2024/01/15 - 2024/01/22
794位(同エリア4378件中)
がんてつさん
今日は丸一日歩いて、イスタンブールの旧市街観光です。
午前はブルーモスクとグランドバザール、古代競馬場跡を見学し、アヤソフィアは外から写真撮影のみでした。
午後はトプカプ宮殿見学です。
夕食はガラタ橋のレストランです。
ブルーモスクを出ると夕方まで雨続きで、前日と違いめちゃ寒かった。
屋内に入ると大丈夫だったけど、手がかじかんで手袋がいるほど。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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朝食美味しかったです。
今まで重たいパンが多かったけど、久しぶりのクロワッサンやデニッシュ、チョコレートパンやクリームパン。
卵料理もオムレツやフライドエッグもある。
現地ホテルもいいけど、欧米系のホテルは心落ち着きます。Grand Hyatt Istanbul ホテル
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ホテルを出発して20分、やって来たのはスルタンアフメトジャミィ、ブルーモスクです。
ここでバスを降りて、今日は夕方まで一日歩いて旧市街を見て回ります。
バスの座席にカメラ忘れた~。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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オスマン帝国第14代皇帝スルタンアフメット1世が、有名な建築家ミマール・シナンの弟子の建築家メフメット・アーに指示し、1609年から1616年にかけて建てられました。
直径27.5mの大ドームを中心に4つの副ドームと30の小ドームから成り立ち、大理石とタイルで作られた外観は、厳格な重厚感を醸しだしています。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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世界遺産に登録されているイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつで、イスタンブール観光の目玉でトルコを代表するモスクです。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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スルタン・アフメット1世はお抱えの建築家メフメット・アーに金(アルトゥン)のミナレットを作るように命じましたが、建築家は耳が遠かったらしく金ではなく6本(アルトゥ)のミナレットを建ててしまいました。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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通常モスクでは、ミナレットは4本までしか建てられないことになっていますが、イスラム教の総本山メッカのカーバモスクが6本のミナレットであったことから、ブルーモスクはカーバモスクと同本数となってしまったので、後にスルタンはメッカに7本めのミナレットを寄贈することで、自らの謙虚さとイスラムへの信仰心の深さを示したと伝えられています。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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内部の壁は16世紀末から17世紀初めにイズニックで作られた21,043枚の青を基調にしたタイルが敷き詰めています。
太陽光がステンドグラスを通って淡い青い光となりドームの中を照らし、イズニックタイルの色彩も青が協調されて浮かび上がることから、ブルーモスクと呼ばれるようになったそうです。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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ブルーモスクはスレイマニエ・モスクの半世紀後に作られました。
副ドームは大小4つありますが、相互に組み合わせたような形で一つのドームのようになっています。
その天井は信者の頭の上に大空のように青く広がり、モスク内のどこに立とうが座ろうが、中心にいるように感じられます。
ブルーのサークルや帯がある部分が大ドームの中央で、神のいる天を現している装飾がなされています。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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ライトブルーの地の上に鮮やかな青色というのがタイルのオリジナルカラーであると信じられてきましたが、修復の過程で新たな塗りが見つかりました。
描かれた模様は同じものですが、白地にブルーがオリジナルであったようです。
19世紀後半にも修復されたという記録も見つかっています。
壁のタイルは白地の上にヒノキ、チューリップ、ヒヤシンス、ザクロの花、ラム、ブドウの房等の自然の植物の繊細なデザインが青を基調としつつも色取り取りに描かれています。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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モスクを彩る鮮やかなステンドグラスは260以上もあるといわれる小窓があり、自然光をモスクの中に神秘的に取り入れています。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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ブルーのサークルや帯の上には、金色のアラビア文字で、神の言葉の威厳を伝える書が描かれ、色鮮やかな植物の模様は、生命力を伝える象徴として表現されているそうです。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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このモスクでの礼拝は1日5回で観光客は立ち入ることができません。
一面にチューリップの模様が美しく織り込まれた絨毯の上で行われます。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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広いし、大きいし、とても綺麗なのでスマホでビデオ撮影もしちゃいました。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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日本語解説のコーランやイスラムについてのパンフレットが置いてありました。
私は仏教徒なのでお返ししましたが、興味のある方はどうぞ。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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中央ドームを支える4本の柱は、直径5mあります。
