2023/03/15 - 2023/03/21
254位(同エリア623件中)
ミズ旅撮る人さん
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オールド・アジアを随所に残しつつ、ものすごい勢いで変化しているバングラデシュ。
人口は1億6,630万人(2021年)で平均年齢は24歳!若い労働力に満ちています。
国民のIT教育と海外出稼ぎによる外貨収入の増加、そして急速なインフラ整備。
目まぐるしく変化している最中の国を訪れるのは、おもしろいです。もうこの光景は数年先には見られないのだと思うと、道路脇のゴミの山ですら感慨ひとしお。
2日目は、ボグラのホテルを出発して北西に105㎞。パハルプールにある世界遺産の
仏教遺跡を見学します。8世紀にパーラ朝によって建造されたレンガ造りの遺構です。
330m四方の敷地の中に177の僧房に1,000人以上の僧が修行をしていました。
今では僧房跡が囲む中に大塔や台座が点在しています。
寺としては機能していないので見られるのは遺構だけで、発掘されたものを展示する博物館が併設されています。
敷地内のレストランでの食事まで時間があったので、リキシャに分乗して周辺を周遊することになりました。これがとってもおもしろい。昨日一日バスの中で過ごしただけに、リキシャの荷台で風を受けながら、くねくねとした狭い村の中を走るのは爽快でした。
リキシャを降りたみんなの生き生きとした顔ったら。
昨日は一日「籠の鳥」だったので、地元の乗り物に乗って、少しバングラの空気がわかって来ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
私達のボグラでのホテルは、バングラデシュ北西部で一番高級なホテルと言われるHotel Naz Gardenでした。広い敷地にプールまであるリゾートホテルだそうです。
午前8時にホテルを出発して、目の前の環状道路に出ると何故か辺り一面、救急車だらけ。何が起こったのかと思ったら、お向かいに大きな大学病院がありました。この国の救急車は日本のように消防署から出動するのではなく、病院からなのですね。
旅行中、随分救急車には会いました。日本のように優先権が確立されているわけではないようで、モーゼの十戒のように、車が道を空ける光景は見られませんでした。そもそも避けられるスペースがないのですから仕方がありません。救命率は低いだろうなあ。
平均年齢24歳のバングラデシュ。平均寿命は、1980年は53才だったのが、2017年には大幅に伸びて72才になっています。国の発展が目に見えますね。既に「最貧国」は脱却しました。
2019年の人口ピラミッドでは、最高値が15~19才で、徐々に減りながら60才以上で極端に減っています。
つまり圧倒的に若者が多い。老人が少ない国なのです。
日本の国土の4割の面積に既に1億6千万人以上の人口がいます。この数値だけでも、ものすごいパワーを感じます。 -
環状線を北上し、ボグラの北にあるBiman Moreという大きなロータリーには、何故か戦闘機が置かれています。
1971年に建国したばかりのバングラデシュは、まだ独立戦争の遺構が残っているのでしょう。 -
ここのリキシャはオシャレな馬車のようです。地方色があるのがおもしろい。
-
いきなり巨大な建物が、沿道の家々の頭越しに現れました。
TMSS Medical College & Rofatullah Community Haspatalです。
オランダが援助して建てた医科大学と附属病院です。
バングラデシュには、その人口の多さから将来の需要を見越して、諸外国からの援助が盛んに行われています。
それで、こんなにアンバランスな風景が出来るのでしょう。
日本も、パキスタンから独立した時に、早々にバングラデシュを承認して援助を始めています。
昨日渡った鉄道の走るジャムナ橋は1998年に日本の援助で完成しました。これによりジャムナ川によって東西に分断されていた国土が繋がりました。 -
小さなトラックに20人は乗っているでしょうか。
アジアでは、主に働くのは女性という国が多いですが、バングラデシュは男性がよく働いています。
ムスリムの教えがあるので、女性は家の中にいるからこうなるのですね。
隣のインドとは全く違う男女の在り方です。 -
北上していた道を西向きに曲がりました。
子供たちが遊んでいます。何故か、この年代の子供たちは、親が連れている子以外、あまり見掛けませんでした。学校に行っていたのかな?
