
2023/09/25 - 2023/09/25
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M-koku1さん
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この旅行記のスケジュール
2023/09/25
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バスでの移動
ホテル観洋の語り部ツアーバス
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震災遺構 戸倉中学校
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バスでの移動
宮城観光バスをレンタル
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この旅行記スケジュールを元に
大学時代のクラブのメンバーで毎年国内旅行をしてきましたが、
今年は幹事グループの一人としてお手伝いすることになりました。
3月には色々決めて、メンバーの賛同を得ながら、計画を固めていきました。
参加人数目標を16人に設定。
でも集合場所には13人しか来ませんでした。
右から入れた情報が左から抜けていってしまう先輩たち。
一年前に決めた日程、早くに決めすぎましたかしら・・・
東北大震災の震災遺構を巡った2日目。
今回の旅行の目玉でした。
現地に行ったら、12年経っても空地が広がっていました。
心が痛みました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【ホテル観洋のゲストルームからの海】
前日仙台駅東口バス停で
ホテル観洋の送迎バスに拾われて
南三陸まで来ました
午後3時に到着して一泊南三陸 ホテル観洋 宿・ホテル
-
【ホテル観洋のゲストルームからの海】
東向きの部屋だったので
朝日と共に目が覚めました
5:20に 日の出です
穏やかでピカピカの海です
ここへ津波が押し寄せてきたなら
さぞかし怖かっただろうと思いました -
【ホテル観洋朝食会場】
津波はこのホテルの2階までを襲い
この朝食会場のある3階から上は
被害を免れたんだそうです
海面ははるか下に見えているんですけれどね
電気が来るまで1か月半
水が来るまで4か月かかったそうです南三陸 ホテル観洋 宿・ホテル
-
【ホテル観洋の朝食】
朝食はバイキングでした
昨晩の夕食時 外人の係の方が
面倒見よくお世話をしてくださったのですが
説明する力が今一つで
いつどうやって鮑を食べるかとか
ちょっとわかりにくかっただけに
バイキングだと楽ですね南三陸 ホテル観洋 宿・ホテル
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【ホテル観洋フロントロビー】
8:30 に荷物をもって ロビーに集合
フロントで荷物をまとめて預かって頂きました
いくつか旅行会社の団体客がいて
バスも数台見えていたので
みんながバラバラにならないように
幹事の私はウロウロ -
【ホテル観洋の語り部ツアーバス内】
ホテル観洋のフロントで
宿泊費と同時に
1人500円ずつ支払って
1時間の語り部ツアーに参加しました
ホテルが用意した中型バスに
ゆったり座りました -
【被災地戸倉エリア】
戸倉半島の高台の元中学校があった場所を最初に訪問
土地は あちらこちらで かさ上げされていました -
今は使われていない戸倉中学校の体育館
ここは海抜20mの場所にあり
一見して 充分 海から離れているのに
津波に襲われました -
津波に襲われた時間で止まってしまった時計
津波の高さは22.6mだったそうで
前面の海からだけではなく
後の山側からも流れ込んできたそうです
地形のなせるわざ -
前面の海は限りなく遠くに見えるのですが・・・
この小山の下にあった
戸倉小学校は全壊したものの
生徒たちはいち早く高台に逃げて
難を逃れたそうです -
【高野会館の遺構】
4階の壁に青いマークがありますが
それが津波の高さです
ホテル所有の民間震災遺構「高野会館」(南三陸町)震災遺構 ブライダルパレス高野会館 名所・史跡
-
【高野会館】
志津川湾から300mの距離にあった
ホテルの結婚式場だったそうですが
震災を風化させないために
このように維持されていました震災遺構 ブライダルパレス高野会館 名所・史跡
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【埋め足し】
高野会館はもともとの土地にあります
その右側の土手のような部分が
埋め足しされた新しい土地です
10mほど全体にかさ上げしたんだそうです震災遺構 ブライダルパレス高野会館 名所・史跡
