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鶴岡八幡宮の境内社「旗上辨戝天社」から舞殿方向に進むと、左右に伸びる流鏑馬馬場が現れます。<br />そこから右に進むと鶴岡八幡宮境境内社の末社「白旗神社」・摂社「若宮」に向かいます。

鶴岡八幡宮境内社「白旗神社」・「若宮」・「祖霊社」

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2023/04/18 - 2023/04/18

5313位(同エリア7086件中)

旅行記グループ 神奈川県一ノ宮巡り

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kimi shinさん

鶴岡八幡宮の境内社「旗上辨戝天社」から舞殿方向に進むと、左右に伸びる流鏑馬馬場が現れます。
そこから右に進むと鶴岡八幡宮境境内社の末社「白旗神社」・摂社「若宮」に向かいます。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩

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  • 鶴岡八幡宮の境内社「旗上(はたあげ)辨戝天社」から舞殿方向に進むと、左右に伸びる流鏑馬馬場が現れます。<br />そこから右に進み鶴岡八幡宮境境内社の末社「白旗神社」・摂社「若宮」に向かい、次に境内社の祖霊社をます。<br />マップの右の赤丸が白旗神社、その左が若宮で、一番左が祖霊社の鎮座地になります。

    鶴岡八幡宮の境内社「旗上(はたあげ)辨戝天社」から舞殿方向に進むと、左右に伸びる流鏑馬馬場が現れます。
    そこから右に進み鶴岡八幡宮境境内社の末社「白旗神社」・摂社「若宮」に向かい、次に境内社の祖霊社をます。
    マップの右の赤丸が白旗神社、その左が若宮で、一番左が祖霊社の鎮座地になります。

  • 流鏑馬馬場を進むと左側に鳥居と石畳の参道が奥に伸びています。<br />この先が「白旗神社」に続きます。

    流鏑馬馬場を進むと左側に鳥居と石畳の参道が奥に伸びています。
    この先が「白旗神社」に続きます。

  • 参道右に控え柱の付く手水舎。<br />かつての鶴岡八幡宮は神仏混交の一大伽藍を持ち、境内には大塔などの仏教施設がありました。

    参道右に控え柱の付く手水舎。
    かつての鶴岡八幡宮は神仏混交の一大伽藍を持ち、境内には大塔などの仏教施設がありました。

  • 享保17年(1732)に描かれた境内図鶴岡八幡宮境内絵図では、明治以前(神仏分離以前)の境内の様子が描かれています。<br />それらは後の神仏分離により取り壊されます。<br />この手水鉢には神仏混交時の名残を感じさせるものがあります。

    享保17年(1732)に描かれた境内図鶴岡八幡宮境内絵図では、明治以前(神仏分離以前)の境内の様子が描かれています。
    それらは後の神仏分離により取り壊されます。
    この手水鉢には神仏混交時の名残を感じさせるものがあります。

  • 手水舎から流鏑馬馬場方向の眺め。

    手水舎から流鏑馬馬場方向の眺め。

  • 鶴岡八幡宮末社「白旗神社」<br />広い鶴岡八幡宮の境内、上宮に向かう大石段の右手側に鎮座します。<br />訪れたのが1月18日という事もあり、周囲の樹々はまだ〃冬枯れたものですが、今頃は芽吹きを迎え、鮮やかな緑一色に包まれているでしょう。<br />朝とは言え、上宮へ参拝に訪れる方の姿はありますが、大石段の右に鎮座する若宮や白旗神社を訪れる方の姿はほゞ見かけず、静かな一日の始まりを迎えています。

    鶴岡八幡宮末社「白旗神社」
    広い鶴岡八幡宮の境内、上宮に向かう大石段の右手側に鎮座します。
    訪れたのが1月18日という事もあり、周囲の樹々はまだ〃冬枯れたものですが、今頃は芽吹きを迎え、鮮やかな緑一色に包まれているでしょう。
    朝とは言え、上宮へ参拝に訪れる方の姿はありますが、大石段の右に鎮座する若宮や白旗神社を訪れる方の姿はほゞ見かけず、静かな一日の始まりを迎えています。

  • 白旗神社全景。<br />同じ社名の大蔵「白旗神社」は頼朝公をお祀りしていましたが、境内の白旗神社の御祭神は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝と子で三代将軍の実朝公の二柱をお祀りし、「武衛殿」とも呼ばれる。<br />社殿は黒漆塗りで、一部に金箔の貼られたシックで落ち着いた外観が印象的です。

    白旗神社全景。
    同じ社名の大蔵「白旗神社」は頼朝公をお祀りしていましたが、境内の白旗神社の御祭神は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝と子で三代将軍の実朝公の二柱をお祀りし、「武衛殿」とも呼ばれる。
    社殿は黒漆塗りで、一部に金箔の貼られたシックで落ち着いた外観が印象的です。

