2023/03/18 - 2023/03/22
4位(同エリア371件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/20
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バスでの移動
7:00発、空港シャトルバス。タクシム広場からサビハ空港へ。
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飛行機での移動
サビハ空港からイズミール空港へ。
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車での移動
イズミール空港からセルチュクへタクシー。
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車での移動
セルチュクからイズミール空港へタクシー。
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飛行機での移動
イズミール空港からサビハ空港へ。
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バスでの移動
サビハ空港からタクシム広場へ。
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この旅行記スケジュールを元に
3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
2日目はエフェスの遺跡です。でもスムースに事が運んだわけではありません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ペガサス航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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いよいよ長年の夢であったエフェス遺跡に向かう!!これは紆余曲折を経てやっとたどりつき、ハドリアヌス神殿で撮ったワンショット(トリム有り)。下記はその険しかった茨の道のり。
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7:00発のサビハG.空港行のバスをバス停で待っている間に見えた前方のコミュニティーはイスタンブールの危険地域の一つ、ドラプデレ(Dolapdere)。
この荒廃したビルの建物の壁の裏で実際に人々が暮らしているらしい。
イスティクラル通りから金角湾の方向に降りていく途中にある地区でイスタンブールで最もダークなエリアの一つと言われる。 殺人事件や麻薬の密売、悪質な強盗事件も多数発生して、地元のトルコ人も近づかないという。遠くから見るだけにしておいたほうがよさそうだ。 -
バスのチケットはバスストップにいるHavaistのオジサンから買う。ちゃんとお釣りもくれる。切符を売るだけでなく乗客の質問に答えたり、乗る人の順番を管理したりテキパキ働いている。それぞれのラゲージをバスのボディーに積み込むと、7:00のバスは予定通りに出発。しかしハイウェイに乗るまでにダウンタウンの道が混みあってノロノロ運転。どうにかこうにか抜け出して一路、サビハへ。途中、7月15日殉教者の橋(第1ボスポラス大橋と呼ばれることもある)を通りぬけ、アジア側に入る。建設後30年を経過し劣化の激しかったこの橋を2013年から6年かけて大規模修繕工事を実施したのは日本のIHIインフラシステムなどの共同企業体であった。同社は「質の高いインフラ」の輸出に貢献したとして国土交通大臣賞を受賞している。ーWikiより。
その橋を幸運にも渡ることができた!!
3つのiPhoneのスクショをバスの動きがわかるように一つにまとめてみた。7:15am の時点でUmraniyeだからサビハ空港まであと1時間はかかりそうだ。 -
やっとサビハ空港に到着。しかし混みあっていて、所定の場所にバスがストップできない。黒人の中年女性が痺れを切らして、’私、ここで降りる、飛行機のチェックインに間に合わないじゃない!!’と大声で叫ぶ。しかしバスドライバーはここでは駄目だという。ほかの乗客も同じ思いのはずだ。皆イラついた顔をしてるが言葉を飲み込んでいるのがわかる。私も同じ思いだ。そしてほんとにやっとのことで正しいバス停についた。皆大急ぎでチェックインしたラゲージを取り出して前もって受け取っていたタグのナンバーとラゲージについているナンバーを係員に照合させてそれらを引き取る。幸い私は手荷物はカメラバッグだけで膝の上においていたからこの混雑を逃れることはできたのだけれど。。
でも遅れているのは確かだ!!サビハギョクチェン空港 国内線CIPラウンジ 空港ラウンジ
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Booking.com経由で予約したペガサス航空のサビハ空港~イズミール空港往復チケット。オンラインチェックインはできないタイプのチケットとある。
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急いでセルフチェックインの機械に向かう。しかし私のパスポートの氏名を読み取れないで機械がリジェクトする。機械の横で乗客のヘルプをする人もお手上げ。チェックインカウンターの方はどうかと見れば、長蛇の列。しかもその列も一向に進んでいないようだ。どうしよう!!でもどうにか事情を話して割り込ませてもらってやっと自分の番になったと思ったら、カウンターFに行きなさいとか、いやGだとか振り回される。どうなっているんだろう!
そのうちどんどん時間が過ぎてもう8:56だ。私の乗るフライトPC2186は9:10発だから、多分15~20前のこの時間にはゲートを閉めるだろう。こうなったら仕方がない、次の便で行くしかないだろう。 -
PC2186、イズミール空港へ出発済の表示がある掲示板。最悪のシナリオになってしまった。!!!次のイズミール行は2時間後の11:05発PC2188しかない。1時間後のTKイズミール行は満席だし。即アクションをとらないと!!