巨大なドームの重さを支えるために丈夫に作られた柱は、見た目から象の足に例えられています。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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そろそろ時間のようです。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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副ドームの装飾も綺麗です。
残念ですが、集合時間になりました。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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ブルーモスクを後にして外へ出ると、雨模様です。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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続いてやって来たのは、グランドバザールです。
集合場所と時間を決めて、フリータイムです。グランド バザール 市場
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貴金属のお店が多いみたいです。
グランド バザール 市場
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グランドバザールから一旦外へ出て、有料トイレへ。
トイレ近くにヌールオスマニィエ・ジャミィがありました。
1748年にマフムト1世の時代に建設が着手され、1754年に後継者のスルタン、オスマン3世の時代に完成したモスクです。
ヌールオスマニィエとはオスマンの光という意味で、オスマン帝国のバロック様式のモスクです。
雨、上がったみたい。 -
メインの通りを歩いてみました。
お土産小物のお店やかばん屋さんもあります。グランド バザール 市場
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貴金属のお店がズラリ。
グランド バザール 市場
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TVで見たことがある、メインの通りの真ん中にある貴金属店が見えてきた。
グランド バザール 市場
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横の通りを見ると、コピーTシャツのお店や小物雑貨のお店。
グランド バザール 市場
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やはりここは有名なので、人通りが多いですね。
グランド バザール 市場
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横の通りへも行ってみました。
よく聞く、バザールで○○~○や、色々なダジャレ・単語で呼び止めてきます。グランド バザール 市場
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メインの通りに戻って。
グランド バザール 市場
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寄り道しながら、集合場所へ移動します。
グランド バザール 市場
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外へ出るとまた雨です。
やってきたのはスルタンアフメット広場です。
アヤソフィアの前で記念撮影。
入場観光はありませんでした、残念。アヤソフィア 寺院・教会
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かつてはキリスト教の大聖堂として使われていましたが、オスマン帝国時代に入ると、ミナレットなどが加えられイスラムモスクとして姿を変えた建造物です。
アヤソフィアが出来たのは537年12月27日で、1935年からは博物館として公開されていました。
2020年7月10日、トルコ政府はアヤソフィアをモスクにすることを発表し、エルドアン大統領は、イスラム教徒だけでなく誰もが訪問できるようにしました。アヤソフィア 寺院・教会
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広場を挟んだ反対側には、スルタンアフメトジャミィがあります。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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次に来たのは古代競馬場跡です。
3世紀はじめのビザンチン帝国に建造されたヒッポドロームと呼ばれた競馬場です。
4世紀にキリスト教徒の皇帝が剣闘士の戦いを禁止してから、馬に引かせた戦車競争が市民の楽しみとなりました。ドイツの泉 散歩・街歩き
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縦500m、横117mのU字型の競馬場は4万人ほども収容でき、戦馬車競技や暴動の舞台にもなり、数千人が処刑された場所でもあります。
テオドシウス1世のオベリスク モニュメント・記念碑
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雨が強くなってきたし、寒い。
1898年ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がイスタンブールを訪れてから2周年を記念し、1901年にヴィルヘルム2世の誕生日に、ドイツとトルコの前向きな関係の象徴として建てられました。ドイツの泉 散歩・街歩き
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357年、コンスタンティウス2世が在位20年を記念して、紀元前1940年頃作られたとされるトトメス3世時代のオベリスクをエジプトのカルナック神殿からナイル川を使ってアレクサンドリアまで運ばせ、その後390年にテオドシウス1世が戦勝祈念としてコンスタンティノープル競馬場へ3つに分割し運ばせてここに建てさせました。
テオドシウス1世のオベリスク モニュメント・記念碑
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オベリスクの白い大理石の台座は4世紀にテオドシウス1世が作らせたもので、周囲には競技の勝利者に花輪を手渡すテオドシウス帝や、観戦する皇帝と皇太子の姿などが刻まれています。
テオドシウス1世のオベリスク モニュメント・記念碑
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テオドシウス1世のオベリスク モニュメント・記念碑
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元々はギリシャにあった柱で、紀元前479年プラテイアの戦いでペルシャを負かしたギリシャの31都市連合軍が、勝利の記念として戦いで手に入れた青銅を溶かして3匹の蛇が交わる形で作り、ギリシャのデルフォイのアポロン神殿の前に建てた柱です。
これをコンスタンティヌス1世が324年に新首都であるコンスタンティノープルへ持ってこさせました。
首都設立当時のコンスタンティノ―プルは蛇や虫が蔓延しており、それらから町を救う魔力がこの柱にあると信じられていた為、持ち込まれたといわれています。蛇の柱 モニュメント・記念碑
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10世紀にコンスタンティノス7世の命により切石で造られた32mの高さのモニュメントです。
