2023/12/01 - 2023/12/08
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マリアンヌさん
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ルクソールからカイロに戻り、いよいよ最終日に。
西洋かぶれな私としては、ツアー申込時に希望して加えてもらった聖書に関わるオールドカイロ訪問を楽しみにしていた。
イスラム教のガイドさん、やはりモスクに誇りをもっていらっしゃるでしょうし、オールドカイロは微妙なのかなと感じた。
何はともあれ、初めてのアラブ、エジプト、とても刺激的な旅となりました。
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クルーズ船3泊目、ルクソールに停泊した船で朝を迎えた。
デッキから前日乗った気球が見えた。 -
クルーズ船のテーブルは3日間、同じ席となっている。
近くの席のファミリーは、昨晩の夕食でスタッフからバースデーケーキでお祝いされていて、ガラベーヤパーティでも一緒に踊った。
どこの国から来てるのと聞かれてJapanと。彼らはインドの方でした。 -
空港まで昨日のドライバーに送ってもらいチップを渡し、受付スタッフが搭乗手続きを行ってもらい、チップを支払い搭乗。窓から砂漠の向こうに地中海が。
ルクソールを9時出発、カイロ到着10:10 荷物受取スタッフにもチップを支払って、
出迎えてくれたガイドとドライバーは1、2日目ご一緒した二人だった。
まずは、シタデルへ。 -
シタデル。
1176年にアイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーン(サラディン)により建設された。十字軍の侵攻に備えて造営され、その後十字軍との戦いは、1192年に休戦条約が結ばれた。 -
ムハンマド・アリーモスクへ。
エジプト最後の王朝ムハンマド・アリー朝を興したムハンマド・アリーの命により1830年から27年の歳月をかけて建設され。ムハンマド・アリーは、ナポレオンの侵略からエジプトを救い、エジプトの近代化に貢献した王。
トルコのイスタンブールから建築家を招き、アヤソフィアを真似て建設されたそう。 -
美しいアーチ。幾何学模様の扉も素敵だった。
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美しき回廊建築だなぁ。さすがカイロの人気観光地、人がいっぱいだったけど、スマホ機能で消してみた。
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街で沢山見かける細い塔、ミナレット。
アザーンを遠くまで伝えるためのものだとか。
カイロを散策する間、朝早くから1日中、アザーン(礼拝の時間をイスラーム教徒にお知らせする放送)を何度か耳にして、イスラム社会に来ている実感をした。 -
中庭には、にルクソール神殿のオベリスクと交換にフランス政府から贈られた時計台がある。(写真左上)
オベリスクは、今もパリのコンコルド広場にあるが、ムハンマド・アリー・モスクの時計は、現在では動いていない。
中央にあるのは身を清める水場。 -
アヤソフィアには、残念ながらまだ行ったことがないのだが、シャンデリアを取り巻くような螺旋状のランプが美しい。
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十字軍の侵攻に備えて造営されたシタデル。
西洋かぶれな私、十字軍というワードにビビッときちゃう。
11世紀末にセルジュク・トルコがビザンティン帝国に侵入し、パレスティナを奪われ、イェルサレムのキリスト教徒が虐殺されたことに端を発し、1096年から1270年まで主なものだけでも7回も行われた十字軍遠征。 -
ヨーロッパ=キリスト教世界とイスラム世界の対抗ということで西欧的には十字軍、イスラム的には聖戦ジハード、根深い歴史ですよね。
第3回十字軍:1187年サラディンがヒッテーンの戦いで勝利し、イェルサレムを奪回した。これに対し、キリスト教世界では、聖地回復をめざして第3回十字軍が起こされた。 -
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王バルバロッサ)、フランス王フィリップ2世(尊厳王オーギュスト)、英国リチャード1世(獅子心王)を指導者として組織されたが、フリードリヒ1世は水死し、他の2王も内紛のため聖地奪還に成功せず、巡礼者の安全の保障だけを得て1192年サラディンと和した。
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余談だけど私の贔屓のパレルモに生まれ、シチリアを統治したシュタウフェン朝神聖ローマ皇帝フェデリコ2世は、教皇に破門されて第5回十字軍遠征に出発して、イェルサレムを回復した。科学的、合理的思考だったフェデリコ2世、プーリャではカステル・デル・モンテはじめ、彼の城趾などが結構残っている。
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そしてリチャード獅子心王は、十字軍の帰路にオーストリアで誘拐され、13か月もの間囚われの身となった。ウィーン旅行の際、ドナウ川沿いの街デュルンシュタインで幽閉されていた城の廃墟を見たことを覚えている。