何の悩みもなさそうにパンを食べながら歩いているペガサスの制服嬢を捕まえてペガサスの発券オフィスの場所を聞く。窓口で息を弾ませながら簡単に事情を話して次のフライトに空席があるかと聞くと、ラッキー!あった。即、確保。チケットは513TRYとのこと。えっ、タダじゃないの?ちょっと納得できないのでダメもとで下のように言ってみた。
’オンラインチェックインができないチケットだったし、渋滞でバスがおくれ、カウンターが混雑してておまけにセルフチェックインも出来なかったのよ。こちらのほうもある程度落ち度はあるけど、、カウンターの混雑で搭乗がおくれたのはペガサス航空の責任でしょ?’と説明したがダメ!本当は900TRYなんだけど特別ディスカウントしてこの値段です。と爬虫類のような眼をして窓口のおニイサンは冷たく言い放つ。
でも前にAAで似たようなことがあったので、一応はまた言ってみた。
こういう状況だとアメリカの航空会社は無料でつぎのフライトをアレンジしてくれるのに、と。すると彼は’ここはトルコです。アメリカじゃない。’と返してきた。そうね。あなたは正しい!!ここはまさしくトルコです。。。ま、いいや。もうペガサスはこれっきりで乗らないようにしようっと!! -
次の便PC2188のチケットがこれ!もう嫌になってエフェス遺跡に行くのは止めようかと思ったけど、今度いつ来れるかわからないし。出来る限りやってみようと気をとりなおして。。。そう、旅にはハプニングがつきものなんです。と自分に言い聞かせて!!
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この機材かな?11:05発PC2188って。
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今度は当然余裕をもってゲートに向かう。新イスタンブール空港ほどではないけどこの空港もやっぱりかなり歩かされる。歩きながら、2時間のロスをどういう風にカバーするか考える。できるだけエフェスにいる時間を確保したいので、イズミール空港~セルチュクまでは時間のかかるバスや鉄道という交通手段をボツにしてやっぱりタクシーしかない!!などと考えていたら機はいつの間にか離陸していた。
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約1時間後イズミール空港上空に差しかかる。ブルーの海、まさしくエーゲアンブルーだ!!去年サントリーニに行ったとき上空から見たのと同じ紺碧の海の色が眼下にひろがっている。シカゴには巨大な湖はあっても海がない。なので時々こうして美しい海をみると胸が高なる。
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ドッスンと着陸、11:10amほぼオンタイムに到着。
外に出て、空港タクシー乗り場で客待ちしているドライバーのオジサンたちと話すと、表示版を指さしながらフラットレートでセルチュクまで750TRYだよ、とのこと。OKといって最初のタクシーに急いで乗り込む。善良そうな中年のドライバーだ。ただし英語に難あり。でも翻訳ソフトを搭載したスマホをもっていて、自分がトルコ語で話すと画面に土→英へ訳されてくる。で、私がタッチペンで英文をタイプすると英→土訳が画面にでてくるという、まどろっこしい逐次翻訳機を介しての意思疎通なのである。面倒なので必要最小限の会話にとどめる。アドナン メンデレス空港 (ADB) 空港
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のどかな田園地帯を通りすぎる。そろそろセルチュクだ。
’エフェスの帰りはどうするの?’と聞かれたので、出口のところでタクシーをひろうつもりだと答えたら、2時間くらいだったら待っててあげるよ。往復で1800TRYでどう?ときかれれる。’う~ん、2時間じゃあ、きついね。今12:30くらいだから4時まで待っててくれる?それで1700TRY!’と言うと’え~~それはちょっと!’みたいな感じ。バーゲンなのである。’じゃあ、3時45分まで、1750TRY!これで行きましょう!’。と私。で、交渉成立!前のイスタンブールの旅でエジプシャンバザールで何か買おうとしたらやっぱりバーゲンで、定価販売になれている私にはその交渉段階が拷問のようにきつかった。したたかな人は’ゲームのように楽しめばいいんだよ’と言うが、これには慣れることが出来ない。なので、そういう場所には極力行かないようにしていたのだが、1度や2度くらいなら構わない。ちょっとタフになって交渉してみたのである。
*ここでいうバーゲンとは日本語のバーゲンの意味とはちょっと異なる。英語のバーゲンは駆け引きを伴う売買交渉のことである。 -
北入口到着。ここでドライバーのオジサン3:45まで待っててくれるとのこと。4時までと粘ったのだがダメ。(7時35分イズミール空港発のフライトだから5時半までにつけばいいと計算して。ここからイズミールまで1時間で行くはずだから、4時にしてくれれば私としては遺跡にいられる時間がもう少し長くなって好都合。)いや、オジサンにも家庭の事情があって早く帰らないと奥さんに叱られるのかもしれないし、と思いなおした私。
さて、入場、その前に途中にトイレはないのでここの有料トイレを使わないといけない。出てきたら、2,3人の女性グループに’トイレきれいだった?’ときかれた。’まあまあ、ユーザブルよ!と答えたら笑ってた。エフェス遺跡 史跡・遺跡
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毛深いワンちゃん(G.リトリバー?)がけだるそうに歩いていた。左はチケット売り場。
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遺跡の入場券。窓口のお姉さんにすすめられてテラスハウスのモザイクも観れるタイプにしたのだが、時間がなくてそこに入ることが出来なかった。残念!