今日は金曜日。イスラムの安息日です。学校もお休みだね。 -
バナナとマンゴーの畑。
現地ガイドが言うには、バングラデシュはバナナとパイナップルが最も美味しいのだそうです。
そのガイドは、朝から懸命に喋っていますが、あまり日本語が上手くないのと、妙に日本びいきで対応に困ることがあるので、バスの中は誰も応答することなく静かでした。
とうとうガイドが声を大にして言いました。
「皆さん、どうしたら、盛り上がるんですか?」
確かに外国人なら人種に大差なく反応があるでしょう。
しかし、日本人相手にバスの中でわいわいやれと言っても無理です。
我らは全員一人参加なので、誰一人知り合いもいないのですから。
ましてや、何を言っているのかわかりにくいガイドに返答の仕様がない。 -
荷台に麻袋を乗せて走る自転車。これもリキシャ?
中身は赤いジャガイモです。野球の硬球より若干小さめくらいの小さなジャガイモが市場の前に大量に置かれています。それらを㎏単位で購入して、麻袋に詰めて持ち帰るのです。
小さなジャガイモは、よくトルカリと呼ばれるカレーに入っていました。 -
男性の民族衣装ルンギの裾を持ち上げて畦道を歩く人。邪魔ならもう少し短くすればいいのに。まさか生足を出すのが恥ずかしいの?
-
これでよく荷崩れを起こさないものです。このくらいの積み荷は至極当たり前。
アジア各国をバイクで走って巡る人が、メルマガにバングラデシュは派手なデコ・トラックが横行していると書いていましたが、どれもこの程度ですごく派手なトラックには会えませんでした。
デコレーションのバリエーションならリキシャの方が、地域によってさまざまでおもしろいです。 -
都市部には、まだ建設中のうちから全面広告になっている建物が散見されます。
広告にすれば、壁を塗るのは広告主で経費節約になるのかな? -
「THE FREIENDS」という店。珍しく小綺麗な店頭に人だかり。椅子まで設えられているのは本当に珍しい。何の店だったんだろう。
左右の店は古いシャッターが下りたままです。そういう店は、かなり目立ちました。
個人経営を好む国民性のため、小さな店舗ばかりが並ぶバングラですが、
立ち行かなくなったのか、はたまた小店舗を切り盛りするより、中近東に出稼ぎに行ったのか。
カタールの首都ドーハの観光をしている時、40℃を超す日中に見られる人影は、出稼ぎに来ているバングラデシュ人くらいだと教えられました。裕福なカタール人は涼しい自宅に籠って、夜になると出て来るのだそうです。
強烈な日差しに目がくらみそうな炎天下、バングラデシュの出稼ぎ労働者たちは道路工事をしていました。
海外出稼ぎ労働者による送金流入は、特に中東諸国から多く、GDPの約5%を占めています。 -
線路の敷地内に堂々と西瓜を積み上げる商人。こちらは既に使用されていない引き込み線のようだけど、向こう側は現役です。この写真だと西瓜が列車に弾き飛ばされるように見えますが、しっかり間隔は空いています。
あちこちで楕円形の大きな西瓜を見掛けましたが、私達の食卓にはついぞ現れませんでした。食べてみたかったな。今回のツアーでは、そんな物がいっぱいでした。一体、何を食べて来たんだろう? -
荷台には生きた鶏がいっぱい。
バイクのハンドルや後部座席に生きたまま縄で縛ってぶら下げられた鶏は見ますが、こんな専用のケージが備え付けられているのは初めて見ました。 -
パハルプールの遺跡に到着しました。
敷地の入口は閉まっていて、人々は歩いて中に入って行くのですが、
ガイドが守衛に交渉して、バスを敷地内に入れさせてもらいました。
そんな特別扱いをしてくれるのも驚きですが、そんなに安全に問題があるのだろうかと、少し怖くなりました。
敷地内には観光客のための警察官もいて守られていましたが、ツーリストポリスが必要な治安状態だという事でもあります。
写真は敷地内にあるレストランで、私達の昼食場所でした。 -
博物館の塀に、発見当初の遺跡の姿が掲げられていました。
19世紀初頭からイギリスが発掘を始め、1923年にインドの(当時はインドの一部だったので)考古学局が本格的発掘調査に乗り出しました。よくぞこんな小山を遺跡と考えて掘ったものです。 -
園内の木に、リスが登って行きました。
ようやくバングラデシュの動物に会えました。
牛や山羊はよく見たけど、それらは家畜だから、野生の動物は初めてです。 -
遺跡の説明が英語とベンガル語で書かれています。要約すると
ここはかつて土砂が堆積して丘の様になっていました。
1923~34年にかけて発掘調査が行われ、グプタ朝(479年)の銅板、石の碑文、石とブロンズの彫刻、テラコッタのプラーク(壁に付ける飾り板)が発見されました。パハルプールと呼ばれている現地の、当時の名称は「大僧院」であり、パーラ朝の第二代の王ダルマパーラ(770~810年)が建立したことがわかりました。
1982年以降の発掘によって、広大な建物が見つかり、ジャイナ教のヴィハーラ(僧院)である可能性があります。
パハルプールは南北922フィート、東西919フィートで、北翼の中央に精巧な門があります。中庭を囲む4つの棟に177の僧房があります。中庭の中央にある大きな堂宇は十字型でテラスの高い位置に建てられています。無数の奉納仏塔、礼拝堂、小さな寺院、台所などがあります。
