2024/06/20 - 2024/06/24
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2013tomoさん
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津軽記念館では太宰治の小説『津軽』で
太宰が心から会いたかった乳母のたけと
再会を果たした時の様子が銅像として再現されていました。
私がこの記念館を別れるときに受付の男性は
次のように言っていました。
「夕焼けに明るく映える二人はそれは平和で美しいです。」
私は小泊に2泊して太宰治の小説『津軽』の
太宰さんの最終目的地であったこの港町を歩きました。
私はこの地でも良い出逢いを多く頂きましたが
太宰さんが自分の人格形成で
主要な役割を果たした「たけ」に会いに行くという
“母源回帰”の想いが今でも強く漂う町でした。
もしかすると太宰治さんの”聖地巡礼”という言葉が
相応しいかもしれません。
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私を乗せた弘南バスは金木の町を出発し
十三湖経由で小泊の漁港へ到着しました。
漁船が静かに停泊する港には夕暮れがゆっくりと迫って来ていました。
小泊港の空には海猫の鳴き声が響いています。小泊岬 ビーチ
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権現崎にも夕陽が柔らかな光を投げかけています。
小泊岬 ビーチ
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今日の泊りは民宿湊やさんです。
釣り客グループが宿泊していました。
旅行客は私一人だけの様でした。小泊岬 ビーチ
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私の部屋(3階)からの風景です。
漁港がすぐ下に見えています。小泊岬 ビーチ
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畳の部屋は背中が伸ばせるので寛げます。
私は国内旅行の方がノンビリできます。小泊岬 ビーチ
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旅の友として本を5冊持参してきました。
太宰治『津軽』(新潮文庫)
太宰治『晩年』(新潮文庫)
太宰治『人間失格』(新潮文庫)
司馬遼太郎『北のまほろば』街道をゆく41(朝日文庫)
原子修『太宰治 母源への回帰』(柏艪者)です。
一日1冊のペースで読みましたが途中でスピードアップして
『津軽』と『太宰治 母源への回帰』は2回読み直しました。
いつもの”読みながら旅をし、旅をしながら読む”という
私の旅スタイルです。小泊岬 ビーチ
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これは湊やさんの夕食です。
ご主人が朝の漁で獲って来た魚を料理しますので
お刺身のアジは新鮮で甘く感じました。
当然ですがいつも完食です。
ビールも頂きましたが人生の至福の時間を過ごす
ことが出来ました。
湊やさんありがとうございます。小泊岬 ビーチ
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翌日は小説「津軽」の像記念館をたずねます。
途中で面白そうな碑を見つけました。
吉田松陰もこの地を訪れていたのです。
機会があれば研究したいと考えています。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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ランドマークの「みちのく銀行」まで来ました。
この近くにお手伝いさんの「たけさん」が
嫁いで住んでいた金物屋さんがあるはずです。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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でもいつもの通り道に迷って「たけさん」の家が見つかりません。
諦めて小説「津軽」の像記念館へ行こうと思ったのですが
勇気を出してご近所の人に道を尋ねてみることにしました。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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そぞろに歩いていると女性が家から
外に出てきて掃除を始めています。
私は少し距離を取りながら
「すみません。小説「津軽」の像記念館への
行き方を教えていただけますか。
それと…。越野たけさんが住んでいたという家を探しているのですが
この近くでしょうか?」と尋ねてみました。
女性は不思議な眼差しで「小説「津軽」の像記念館」へは
この道を道なりに行けば標識がありますので迷うことはありません。
それと越野たけさんお家は私の家の斜め前です。」と優しい口調で
教えていただけました。
そうして不思議な眼差しのままで
「おたくは太宰さんの『津軽』を読まれました?
文庫本の198ページに”少し歩いて筋向いの煙草屋にはいり、
越野さんの家には誰もいないようですが、行き先をご存じないかと
尋ねた。」という箇所があります。
ご存じですか?」と尋ねて来ました。
「えぇ、読みました。今も私のバックの中に入れています。」といいながら
小説『津軽』を取り出し該当ページを開いてみせました。
女性は「ここがその”煙草屋”です。」と
少し微笑みながら答えました。
「えぇ!?」と言いながら私がお店の上を見上げると、そこには
「太宰が立ち寄った 横野たばこ店」と
大きく書かれている看板がありました。
私は全く気が付かずに太宰さんと同じ行動を取っていたのです。
これも太宰さんのお導きか?
