2022/05/27 - 2022/05/28
655位(同エリア1091件中)
Skunkyさん
- SkunkyさんTOP
- 旅行記28冊
- クチコミ23件
- Q&A回答2件
- 15,501アクセス
- フォロワー7人
2022年3月1日より水際対策が大幅緩和されたことを受け、2022年5月、またまた一時帰国で日本に戻って参りました!
5月20日から友人と尾道、24日からまた別の友人と沖縄、27日からは、高野山、戸隠村、黒部ダム、黒部峡谷トロッコ列車に乗りに一人旅と、2022年5月はバラエティに富んだ旅行を満喫しましたx
沖縄から戻った日は関空着が夜遅かったので、気の利く友人が「ハタゴイン関西空港」を予約しておいてくれました。「せっかく大阪南端にいるのに、このまま大阪北部へ帰るのは惜しい」ということで、翌27日から初夏の高野山へ1泊2日の一人旅をしました。
個人的には宗教に強い関心はないのですが、空海という人物にとても興味があります。努力家で秀才だったとされる最澄と対照的な人物像として描かれる天才肌の空海は、僅か3ヶ月でサンスクリット語をマスターしたり、四国で灌漑事業を行ったり、もはや策士とも思われるような鮮やかな手段で嵯峨天皇の信頼を獲得したり、更には、日本全国各地に残る空海伝説やお大師様信仰など。「空海はカメラアイを持ったサヴァン症候群だったのでは?」と想像したりもします。
【お断り】この旅行記では弘法大師を「空海」と記させて頂きます。
※高野山奥之院ナイトツアーに参加
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2022年5月27日、昨夜の豪雨が嘘のように良い天気となりました!
前夜、関空に着いた時には物凄い雨が降っていて、関空から一駅の「りんくうタウン駅」から歩いて10分弱の「ハタゴイン関西空港」に行くのに、靴の中が水浸しになってしまうほどでした。ニュースによると、大阪南部には大雨警報が出ていたようです。(どうりで・・・)
ありがたいことに、ホテルには大浴場があり、ゆっくり疲れを癒すことができました! 日本のホテルは大浴場があるところが多くて本当に素晴らしいx
ハタゴイン関西空港をチェックアウトし、りんくうタウン駅から、友人は京都へ、私は高野山を目指します。
大阪難波駅と関西空港を結ぶ南海電鉄の「ラピート」もりんくうタウン駅に止まります。
※「鉄人28号」を思わせるデザインとして有名りんくうタウン駅 駅
-
りんくうタウン駅を出発し、南海空港線空港急行で一旦大阪中心部の「天下茶屋駅」まで戻り、南海高野線に乗り換えます。
せっかく大阪南部にいるのに、高野山に行くには大阪中心部に戻って乗り換える方が、時間も短く、運賃も安くて済むのは、なんだか悔しいですw
※「てんがちゃや」という駅名がすごく大阪っぽい!天下茶屋駅 駅
-
南海高野線に乗り換えて「橋本駅」へと向かいます。橋本駅で更に乗り換えて「極楽橋駅」へ。
りんくうタウン駅から天下茶屋駅までは30分強、そこから橋本駅までは45分の乗車時間です。 -
橋本駅で南海高野線極楽橋駅行きに乗り換えます。
南海電鉄では、平日は2往復、土・休日は3往復(夏期)で、橋本駅から極楽橋駅まで特別観光列車「天空(てんくう)」を走らせています。橋本・極楽橋間の標高差443メートルを最急勾配50‰で登る南海鉄道高野線は、日本全国でも有名な私鉄登山列車の一つです。
往路では時間が合わなかったため、「天空」には復路で乗ることにし、極楽橋駅までは通常の車両で向かいます。
※赤い電車も可愛いですね橋本駅 (和歌山県) 駅
-
列車は約45分をかけて、ゆっくりと高野山を登って行き、極楽橋駅に到着。
途中の「九度山駅」には、世界遺産に登録されている空海の母を祀った慈尊院や、真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ真田庵など、訪れてみたい場所が沢山あります。時間に余裕があれば、九度山に一泊するのもいいかもしれませんね。
※母思いの空海は、女人禁制だったため高野山の麓で暮らしていたお母さんを、多い時には月に9度も訪ねたことから、「九度山」の名前が付いたとか極楽橋駅 駅
-
極楽橋駅からはケーブルカーが高野山駅までを繋いでいます。高野山駅までは約5分、高野山駅から高野山奥之院までは路線バスが走っています。
沖縄3泊旅行からの帰りということもあり、スーツケースを引きずっていたので、ケーブルカーで高野山に向かいましたが、極楽橋駅から極楽橋を渡って徒歩で高野山へ向かうルートもあります。極楽橋から女人堂までのルート、高野街道京大坂道不動坂は、かなり整備されていて登山というよりハイキング気分で登れるようです(約1時間)。その先の女人堂から大門までの弁天岳を通るルート、女人道は、一気に登山道となるので、こちらを歩く場合は十分な登山の装備が必要なようです。