寺院の外壁はテラコッタのプラークで飾られています。
パーラ朝は他国の攻撃を度々受け、僧院と寺院は戦火に合いました。
12世には仏教は国家の保護を失い荒廃して行きました。 -
園内を歩いて行くと、大きな高い声で美しくさえずる鳥がいました。
調べて見ると「アオノドゴシキドリ」とわかりました。青喉五色鳥。
わかりやすい名前です。 -
メインの大塔が見えて来ました。正面より少し右側から全体像を撮ってみました。
手前の緑色の物は「USE ME(私を使って)」と書かれたゴミ箱です。ツアーの参加者で、これの写真を撮っている人がいました。そのセンス、私には不足しているなあ。
すると、もう一人「私もゴミ箱、撮るよ。」という人がいました。そうか、もっと興味を持つ対象を広げないといけないなあ。
今回のツアーの参加者は旅の強者ぞろいなので、何かと勉強になります。
バングラのツアーに申し込んだ時、一番期待していたのは参加者でした。きっとアジアに強い、歴戦の強者たちが集まって来るに違いない。
そういう人達に会えるのが楽しみで、出発する前からワクワクしていました。 -
外壁が左右にずっと続きます。
330m四方だそうなので、これで約150mですね。 -
右側も同様に続いています。上から見ると中は細かく仕切られていて、僧房になっていました。これが四辺を囲んでいるのですから、177の僧房があったのも頷けます。
因みにガイドブックには117と書いてありました。博物館の看板の方を採用します。 -
左(南)側には既にツアーの人達が散開しています。
右(北)側よりも起伏があって、絵になります。 -
大塔は十字型の4段の基壇があり、その上に円錐形のストゥーパが聳えていました。入口に、復元模型か想像図を掲示してくれると、想像しながら見やすいんだけど。
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これを見ても、どういう形をしていたのかわからないと、ただのレンガの山です。あの外に突き出した壁は何だったんだろう?建物はどの部分にあったのか?疑問だらけで、不満が溜まります。かつては基壇の部分には入れたのだそうですが、1985年に世界遺産に認定されたので、立入禁止区域になりました。
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博物館の中にあった復元模型です。これを先に見ていれば、どういう建造物だったのかわかって良かったのにな。
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僧房の説明書です。やはりここにも177室あったと書いてあります。
一部屋の寸法は4.26m×4.11m。何故か若干正方形ではないようです。 -
僧房だけではなく、この辺りには色々な建物があったようです。
ただ、それらは復元模型でも詳細には作られておらず、上物がどんなものだったかは不明です。 -
どこを見ても、レンガの土台ばかり。たぶん殆どが土の中に埋もれていたのでしょうから、仕方がありません。
僧院は戦争で焼かれて、往時には既に失われていたのですから。
その後も仏教が続いていたら復興したかもしれませんが、インド同様、仏教が再び信仰されることはありませんでした。
ましてや、現在のイスラム教では偶像崇拝を否定していますから、寺院などは顧みられなかったでしょう。 -
基壇の外周には、テラコッタのプラークが張り付けられています。
建物が元の形を失っているのに、これだけが残っているのは変です。
ツアーの人がガイドに「これ、本物なの?」と聞くと「本物です。」と答えます。しかし、プラークの下部には2001などの年号と思しきものが見られます。 -
どう見ても復元された物なのに、ガイドは「本物です」の一点張り。
どうも、よく知らない事を言い切って、間違っていても訂正しないで言い張るようです。
ツアー参加者たちは、イヤホンガイドを付けているので、ここにはいなくても全員に聞こえています。 -
当時の彫刻様式は、かなり自由奔放な描き方で、あり得ない骨格をしています。これは他のアジアの国とは異なる特徴です。ベンガル文化なのでしょうか。
プラークの上部の枠の装飾がよく整っています。細工も細かく独自の形をしています。これがここで見られる唯一の装飾です。他の部分にはどんな装飾が施されていたのでしょう。 -
人が描かれています。それぞれのポーズがとても柔らかいのが特徴です。
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大塔は、普通の寺院のように四角形ではなく、まるで要塞のように出っ張り引っ込みがあります。
そして、それぞれの基壇の壁にプラークが張り付けられています。
一部分にオリジナルを残してあるらしいですが、殆どのオリジナルは博物館に展示されています。 -
これだけの規模の僧院は、本当にすごいです。
インドでは既に仏教は衰退していたので、8世紀以降、ここはアジアの仏教の一大拠点となりました。