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遺跡には猫ちゃんがつきもの?
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遺跡入口を入るとすぐにこの遺跡のトポグラフィックマップが目に付く。
エフェソスは紀元前20世紀頃から始まった集落に、紀元前11世紀頃からギリシャからの移民が増えてできた都市である。(今から3000年以上も昔のことである。日本はまだ縄文時代だった頃だ。)古代世界の七不思議の一つに数えられるアルティメス神殿が建設され、この地域のみならず多くの参拝者が集まる街として徐々に発展した。紀元前6世紀頃からその地の利から貿易・商業都市として大きく発展し、イオニア12都市の一つに数えられた華麗な歴史をもつ。いわゆるローマの属州時代がこの都の最盛期である。
発掘されたエフェソス遺跡はヘレニズム期を過ぎ紀元前2世紀以後にローマによって建てられたものが中心である。また大半の建物が262年の地震、ゴート族侵入とそれに伴う火災で崩壊消失してしまっているため、現在我々が見ているものは遺跡発掘後1960~70年代に大規模な修復が加えられたものである。
この地図で水色になっている部分が外海から引き込まれた運河と港。 -
上の地図はエフェス遺跡全体を見るのはいいが、回ったスポットが出ていないところもあるのでちょっと加工してみた。
エフェスは小アジア最大の古代都市の遺跡で、もちろん世界遺産。古代都市国家エフェソスは紀元前4世紀のギリシャ時代から発展していき、古代ローマ、ヘレニズム、ローマ帝国、東ローマ帝国に至るまで続き、その後、イスラム勢力の侵攻により滅んだなんともドラマティックな都市なのである。 -
大劇場が左手に見えてくる。手前にみえるのは体育場跡。クレーンが設置されているのは発掘や修復が進行中であることを物語る。いまだに、エフェス遺跡の10~15%くらいしか発掘されていないという。これによってエフェス全体がいかに巨大な遺構であるかがわかる。
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ハーバーストリート、アルカディアン通り。
地中海へ通じるメインロード。エフェスはもともと海沿いの港湾都市であったが、長年の周辺の森林の乱伐によって表土が流出し、その土砂が港湾に堆積したため、最終的に使用不可能になった。この道路の先にある現在の海岸線は当時より1km以上も後退している(海退現象)。
このハーバーストリートはクレオパトラがエジプト軍を引き連れ、アントニウスの元に行進してきた歴史的な道路である。当時は大通りにそってモザイク敷きの舗道が設けられ、商店の連なる柱廊側は風雨や照りつける太陽を遮る屋根で覆われていた。また街灯もともされていたという。 -
ヘレニスティッファウンテンハウス.
