2023/10/01 - 2023/10/14
2651位(同エリア6061件中)
mirilinさん
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- 旅行記136冊
- クチコミ40件
- Q&A回答20件
- 353,159アクセス
- フォロワー26人
この旅行記のスケジュール
2023/10/06
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金杯の家
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エクタイブル宮殿
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アンカーハウス
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burg.ring1
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フォルクスガルテン エリザベート像
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ロッテントゥルム通り
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Pension Sacher - Apartments am Stephansplatz
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アメリカンバー
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Pension Sacher - Apartments am Stephansplatz
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この旅行記スケジュールを元に
退職したら、貯めたANAマイルを使ってビジネスクラスでウィーンへ飛び、ウィーンとプラハのアール・ヌーボー建築を巡って歩き倒そうと楽しみにしていたのに、コロナ禍襲来で4年もお預け。
どうにか海外旅行は解禁されたものの、ANAのウィーン直行便はいまだ飛ばず、乗継便に変更してもビジネスクラスの特典航空券は全く取れず…。
でも、どんどん年は重なって行く(←老化が進む)し、マイルの有効期限も迫ってきてるし…ってことで、直行便もビジネスクラスも諦め、プレミアムエコノミーでロンドン経由で行くことにしました。
でも、いろいろ諦めはしましたが、4年ぶりの本場のアール・ヌーヴォー、美しい街並みを目の当たりにすれば、老化が進んでいることも忘れ、テンションMAXで町中を歩き倒したことは言うまでもありません。
この旅行記はその6日目、初ウィーンの相方にウィーンの空気を感じてもらうために、定番のリンク界隈の建物を中心に、ウロウロとしてみました。
【12,362歩】
今回の旅のスケジュール
10/1(日) 羽田発 9:55 → ロンドン着 16:20
10/2(月) ロンドン発 10:10 → プラハ着 13:15
旧市街広場 ユダヤ人地区
10/3(火) AM プラハ城
PM フラチャニ地区・マラーストラナ地区
10/4(水) AM キュビズム建築 マサリク堤防、ダンシングハウス、
新市街アール・ヌーボー
PM プラハ中央駅 ミュシャ美術館 市民会館 旧市街広場
10/5(木) プラハ駅 12:45→ ウィーン中央駅 16:49
見落とし救済
10/6(金) シュテファン大寺院 ホーフブルク宮(シシイ博物館・国立図書館・アルベルティーな教会など) 建築巡り(リンク界隈)、ブルク劇場
10/7(土) AM ベルヴェデーレ宮殿
PM 建築巡り(アール・ヌーボー建築など)夜景見物
10/8 (日) フンデルト・ヴァッサー建築 美術史博物館
10/9(月)シェーンブルン宮殿 見落とし救済
10/10(火)ウィーン発 11:25 → ロンドン着 12:55
ビックベン
10/11(水)ウエストミンスター寺院 グリニッジ タワーブリッジ レドンホールマーケット ミュージカルWICKED(アポロシアター)
10/12(木)ホースガード 大英博物館 メイフェア地区
10/13(金)リージェントストリート ヴァッキンガム宮殿 セントジェームスパーク ウエストミンスター教会
ロンドン発 19:00 →
10/14(土)羽田着 14:50
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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♪朝だ朝だ~よ、朝~日が昇~る♪
朝目が覚めてカーテン開けたら、思わず歌いだしたくなるような青空と、朝陽に輝く「シュテファン大聖堂」が、バーンと私の眼に飛び込んできました。
ウィーンにいるんだぁ~と、実感する景色です。
と、下を見たら、「シュテファン広場」にたくさんの車。日中は車両進入禁止なんですが、朝は業務用の車両がひっきりなしに来ていました。お店への搬入とかありますもんね。早朝からお仕事お疲れ様で~す。Pension Sacher - Apartments am Stephansplatz ホテル
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地の利を活かし、朝一番の空いているうちに「シュテファン大聖堂」の見学をしちゃおうということになりました。
え?朝一番なのに、こんなに混んでいるのかって?
すみません。いい写真がなかったので、夕方通りがかった時に撮った写真を使いました。 m(・ω・m)ソーリィ
12世紀に建設が始まってから、数々の改築を重ね、ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式とさまざまな建築様式が混在しているこの聖堂ですが、第2次世界大戦時に焼失してしまったため、現存する最古の部分は13世紀の後期ロマネスクの西側正面ファサードとハイデン塔だそうです。 確かにここだけ他の部分とは趣が違って、ゴテゴテしていませんね。シュテファン大聖堂 寺院・教会
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街の中心「シュテファン広場」にある「シュテファン大聖堂」は、オーストリアで最も有名なゴシック様式の教会建築で、市民からは「シュテッフル(Steffl)」と愛称で呼ばれているほど、ウィーン市民に愛されているシンボル的存在です。
1359年に65年がかりで完成した南塔(137m)は、教会の塔としては「ウルム大聖堂」(161m)、「ケルン大聖堂」(157m)についで世界で3番目の高さがあるそうです。
北塔(68.3m)は、建築責任者が建築中に塔から落ちて亡くなって以降未完成のままで、現在では、未完の塔の上に緑色のクーポラが作られ、塔が1本の大聖堂となっています。この建築責任者の事故は、悪魔と取引したことに因るとの伝説もあるそうですが、真相や如何に?
ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、「モーツァルト」と「コンスタンツェ」の結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても知られていますよね。 -
「シュテファン大聖堂」の内部は、有料見学部分と無料見学部分がありますが、ざっと見学するなら無料見学だけでも大丈夫。私も無料見学エリアから拝観しました。
この写真は無料見学エリアから柵越しに有料見学エリアを撮ったのですが、エリアのオープン前に撮ったので、誰もいない写真が撮れました。
この大聖堂は、特別な数象徴主義に従っているそうで、長さ333フィート(107.2m)、幅111フィート(34.2m)。4つの塔のうち、南塔が最も高く、444フィート(136.4m)なのだそうです。その南塔は、7x7x7=343段の階段が塔の櫓の間まで続いているとのこと。ゾロ目にこだわったんですね。 -
まずはAM9:00、オープンと同時に一番乗りで北塔のエレベーターで展望台へ。
エレベーターは有料で6ユーロでした。キャッシュレス化の進んでいるウィーンですが、珍しく現金オンリーで慌てました(笑)
展望台からは、遠くの山まで見渡せて爽快です。 -
正面奥には、後日行く予定の「シュピッツラウごみ焼却場」の塔も見えます。
え?ゴミ焼却場に行くのかって?
これがまた建築オタクにはとっても興味ある建物なんです。それはまた別の旅行記に登場予定です。 -
正直、プラハの「市庁舎の塔」や「カレル橋橋塔」からの眺めを見た後だと、景色としては「ふ~ん」という感じではあるのですが(←十分美しいのですがマヒしてます)、この塔に上から、美しいモザイクの屋根を間近に見ることができるので、十分満足です。
この美しい屋根は23万枚の瓦でできているそうです。なかなかの斜度の屋根ですが、勾配は64度、最も急な所は80度もあるそうです。雨水が勢いよく流れ自動的に汚れを落とすという仕組みだそうです。だからいつも綺麗なんですね~
屋根にある小さな家型の通風孔?明り取りの窓?が可愛らしいです。小人さんの家かしら? -
第2次世界大戦で大聖堂が焼失してしまった際、当時の司祭が国中を回って寄付を募り、国内の各州が、それぞれ重要な部分を協力して再建していったそうです。特に重要なこの屋根部分は、ウィーン市が担当したそうですが、屋根瓦は「屋根瓦キャンペーン」で、屋根瓦1枚5シリング(約50円)から寄付ができるようにしたところ、市民の協力で約2億円の寄付が集まり、国家予算や税金を投入することなく、オリジナルに近いものに修復できたそうです。
今の美しいモザイクの屋根は、瓦の一枚一枚が市民の寄付で成り立っているわけです。それだけでも、ウィーン市民の心のよりどころとして存在している大聖堂なんだなと感じました。
北塔側の屋根にはオーストリアとウィーン市の紋章が描かれています。
反対側には双頭の鷲が描かれているのですが、北塔側からは見えません。 -
そして、この北塔には、「プンメリン」と呼ばれるオーストリア最大の鐘があります。「プンメリン」とは低い音の大鐘という意味だそうで、今でも厳粛な行事の時のみに鳴らされるそうです。
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「プンメリン」は、かつては南塔にあった大きな鐘で、1683年にオスマン帝国軍(トルコ軍)が敗退した際に残していった大砲などの武器を溶かし鋳造したそうで、鐘の前にはこんなチャーミングなプレートもありました。
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「シュテファン大聖堂」の建設には多くの建築家が参加したそうですが、1500年頃に活躍した「アントン・ピルグラム」が特に有名です。
目立ちたがり屋さんだったのか、聖堂内には壁から顔を出すピルグラムの像があります。両手には建築家の必須アイテムであるコンパスと定規を持っていますよ。 -
聖堂内の有料見学エリアには、「アントン・ピルグラム」が彫刻した説教檀(最近はプルグラム作ではないとの説が有力だそうですが…)、聖母子の木彫りの聖檀飾り、フリードリヒ3世の墓などがあるので、じっくり見学したい場合はそちらも是非。
この立派なパイプオルガンは無料エリアからも見られます。 -
「シュテファン大聖堂」見学後は、「ホーフブルク宮」へ。今日は、ウィーン王道観光コースに進みます。ウィーン初上陸の相方のため、リンク沿いに散らばる建物を見て回る予定です。
「シュテファン広場」から「グラーベン通り」に入る角、「シュテファン大聖堂」と広場を挟んで隣にも、壁に美しいフレスコ画が描かれた建物があります。
【Singerstraße 1】 -
これは、ウィーン出身の建築家「アレクサンダー・ヴィーレマンス」が設計し、1882年に建てられた「金杯の家(Haus Zum Goldenen Becher)」といわれる建物です。
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ローマ皇帝や女性の装飾画が特徴的ですが、1階にはカフェやマクドナルドが入っているので、上を見上げないと素通りしてしまいます。
中央に「金杯」がありますね。だから「金杯の家」です。 -
そしてその斜め向かい、「シュテファン広場」の「グラーベン通り」側には「エクイタブル宮殿」と呼ばれる建物があります。
これは、ボヘミア出身の建築家「アンドレアス・シュタイト(Andreas Streit)」が設計し、1891年に完成した建物で、アメリカに本社のあった「エクイタブル生命保険」が建てたビルだそうです。建物上部にハクトウワシが飾られ、「宮殿」と呼ばれていることが頷ける華麗なファサードです -
「シュテファン広場」入口から華麗な建物が並ぶ「グラーベン通り」は、かつてはウィーン市を守るお濠だったそうです。ハプルブルク家に統治されるよりも前の話ですが。
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「グラーベン通り」を少し行くと、また有名な建物が現れます。
こちらはウィーン分離派の中心人物の1人「オットー・ワーグナー」が1895年に手掛けた「アンカーハウス」と言われる建物です。
中間部をルネサンス様式としながらも店舗の入る1・2階と屋上のペントハウスにガラスを露出させるというデザインです。写真の撮り方を間違えて、肝心の屋上のペントハウスが良く見えませんが…。(><)
とても奥行きの長い建物です。 -
そしてこれは、「グラーベン通り」の中央にある、バロック様式の「ペスト記念柱」です。10万人の犠牲者を出した1679年のペストの大流行の終息を神に感謝して、「レオポルト1世」が造らせたものだそうで、上部にある黄金の三位一体の像が、いつも光り輝いていました。
ペスト記念柱 建造物
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「ペスト記念柱」の少し先、「グラーベン通り」を横切る道を右に見ると、「聖ペーター教会」が現れます。
4世紀後半にバシリカ様式でこの地に建てられた教会が、最初の「聖ペーター教会」で、ウィーン最古の教会と言われています。現在の建物は18世紀初頭にバロックの巨匠「ルーカス・フォン・ヒルデブラント」等によって、バロック様式で建て替えられたものです。聖ペーター教会 寺院・教会
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一歩内部に足を踏み入れると、外観のシンプルさからは想像できない絢爛豪華な世界が広がり、ウィーンで最も美しいバロック様式の教会の 1 つと言われていることが頷けます。
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正面にある豪華な主祭壇は「アントニオ・ガッリ・ビビエナ」の設計で、 中央には、「マルティーノ・アルトモンテ」作の大きな祭壇画があり、3本の力強い柱に挟まれています。この祭壇画は、使徒ペトロとヨハネがエルサレム神殿の美しき門で足の不自由な人を癒した様子を描いているそうです。
その下には、「レオポルト・クペルヴィーザー」が1836年に描いた「無原罪の女神」があります。 -
入口上にあるパイプオルガンも豪華絢爛!
