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いつ以来だろう<br />こんなご時世になり知多新四国八十八箇所霊場巡りも随分とご無沙汰していた。<br />夫婦共にワクチン接種も終え、感染防止に心がけながら久し振りに公共交通機関で巡る事にした。

知多新四国八十八箇所霊場番外 東光寺と亀崎のせこ道

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2021/09/24 - 2021/09/24

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旅行記グループ 知多四国霊場

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おやじさん

いつ以来だろう
こんなご時世になり知多新四国八十八箇所霊場巡りも随分とご無沙汰していた。
夫婦共にワクチン接種も終え、感染防止に心がけながら久し振りに公共交通機関で巡る事にした。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
  • JR金山から電車を乗り継ぎ今回の目的地の入口となるJR亀崎駅に降り立つ。<br />通勤・通学時間を避けきれず多少混んだりもしたがスムーズに到着できた。<br />亀崎駅まで来ると人はまばら、開放された気分に浸れる。<br /><br />JR亀崎駅は大府駅と武豊駅を結ぶJR武豊線の途中駅。<br />明治19年(1886)、県下で最初の鉄道である武豊線。<br />その開通にあわせ開業した駅のひとつで、駅舎は開業当時の姿を留め、2014年に跨線橋にはエレベーターが付くなどバリアフリー化され便利になりましたが、駅舎そのものは解体することなく、意図的にレトロな雰囲気を残した駅です。<br />今回は久し振りながら10㎞越えの道中、訛った体にはきつい距離かもしれない、のんびりを心掛ける。

    JR金山から電車を乗り継ぎ今回の目的地の入口となるJR亀崎駅に降り立つ。
    通勤・通学時間を避けきれず多少混んだりもしたがスムーズに到着できた。
    亀崎駅まで来ると人はまばら、開放された気分に浸れる。

    JR亀崎駅は大府駅と武豊駅を結ぶJR武豊線の途中駅。
    明治19年(1886)、県下で最初の鉄道である武豊線。
    その開通にあわせ開業した駅のひとつで、駅舎は開業当時の姿を留め、2014年に跨線橋にはエレベーターが付くなどバリアフリー化され便利になりましたが、駅舎そのものは解体することなく、意図的にレトロな雰囲気を残した駅です。
    今回は久し振りながら10㎞越えの道中、訛った体にはきつい距離かもしれない、のんびりを心掛ける。

    JR亀崎駅駅舎 名所・史跡

  • 亀崎駅前の案内板。<br />今回の目的地亀宝山 東光寺は赤丸部分になります。<br />知多四国八十八カ所巡りの起こり<br />814年(弘仁5)、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎から上陸し、同地医王寺と同町山海岩屋寺に滞在し、護摩修法された後、野間を経由し、陸路北上し伊勢路に向かったという。<br />弘法大師は知多の風景が四国に似ていることに驚いて「西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん 」と詠んだそうです。<br />知多四国は1809年(文政7)に開創され、知多半島を一周する順路をとる弘法大師の88ヶ所霊場です。

    亀崎駅前の案内板。
    今回の目的地亀宝山 東光寺は赤丸部分になります。
    知多四国八十八カ所巡りの起こり
    814年(弘仁5)、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎から上陸し、同地医王寺と同町山海岩屋寺に滞在し、護摩修法された後、野間を経由し、陸路北上し伊勢路に向かったという。
    弘法大師は知多の風景が四国に似ていることに驚いて「西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん 」と詠んだそうです。
    知多四国は1809年(文政7)に開創され、知多半島を一周する順路をとる弘法大師の88ヶ所霊場です。

  • 駅から真っすぐ東に進み亀崎相生交差点で左に進み、国道366号線を北上、上の写真の二股を右に進みます。

    駅から真っすぐ東に進み亀崎相生交差点で左に進み、国道366号線を北上、上の写真の二股を右に進みます。

  • その先の二股も右に進み、緩い上り坂を上りきります。

    その先の二股も右に進み、緩い上り坂を上りきります。

  • 坂を上りきると二股になり、右の下り坂を下っていくと上の写真のように左にスロープが現れます。<br />車で訪れた場合、ここから境内に入れますが、運転に自信がなければ避けた方が無難かも。

    坂を上りきると二股になり、右の下り坂を下っていくと上の写真のように左にスロープが現れます。
    車で訪れた場合、ここから境内に入れますが、運転に自信がなければ避けた方が無難かも。

