2022/10/20 - 2022/10/20
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zenkyou01さん
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文京区散策(2) 東京都文京区 全行程 4時間57分 東京メトロ南北線本駒込駅~(6分)洞泉寺(3分)~(分)吉祥寺(50分)~(2分)大運寺・円通寺・教元寺・長源寺・天然寺(17分)~(10分)養昌寺・南谷寺・定泉寺(31分)~ (26分)龍光寺・仙龍寺・龍光寺児童遊園(昼食含む) (48分)~ (8分)徳性寺(1分)~(15分)正行寺・西善寺・浄心寺(54分)~(7分)十方寺(8分)~(5分)東京メトロ南北線本駒込駅
「日時」2022年10月20日
「アクセス」東京メトロ南北線本駒込駅
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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洞泉寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳、開山は元照和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると正面に本堂があります。墓地には江戸時代中期・後期の儒学者原氏(原雙桂、敬仲、念斎、徳斎)の墓等があります
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洞泉寺原氏墓所 江戸時代中期から後期にかけて、著名な儒学者を出した原一族四代(原雙桂、敬仲、念斎、徳斎)の墓です
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吉祥寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1458年、開基は太田持資(道灌)、開山は青巌周陽和尚、本尊は釈迦如来像です。江戸時代、境内には後の駒澤大学となる学寮「施檀林」が作られ、多くの旗本の子弟や学僧が学んだ。立派な藥井門の山門を潜ると、茗荷稲荷、お七・吉三郎比翼塚、釈迦如来像、六地蔵、本堂、鐘楼、経蔵、音楽家小出浩平顕彰歌碑等があります。広い墓地には幕臣で、五稜郭で政府軍と抗戦した榎本武揚の墓、小説家川上眉山の墓、講談師五代目宝井馬琴の墓、二宮尊徳墓碑、楠木正成の子孫の墓、松前福山城主松前氏の墓等があります。江戸時代の旗本や大名の墓が多くあるそうですが、殆んど説明版が無いのと、墓石に家名(戒名はある)が無いので、xx藩主〇〇家が分かりませんでした。甲斐守鳥居耀蔵の墓は見つけられませんでした
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吉祥寺お七・吉三郎比翼塚 比翼塚とは、愛し合って死んだ男女、心中した男女、仲の良かった夫婦を一緒に葬った塚や墓をいいます。お七は江戸の八百屋の娘で、恋人吉三郎に会いたさ一心で放火事件を起こし、火刑に処せられた少女です。井原西鶴の「好色五人女」で有名ですが、実在の人物であったともいわれています
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吉祥寺榎本武揚の墓 江戸時代末の幕臣で、函館戦争で敗戦降伏、投獄釈放後、明治政府に仕え、文部大臣、農省務大臣、外務大臣等を歴任する
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吉祥寺川上眉山の墓 大阪生まれの明治時代の小説家、39才自殺する
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吉祥寺二宮尊徳墓碑 相模国生まれの江戸時代後期の農政家です。先ず生家の復興、小田原藩家老服部家の財政立て直し、下野桜町領の復興等諸藩の復興に寄与しています
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吉祥寺五代目宝井馬琴墓碑 宝井馬琴という名は講談師の名跡で、初代は江戸時代後期の人で、五代目は昭和時代の講談師です。五代目の弟子が六代目を継いだが、2015年に没後、現在は空き名跡になっています
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大運寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1627年、開基は清水弥平太、開山は順蓮社願誉上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂、石造十三重塔があります
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円通寺本堂 臨済宗妙心寺派の一寺、創建は1631年、開山は三位妙妙勅諡仏海慈雲禅師、本尊は釈迦如来像です。山門を通ると、本堂、六地蔵があります。桜の木が多く見られます
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教元寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は不詳、開山は高田五太夫教元、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、本堂があるこじんまりしたお寺です
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長源寺本堂 浄土真宗単立系の寺、創建は1612年、開山は釈西玄和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、参道に本郷出身の俳句・俳画家小田島十黄の句画碑、奥に本堂があります
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天然寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1626年、開基は村上藩堀家の家臣平井直衛、開山は然蓮社天誉秀公和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、参道脇に六地蔵、奥に二階建ての本堂、如意輪観音菩薩像があります
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養昌寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳、1631年移転とあるので、それ以前である。開山は僧伝春、本尊は釈迦牟尼仏です。山門を通ると観音像が、正面に本堂があります。その他、宝篋印塔、六地蔵、小説家の半井桃水の墓、心理学者・経営学者上野陽一の墓等があります