入口上のロフトは、ロココ様式の欄干、格子、2175本のパイプからなるパイプオルガンなどに、豪華な装飾が施されています。 このロフトの全体的なコンセプトは、「マティアス・シュタインル」によってデザインされたそうです。
オルガンの下の入口天井部分には、「A.ガリ・ビビエナ」によるフレスコ画があります。
以前来た時には、この教会で毎夜開催される無料のオルガンコンサートを聞きに来たのですが、今回は時間が合わず断念しました。素敵なんですけどね。。。 -
これは主祭壇左側にある「聖家族礼拝堂」です。
ここに掲げられた「マルティーノ・アルトモンテ」作の祭壇画には、幼子イエスと聖ヨセフが描かれ、左側にマリア、前景に神の母の両親である聖ヨアキムと聖アンナが座っています。そしてこの祭壇画の前に飾られた彫像3体、ザカリヤとエリサベツと洗礼者ヨハネが加わり、聖家族を完成させているそうです。
キリストのご家族に疎いので、一度聞いただけでは頭がこんがらがりそうですが、ありがたい家族のオールスターキャストで、豪華な装飾であることには間違いありません。 -
そしてそして、「聖ペーター教会」はこのドーム天井のフレスコ画でも有名です。
ドームに描かれたフレスコ画は、「ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤー」が2年間(1713~14年)かけてほぼ一人で描いたものだそうです。 メインテーマは、父なる神と子なる神によるマリアの戴冠式だそうで、その上中央の燈籠の中に聖霊が浮かんでいます。 周囲には使徒、有名な聖人、旧約聖書の人物、三大天使、そして多くの天使がいたるところにいるそうです。 -
この中央に浮かぶ「精霊」がとても印象的です。
私は鳩だと思っていたんですが、公式HPでは「精霊」となっていました(Google翻訳ですが)
聖書に詳しい方だと、「あ、あの聖人見っけ」という感じで見ていて飽きない天井画なのかもしれませんね。 -
「聖ペーター教会」を出て、「グラーベン通り」に戻り、先に進みます。
とすぐに、また魅力的な建物が登場します。
これは、1911年に「ピエトロ・パロンボ」が作った店舗付き集合住宅です。
特に建物名は付けられてはいないようですが、最上階のデザインや、その周りのタイルのレリーフがとても美しい建物です。
【Graben 16】 -
そのお気に入りの最上階をアップにしてみました。
タイルのモザイク画は、人物像とその上に美しい帆船が描かれています。
海運会社の建物だったのでしょうか? -
「グラーベン通り」側のデザインはこんな感じ。
ペントハウスはガラスがふんだんに使われていますね。
その下には、どう見てもアイスクリームに見える飾りが窓の間についています。
私は勝手に「アイスクリームハウス」と呼ぶことにしました。 -
この調子で「ホーフブルク宮」までの道のりに現れる建物を載せていたら、大変なことになりそうなので、ここで一気に「ホーフブルク宮」前の広場「ミヒャエラ―広場」に飛びます(笑)
「グラーベン通り」を進み突き当ったら左に曲がって「コルンマルクト」を直進すると突き当たるのが「ホーフブルク宮」、そしてその前の広場が「ミヒャエラ―広場」です。
ここがその「グラーベン通り」が「コルンマルクト」に突き当たる曲がり角で、左を向けば美しい「ホーフブルク宮」の旧王宮の入口が見えます。 -
「ミヒャエラ―広場」にもとても有名な建物があります。正面には「ホーフブルク宮」がありますので、皆さんそちらにわき目もふらず直進してしまいますが、建物オタクは「ホーフブルク宮」に背を向けてまずはこちらを見学です。
これは「ロースハウス」と言われる建物で、1911年に「アドルフ・ロース」が造った建物です。バロックの家が並ぶウィーンの街に、それも王宮の前に、何の装飾もない建物を建てたので、大きな論争の渦をを生んでしまったとか。建築許可も下りず、窓辺に花を飾るということで、折り合いをつけたそうです。
のっぺりとした壁面の建物を見た人々は「眉毛の無い顔」と呼んだとか(←座布団1枚!)
