2024/06/02 - 2024/06/02
807位(同エリア1336件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2024/06/02
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塩見縄手武家屋敷
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明々庵
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松江歴史館
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バスでの移動
塩見縄手14:21-(路線バス)-14:26菅田庵入口
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菅田庵
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バスでの移動
菅田庵入口16:15-(路線バス)-16:33松江駅
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電車での移動
松江駅16:46-(まつかぜ号)-17:13出雲市駅
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この旅行記スケジュールを元に
松江は、大名茶人として高名な松平治郷(不昧)公の影響が今なお色濃く感じられる、文化の薫り高い城下町でした。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→備中松山城→米子(米子泊)
2日目:レンタカーで、月山富田城、足立美術館(米子泊)
3日目:松江城と城下町、茶室(出雲市泊)
4日目:レンタカーで、古代出雲の遺跡巡り(出雲市泊)
5日目:レンタカーで、奥出雲たたら製鉄の歴史巡り、出雲空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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松江城の堀に架かっている橋を渡ります。
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堀川遊覧船が見えます。
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武家屋敷の前に広がる通りは塩見縄手と呼ばれ、1607年から1611年にかけて、松江城築城の際に城地の亀田山と北側の赤山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷地を造成してできました。
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武家屋敷は、主屋、長屋門・塀などからなり、塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ屋敷で、500~1,000石程度の藩士が屋敷替えによって入れ替わり住んでいました。
1733年の大火での焼失後再建されたもので、主屋はその後も幾度かの増改築を経ています。 -
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明々庵へ向かう階段です。
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明々庵は、1779年に茶人として知られる松江藩主松平治郷(不昧)公の好みによって、家老の有澤家本邸(松江市殿町)に建てられ、不昧公もしばしば臨まれたそうです。
維新後、東京の松平伯爵邸に移されていましたが、1928年に松平家から郷国出雲に返され、菅田庵のある有澤山荘の向月亭に隣接した萩の台に建っていました。
戦後、管理が行き届かず、荒廃していたのを、1966年松江城を望むことができる塩見繩手の北堀町の赤山に移築されました。 -
待合です。
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待合の飾雪隠です。
実際に使用することはできず、「おもてなしの心」を示すために設けられているものだそうです。 -
庵前のつくばいです。
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明々庵です。
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茅葺の厚い入母屋に、不昧公筆の「明々庵」の額が掲げられています。
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茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた奥行きの浅い床で、二畳台目の席は中柱もなく炉も向切りといった軽快なものとなっています。
定石に頓着しない不昧公の好みの一端を伺うことができるのだそうです。 -
貴人口です。
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明々庵見学後、母屋の座敷で抹茶と和菓子をいただきました。
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右の黄色い菓子は、「菜種の里」といい、松平不昧公によって考案されたいわゆる「不昧公御好み」の茶菓子の一つです。
寒梅粉(餅を粉砕した粉)と砂糖を使いしっとりと仕上げた菜の花色の落雁に焙じた玄米を散らして、春の菜の花畑を蝶が舞うさまを表現しているそうです。
左の「若草」も不昧公によって考案されたものです。
餅に砂糖を加えて練り上げた求肥を長方形にし、緑色の寒梅粉を一面に塗しています。
不昧公の歌「曇るぞよ 雨ふらぬうち 摘んでおけ 栂尾の山の 春の若草」から命名されました。
栂尾山といえば京都の高山寺のことで、鎌倉時代初期に臨済宗の開祖栄西が南宋から持ち帰った種子をその境内に植えたのが日本の茶栽培の始まりという伝承がありますが、不昧公の歌はそれを踏まえたものでしょうか。
この2つと「山川」という菓子を合わせて不昧公三大銘菓と呼ぶこともあるそうです。 -
松江城天守が望めます。
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明々庵のある赤山から堀端へ下りてきました。
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写真奥が、堀川遊覧船の発着場です。
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松江歴史館です。
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江戸時代の松江城と城下町の復元模型が展示されています。
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江戸時代の松江大橋のジオラマです。
この他に、堀尾吉晴、忠氏親子が松江城の建設場所を現在の地に定めるまでの経緯についてのCG映像など、様々な展示がありました。 -
塩見縄手のバス停から路線バスで菅田菴へ向かいます。
タクシーに乗りたかったのですが、日曜日のためか電話した4社全てに「空車はありません」と言われました。松江でもタクシーは不足しているようです。 -
菅田菴のある有澤山荘へは、ここから小径を上ります。
菅田菴は、1792年頃に松平不昧公の指図(設計図)により、家老有澤家の山荘内に建設されました。
山荘一帯は史跡名勝、菅田菴及び向月亭、御風呂屋は重要文化財に指定されています。 -
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写真右側の門が山荘の正式な入口ですが、見学者は左側の小径を行きます。
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写真奥に、正式なアプローチ見えています。
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菅田菴への本来の順路は、外露地にあたる苔むす坂道を登って待合(御風呂屋)に至り、飛石伝いに坂道を数歩下りて露地に達するものです。
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御風呂屋は、待合として腰掛、袴直しの間、浴室、脱衣の間、雪隠からなる一棟で、茅葺角屋造の建物です。
東北面に広い土庇を廻し、建物の背後の面に蒸し風呂の構え、流し場、焚口の土間等を備えています。
不昧公は放鷹の折など度々ここに臨み、御風呂屋に憩い、菴で喫茶されたそうです。 -
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菅田菴です。
屋根は入母屋造茅葺きの田舎屋風、間取りは1畳台目中板入りです。 -
扁額は陶製で、不昧公の筆です。
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1畳台目という極小の空間ですが、手前座と客座の間に幅1尺4寸(約42cm)の中板を入れ、東面にじり口の上を幅広い連子窓として光を取り入れることにより、狭さを感じさせない工夫がされています。中板と手前座の境には曲がりの強い中柱を立て、一重の棚を釣り、炉は隅切としています。
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菅田菴の露地と向月亭の庭とは建仁寺垣で隔てられています。
垣の中門をくぐり庭へ出ると快濶宏大な展望が現れる対比の効果により、それぞれの美しさを一層引き立たせています。 -
山荘の客殿です。
右側は茶室向月亭、左側はくつろぎの間です。
ここで、本日2度目となる抹茶とお菓子をいただきました。
向月亭とその庭は、不昧公の弟雪川公の好みにより造られました。
向月亭は低いサツキの刈込のささらに囲まれ、手水鉢燈籠附近以外には一草も植えず、一面に玉砂利を敷きつめ、飛石を点綴し、主室前に短冊形に延段を配しています。 -
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くつろぎの間の前庭に橋杭型手水鉢、両端に六地蔵燈籠を配しています。
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延段の両側を太い青竹でかくすことで霰石を一層引き締め、庭全体の調子を強めています。
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前方の傾斜面を平たく大刈込した見下ろしの景観です。
結構な高低差のある斜面に生えている樹木を上端の高さが揃うように剪定しているそうです。
山荘の所有者である有澤家の現当主さんからいろいろとご説明をいただきましたが、これだけの庭園を維持するのは相当に大変とのことでした。 -
路線バスで松江駅へ戻ります。
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松江駅からまつかぜ号で出雲市駅へ向かいます。
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出雲市駅です。
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夕食は、出雲市駅前でホテル近くの「のどぐろ日本海」を予約しておきました。
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のどぐろの煮付けです。
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