  • 歩きの私たちはこのまま坂を少し下っていきます。<br />左手に僅かばかりの石段が見えてきます、そこが東光院の参道。<br />この坂は弘法坂と呼ばれ、坂は更に下へと延び、その先は亀崎相生交差点を直進した道に繋がります。

    歩きの私たちはこのまま坂を少し下っていきます。
    左手に僅かばかりの石段が見えてきます、そこが東光院の参道。
    この坂は弘法坂と呼ばれ、坂は更に下へと延び、その先は亀崎相生交差点を直進した道に繋がります。

  • 石段を上ると境内が広がり、正面が本堂、右が庫裏。<br />幟の立つ左の建物が遍照殿、その左手前に鐘楼の伽藍。<br />立地は東が切り立った崖、南が緩やかに下る弘法坂、私たちの歩い来た西も緩やかに下っています。<br />衣浦港に向かって伸びる台地の先端になるようです。

    石段を上ると境内が広がり、正面が本堂、右が庫裏。
    幟の立つ左の建物が遍照殿、その左手前に鐘楼の伽藍。
    立地は東が切り立った崖、南が緩やかに下る弘法坂、私たちの歩い来た西も緩やかに下っています。
    衣浦港に向かって伸びる台地の先端になるようです。

  • 境内右に控え柱が付いた手水舎、手水は休業中でした。

    境内右に控え柱が付いた手水舎、手水は休業中でした。

  • 方型屋根の鐘楼。

    方型屋根の鐘楼。

  • その手前に赤い前掛けと帽子を被せられた複数の地蔵が並ぶ。

    その手前に赤い前掛けと帽子を被せられた複数の地蔵が並ぶ。

  • 梵鐘。<br />見た目には新しいものに見える。

    梵鐘。
    見た目には新しいものに見える。

  • 池の間には<br />左 「夕焼け小焼け」の歌詞が刻まれ。<br />右 弘法大師御入廷1150年を記念し1984年(昭和59)に寄進されたのがこの梵鐘のようです。

    池の間には
    左 「夕焼け小焼け」の歌詞が刻まれ。
    右 弘法大師御入廷1150年を記念し1984年(昭和59)に寄進されたのがこの梵鐘のようです。

  • 遍照殿(弘法堂)と鐘楼全景。

    遍照殿(弘法堂)と鐘楼全景。

  • 東光寺は 西山浄土宗のお寺で山号は亀宝山と称し、知多新四国八十八箇所霊場に所縁の深い番外札所。<br />1903年(明治36)、和歌山県氷山東光寺より寺号と本尊を移し創建されたという。<br />開山は実空誠感上人、開基は久田文七によるとされ、本尊は阿弥陀如来。 <br /><br />写真は遍照殿(弘法堂)全景、右の建物が三体大師堂。<br />東光寺に訪れる前は古い建物を想像していたが、訪れて見ると比較的新しい建物でした。<br />1945年(昭和20)の三河地震で被災、本堂や遍照殿は倒壊。<br />1978年(昭和53)に本堂が再建され、<br />1980年(昭和55)に遍照殿の再建。<br />1995年(平成7)に三体大師堂再建。<br />2007年(平成19)本堂、納経所を改修。<br /><br />古い伽藍の印象を受けないのも、三河地震後に再建されたことによります。<br />この地震がもたらした深い傷跡は東光寺だけでは収まっていないだろう、その目線で見て行く事も必要なのかもしれない。<br />では本堂でお参りを済ませ弘法堂へ。

    東光寺は 西山浄土宗のお寺で山号は亀宝山と称し、知多新四国八十八箇所霊場に所縁の深い番外札所。
    1903年(明治36)、和歌山県氷山東光寺より寺号と本尊を移し創建されたという。
    開山は実空誠感上人、開基は久田文七によるとされ、本尊は阿弥陀如来。 

    写真は遍照殿(弘法堂)全景、右の建物が三体大師堂。
    東光寺に訪れる前は古い建物を想像していたが、訪れて見ると比較的新しい建物でした。
    1945年(昭和20)の三河地震で被災、本堂や遍照殿は倒壊。
    1978年(昭和53)に本堂が再建され、
    1980年(昭和55)に遍照殿の再建。
    1995年(平成7)に三体大師堂再建。
    2007年(平成19)本堂、納経所を改修。