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ミンバルという、集団礼拝で使用される説教壇だそう。
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カイロの街を一望。もう少し天気が良ければギザの3大ピラピッドが見えるそう。
シタデルでも中学生くらいの女の子たちが次々と一緒に写真撮ってとスマホ片手に押し寄せてきて驚いた。アジア女性珍しいのかな? -
オールドカイロ。
横断地下道のような入口を入り、本が並ぶ通路へ。
カイロ発祥の地で、ナイル川から紅海を結ぶファラオ運河の入口近くにあり、ローマ時代はバビロン城が築かれ、要塞都市が存在していた。キリスト教が伝わると、ここはエジプトを中心としたキリスト教徒の一派であるコプト正教会の教会が多く建造されていった。
宗教的に見てもエジプトは人口の90%がイスラム教徒という有数のムスリム国家だが、オールド・カイロにはイスラム教が広がる前から存在している原始キリスト教の流れをくむコプト教の信者もまだ数多く住んでいる。 -
聖セルジウス教会(アブ・サルガ)。
聖セルギウス教会は、ローマ帝国マクシミヌス帝の治世下、303年にシリアで殉教した聖セルギウスと聖バッカスに捧げられた教会。
エジプトでも最も古いコプト正教会の教会のひとつで、洞窟教会であるために地下に位置してる。 -
現在の構造は6~8世紀頃に完成したもので、聖セルジウス教会の修道士はコプト教会の総主教の多くが任命されたほどに名高い教会だそう。
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エジプトでは紀元60年ごろ、福音記者の聖マルコが宣教を始めた。これがコプト教会の起源とされる。原始キリスト教の名残をとどめ、人として生まれたイエスの神性を強調する立場。
キリスト教の教義が形成される過程で、キリストに神性と人性を認めるというカルケドン公会議の決議に対し、コプト教はキリストに神性しか認めない単性論のため異端とされたとのこと。 -
マタイによる福音書によると、ヘロデ王がイエス・キリストを恐れ、狙われたために聖母マリアが幼いイエスを連れて逃げてきたというエピソードが書かれている。
当時のイスラエルとエジプトは同じローマ帝国であったために行き来が割と楽であったとも。 -
中央祭壇には、聖母子の幕。
イスラムみたいな格子細工の壁面。 -
ところで、コプトとはギリシャ語でエジプト人を指すアイギュプトゥスが転化したものだそう。
中央祭壇のカーテンのような幕の横の入口に入り覗いてみると、チボリウム(天蓋)があり、その奥にイエス・キリストが見えた。 -
チボリウムの内側天井にもイエス・キリスト。
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伝承では、聖母マリアがイエス・キリストを連れてエジプトへと逃げてきた時に滞在した洞窟であったとされていますが、現在の地下聖堂は2世紀頃に築かれたもの。
ヨセフ、マリア、イエス一家が隠れていたというわけね。 -
イタリアの古い教会のクリプト(地下聖堂)同様、こういった空間って神秘的で伝承を信じたくなるよね。
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原始キリスト教の名残をとどめているということだが、イコンの数々を見ると東方正教会に近いものを感じる。
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磔刑のイエスを抱えて涙するマリア、こんな表現は初めて見た。
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7世紀にイスラム帝国がこの地に侵攻し、エジプト支配の拠点としてフスタートという都市を建設した。これがオールド・カイロの場所に該当するそう。
10世紀にファーティマ朝はフスタートを征服し、ミスル・アル=カーヒラ(勝利の町)を建設した。カーヒラ、ここからカイロという名前が歴史上に出てくるようになったそう。 -
聖ゲオルギオス教会。
古代ローマ時代のゲオルギオスという聖人にちなんだ聖ゲオルギオス教会。
10世紀頃に建造されたとされるが、もともとはバビロン城の敷地であった場所とされている。
現在の建造物は20世紀初期に再建されたもので、円形(ロトンダ)の構造となってる。 -
地下鉄駅が隣接している。
鐘楼には鐘が。音色を聞いてみたかった。
階段を上がるとロトンダに聖ゲオルギオスのレリーフが。 -
聖ゲオルギオスにこの聖堂を捧げているモザイクかな。
イタリアでは、サン・ジョルジョ、古代ローマ末期の殉教者でドラゴン退治の伝説でも有名。 -
ギリシャ正教らしいイコンの祭壇。
聖ゲオルギオスは3世紀後半にトルコのカッパドキアで生まれたという説とパレスチナのリュッダが生地と言う説があるそうで、ギリシャ系貴族のキリスト教徒として生まれ、ローマ軍人の父親を持ち聖ゲルギオスも現在のトルコに当たるニコメディアでローマ軍人となったそう。 -
ローマ皇帝のディオクレティアヌス帝は、キリスト教迫害のためローマの神々への祭儀の参加と棄教をキリスト教徒に命じた。聖ゲオルギスも棄教を拒んだ為、数々の拷問を受けた後、斬首による処刑で殉教した。
ローマの支配下だったエジプトでもキリスト教の迫害が行われたとのこと。 -
大きなシャンデリア。