装飾された建物が好きな私も、あまりこの建物は好きではありません。
でも、アメリカで学び、装飾を排した建物を作るという信念を、このウィーンの地で貫いた彼の姿勢は尊敬します。
【Michaelerplatz 3】ロースハウス 現代・近代建築
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「ロースハウス」の隣は、この場に似合う「バロックです」という建物がしっかり建っています。
やはり、「ロースハウス」は異端児ですね~ -
さて、ウィーン観光の本丸、「ホーフブルク宮」です。「ロースハウス」の正面にドーンと建っています。
「ホーフブルク宮」は、言わずと知れたハプルブルク家の居城。あの「マリア・テレジア」も「エリザベート」も「フランツ・ヨーゼフ」もここに住んでいらっしゃいました。
13世紀以降「ホーフブルク宮」は政治の場で、ハプスブルク家はここから帝国を支配しました。一度も敵に征服されたことはないのは見事です。
現在も敷地内の「レオポルド宮」にはオーストリア連邦大統領府があります。
【Michaelerplatz 1】ミヒャエル広場 広場・公園
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35年くらい前に私がウィーンを訪れた時は、内部の見学をしなかったので、今回はとても楽しみにしていました。宝塚歌劇が好きな私としては、「エリザベート」の住んでいた場所は、聖地巡礼といった感じで興味津々です。
「旧王宮」の入り口中央部分の豪華な「ミヒャエル門」をくぐり、中へ入って行きます。
300,000平方メートルを超える建築面積を誇る「ホーフブルク宮」ですから、勿論すべて回ることはできませんが、今回は有名ポイントは押さえていきたいと思います。 -
華麗な装飾ですね~
金のイニシャル(たぶん)がついていますが…読めません -
門の中に入り頭上を見上げると、ドームにも品の良い装飾がありました。
変にゴテゴテしてなくて、上品ですよね~
このドームの高さは37mあるそうです。 -
ドームの下右手に、私の一番のお目当て「シシイ博物館」の入口があります。
「皇后エリザベート」は「フランツ・ヨーゼフ1世」の妻ですが、「シシィ」という愛称で呼ばれていたことから、「シシィ博物館」という名が付けられています。
「シシィ」が愛用したドレスや宝飾品、さらにはダイエットをした際に使われたトレーニング器具や体重計など、当時の暮らしぶりを垣間見ることができる博物館なのですが、撮影禁止なので一切写真はありません。残念!(T_T)
ちなみに「ホーフブルク宮」は、「旧王宮」「新王宮」「オーストリア国立図書館」「アウグスティナー教会」各博物館などに分かれて、それぞれ入場料がかかります。
私は、後日行く予定の「シェーンブルン宮殿」の優先入場特典がある「シシイチケット」という「シシイ博物館」+「シェーンブルン宮殿」+「王宮家具博物館」がセットになっているチケット(44ユーロ≒5720円)を日本からネットで購入しておきました。
(ちなみに私のユーロ換算レートは、円高時に購入していたユーロなので、130円換算です)シシィ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「シシイ博物館」を出ると、「皇帝フランツの像」が中央に立つ中庭に出ます。
この「皇帝フランツ」は最後の神聖ローマ皇帝「フランツ2世」であり初代オーストリア皇帝「フランツ1世」です。
オーストリアには「フランツ」を名乗る皇帝がてんこ盛りで、その妻「マリア・テレジア」という方も複数いらして、頭がこんがらがっております。
「シシイ博物館」を出てきたところにいた「フランツ」だったので、「シシイ」の夫の「皇帝フランツ」かと思いましたが、人違いでした。皇帝ヨーゼフ2世像 モニュメント・記念碑
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「スイス門」は、13世紀に建てられた王宮最古の部分で、「ミヒャエル門」を抜けた王宮中庭左手、「スイス宮」を結ぶところにあります。
「フェルディナント1世」の時代の1552年から53年にかけて宮廷建築家の「ピエトロ・フェラボスコ」によって、ウィーンでは数少ないルネッサンス様式で増改築されたもので、門の上には、鷲の紋章とともに、「皇帝フェルディナンド1世」によって1552年に建設されたことを示す碑文があります。
白い宮殿の壁に赤を基調にした門は、とても目立ちます。 元々は控えめなブルーグレーとゴールドの外観でしたが、おそらく政治的なプロパガンダの意図で、赤と濃いグレーへと塗り替えられたであろうことが、近年の研究で判明したそうです。
「スイス門」という名は、「マリア・テレジア」の命で王宮の警備についたスイス近衛兵が、ここに宿営していたことにちなんで名づけられたそうですスイス門 建造物
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「スイス門」の円弧型の天井には、美しいフレスコ画が一面に描かれています。
描かれているのは、「フェルディナント1世」が 1521 年のヴォルムス条約ですでに獲得していたハプスブルク家の旧オーストリア所領の紋章だそうです。 -
次に向かったのが、「オーストリア国立図書館プルンクザール」です。
「オーストリア国立図書館」は「ヨーゼフ広場」に面して建っています。
左側の銅像は「皇帝ヨーゼフ2世」の騎馬像です。
「ヨーゼフ2世」は、父「フランツ1世」の死後、母「マリア・テレジア」とともに共同統治を行った皇帝です。あの「マリー・アントワネット」のお兄さんです。
【Josefsplatz 1】ヨーゼフ広場 広場・公園
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「オーストリア国立図書館」(旧宮廷図書館)は、「マリア・テレジア」の父、「カール6世 」の命により、1723年から1735年にかけて建築されました。