不思議な思いで暫く奥様の説明を聞くことにしました。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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聖書に「求めよさらば与えられん 叩けよさらば扉は開かれん」
という言葉があります。
まさしくこの言葉の通りだと思いました。
(太宰さんはクリスチャンではありませんが「聖書」の愛読者です。私も…)小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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この写真は小説『津軽』に水兵服を着て登場してくる女の子です。
(大人に成長した後の写真ですが)
太宰を運動会の会場にいる「たけさん」のところまで連れて行く
たけさんの娘の節さんです。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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これは在りし日のたけさんです。
お孫さんを連れてこの浜辺によく来ていたそうです。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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たけさんと太宰の再会の銅像の作成現場です。
横に立っている男性はたけさんのご子息です。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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これは不思議な写真です。
ある雨の日に横野たばこ店の前の三和土に現れた
太宰さんの影法師です。
お店で飼っているワンチャンがこの影を見つけて吠えて
奥様に教えてくれたそうです。
太宰さんが訪ねて来たのでしょうか?
不思議なこともあるものです。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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横野たばこ店の奥様です。
(私のブログにお顔を出しても良いとご了解を得ています)
開店前のお忙しいときに1時間以上も丁寧に
説明いただき感謝しています。
新聞や書籍にも写真入りでしばしば登場される有名な方です。
太宰治のおじいさまとはご親戚関係のある方です。
なにか強いご縁(きづな)というものを感じてしまいました。
また女優の吉永小百合さんが映画「斜陽のおもかげ」の撮影ロケで
この横野たばこ店へも訪れているようです(後ろの看板を参考)。
いつか映画「斜陽のおもかげ」を鑑賞しようと思いました。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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不思議な思いに心を震わせながら私は小説「津軽」の像記念館へ
向かいます。
そこでも良い出逢いがありそうだという予感を既に感じています。
私は「太宰とたけ再会の道」を昇っていきます。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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道標がありました。
あと20mです。
もう道に迷わないと思います。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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これが小説『津軽』に運動場会場として登場してくる
小泊小学校です。
今は新しく建て替えられて運動場は見えません。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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ついに小説「津軽」の像記念館へやってきました。
私は今回の旅の最終目的としてこの記念館で
たけさんの映像を見ることと彼女の肉声を聞くことを
目的としていました。
とうとう私の夢を実現することができます。
これも太宰さんのお導きがあったのでは思っています。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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小説「津軽」の像記念館の標識の上には
「再会公園」と記されています。
もしかすると私は太宰さんとたけさんの再会を
お手伝いするためにここまでやって来たのではと
思いました。
桜桃忌での同郷の青年の太宰さんの「口寄せ」
で太宰さんの御霊をここまで運んでくる依り代的な
役割を果たしたのかもしれません。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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二人の再会の銅像です。
太宰はついに最終目的地の小泊で “たけ”と再会を
果たすことができました。
再会の静かな雰囲気の中で太宰は
次のように胸の内を語っています。
「私には何の不満もない。
まるで、もう、安心してしまっている。
足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、
胸中に一つも思う事がなかった。
もう、何がどうなってもいいんだ、と
いうような全くの無憂無風の情態である。
平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。
もし、そうなら、私はこの時、生まれて初めて心の平和を体験した
と言ってもよい。」
太宰さんは最後にこのような境地に到達することができたのです。
私がこの記念館と別れるときに受付の男性は次のように言っていました。
「夕焼けに明るく映える二人は平和で美しいです。」
この方にもたけさんの生き生きとした記憶を説明していただきました。
