2023/01/17 - 2023/01/17
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建長寺から鶴岡八幡宮末社「今宮」へは、県道21号線沿いに鶴岡八幡宮に続く下り坂を徒歩10分ほど進みます。
鶴岡八幡宮参拝者駐車場の手前で左に進み、突き当りを左に進みます、両脇に点在する住宅に続く路地の突き当りが今宮の社頭になります。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
-
建長寺から鶴岡八幡宮末社「今宮」へは、県道21号線沿いに鶴岡八幡宮に続く下り坂を徒歩10分ほど進みます。
鶴岡八幡宮参拝者駐車場の手前で左に進み、突き当りを左に進みます、両脇に点在する住宅に続く路地の突き当りが今宮の社頭になります。
聳え立つ樹々が背後に迫り、鎮座地は鶴岡八幡宮境内の最深部に位置します。 -
社頭。
左に史跡鶴岡八幡宮境内「新宮」の案内板があり、朱の明神鳥居の先に社殿がひっそりと佇んでいます。 -
社殿正面全景。
想像していたより新しく綺麗な社殿で、右手に今宮の祭神が記された案内板が立つ。 -
源頼朝亡き後、北条義時・北条政子と後鳥羽上皇が争った承久の変(1221)、戦に敗れた後鳥羽上皇、土御門天皇、順徳天皇は流罪となり、延応元年(1239)後鳥羽上皇が隠岐で亡くなると、天変地異や飢饉、疫病が起こり、鎌倉でも北条泰時が病に伏せるなど、承久の変で京都に関わった北条泰時(1242)、北条時房(1240)、三浦義村(1239)など次々と他界。
後の宝治元年(1247)の宝治合戦の争乱、天変地異や飢饉、疫病は続き、度々改元されましたが、これらの禍の根源が亡くなった上皇達の祟りだとされ、その怨霊を鎮めるために祀られたが社が今宮とされます。 -
今宮の鎮座地は人で溢れ喧騒とした雰囲気の鶴岡八幡宮境内とはかけ離れ、同じ境内ながら訪れる参拝客はなく静寂に包まれた空間が広がる。
ここに至る道筋にそれらしい案内板も見当たらず、ここが鶴岡八幡宮の末社とは思えない。
唯一それと分かるのは、この鶴の紋と文化財の看板くらいだろうか。 -
現在の社は令和元年(2019)の台風で被災し、同3年に再建された素木の銅板葺一間流れ造りのもので、木の香りが漂う新しい社。
江戸時代の徳川光圀が当地を訪れた際に記録、編纂された「新編鎌倉志」、ここに今宮の記述があり、「社の後ろは深谷なり、一根にして六本に分かれた大杉あり。魔境にて、天狗ここに住むという」と記されていると云う。
訪れた時には、六本に分かれた大杉は存在しませんでしたが、深い杜は今も保存され、天狗が住みそうな雰囲気は漂っています。 -
境内に建てられた「今宮」の石碑。
昭和4年(1929)に建てられたもので、碑文の内容を要約すると以下のようなもの。
「四條天皇の時代である延応元年(1239)、鎌倉では様々な諍い事があり。
特にその年の5月22日には大騒動が起きたと云う。
この日は後鳥羽上皇が隠岐にて崩御し、こうした諍いはその怨念だとされた。
宝治元年(1247)4月に大臣山(鶴岡八幡宮が鎮座する山)の西麓に今宮を建て、尊霊を勧請し、順徳院と護持僧長賢の霊を合祀。
長賢は、承久の役の官軍(後鳥羽天皇側)に属し奮戦、後に捕まり陸奥に流刑されたと云う。
今宮は新宮と書く」
後鳥羽上皇が配流先の隠岐で亡くなったのは延応元年2月22日で、2月25日に埋葬とも言われます。 -
今宮を取巻く社叢。
多くの観光バスが行き交う県道から少し入っただけですが、今宮の空間は時が止まった様に静まり返っていました。
鶴岡八幡宮末社 今宮
創建 / 宝治元年(1247)1247年令和3年に竣工
祭神 / 後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
所在地 / 神奈川県鎌倉市18
建長寺から今宮徒歩ルート / 県道21号線沿いを鶴岡八幡宮方向に約10分 -
鎌倉の中心といえる鶴岡八幡宮の境内社「旗上(はたあげ)辨戝天社」
三ノ鳥居をくぐり、参道を挟んで左右にある二つの池「平家池」と「源氏池」その源氏池の中の島に鎮座します。 -
当日の鶴岡八幡宮は15時近くとなり、境内は混みあっており、鶴岡八幡宮参拝は鎌倉二日目の早朝として、宮境内社の「旗上(はたあげ)辨戝天社」だけ参拝し宿に向かいました。
写真は翌朝に撮った太鼓橋から眺めた本宮。 -
鶴岡八幡宮の境内マップ。
左上の破線は先に参拝を済ませた今宮で下の二つの丸が今回掲載する、太鼓橋と旗上(はたあげ)辨戝天社。 -
鶴岡八幡宮境内絵図
享保17年(1732)に描かれた境内図で、明治以前(神仏分離以前)の境内の様子を示した絵図である。
将軍徳川秀忠の命により寛永元年(1624)から寛永3年(1626)にかけ描かれたもので、当時の諸社・諸堂の姿を伝えています。
参道を挟んで水路で結ばれた二つの池があり、右の池が源氏池で左の池が平家池。
平家池には4つの小島、源氏池には三つの小島が見られ、当時も今も変わることはない。 -
太鼓橋。