    古い伽藍の印象を受けないのも、三河地震後に再建されたことによります。
    この地震がもたらした深い傷跡は東光寺だけでは収まっていないだろう、その目線で見て行く事も必要なのかもしれない。
    では本堂でお参りを済ませ弘法堂へ。

  • 遍照殿入口。<br />軒先の鰐口と額、ガラス越しに内部に多くの像が安置されているのが分る。<br />

    遍照殿入口。
    軒先の鰐口と額、ガラス越しに内部に多くの像が安置されているのが分る。

  • 扁額には遍照殿と刻まれています。

    扁額には遍照殿と刻まれています。

  • 左から遍照殿内の眺め。

    左から遍照殿内の眺め。

  • 中央に厨子があり、その左右には弘法大師誕生から入定までの62年間の姿を、1年を一体に表現した62体の弘法様が鎮座しています。

    中央に厨子があり、その左右には弘法大師誕生から入定までの62年間の姿を、1年を一体に表現した62体の弘法様が鎮座しています。

  • 「年弘法」とも呼ばれ、両手、両足、口にまで筆をくわえた書の名人弘法大師の姿がある。<br />あの姿を見ると「弘法にも筆の誤り」と言うけれど、そりゃぁ間違えもするさと思えてくる。<br />一体〃見ていくと空海の人生そのもののを垣間見ることができるかも。

    「年弘法」とも呼ばれ、両手、両足、口にまで筆をくわえた書の名人弘法大師の姿がある。
    あの姿を見ると「弘法にも筆の誤り」と言うけれど、そりゃぁ間違えもするさと思えてくる。
    一体〃見ていくと空海の人生そのもののを垣間見ることができるかも。

  • 遍照殿右の三体大師堂内部。<br />陶器製と思われる三体の大師像が安置されています。<br /><br />左から厄除大師(災難除け弘法)、五鈷杵と宝剣を持つ大師像です<br />中央で宝珠を持つ像が日限大師(期限を区切って願う日限弘法)。<br />右の五鈷杵を持つ像が招福大師(福を招く弘法)。<br /><br />既にかみさんはお経も唱え、納経印を手にして待ってくれています。<br />そろそろ東光寺を後にして次に向かう事にします。

    遍照殿右の三体大師堂内部。
    陶器製と思われる三体の大師像が安置されています。

    左から厄除大師(災難除け弘法)、五鈷杵と宝剣を持つ大師像です
    中央で宝珠を持つ像が日限大師(期限を区切って願う日限弘法)。
    右の五鈷杵を持つ像が招福大師(福を招く弘法)。

    既にかみさんはお経も唱え、納経印を手にして待ってくれています。
    そろそろ東光寺を後にして次に向かう事にします。

  • この時期イチョウの樹の下は銀杏でいっぱい、参道は黄色に染まっている。<br />境内入口の赤い灯篭、とても目立つ存在で東光寺のシンボルとでも言ってもいいかもしれない。<br />銀杏を踏まない様に気を付けて次の目的地に向かいます。

    この時期イチョウの樹の下は銀杏でいっぱい、参道は黄色に染まっている。
    境内入口の赤い灯篭、とても目立つ存在で東光寺のシンボルとでも言ってもいいかもしれない。
    銀杏を踏まない様に気を付けて次の目的地に向かいます。

  • 亀宝山 東光寺納経印<br />知多新四国八十八箇所霊場 番外<br />西山浄土宗 亀宝山 東光寺<br />宗派 / 西山浄土宗<br />創建 / 1903年(明治36)<br />本尊 / 阿弥陀如来<br />所在地 / 半田市亀崎月見町三丁目十四番地<br />公共交通機関アクセス / JR金山・東海道本線「大府」・武豊線「亀崎」徒歩約10分<br />

    亀宝山 東光寺納経印
    知多新四国八十八箇所霊場 番外
    西山浄土宗 亀宝山 東光寺
    宗派 / 西山浄土宗
    創建 / 1903年(明治36)
    本尊 / 阿弥陀如来
    所在地 / 半田市亀崎月見町三丁目十四番地
    公共交通機関アクセス / JR金山・東海道本線「大府」・武豊線「亀崎」徒歩約10分