8世紀中頃から12世紀には、ベンガル地方からインドのビハール州にかけて、パーラ朝が興ります。
パーラ朝の王家は仏教に帰依し、ダルマパーラ王(在位、770-810頃)の治世にインド最大の勢力となりました。
この王がこの僧院を建設しました。
パーラ朝のもとでタントラ仏教と呼ばれる後期大乗教、あるいは密教が発展し、パーラ朝様式と呼ばれる仏教美術を生み出します。
王家が寄進を行ったナーランダーやヴィクラマシラー(ともに現ビハール州内)、またパハルプールのソーマプラ僧院などから、当時の仏教文化の繁栄が伺えます。
中国の玄奘三蔵(602-664)や義浄(635-715)もこれらの僧院を訪れ、ネパール、チベット、東南アジアからも多様な留学僧が集まりました。最盛期には1,000人を超える僧が住んでいたと言われています。 -
曲芸のようなポーズをとる事に、どういう意味があるのかしら?
本当にこんな柔らかい様式は見ないなあ。 -
真ん中にはコブラがいます。左端はガルーダみたい。
不思議なことにプラークに描かれているのは、動物や人間だけでなく、ヒンズー教の神も含まれているそうです。 -
大塔の西側を回り込んでいます。塔の部分に大きな穴が見えます。
あれは明かり取りの窓なのかな?だとしたら中に拝殿があった?
仏像が安置されていたのかな?
でもミャンマーのパゴダ(仏塔)は独立していることが多いから、
ここも塔だけで、寺院は別棟かな? -
近くに丸い基礎部分のある場所があります。こちらにも小塔があったのかな?
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大塔の上に鳥が来ました。
Myna。インドハッカという鳥です。ムクドリ科で南アジア、特にインド・パキスタン・バングラデシュに多く生息するスズメ目の鳥です。 -
西側の僧房です。こちらにも大きな建物があったようです。
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北西の角に来ました。敷地の外も何もないので、遠くまで視界が開けます。
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2段になっているプラークの上には最上段の階層が見えます。
そこには小さな塔もあったようです。 -
北側には本来の正面入り口があります。
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立入禁止の筈の大塔に、ひょっこり人が現れました。
草取りをしている人のようです。 -
大塔の正面側には階段があり、そこに木の杭が並んでいます。
かつてはここに木製の階段があったものと思われます。 -
北門に来ました。
11世紀末から13世紀中頃には、ノボディープ(インド西ベンガル州ノディア県)を都とするセーナ朝が興ります。
ヒンドゥー教を庇護したセーナ朝は、12世紀半ばにはベンガル全域を版図に治めます。
しかし、第五代ラクシュマナ王(在位1178-1205年頃)治世の末期に、
バクティヤール・キルジーが都ノボディープに侵攻したため、ダッカ近郊のビクラムプルに遷都します。
セーナ朝のもとでは、ヒンドゥー教にちなんだ文学や芸術が発展します。
他方、王権の庇護を失った仏教は徐々に衰退しますが、民衆レベルでは仏教の密教化やヒンドゥー教との習合が進みました。 -
門自体は失われていますが、周囲の建物が比較的しっかり残っています。
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ここが門です。左方向に大塔があります。
復元模型では、門の上には塔があったようです。どうしてわかるんだろう? -
北の正門の上から大塔を撮りました。これが今回の表紙です。
例の緑のゴミ箱がありますが、何故かゴミが周囲に散らばっています。
他のゴミ箱もそうでした。どうやら鳥がゴミ箱の中身を荒らすようです。 -
東側を見ています。中央に見学用の通路があります。
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門もレンガ造りで、辺り一面レンガだらけなのですが、ここで不思議なことに気が付きました。普通、レンガを積む時はびっちり垂直にして1段ごとに互い違いにします。でも、ここのレンガは形が不揃いで、ちゃんと並んでいるようで波打っています。どういう積み方なのかしら?壁の部分だけが綺麗に積まれています。
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東側に戻って来ました。見学用の橋を渡って、博物館のある方へ向かいます。
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奥に見える白い建物が博物館です。その手前にはトピアリーがいっぱいの庭があります。バングラデシュの国旗が見えます。
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親子の象や孔雀。よく出来ています。イギリス植民地時代の名残かな?