そしてここ、「プルンクザール」は、有名な宮廷建築家「ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ」 の計画に基づき、彼の息子「ヨーゼフ・エマーヌエル」によって、1723年から1726年にかけて建てられました。
バロック様式の壮麗、豪華なホールは、長さ80m、高さ20mで、世界で最も美しい歴史ある図書館の一つと言われています。
溜息ものの美しさですぅ (*’▽’*)♪オーストリア国立図書館 建造物
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「プルンクザール」には「プリンツ・オイゲン公」の15,000冊のコレクションを含む、1501年から1850年にかけてハプスブルク家が収集してきた20万冊以上の本が所蔵されているそうです。その中には、宗教改革で有名な「マルティン・ルター」の世界最大の著作コレクションも所蔵しているそうです。
天井までビッシリ詰まった本が並ぶ様子は、圧巻ですね。 -
中央のクーポラの下には、この図書館の建設を命じた「カール6世」(「マリア・テレジア」の父)の像が、この図書館の歴史の象徴として、神格化されたヘラクレスの姿となって置かれています。
このアングルの写真は、定番の撮影ポイントで、みんなで順番に撮る感じでした(笑) -
クーポラに描かれた壮大なフレスコ画は、宮廷画家「ダニエル・グラン」によるもので、1730年に完成したものだそうです。
素晴らしいですよね~。再度確認ですが、ここは図書館です。 -
真ん中のホールの四隅には、大きな地球儀が置かれていました。
これは、17世紀の地球儀作家「ヴィンチェンツォ・コロネリ」がハプスブルク家の皇帝のために作ったものだそうで、別の建物内にある「地球儀博物館」には、600以上の地球儀のコレクションが所蔵されているそうです。
ハプスブルク時代には、地球儀やは地図は知と権力の象徴でもあったそうで、これらはハプスブルクの栄華を誇示するものであったらしいです。 -
「プルクンザール」でも、美しいアイアンワーク見つけました~。
ここでこの写真撮る人は、あまりいないでしょうね(笑)
ちなみに、入場料は10ユーロ(≒1300円)と、なかなかのお値段ですが、あの美しさを見てしまうと、納得のお値段な感じがします。 -
「オーストリア国立図書館プルンクザール」の左隣は、「アウグスティーナー教会」です。
「アウグスティーナー教会」は「エリザベート」が結婚式をした教会で、ミュージカルなどでも登場するので、ぜひ行きたいと思っていたところです。
ただ、「エリザベート」のみならず、1736年の「マリア・テレジア」と「フランツ1世」の結婚式など、数多くのハプスブルク家の結婚式が行われたチャペルなのに、入口はメチャメチャシンプル。というより、え?ここでいいの?という佇まいです。
どうやら、1773年の「ニコラウス・パッカシ」の改築のおかげで、本来の入口が隠されてしまったらしいです。
何やってんねん! <(`^´)>
【Augustinerstraße 3】アウグスティーナー教会 寺院・教会
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「アウグスティーナー教会」は、ドイツ王「フリードリヒ3世」によって、1327年に設立され、1349年に献堂されたそうです。
身廊は長さ43m、高さ20m、内陣は40mで高さ24m、幅10mで、天井の尖塔形アーチと交差リブ・ヴォールトが特徴的なゴシック建築ですが、かなりすっきりした印象です。王家の結婚式やったんですよね?とツッコミたくなります。 -
正面の祭壇は、「アンドレアス・ハルビッヒ」によるものだそうで、1874年から置かれているそうです。
「エリザベート」もここで、結婚したのね~。
とロマンチックなムードに浸っている場合ではありません。
この教会地下にある「ロレット礼拝堂」には、この皇帝廟の創始者、「皇后マリア・アンナ」 (1618年死去) から、「皇帝フランツ・ヨーゼフ」の父、「大公フランツ・カール」 (1878年死去) に至るまで、ハプスブルク家 54人の心臓が安置されているそうです。遺体から心臓を取り出して銀の壺に入れて置いてあるらしいのですが、日本人には想像を絶する不気味さですよね。
ちなみに、心臓以外の内臓は、朝行った「シュテファン大聖堂」に安置されているんですって。L(**)」 -
唯一華やかな感じがしたのが、このパイプオルガンでした。
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教会を出て、細い「アウグスティーナ通り」を「リンクシュトラーセ(通称リンク)」の方向に歩いていたら、とてもシンプルだけど青空に白く輝く鐘楼を見つけました。
そう、「アウグスティーナ教会」の鐘楼です。絢爛豪華な宮殿に住んでいる王家の方々も、神様の前では無垢な心となるって感じでしょうか? -
「ホーフブルク宮」には、ハプスブルク家のプライベートな宮殿を利用した「アルベルティーナ美術館」があるのですが、見学していると相当時間がかかりそうだということで、今回は見学を見送り、その先の「ブルクガルテン(王宮庭園)」へ向かいました。
「ブルクガルテン(王宮庭園)」には、アールヌーボー様式の温室があり、今は「バタフライハウス」として蝶が放たれた植物園となっています。
温室の後ろに見える塔は、先ほどの「アウグスティーナ教会」の塔です。王宮庭園 広場・公園
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この温室は「フリードリヒ・オーマン」によって設計され、1901年に完成しました。長さ128m、床面積約2,000㎡のこの建物は、建設に5年もかかったそうです。
皇帝は温室を主にレクリエーションのために使用し、植物や花を扱うことを楽しんだそうです。 -
「ブルクガルテン」の背後には、「新王宮」が建っています。
中央最上部で王冠を掲げた金色の双頭の鷲が輝き、堂々とした佇まいですね。 -
「ブルクガルテン」で最も有名なのは、ここ。
ト音記号の前に立つ「モーツアルト」の像です。
この日も多くの学生たちが記念写真を撮っていました。遠足かな?
