2024/06/04 - 2024/06/04
81位(同エリア124件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2024/06/04
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絲原家(住宅・庭園)
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櫻井家(住宅・庭園・可部屋集成館)
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田部家(土蔵群・鉄の歴史博物館・菅谷たたら山内)
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出雲空港19:25ー20:50羽田空港
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江戸時代に出雲地方の鉄山御三家といわれた、絲原家(住宅・庭園)、櫻井家(住宅・庭園・可部屋集成館)、田部家(土蔵群・鉄の歴史博物館・菅谷たたら山内)のたたら製鉄関連史跡を見学しました。
映画“もののけ姫”にも登場する「たたら」は、砂鉄と木炭を粘土製の炉内で燃焼させることで酸化鉄を還元して、鉄を得る古式製鉄法のことです。
古墳時代に中国大陸から伝来し、洋式製鉄が普及する大正時代まで行われました。
その2大原料である、良質な砂鉄と豊富な木炭資源を有する奥出雲は、江戸時代末期には全国の鉄の約30%を生産していました。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新神戸駅→備中松山城→米子(米子泊)
2日目:レンタカーで、月山富田城、足立美術館(米子泊)
3日目:松江城と城下町、茶室(出雲市泊)
4日目:レンタカーで、古代出雲の遺跡巡り(出雲市泊)
5日目:レンタカーで、奥出雲たたら製鉄の歴史巡り、出雲空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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最初の訪問先は、絲原家です。
出雲市駅前からレンタカーで約42kmでした。
絲原家は、江戸時代初期にたたら製鉄を始め、江戸時代中期に現在地にたたらの主力工場である高殿(鉄穴鈩)と居宅を移し、大正時代後期まで操業しました。 -
絲原家住宅は、江戸時代後期建築の客殿棟、1924年建築の母屋棟などからなり、国の登録有形文化財に登録されています。
江戸時代には松江藩主の本陣宿にもなりました。 -
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庭園は、山々を借景とした池泉回遊式の出雲流庭園です。
たたら製鉄の原料の砂鉄を採取した跡地に、江戸時代末期から築庭にかかり、明治時代中頃に完成しました。
出雲地方の特色ある意匠や植栽が評価され、国の登録記念物(名勝地)となりました。 -
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庭園の特徴となっている、書院前の飛び石組手法(細長い短冊石と丸い石の組合せ)です。1924年の母屋新築の際に整備され、その主要な部分が現在まで残っています。
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絶唱(1958年、日活、浅丘ルリ子、小林旭他)などのロケ地にもなりました。
なお、敷地内の絲原記念館には、たたら資料、家伝の美術工芸品や有形民俗資料、古文書などが展示公開されていますが、残念ながら展示替えのため休館でした。 -
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絲原家からレンタカーで約18km、櫻井家です。
櫻井家は江戸時代、松江藩の鉄師頭取役を務め、下郡役を申し付けられていました。 -
母屋は1738年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
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歴代の藩主の藩内巡視の折には本陣宿となり、お成りの間と庭園は、1803年、松江藩主松平治郷(不昧公)の御成のときに造られました。
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庭園は国の名勝に指定されています。
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岩肌に流れ散る滝の「きれいさび」は、いたく不昧公の興をさそい、滝を「岩浪」と命名され書も遺っています。庭の飛石も、公の来駕に備えて普通より大き目で低く、沓脱に近い大石は輿を置く役石も兼ねています。
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池の水面に突き出して見える草庵は、南画家「田能村直入」が明治11・12年に逗留したとき意匠して作り、「菊掃亭」と名付けた煎茶の茶室です。
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屋敷に隣接した可部屋集成館は、櫻井家に江戸期から伝わる美術工芸品、歴史資料を展示した歴史資料館です。可部屋は櫻井家の屋号です。
“たたら製鉄”の道具や有形民俗資料、藩主お成りの際に使用された掛け軸、床飾り等の調度品などがあります。
田能村直入も多くの作品を遺しています。 -
櫻井家からレンタカーで約17km、吉田町の鉄の歴史博物館です。
ここでは、まず30分ほどの記録映画『和鋼風土記』(1969年)を観ることになっています。
たたらの火は1945年の終戦により軍刀の生産が終了するとともに消えましたが、それを最後のたたら師たちにより20数年ぶりに再現した時の記録がこの映画です。
非常に質の高い映画で、絵や模型では分かりにくいたたら製鉄の複雑な工程が理解できました。 -
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この地域の製鉄は鎌倉時代に始まったとされています。
これは、露天で自然風のみを利用した「野だたら」で造られた鉄塊です。
約300年前には、屋根を備え(高殿式)、ふいごが使われる固定型の「永代たたら」への移行しました。 -
田部家は、1460年この地でたたら製鉄を開始し、松江藩の9鉄師の筆頭を務めました。
田部家とともに栄えた吉田町は企業城下町を形成していました。 -
町の中心に整然と立ち並ぶ田部家の土蔵群です。文書蔵、道具蔵などその数は10を超し、なまこ壁のどっしりした造りが家格を示しています。
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町の中心から約3kmの場所に、「菅谷たたら山内」があります。
たたら製鉄に従事していた人達の職場や、住んでいた地区を総称して山内と言います。 -
「菅谷高殿」は1850年の火災後に再建されたもので、全国で唯一今に残る高殿です。1921年まで操業していました。
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村下とはたたら製鉄における技師長のことで、世襲、一子相伝でたたらの火が消えるまで引き継がれてきました。村下の仕事ぶりは全て経験と勘によって決まり、その科学観・自然観は優秀な鋼を生む源でした。
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炉とふいごです。
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山内地区の仕事から生活習慣を含めて、事務所的役割をしていたのが元小屋で、天保末期の頃の建物です。
二階建て柿葺き木造のこの建物には四畳半から十畳の部屋がいくつかあり、風呂場、台所など当時の生活の現場が残っています。1833年に焼けた記録があり、その直後に建てられたものと思われています。 -
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大銅場です。
ここでは鉧を割る作業が行われました。 -
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この建物の中には大きな分銅が吊ってあり、これを水車の力で持ち上げ、落として鉧を粉砕しました。
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分銅を持ち上げる水車です。
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出雲空港の近くでレンタカーを返却しました。
夕食は空港ビル内の出雲そば店です。 -
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19:25発羽田行のJAL便で帰路につきました。
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旅行記グループ 島根+備中松山城
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