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どうやら、彼の作品のようです。真剣にはみ出した枝に剪定鋏を入れています。
正面のレンガ色の建物は考古学局のレストハウスです。ゲストハウスになっていて、安価で泊まることが出来ます。 -
正直、ここでこれだけのトピアリーを見るとは思ってもみませんでした。
奥の黄色い花はひまわりで、左端の濃いピンクはダリア。背後にはコスモスとサルビアが咲いていました。
常夏の国なので、花にも季節感がないようです。 -
ダリアとバラ越しに大塔を望む。トピアリーの動物たちも参加して来ます。ダリアの足元にベンガル語で何か書いてあります。あの独特な文字をよく植物で表してあるなあ。
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庭の入口アーチから大塔。
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「あそこ、WELCOMEになってますよ。」ツアーの若い男性が教えてくれました。この頃から徐々にツアーの人達が話を始めました。
みんな同じようにアジアの遺跡好きなのですから、テンションが上がって来ると、話したいですよね。このツアーの参加者たちは全員一人参加ということもあって、気軽に誰でも話せる雰囲気がありました。 -
博物館に来ました。そこへツーリストポリスがやって来ました。
なんと日本人と一緒に写真を撮りたいので、ついて来たのだそうです。
ここに到着した時から感じていたのですが、私達はものすごい注目の的でした。あまりに四方八方から見られるので、なんとなく固まって行動してしまいます。バスを敷地内に入れたのは、どうやらこれ対策のようです。バスを降りるなり、囲まれたらちょっと困ります。
博物館に入る前にどうせ博物館は撮影禁止だろうと、現地ガイドに確認しました。すると「気にしないで撮っていいです。」と言います。
「え、本当に撮っていいの?」「はい、いいです。」
規模は小さいけれど、期待以上に秀作のレリーフが並んでいます。
これが撮れるとは嬉しい!!!
館内は簡素なガラスケースが並ぶだけ。まとも調査が行われていないのか、ろくな説明文もありません。
イスラム国だから仕方が無いのかな。
撮影をしていると途中でガイドが大声で写真撮影を止めました。
やはり撮影禁止だったようです。確認もせずに撮ってもいいなどと言うので、日本人はマナーがなっていないと思われてしまいました。
見るからに複製のテラコッタを本物と言い張るし、案内する場所の正確な知識がないようです。そもそもパンフレットに紹介されていたガイドとは違う人なので、ピンチヒッターなのかもしれません。
館内で撮影した出土品の写真は、サイトにより掲載禁止とされているため、ありません。 -
復元模型は一段高い段の上にガラスケースに入っています。
段の上に上がって覗き込もうとしたら、それも静止されました。
上がるのも禁止なのだそうです。近寄れないの?
ガラスケースに反射して写真を撮るのが難しいです。
私達は協力して、光が入って来る方向に誰かが立ち、影を作って撮影しました。ここは取り敢えず、撮影しても怒られませんでした。
こうして俯瞰してみると、アンコール・ワットに似ていますね。
パハルプールの僧院は、他にもミャンマーのバガンにある寺院群やインドネシア(おそらくボロブドゥール)にも影響を与えたと考えられています。 -
想像図の映像が流れていました。真上から見た大塔です。
模型では円錐形の塔なのですが、映像では四角錐のように見えます。
世界遺産になっても、正確な情報が得られないようです。
仏教遺跡だから、どうでもいいのかなあ。 -
昼食のレストランは最初に見た敷地内の建物です。しかし、金曜日は開店が遅いのだそうで、1時間以上の時間が余ってしまいました。まだ11時です。そもそも何時に昼食の予定だったの?