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シンプルだけど色合いが可愛いステンドグラス。
天井にはキリストのフレスコ画。 -
コプト教会地区(アレクサンドリアなど)というと復活祭頃にISによるテロ事件があったりと10%の非イスラム教少数派で難しい立ち位置なのでしょう。
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比較的新しく再建されたようだけど、元々はコプト教会だったものが、ギリシャ正教会になったよう。
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ガイドに連れられてオールドカイロをぐるぐると次の教会へ。
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聖家族のエジプト逃避のような絵が。
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エル・ムアッラカ教会(ハンギング教会)。
聖母マリアに捧げられた3世紀に建てられたコプト教の教会。ローマ時代に造られたバビロン城の門の一部が床に使用されており、その上に建設されたことから「吊るされた」という意味のアラビア語「ムアッラカ」と呼ばれるようになったそう。 -
アラビア語なのかコプト語なのか文字も見える。
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イスラム的な中庭へ続く。
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初期キリスト教のアトリウムを思わせる。
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透かし彫りがイスラム的。グラナダを思い出す。
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大理石で作られた教会内の支柱は、イエスと彼の12人の弟子を象徴している。
1本は黒い玄武岩でできており、後にイエスを裏切ったユダを表しているそう。 -
イチオシ
天井がアーチ状をしていて、ノアの箱舟をイメージして木が組まれているんだそう。
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コプト教徒は長い間、イスラムに支配され続けてきた。それだけではなくコプト教は同じキリスト教であるローマやコンスタンティノープルからも異端として白眼視され続けてきた。
しかし、彼らにはその苦難を耐え抜く、自分たちこそが正統であると言える自負があったという。
それは聖書における新約聖書のマタイ福音書の中に記述された聖家族のエジプト逃避があるから。 -
聖域正面の右側には、とても特別なガラスの床があった。
何回も修復は重ねているだろうが、地下遺跡は古い時代のものなのでしょう。 -
シンプルなステンドグラス。
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教会は、7世紀に創建されたが、9世紀には壊されてしまう。その後、何度も再建・改修がなされ、創建時のもので現在残っているのは、南東部分の一部のみらしい。
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聖ゲオルギオスかな。
ヘタウマ感の可愛いイコンの数々。 -
聖ジェームズ(ヤコブ)とあった。
旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長。別名をイスラエル(ユダヤ人はみなヤコブの子孫)のヤコブでしょうか? -
聖ヴィクトルとある。
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正面左側の側廊。
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聖人のイコンが並ぶ。
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聖母子を中心に曼荼羅のように絵が並んでいる。
左二番目から無原罪の御宿り、マリアの教育or神殿奉献、受胎告知、エリザベツ訪問、キリスト生誕、東方三博士の礼拝、エジプト逃避…
中央上は聖母の死、中央左は聖母被昇天かなぁ? -
中央は聖人でしょうか?まわりは天使のような像で埋められている。
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立派な装飾家具にイコンが。
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中央に聖ゲオルギオスでしょうか。
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コプト教の聖人、どなたかはよくわかりませんが、ほっこりした画風。
この他、コプト博物館もあったのだが、残念ながら行けなかった。 -
行けなかったけど、近くにベン・ズエラ・シナゴークがあり、ヘブライ人の赤子を皆殺しにしろという暴君の命令から逃れるためにナイル川に流された赤子のモーセがエジプト王女に拾われた場所とされているそう。