  • 東光寺から次の札所に向かう道すがら、東光寺に続く坂「弘法坂」の手前に小さなお堂を見つけました。<br />亀崎町内でこうした地蔵を安置した祠を見かけることになります。<br /><br />亀崎は古くからの町で、漁業や回船、醸造などが発祥し、それらが町の発展に寄与した時代もありました。特に現在の海岸線を走る国道から一本中に入った仲町通りの道筋や街並みに昔の名残を感じます。<br />こうした場所に普段見かけることない光景が目に入ってきます。<br />それは少し古めの民家で見かけます、屋根神様のように、建物の壁面に小さなお堂が作られ、そこに地蔵が祀られている光景です。<br />中には新築間もない民家でもお地蔵様のスペースが与えられていたりする。<br />こうした地蔵は鬼門地蔵と呼ぶそうだ。<br />自分自身鬼門や風水は気にしない方、鬼門とは鬼が出入りすると云われる北東の方角を指し、陰陽道では古来から忌み嫌う方角。<br />この亀崎には家々の鬼門にあたる場所に祠やお堂が祀られている。<br />それらは一部を除き公共の物ではなく個人所有のもの、ずか〃入り込んで写真を撮るのは少し違うかもしれない。<br /><br />そんな個人所有の地蔵ですが、町内各所や町内の井戸あたりに公共の地蔵が祀られています。<br />上は弘法坂の手前左に祀られた地蔵堂、これは公共の地蔵だと思われます。

    東光寺から次の札所に向かう道すがら、東光寺に続く坂「弘法坂」の手前に小さなお堂を見つけました。
    亀崎町内でこうした地蔵を安置した祠を見かけることになります。

    亀崎は古くからの町で、漁業や回船、醸造などが発祥し、それらが町の発展に寄与した時代もありました。特に現在の海岸線を走る国道から一本中に入った仲町通りの道筋や街並みに昔の名残を感じます。
    こうした場所に普段見かけることない光景が目に入ってきます。
    それは少し古めの民家で見かけます、屋根神様のように、建物の壁面に小さなお堂が作られ、そこに地蔵が祀られている光景です。
    中には新築間もない民家でもお地蔵様のスペースが与えられていたりする。
    こうした地蔵は鬼門地蔵と呼ぶそうだ。
    自分自身鬼門や風水は気にしない方、鬼門とは鬼が出入りすると云われる北東の方角を指し、陰陽道では古来から忌み嫌う方角。
    この亀崎には家々の鬼門にあたる場所に祠やお堂が祀られている。
    それらは一部を除き公共の物ではなく個人所有のもの、ずか〃入り込んで写真を撮るのは少し違うかもしれない。

    そんな個人所有の地蔵ですが、町内各所や町内の井戸あたりに公共の地蔵が祀られています。
    上は弘法坂の手前左に祀られた地蔵堂、これは公共の地蔵だと思われます。

  • このお堂から左手の小高い高台にある秋葉社を目指し歩いていきます。

    このお堂から左手の小高い高台にある秋葉社を目指し歩いていきます。

  • 路の右隅に井戸があり、その傍らにもお堂が建っていました。<br />井戸は現在も生きていて、防災用としての役割を担っているようで、亀崎ではこうした道端に井戸を見かけます。この地蔵は恐らく地域の地蔵だと思います。<br />こうした地蔵堂、JR亀崎駅から東光寺までの比較的区割りの進んだ地域では目にしませんでしたが、東光寺から弘法坂を下り、古い区割りの細い路地に入るにしたがって目につくようになります。<br />車では通れない、人もすれ違うのに気を遣う細い路地、地元では「せこみち」と呼ばれることもあるそうです。

    路の右隅に井戸があり、その傍らにもお堂が建っていました。
    井戸は現在も生きていて、防災用としての役割を担っているようで、亀崎ではこうした道端に井戸を見かけます。この地蔵は恐らく地域の地蔵だと思います。
    こうした地蔵堂、JR亀崎駅から東光寺までの比較的区割りの進んだ地域では目にしませんでしたが、東光寺から弘法坂を下り、古い区割りの細い路地に入るにしたがって目につくようになります。
    車では通れない、人もすれ違うのに気を遣う細い路地、地元では「せこみち」と呼ばれることもあるそうです。