そこで、敷地の中から出て、リキシャの体験乗車をすることになりました。私達は自費でいいから乗りたいと、添乗員に懇願したのです。
初めてのバングラデシュのツアーで、手探りなところもあり、日程はざっくりとしたものになっています。
この日の予定は、この仏教遺跡見学の後は夕日鑑賞しかありません。
敷地の門から外に出るのは、あまりに人が集まって来て注目するので、ちょっと腰が引けたけれど、こうなったら開き直りが大事です。見られたら、見返せばいい。バングラ人は写真が大好き。
撮られるのを待っているのです。もっと積極的な人は、自分のスマホで一緒に自撮りして行きます。 -
こちらの男性陣も、最初はムスリムだから撮影禁止かと思っていたら、撮って撮ってと集まって来るものですから、大喜びであちこちの女性たちを捕まえては(いや、男性もです)撮影していました。
左の彼女は自分のスマホで撮りたくて順番待ちしています。
彼女たちは、撮影OKなだけでなく、顔を出していました。 -
リキシャの荷台には4人が乗れます。私達は14名なので、4台に分乗して出発しました。
私は最後尾なので、前のリキシャの様子を撮ることが出来ました。 -
後ろを振り返ってみます。まさかこんな場所をリキシャで走ることが出来るとは思いませんでした。
一気にハイテンションにシフトアップします。
荷台には低い背もたれしかありません。転げ落ちないように片手でしっかりと掴まりながら振り返ります。 -
この狭い道でトラックに追い越されました。
今までは大型バスで追い越す立場でしたが、初めて抜かれるリキシャの立場になりました。後方からクラクションを鳴らしてトラックが近付いて来ると、リキシャは道の端に寄ります。道の真ん中にしかアスファルトは敷かれていないので、斜めになりながら土の地面に片足を出しながら傾き走行を続けます。どのくらいまで避ければいいのかリキシャマンは熟知しているのでしょう。 -
集落を抜けると田んぼが広がりました。バングラデシュは緑の濃い風景が多いです。
国旗の色も緑色です。緑はイスラム教の教えと豊かな農地を表し、中央からやや旗竿寄りにある赤い円は太陽を表しています。独立戦争で流された兵士たちの血を表してもいるそうです。
独立した翌年の1972年に制定され、日の丸を参考にしたと言われています。当時の日本は高度経済成長期で、日進月歩を体現していました。独立間もないバングラデシュもあやかりたかったのでしょう。 -
田んぼに挟まれた道をひたすら走って行きます。
リキシャは荷台の前は自転車です。自転車で4人も乗せて走って大丈夫なの?すると足の下からモーター音が聞こえて来ました。あら、電動なのね。ああ、良かった。
以前、インドのカジュラホで寺院からホテルまでリキシャに交渉して、乗って帰って来ました。骨と皮のおじいさんが、長い距離をうんうん言いながら漕いでくれました。ああ、あんなに値切らなきゃ良かった。申し訳なくて、いたたまれませんでした。もちろん、値段交渉に応じた以上、それが相場か少し高かったのかもしれません。それでも、ホテルに着いた時、チップをはずんでちょっと気持ちが軽くなりました。
以来、人力のリキシャは苦手です。これは電動で良かった。 -
また集落の中を走ります。道は真っ直ぐなところがほとんどなく、曲がりくねって行くのでどの方向に走っているのか全然わかりません。
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沿道の人達は私達の隊列を見ると手を振ってくれます。
それを必死で掴まりながら重い一眼レフで撮影しています。
いや~、腹筋がもう少し強かったら楽だったかなあ。 -
振り返って見ると、バナナのアーチになっていました。
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予想よりも長く走るようです。楽しいからいくらでもOKなんですが、ちゃんと最後まで転げ落ちないでいられるかしら?
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隊列の中に、バイクが動力の、屋根のないトゥクトゥク?が混じっています。あれよりは、自転車もどきの方で良かったな。
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子供たちは、昔のアジアの子供たちよりもずっとこざっぱりとした綺麗な服を着ています。
現在のバングラデシュ政府は、世界の貧困国からは脱却したので、「成長の軌道にのったアジアの新興国」という理想を掲げています。
成長率は2015年に7%に達し、2019年には8%になったものの、コロナでダウン。2022年は7%まで回復しました。
2024年までには国連の定義における後発開発途上国(Least Developed Country : LDC)ではなくなることを目標にしています。
「アジアの最貧国」という概念はもう古いのです。 -
後ろから追い付いて来た少年たち。こんな満面の笑みを浮かべられたら、撮らせてもらいますとも。
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地元の人がリキシャを利用しています。彼女たちも顔を隠していませんね。
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びっしり成ったバナナ。黄色くなるのは、あとどれくらい?