オールド・カイロ地区は、旧約聖書に深く関わる場所で個人的にはとても興味深かったのだけどツアーでもあり、これ以上ゆっくり出来ず残念だった。
事前にもっと調べてリクエストすれば良かったかな。 -
そしてエジプト考古学博物館へ。
エジプト政府によって1835年、カイロに設立され、現在の建物はフランス人建築家マルセル・ドゥールニョンの設計による新古典主義様式で、1900年に建てられたものとのこと。 -
まずは、ラムセス2世像がお出迎え。
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今回の旅行でみた遺跡に関わるファラオの時代を整理してみると・・・
古王国:第3王朝ジェセル、第4王朝スネフェル、クフ、カフラー、メンカウラー
中王国:第12王朝センウセレト1~3世、アメンエムハト1~4世
新王国:第18王朝トトメス1世、ハトシェプスト、アメンヘテプ1~4世、ツタンカーメン
第19王朝ラムセス2世、メルエンプタハ第20王朝ラムセス3世
プトレマイオス朝:プトレマイオス1~12 世、クレオパトラ7世
余談だが、ナショナルジオグラフィックで、考古学博物館正面のファラオのプレートに載せられてない第25王朝ナイル川上流スーダンの黒人王国クシュ王国がエジプト全土を支配し、黒人の王ファラオ5名がいたことを知った。 -
玄室でしょうか。
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1890年に階段ピラミッド裏の部屋で発見されたジュセル王。4700年前の一番古い像。
目が空洞なのは、クリスタルが盗まれてしまったそう。 -
ホルス神が肩に乗るカフラー王。この横顔がエジプト紙幣に載っているよう。
カフラー王は、クフ王の息子でギザの第2ピラミッドの建造者として知られているが、クフ王の後継者ではなく、クフ王の後継者で兄のジェドエフラー王の死後に王位を継承したとのこと。
「精悍な顔つきと肉体の筋肉は、理想化された力強いファラオの姿を表している。玉座の前面には足の両側にカフラー王のホルス名「ウセル・イブ」とカルトゥーシュに記されたカフラーの名が刻まれている。玉座の側面には、下エジプト、すなわちエジプト北部を象徴するロータスと上エジプト、すなわちエジプト南部を象徴するパピルスが結び合わされた形で、両地域の統一を表す「セマ・タウイ」が描かれている。」
2015年黄金のファラオと大エジプト展解説より。 -
わずか7.5cmしかない象牙の小さなクフ王の座像。あんなに大きなピラミッドを造ったのにこれしか残っていないとか。
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ハトホル女神、メンカウラー王、バト女神。
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第5王朝時代の書記像。古代エジプトでは、書記は単に文字を書く人という意味ではなく、役人を表した。書記になることは出世の第一歩であったとのこと。
アイラインは眼病を防ぐためだったとか。
こちらもエジプト紙幣に載っているらしい。 -
クフ王の兄弟ラーヘテプとネフェルトの座像。(約4600年前)
女性の白い肌が印象的。男性は外で働くから黒く、女性ら家の中で働くからだそう。
ラーへテプは、クフ王の兄弟で裁判官、ヘリオポリスの司祭でもあったそう。
妻のネフェルトの意味は、名前そのものが美しいという意味だそう。ネフェルタリたりとか同様の使い方。 -
書記とその向こうがラムセス2世だったみたい。
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アメンエムハト3世のスフィンクス。
エジプト国立文明博物館にも顔が欠けてしまった同じくアメンエムハト3世のスフィンクスがあったな。とても威厳のあるお顔をしている。 -
先のほうにハトホル女神のような座奏。検索してもわからなかった。
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ハトシェプスト女王。
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ハトホル女神。
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美しいヒエログリフ。
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2階へ上がります。
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階段途中には、死者の書のパピルスが展示されていた。
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ツタンカーメンゾーン。
昨年、カドカワミュージアムで予習してきたので、わかりやすかった。
アヌビス神像付き厨子。
犬またはジャッカルの頭をもつ神で、死者の魂をあの世に導くと言われているそう。 -
番人の像。
エプロン的な?この三角錐の空間に未発見のツタンカーメンの生涯が書かれたパピルスがあるのではという学説があったそうだけど、スキャン後、無いことがわかったそう。 -
「PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NAT GEO IMAGE COLLECTION」画像より。