当時は、コンスタンティノス7世の祖父バシレイオス1世の勝利を描いた金箔加工の青銅プレートで覆われ、上には地球儀がのっていたそうですが、第4回十字軍により盗まれて溶かされてしまいました。コンスタンティヌス7世のオベリスク モニュメント・記念碑
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切石積みのオベリスク
Örme Dikilitaşコンスタンティヌス7世のオベリスク モニュメント・記念碑
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古代競馬場跡近くのKorecan & Phoenix Restaurantで昼食です。
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外は寒かったので、屋内はありがたい。
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寒かったので、飲み物はホットコーヒーで。
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肉・肉・肉と肉続きです。
そろそろ優しい魚が恋しい。 -
昼食後、やって来たのはトプカプ宮殿です。
1467年にメーメット2世によって建てられました。
その後、19世紀の半ばまでオスマントルコの31代スルタンであるアブドールメジットが、ボスポラス海峡の海岸にあるドルマバフチェ宮殿を建てるまで王様の家として使われました。
当時、宮殿に住んでいたのは6,000人ほどで、金曜日のお客を加えると宮殿の人口は16,000人にも増加したそうです。トプカプ宮殿 城・宮殿
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帝王の門
トプカプ宮殿の入口(総門)にあたる帝王の門には2つの陸のハーターン、2つの海のスルタンと書いてあり、ヨーロッパとアジアの陸、黒海と地中海の海を制した王様ということを意味しています。皇帝の門 建造物
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アフメト3世の泉
1728年にアフメット3世が、建築家ミマール・アフメット・アーに指示し建てられました。
大臣や首相などの役人がスルタンの機嫌を損ねた際に首を切られてこの泉で洗われたことから、死刑執行人の泉といわれています。トプカプ宮殿 城・宮殿
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オスマントルコの歴史には1299~1922年まで、全部で36人のスルタンがいました。スルタンの大部分はトプカプ宮殿に住み、19世紀の半ばにドルマバフチェ宮殿を建ててからも、トプカプ宮殿のハレムは使われていました。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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1468年にファティ・スルタン・メフメットによって造られました。
帝国時代において宮殿の最も重要な入り口(中門)で、騎乗して入る特権を与えられた大官貴顕たちも下馬せねばならなく、スルタンだけは乗馬のまま通ることができました。表敬の門 建造物
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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門の入口には、アラーの他に神はなくムハンマドは神の使徒であるというイスラム教徒には重要な言葉が掲げられています。
表敬の門 建造物
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トプカプ宮殿の模型
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿の模型
トプカプ宮殿 城・宮殿
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こちらも
トプカプ宮殿 城・宮殿
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10の部屋が連なる厨房では、オスマン帝国の最盛期で4~5千人いたといわれる人たちの食事を、数百人の料理人が作っていたといわれています。
秤用の重りで石を削ったものや金属性のものなど何種類かあったようです。トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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中国・日本の陶磁器展示室
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トイレ
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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銀製製品展示室
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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中国・日本の陶磁器展示室
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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ヨーロッパ陶器・銀製品展示室
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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銀製製品展示室
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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煙突の内側
トプカプ宮殿 城・宮殿
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ヨーロッパ陶器
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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幸福の門は当初、皇帝メフメト二世によって造られた4本柱の門でした。
その後1774年に皇帝マフムト一世によって改築され現在の門となりました。
門の上の碑文には、慈悲深く、思いやりのある、神よと記載されています。
装飾された門の扉は2ヶ所あり、左扉は宦官長の部屋へ、右扉は宦官の宿舎へとつながっていました。
宦官たちは一日中忙しかったため、扉は閉じられず一日中開いていました。幸福の門 建造物
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幸福の門の天井からは約束飾りがおりていますが、この約束飾りは世界を表しており上にある石はスルタンの力を表しているそうです。
オスマン帝国の旗を立てる床の穴には、大きな儀式がある際に旗が立てられました。幸福の門 建造物
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御前会議場の奥の8つのドームからなる場所が、帝国の財宝が収められ19世紀まで公的な財務管理がなされていた国庫で、宰相、大使、宮殿の住人たちに与えられる貴重なカフタンや宝石など様々な贈り物がここに収められていました。
イェニチェリへの給与もここで管理されていたといいます。
現在ここは武器展示室となっています。トプカプ宮殿 城・宮殿