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【ホテル観洋の語り部バス】
https://www.mkanyo.jp/
からこのツアーに予約が入れられます
ルートは
戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎 → ホテル着(朝 9時45分ごろ) -
【防災庁舎の遺構】
テレビでさんざん見ていた遺構が
目に飛び込んできました
周りのかさ上げした土手に埋もれるように
残されていました -
【ホテル観洋正面玄関】
9時45分にホテルに戻ったところ
9時半にアレンジしておいた
宮城交通の観光バスは無事に到着していました
ドライバーさん ガイドさん 各一名混みで
14万円ほどでレンタルできました
フロントから荷物を受けだし
大急ぎで乗り換えます南三陸 ホテル観洋 宿・ホテル
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【ホテル観洋の遠景と防潮堤】
今度は自分たちで手配したバスで
防災庁舎のところまで来ました
どこもかしこもコンクリートだらけ! -
【震災遺構防災庁舎】
テレビで初めて見た頃は
この周りは一面のがれきで
そこにポツンと寒々しく残っていた気がする庁舎ですが
今は公園として整備管理されていました南三陸町 震災復興祈念公園 公園・植物園
-
【南三陸町震災復興祈念公園】
実際の防災放送を聞いていた
ホテル観洋の語り部さんから
殉職したお二人の話や
防災庁舎の屋上に避難しながらも
流されていった方々のお写真やお話を聞いて
涙があふれてしまいました
合掌南三陸町 震災復興祈念公園 公園・植物園
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【南三陸311メモリアル】
https://kkaa.co.jp/project/minamisanriku-311-memorial/
隈研吾さん設計のメモリアルの建物は
かさ上げされた高台にありました南三陸311メモリアル 名所・史跡
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【南三陸311メモリアル】
3.11メモリアルは復興計画の集大成
2022年完成
海と里山と街(ストリート)の3つの結節点として位置づけられ
同時に過去の記憶を未来へとつなげる時間の結節点となるように
計画を練ったそうです南三陸311メモリアル 名所・史跡
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【南三陸311メモリアル】
入館すれば
震災の記憶を伝える様々な思い出の品々や映像が展示されていますが
語り部さんの話ですでに心揺さぶられてしまったので
とても中に入る気持ちになれませんでした南三陸311メモリアル 名所・史跡
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【南三陸311メモリアル】
鳥居のような聖なるゲートというコンセプトの建物
南三陸の杉でできた木製のルーバーで覆われていました
美しい建物です南三陸311メモリアル 名所・史跡
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【さんさん商店街】
2017年にできた商店街は
311メモリアルと向かい合ったロケーション南三陸さんさん商店街 市場・商店街
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【さんさん商店街】
10時45分まで
各自自由見学と買い物の時間にしました
ホテルとここはたった10分の距離でした南三陸さんさん商店街 市場・商店街
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【さんさん商店街】
日曜日の朝ですが
買い物をする人があまり来ていなかったので
ちょっと寂しかったです -
【さんさん商店街】
みんなで今回はお金を落としていこうね
という約束で来たので
張り切って買い物をすることにしました -
【さんさん商店街】
海産物はおいしそうで
先輩が早速この辺りのものを買って
ほおばっていました -
【さんさん商店街】
ツブガイやほや
(ホヤは食べたことがない・・・) -
【さんさん商店街】
パンやお菓子も・・・ -
【さんさん商店街】
ここで海鮮丼が食べたかった・・・
ちょっと来る時間を間違えましたね -
【さんさん商店街】
写真屋さんの外に写真が飾ってありました
そうです
この防災庁舎の姿が
頭にこびりついていた風景です -
【佐良スタジオ】
この写真屋さんが
震災の日からずっと写真を撮り続けているそうです -
【佐良スタジオ】
色々思い出させられます
2011年3月11日