黄金のマスク、金の逗子、アクセサリーなどは小さな別室で展示、撮影禁止だった。 -
カノプスの厨子。
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逗子を囲む女神像が可愛らしい。
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レリーフも美しい。
他にも発見された数多くの生活用品などがあるはずなのだが、新しく出来た大エジプト博物館に移動済なのでは?見られなかった。 -
カノープスの壺。
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アラバスターなので、光が透けて綺麗。
カノプスの容器の顔がツタンカーメンの顔ではないのではという説があるそう。
器にはアンクケペルラー(*ネフェルティティ)と書かれているとのこと。
80%はネフェルティティのものが再利用されているとの説があるそう。
*ツタンカーメンの父アクエンアテンの配偶者。
ツタンカーメンの妻の母でもある。美しい容姿で知られていて、ベルリン美術館の胸像は有名。 -
ツタンカーメンの黄金の玉座。
カドカワミュージアムでリプロは見たけど、さすが本物、輝きが違う。 -
ところでツタンカーメンの父母は、アクエンアテンと外国から来た王妃キヤ、
アンケセナーメンの父母は、アクエンアテンとネフェルティティ
つまり二人は、異母兄弟にあたるよう。 -
中央にアテン(太陽)神。アクエンアテン治世の後期に作成され、ツタンカーメンが王になってから作り直されている。
アテン信仰時作られたので女性も日焼けて黒いそう。
アンケセナーメンがツタンカーメンに香油を塗ってあげている。
また一足のサンダルを二人で一つずつ履いているようにも見える仲の良い夫婦が描かれている。
余談だが、ナショナルジオグラフィックの番組でツタンカーメンの死後、アンケセナーメンはヒッタイトの王シュッピルリウマに王子の一人を婿に(つまり王に)と手紙を送ったとか。
2回目の手紙に応じて王子を送ったところ、エジプトの政敵に殺されたそう。 -
前にある足置き台?には、支配下のヌビアとシリアの人々が描かれている。
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玉座の左右にヒエログリフが描かれている。
トゥトアンクアテン。アテン神の生命の似姿。初めの名ですよね。 -
ネブケペルウラー(上下エジプトの王)。
スカラベ(ケプラ神)は、太陽神の化身として崇められていた。
アテン一神、一神教信仰から多神教、アメン神に戻ったという意味ですよね。 -
背面のには、太陽円盤を頭に掲げた4匹のウラエウス(王家の守護として装飾されるコブラ姿の女神)。
聖蛇ウラエウスは、下エジプトを表すウアジェト女神かも。
背景の植物は、パピルス(下エジプトを象徴する)なのかロータス(上エジプトを象徴す)よくわかりません。 -
羽のあるコブラの装飾も美しい。このコブラもウラエウス(ウアジェト神)なのでしょうか。
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アメンエムオペト王の黄金のマスク。
ツタンカーメン、プスセンネスと並ぶ3黄金マスクのひとつとのこと。
プスセンネス1世のマスク探せなかった、残念。 -
ツタンカーメンの曾祖母夫婦(イウヤとトゥヤ)のミイラ及び副葬品。
現存するミイラの中でも圧倒的に保存状態が良いそう。
確かに顔立ちがくっきりと際立っている。
ツタンカーメンの次に王位についたアイ(ケペルケペルウラー)は、アメンホテプ3世の正妃ティイの兄、つまりミタンニ国由来のイウヤとトゥヤは、兄弟の両親だったよう。 -
ツタンカーメンのひいおばあさんとその夫らしい。
左がトゥヤ(女性)、右がイウヤ(男性)。トゥヤの黄金のマスクは、カルトゥナージュ(漆喰と亜麻布を合わせて象ったもの)とのこと。
家系図でみるとこんな感じ。
トゥヤーイウヤ
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アメンホテプ3世ーティイ
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アメンホテプ4世(アクエンアテン)
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ツタンカーメン -
たぶん棺かと・・
以下、イウヤとトゥヤが混同してしまい、間違ってたらすみません。 -
イウヤの棺。
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上から見て。
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イウヤの棺。下にはミイラ。
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トゥヤの棺。棺の中には生前の面影がはっきりわかるミイラが。
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上から見て。
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棺のサイドの装飾。ミイラづくりの神アヌビスも見える。
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このように夫婦の棺が左右に並んでいる。
