2024/04/12 - 2024/04/14
258位(同エリア304件中)
れむさん
遍路道を登り、第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)に到着。山上のお寺で参拝の後は、第25番 津照寺に向けて歩く。途中、海の駅でカツオのたたきを食べながら、6.5kmの遍路道を歩き、津照寺へ。
PR
-
室戸岬の山上にある最御崎寺への遍路道は、水掛地蔵から少し岬方向に行ったところに登り口がある。岬まで行った後に御厨人窟に戻ったため、この付近を行ったり来たらすることになったが、午前9時45分、ようやく山上への登りを開始する。
-
登り口のところに小さな祠のようなものがあった。観音窟という岩屋で、空海が一晩で岩を掘って作ったとか。
これから向かう最御崎寺の奥の院でもあるらしい。 -
下から見上げるとそれなりの山であるだけに、山道がどの程度整備されているのか不安であったが、そこは公式の遍路道、階段なども整備され、道自体は問題なかった。それでも山道自体は延々と続き、徐々に疲労が蓄積してくる。
-
登る途中にある、捻岩(ねじりいわ)。空海のご母堂が訪れた時に嵐があり、身を寄せて嵐をやり過ごせるように空海がこの岩を捻ったとか。
結構な山道ではあるが、こうした史跡というか、言い伝えのあるものがあると、ふと一息止めてほっこりとする。 -
最御崎寺が建つのは標高165mということで、入口は海に近いから、ほぼその高さを登ることになる。東京タワーの半分、下の展望台まで歩いて登るくらいの標高差。
まだ朝ということもあるのか、みんな車で登るのか、登山道中、見かけた人は誰もおらず、ひとり黙々と登る。 -
息を切らして歩いていると突然に眼前に仁王門が現れた。時刻はちょうど10時、国道の登り口からはほぼ休まず登って15分だった。
-
山上のお寺だが境内は割と広く、正面奥に本堂が、手前左に大師堂が位置する。頑張って登ってきただけに清々しい。
入口左手にあるのは手水舎かと思ったら土俵だった。手水舎は、大師堂の先に進んだ本堂近くにある。 -
本堂に向かって右手には多宝塔もある。やはり空海が悟りを開いた場所にあるお寺であるだけに、真言宗の特徴はひととおり揃っているようである。
-
空海七不思議のひとつとされる、鐘石。石で叩くと本当に鐘のように音が響く。中が空洞にでもなっているのかと思うような、確かに不思議な音色である。
ネットでちょっと調べたが、おそらくそういった金属音のなる性質の岩で、少なくともこの付近である石ではないようであり出自も含めてあまりよくわかっていないようだ。 -
西暦792年に空海が先ほどの御厨人窟で悟りを開いた後、唐に渡り、帰国後に再び訪れて807年にこの寺を建立。その後、足利尊氏が土佐の安国寺とするなどして繁栄したようだ。本堂は江戸時代に火災で焼失して再建された模様。
お遍路のしきたりに沿って、ロウソク、線香をあげ納札を入れ般若心経を唱える。 -
大師堂に戻り、本堂で行ったのと同じようにお作法を繰り返す。その後、納経所へ向かい、御朱印をいただく。
-
この4月から、御朱印料金が一律に300円から500円に値上がりしたようである。3月に徳島の遍路をしたときに告知が出ていたが、そのとおり値上げされていた。
第10番からしばらく白紙の後、第24番の御朱印。この後の第26番寺が西寺とも呼ばれるのに対して最御崎寺は東寺とも呼ばれ、御朱印には、奉納、虚空蔵尊、東寺、と書かれているようである。 -
本堂の左奥の方に鐘楼があった。気付かずに本堂と大師堂のお参りを終えてしまい、参拝後に鐘を撞くのはよくないようなので、撞くのは控える。
その奥には宝物館があるが年に2回しか公開されないらしく、残念ながら見学はできず。 -
仁王門を出てすぐのところに、先ほど下から眺めた灯台が建つ。明治32年に建てられた白亜の灯台。中に入ることはできないが、大きなレンズを間近に見ることができる。
-
灯台からは真下に室戸岬と、その先に広がる太平洋のパノラマを見渡せる。この日は風も強くなく、穏やかな太平洋が広がっている。
-
下山の遍路道は登ってきた登山道とは異なり自動車道路を通って行く形になるため、仁王門から駐車場方面へ続く参道を下っていく。登ってきた登山道とは異なり傾斜も緩やかで、木々に囲まれた穏やかな参道である。
-
そのまま参道を降りていくと、駐車場のあるお寺の入口に着いた。空海の像が立ち、お迎え大師、とある。
歩き遍路としてはこちらは入口ではないのだが、と突っ込みたくなるが、ほとんどの人は車なので、こちらが入口でお迎えされるのが一般的なのだろう。 -