バナナの葉が白くなっています。これは土ぼこりが雨で葉にこびりついたため。生育に問題は無いのだろうか。 -
開けた場所にいきなり校舎のような建物が現れました。
子供がたくさんいるから校舎を新築中なのかなと思ったら、鶏が柵の中にいます。端から端まで鶏だらけ。え?ここは養鶏場なの? -
カボチャの黄色い花が咲いています。
不思議なのは、あれだけ大量に市場にあったジャガイモの畑が見つからない事。隣はトウモロコシ畑です。ああ、食べたいなあ。 -
今度は麦畑。さすがに河川の氾濫で土が肥えているから農産物が豊かです。
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水田に鴨が放されています。日本でもどこかで鴨による無農薬栽培をしていますね。
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この辺りの風景は、おおよそこれなんだなと分かって来ました。
それにしても、風に吹かれながら、ガッタンバッタンと進むリキシャ。
なんて楽しいのでしょう。どのリキシャからも笑い声が聞こえて来ます。
ようやくバングラデシュに来て、心から笑えました。 -
鍬を担いだ農夫が足を止めました。
外国人が鈴なりのリキシャが4台も通れば、振り返ってでも見ますよね。 -
ここにも養鶏場がありました。何故、人間が住んでいる家よりも立派な建物に鶏が住んでいるのでしょう?鶏でそんなに儲かるのかしら?
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レンガ工場の煙突が見えて来ました。本当にどこにでもあります。需要が多いのですね。
あれは二酸化炭素の排出が問題になるんじゃないかな。
レンガ以外の建築資材を考えないと大気汚染は良くなりません。
昨日からずっと光化学スモッグの厚い雲の下にいます。 -
私達が通った後は、近くにいた人はみんな道路際に出て来たんじゃないかしら。
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ムスリムのヒジャブも随分とカラフルでオシャレになっています。
この辺りでは真っ黒の目出し装束の女性は見られません。あれじゃ農作業は無理だものね。 -
丸太を積んだトラックとすれ違います。木材としてよりも、薪の需要が多いんじゃないかな。
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後ろに来たバイクリキシャの彼らは楽しそうにずっとついて来ました。
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緑一面の中で赤い衣装が目立ちます。バングラの人達はムスリムでもサリーを着ます。インドではサリーを着ていればヒンズー教徒ですが、バングラではサリーでもムスリムです。
どうやって見分けるのかとガイドに聞いたら、額に赤く付けるビンディや既婚者の髪の分け目に塗る赤い線(シンドゥール)を目印にするのだそうです。
本家のインドでは、赤い点のビンディは流行らなくなり、色とりどりの宝石のようなシールを貼る女性が増えているのだとか。夫が亡くなって寡婦になるとビンディはつけません。 -
これらの牛糞はこの家の燃料になるのだろうか。
以前インドで、地面にぺったりしゃがんだサリー姿の女性が素手でたっぷり水分を含んだものをすくい上げて、当たり前に集めていたのを見ました。素手なんだ・・・ショックでした。 -
ゲームボードの前にいた子供たち。どんなゲームなんだろう?
バングラデシュでは、イギリスの影響でクリケットが人気なのだそうです。 -
追い付いて来た自転車の三人組。カメラを向けているので、そっぽを向いてみたり、下を向いて笑いをこらえたり。ちょっとシャイなバングラっ子もいました。
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やがて、すいっと抜いて行きました。バングラデシュには、あの年代がもっとも多くいるのです。彼らの未来は、どんなものになるのでしょう。彼らの生きる力の強さは、国力の源でもあります。
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仏教遺跡の前に戻って来ました。予想外に長い時間走って来ました。
みんな大満足で喜び合っていました。「きっと次回からここのリキシャがコースに入るわよ。」私達、先駆者が先鞭をつけたリキシャ散歩です。恒例になれば地元の利益にもなるなあ。 -
これが私が乗ったリキシャ。サイドミラーが両方に付いています。必需品ですね。
これから昼食を済ませて、ラージシャヒに向かいますが、それは次回にします。
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