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棒の先に着ける飾
トプカプ宮殿 城・宮殿
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短銃ですが、宝飾されているので実用品ではないのかな?
トプカプ宮殿 城・宮殿
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こちらも同様に宝飾されているので実用品ではない?
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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金なのかな?
トプカプ宮殿 城・宮殿
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金ピカの兜
トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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次は会議の間の前の回廊まで来ました。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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ここはかつて国政会議が行われていた場所で、オスマン帝国の最高意志決定機関である御前会議が開かれたという部屋です。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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スルタンは家臣の前には滅多に顔出さず、鉄格子のはめれた窓の奥から高官や宰相の議論のやり取りを傍聴していたといわれています。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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会議の間
トプカプ宮殿 城・宮殿
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会議の間
トプカプ宮殿 城・宮殿
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会議の間
トプカプ宮殿 城・宮殿
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ここからハレムに入ります。
トルコ語でハレムは、男子禁制の女性だけの居室です。
ハレムの本来の意味は、イスラム教の教えをもとに、家庭内の女性を他の男性から隔離する目的で確保されたプライベートな空間です。
オスマン帝国のハレムには、美人が多いと有名なコーカサス出身の女性を中心に多くの女奴隷が集められ、最盛期は1,000人を超えていたそうです。
戦争捕虜や貧困家庭から売られて奴隷身分となった女性たちはイスタンブールで買われると、イスタンブールの各所に置かれた君主の宮廷の一つに配属され、黒人の宦官によって生活を監督されながら礼儀作法や料理、裁縫、文字の読み書きから文学など様々な教育を受けた後、侍女として皇帝の住むトプカプ宮殿のハレムに移されました。
ハレムには、スルタンとその母の皇太后・母后、未婚の妹、正妃、側室、皇子たち、皇女たちなどのスルタンの家族、侍女、宦官たちが住んでいました。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ズリュフリュ警備隊の住まいで、上段はヒートボールに近いことから年長者や高位ランク者に優先的に与えられました。
オスマントルコの軍紀や訓練では、目上の者に対する絶対服従や年功序列が徹底されていたそうです。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ズリュフリュ警備隊の名札
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ズリュフリュ警備隊の詰所
ズリュフリュ警備隊はトルコ語で毛の番人の意味があり、長い毛のついた頭飾りと長い襟の制服であったことからこの名前がついたとされます。
宮廷内の警備の他に、戦の際には進軍が容易にできるよう道を開拓することや、コーランを唱和するなどの役目があったとされています。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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水浴場で、入浴の日は週1回と決められていました。
それぞれのグループごと(ズリュフリュ警備兵、黒人宦官、女奴隷など)に曜日が決められ窯焚人が特定のハマムに火をつけます。
燃料は木が使われ、それらを外部からハマムに運ぶのはズリュフリュ警備隊の仕事ででした。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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黒人宦官の住居で、ハレムの監督者はヌビア生まれの黒人奴隷から形成される宦官達でした。
ハレムで暮らす女性達の世話や外部との通信交渉も担い、官長は至福の家の長や娘達の長と呼ばれ、16世紀以降は白人宦官にとってかわり内廷とハレムの全体の長となりました。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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年寄りの宦官は1階に、若い宦官は上の階に住んでいました。
宦官とは去勢された男性のことで、この時代の後宮で執務を担った人々で、黒人宦官はアフリカで去勢してから宮殿へ売られました。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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黒人宦官のモスク内にあるミフラーブ
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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黒人宦官の住まい
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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チーフ黒人宦官は王子達の教育係でした。
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの母后の部屋
ハレムの権力はスルタンの母親にあり、その座を得る事がハレムの女性たちの最大の目標でした。
この部屋はその権力を手にした歴代のスルタンの母たちが生活していた部屋です。
セリム3世の時代にロココ調でまとめられた室内の内装で、壁には西欧風の風景画のフレスコで飾られています。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの母后の部屋の天井ドーム
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの母后の部屋の暖炉
17世紀に造られたイズニックタイルで装飾されています。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの母后の部屋