現在は通行は出来ませんが、仮に通行禁止でなくともこの急な橋を好んで渡る気にはなりません。
こうして見る石造の太鼓橋は、1923年の関東大震災で崩落後の昭和2年(1927)に架け替えられたもの。
橋脚や橋桁などはコンクリート製で、その上の床板や欄干は石造で欄干に青銅製の擬宝珠が施されたもの。
側面から見る太鼓橋は綺麗な曲線を描き、眺めるにはいいが、実用的とは思えない程の勾配があります。
往古の太鼓橋は石造ではなく、朱塗りの木造橋でその姿から赤橋と呼ばれていたようで、絵図にも朱の橋が描かれ、太鼓橋の右に木造橋が架けられいたのも分かります。
太鼓橋は現世と神々の世界を結ぶ架け橋で、ここから先は例え将軍といえども下馬しなければならない。 -
太鼓橋右の源氏池と中の島に鎮座する辨戝天社の全景。
訪れたのが1月という事もあり彩りは寂しいですが、桜の樹々が多く、桜の時期には華やかな光景に変わる事でしょう。 -
旗上弁財天社が鎮座する中の島に架かる神橋。
橋の手前、島全周に白地に二引きの奉納幟がはためき、頼朝が平家掃討の旗揚げする光景を感じさせる。 -
旗上辨戝天社御由緒記(一部抜粋)
「治承4年(1180)8月、源頼朝公は伊豆国に源家再興を上げ、石橋山の戦いに敗れ房総に転じ、10月鎌倉に移るや直ちに鶴岡八幡宮を創建、居館を定め平家打倒の本拠地とした。
頼朝の妻北条政子は平家滅亡の悲願を抑えがたく、寿永元年(1182)大庭景義に命じ境内の東西に池を造らせ、東の池を源氏池と称し三島を配し、三は産なりと祝った。
西の池は平家池と称し四島を造り、四は死なりと平家の滅亡を祈った。
そして源氏池の中の島に辨戝天を祀ったのが旗上辨戝天社の始まり。
明治初年の神仏分離により、境内にあった堂塔と共に辨戝天社も排除されたが、後の昭和31年(1956)篤信家の立願により再興される。
同55年9月(1980)、鶴岡八幡宮創建800年を記念し、江戸末期文政年間の古図に基づき現在の社殿が復元された。
因みに辨戝天信仰は、鎌倉時代には既に盛んに崇敬され、妙音芸能の女神、福徳利戝の霊神として広く仰がれている。
当社に祀られていた辨戝天像(重文)は鎌倉彫刻の代表傑作と評され、種々の御神徳が如実に具現化された人間味溢れる御神像(鎌倉国宝館所蔵)である。
祭日 例大祭 4月初巳の日、祈願祭 毎月巳の日。
政子石拝観。
古来より縁結びの霊能があり、姫石とも称し広くしられる。」
太鼓橋と左右の橋は二つの池を繋ぐ水路に架けられているもので、鶴岡八幡宮境内絵図が描かれた当時は太鼓橋(赤橋)と右の橋の二つだったのが分かります。 -
中の島の入口に建つ朱の明神鳥居から境内の眺め。
頼朝の旗挙げに際しては、家運長久の守護神辨戝天が現れ、源氏再興の霊験を授けたと伝えられる。 -
全面朱で彩られた小さな社殿は、3柱の女神を祀るに相応しい佇まいをしている。
祭神は由緒にある様に多紀理昆売命、多岐都比売命、市寸嶋比売命の宗像三女神をお祀りします。
全体に派手な装飾はなく、正面蟇股の琵琶を奏でる天女の透彫りがアクセントになっています。
旗上(はたあげ)辨戝天社は鎌倉七福神のひとつをなす弁財天ゆかりの地で、鎌倉の七福神をお祀りする寺社は以下。
・毘沙門天 鎌倉市小町の宝戒寺。
・布袋尊 同市山ノ内の浄智寺。
・寿老人 同市小町の妙隆寺。
・夷神 同市小町の本覚寺。
・福禄寿 同市坂ノ下の御霊神社。
・大黒天 同市長谷の長谷寺。
・辨戝天 ここ旗上辨戝天社。
これに江ノ島の江島神社の辨戝天を加えたものが鎌倉・江の島七福神となるようで、専用の御朱印帳も用意されています。
かみさん曰く一つ頂くと残りの空白が埋めたくなるので見送ったようで、今思えば一之宮巡りも西国三十三所巡礼もこうして始まって行きました。
ただこの七福神巡りは全て鎌倉でコンプリート出来るので、滞在時間に余裕さえあれば巡れない事はなさそうです。 -
白いパイロン沿いに社殿後方に回り込むと、赤い玉垣に囲われた一画があり、そこには政子石が安置されています。
-
頼朝が政子の安産を祈願したとされる陰陽石で、子宝、夫婦円満、恋愛成就の御利益があるという。
-
政子石。
子宝を授かるご利益以外にも縁結びや夫婦円満のご利益も授けて頂けるようです。
縁あって結ばれ、二人の子宝を授かり、今更これ以上…夫婦円満?
一度角が生えだすとそりゃ恐ろしいだけに、ここはご利益を授かろう。
作法は仲良く二つ並んだ石を両手で同時に撫でることらしい、さすればたちどころに角は消え失せる、らしい。
鶴岡八幡宮の御朱印を頂きにいったかみさん。
人波に巻き込まれたくないおやじは太鼓橋で忠実に待っているはずだった、これはやばい!戻ろう!
鶴岡八幡宮境内社 旗上辨戝天社
創建 / 寿永元年(1182)
再建 / 昭和31年(1956)
祭神 / 多紀理昆売命、多岐都比売命、市寸嶋比売命
所在地 / 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-31
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