最御崎寺の参拝を終え、午前10時半、次の25番 津照寺へ向けてお遍路歩きを開始。下へと続く自動車道路から、これから向かうお遍路道をパノラマで見渡せた。
湾曲した海岸線の窪んだあたりに次の25番 津照寺、その先遠くの岬の先端に近いあたりに26番 金剛頂寺があるはずである。 -
坂を下って海岸付近まで降りてきたら、国道55号からは一本内陸側の旧道を通る。こちらがお遍路道として指定されている。最御崎寺から次の津照寺までの道のりは6.5km。基本的に海沿いの平坦な道のりである。
-
遍路道の途中にあった神社。王子宮という神社で、地域の氏神を祀り、お祭りは賑わうようである。境内には桜の木があり、葉桜になりかけてはいるが、まだまだ花は健在で、古の神社に彩りを添えていた。
-
さらに歩を進めると、穏やかな内港に至る。室戸岬港あるいは津呂港といい、江戸時代に掘削された港のようである。
古くは平安時代に紀貫之が国司として訪れた際に嵐で足止めを余儀なくされ、その後、嵐や風待ちの港として整備されたようだ。 -
室戸岬港の近くにある外港、室戸岬新港の付近、最御崎寺からは4kmほど歩いたところで、道の駅ならぬ海の駅、とろむ、という施設があった。
時刻は11時半、お昼時となりお腹も空いてきたので、昼食を取るべく、とろむの中の室玄というお店に立ち寄ってみた。 -
レストランを基本に、地元の食材なども販売するお店。昼時ということもあるが賑わっており、入った時は一箇所だけテーブルが空いていてすぐに通してもらえたが、その後は待っている人も出てきていた。
-
メニューは当然、魚系が中心。周りを見ると室戸海鮮丼2000円が人気のようであったが、ワラ香るカツオたたき定食1500円というのをご当地ということもあり注文。合わせてランチビールもいただく。
-
混んでいることもあり、待つこと25分。ようやく食事が供される。厚切りのカツオのたたきと、にんにくやネギといった薬味の多さにもそそられるが、何より口にしてびっくり。まさに「ワラ香る」のとおり、藁の香ばしい香りが口いっぱいに広がる。
子供の頃から当然のように味わってきたカツオのたたきだが、初めての経験というか、こうした味わいがあるのか、という驚き。予想しない美味しさに、久々にガツンとさせられた。 -
昼食を堪能した後、12時半に海の駅とろむを出発し、再び、津照寺へ向けて歩く。残り距離は3km弱、30分ほどの距離。
引き続き旧道を北西に歩き、室津港に至ると、目指す津照寺はもうすぐである。 -
午後1時、津照寺の山門に到着。集落の中にあるお寺であり、門前には土産物屋なども数軒建つ。
しかしながら、ここまで平坦な道が続いたが、門の向こうには真っ直ぐに伸びる急な階段。最後の最後に試練のような石段である。 -
大師堂は下にあるのだが、本堂は石段の上である。なので何はともあれ石段を上らなければならない。まあたとえ本堂が下にあろうとも、ここまで来たら登るではあろうが。
桜もまだまだしっかり咲いて、お寺の情緒を醸し出している。尤も多くの人にそれを楽しむ余裕はないが。 -
大変とは言っても、結局は平地に建つ平山の石段であり、3分ほどで登り切る。バスで来ていた巡礼御一行の案内人が、今日一番の難所です、と言っていたが、歩く身としてはとんでもない、この先の26番、27番は更なる難所である。
そして石段を登り切れば、太平洋が一面に広がる。 -
山上に建つ本堂は1975年の建立と新しい。長宗我部の時代は庇護を受けて繁栄したが、明治時代に一度廃寺し、その後お遍路寺として再び整備されるも、往時と比べて規模が縮小してしまっているようである。
-
石段の途中にあった仁王門、登る時に気づかなかったが楼上に登ることができ、上は鐘楼になっていた。既に本堂にお参りしてしまったので、お参り後の鐘撞きはよくないということで、前寺に引き続き、鐘撞きは見送った。
-
大師堂は石段を降りた入口そばにある。その横、右奥が納経所。これまで巡った寺の中では明らかに敷地が狭く、密集した感じである。
ロウソク、線香、読経などした後、御朱印をいただく。 -
ここの本尊は地蔵菩薩であり、御朱印には、奉納、地蔵尊、津寺、とあるようである。
この後も先は長いので、空腹時の補給にと、門前の土産屋で野根まんじゅうという饅頭を購入。四国の伝統的な饅頭のようである。午後1時20分、津照寺を出発。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
室戸岬周辺(高知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2024年4月 高知お遍路歩き2日間
0
33