  • 社殿は銅葺屋根の切妻平入の社殿に長い唐破風向拝が付くもので、所謂拝殿に該当する建物は付属していません。<br />右手の解説。<br />白旗神社<br />御祭神 源頼朝命、源実朝命<br />例祭日 5月28日<br />必勝、学業成就の御神徳があり、今も篤く崇敬されているようです。

    社殿は銅葺屋根の切妻平入の社殿に長い唐破風向拝が付くもので、所謂拝殿に該当する建物は付属していません。
    右手の解説。
    白旗神社
    御祭神 源頼朝命、源実朝命
    例祭日 5月28日
    必勝、学業成就の御神徳があり、今も篤く崇敬されているようです。

  • 柳原神池側から見る社殿、向拝の長さを強調するにはもう少し横から見たいものです。

    柳原神池側から見る社殿、向拝の長さを強調するにはもう少し横から見たいものです。

  • 黒塗りの破風に金色の笹竜胆がアクセントになっている。

    黒塗りの破風に金色の笹竜胆がアクセントになっている。

  • 弁柄で塗られた向拝の内側は梁や斗供は黒漆で塗られ、黒地に施された彩色がより鮮やかに見え、品のよさを感じさせるもの。

    弁柄で塗られた向拝の内側は梁や斗供は黒漆で塗られ、黒地に施された彩色がより鮮やかに見え、品のよさを感じさせるもの。

  • 白旗神社の創建は、正治2年(1200)に朝廷より「白旗大明神」の神号を賜り、源頼朝を祭神として、北条政子が上宮西側に創建したと伝わるようですが、これには諸説あるようです。<br />現在の鎮座地は、明治以前までは薬師堂が鎮座していたようです。<br />後の神仏分離令に伴い、明治18年(1885)に実朝を祀っていた柳営社を合祀し現在地に遷座したようです。<br />その後の修復暦は分かりませんが、一部に彩色の剥離などありますが全体的に綺麗な社殿です。<br /><br />白旗神社<br />創建 / 正治2年(1200)<br />遷座 / 明治18年(1885)<br />祭神 / 源頼朝命、源実朝命<br />例祭日 / 5月28日<br />所在地 / 鎌倉市雪ノ下2-1

    白旗神社の創建は、正治2年(1200)に朝廷より「白旗大明神」の神号を賜り、源頼朝を祭神として、北条政子が上宮西側に創建したと伝わるようですが、これには諸説あるようです。
    現在の鎮座地は、明治以前までは薬師堂が鎮座していたようです。
    後の神仏分離令に伴い、明治18年(1885)に実朝を祀っていた柳営社を合祀し現在地に遷座したようです。
    その後の修復暦は分かりませんが、一部に彩色の剥離などありますが全体的に綺麗な社殿です。

    白旗神社
    創建 / 正治2年(1200)
    遷座 / 明治18年(1885)
    祭神 / 源頼朝命、源実朝命
    例祭日 / 5月28日
    所在地 / 鎌倉市雪ノ下2-1

  • 鶴亀石(左)と由比若宮遙拝所(右)<br />白旗神社から若宮方向に続く参道左側にあり、鶴亀石と称する二つの石が安置されています。<br />神社の解説によれば、この石を水で洗うと鶴亀のような紋様が現れるそうで、天保12年(1841)に編纂された「相模国風土記稿」の中にも鶴亀石は記されているようです。<br />由比若宮遙拝所は八幡宮の元宮である由比若宮をここから遥拝する場。<br /><br />更に左に進み若宮へ。

    鶴亀石(左)と由比若宮遙拝所(右)
    白旗神社から若宮方向に続く参道左側にあり、鶴亀石と称する二つの石が安置されています。
    神社の解説によれば、この石を水で洗うと鶴亀のような紋様が現れるそうで、天保12年(1841)に編纂された「相模国風土記稿」の中にも鶴亀石は記されているようです。
    由比若宮遙拝所は八幡宮の元宮である由比若宮をここから遥拝する場。

    更に左に進み若宮へ。

  • その先に見えてくるのが若宮。<br />正面には舞殿の姿が現れます。

    その先に見えてくるのが若宮。
    正面には舞殿の姿が現れます。

  • 大石段の右側に鎮座する若宮全景。<br />入母屋造りの拝殿と幣殿が連なり、その奥の切妻造りの本殿へ連なる権現造りのようで各々銅葺屋根。<br />何処から見ても本殿の全容が掴めませんが、文化庁DBによれば五間社流造と記されていました。<br /><br />黒を基調としたシックな外観の白旗神社に対し、朱で彩られた若宮の外観は、そこかしこに金色の飾り金具が施され、華やかな印象を受けます。

    大石段の右側に鎮座する若宮全景。
    入母屋造りの拝殿と幣殿が連なり、その奥の切妻造りの本殿へ連なる権現造りのようで各々銅葺屋根。
    何処から見ても本殿の全容が掴めませんが、文化庁DBによれば五間社流造と記されていました。

    黒を基調としたシックな外観の白旗神社に対し、朱で彩られた若宮の外観は、そこかしこに金色の飾り金具が施され、華やかな印象を受けます。

  • 若宮に祀られる祭神は応神天皇の御子、仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命の四柱が祀られ、ご利益は子授け・安産・子宝、必勝、安全祈願などのようです。