  • 地蔵さんのアップ。<br />帽子や前掛けをかけられた地蔵さん、その表情はそれぞれ特徴があり、このお地蔵さんの表情はなんだかこちらを見てに「ニヤッ」とほほ笑んでいるように見える。<br />井戸は日常使いとして利用されているのか分からないけれど、日常使われているとすれば井戸を中心とした交流の場となっているのかもしれない。<br />これらのお地蔵さまに供えられている花を見ても、枯れたものはなく、日々世話をしてもらっているようだ、人の集う身近なところにお地蔵さまがいる、個人宅の鬼門地蔵はもっと身近な存在なんだろう。<br /><br />新しい住宅が増え街並みは変わろうとしているけれど、それでも黒壁の建物が残る街並みに鬼門地蔵の祠のある光景はなくしてしまったひと昔前の光景を見るようだ。<br />なんとなく、道端で道祖神を見かける信州でも歩いている感覚になる。<br /><br />道草ばかりしてられない、かみさんは次の札所に向けどんどん先を行く。<br />こんどゆっくりみて回る事にして先に進もう。<br />鬼門地蔵<br />東光寺からの道筋 /  徒歩2~3分

    地蔵さんのアップ。
    帽子や前掛けをかけられた地蔵さん、その表情はそれぞれ特徴があり、このお地蔵さんの表情はなんだかこちらを見てに「ニヤッ」とほほ笑んでいるように見える。
    井戸は日常使いとして利用されているのか分からないけれど、日常使われているとすれば井戸を中心とした交流の場となっているのかもしれない。
    これらのお地蔵さまに供えられている花を見ても、枯れたものはなく、日々世話をしてもらっているようだ、人の集う身近なところにお地蔵さまがいる、個人宅の鬼門地蔵はもっと身近な存在なんだろう。

    新しい住宅が増え街並みは変わろうとしているけれど、それでも黒壁の建物が残る街並みに鬼門地蔵の祠のある光景はなくしてしまったひと昔前の光景を見るようだ。
    なんとなく、道端で道祖神を見かける信州でも歩いている感覚になる。

    道草ばかりしてられない、かみさんは次の札所に向けどんどん先を行く。
    こんどゆっくりみて回る事にして先に進もう。
    鬼門地蔵
    東光寺からの道筋 / 徒歩2~3分

  • 写真は亀崎の生活道路、亀崎の奥まったところは「せこ道」と呼ばれるこうした細い道が毛細血管の様に伸びている。<br />車?、車体を擦る覚悟と人の飛び出しに恐れながら突っ込む事は出来るかもしれない、一方通行も進入禁止などの規制看板も無いようですが、それは必要ないからだと思います。

    写真は亀崎の生活道路、亀崎の奥まったところは「せこ道」と呼ばれるこうした細い道が毛細血管の様に伸びている。
    車?、車体を擦る覚悟と人の飛び出しに恐れながら突っ込む事は出来るかもしれない、一方通行も進入禁止などの規制看板も無いようですが、それは必要ないからだと思います。

  • 亀崎の町のメインストリート仲間通りから秋葉社が鎮座する小高い丘を眺める。<br />ここまで下りると、ここから海のある左には高い所はなく平坦な土地が続きます。<br />亀崎町には古くから亀崎潮干祭が受け継がれ、ユネスコ無形文化財に指定されています。<br />毎年5月、町内の各組が受け継いできた5両の山車が、干潮の海辺まで曳き回されそうだ。<br />仲間通りにはその日の出番を待つ山車を保管する保管庫が点在しています。<br /><br />写真は神楽車の保管庫、現在の神楽車は1837年(天保8)のもので、古い山車は元禄~享保年間(1688~1736)に造られたという。<br />普段は扉が閉ざされ実車が見れないのは残念だ。

    亀崎の町のメインストリート仲間通りから秋葉社が鎮座する小高い丘を眺める。
    ここまで下りると、ここから海のある左には高い所はなく平坦な土地が続きます。
    亀崎町には古くから亀崎潮干祭が受け継がれ、ユネスコ無形文化財に指定されています。
    毎年5月、町内の各組が受け継いできた5両の山車が、干潮の海辺まで曳き回されそうだ。
    仲間通りにはその日の出番を待つ山車を保管する保管庫が点在しています。

    写真は神楽車の保管庫、現在の神楽車は1837年(天保8)のもので、古い山車は元禄~享保年間(1688~1736)に造られたという。
    普段は扉が閉ざされ実車が見れないのは残念だ。

