2023/03/18 - 2023/03/22
104位(同エリア4378件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/18
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3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
4日目はイスタンブール観光定番のトプカピ宮殿、アヤソフィア、地下宮殿に向かいます。そのあと,明日はマドリッド経由でリスボンに向かうので今夜の宿、新イスタンブール空港近くのホテルへ移動という予定です。。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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アヤソフィア(セブンヒルズホテルのルーフトップより)
東ローマ帝国の代表的な遺構であり、ビザンティン建築の最高傑作と評価される。
教会として創建された後→モスク→博物館→再びモスクと歴史に翻弄されながら1500年間もの長きにわたってその威容を誇って来た人類の遺産。そこを12年ぶりにこれから訪れる。
その「アヤソフィア」とは-
ハギア・ソフィア(聖なる叡智、英語ではアヤソフィア)と命名されたこの教会は最初は4世紀に建設され5世紀に火事で半壊し、6世紀に反乱で火を放たれ全壊した。その後ユスティニアヌス1世によって再建された建物(第3次聖堂と呼ばれることもある。)が現在に至っている。1453年にコンスタンチノープルがスルタン・メフメト2世によって征服された後(コンスタンチノープルの陥落)、その歴史と威容から、もとギリシャ正教の教会建築物でありながらオスマン帝国の時代に第一級の格式を誇るモスクとして利用された。アヤソフィアは教会として916年、モスクとしては477年も聖なる場所として存在し続けたのである。アヤソフィア 寺院・教会
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トプカピ宮殿に行くときにも見たのだが、2重3重に折れ曲がった行列。この分だと入口到着は20分後くらいだろう。アヤソフィアは建国の父、アタチュルク大統領によって世俗化され、非イスラム化政策のもと博物館としてのステイタスを与えられたはずだ。しかしイスラム化を押し進めるエルドアン政権のもと、2020年7月24日、再びモスク化され「アヤソフィア・ジャーミー」となってしまった。トルコはエルドアン政権によって確実にイスラム化が進められている。インターネットで多少はチェックしたが、おそらく見れるところに制限があるはずだ。
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屋台の焼き栗&トウモロコシ売りのオニイサン達。
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アヤソフィア・ジャーミーと表示された銘板。この10mくらい先にセキュリティチェックがある。一応ここからはスカーフで頭部を覆い、「ENTRANCE」標識の方向に進む。
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入口。
4本のButtress(補強用控え壁)はオスマン帝国時代にミマールシナンによって加えられたもの。
下記のサイトで(中ほどのButtresses came)補強プロジェクトの図、確認されたし。
https://www.quora.com/How-did-Mimar-Sinan-keep-Hagia-Sophia-alive -
アヤソフィア外廊入口:
537年、6年弱という異例の速さで再再建後、献堂されたアヤソフィア大聖堂は1453年にコンスタンティノープルがトルコ人の手に陥落する日まで、ビザンチン帝国の主聖堂としてミサはもちろん、戴冠や凱旋、結婚その他の式典、また教会会議の場として重要な役割を果たしてきた第一級の聖堂であった。その南側入口。 -
博物館時代と違って今は土足厳禁。靴を脱ぎ, 靴箱にいれて内部に入る。カーペットは定期的に消毒されているのだろうか?
