2023/04/13 - 2023/04/13
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chemireさん
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この旅行記スケジュールを元に
小倉城再訪は旅のメインではなく、本来の目的は清塚信也さんのピアノコンサートでした。
連日、チケットぴあ(HP)をチェックしていたら、「キヨヅカランド(清塚信也×高井羅人ピアノデュオコンサート)」のリセールチケットを発見。
4/3~4/8まで桜を見る旅をしたばかりだったので、どうしようか迷ったけど、2人のピアノが聴きたくてポチってしまいました。
コンサート会場は日田。小倉や鳥栖も訪ねることにして、6日間の旅のスタートです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4月13日(木))旅初日
博多で昼ごはんつもりが、翆ジンソーダを見つけてしまったので、昼飲みからのスタートとなりました(自宅の近所では、翆ジンを出している居酒屋さんがないんです)。 -
昼のアルコールって、夜より効きます。電車の写真を撮ることもなく乗車して、眠っているうちに小倉駅に到着。
小倉駅 (福岡県) 駅
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15:30
あさのホテルにチェックイン。JR小倉駅から徒歩3分。
急に決めた旅だったので、ポイント集めの東横インは満室。楽天で駅近のホテルを探しました。
建物は古いようだし、どうかなぁと思っていたけど、フロントの対応が丁寧で好印象。朝食も手作り感のあるもので美味しかったし、CP良かったです。
・・・
気温20℃。晴れ。電車の中で寝たおかげでスッキリしたので荷物を置いて、すぐに街歩き開始。あさのホテル 宿・ホテル
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16:15
街の風景を楽しみながら、旦過市場へ。寄り道しなければ、JR小倉駅より徒歩10分くらいみたい。旦過市場 市場・商店街
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この時は火災からの復興中。
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火災により移転していたり、時間的に閉まっているお店もあったりと寂しい感じでしたが、並んでいた野菜や魚は美味しそうなものばかり。
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空間が目立っていたけど、旅行記をアップした今は賑やかさを取り戻しているかな。
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駅で手に入れた地図を見ながら、小倉城を目指します。
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地図と一緒に手に入れたカード。名刺サイズはよく見るけど、これはポストカード大。お金かかってます。
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紫川に架かる鷗外橋を渡って小倉城へ。
この鷗外橋は水鳥の橋という別名があり、水鳥(鴎)が羽を広げているような形状になっているそうですが、歩いている時にはカーブしてるなくらいの印象でした。鴎外橋 名所・史跡
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大手門に向かう途中、しろテラス前で「とらっちゃ」発見。帰りに入館したけど、買い物はしませんでした。
しろテラス お土産屋・直売所・特産品
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大手先門側から。
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大手門跡。
細川忠興の時代は、松本清張記念館そばにある西ノ口門が大手門でしたが、小笠原の時代になって、現在の場所に変えられました。
かつては、大小合わせて48の門があったといわれていますが、現在は8つの門跡が残っています。 -
槻門(けやきもん)跡。
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藩主、家老、菩提寺の住職、英彦山の座主(ざす)のみが通行を許可されていた格式の高い門。
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17:00
本丸跡へ。
以前、天守閣内を見学したことがあったので、入館はせずに城内を探索します。
小倉城天守見学
https://4travel.jp/travelogue/11472229小倉城 名所・史跡
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この日4月13日は、関門海峡に浮かぶ舟島(巌流島)で、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った日。
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小倉城武将隊による演舞が披露されていました。
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佐々木小次郎と宮本武蔵の戦い。
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珪化木。響灘の海底から引き上げられた、今から約4000万年前の木の化石です。
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小倉城の歴史は、1569年(永禄12)に中国地方の毛利氏が城を築いたことから始まります。
