2024/06/20 - 2024/06/24
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2013tomoさん
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私は金木では斜陽館ではなく乳母の「たけ」が幼い太宰を
よく連れて行った雲祥寺を訪ねました。
幼い太宰はたけに寺の中に飾られた地獄絵図を見せられ
「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるぞ。」と言われて
泣き出したそうです。
東京都三鷹の桜桃忌にお参りした際に
お世話をしていた青年(太宰と同郷と言っていました)が
「金木では雲祥寺を訪問し地獄絵図を見てください。」
と勧められていましたので
雲祥寺は今回の旅の必須訪問先の一つとなりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
-
五所川原駅前の弘南バスセンターを9:45に出発しバスは一路
亀ヶ岡縄文遺跡に向かいます。
私は降車場所を間違わないようにバス前方に表示される停車案内を
注意深く見つめ続けます。
ついに「亀ヶ岡」と停車駅名が表示されました。
私はバスがもうすぐ亀ヶ岡縄文観光センターという建築物の前で
停車すると思ってリュックサックを背に負って
いつでも降車出来る姿勢でスタンバイしていました。
バスは停留所に近づいて来ます。
しかし”亀ヶ岡縄文観光センター”といった建物は見えてきません。
「あれぇ~?次のバス停かな~?」と不安感が湧き上がってきました。
バスの運転手さんへ「亀ヶ岡縄文遺跡へはこのバス停で良いのですか?」
と聞くと
「私はこの地元の人間ではないのでよくわからない。」とのです。
一瞬降車するのをやめようと思ったのですが前席に座っていた女性客が
「あそこに看板が見えますよ。」というので見下ろしてみると
小さな白い
プレートに「亀ヶ岡遺跡」と書かれています。
私は取り合えず降車して
緑色に着色された道を歩いてみました。
しかし数十メートルほど歩くと緑色の道は
灌木の中に消えていました。
狐につままれたような感覚がしてきました。
この感覚は私が北スペインのサンチャゴ巡礼の道で
迷った時の感覚に似ています。
その時はどちらの方向に歩いても
緑の森が袋小路の様になっていて
なかなか抜け出すことが出来なくて
難渋したことがあります。
(道に迷ってしまったのか…。)
途方に暮れながら前方を見ますと
高齢者風の方(お爺さんの私に言われたくない)が
地面に屈みこんで土いじりをしているのが見えました。
(地獄に仏だ!あの方に道を聞いてみよう!)
「あの~…、すみません道に迷ってしまったようなのですが
”亀ヶ岡縄文観光センター”への行き方を教えていただけますか?」と
恐る恐る聞いてみました。
男性はスックと立ち上がって
「もしよろしかったら私が案内して差し上げましょう。」と
おっしゃるではありませんか。
「えー!」と思いながらその方をよく見ますと
胸元に「亀ヶ岡縄文遺跡案内人」
と書かれたネームプレートを首から下げています。
その男性は発掘した遺跡物を埋め戻ししている
ボランティア案内人の方だったのです。
やったー!これも太宰さんのお導きです。
きっと桜桃忌で出会った青年のイタコの「口寄せ」で
太宰さんの御霊が私の肩の上に載ってお導きをして
下さったのだと思いました。
太宰様、ありがとうございます。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
それから1時間半ほど案内人の方に丁寧に説明を頂きながら
案内をしていただきました。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
歩いていて驚いたのは私の歩いている丘全体が亀ヶ岡遺跡で
歩くたびに私の足元に土器や黒曜石の破片がザックザックと
落ちています(ここは宝の山だ!)。
まだ発掘途上なのでこれから様々な遺物が
容易に発見されるということでした。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
この亀ヶ岡縄文遺跡には土坑墓群は多く発掘されているのですが
住居跡の発掘はまだ少ないそうです。
今後の発掘が期待されます。
私の胸にも縄文へのロマンが広がって来ました。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
土坑墓群からは人体の骨格も発見されています。
身体の周りにはヒスイがばらまかれていました。
縄文時代に翡翠を盛んに加工したのは糸魚川周辺だけで
海路を通じてヒスイが亀ヶ岡縄文遺跡まで
運ばれてきたのではという説明がありました。
当時の物流範囲は富山県や新潟県の周辺まで広がっていたことが
想像されます。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
丘の上から崖の下を見降ろしますと
眼下に青々とした水田が広がっています。
案内人の方の説明では
「当時は海面の水位が高くあの水田のあたりは
海の塩水と川の真水が混ざった汽水湖でした。
サケやタラ、時にはクジラなどの海からのいき物だけでなく
多くの貝(シジミ等)が採集されたそうです。
また丘の森からは木の実や野生の果実が多く採れるので
食物には困らなかったであろうという説明でした。
「これが戦争のない平和な暮らしが1万年以上の間継続することが
できた大きな原因だと考えられます。」とのことでした。
ここから見える風景は船橋の教育センター屋上から見た景色と
よく似ていました。
なだらかな丘の下に汽水湖が入り込んでいる土地は縄文人が集落を
作るのに適した地形だったと想像できます。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
-
私達は亀ヶ岡遺跡センターにたどり着きました。
五所川原の帰りのバスはセンターの横から発車します。
私は違う場所でバスを待っていると
サイクリングをしていた方に
「バス停はあっちだ!急げ!」と言われて
猛ダッシュでヨタヨタと前を走っていくバスを追いかけました。
なんとか乗車すると運転手さんは
来るときの方と同じ方でした。
「来るときに会いましたよね。」と声を掛けると
なんだかいやそうな顔をしてうなずいていました。
(最初からこのバス停を教えてくれたら良かったのに…。)
でも太宰様のお導きで亀ヶ岡縄文遺跡の説明を十分受けたので