  • こちらは力神車の保管庫、中に保管されている力神車は1826年(文政9)に造られたものだそうだ。<br />このほかに青龍、宮本、花王などの山車の保管庫がある。<br />せこ道にこの保管庫を作れないわねぇ、せこ道に車で立ち入る冒険はやめた方がいい。<br />そのおかげで民家が立ち並ぶ「せこ道」を歩いていてもとても静か、車の騒音からも解放され、玄関先で子供達が遊んでいても安心して見ていられる。

    こちらは力神車の保管庫、中に保管されている力神車は1826年(文政9)に造られたものだそうだ。
    このほかに青龍、宮本、花王などの山車の保管庫がある。
    せこ道にこの保管庫を作れないわねぇ、せこ道に車で立ち入る冒険はやめた方がいい。
    そのおかげで民家が立ち並ぶ「せこ道」を歩いていてもとても静か、車の騒音からも解放され、玄関先で子供達が遊んでいても安心して見ていられる。

  • 仲間通りを東へ道なり進み、亀崎町のほぼ中央に位置する場所に地域のお地蔵さん「半七地蔵」が安置されてています。<br />各家庭の外壁に祀り管理する鬼門地蔵に対し、こうした地域で世話をする地蔵地蔵もある、そうしたお堂は、せこ道や仲間通り沿いなどの公共の道に建てられているようです。<br />それも片隅に追いやられ建てられているとかでなく、井戸の傍であったり、道路を塞ぐように建てられていたりする。<br />地蔵信仰が厚いのだろうか、一帯で見かける石像の大半はお地蔵さんが多く安置されている。

    仲間通りを東へ道なり進み、亀崎町のほぼ中央に位置する場所に地域のお地蔵さん「半七地蔵」が安置されてています。
    各家庭の外壁に祀り管理する鬼門地蔵に対し、こうした地域で世話をする地蔵地蔵もある、そうしたお堂は、せこ道や仲間通り沿いなどの公共の道に建てられているようです。
    それも片隅に追いやられ建てられているとかでなく、井戸の傍であったり、道路を塞ぐように建てられていたりする。
    地蔵信仰が厚いのだろうか、一帯で見かける石像の大半はお地蔵さんが多く安置されている。

  • 仲町地蔵。<br />先の半七地蔵同様に仲町地蔵も地域の地蔵。<br />里地蔵、半七地蔵、中町地蔵など地区管理の地蔵もあれば、個人宅の鬼門封じとして祀られた鬼門地蔵など、普段の生活とお地蔵様は身近に関わりあっている。<br />それだけに鬼門地蔵を訪れる際はモラルを守らないといけない。

    仲町地蔵。
    先の半七地蔵同様に仲町地蔵も地域の地蔵。
    里地蔵、半七地蔵、中町地蔵など地区管理の地蔵もあれば、個人宅の鬼門封じとして祀られた鬼門地蔵など、普段の生活とお地蔵様は身近に関わりあっている。
    それだけに鬼門地蔵を訪れる際はモラルを守らないといけない。

  • 旧師崎街道に沿って北東方向に伸びる通りの光景。<br />黒壁の家屋が残る光景には街道の名残が漂い、一歩中に踏み入ると漁師町の風情が漂っている。<br />老舗の料亭や古民家を改装したカフェなどがある。<br />そうした町並みも、建て替え時期を迎えた家もあり、町の表情は少しずつ変わりつつある。<br /><br />それと共に鬼門地蔵の数も減少しているようで、やがては姿を消してしまうのかな。<br />歴史ある山車や祭りを受け継いできた亀崎の町、そんなことはないだろう。<br /><br />写真は仲間通りから神前神社方向の眺め、知多新四国霊場 五十四番札所<br />亀嶺山 海潮院もほど近い。

    旧師崎街道に沿って北東方向に伸びる通りの光景。
    黒壁の家屋が残る光景には街道の名残が漂い、一歩中に踏み入ると漁師町の風情が漂っている。
    老舗の料亭や古民家を改装したカフェなどがある。
    そうした町並みも、建て替え時期を迎えた家もあり、町の表情は少しずつ変わりつつある。

    それと共に鬼門地蔵の数も減少しているようで、やがては姿を消してしまうのかな。
    歴史ある山車や祭りを受け継いできた亀崎の町、そんなことはないだろう。

    写真は仲間通りから神前神社方向の眺め、知多新四国霊場 五十四番札所
    亀嶺山 海潮院もほど近い。

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