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イウヤの外側の人型棺。
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上からみて。
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トゥヤの外側の人型棺。
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上から見て。
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美しいレリーフ。
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1905年に王家の谷で発見された彼らの墓は少なくとも3回盗難にあったと考えられているそうだが、墓泥棒が残していった品々からもエジプトが最も栄えていた時代が忍ばれる。
美しい入れ物、良く盗られず残っていたね。 -
ジュエリーボックス。青い陶磁器タイルが美しい。アンクがたくさん描かれている。
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儀式用チャリット。
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装飾も残っている。
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イウヤとトゥヤの孫娘、アモンホテプ3世とティイの娘で、アモンホテプ3世の妻になったサアトアモンの椅子だそう。
頭の上にパピルスの茂みデザインの頭飾りを被ったサアトアモン。 -
死後の世界で召使として働くウシャブティ。
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結構広くて膨大なオブジェがあり、ツアーではとても見きれません。
そして2021年「ファラオの黄金パレード」と題されたイベントで、エジプト文明博物館にミイラが移されていたり、所蔵品の多くも大エジプト博物館にも移動されているのではと思った。ツタンカーメン墓の所蔵品など見れなかったものも多かった。 -
最後にハトシェプスト女王のスフィンクス。
穏やかな良いお顔をされているな。 -
ハーン・ハリーリへ。
12世紀にアイユーブ朝の君主サラディンによって、宮殿などを解体して交易の場として開放。14世紀のマムルーク朝時代に隊商宿が多く設立されたため、ハーン・ハリーリと呼ばれるようになったそう。 -
なんか可愛いお土産も沢山あるね。
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とりあえず提携してる?お店に案内されて(ここではなく、その店内は撮らなかった)お付き合いで紅茶、チョコレート購入。
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写真は撮れなかったのだけど屋根のある細い路地はディープな雰囲気だった。
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さっと撮った一枚。
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正直、現金をあまり持っていなかったのと、散々お店に連れていかれて結構散財していたので、お買い物気分になれなかった(笑)
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少し時間があるというのでアズハル・モスクへ。
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入口でヒジャブ等一式をお借りして入場。白い大理石の中庭が美しい。
アズハルモスクはファーティマ朝がエジプトを征服した翌年に建設が始まり、972年に完成したとのこと。
最初はシーア派のモスクだったが、アイユーブ朝の成立によってスンニー派のモスクとなったそう。 -
礼拝所へ。こんな格好になりました。
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アル=アズハル・モスクに併設される形で誕生したアル=アズハル大学は現存する世界最古の大学のひとつで、イスラム教スンニ派の最高教育機関とされているそう。
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アズハルで学術研究が始まったのは975年。
イスラーム神学、イスラム哲学、イスラーム法学、哲学、天文学etc.シーア派の学府として発足した。同時代の他の王朝のカリフがギリシャ哲学を背教的でヘレニズム的であるとして非難し排除していた中、ファーティマ朝のカリフはギリシャ哲学を積極的に奨励し、内外から優れた著作や学者をカイロに集めたそう。
このためアズハルはイスラム世界における哲学研究の中心地となり、プラトン、アリストテレスなどの哲学関連の蔵書は膨大だったそう。 -
アズハルが現在のようなスンニー派になったのは、サラーフッディーンが13世紀の後半にファーティマ朝を廃してエジプトにスンニー派王朝のアイユーブ朝を興したとき。