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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母后のハマムの大理石の浴室
ハマムとは、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて発祥したトルコ式の伝統的な浴場です。
スルタン専用のハマムと母后用のハマムがありますが、女性たちは身分に関係なく利用していました。
16世紀ごろに建てられたとされていて、温水・熱湯・冷水と3つの温度設定が可能でした。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンのハマム
スルタン専用のハマムには、安全のために金色のブロンズの手すり代わりの仕切りが付けられています。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンのハマムの洗面台
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンのハマム
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの大広間
1580年~1590年の間に建てられたとされ、ハレム内での式典や祭典、親交の深い友人やハレムの女性たちのお茶会などの催しものやレセプションに利用されていました大広間です。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの大広間の天井ドーム
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの大広間では、スルタンは天蓋付きの玉座に座り、2階では楽士たちが演奏し、絨毯の上では女性たちが踊りを楽しんでいたそうです。
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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スルタンの大広間
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ムラト3世の部屋
ムラト3世は、オスマントルコの黄金期をつくったスルタン・スレイマンの孫息子でした。
部屋の中には、夏の間、空気を爽やかに保つために、沢山の小さい噴水があります。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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室内には、ベッドがありませんでした。
ベッドがオスマントルコの生活にとり入れられたのは19世紀のことで、それまでは床の上に布団を敷いていました。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ムラト3世の部屋
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ムラト3世の部屋
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青いタイルにはコーランがアラビア語で書かれています。
ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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寵姫たちの住まい
サルタンのお気に入りの人々の住まいで、サルタンの側室,女官長、王女達、幼い王子達といった面々が住んでいた一角です。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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ハーレムを出て、幸福の門まで戻って来ました。
只今15時半で、16時半再集合ということでここで一旦解散してフリー見学です。ハレム 博物館・美術館・ギャラリー
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フリータイムは1時間なのでまずは宝物館へ。
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝石が埋め込まれた剣
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エメラルド、ガーネット、ルビー、トパーズやサファイヤやダイヤモンドなどの宝石がたくさん。
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝石が埋め込まれた水差し?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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小物入れ?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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スプーン職人のダイヤモンド
ダイヤモンドは86カラットの大きさで、スプーン職人のダイヤモンドと呼ばれます。
このダイヤモンドは、17世紀後半にイスタンブールで紙拾いをしていた貧しい男がごみの中から変わった丸い石を見つけ、この石をスプーン職人に見せて3本の木製スプーンと交換しました。
そしてスプーン職人はある宝石店に持ち込み銀貨10枚で石を売りました。
その後この宝石店はこれを友達に見せたことで、この石が大変貴重なダイヤの原石であることがわかるのですが、この友達は黙秘料を欲しがり喧嘩が起こりました。
これを聞いた宝石管理長がこの2人に銀貨一袋ずつを渡してこの石を手に入れます。
その話を聞きつけた大宰相がこれを買い取ろうとしていた時、スルタンのアフメット4世の耳に入り、通達を出してこの石を宮殿に持ってこさせ、宮殿の宝石職人に石をカットさせて、86カラットのダイヤが生まれました。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一旦外へ出ました。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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外へ出ると雨だし、風は強いし、寒い。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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紋章とターバン飾りです。
オスマン帝国では被り物が地位や職業の象徴だったことから、紋章にはルビーやサファイヤなどの宝石が散りばめられました。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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玉座と吊るし飾り
16世紀の蒙古人の支配者の王座は、ペルシャからの贈り物としてこの宮殿に来たものだそうです。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ムスタファ3世の鎧
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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トプカプの短剣
トプカプの短剣は、ランの支配者ナーデル・シャーへの贈り物として、スルタン・マフムード1世の命令で作られたもので世界で最も貴重な短剣ともいわれています。