家までとぼとぼ歩いて帰ったあの日
ここの被災者の方々とは
あまりにレベルが違いますが・・・ -
【佐良スタジオ】
時間を忘れて
一枚一枚見てしまいました -
【佐良スタジオ】
かつての南三陸町の写真 -
【陸前高田に向かう車中からの風景】
いくつかお土産を手にして
またバスに乗って
陸前高田に向かいます小泉海岸 自然・景勝地
-
震災後のこのあたりは
どこも防潮堤やかさ上げされた陸地ばかり -
【三陸沿岸道路E45 気仙沼中央インターチェンジ】
道はすっかり新しく整備されており
被災地だと知らなければ
快適なドライブです
でも人工的だから面白みに欠ける -
【気仙沼】
港が見えているのですが
気仙沼でしょうか・・・ -
【気仙沼】
漁船用のドックらしきエリア -
【浦島大島インターチェンジ】
ワールドカップが開催されることになったので
高速道路と道の駅が
大急ぎで
つくられたんだそうです -
【気仙沼湾横断橋】
全長1344mの橋
気仙川では
震災時に3つも橋が壊れてしまったんだそうです -
【気仙沼】
気仙沼港 -
【陸前高田長部インターチェンジ】
-
【陸前高田の一本松】
気仙川の向こうに突然見えた一本松奇跡の一本松 名所・史跡
-
【気仙川水門】
ものすごい水門が見えてきました
気仙川では
津波がなんと7キロも遡上したそうです気仙川 自然・景勝地
-
【道の駅 高田松原】
トイレ休憩と語り部さんのピックアップのために
道の駅に来ました
幹事の私たちはバスに積み込むお弁当屋さんと連絡をとったり
色々お仕事道の駅 高田松原 道の駅
-
【道の駅 高田松原】
予定より早く12時前に到着
大きな道の駅でした道の駅 高田松原 道の駅
-
【道の駅 高田松原】
南三陸とは全く違って
モダンな建物でした
トイレが滅茶苦茶きれいでした道の駅 高田松原 道の駅
-
【東日本大震災津波伝承館】
ここに震災の記念館が併設されていました
語り部さんによる1時間のツアーをおねがいしました
費用は6000円でした東日本大震災津波伝承館 名所・史跡
-
道の駅の並びにあった建物に
津波マークが入っていました
赤茶色の印のところまで波が来たようです
到達の高さ 14.5m -
【高田松原津波復興祈念公園】
道の駅はこの公園の一部です
すべて流されてしまって
広大な空き地ができたため
道の駅も巨大になったのでしょう高田松原津波復興祈念公園 公園・植物園
-
【高田松原津波復興祈念公園の地図】
語り部さんを拾って
奇跡の一本松が見える
川の対岸まで
乗ってきた観光バスで再び移動 -
水門の近くでバスを降りて
説明を聞きましたが
南三陸の語り部さんとは全く違う感じの
淡々とした学校の先生みたいな説明の仕方でした
心が乱されずありがたかったです -
イチオシ
【奇跡の一本松】
中学校側から川向こうを見ると
有名な一本松が立っていました
かつてここには7万本の松林があったそうです
江戸時代に沼地を改良するために植林した松林
語り部さん曰く
自然林ではなかったため
根が海水を嫌って曲がって伸びていたので
簡単に引き潮に持っていかれたのだろう
人工的に入れていた砂もみな流された
自然にあったものはけっこう残っているのに・・・
道の駅からこの松まで散策できますが
かなり時間に余裕を見ないと
戻れませんので ご注意を奇跡の一本松 名所・史跡
-
【気仙中学校の震災遺構】
語り部さんご自身
学生のお子さんもいて
ご家族全員と合流するまで
大変だったそうです震災遺構 旧陸前高田市立気仙中学校 名所・史跡
-
語り部さんが写真を示しながら
説明中
それを聞く私たち一同 -
【震災遺構 気仙中学校】
津波の高さは校舎の屋上を超え
14.2mに達していました震災遺構 旧陸前高田市立気仙中学校 名所・史跡
-
そのあと現在の小学校や
保育園のあるエリアにも行きました
かさ上げをした新しい街です -
かつて街があったとは
とても思えません
低地はキャンプ場になっていました -
ポツンと残る震災遺構が
まだまだありました -
壊れたまま保管されているようです
-
ローカルバスのバス停がありましたが
当然ながら
かさ上げした土地の上の方にありました -
この集合住宅の場合
津波は14.5mの高さだったようです
私の感覚では
3階以上に住んでいれば
水害を恐れることはないと思っていたのですが
5階まで達してますよね・・・ -
遠くに先ほどの水門がみえています
このように一面に何もない土地が広がっていました -
ダイサギでしょうか
群れて川岸にいました
こうしてみてる分には
穏やかでいい景色なのですが・・・ -
標識によれば
津波浸水区間
前方 1970m
後方 2340m -
【震災遺構 道の駅TAPIC45】
かつての道の駅は
建物がかろうじて残ったようです -
【新旧の道の駅】
手前が津波で震災遺構になってしまった道の駅
奥が今の道の駅 -
【道の駅】
一時間のツアーを終えて
道の駅に戻ってきました