オリジナルはヘレニズム期(B.C.3~1世紀)大劇場裏下側面に建設されていたファウンテンハウス。ローマ時代に補強増長された。水源は近郊のマルナス川であったが土砂の堆積により、この川はもはや現存しない。
現在の姿は1890以降、オーストリアの考古学協会チームが発掘したものに修復作業が加わったものである。 -
ヘレ二スティックファウンテン、クロースアップ。当時はここに豊かな水がたたえられていたであろうが、現在は枯渇してしまっている。
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パナユル山の斜面を利用して造られた大劇場、当時は25000人の観客を収容できたという。オリジナルはヘレニズム期に建築され、後のローマ時代に増築、再建されたもの。グラディエータ―的見世物もあったという。(ふとラッセルクロウの主演したグラディエーターの映画の場面を思い出した。)
大劇場ー3D仮想再構成図
https://earthlymission.com/what-ancient-greece-really-looked-like-ephesus-illustrations-adam-nemeth/ -
大劇場のサインボード。幅145m、舞台から客席の最上段まで60mの高さを持つこの劇場はエーゲ海沿岸でも最大規模の劇場であった。
ローマ期、クロデウス帝(41-54 AD)の時代に大規模な修復、拡張工事が始まり、トラヤヌス帝の時代に終了したといわれる。 -
マーブルストリートとクレテス通りがつながる部分に堂々と建つケルススの公共図書館。ちょうど街の中心部のアゴラ(広場)に隣接している。エフェス遺跡のショーケース的存在で当時12000以上のパピルスの(羊皮紙ではない)巻物を収納していたと言われる。しかし3世紀に図書館は破壊され、殆どの書物は消失している。その原因については様々な説がある。一説にはゴート人の攻撃で燃焼したとも、あるいはまた地震で破壊したとも。。。いづれにせよ、西暦262年には図書館は損傷しており、修復後、4世紀までは使われていたようだ。
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ケルススの図書館のファサード壁龕を飾る4体の擬人化像。知恵(ソフィア)勇気(アレテー)思慮と知性(エノイア)、知識(エピステーメ)が並ぶ。ただしここにあるのはレプリカで本物はウイーンのエフェス博物館にある。
この図書館は当時アジア州の執行官だったケルススの死後、西暦105年~107年の間にその息子ティベリウスが父親の墓の上に建てたもので、地下には今でもケルススの石棺があるという。発掘後、1970年代に損傷した部分の大規模な補修、修復を経て現在の姿になった。 -
コリント式円柱と古代ギリシャ建築に見られる格間(coffer)天井。繊細で優雅な彫刻で飾られている。
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図書館内部。以外に小さく質素だ。床は大理石が敷き詰められ、2階は建物の端を周回するバルコニーで構成されていた。建物の側面壁には多くの巻物を収納した窪みがある。
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図書館内部、床のモザイク。
ケルススの図書館ー3D仮想再構成図
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マゼウスとミトリダテスの門。ケルスス図書館前門に向かって右側に位置し、商業アゴラの南側入口になっている。各種資料によると、BC3世紀に、奴隷から解放されたマゼウスとミトリダテスが寄進した門であるとのこと。
マゼウスとミトリダテスの門ー3D仮想再構成図
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マゼウスとミトリダテスの門をくぐると下のアゴラ(商業アゴラ)に出る。BC3世紀、アウグストゥス皇帝の時代に建てられたもの。
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アゴラに咲く可憐なポピー。
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商業アゴラ、東側。これらは各商店の遺構と思われる。
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これも商業アゴラ、東側。背後に見えるのは倉庫またはストレージスぺ―スだったのだろう。
アゴラ全体図ー3D仮想再構成図
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マーブルストリートにある娼館のサイン。鉄枠で囲われている。右下にウスぼんやりと女性の顔(娼館のオネエサン?)、四角いお金らしきもの、そして左上にチクチクとノミとハンマーで小さな穴をあけたハート、そして’こっちに歩いて行ってね’と言うかのような誰かの足。それにしてもこの足、華奢で女性の足のように見えるのだが。。。
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娼館の遺構、アーチ部分をマーブル通りから見上げる。これは修復の手が加わっていない部分だろう。
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娼館のサインボード。館は鉄製の欄干で囲まれていたという。
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サインボードを拡大したもの。1957年発掘された当時の写真。細かく別れた個室が並んでいたようだ。中の一つの部屋を探検した時、壁に取り付けた床上80㎝位の高さの石のベッドらしきものが見えた。。。
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娼館内部には個々の部屋があった(当然)。
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同じく娼館内部。
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ハドリアヌス神殿。