7/23/2020現在、アヤソフィアの美しい大理石の床はモスリムの礼拝用にカーペットで覆われてしまった。Greek Newsより。https://www.keeptalkinggreece.com/2020/07/23/hagia-sophia-mosque-works/ -
南入り口の「皇帝の門」。この門のティンパヌムにはよく知られたモザイク画、’祝福を与えるイエス’。 中央がイエスキリスト、左の円中にマリア、右の円中に大天使ガブリエルが描かれている。キリストの祝福を受ける情けない顔の皇帝はマケドニアのレオーン6世と言われる。世継ぎとなる男子に恵まれなかったレオーン6世が、4婚目となる妃「ゾエ・カルボノプシナ」との婚姻の許しをキリストに請うている場面とされる。(これは、正教会での結婚が三度までしか許されていなかったためである。)めでたく生まれた彼の嫡子は後にコンスタンティノス7世となる。
モスク礼拝時には下部の布のカバーを吊り上げてこの画像を見えなくするのだろう。 -
ナルテックス(拝廊)の天井部分。アヤソフィアがキリスト教の聖堂だった頃は、受洗していない者(つまり非キリスト教徒)はここまでしか入ることが出来なかった。
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聖堂内に入場すると、奥行き75m、幅70m、高さ56mの広大な空間が広がっている。聖堂最奥部はアプス(後陣)。この下部にはメッカの方向を示す「ミフラープ」と呼ばれる壁龕(へきがん)がおかれている。
大ドームの周囲に目を向けるとアヤソフィア建築の特性である穹隅(ペンデンティブ)ドームの構造がよくわかる。
穹隅(ペンデンティブ):方形に置かれた四つのアーチとその上に架構されたドームの下縁に挟まれた球面三角形の小間をさす。上部のドームの重量を下部のドームの先細りになっている部分から四方の柱へと分散させ、大空間の創造を可能にする構造。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96-118313
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/canal16/pendentive.htm
残念ながらビザンチンモザイクの傑作、アプス(後陣)中央の聖母子像とその側面部に描かれた大天使ガブリエルのモザイクはカーテンで隠されて見ることが出来ない。 -
Pendentive and Domeー Wikimedia Commonsより。(Public Domain under GNU Free Documentation License).
巨大ドームを方形の下部構造に乗せるために発案された画期的なペンデンティブ構造のダイアグラム。この構造を可能にするためには物理的、力学的な専門知識が不可欠。なぜユスティーニアヌス帝が単なる建築家でなくトラレスのアンテニウスとミレートスのイシドロスという2人の力学、数学の専門家に設計を任せたのがわかってくる。
また、エクセドラと呼ばれる半円構造についてはハギア・ソフィア■建築の説明ーhttp://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/~hsophia/architecture.htmに詳細の説明がある。 -
*壁面上部の短い柱が並ぶエリアは回廊式の「ギャラリー」になっているが、モスクに転換された今、一般訪問者には開放されていない。
アヤソフィアの建物は大小107本の柱で支えられており、そのうち40本の長い柱が下層階に、残りの67本の短い柱が上層階にある。壮大な緑色大理石の柱はエフェソスのアルテミス神殿から運ばれたものと言われていたが(12年前のガイドさんもそう言っていた)、実はテッサリアの石切り場の産物とのこと。(https://turkish.jp/destinations/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2/)。また一部マルマラ島産の大理石も使われている。聖堂を支えているこれらの柱の長さは最長で約20m、太さの半径は1.5mほど、最も重いもので70トンの重さがある。これらの柱の殆どは崩壊を防ぐため一枚岩から造られている。 -
アーカンサス模様の柱頭部分は創建当時のものでユスティニアヌス帝のモノグラムが彫ってある。