私も3回目のご挨拶ですが、ウィーン初上陸の相方にもご挨拶してもらうため連れてきました。
テッパン中のテッパン写真です(笑)
【Josefsplatz 1】モーツァルト記念像 建造物
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あ!今回初めて発見したのが、路上に置かれた体重計。
これは「ブルクガルテン」のトラム停留所前にあったのですが、他の場所でも見かけました。調べたところ、地下鉄駅や大きな交差点など100か所以上に置かれているとか。
その起源は、1887年に皇帝「フランツ・ヨーゼフ」の即位40周年の記念式典行事にさかのぼります。祝賀会でオーストリアの工業の功績が紹介され、そのアトラクションとして「C. シェンバー&ゾーネ」が製造した体重計が紹介されて、一般の人々がコインを入れて体重を測ることができたそうです。きっと当時は、体重を測定するとか自分の重さを知るなんてことも物珍しかったのでしょう、流行に乗って街中に広がっていったらしいです。
戦後の貧困期は自らの健康状態を知るために大いに活用されたそうですが、1970年以降は自宅に体重計が普及し、体重は隠したいという人が増え、体重計は徐々に減少。今はベルケル社の体重計のみが残っているそうです。
でも、ジョギング前後に20セントで気軽に体重が測れるってのも面白いですよね?(私は絶対路上でなんて測りませんけど)
日本を発つ前に見たNHKの「世界ふれあい街歩き」でも取り上げていたので、見つけた時はアイドルにあったような気分でした(笑) -
体重計の話の後になんですが…
「ホーフブルク宮」巡りもひと段落したところで、ちょうど12時を過ぎたので、「ブルクガルテン」の向いにあるカフェ「burg.ring1」でランチとしました。
ここのカフェは、サンドイッチが美味しく、感じもいいとの事前情報で目を付けていたところです。
ハム&チーズトースト、モッツアレラ&トマトトースト、ビール(0.5FL)、アップルジュース(1/4L)で28.1ユーロ(≒3653円)でした。
前評判通り、ウエイターも感じよく、美味しいホットサンドでした。
【Burgring 1】 -
腹ごしらえを終え、「マリアテレジア広場」にある「美術史博物館」と「自然史博物館」の建物を見に行くことにしました。
カフェからはリンク沿いを歩いて3分程度です。
これはその途中にあった広告塔です。
「エリザベート」の婚礼衣装が「シェーンブルン宮殿」の「馬車博物館」で特別展示されていると書かれていました。
勿論、後日訪問決定です。 -
「マリアテレジア広場」に到着しました。
広い広場の中央に「マリア・テレジア」の像が立ち、その正面には「ホーフブルク宮」の「ブルク門」、右手側には「美術史博物館」、左手側には「自然史博物館」、背後には「近代美術暗」、「ミュージアムクォーター」、「レオポルド美術館」と、たくさんの美術館など歴史的な建物に囲まれた広場です。
【Maria-Theresien-Platz】マリア テレジア広場 広場・公園
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こちらが、女帝「マリア・テレジア」の威厳あるお姿。
誰です?土俵入りとかいう人は?
あの「マリー・アントワネット」のお母様ですよ。
「女帝」と言われてはいますが、実際は、当時としては珍しい恋愛結婚をした「フランツ1世」の后で、夫亡き後は長男が皇位を継いで「ヨーゼフ2世」となったので、「皇帝」だったことはなく、「共同統治者」だったそうです。
でも、夫フランツは政治にあまり関心が無く、子のヨーゼフには政治をまかせきれないと考えていたので、実際に帝国を切り盛りしたのは彼女だったそうで、事実上「女帝」だったわけです。
彼女の政治的手腕は見事なもので、オーストリア継承戦争や七年戦争を戦う一方で、税制改革や司法制度の見直し、医療制度の改善など、帝国の近代化に取り組み、偉大な功績を残しています。
政治的手腕だけでなく、夫の死後は、喪服しか身につけなかったという女性らしい一面も併せ持つからこそ、国民に愛されたのでしょうね。 -
「マリア・テレジア」の台座には、幼い「モーツアルト」の彫像もあります。
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こちらは「マリア・テレジア」の右手側にある「美術史博物館」です。
この博物館は、皇帝「フランツ・ヨーゼフ」のウィーン改造計画の一環として、「ゴットフリート・ゼンパー」と「カール・フォン・ハーゼナウアー」によって、1871~1891年にかけて建設されました。
ハプスブルク家が数百年に渡って収集してきた美術品が展示されていて、クリムトの壁画や、世界一美しい美術館カフェがあることでも有名です。
あさって、ゆっくり訪問する予定ですが、今日あまりに天気がいいので、外観写真を撮るなら「今でしょ」と、写真だけ撮りました。
【Maria-Theresien-Platz】美術史美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ファサードの装飾の細かさには、唖然とします。
いったい何人の人が壁に貼りついているんでしょうか? -
こちらは、左手側の「自然史博物館」です。右手側の「美術史博物館」と同様に「ゴットフリート・ゼンパー」と「カール・フォン・ハーゼナウアー」によって、1871~1889年にかけて建てられました。完成は「美術史博物館」より2年前だったようです。
ルネサンス様式にバロック的な壮大さを加え、「美術史博物館」と左右対称に居並んで、宮廷が文化の守護者でもあることを誇示しているといわれています。自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「自然史博物館」の前には、可愛い象さんがいました。マンモスなのかな?