書籍を読むだけでは得ることができない貴重なお話でした。
因みにこの男性職員さんが小学生だった頃、
映画「斜陽のおもかげ」の撮影ロケで吉永小百合さんが小学校の
運動場に来たそうです。
其の時は大勢の仲間で校舎の窓に鈴なりになって小百合さんの
清らかなご尊顔を見た思い出があると仰っていました。
其の時小泊はやはり太宰さんの聖地だと思いました。
わたくしの太宰さんと一緒に縄文を訪ねる旅も「平和で美しい」という
心象風景の中で締めくくりたいと思います。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。 元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
(昭和19年5月、小説「津軽」の太宰さんの結びの言葉より)小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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二人の銅像には静謐な平和が漂っているようです。
何故か「ピエタ像」が心のなかに浮かんできました。
たけさんは縄文の地母神の象徴として太宰の”母源”であったことが
感じられます。
太宰の願いはこの縄文の”母源”に回帰することであったのです。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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「おや?」私の顔が二人の間から覗いています。
ちゃっかりと私も二人の再会に便乗してしまいました。
記念館の係の男性から「記念になるから写真を撮りましょう!」
というお言葉に甘えてしまいました。
(普段なら気弱な私はこのようなことは決していたしません)
きっとたけさんと太宰さんが「遠くまで来てもらってご苦労様」と
言ってくれたような気が致しました。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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これは太宰治の長女、園子さんがマッチ棒の軸を使って書いた
碑文だそうです。
係の男性から1時間以上もたけさんについて説明を頂きました。
説明の中でたけさんのお孫さんとは同級生だということです。
たけさんの思いでは時空を超えて現在まで連綿と繋がっている
のを感じます。小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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お話を聞きながらたけさんは『津軽』の小説に登場してくる架空の人
ではなく今でも小泊の人たちの心の中に生きている地母神だということを
感じました。
ここ小泊では太宰さんもたけさんもまだ生きているようです。
(少なくとも小泊の人たちの心の中に)小説「津軽」の像記念館 美術館・博物館
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翌日、最終日に権現崎の高台に登ってみました。
朝の漁が終わったのでしょうか
漁船が一隻、白い波を立てながら小泊港に帰ってきました。
私は今日、私の暮らしている町に帰ります。
ひと仕事が終わって肩の荷物が降りたような爽やかな気分です。小泊岬 ビーチ
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湊やさんの近くにある漁連前バス停からバスに乗車し
津軽鉄道の津軽中里駅へ向かいます。
帰りのバスの中ではバスの運転手さんと高齢の女性客との
純粋津軽弁のやり取りを楽しむことができました。
津軽弁はフランス語に似ていると言うのはその通りだと思います。小泊岬 ビーチ
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津軽鉄道の終着駅(そして始発駅)の津軽中里駅です。
津軽中里駅 駅
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「本州最北の民鉄 最北の駅 津軽中里駅」と書かれています。
津軽中里駅 駅
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走れメロス号に乗って津軽鉄道 金木駅に向かいます。
津軽中里駅 駅
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乗客は私以外一人もいませんでした。
(発車直前に数人乗り込んできましたが)津軽中里駅 駅
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旅行期間中は良いお天気でしたが本州は西から梅雨の季節に入りました。
今日は津軽も梅雨の雨が降り始めて走れメロス号の前の窓を濡らします。津軽五所川原駅 駅
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JR新青森駅でこの「北のまほろば」の地を離れるにあたって
太宰丼とシジミ汁を頂きました。
太宰丼は熱い白米の上に納豆とスジコが乗せられただけの
素朴な味がしました。
太宰さんの好物だったそうです。
シジミ汁も太宰さんの好物だったみたいです。
短編『水仙』の中では出されたシジミ汁の
シジミの肉まで太宰が食べるので
東京のお金持ちの家の奥様に驚かれたと言う表現があります。
主人公はその時は恥ずかしさのあまり
うなだれてしまったという部分があったことを記憶しています。
私はシジミのお肉を最後まできれいに食べました。
磯の香りがしてとても美味しかったです。
今回の取材旅行ではよい出逢いと良い思い出をたくさんいただきました。
太宰さんとたけさんに感謝したいと思います。
本当にありがとうございました。
ここでブログの筆をおきます。新青森駅 駅
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太宰への旅、小泊港を訪ねる聖地巡礼6日間
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旅行記グループ 太宰への旅、小泊港を訪ねる聖地巡礼6日間
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