乗り物に乗るのが好きな私ですが、いつか時間をかけて徒歩で登ってみたいと思わせるルートですね。 -
高野山ケーブルカーは南海電鉄が運営しています。今回乗る車両は、2019年3月1日に導入されたばかりの最新型4代目。
※ピカピカです! -
高野山ケーブルカーは、1930年(昭和5年)に開通、全長0.8km・高低差328mを約5分で繋いでいます。ケーブルカーは、法律上で「鋼索鉄道」という種類に分類されます。
※急勾配を登って行きます -
「交走式(つるべ式)」で動くケーブルカーには、路線の中央部分に車両が行き違うための複線分岐が必ずあります。
※分岐点は「ここが中間地点」という目印 -
高野山駅に到着。ここからはバスで高野山奥之院を目指します。
高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部として、2004年7月にユネスコ世界遺産に登録されました。ユネスコは世界遺産登録に際し、「日本古来の信仰である神道とインドから伝わった外来宗教である仏教がこの地において融合し、現在までその関係が続き、文化的景観が残っていることは他に類がない」と評価したそうです。
クリスマスツリーを飾ってケーキを食べてお祝いした数日後に、お寺の鳴らす108つの除夜の鐘を聞き、翌日には神社に初詣に行く日本人の「なんでもあり!」は、ユネスコの認めるところでもあるんですねw -
今夜お世話になる宿坊「恵光院」さん。
その昔、高野山では、「越後の国は何々院、山城の国は何々院」というように、それぞれの所縁坊が決まっていたそうです。1832年の調べでは、高野山には812の寺院があったようですが、明治の廃藩置県によって高野山の所領や山林が国に没収されたり、火災で消失したりして、今では寺院の数は117寺、うち宿坊を提供しているのは52寺となっています。
※「奥之院ナイトツアー」の集合場所になっている恵光院さんに宿泊を決めました。恵光院 宿・ホテル
-
インバウンドの外国人観光客に特に人気のある高野山ですが、中でも恵光院さんは、Booking.comでトップにリストアップされていたり、英語ガイドがついた「奥之院ナイトツアー」の集合場所だったりと、特に外国人旅行客に人気のある宿坊です。
私が宿泊した2022年5月は、まだ個人訪日外国人旅行者に対する入国制限があったため、宿泊客のほとんどは日本人でしたが、外国人の方も数人いらっしゃいました(日本在住の方かな?) 。
その後、2022年10月11日には全ての入国制限が撤廃され、更に円安の後押しもあって2023年にはインバウンド観光客が急増、恐らく高野山も大勢の外国人観光客で溢れていることでしょう。
※広いお部屋には立派な襖絵が。 -
高野山では、至る所に切り絵の奉書が掛けてあります。これは「宝来(ほうらい)」というもので、しめ縄の代わりだそうです。
宝来は空海が中国からもたらしたものとされ、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地にある高野山には、稲作をするための農地がなく、しめ縄を作る稲わらの入手が難しいことから、しめ縄に代わって宝来を飾るようになったそうです。
※2022年は寅年。私は年女です! -
金剛峯寺正面入り口。進んでいくと正門があります。
高野山開山の伝説に、「長安青龍寺の恵果より「伝法灌頂」を受け、阿闍梨位に上った空海が、日本に帰るに当たり、真言密教の聖地に相応しい場所を求めて、唐の明州の浜から「三鈷(さんこ)」を投げ、その三鈷が松の枝にひっかかっていたのが高野山だった」というものがあります。
日本に戻って、真言密教の聖地を探していた空海は、白と黒の2匹の犬を連れた狩人に出会い、その犬たちに着いていくと松の枝にひっかかっている三鈷を見つけます。この狩人は、高野山の地主神「狩場明神(かりばみょうじん)」が姿を変えた者でした。また、空海が山にある神社で一泊したとき、この神社の祭神である「丹生都比売(にうつひめ)」に出会い、高野山に真言密教の根本道場を建てる許しを得ました。
この伝承は、多神教である日本の土着信仰の神道(狩場明神と丹生都比売)が、外来文化(仏教)を受けいる懐の深さを持っていることを示すもので、前述のユネスコの評価に合致しています。
※世界の他の宗教が一神教ではなく、日本の神道のように柔軟性を持っていれば、今起こっている戦争のいくつかは起こっていなかったかもしれません。 -
高野山真言宗 総本山金剛峯寺 正門
空海に、高野山に道場を建てる許しを与えた丹生都比売は、朱(硫化第二水銀)の採掘を生業とする丹生氏が信仰していた「水銀の神」と考えられています。朱は、御堂を飾る朱塗りや仏像に施す金メッキの材料として欠かせないものです。