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中央大ドーム~後陣の半ドーム部分。31mの中央主大ドーム(正確には正円でなくいくらか楕円なのだが)とそれを支える穹隅、半ドーム、小ドーム(エクセドラ)。中央大ドームに40個もの窓を設けた設計は奇跡に近いと言われる。この窓を通して、聖堂の中に入った光は交差し、聖堂内のモザイクに反射し中にいる人々にあたかも天国にいるかのような煌めきのひと時を与える(聖堂内の壁は様々な色のモザイクで覆われていたという)。
このドームは558年に地震で一度崩壊した後、563年に再建されたものである。下部構造に対する負荷を軽減するため、建材には特別にロードス島で焼かれた非常に軽量なレンガが使用されているという。
また、2階ギャラリーと同じ高さに直径7.5mほどの円盤が合計8個吊されている。この円盤は1847年から49年にかけて、スイス人の兄弟建築家「ガスパル」と「ジュセッペ」がモスク改修と同時に取り付けたものである。素材はラクダの皮で、全8つの円盤にはアラビア語で唯一の神である「アッラー」の名をはじめ、預言者「ムハンマド」とその孫たち、更に「4人のカリフ」の名前が記されている。かつてアヤソフィアが博物館になった時点で取り外すことを試みたが、門の高さより大きくて外に出せなかったのでそのままにしたという経緯がある。 -
中央主ドームと穹隅(ペンデンティブ、pendentive)部分。4隅の穹隅(ペンデンティブ)には天国を守護する4人のセラフィム(熾天使)が飛翔している。
セラフィム(熾天使)については、旧約聖書イザヤ書 6:2より。
ー上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。ー
熾天使は天使の位階では最高位にあたる階級である。3対6枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで身体を隠し、残りの2つの翼で飛翔するというシュールな天使である。 -
熾天使セラフィム(六翼の天使)。
天使の顔はすべてオスマン帝国時代に、星の形をした金属製のキャップで覆われていたが、2009年の改修中に取り外されて顔が見えるようになった(ただし1か所のみ)。
残りの3カ所の「六翼の天使」の顔は未だに金属製のキャップで覆われている。 -
セラフィム(熾天使)のもとになったと思われる六翼の天使、Jinn、djinn または genies の彫刻。genies はアラマイ語のginnaya (guardian、守護者)がなまったものではないかと言われる。画像はWikimedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Seraph)より転用。
またこれより古いものはBC10世紀頃の作品でTell_Halaf遺跡より出土した六翼の天使像がhttps://en.wikipedia.org/wiki/Tell_Halafのサイトでみられる。現在Walters Art Museum, Baltimoreが所蔵しているものである。 -
ドーム下にあるカラフルな大理石で囲まれた四角いスペースはオンファリオン(Omphalion)。オンファリオンとはギリシャ語でへその意味。 "navel (of the earth)"つまり世界の中心であると考えられていた。なので中央の円には玉座が据えられてビザンチン歴代皇帝の戴冠式が執り行われた。幸いここはカーペットで覆われていなかった。
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聖堂外廊に近い部分の半ドームエリア。漆喰の下から現れた壁画。白い部分は漆喰がまだ完全に取り除かれていない部分。漆喰除去作業は現在も継続されているらしいのだが相当時間がかかる工程なのだろう。12年前とさほど違っているようには見えないのだが。。。
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1階から2階ギャラリーを見上げる。
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これは12年前に来た時に撮った画像。ギャラリーに上る石畳のスロープ部分(凸凹坂道)。内廊の左手にあったこの入口は現在閉鎖されている。(モスリムの人は登れるのだろうか?)
確認のため、インターネットで検索すると以下がヒットした。
https://nomadicniko.com/2013/09/18/hagia-sophia-upper-gallery/#:~:textより。
(Note: the upper gallery has been closed to visitors since Hagia Sophia was re-converted to a mosque on July 10, 2020.)