    若宮に祀られる祭神は応神天皇の御子、仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命の四柱が祀られ、ご利益は子授け・安産・子宝、必勝、安全祈願などのようです。

  • 手前の授与所と若宮妻側の眺め、若宮には左三つ巴の紋が入る。<br />若宮は源頼朝が治承4年(1180)に鶴岡若宮新宮として創建、一時期に於て鶴岡八幡宮の中心的な建物だった。<br />治承5年(1181)、鶴岡八幡宮の本格的な社殿の建立の後に鶴岡若宮と改められる。<br />建久2年3月(1191)、鎌倉大火で多くの社殿と共に若宮は消失、すぐに再建に動き出す。<br />建久2年11月(1191)、再建を終えると共に、京都岩清水八幡宮の御神霊を改めて勧請する。<br />現社殿は、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠により行われた鶴岡八幡宮の大改修時のもので、寛永元年(1624)に建立されたものとされ、直近では令和元年(2019)に塗りなど補修の手が入っているようです。<br /><br />鶴岡八幡宮摂社若宮<br />創建 / 治承4年(1180)<br />元社殿 / 寛永元年(1624)<br />祭神 / 仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命<br />所在地 / 鎌倉市雪ノ下2-1<br /><br />さてここから目の前の舞殿や本宮に向かいたいところですが、その前に舞殿の前を横切って境内の左の祖霊社に向かいます。

    手前の授与所と若宮妻側の眺め、若宮には左三つ巴の紋が入る。
    若宮は源頼朝が治承4年(1180)に鶴岡若宮新宮として創建、一時期に於て鶴岡八幡宮の中心的な建物だった。
    治承5年(1181)、鶴岡八幡宮の本格的な社殿の建立の後に鶴岡若宮と改められる。
    建久2年3月(1191)、鎌倉大火で多くの社殿と共に若宮は消失、すぐに再建に動き出す。
    建久2年11月(1191)、再建を終えると共に、京都岩清水八幡宮の御神霊を改めて勧請する。
    現社殿は、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠により行われた鶴岡八幡宮の大改修時のもので、寛永元年(1624)に建立されたものとされ、直近では令和元年(2019)に塗りなど補修の手が入っているようです。

    鶴岡八幡宮摂社若宮
    創建 / 治承4年(1180)
    元社殿 / 寛永元年(1624)
    祭神 / 仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、磐之媛命
    所在地 / 鎌倉市雪ノ下2-1

    さてここから目の前の舞殿や本宮に向かいたいところですが、その前に舞殿の前を横切って境内の左の祖霊社に向かいます。

  • 祖霊社。<br />舞殿左の杜の中にひっそりと佇んでおり、社頭は舞殿手前の左に写真のような参道が伸びています。

    祖霊社。
    舞殿左の杜の中にひっそりと佇んでおり、社頭は舞殿手前の左に写真のような参道が伸びています。

  • 参道はこの先で右に伸びています。

    参道はこの先で右に伸びています。

  • 朝の祖霊社周辺の杜は聞き慣れない鳥のような鳴き声が周囲から聞こえてきます。<br />かみさんと二人で鳴き声の主を探していると、覆い被さるような樹々の枝を駆けまわる小さな影を見付けました。<br />なかなかじっとしてもらえず、漸くとらえたのが上の写真。<br />ふさふさとした尾を持つリスらしき姿を捉える事ができた、鳴き声の主はどうやらこの方らしい。<br />群れをなし、樹々を駆け回り、お互いに「怪しい二人組が来たぞ」とばかり鳴き合っている。<br />その動きの速さに動体視力が追い付かない。<br />

    朝の祖霊社周辺の杜は聞き慣れない鳥のような鳴き声が周囲から聞こえてきます。
    かみさんと二人で鳴き声の主を探していると、覆い被さるような樹々の枝を駆けまわる小さな影を見付けました。
    なかなかじっとしてもらえず、漸くとらえたのが上の写真。
    ふさふさとした尾を持つリスらしき姿を捉える事ができた、鳴き声の主はどうやらこの方らしい。
    群れをなし、樹々を駆け回り、お互いに「怪しい二人組が来たぞ」とばかり鳴き合っている。
    その動きの速さに動体視力が追い付かない。

  • しんと静まり返った杜の中に佇む祖霊社。<br />鶴岡八幡宮の氏子崇敬者の祖霊と護国の英霊を祀り、昭和24年に建立されたもの。<br />例祭日 春分の日・秋分の日<br /><br />こちらの参拝を済ませ、舞殿から本宮(上宮)に向かう事にします。

    しんと静まり返った杜の中に佇む祖霊社。
    鶴岡八幡宮の氏子崇敬者の祖霊と護国の英霊を祀り、昭和24年に建立されたもの。
    例祭日 春分の日・秋分の日

    こちらの参拝を済ませ、舞殿から本宮(上宮)に向かう事にします。

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