示されています。

    堀切の西端に屋根がかかっているところがあり、発掘調査によって発見された当時の通路跡の断面が展示されています。

  • 版築技法で築造されているそうです。

    版築技法で築造されているそうです。

  • 花の壇(南側)から堀切越しに花の壇(北側)を見たところです。

    花の壇(南側)から堀切越しに花の壇(北側)を見たところです。

  • 花の壇(南側)です。

    花の壇(南側)です。

  • 花の壇(南側)の石段と石垣です。

    花の壇(南側)の石段と石垣です。

  • 池越しに、山中御殿平の石垣が見えます。

    池越しに、山中御殿平の石垣が見えます。

  • 山中御殿平は、月山の中腹に位置する3,000㎡余りの平地で、その名の通り御殿が建てられていました。山麓の「里御殿」に対して「山中御殿」と呼ばれたと考えられています。<br />最後の砦となる三ノ丸・二ノ丸・本丸へはここを通らなければならず、城の要と言える重要な場所でした。そのため、周囲には高さ5m程の高石垣や、門、櫓、塀などを厳重に巡らせ、敵の侵入を防いでいました。

    山中御殿平は、月山の中腹に位置する3,000㎡余りの平地で、その名の通り御殿が建てられていました。山麓の「里御殿」に対して「山中御殿」と呼ばれたと考えられています。
    最後の砦となる三ノ丸・二ノ丸・本丸へはここを通らなければならず、城の要と言える重要な場所でした。そのため、周囲には高さ5m程の高石垣や、門、櫓、塀などを厳重に巡らせ、敵の侵入を防いでいました。

  • この石段の先に、七曲り道があります。この道と菅谷口脇の軍用道が七曲り道の手前で一つになり、主郭部へと続きます。

    この石段の先に、七曲り道があります。この道と菅谷口脇の軍用道が七曲り道の手前で一つになり、主郭部へと続きます。

  • 菅谷口門です。左の石垣上には隅櫓を設け、その裏には空堀も施した厳重な造りとなっていました。右の道は主郭部へ向かう軍用道です。

    菅谷口門です。左の石垣上には隅櫓を設け、その裏には空堀も施した厳重な造りとなっていました。右の道は主郭部へ向かう軍用道です。

  • 菅谷口には雑用井戸が残っています。

    菅谷口には雑用井戸が残っています。

  • 菅谷口から、山頂にある主郭部に続く軍用道です。

    菅谷口から、山頂にある主郭部に続く軍用道です。

  • 七曲り道です。右へ左へ折れ曲がりながら上がっていきます。

    七曲り道です。右へ左へ折れ曲がりながら上がっていきます。

  • 七曲り道の途中に山吹井戸があります。

    七曲り道の途中に山吹井戸があります。

  • 年中枯れることはないこの井戸は、山の中から吹き出す井戸ということからこの名が付いたといい、現在も豊富な水が湧き出ています。

    年中枯れることはないこの井戸は、山の中から吹き出す井戸ということからこの名が付いたといい、現在も豊富な水が湧き出ています。

  • 七曲り道を登ったところからの眺望です。

    七曲り道を登ったところからの眺望です。

  • 月山の山頂部には最後の砦として、本丸、二ノ丸、三ノ丸という曲輪が造られていました。

    月山の山頂部には最後の砦として、本丸、二ノ丸、三ノ丸という曲輪が造られていました。

  • 三ノ丸の石垣です。

    三ノ丸の石垣です。

  • 本丸には勝日高守神社が祀られているので、三ノ丸に鳥居が置かれ、ここから先は参道にもなります。

    本丸には勝日高守神社が祀られているので、三ノ丸に鳥居が置かれ、ここから先は参道にもなります。

  • 三の丸から二の丸へ向かいます。二の丸と三の丸は繋がっており、二の丸の方が一段高くなっています。

    三の丸から二の丸へ向かいます。二の丸と三の丸は繋がっており、二の丸の方が一段高くなっています。

  • 二の丸南面には虎口が設けられています。ここを降りて、本丸に向かいます。

    二の丸南面には虎口が設けられています。ここを降りて、本丸に向かいます。

  • 本丸から見た二ノ丸の石垣です。最後の砦として守りを固めている様子が覗えます。

    本丸から見た二ノ丸の石垣です。最後の砦として守りを固めている様子が覗えます。

  • 本丸は細長い曲輪で、行きつめたところなので「甲ノ丸(つめのまる)」とも呼ばれます。

    本丸は細長い曲輪で、行きつめたところなので「甲ノ丸(つめのまる)」とも呼ばれます。

  • 本丸東端部には勝日高守神社が城の守り神として鎮座しています。570年に大国主命の分霊を勧請されたものとされており、月山富田城が築かれて以来、城の鎮守社として崇敬庇護されてきました。<br />ここから先に道が続き、月山と繋がる山々に行くことができます。

    本丸東端部には勝日高守神社が城の守り神として鎮座しています。570年に大国主命の分霊を勧請されたものとされており、月山富田城が築かれて以来、城の鎮守社として崇敬庇護されてきました。
    ここから先に道が続き、月山と繋がる山々に行くことができます。

  • 七曲り道を下る際には、山中御殿平などを見渡すことができます。

    七曲り道を下る際には、山中御殿平などを見渡すことができます。

  • 七曲道を下ってしばらく行くと大土塁があります。尼子氏時代に築かれたものです。

    七曲道を下ってしばらく行くと大土塁があります。尼子氏時代に築かれたものです。

  • 安来市立歴史資料館1階に展示されている、月山富田城の復元模型です。<br />城の麓には城下町が広がっていました。<br />この後、同じ安来市にある足立美術館に向かいます。

    安来市立歴史資料館1階に展示されている、月山富田城の復元模型です。
    城の麓には城下町が広がっていました。
    この後、同じ安来市にある足立美術館に向かいます。

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