(訳)2020年7月10日モスクに転換されて以来、上部ギャラリーは閉鎖されている。
因みに博物館からモスクに転向したアヤソフィアの所有はトルコ政府に帰属すると思われるが現在この件に(上部ギャラリーの一般アクセス)関して当該政府は何の声明をも発表していない。 -
モスク化で見られなくなったビザンチン時代のモザイク。アプス部分の聖母子、ガブリエルに加え、2階ギャラリーの「天国と地獄の門」、「デイシス」。「キリストと女帝ゾエ夫妻」「聖母子と皇帝家族」などである。
一応、エルドアン氏はモスクに変わっても美術館であった時と同様に一般客の美術品閲覧には変更はないと言っているが、現状はこのとおり。。。(私が入場した時間帯はもちろんモスクの礼拝は行われていなかった。にも拘わらずアプスの壁画はカーテンで覆われたまま。2階のギャラリ―も立ち入り禁止であった。)人類の遺産がエルドアン氏の政治的目的のため利用されている。このエルドアン氏の再モスク化に対してはユネスコも直ちに反発を示した。世界遺産のひとつであるアヤソフィアはモスクになることで世界遺産登録の前提となる「普遍的価値」に影響する可能性があると。。
アヤソフィアはいつの時代にあっても聖なる叡智の象徴であったし、これからも人間の醜い利害や欲望とは関係なく崇高で美しい聖域であり続けてほしいのだが。。 -
これはイスラム教礼拝時間以外でもカーテンで覆われてしまっているアプスの聖母子像。こうなるともう世界遺産とは言えないだろう。
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拝廊南入口(出口)のティンパヌム部分のモザイク、聖母子に献上する二人の皇帝。
左のユスティニアヌス帝はアヤソフィアを、右のコンスタンティヌス帝はビザンチン帝国の首都であるコンスタンチノープルを各々捧げている。モスク礼拝時には上部の布のカバーを降ろしてこの画像を見えなくするのだろう。このモザイクに見送られて変貌してしまったアヤソフィアを後にする。多分ここを訪れることはもうないと思うが。。。 -
アヤソフィアから歩いて15くらいにイェレバタン(地下宮殿)がある。長い行列に一瞬たじろうが入口に立っている係員のオニイサンに聞くと個人の一般客はこの入り口の左手から入場できるとのこと。どうやら行列の人々は団体入場者のようであった。入口左手にすぐチケット売り場があり、ターキッシュリラが乏しくなってきたのでクレジットカードで300TRY($15.79)を払う。しばらく前の旅行記やブログにクレジットカードは使用不可と書いてあったが、2023年3月現在、クレジットカード使用可能になっている。
地下宮殿の公開はごく最近の1987年で、それまではほとんどの部分が長い間放置されたままであったため、数メートルに及ぶ泥が堆積しておりそれらの除去と修復に数年間を要したという。イスタンブル地下宮殿 城・宮殿
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入口からすぐに工事中の足場のような頑丈な鉄骨製の階段が設置されているのだが湿っているようだ。滑ってころんで頭を打ったりすると大変なので手すりをしっかりつかんで恐々と下りてゆく。12年前に来た時と違って今はカラフルにライトアップされて幻想的だ。これは階段上からズームで撮ったイメージ。
地下宮殿はビザンチン帝国時代の527年から565年にかけて建設されたもので140m×70mの長方形の巨大構造。総面積は9,800㎡、貯水キャパシティーは約8万トンでこれは当時コンスタンティノープルの全市民に2週間以上水を供給できるほどの貯水量であったという。
黒海近くのベルグラードの森やその他の水源から採水し、ヴァレンス水道橋を通して引いた水をこのイエレバタンやBİNBİRDİREK(ビンビルディレッキ・サルヌチュ)、ŞEREFİYE SARNICI(シェレフィイェ・サルヌチュ)、HIPODROM SARNICI(ヒッポドローム・サルヌチュ)、SULTAN SARNICI(スルタン・サルヌチュ)などの地下貯水池に貯水した。調べると水のトラベル距離は水源から貯水池まで5~600kmにもなる。この地下宮殿(イェレバタン)が現存する東ローマ帝国の貯水池として最大の物である。 -
貯水槽の中程にある壁際の柱のいくつかは奇妙なコンクリートで固められている。これは、1955~1960年の工事の際に崩壊の危機にあったため、厚い層のコンクリートでカバーされてしまい、結果として当初の姿からは似ても似つかない姿になってしまったのだという。
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柱に使用されている大理石のほとんどが古い建築物から転用、再利用されているため、色や形がそれぞれ異なる。また大部分の柱は一つの石でできているが中には長さが足りなくほかの石をつぎ足しているものもある。
さて、フォトスポットである2つのサメデューサの顔(横向きと上向き)の場所に到着。写真を撮るための行列ができてている。待っている間に観察すると、こちらのメデューサの顔、下部になっている頭部右側面が切削されている。多分、上に乗せる柱の高さに合わせた調整であろう。見たものを石に変えてしまう(石化能力保有者)と言うメデューサの呪いを避けるため横にしたりさかさまにした’云々というのも話としては面白いが、私にはもっと実際的な必要性からこのポジショニングになったと思えるのだ。 -
こちらのメデューサの顔(頭部?)は世界を見上げている。どの資料を見ても彼女の出所が明らかにされていない。ローマ時代の神殿からとかアポロ神殿とか。。個人情報だから詮索しないでおこうか。
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ギリシャ最古の信託所であるアポロン神殿の柱、クライングコラム。
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クラゲっぽいオブジェ、いや照明器具かな?