私は大満足です。
何事も「結果良ければ終わり良し。」だと思いました。亀ケ岡遺跡 名所・史跡
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津軽鉄道の五所川原駅から金木駅に向かいます。
1年前に一度乗車したことがありますので問題はありません。
津軽鉄道はJR五能線よりももう少し鄙びた雰囲気が漂っている鉄道です。津軽鉄道 乗り物
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私は津軽鉄道で金木駅まで行き
雲祥寺の地獄絵図を見た後バスで北上し
十三湖経由で小泊港に向かいます。
小泊港は今回の旅の最終目的地です。津軽鉄道 乗り物
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津軽鉄道の列車は「走れメロス」号です。
また乗れるなんて懐かしい!津軽鉄道 乗り物
-
私は金木駅で下車し斜陽館経由で雲祥寺に向かいます。
今回は斜陽館の観光は致しません。太宰治記念館「斜陽館」 美術館・博物館
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斜陽館を通り過ぎるとすぐ右側に雲祥寺の入り口が見えてきました。
太宰は幼い頃、この雲祥寺の境内で地元の子供たちと
一緒になって遊んでいたそうです。
乳母の「たけ」は太宰に本堂に掛けられている時刻絵図を見せて
「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるぞ。」と太宰は教えられて
怖くて泣いたそうです。
私はその地獄絵図を是非見たいと思いました。
(桜桃忌で太宰の同郷という青年にも勧められました)雲祥院 寺・神社・教会
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雲祥寺の由来が説明されています。
後半部に太宰治の『思ひで』の中に登場したので
観光客が増えたと記載されています。
わたしが訪問した時は観光客は私一人だけでした。雲祥院 寺・神社・教会
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私は階段を上がり重い引き戸を開けて本堂の中に入りました。
雲祥院 寺・神社・教会
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本堂には誰もいません。
ひっそりとした雰囲気です。雲祥院 寺・神社・教会
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早速地獄絵図を鑑賞します。
これは確かに幼い子供が見ると泣くと思います。
詳しくわかりませんが地獄に落ちた悪人たちへは
壮絶な責め苦が待っていることが分かります。
これは血の池地獄でしょうか。雲祥院 寺・神社・教会
-
「往生要集」に地獄絵図を使いながら詳しく解説
されているようなので研究してみたいと考えています。雲祥院 寺・神社・教会
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でも地獄は他人ごとではなく現実社会にも事実存在
しているような気持がしています。雲祥院 寺・神社・教会
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ウクライナやガザの戦争報道を聞いていると
あの世の事とは思われません。
幼いころからこの時刻絵図を使って教育していれば
成長しておそろしい悪事をするのは少しでも防げるのではと
考えたりもします。雲祥院 寺・神社・教会
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太宰さんの『思ひ出』にこの地獄絵図が紹介されて
見学者が増えたと言うことです。
でも今日の観光客は斜陽館までは来てもこの雲祥寺まで
訪ねて来る人は少ないようです。
帰り道で雲祥寺のカメラ撮影をしている女性観光客を
見かけましたので「本堂の中で地獄絵図を見学できますよ。」
と声をおかけいたしました。
「ありがとうございます。」と深々と頭を下げてお礼を言われて
しまいました。
でもその後はどうなったか分かりません。
私はバスで小泊港を目指します。雲祥院 寺・神社・教会
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本堂の中には太宰治さんの筆で
「聖諦第一義」という揮毫がありました。
この言葉の意味として次のように書かれています。
「「聖諦第一義」は、「根本の真理」と解釈されています。
「如何なるか是(これ)聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)。」
これは梁の武帝が、せっかく寺院を造ったり、善根を積んだとしても、
功徳やご利益などの見返りを求めては何も意味がないと諭され、
では達磨大師にとっての「根本の真理」を教えて欲しいと問いた言葉の
一つです。」
私にはこれを聞いてもまだよくわかりません。
今後改めて腰を据えて学習したいと思います。雲祥院 寺・神社・教会
-
太宰治さんの作品の初版本が展示されていました。
雲祥院 寺・神社・教会
-
これは津軽鉄道金木駅の斜陽館前バス停から小泊へ
向かうバスの車窓から見えた十三湖の水面です。
約9000年前には「縄文海進」のため
現在のJR五能線付近まで海水が入り込み、
汽水域の広大な入り江が形成されていました(古十三湖)。
今は青々とした水田が広がる津軽平野北部ですが、
かつては海の底だったのです。
私たちの船橋も当時は同じような環境だったことが予想されます。
私達の三番瀬干潟は縄文時代からの貴重な贈り物です。
津軽と船橋の縄文は「縄文海進」と
いう大きな自然環境のご縁で繋がっていました。十三湖 自然・景勝地
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バスの車窓から権現崎が見えてきました。
あの岬を越えれば小泊港の街に入ってきます。
いよいよ今回の私の旅の最終目的に到着します。権現崎 自然・景勝地
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旅行記グループ 太宰への旅、小泊港を訪ねる聖地巡礼6日間
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