ローマ時代の5賢帝の一人。古代有数の旅人でもあり、アテネに図書館を作りアテネ市民から記念門を送られたあの皇帝である。これはエフェソスを数回訪れ街を厚遇したハドリアヌスへの感謝の印として築かれた神殿と言われる。
門の正面トップには勝利の女神ティケが描かれ、その奥にはアカンザスの葉で飾られたメデューサのレリーフがある。両側のフリーズ(柱上部の帯状の部分)にはエフェソスの起源となる伝説が描かれているそうだが、これはレプリカ。オリジナルはエフェソス博物館に保管展示されている。
ハドリアヌス神殿の奥にはバリウスの浴場/スコラスティカ浴場とローマ時代の公共トイレがある。
ハドリアヌス神殿ー3D仮想再構成図
https://earthlymission.com/what-ancient-greece-really-looked-like-ephesus-illustrations-adam-nemeth/ -
バリウスの浴場/スコラスティカ浴場。
もともとAD1世紀~2世紀初めにバリウスによって建設されたもので、バリウスの浴場/スコラスティカ浴場と呼ばれることもある。現在我々が目にしている遺構は浴場入口にある首のない坐像の主(下記)、スコラスティカによって4世紀に再建されたものである。裕福なクリスチャンであった彼女は3~4世紀に地震やゴート人の襲来で損傷、破壊されてしまった浴場を修復するためのスポンサーとなった。彼女によって再建された浴場は創建当時とほぼ同じ構造で3階建て、冷水プール、低温浴室、高温浴室、マッサージ室、図書室等を完備した設備であったという。貧しい人達の為には無料入浴システムさえもあったようだ。が、現在は2,3階部分は崩壊しており、一階部分がかろうじて残るのみである。
手前に見える円形上に並べられた大理石の石は、ローマ風呂に見られる典型的な冷水プールの遺構である。 -
首のないスコラスティカの坐像。
https://turkisharchaeonews.net/object/scholastica-baths-ephesusより。
因みにこの像の横に土管が見えるが、おそらく下水管と思われる。この浴場には隣接する公共トイレがあり、ローマ時代には浴場の排水を公共トイレに流す水洗システムだったことがわかっているからである。 -
バリウスの浴場/スコラスティカ浴場のサインボード。
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アカデミア通りを挟んでバリウスの浴場/スコラスティカ浴場に隣接する公共トイレ。裕福な人々は自宅にトイレを完備していたが、そうした設備のない一般人、あるいは奴隷身分の人々はこうした公共トイレを使った。また浴場を利用する人々にも使用されたという。
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公衆トイレの仕切りはなくすべてオープン。浴場に来た上流階級の人たちは冬場このトイレを使う際、自分の奴隷達に先乗りさせて便座を暖めさせたと言うが。。。それよりもトイレットペーパーのことが気にかかる。パピルスは高価で使えなかっただろうから(ゴワゴワしてるだろうし)、色々調べてみてわかったことは棒の先にスポンジをつけて事後クリーンにしていたようだ(この用具はtersoriumテルソリウムと呼ばれていたらしい)。あと、前を流れる溝の水でシャボシャボと洗ってスポンジの貸し借りもあったりと書いてあるサイトもあってびっくり仰天。
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パブリックトイレで使われていたというtersorium,テルソリウム(棒付きスポンジ)。Wikipediaより。
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例のオクタゴン。ケルススの図書館から坂道を上りかけてすぐ、テラスハウス群の下の場所にある。単に崩れた石垣の山積み的な場所なのでサインボードをよく見ないと見過ごして通り過ぎそうだ。
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サインボードの拡大。'多分、アルシノエ4世の墓所である'(was probably..)と言う表現が注意深く使われていて、墓所だとは断言していない。大理石石棺から発見された骨片の一部から遺体は15,6歳当時の女性のものと科学的に証明された。が、アルシノエ4世は暗殺された当時は20代後半であったはずであり彼女の遺体であると断言するのは無理がある。それと保管状況、ハンドリングの問題で様々な不備があり、このプロジェクトの責任者のDr Thuer自身がDNA鑑定は満足のいくものではなかったと告白しているのである。目下のところ、断言するほど決定的な決め手がないというのが真実ではないだろうか。
なお、下記のサイトでCADによる仮想再現図、およびウイーンのエフェス博物館にあるオクタゴンの周囲の柱の一部を確認できる。
Source:Digital Anastylosis of the Octagon in Ephesos
https://www.cs.utexas.edu/~huangqx/report_oktogon.pdf -
ここから少しのところにクレテス通りにそってアリタークのストアが並ぶ。ストアとはギリシャ語で列柱廊建築を意味し、中に店舗用スペースを作り、何店舗かが入っていた。(アテネにある壮大なアッタロスの柱廊がそのよい例。)このアリタークのストアは4~5世紀に作られたローマ時代の遺構である。
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モザイクでカバーされた柱廊の床。スロープの地形に合わせて、2レベルの高さにデザインされている。ここは上流階級の人々しか歩行できなかったと書いてあるサイトもあるのだが本当だろうか?それにしても太陽光線が強くて色が飛んでしまう。(これでもカメラの明るさ設定をかなり下げたのだが。)
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緩やかな坂になっているクレテス通りの中ほどから振り返って図書館その他をのぞむ。ここはエフェスのメインストリートである。NYでいうと5番街!