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プラスチィックとワイヤー?エアリーな感じでなかなかいい!
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水面の反映が幻想的な雰囲気を醸し出している。勝手にイリュージョンと命名。
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こうしてみると荘厳な雰囲気だ。
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出口は入り口と反対側にある。
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ホテルに向かって歩いていく途中、スルタンアフメト広場を横切ったら’ドイツの泉’があった。オスマン帝国のアブドゥルハミト2世の即位15周年に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が贈呈した泉亭だとか。第一次世界大戦前のオスマン帝国(この頃には’瀕死の病人’と言われていた)とドイツの外交関係を物語る建築。
明日はイベリア半島に向かう早朝のフライトなので空港近くのホテルをとっている。空模様がおかしい。そろそろ出発しなくては。
セブンヒルズホテルをチェックアウトする時点でタクシーの手配をフロントデスクに頼む。ターキッシュリラがあと400くらいしかないので、クレジットカード支払いOKのタクシーをと付け加えた。10分後くらいにちょっとおしゃべりっぽい中年のドライバー氏がやって来た。英語がわかりそうだから安心。雨がぱらつく中を黒海方面に走りだす。所要時間は1時間くらいだろう。12年ぶりのイスタンブールにお別れ!!ドイツの泉 散歩・街歩き
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途中ラッキーなことにテオドシウスの城壁の一部が見れた。
ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(=イスタンブール)を1,000年以上守り続けた大城壁。それ以前に存在したコンスタンティヌスの城壁より西側に、都市を拡張しながらテオドシウス2世が5世紀はじめに建設したもの。外壁・内壁・堀からなる三重構造の堅牢な作り。テオドシウスの城壁 史跡・遺跡
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ドライバーのおじさんがスローダウンしてくれたので急いで数ショット。
度重なる襲撃にも決して破壊されなかった堅牢なこの防壁も、1453年にオスマン帝国の手に落ちてしまった。ただし、城壁自体が崩壊したわけではなく、城門の鍵の閉め忘れによってオスマン帝国軍の侵入を許してしまったのだと言われているが。。。。 -
ホテル周辺の写真をとり忘れたのでGoogle mapから。空港開発で急に開けたブームタウン(?)のように見える。ゴミが散乱しているし道路や住宅地のメンテが不十分。これは晴れた日に撮ったものだろうが私が通った日は雨でもっとdepressingな雰囲気だった。
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Operla Hotels Istanbul Airport:
https://www.operlahotels.com/?gclid=CjwKCAjwwb6lBhBJEiwAbuVUSi71u0BmHNpv_AFUbUoIrh9_FzUTw3eAdQRaFvMbFunKgzomvOwJhhoCml8QAvD_BwE
タクシー代は400TRY+20ユーロ。実際のタクシーのメーターは680TRYになっていた。ちょっと渋滞のところがあって1時間20分位かかったし、ネットで確認していた金額より上回ったのは確かだ。
来る途中でタクシードライバーにトルコリラの持ち合わせが少ないのでクレジットカードで支払う件を再確認したら、いくらトルコリラがあるかと聞く。400TRYと答えると、じゃそれと残りはユーロで払ってほしいと。なぜならクレジットカード払いはプロセスするのに2,3日かかる。なのでキャッシュのほうがいいんだと。’ね、そうしてくれない?ワイフも子供もいるし即キャッシュの方がいいんだけど。。’ ’そうかあ、OK' となってチップを含めてこの金額になったのだ。 400TRY+10ユーロと彼は言ったのだがチップを含めて400TRY+20ユーロ。