シーア派の学府を不要と断じ、アズハルの有していた何万冊もの蔵書を破棄したと言われているそう。
その後アイユーブ朝からマルムーク朝へ。
オスマン帝国はマルムーク時代に栄えた学校や学林モスクを次々と閉鎖したが、アズハルについては存続させたそう。 -
ラストは、ガイドさんがお客を空港に迎えに行く時に良く行くカフェへ連れて行ってくれた。カイロでは、トープのようなロング丈の服に頭も被りものをしている方を多く見かけた。
ネットで見るようなちょっとアラブなお洒落カフェ、在住の一般女性は各々の家でお茶をするようでお店のカフェにはあまり行かないと聞いた。 -
果物は色とりどり美味しそうだった。
野良犬も多かったが猫もよく見かけた。 -
屋外座席では若者がボードゲームをしていた。
ドライバーさんが人気店でコシャリをテイクアウトで買って来てくれて(その店で食べるとすごく並ぶそう)ガイドと3人で持ち込み可のこのカフェで頂いた。
B級グルメ美味しかった!量が多くて食べきれなかったけど。
食後にミントティーを頂いた。 -
そしてカイロ空港へ送ってもらった。(消してますが、混雑していた)
エジプト航空からエミレーツ航空に変更になり、ドバイ経由で成田空港に17時過ぎに帰国した。
アバウトな私、予期せぬこともあったが、無事に旅行することが出来、感謝です。 -
オマケは、お付き合いで購入した数々。絨毯の玄関マット、カルトゥーシュで名前入のエジプト綿ポロシャツ、カルトゥーシュのシルバーに金文字のネックレス、パピルスの額絵、香油、香油入れ、紅茶、胡椒、チョコレートなど。
これ以上滞在したら一体どれだけ買わなくちゃいけなくなるんだろうという思いがかすめたりして(汗)
チップについても事前調べ不足で…
ツアーで皆様の参考にはならないかと思いますが、最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (5)
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- るなさん 2024/01/29 19:01:28
- スケールが桁外れなエジプト
- マリアンヌさん、ちゃお~
この前はすっかりご馳走になっちゃってありがとう!!!いつもながらとっても楽しい時間でした♪また東京来たらよろしくね~ビデオ楽しみにしとるで(笑)
さすがYouTubeやらでお勉強しただけあって詳しく作ってはりますね~
エジプトって調べ出すとホントに奥が深くて大変よね。
気球に乗ったりあれやこれやと想定外のことも起きたでしょうけど、いい思い出になったね。まっ、チップのことはお勉強代だね。
にしてもやっぱりお1人様だからかいいカモにされちゃったよね(苦笑)ツアーだとがっつりガイドさんもついてるし、あまりじゃけんには出来ないしね。
お持ち帰りした(させられた?笑)品々が笑える( *´艸`)
私も2度目はないかと思うけど、また行ってもいいなと思うスケールが桁違いのエジプト♪楽しませてもらいましたよ~
るな
- マリアンヌさん からの返信 2024/01/30 09:56:27
- RE: スケールが桁外れなエジプト
- るなさん Ciao☆
先日はお付き合いいただき、ありがとう!お喋り楽しかった!
東京来たら泊まってもらって、推しの画像を見せちゃうぞ(笑)
いやぁ旅行記の内容は、ご存知の通り、シュミだからさぁ…
気になりだすと、ここ掘れワンワンが止まらなくなるのよ(^_^;)
気球に乗ったりあれやこれやと想定外のことも起きたでしょうけど、いい思い出になったね。まっ、チップのことはお勉強代だね。
☆そうそう、この年齢にして、勉強させてもらったわ!
にしてもやっぱりお1人様だからかいいカモにされちゃったよね(苦笑)ツアーだとがっつりガイドさんもついてるし、あまりじゃけんには出来ないしね。
お持ち帰りした(させられた?笑)品々が笑える( *´艸`)
☆あはは そうでしょ?ガイドにお世話になってるし、途中から腹はくくったものの、最終日は、一体合計いくら買った!? わずか8日間ツアーだけどこれ以上、日にちが増えるのは無理ぃ!って感じで…(笑)
身ぐるみ剥がされた品々が笑えるでしょ(^_-)-☆
でもエジプト、何もかもすごかった!行って良かったよ。
帰国してからるなさんの旅行記を再度見て、場所がピンと来たし、何よりフリーで行ってる凄さを改めてスゴ!って思ったよ。
マリアンヌ
-
- pippo77さん 2024/01/26 21:54:23
- はじめまして
- エジプトの旅行記、すべて拝見しました。
アレクサンドリアからアスワンまで網羅し、エジプトの魅力ぎっしりでしたね。
来月、一人旅でエジプトに行きますので、とても参考になりました。
すみませんが、いくつか質問させてください。
①ハーン・ハリーリで「写真はとれなかった」と書いてありますが、たまたま撮らなかったのですか? それともあの一帯が、店の人の強烈な客引きで写真など撮れる雰囲気はない(写真など悠長に撮っていたら何か売りつけられそうな)感じだったからですか?
②エジプトでは駅や空港内など対テロのためか、写真を撮ることが制限されていると読んだことがあるのですが、そのあたりどうでしたか?
③ルクソールで気球に乗る前、写真を撮ってもらう際にいろんなポーズをとらされたようですが、男の一人旅であのノリはちょっと苦手です。
気球にはぜひ乗りたいのですが・・・
あの感じはマストなのですか?
④お金はどうされましたか?
クレジットカードでエジプトポンドをキャッシング?
⑤スマホは現地でSIM購入ですか?