エメラルドで覆われた短剣はオスマン帝国の職人の傑作であり、鞘の宝石の中にロンドン製の時計も置かれています。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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金の揺り籠?
宝石が埋め込まれたベルトかな?宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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儀式用宝飾水筒と硯箱
書類に署名するのがスルタンの重要な職務で、宝石が散りばめられた硯箱が用いられました。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これも硯箱でしょうか?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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預言者ムハンマドの墓のために造られたペンダント
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝石が埋め込まれた亜鉛のピッチャー
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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マフムート1世の玉座
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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勲章がたくさん
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらも勲章
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝石箱かな?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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勲章
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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香水入れかな?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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コーランの何か?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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コーランのカバー?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これはコーランかな?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これもコーランかな?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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やっぱりコーランですね。
歴代のスルタンは敬虔なイスラム教信者で、毎日聖なる外套の間で祈りを捧げ、毎週金曜日には市内のモスクへ足を運んでいたそうです。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これも小物入れかな?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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コーランのカバーらしい。
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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香炉と香水入れでしょうか?
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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伊土戦争、バルカン戦争、第一次世界大戦とオスマン帝国の激動期を生きた第35代メフメット3世が使用した香炉だそうです。
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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数珠
宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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金の燭台でしょうか?
宝物館素晴らしかったです。
この後ショップを見て、集合場所の幸福の門へ戻りました。宝物館 博物館・美術館・ギャラリー
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バスへ戻り、ガラタ橋へ。
今日の夕食はガラタ橋にあるレストランです。
カメラありました。ガラタ橋 建造物
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連絡路を通ってガラタ橋を歩きます。
色々なフェリーや観光船が金角湾を行き来しています。ガラタ橋 建造物
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ガラタ橋 建造物
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ガラタ橋にあるレストランで夕食です。
店名判らなかった。 -
寒かったので、飲み物はチャイにしました。
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タバコ休憩している間に、皆さんのテーブルにはスズキの塩焼き(姿焼き)が並んでいます。
私のだけ来ていないし・・・。
お店の人曰く骨を抜いているので暫く待てと・・・。
誰もそんなこと頼んでないのに、皆さんが食べ終わるころ開きできました。
しかも骨あるじゃん。 -
久しぶりのメインが魚、美味しかった。
デザートがきて、食事終了です。 -
お店を後にします。
お店の写真撮り忘れた。 -
雨も上がって、すっかり暗くなっていました。
ガラタ橋 建造物
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夜の港も賑やかで綺麗ですね。
ガラタ橋 建造物
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橋の先に見えるモスクは、たぶんイェニジャミィだと思います。
ライトアップされていて雰囲気ありますね~。ガラタ橋 建造物
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この後19時にはホテルへ戻りました。
明日は、12時までフリータイムです。
少しゆっくり寝れるかな?ガラタ橋 建造物
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