![浄瑠璃寺から1キロ程歩き、この日2つ目のお寺、八坂寺に到着。参拝を済ませた後は、4.4km先の第48番 西林寺へ向けてお遍路歩き。<br /><br />途中、お遍路事始めとなった、別格20霊場第9番文殊院や、納札の始まりである札始大師堂などに立ち寄りながら、西林寺を目指す。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/90/59/650x_11905920.jpg?updated_at=1718491991)
2024/05/18 - 2024/05/19
1179位(同エリア1537件中)
れむさん
浄瑠璃寺から1キロ程歩き、この日2つ目のお寺、八坂寺に到着。参拝を済ませた後は、4.4km先の第48番 西林寺へ向けてお遍路歩き。
途中、お遍路事始めとなった、別格20霊場第9番文殊院や、納札の始まりである札始大師堂などに立ち寄りながら、西林寺を目指す。
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11時40分、八坂寺に到着。浄瑠璃寺からは徒歩10分ほど。山門は、大名屋敷のような門である。それなりに風格を感じさせるが、浄瑠璃寺と同様、遍路寺で多く見てきた仁王門ではない。
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門を入ったところに手水舎が。近づくと龍の口から水が流れる形になっていた。
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山の麓にあるお寺という地形の関係もあるのだろう、本堂は少し上の高台に鎮座し、手水舎から本堂に向かって石段が伸びる。
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石段中腹の左側、鐘楼のした付近に、手の形が彫られた石が添えられている。
「九難を去る救い」の手として、足や目の病に効験あるとされているようである。 -
石段を上がったところにある鐘楼の前には、かわいらしいお地蔵様が立っていた。
鐘楼は鐘を撞くことができ、参拝前に撞かせていただく。 -
本堂は鉄筋コンクリート構造で、近年の再建。
寺は、修験道の開祖・役行者小角という人が1300年以上前に開き、その後、弘法大師が再興した後は一帯に末寺を有して大きく栄えたようだ。しかし長宗我部元親の兵火で多くを消失し、規模も大幅に縮小したとのこと。 -
事前に調べて知っていないとわかりづらいが、本堂の横、奥の方に地下室への入口があり、ドアを開けて中に入ることができる。
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地下室に並ぶのは、小さな阿弥陀如来の像。全部で8000体ほどあるという。
本堂のご本尊が、平安時代中期の名僧である恵心僧都源信の作と言われる阿弥陀如来像であり、それを受けてこれだけの小さな阿弥陀像が奉納されているようだ。 -
本堂の右手には、熊野権現を祀る権現堂が建てられている。ここだけ神社だが、八坂寺が長宗我部元親の兵火で消失した後、元々熊野権現の祀られているところに再建されたため、このように並んでいるようだ。
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大師堂は本堂の左手に位置する。こちらもどうやら、近年の再建のようである。
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本堂と大師堂の間には、閻魔堂というのがあって閻魔大王が祀られている。その左右に、地獄の途というのと、極楽の途というのがある。
地獄の途の床は、温泉の足ツボのところにありそうな、トゲトゲの、針の床である。裸足ならかなり痛そうだ。 -
地獄の途のトンネル内には鬼に焼かれる絵などが一面に描かれる。炎の赤や黄色一面であり、見事な極彩色で、誰が見ても地獄というのが一目瞭然である。
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地獄の途を出た後、極楽の途に入る。こちらは針の道ではないが、砂利である。
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極楽と言われると少しイメージが異なるような気もするが、死後の仏教世界という感じである。
なおこの地獄の途と極楽の途、地獄の途を先に通ってその後、極楽の途を通れば、極楽に行けるということだったらしい。それを知らずに何となくその順序で歩いたが、逆だったら一大事だった笑 -
最後に御朱印をいただく。これは、、、何と書かれているのか判読が難しい。
奉納 阿弥陀如来 八坂寺
と思われるが、、、難解である。 -
時刻は12時5分。八坂寺を出発し、次の第48番 西林寺を目指してお遍路歩きを開始。
西林寺までは4.4km。引き続き平坦な道で、1時間弱で到着見込みというところか。 -
八坂寺を出て少し歩くとすぐに、大きな貯水池に出た。土用部池、通称えばら湖というようだ。これも他と同様、ため池の用途なのであろう。
えばらというのはこの辺りの地域の名称のようである。 -
えばら池の隣に、先ほど通った松本池があり、ここでニンジニアスタジアムから浄瑠璃寺に向けて歩いた道と交差する。時刻は12時10分、1時間半前に歩いたところに戻ってきた。ここからは北の方角へ向かって歩いて行く。
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先ほど歩いたときにも見えた、田園風景の中に建つ小さな神社。右の石碑をみると、諏訪神社と書かれている。長野の諏訪大社を総本社とする神社のようである。
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いつ頃の建造かはよくわからないが、先ほどの八坂寺の山門や権現堂に似たような造りで、御殿のような祭殿である。
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境内側から参道を見ると、のどかな田園風景に溶け込むように参道が伸びており、時の流れが止まっているような、古からこんなだったのだろうなと思わせるような景色である。
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諏訪神社からさらに5分ほど北上すると、別格20霊場第9番の文殊院に至る。小さな一画だが、本堂、大師堂と並んでいて、ロウソク、線香あげ、納札とひと通りの作法を行った。
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納経所もあるが、88箇所以外の御朱印帳を持っていなかったので立ち寄らなかった。どうやら別格20箇所用の納経帳があるようである。
88箇所と別格20箇所回れば全部で108箇所となって煩悩を消すことができるとのこと。 -
この文殊院はその名のとおり文殊菩薩が本尊であるが、お遍路歩きや納札の始まりとなった、衛門三郎の住居跡に建つお寺であるとのこと。また近くには弘法大師への仕打ちから亡くしてしまった8人の子供たちの塚などもあったようだ。
調べきれておらず立ち寄りそびれてしまったので、別格20霊場参拝として、是非また訪れたいところだ。 -
このあたりの遍路道は少し狭い道に住宅などが並び、旧街道の風情。一本道であるが歩いていて良い雰囲気だ。しかし残念ながら食事処やお休み処のようなものはない。お昼時でそろそろ何かを食べたいのだが。
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遍路石の道標が現れる。左は松山街道、一方お遍路道は右側のこの細い道とのこと。ここで旧街道を離れて右の小道に進む。
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文殊院から30分ほど歩き、時刻は午後1時、左手に見えてきたのが札始大師堂。衛門三郎が弘法大師に、自分の居場所を示すためにここで札を貼ったのが納札の始まりで、そのため札始大師堂と言われているようだ。
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大師堂と、水分補給用に(?)、水道蛇口の手水舎がある。大師堂も休憩所としての役割であり、中に入って休むことができる。
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中には弘法大師が祀られており、またお休み処として椅子などが並んでいる。ロウソク、線香、納札を納めて少しばかり休憩させていただいた。
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札始大師堂を過ぎて少しばかり北へ行くと、重信川に架かる、久谷大橋を渡る。この川を渡れば、次の西林寺はもうすぐである。
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