空海が若い頃に山林修行をしていた和歌山や四国の山岳地帯は、鉱物資源の産地が多い中央構造線上にあり、縄文の昔から朱を採掘していたという記録が残っています。空海は修行中に朱に関する見聞を深めたのかもしれません。
更に、空海が留学した唐では神仙思想が盛んで、不老長寿の妙薬として何人もの皇帝が水銀を飲んでいたという伝承もあります。唐で水銀に関する知識を得た空海が、朱の採掘地である高野山を真言密教の聖地に選んだのは、偶然ではなかったのかもしれません。
「水銀を飲んだ空海は不老長寿となり、今も生きて奥之院で瞑想を続けている」というのも、あながち単なる言い伝えではないのかもしれません。
※信じるか信じないかはあなた次第です! -
金剛峯寺
空海が、「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」というお経から名付けたと言われています。高野山真言宗3,600寺、信徒約1千万人の総本山です。
HPによると、「高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指します。本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります」とのこと。
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の上には2つの天水桶が設置されています。雨水を溜めておいて、火災が発生したときに桶の水を撒いて類焼を食い止める役割を果たしました。金剛峯寺 寺・神社・教会
-
イチオシ
御朱印を頂きました。
母が兼ねてより「神社とお寺の御朱印帳を分けておけばよかった」と言いうのを聞いていたので、お寺用の御朱印帳を金剛峯寺のものと致しました!
※達筆! AppleWatchとのコントラストがいいx -
入ったばかりの部屋は写真オッケーでした。
高野山では、金剛峯寺、金堂、根本大塔などお堂の中は撮影禁止です。また、奥之院では御廟橋から先は撮影禁止。なので、燈籠堂は撮影できません。 -
細部までしっかり掃除や手入れが行き届いています。
※金剛峯寺は、1860年の火災で消失、その後1862年に再建されたとされています。 -
高野山、特に一の橋から奥之院御廟へと続く墓地には大杉林が林立し、高野山の魅力の一つとなっています。これらの大杉林は、江戸時代に全国各地の大名から苗木の寄進を受けたものだと言うことです。
※「高野杉」の輪切り -
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
空海入定1150年の御遠忌大法会の際に造園されました。この石庭は、雲海の中で左に雄、右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。 -
中庭
中庭は江戸期に作られたとされ、梅雨近くになれば天然記念物のモリアオガエルの卵が池の周囲に産み付けられるそうです。 -
土室(つちむろ)
土室は、土壁で囲んだ部屋の中に囲炉裏を設けた部屋で、高野山の厳しい冬に暖を取るための工夫がされています。 -
台所
江戸期以降、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所です。約98kgのご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいて、一度に約2,000人分のご飯を炊いていたそうです。昭和50年代まで年末の餅つきの際に使われていました。 -
ここにも宝来が飾られていました。
-
蛇腹路を通って壇上伽藍に入って行きます。
蛇腹路 寺・神社・教会
-
イチオシ
高野山のシンボルとも言える根本大塔は、816年から建造に着手され、空海と真然の2代をかけて887年頃に完成したとされています。空海は根本大塔の完成を待たずに入定しました。(きっと完成した塔を見たかったことでしょう)
根本大塔の内部には、真言密教が伝える世界観である金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅が立体曼荼羅の形で表されています。人々は大塔の中に入ることで、自らが曼荼羅の中に入っていく体験ができるのです。
※現在の根本大塔は1937年(昭和12年)に再建されたもの根本大塔 寺・神社・教会
-
般若湯を頂きながら、写経体験。
※高野山では、お酒は「般若湯」と呼ばれ、頂くことができます。 -
夜ご飯は精進料理を部屋食で頂きます。ビールも般若湯に含まれます!
※もちろんお部屋にテレビはありません -
イチオシ
奥之院ナイトツアーに参加しました!