この広場にある二つの博物館は、まるで双子です。象さんが前にいないと、どっちの博物館か分からなくなって、絵画を見るつもりが化石や恐竜の骨を見ることになるやもしれません。 -
「マリア・テレジア」へのご挨拶を済ませ、広場前のトラム停留所「Burgring(ブルクリンク)」からトラム「1」に乗って、「ラトハウスプラッツ(市庁舎広場)」へ。
トラム・バス・地下鉄の72時間乗り放題チケット(17.1ユーロ≒2223円)を購入したので、2駅3分、歩いても10分でしたが、体力温存のためトラムで移動しました。
「ラトハウスプラッツ(市庁舎広場)」には、その名の通り、美し過ぎる「市庁舎」があります。5つの尖塔が空を貫くこの市庁舎は、「シュテファン大聖堂」の修復にも参加していた有名な建築家「フリードリヒ・フォン・シュミット」により、1883年にネオ・ゴシック様式で造られています。
ブリュッセルに行ったとき、グランプラスにある市庁舎が、ウィーンの市庁舎に似てるな~と思っていたんですが、なんとブリュッセルの市庁舎を模範にして、この市庁舎は建てられたそうなんです。ガッテンガッテン!ウィーン市庁舎 現代・近代建築
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ウィーンの街はたくさんの馬車が行き交っています。もちろん、観光用の馬車ですが、リンクのような交通量の多い道でも平然と走っているのにはビックリです。
この「リンク」は、全長約4㎞、幅57mの大通り。1858年に「皇帝フランツヨーゼフ1世」の命によりウィーンの市壁の解体が開始され、緑地を伴った大通りに置き換えられたものです。周辺には古典ギリシャ様式、ネオ・ルネサンスやネオ・ゴシック様式等々、様々な様式の建築物が建ち並び、「様式の博物館」とも言われています。
てことで、今日は「リンク」に立ち並ぶ建物を中心に見て回っているわけです。 -
リンクを挟んで「市庁舎」の向い側には、「ブルク劇場」が建っています。
1776年「ヨーゼフ2世」が創建した劇場に代わり、1888年に「ゴットフリート・ゼンパー」と「カール・フォン・ハーゼナウアー」により建てられた、バロック様式の華麗な建物です。そして、大階段天井には「クリムト」のフレスコ画があることでも有名です。
ちなみに、現在の建物は、1945年の爆撃と火災で焼失してしまったものを、1955年に再建したものだそうです。
【Universitätsring 2】ブルク劇場 劇場・ホール・ショー
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半円のファサードの左右に140メートルも翼廊を横に広げた姿は、ハプスブルク家の紋章である鷲が翼を広げたイメージだとか。建物の周囲には様々な演劇関連のレリーフや彫像も多く飾られて、とても重厚で華麗な建物です。
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ファサードの上ではアポロン神が、右に喜劇の女神タレイア、左に悲劇の女神メルポメネを従えて片手を上げ、演劇の聖地パルナッソス山を指し示しているそうです。
アポロン神の下には金文字で、「K.K HOFBURGTHEATER(カー・カー・ホーフブルク劇場)」と書いてあり、ブルク劇場がウィーン宮廷(ホーフブルク)の劇場であったこと、そして最初のK(カー)は、「皇帝および国王の(kaiserlich und koniglich)」の略称で、ハプスブルク帝国がオーストリア皇帝とハンガリー国王との二重帝国であった事実を今に示しているそうです。
内部の「クリムト」の天井画を見るためには、1日1回だけ開催される15:00からの内部見学ツアーに参加しなければなりません。まだ1時間ほどありましたが、もちろん参加すべくチケットを購入(10ユーロ≒1300円)し、すぐ隣の「ブルクガルテン」にいらっしゃるはずの后妃「エリザベート」にご挨拶に行きました。 -
そして、「フォルクスガルテン」の片隅に座っていらっしゃる后妃「エリザベート」とご対面。
絶世の美女との呼び声も高いだけあって、この彫像もとても美しいお姿でした。
ただ、「ブルクガルテン」の「モーツアルト」像の前は観光客で溢れていたのに、ここには誰もいなくて、少々寂しい雰囲気。そこがまた「エリザベート」の孤独を象徴しているようでもありましたが、とても儚げに見えました。 -
ブルク劇場内部見学ツアー開始前まで「市庁舎広場」の公園のベンチで休憩していたら、ツアー直前に相方がにわかに腹痛に襲われ離脱。クリムトファンの相方抜きでのツアー参加となりました。
ツアーは50分、ドイツ語で行われますが、説明を要約した日本語のペーパーももらえます。韓国人の参加者に「韓国語は無いから日本語でもいいか」と係の人が言っていました。もちろん、日本語はわからないと断っていましたが、オーストリア人には韓国も日本も同じなんでしょうかね。ドイツ語はないからフランス語でいいかと言っているのと同じなんですけど。
ツアー開始後すぐに案内されるのは、左側にあるカフェ・ラントマン側の階段ホールです。早速「クリムト」の天井画とご対面。
こちら側の入口はオーストリア皇帝の家族のみが使用していたそうです。ブルク劇場 劇場・ホール・ショー
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こちら側の天井に描かれているのは、
「フランツ・マッチュ」作「アポロンの祭壇」(上の半円形の部分)、
「フランツ・マッチュ」作「古代の即興詩人」(写真上)、
「グスタフ・クリムト」作「タオルミーナ劇場」(写真中央)、
「フランツ・マッチュ」作「中世の神秘劇」(写真下)、
「エルンスト・クリムト」作「野外広場の壇上に立つ道化者」(この写真に入りきらなかったので、次に載せます)
装飾のテーマは建築家とアートディレクターの「アドルフ・フォン・ウィルブラント」によって決定されましたが、絵自体のデザインは「クリムト」たちが自由に決めることができたそうです。なんと予算の上限がなかったそうです。
実は、当初天井画を担当する予定の著名な芸術家が急逝してしまい、内装担当だった「ハーゼナウアー」が他のプロジェクトで知り合った若手の3人グループ「芸術商会」に依頼。その3人が「グスタフ・クリムト」「エルンスト・クリムト」兄弟とその友人「フランツ・マッチュ」でした。
国からの依頼によるこの初めての大仕事は、一般市民の注目を浴びる施設であったこともあり、一夜で彼らの名を広く知らしめることとなり、彼らの経歴においてひとつの転換点となったそうです。シンデレラボーイズだったんですね。 -