ここで注文しておいたお弁当を受け取り
飲み物を買って
お土産も買って
次の目的地に向かいました -
バスの中でお弁当タイム
これで1500円でした
ボリュームがすごくて食べきれませんでした
もったいなかった・・・
時間がタイトだったので
車内でお弁当にしましたが
コロナ禍だったらできなかったと思うと
5類に引き下げられたあとで
良かったなと思いました
さてバスは 次の目的地 平泉へ
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ひでじいさんさん 2023/11/22 17:07:23
- お邪魔します。
- 私は3年前に福島&茨城の旅に行きました。海沿いの国道を南下したんですが景色はまだ修復中のようでした。相馬市伝承鎮魂祈念館 に行くと震災の資料が沢山あって心が痛くなりました。海沿いのお寺には多くの慰霊碑が有るようでしたが全部は廻れませんでした。
津波に攫われたのか平地が広がっていました。行く道筋には慰霊碑が多く、寄っていき線香を手向けてきました。原発の近くの国道沿いにはコンビニやパチンコ屋や食堂などの商店街があったようですが廃墟になっていて人が住まなくなったのかなあと推測しました。
黒い大きなビニール袋が沢山ありましたが汚染物でしょうか。
段々、復興して来てると感じました。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11664790/
- M-koku1さん からの返信 2023/11/23 03:21:58
- Re: お邪魔します。
- ひでじいさんさん
福島にいらしたのですね。原発事故の影響があった福島と、主に津波の破壊で被害を受けた宮城は、微妙に違うのかもしれませんね。
南三陸や、陸前高田は陸の奥の方まで4キロぐらい奥まで破壊力ある波が押し寄せたそうで、やはり空き地がたくさん広がっていました。
復興は少しずつ進んでいるようでした。怖がりの自分が訪れても大丈夫な程度の回復はしていました。
ホテルの中に震災時の写真や遺物が展示されていましたが、写真には取りませんでした。
被災者の御冥福をお祈りするばかりです。
Mより
-
- 毛利慎太朗さん 2023/11/13 17:50:05
- ホテル観洋などの思い出
- M-koku1さん、お久しぶりです。
この度は我が足元までお越しくださって頂いて、誠に有難うございます。
「ホテル観洋」、震災前に2度ほど泊まりましたな~懐かしいです。
「あわびの踊り焼き」にいたく感動していたみたいですが、父もそうでしたね~
それまで父は鮑を食わず嫌いだったので、その概念をくつがえしたというか。
それとお夕食に「浦霞」をマリアージュさせたのは流石です。
父、私の愛飲酒で、塩釜の酒蔵さんですね。
辛口とうたってる酒でもすっと優しい飲み口で、気に入ってます。
塩釜も、陸前高田や南三陸ほどではないにせよ、先の震災で町中が浸水したので、被災地にこうお金を落としていただいて、誠にありがとうございます。
陸前高田の津波伝承館には、一昨年にいきました。
ガイドさんが具体的な数字を仰ってて、無料で拝見できるわりには、ソフト面でもかなりレベルが高い施設で感動した覚えがあります。
南三陸や陸前高田、女川あたりは、震災遺構が結構残ってますよね…
逆に大槌みたいに解体してしまうところもありますよね~
保存か、あくまで被災者に寄り添うのか、そんなことを考えさせられる今回の内容だったかと思います…
最後に、次回は平泉ですか!
私の住む一関市の隣町ですね、あ、そういえば中尊寺の旅行記を公開したとき、芭蕉翁の旅立ちの地やら、中尊寺の宿坊について、いろいろコメント寄せて頂いておりましたね。
その際はありがとうございました、次回も楽しみに拝見したいと思います。
毛利慎太朗
- M-koku1さん からの返信 2023/11/15 09:08:27
- Re: ホテル観洋などの思い出
- 毛利慎太郎さん
いつも読んでくださってありがとうございます。一関は今回観光で立ち寄ることができませんでしたが、レンタカーは一関で借りました。
震災前にホテル観洋にとまられたんですね。岩盤の上に建てられた、いいホテルですね。昨今の狭くて便利系ホテルとは全く違う、余裕のあるスペースは開放的で、居心地良かったです。
震災時、あの昼食会場にも被災者が収容されていて、その数600人あまりだったとか。従業員の方々も家が被災しているにも関わらず、ホテルに缶詰になって、働き続けたそうです。頭が下がります。
痕跡が刺激的でなくなってから行こうと思っていたこのあたりですが、実際現地で波の高さを見ただけでも、貴重な経験だったと思いましたし、怖さを感じることができました。百聞は一見に如かずというのは本当ですね。
平泉観光は楽しかったです。
Mより
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