クレテス通りー3D仮想再構成図
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102~104年に建立されたと言われる高さ12mの2階建てのトラヤヌスの泉。ローマ皇帝トラヤヌス帝に捧げられたもので泉自体の大きさは10mX20mあり、その周りを囲むように像が並べられていた(下記の3D仮想再構築図)。正面にわずかに残るトラヤヌス帝の足や台座の一部のみがオリジナルで、三角のペディメントをはじめ他の部分は殆ど復元されたもの。前面の大理石の巨大な水槽からは、滔々と水が流されていたという。因みにトラヤヌス帝は 五賢帝の一人で在位期間は98~117。 元老院と協調して内政を安定させるとともに、対外進出をはかってアルメニア・アッシリア・メソポタミアなどを征服、帝国の版図を最大にした。
トラヤヌスの泉ー3D仮想再構成図
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クレテス通りにたたずむ頭部脱落のこの方はDr.アレクサンドロス(エフェスの名医の一人)の像。
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ヘラクレスの門。この2本の柱の上にニケのレリーフが置かれていたとのこと。現在はヘラクレスのレリーフが刻まれた柱が残るだけだが、建設時は2階建ての凱旋門だったと考えられている。この門を境にして、上が行政地域、下が一般市民の地域とに別れていたという。
それにしても、ここはフォトスポットらしくセルフィーを撮りまくる人、撮りあいっこする人々でいっぱいだ!!! 人の入らない写真を撮るのは無理のようだ。ここは長居するところではない。さっさと退散しよう。 -
メミウスの碑
メミウスはローマの独裁官スッラの孫。碑にはスッラを称賛する言葉が記されているという。
ローマ帝国の重税に苦しめられていたエフェソスの人々がミトリダテス6世のポントス王国側につきローマ帝国に反旗を翻したのが紀元前88年に始まった第1次ミトリダテス戦争(ポントスの乱ともいわれるが乱と言うには大規模なものであった)。この時のローマ司令官がスッラであった。このローマ対ポントス王ミトリダテスの戦争は前63年まで、前後3回にわたって繰り広げられた。第1次戦争で勝利を収めたミトリダテス6世はエーゲ海沿いの小アジア全域を手中にし、エフェスを含む小アジア地区のローマ人、イタリア人全員(女、子供を含む8~10万人)の殺害を命じたと言う。その後、ミトリダテス6世は一旦はスッラとも和睦したが、その後再び反乱(戦争)。最後は将軍ポンペイウスによって征討された。ミトリダテス6世は反ローマの鬼であったようだ。この碑は虐殺されたローマ市民を悼むためのものとも、メミウスが祖父や父の偉業をたたえるため建立したともいわれているが真偽は定かではない。ただ、各種資料によると司令官、後の独裁官スッラの帝政ローマ内における評判は決してよろしくなかったようだ。
装飾の施された部分はほとんど消失しているが、トウガを纏った兵士の彫り物はメミウスとその父カイウス、そして独裁者の祖父スラを表わしたものという。(どれが誰だかわからないが) -
ハイドレオン(Hydreon)
メミウスの碑に隣接する長方形の泉(ハイドレオン)。
AD200年、フラビウス.メンデル(T. Flavius Meander )によって建設された。
交通量の多いクレテス通りを洗浄したり、夏、大理石の通りが暑熱で高温になった時、散水したり等の使用目的があったようだ。
https://www.ephesusturkey.com/ephesus-highlights/hydreon/ -
ニケ。当初はヘラクレスの門の上部にあったという。もう言うまでもないがスポーツメーカーのナイキはこのニケの翼の部分を借用して単純化したスマートなロゴを作っている。
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ニケのレリーフのすぐそば, クレテス通りが終わりアッパーアゴラへの道が始まるあたりの境界に立つへルメスのレリーフのペア。(古代ギリシアではヘルマもしくは複数形でヘルマイと呼ばれるヘルメス神の石柱像が道端などに立てられていた)。通りに面した方には、彼のもつ伝令の杖?もしくは超自然的な杖ケリュケイオン(カドゥケウス)が彫られている。(下記の写真)この杖は、医学を象徴するアスクレピオスの杖とは別物である。
*ヘルマは日本でいう道祖神のように道端や四辻に立てられ、旅人にとっては街道を示す道しるべであったことから、ヘルメス神は旅人の庇護者とされ、生者と死者の案内人や伝令、さらには商売や交通を司る神としての性格を備えていったと考えられる。-wiki。と同時に好色な神様でもあった。 -
へルメスの超自然的な杖ケリュケイオン(カドゥケウス)。この杖をもち、有翼のサンダルを履いて冥界・地上世界・天界を往復すると言われる。
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アスクレピウスの杖とヘルメスのカドウケウスとの違い。