関ヶ原の戦いの後、細川忠興が入城し、1602年(慶長7)から約7年の歳月をかけて唐造の天守閣を築城。
野面積みの天守台に建つ4重5階の天守閣は、最上層の入母屋破風以外には破風の無い簡素な外観だったそうです。
1632年(寛永9)に小笠原忠真が入城し、以降は幕末まで小笠原氏の居城でしたが、その間の1837年(天保8)に火災により天守閣は本丸御殿とともに焼失。当時、極度の財政難に陥っていた小倉藩は2年後に本丸御殿を再建したものの、天守閣を持たないお城となりました。
時を経た幕末期、1866年(慶応2)の第二次長州征討では九州の幕府方最前線基地となりましたが、他の九州諸国に戦意が無く、長州藩の攻撃を前に小倉藩は自ら城に火を放って戦線を後退。 -
1959年(昭和34)天守閣再建。
4重5階。木があって見えにくいけど、最上階の5階が4階よりも大きく張り出した南蛮造り(唐造り)が特徴です。 -
天守再建にあたり、建設資金を捻出した地元商工会の「お城の恰好をよくするため」という要望によって千鳥破風・唐破風などが追加され、外観は史実と大きく異なっています。
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破風が追加されたことで、資料的価値の低下が語られたりもしたようですが、私も余計なことはしない方が良かったに一票。
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1600年代、小倉城の天守の面積は江戸城・徳川大坂城・名古屋城に次ぐ広さだったそうです。その巨大な天守を支える石垣は、当時のまま。見応えがあります。
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本丸にある旧陸軍史跡。
明治時代を迎えると全国の城は次々と廃城になり、小倉城には陸軍司令部が置かれ小倉陸軍造兵廠も造られることに。小倉は軍都に姿を変えていきました。 -
旧第十二師団司令部正門跡。
第十二師団司令部とは、1898年(明治31)から1925年(大正14)まで存在した大日本帝国陸軍の師団で、赤レンガの門が当時のまま残されています。 -
十二師団には、森鷗外が1899年(明治32)~1902年(明治35)まで軍医部長として着任していました。
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鉄門跡。槻門を通っていた藩主及び家老などを除く、武士などの登城口として使用。
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階段を下りようとすると、明らかに左右の石積みが違うのが分かりました。下方に向かって右側は、往時に積まれた石垣のまま。
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これは左側。階段とともに、後に造られた石垣だそうです。
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黒鉄門跡の階段を下って、振り返って見ると、
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向かって左の石垣の一部が赤黒く変色していました。
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1866年(慶応2年)、江戸幕府が長州藩に攻め入った「第二次長州征伐」の戦のひとつである小倉戦争の際、火熱を受けて赤く変化した石の焼跡だそうです。
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舞姫。
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森鴎外の生誕150周年記念として、黒鉄門付近に植樹。
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旧第十二旅団本部の正門跡。
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歩兵第十二旅団本部正門跡。
黒鉄門跡の階段を下った正面に見える白い門で、明治18年(1885年)に松ノ丸跡に設置。旅団は、師団よりも小さな軍隊の単位。
門の先に、櫓にしては小さな建物が見えたので不思議に思い進んでみると、 -
岩松助左衛門翁の功績を後世に伝えるため、翁が設計したという白州灯台を模した塔が建っていました。
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庄屋だった助左衛門翁は、白州周辺の絶えない海難を防止するため、私財を投げ打って白州への灯台建設に奔走しましたが、志半ばで死去(明治政府に引き継がれ、灯台は完成)。
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助左衛門翁が小倉藩海上御用掛難破船支配役であったことから、城内に建てられたようです。
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西ノ口門跡。
二の丸から本丸と松の丸へ入る搦手門。築城当時は、こちらが大手門でした。 -
鏡石を見逃したので大手門へ戻ると、武将隊が退散されていきました。
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どのお城に行っても思うけど、現存天守だったなら・・・
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ビルよりも強固に見える野面積みの石垣。
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松の丸がある南側以外、城の北・東・西の三方は水堀で囲まれています。
桜の名所でもある小倉城。満開の時期に来てみたい。 -
暗くなり始めてきたので、見る位置を変えながら何枚も撮影して、次の場所へと急ぎます。