カフェ・ラントマン側の階段ホールの天井画最後の1枚、「エルンスト・クリムト」作「野外広場の壇上に立つ道化者」です。
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そして、客席です。
客席は1,300席余りとのことで、当時としては相当大きい劇場ですよね。
金色の鷲がいるところは、ロイヤルボックスです。貴賓室ですね、
この後、舞台の上にも上がることができました。 -
ホワイエ部分には、著名な文学者の彫像 や、名高い俳優の肖像画などが飾られ、豪華なシャンデリア、色大理石の壁などが優雅な雰囲気を出していました。
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そしてラストは、メインとなるフォルクス庭園側の階段ホール。右側にある階段ホールです。皇帝専用だったそうです。(天井画に興奮して、入口の写真は撮り忘れております)
天井画は、
「グスタフ・クリムト」作「ディオニュソスの祭壇」(この写真に入りきらなかったので、次に載せます)
「グスタフ・クリムト」作「テスピオスの凱旋車」(写真上)
「フランツ・マッチュ」作「古代劇場の舞台」(写真中央)
「グスタフ・クリムト」作「シェイクスピアのグローブ座」(写真下から2つ目)
「エルンスト・クリムト」作「モリエールの舞台」(写真一番下)
です。
メインの天井画の横に並んでいるのは「カール・ヨーゼフ・ガイガー」による「グリザイユ画」です。この画法は、グレーの濃淡だけでレリーフのように見せる効果を生むというものだそうです。また、金色の背景はモザイク画を模しているそうで、なかなか素晴らしいものでした。 -
上の写真に入りきらなかった、フォルクス庭園側入口上の半円形の部分に描かれている天井画、「グスタフ・クリムト」作「ディオニュソスの祭壇」です。
アーチの最上部の笠木(梁のような部分)越しに見上げる形になるため、裸眼では確認しにくいのですが、右側にいる子供の下にクリムトのサインが入っているそうです。
中央にいる二人の「ディオニュソスの侍女」が美しいですね。 -
「グスタフ・クリムト」作の「シェイクスピアのグローブ座」では、ロンドンのグローブ劇場で演じられている、シェークスピア「ロミオとジュリエット」の最終場面とそれを見る観客が描かれています。舞台の袖で腰掛けて鑑賞している王侯貴族たちは、役者の間近で演技を見守っています。ここに描かれた女性は、「エリザベス 1 世」だそうです。
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この絵で特筆すべきは、作家の3人が観客として登場していることです。
見事なひだ襟を付け、髭を生やした端正な顔立ちのこの紳士は、「グスタフ・クリムト」の唯一の自画像だと言われています。
そして、彼の後ろにいる赤い上着を着た若い男性が「エルンスト・クリムト」、この 2人の間に立っている縁なし帽をかぶった上品な男性が「フランツ・マッチュ」です。 -
この見事な天井画のある階段を上がって行くと、客席へ向かうこれまた見事な装飾が施された入口があります。皇帝専用ですからね。
天井画だけではなく、いたるところが美しい劇場でした。
チケットだけ買って見られなかった相方が気の毒でした。。。
ちなみに、皇帝がこの天井画にいたく感心し、3人に勲章を授与したそうです。 -
腹痛で離脱していた相方と合流し、トラム「1」でリンクを半周くるっと回って「Schwedenplatz」まで行き、宿に戻ることにしました。「Schwedenplatz」停留所からは5分程です。
もちろん「ブルク劇場」から歩いても20分かからずに帰れるんですが、リンクをとりあえず1周しようという目論見です。残り半周は後日。まだウィーンはあと丸3日ありますからね。
そしてその「Schwedenplatz」から宿へ向かう道「ロッテントゥルム通り」に入る角にも、アール・ヌーヴォーの建物があるんです。
【Rotenturmstraße 29】 -
これは、「カール・ステファン」と「オーガスト・ベロフラヴェク」によって1902年に建てられた集合住宅です。
最上階の窓の形は、ベルギーのアール・ヌーヴォーでよく見た形です。
私の好きな手すりのアイアンワークも、とてもきれい。
それに比べると、屋上のガラスのドームがちょっと異様ですね。 -
中央出窓部分です、
出窓下、窓周り、バルコニーの手すり、色々な部分に細かな装飾がありますね。 -
ペンションに戻ってきました。
まだ16:30なので、「シュテファン広場」は多くの観光客や観光馬車でいっぱいです。
まぁ、部屋に籠っちゃうのはちょっともったいない時間ではありましたが、朝から精力的に動いたので、少々バッテリー切れの熟年夫婦は一休みすることにしました。Pension Sacher - Apartments am Stephansplatz ホテル
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1時間ほど休んで、晩御飯の調達に外に出ると、「シュテファン大聖堂」が夕日に照らされ、とても神々しく輝いていました。
ハプスブルク家の歴代皇族の内臓が安置されているという薄気味悪さなんて、微塵も感じません(笑)シュテファン大聖堂 寺院・教会
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スーパーマーケットまでの途中に「アドルフ・ロース」が作った「アメリカン・バー」があります。買い物に行くたびに中に入ろうか迷ったのですが、何せお酒が苦手なので、写真撮るためだけにバーに入るのは気が引けました。
帰国までにいつか行こうと思っていたんですが、結局行かずじまい。入口前のこんな写真のみとあいなりました。
前のパラソルでチラリとしか見えませんが、入口上部は星条旗がデザインされています。 -
今夜もスーパー「BILLA」のお惣菜です。
チキンクリームのカネロニとミックスサラダ、3種類のハムとスイカです。
このカネロニ、とてもおいしかったです。
明日はいよいよユーゲントシュティールざんまいDAY。朝は「ベルベデーレ宮殿」を予約しています。
しっかり休んで、また明日歩き倒すぞ~Pension Sacher - Apartments am Stephansplatz ホテル
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