医療の神様であるアスクレピオスの杖とちょっと似ているので混同され、'メディカル・カドゥケウス 'などと呼ばれ医療機関の標章等に使われたりしてるらしい。 -
ドミティアヌス神殿。
1世紀に皇帝のために建てられた最初の神殿だったと言われる。が、ドミティアヌス帝の暗殺後、生前の皇帝の独裁、暴虐に対する民衆の憎悪によって破壊され、石碑からは「ドミティアン」という文字が抹消されてしまったという。その後、この神殿は 彼の父親であるヴェスパシアヌスに捧げられた。 -
ポリオの泉。アーチの部分が真新しいので修復されたものであろう。
マルナス水道橋(建設者の名に因んでセルヴィリウス・ポリオの水道橋、略してポリオの水道橋ともよばれる)建設で功績のあったセルヴィリウス・ポリオに捧げられた泉で、その義理の息子であるオフィリウス.プロクラス(Offilius Proculus)によって建設された。
参考:https://www.mynetbizz.com/pages/turkey/ephesus/fountain-of-pollio.cfm
https://famouswonders.com/ruins-of-ephesus/
3つの水源(42㎞離れたクシャダスのケンケリオス川、15㎞離れたマルナス川の源流であるチャムルク村の小川、そして20㎞離れたカイストロス川(現キュチュック・メンデレス川)からセルヴィリウス・ポリオの作ったマルナス水道橋、別名ポリオの水道橋(Gaius Sextillius Pollio Aqueduct)を経由してこの泉に引水したあと土管の配水システムによって各所に水が分配されていた。
ポリオの水道橋の画像:https://www.researchgate.net/figure/The-Pollio-aqueduct_fig3_287526562 -
上水道の配水用土管。あるいは下水用なのだろうか?
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ポリオの泉の横にあるサインボード。1958年の発掘状態と修復および再現された状態の写真が見られる。ポリオの泉詳細:https://classicalmonuments.tumblr.com/post/610888691064422400/pollio-monument-and-fountain-of-domitian-ephesus
この2階建ての泉はクレテス通りの一番高い場所にあり、エフェスの街のどこからも見えたという。
エフェスは土木建築技術に優れたローマの支配下にあって当時としては上下水道のインフラにおいて時代の先端を行っていた。このポリオの泉はそのよい一例である。 -
プリタネイオン(市公会堂):
宗教行事、公式の会議や晩餐会などに使用された場所である。
紀元前3世紀頃に建設がはじまり、拡張を続けローマ帝国のアウグストゥス帝の時代に完成したと言われる。ここはヘスティアの聖なる火が灯る場所とされ、その聖火を守る人々は名誉職とされ、数百年にわたって灯され続けた。
と同時に当時の人にとって火はシンボルとしてだけではなく、実際の日常生活においても非常に重要なものであった。当然、マッチやライターなどは無い時代であるから、住民達は松明をここに持って来て種火を貰い、家に持って帰って炊事や暖房などに使用していた。 -
オデオン。約1400人収容できる小劇場で代表者会議やコンサートを行っていた場所。当時は屋根付きだったらしい。
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アッパーバス。アッパージムの付属施設と思われる。(いまだにヴァリウスの浴場と書いているサイトもあるのだが最新のものはアッパーバスと改定されている。)
http://www.my-favourite-planet.de/english/middle-east/turkey/ephesus/ephesus-gallery-1-008.html
*中ほどに ’It was once thought to be the Varius Baths, an outdated theory which still appears in several tourist publications.′とある。
ここはエフェスでも最大の浴場だったと言われる。ローマ浴場ではよく見られる床暖房式で、浴場だけではなく、オリーブ油を使ったマッサージパーラーや高温浴室、冷浴室など、現代のスーパー銭湯のような施設が既に当時存在していた。。。
もうここまでが限界だった。3:30pm。制限時間いっぱい!!北入り口で待っているタクシードライバーのオジさん、まだかまだかと気をもんでいるいるのではないか?早く引き返さないと!!クレテス通りの坂道を'Excuse me'を連発しながら他人の体に触れないように、つき飛ばさないように普通の歩幅の1.5くらいの大股で歩き抜ける。本当は南口で待っててもらえば戻る時間も節約できてよかったのだろうが、そう思いつくのが遅すぎた。それに未知の土地で違う場所を指定すると自分で分からなくなるんではないだろうか?それもあって同じ場所を指定したのだったが。。。いづれにせよ、もう30分は欲しかった。 -