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18:30
天守閣と鳥居のツーショット。 -
八坂神社。暗くて分かりにくいですが、鳥居の奥に細川忠興が小倉城を築くとき大谷から運ばせたという、二基の巨石が置かれています。
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中津口門の大石。
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石があまりにも大きく、人夫たちはへたばり上富野で動けなくなると、忠興は怒って頭の富岡某を手打ちにしてしまいます。
村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養し、これを聞いた小笠原四代藩主忠総は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ」と言ったと伝わり、「細川の大石」・「小笠原の割石」と言われるようになったそうです。 -
忠興は文化人であったと伝わる一方で、短気であったために作られた伝説なのかもしれませんが、これまで聞いていたイメージと変わってしまいました。
晩年になり、角がとれた性格になったそうですが。 -
川沿いを通って八坂神社へ。ここから見るお城も素敵。
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北の丸に建つ八坂神社。参拝の時間を過ぎて閉門していたので、明日また出直します。
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鷗外橋を渡り振り返ると、茜色の空に馴染む天守が見えました。遠方からの方が、南蛮造りの姿が分かりやすい。
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ここで夕食と思ったけど、食指の動くお店がなくて通り過ぎました。
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小倉駅南口にある森鷗外京町住居跡碑。
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森鷗外は鍛治町の家に約1年半過ごした後、1900年(明治33)に京町に引っ越し、1902年(明治35)まで小倉で過ごしました。居宅は、この石碑より南25mの場所に建っていたそうです。
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19:10
駅の近くで、地魚の文字に惹かれて入った居酒屋さんで夕食。地魚屋台 ごっつぁん 小倉魚町店 グルメ・レストラン
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メガハイボールと胡麻ヒラス。
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それから牡蠣フライと、お昼に飲んで気に入った翠ジンソーダ。
と、気分よく飲んでいたのですが、ここで事件が発覚。
メールが入ったので開いてみたら、チケットぴあから、まさかのコンサート中止のお知らせでした。
箸を置いてしばらくフリーズ。ちょっと落ち着いてから、ネットで調べてみたら、理由はハッキリしないけど前日のコンサートも中止になっていて、だったら昨日の時点で知らせてくれれば旅行プランを変更したのに・・・と、怒るやら落胆するやら。
ここでジタバタしても仕方ないからと、とりあえず食事を終えてお会計を済ませました。 -
20:50
ホテルに戻るつもりでしたが、夜風に当たって気分転換を。こうなったら、明日以降のプランを組み立て直すしかありません。 -
鷗外橋が輝いてきれい。これだと羽を広げたという意匠がイメージしやすいです。
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橋を渡り終えると、何やら黒いものが横切ったのでビックリして立ち止まってしまいました。
夜道で暗いし歩道と同系色で分かりにくかったので、じっくりと見てみたら足元にいたのは大きなネコ。ニャーとも言わずノドを鳴らす訳でもなく、寝転がってゴロゴロと行く手を阻みます。
驚かさないでよ、バカぁ。
仕方なく飽きて立ち上がるまで撫でていたら、この子のおかげで、かなり気分転換できました。 -
ライトアップされた天守は、夕方に見た時とは印象が違います。かっこいい。こんなに白かったんですね。
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とにかく石垣がカッコいい。
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イチオシ
水辺に浮かぶ姿が素敵。
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イチオシ
この石垣の角度が堪りません。
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あっちに行ったりこっちに行ったり、石垣と天守の姿を堪能しました。
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夜に見る武蔵と小次郎も、良い感じ。では、そろそろ気分転換の時間は終了にします。
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21:55
駅まで戻ると、999のラッピング車両が頭上を通過。
電車よりモノレールの方が空を飛んでる感じで、999のイメージに合ってますよね。北九州モノレール 乗り物
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小倉駅西口にいたメーテルと哲郎を見て、ホテルに帰りました。
小倉駅 (福岡県) 駅
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