19:00に恵光院の境内に集合し、ガイドさんの説明を受けながら、一の橋から御廟橋まで約2kmの行程を約1時間半で見学します。この日の参加者は20人弱でしたが、最大ツアー人数は35人なので、許容人数いっぱいだとかなりの大所帯になりそうです。
※写真だと明るく写っていますが、実際はもっと暗いです -
奥之院の通路は全て石畳なので歩きやすいですが、雨が降っていたり、地面が濡れていたりすると滑りやすいかもしれません。
-
どんどん奥に進んでいきます。
奥之院は墓地なのですが、おどろおどろしい雰囲気はなく、夜に一人で散歩しても怖くはなさそう。 -
空海の御廟がある聖域を分ける玉川に架けられた御廟橋の手前には、玉川を背に、地蔵菩薩、不動明王、弥勒菩薩など15体の「水向地蔵」が並んでいます。
塔婆の経木を地蔵菩薩の足元に置いて3回水を掛けながら真言を唱えるのが、水向地蔵の正しいお参りの仕方だそう。「水掛け地蔵」と間違えて水を掛けないよう要注意です。
※写真は不動明王 -
御廟橋から向こうは空海が入定(瞑想をして生きたまま仏になること)した御廟がある聖域のため、写真撮影は禁止です。燈籠堂にはオレンジ色に光るたくさんの燈籠が飾られ、夜の奥之院に幽玄な空間を作っていました。
高野山では空海は今も生きているとされており、毎日朝6時と10時半の2回、「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれる食事を御廟に運ぶ儀式が行われています。
※写真の奥に僅かに燈籠堂が見えます御廟橋 名所・史跡
-
奥之院ナイトツアーを終えて恵光院さんに戻ってきました。
ツアーは8時半ごろに御廟橋で解散、そこから各自思い思いにそれぞれの宿坊に帰るのですが、私は夜の散策を楽しみながらゆっくり帰ってきました。昼とは違った幻想的な奥之院を楽しめるのは、宿泊客の特権ですね。この夜も奥之院を散策している人がたくさんいました。
※恵光院さんの大浴場は24:00までなので、この後ゆっくりお風呂に入り、1日の疲れもすっかり取れましたx -
恵光院では、毎朝7:00から本堂で朝の勤行、7:30から毘沙門堂にて護摩祈祷が行われ、宿泊客は自由に参加することができます。
大浴場が開くのが朝6:00なので、お風呂に入ってから朝の勤行と護摩祈祷に参加すべく、朝4:30に起きて早朝の奥之院を燈籠堂まで散歩しました。夜の幽玄な雰囲気に変わり、朝は澄んだ空気に満ちた清浄さが感じられます。
※恵光院は奥之院に近いので、奥之院を散策したい人にはベストロケーションの宿坊です。 -
石灯籠にはまだ明かりが残っています。
※早朝の奥之院を散歩している方もたくさんいました。 -
宿坊をチェックアウトし、大門まで歩いてきました。
山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されたものだそうです。左右に安置された金剛力士像は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ日本で2番目の大きさで、江戸中期に活躍した運長と康意の作だそう。大門 名所・史跡
-
阿
-
吽
-
高野山駅は、高野山開創1200 年記念大法会に合わせて駅舎を改修、2015年2月にリニューアルが完了しました。このリニューアルで駅舎2階を大改造、資料展示コーナーや乗客がくつろげるスペースなどが設置されました。
くつろぎスペースはカウンター席になっていて、高野山の絶景を楽しむことができます。
※ケーブルカーを待つ間、般若湯と柿の葉寿司で景色を楽しみながら軽く一杯x高野山駅 駅
-
ケーブルカーで極楽橋に戻り、復路は展望席を予約していた天空に乗って橋本駅に戻ります。
-
イチオシ
極楽橋駅を12:00に出発する観光列車「天空2号」はガラガラでした!
※天空は観光列車2両に普通列車2両を併結して4両で運行されます。 -
どこでも好きな席に座り放題!
※インバウンド観光客が増えた今は満席なのかな? -
天空の外観。
高野山には小学校6年生の林間学校で来たたことがあるのですが、やはり大人になってから来る方が味わい深いですね。高野山は実家からも遠くないので、是非また来たい場所です。そして、次回こそは、徒歩で高野山を目指し、もっと色々な場所を見たいです!
備忘目的に始めた旅行記ですが、いつも旅行記を書いていて思うのは、「せっかく行ったのに、見逃したもの、乗り逃したもの、背景を知らずに堪能できなかったもののなんと多いことか!」ということです。旅行記を書き終わった時には、より興味が深まり、その旅行先の再訪スケジュールを考えたりしてしまいます。
しかし、見逃したことに気付くのは、旅行記を書くために情報を調べるからであって(行く前に調べろよ!w)、旅行記を書いていなければそれさえ気付いていなかったでしょう。おかげで行きたい場所はどんどん増えていくばかりです!
さて、次の旅行先、長野、戸隠村、黒部ダム、欅平へと向かうとしましょうx
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45