タクシードライバーのオジさんはちゃんと北入口のパーキング場で待っててくれた。途中、キャッシュが足りないのでATMに寄ってもらいチップを含めて1800TRYを払い、イズミール空港前で別れた。5時ちょっと前。フ~~、あとはちゃんと飛行機に乗るだけだ。
アドナン メンデレス空港 (ADB) 空港
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出発のボード。私の乗る19:35発のフライトPC2195はこのボードの左側にかかっていた。間違ってこれよりもっと遅いフライトが載っているボードの写真を撮ってしまった。^ー*
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チェックインのあと、ゲート周辺で喉が渇いているのに気づいて、アプリコットジュースを飲んだ。そして搭乗!今度も窓際だ。
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夕闇が迫ってくるが、まだ明るい。サビハ空港に近づくPC2195.
今日のエフェス遺跡のことを思い出している自分がいる。それにしても、我ながらよく歩いたものだと思う。健闘賞!! -
空から見るイスタンブールの夜景。イルミネーションがきれいだ。
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オンタイムにサビハ空港到着。空港ビルをでてHavaistのバス停に向かう。標識は見当たらないが白いバスが並んでいる通りにバス停がありそうだ。
サビハ ギョクチェン国際空港 (SAW) 空港
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振り返ってサビハ空港にお別れ!!
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Havaistのバス停にタクシム広場行のバスが来た。30分間隔で運行されているようだ。
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バスの料金はドライバーのオジさんにキャッシュで払う。お釣りもちゃんとくれる。
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朝来たときは大違いで帰りのバスは渋滞もなくスイスイとすすみ、50分位でタクシム広場についた。出発地点と同じ場所にストップしたバスから下車する。ポイントホテルの真ん前に立った時、波乱含みのエフェス遺跡行がここで何とか終了したことを実感!!
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歩いてNippon Hotelに向かう。途中のケバブ屋さんからおいしそうな匂いが漂ってきてて、通り過ごしてはいけない気分になり、お店にはいってキョフテを to-goで注文。ちゃんとサービスのチャイを出してくれて15分位でキョフテミールを作ってくれた。
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これがそのキョフテミール。フラットブレッドやサラダもついていてとても美味しかった。明日はルメーリヒサリ、トプカピ宮殿探訪だから、シャワーを浴びて疲れた足のマッサージをして早くねるとしよう!!波乱含みのエフェス遺跡だったけど、期待に違わぬ素晴らしい遺跡であったし行けて本当によかったと思う!!
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この旅行記へのコメント (2)
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- とろろんさん 2023/09/04 06:45:57
- はじめました。
- はじめまして!
シカゴ在住なんですね。空港はよく利用しますけど行った事がないので
いつか行ってみたいです。
私はオレゴン州在住なんですけど
シカゴからは海外への格安チケットは頻繁にアップされるものなんでしょうか?
トルコには大昔にツアーで日本から行った事があるのですが
もう一度行きたいなあと思ってた場所です。
エフェス遺跡はとても印象に残ってます。
詳しい内容の旅行記を拝読したら行きたい!って気持ちが高まりました。
- Noraさん からの返信 2023/09/04 09:16:57
- Re: はじめました。
- こんにちわ!’いいね’と書き込みどうもありがとうございます。当方、シカゴ郊外に在住ですが、時々ダウンタウンにも行きます。
お住まいになっているオレゴン州は風光明媚なところが多いですね。いつかCannon Beachの夕日なんか撮ってみたいと思ったりして。。。海外への格安チケットですか?当方そちらはあまり明るくないのですが、どうなんでしょう?こうした旅行にはいつもAAとかUAのアワードマイルを使っているものですから。エフェス遺跡は前から行きたいと思っていたので今度念願がかなってハッピーです。今後ともよろしくお願いいたします。
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