⑥とてもエジプト考古学にとても詳しくて、これだけ詳しいときっと楽しいだろうなあと感心するのですが、元々思い入れが強かったのですか?
⑦アレクサンドリア、行こうか迷っています。
というのもNHK世界ふれあい街歩きを観て、どうもピンとこなかった。
それとああいった海岸沿いの感じなら、フランスコートダジュールの美しさに全然及ばないのでは?と思いまして、カイロから6時間かけて往復をするほどではないかなと。
考古学的にではなく、主に街並み、景観といった意味で、丸一日つぶしても行った方が良いと感じますか?
- マリアンヌさん からの返信 2024/01/28 01:09:06
- RE: はじめまして
- 拙い旅行記見ていただき、どうもありがとうございました。
来月、一人旅でエジプトに行かれるとのこと、ツアーでしたが少しでも参考になれば嬉しいです。
お役に立てるか?ですが・・・
ハーン・ハリーリで「写真はとれなかった」と書いてありますが、たまたま撮らなかったのですか? それともあの一帯が、店の人の強烈な客引きで写真など撮れる雰囲気はない(写真など悠長に撮っていたら何か売りつけられそうな)感じだったからですか?
☆ガイドがまずは、提携店?に案内、細い道をどんどん歩いて行ったので、ついていく為、写真が撮れなかったんです。ガイドと早足で行くと客引きは来なかったです。
買い物にそれほど興味がなかったので、フリータイムも要らないので、モスクへ案内してもらいました。
エジプトでは駅や空港内など対テロのためか、写真を撮ることが制限されていると読んだことがあるのですが、そのあたりどうでしたか?
☆空港では数枚しか撮らなかったですが、注意されたりはありませんでした。
鉄道駅は使わなかったのでわかりません。(終始ガイドと歩いてましたから)
アレクサンドリアの街歩きをしたことがある友達は、ここでは一眼レフはしまったほうがいい(軍関連の施設があるようで撮影禁止の場所があるよう)と言われたそう。
ルクソールで気球に乗る前、写真を撮ってもらう際にいろんなポーズをとらされたようですが、男の一人旅であのノリはちょっと苦手です。
☆気球ツアーとは別なので大丈夫です。クルーズ船に業者が迎えに来てナイル川をボートで対岸に行く間に、気球に乗るところから戻るまでの写真と動画の営業があり、皆が申し込んだので私もつい…断れば大丈夫だと思います。
お金はどうされましたか?
クレジットカードでエジプトポンドをキャッシング?
☆ツアーですのでチップ分11万位をドルに換金して持参。トイレチップ分少々は、ガイドがエジプトポンドと両替してくれました。現地でかなり観光を追加したのと連れて行かれた店での買い物はカード使用でした。
スマホは現地でSIM購入ですか?
☆ツアーだからホテルでwifiだけで良いかなと思ったのですが、クルーズ船はwifi無いというので、成田空港でイタリアで使用したアプリでesim購入、途中で追加購入しました。
とてもエジプト考古学にとても詳しくて、これだけ詳しいときっと楽しいだろうなあと感心するのですが、元々思い入れが強かったのですか?
☆いえいえ、有名な歴史しか知らなかったので帰国してからネット検索、YouTube(考古学者河江さん等)かなり調べただけなので、間違いもあるかと思います。
日頃は西洋かぶれのイタリア専門ですが、死ぬまでに一度は見たいと思っていました。
アレクサンドリア、行こうか迷っています。
というのもNHK世界ふれあい街歩きを観て、どうもピンとこなかった。
それとああいった海岸沿いの感じなら、フランスコートダジュールの美しさに全然及ばないのでは?と思いまして、カイロから6時間かけて往復をするほどではないかなと。
考古学的にではなく、主に街並み、景観といった意味で、丸一日つぶしても行った方が良いと感じますか?
☆古都は現在の街の下か海の底で、旧市街は味があるというか、路地は絵になりますがボロい感じでした。コートダジュールとは全然雰囲気が違います。
私みたいにアレキサンドリアという響きだけでもローマとの歴史など浪漫を感じるタイプでなければ、往復6時間かけて見る景観では無いような気がします。
どうぞ来月のエジプト旅、楽しんでいらして下さいね。
マリアンヌ
- pippo77さん からの返信 2024/01/28 10:50:34
- RE: RE: はじめまして
- 詳細に回答いただき、ありがとう御座いました。
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