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養昌寺半井桃水の墓 1861年、長崎県対馬に生まれ、朝日新聞入社、その後新聞小説家として活躍する。樋口一葉の師である
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南谷寺目赤不動尊 不動明王は大日如来から命を受け、悪を懲らしめる使者である。江戸時代から目黒(滝泉寺)、目白(金乗院)、目赤(南谷寺)、目青(教学院)、目黄(永久寺と最勝寺)不動尊は五色不動として名高い
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南谷寺本堂 天台宗の一寺、創建は1616年、開山は万行和尚、本尊は阿弥陀如来像です。通称目赤不動という。江戸五色不動(目黒、目赤、目白、目青、目黄)の一つです。山門を通ると、六地蔵、廻向仏、本堂、目赤不動尊(不動堂の中に安置)があります
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定泉寺本堂 天台宗の一寺、創建は1621年、開基は蜂谷九朗次郎善遠、開山は定蓮社定誉随波上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、夢現地蔵尊、本堂、六阿弥陀仏が刻まれている石塔、江戸幕府役人御小人頭の牧野金助の墓等があります
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龍光寺本堂 臨済宗東福寺派の一寺、創建は1632年、開基は小笠原忠知・京極高知、開山は虎伯大宣禅師、本尊は釈迦如来像です。山門を通ると、正面に金毘羅堂、本堂、「春は名のみの風の寒さや・・・」で始まる早春賦歌碑、石造五重塔、六地蔵等があります。墓地には早春賦等を作詞した吉丸一昌、江戸時代の儒学者の三宅観瀾と栗山潜鋒、唐津小笠原家、丸亀京極家、江戸時代初期の侠客深見重左エ門等の墓があります
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龍光寺三宅観瀾墓 京都生まれの江戸時代中期の朱子学派の儒学者。木下順庵に学び、木庵十哲に一人と言われた。後に水戸光圀に仕え、彰考館に入り「大日本史」編集に従事し、後に彰考館総裁になる
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龍光寺丸亀京極家廟所 浅井長政と信長妹お市との子お初(茶々、お初、お江の三姉妹)が嫁いだ先が京極高次で、その孫高和が讃岐丸亀藩京極家の初代藩主です。高和を祖とする一部の丸亀藩主とその一族の墓が龍光寺にあります。導誉桜(シダレサクラ)で有名な米原市清瀧にある京極家の菩提寺徳源院には高和等を含めて歴代当主の宝篋印塔が並んでいます
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仙龍寺本堂 臨済宗妙心寺派一寺、創建は1658年、開山は大雲禅師、本尊は阿弥陀如来坐像です。山門を通ると、正面に本堂、稲荷大明神があります
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徳性寺本堂 浄土寺の一寺、創建は1616年、開山は然蓮社廓誉和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると正面に本堂、他、石造七重塔、身代わり頬焼地蔵尊があります。豪農の妻から頬に焼け火箸を充てられる折檻を受けた下女は、頬にやけどが無く、屋敷にあった地蔵の頬が焦げていた。下女の身代わりなった頬焼地蔵尊として崇められる
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正行寺力士待乳山の墓 浄土宗の一寺、創建は1604年、開山は年誉達道上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、咳の病にご利益のあるとうがらし地蔵、本堂、祠、江戸時代の力士待乳山の墓があります。待乳山は江戸時代の力士の四股名、その後年寄り名跡に一つとなる
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西善寺本堂 浄土真宗大谷系の単立寺院、創建は1616年、開山は了願法師、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通り、ビルの下に入るとほんどうがあり、入口正面の奥に、幕臣で、北方探検家の近藤重蔵墓の墓があります
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西善寺近藤重蔵墓 江戸幕府の幕臣で、江戸時代後期の北方探検家です。樺太、千島、択捉、利尻、札幌等を視察します
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浩妙寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1628年、開基は浩妙院(太田資宗の姉)、開山は覚音院日遵上人です。山門を通ると、本堂、七面堂があります
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浄心寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1616年、開基は畔柳助九朗、開山は還蓮社到誉文喬、本尊は阿弥陀如来像です。山門の手前に大きな布袋孫があります。山門を通ると、お地蔵さん、合掌の塔、諸動物供養塔、本堂、梵鐘等があります。墓地さくら霊園には落語家立川談志の墓があります
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浄心寺立川談志の墓 昭和の落語家。五代目柳家小さん門下に入り、立川談志という名で真打昇進、参議院議員を一期務める。後、落語協会を脱退し、落語立川流を立ち上げ、家元となる
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十方寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1615年、開山は覚蓮社円誉和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を通ると、正面に本堂、整備された庭園があります
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