ホテルにチェックインして入った部屋はこんな感じ。 -
シンプルで空港に近ければいいというミニマムの条件で選んだホテル。
バスルーム、最低限のものはそろっている。私はホテルに備え付けのシャンプーやリンスは髪を痛めるので絶対使わない。自宅で使っているものを持参する。なのでただソープだけがあればいいのだ。 -
ホテル内のレストランで夕食。グーグルでチェックしたがこの周りは新空港周辺に出来たブームタウンと言う感じで気の利いたレストランは全くないようだ。最近まで農地だったところを更地にして2,3か月で建設したという感じのプレハブっぽい住宅が広がっている。ホテルの従業員もフロントマネージャーらしき人を除いては昨日まで畑仕事をしていたか、高校を出たばかりのホスピタリティー業務なんて未経験といった人々が多くて英語もおぼつかないし非常に不便。それでも何とか意思の疎通をはかってメニューを見るもバラエティーに富んでいない。仕方なくイシュケンデルケバブができるか聞くと、この料理は4:00pmまでにオーダーしないとだめと断られる。で、次のオプション、何とかキョフテをオーダーする。数10分後、山盛りのパンの下に隠れたそれが登場。パンをかき分けキョフテを引っ張り出して食す。ちょっと固め。多分オーバークックか、ひき肉にされたこの羊さん自体が生前に大分苦労したのか老齢であったのか等の事情で硬かったのだろう。フロントデスクを通る時、明日朝5:00に出るので空港行のタクシーを手配してくれるようスタッフに頼んで部屋にもどった。ヤレヤレ!!!
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2023/08/17 10:12:46
- いまのトルコ。
- Noraさん
おはようございます。
いつもご訪問いただきありがとうございます。
アヤソフィア、私がトルコに行った折の当時は博物館となっていましたが、
その後再びモスクとなり、内部がどのような変容を遂げてしまったのか
気にかかっていました。
耐震化を図るための工事がすでにミナール・シナンによってなされていた事、
今回のNoraさんのコメントと関連URL から知りました。
山のような威容を誇る巨大建造物ですから、構造上の歪みなどを防ぐのも
大変なことだったと想像。
当時の上階の大理石の床もうねっていた記憶があります。
その床には今ではカーペットが敷かれてしまったんですね。
数々のモザイク画には垂れ幕がかかっていることなど、
立ち入りできない箇所もあり、これまでのような観光はできない事を知りました。
スペインへの移動の際の空港は同じ新空港からですか?
以前はヨーロッパ圏のフライトはアジア側にあるザビハ・ギョクチェン(?)
空港からでしたので、パリへのフライト時に大騒動でした。
又、続きの旅行記、見せて頂きますね。
mistral
- Noraさん からの返信 2023/08/18 05:29:13
- Re: いまのトルコ。
- Mistral さん:
ご丁寧にありがとうございます。アヤソフィアが現在も存続していること自体が奇跡であると書いてあるサイトがありましたが、まったく同感です。今回の訪問では2階(上階?)のギャラリーへは行けませんでしたのでカーペーットが敷かれていたかどうかは不明です。仰るように大理石の床がうねっていたとすれば、多分相当な補修工事が必要なのでしょう。そのために2階を立ち入り禁止にしているのなら納得です。しかしそれならばトルコ政府は誤解を避けるためにも立ち入り禁止理由をパブリックにすべきだと思いませんか?
ええ、スペインへは新空港から出発しました。ザビハ・ギョクチェン空港よりましです。ザビハは混んでるし、事務処理がスローだし、カウンターで働く人々がキツいトルコ訛りの英語をしゃべるので理解するのに苦労しましたもの。(エフェス遺跡を訪問時この空港を使いました)自分の避けたい空港リストのなかにアップしています。^ー^
当方も適度な間隔でMistral さんの旅行記サイトを訪問いたします。ではまずはお礼まで。
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