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鶴岡は、徳川四天皇の筆頭酒井公が統治した城下町です。<br />江戸時代、参勤交代で江戸から西廻り船によって京の都から雛人形や雛道具が運ばれてきました。時代の移り変わりの中、荘内藩主・酒井家をはじめとする旧家によって代々大切に受け継がれてきました。<br /><br />山形県出身お雛様研究家故・安倍英子さんが、昭和40年頃から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼びかける『開箱運動』を始め、その運動が契機になって山形県内の多くの市町村で雛飾りが公開されています。<br /><br />通常、写真撮影NGの致道博物館でお雛様の写真撮影はOKと聞き、また本間美術館で公開されている、風間家の雛様がお里帰りをするので、鶴岡に行く今年しました。<br /><br /><br /><br />

☆山形県で雛巡りが多いのは☆ 2023年3月 鶴岡雛物語

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2023/03/25 - 2023/03/25

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この旅行記のスケジュール

2023/03/25

この旅行記スケジュールを元に

鶴岡は、徳川四天皇の筆頭酒井公が統治した城下町です。
江戸時代、参勤交代で江戸から西廻り船によって京の都から雛人形や雛道具が運ばれてきました。時代の移り変わりの中、荘内藩主・酒井家をはじめとする旧家によって代々大切に受け継がれてきました。

山形県出身お雛様研究家故・安倍英子さんが、昭和40年頃から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼びかける『開箱運動』を始め、その運動が契機になって山形県内の多くの市町村で雛飾りが公開されています。

通常、写真撮影NGの致道博物館でお雛様の写真撮影はOKと聞き、また本間美術館で公開されている、風間家の雛様がお里帰りをするので、鶴岡に行く今年しました。



旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 致道博物館<br /><br />致道博物館は、郷土文化向上のために旧荘内藩主酒井家より、伝来の文化財および土地、建物などが寄付され、昭和25年に創立されました。<br /><br />

    致道博物館

    致道博物館は、郷土文化向上のために旧荘内藩主酒井家より、伝来の文化財および土地、建物などが寄付され、昭和25年に創立されました。

  • 致道博物館 旧西田川郡役所<br /><br />明治14(1881)年創建、昭和47(1972)年移築<br />明治初期の擬洋風建築で、棟梁は西洋建築を学んだ鶴岡出身の高橋兼吉と石井竹次郎で、ルネサンス様式の模倣が随所に見られます。<br />

    致道博物館 旧西田川郡役所

    明治14(1881)年創建、昭和47(1972)年移築
    明治初期の擬洋風建築で、棟梁は西洋建築を学んだ鶴岡出身の高橋兼吉と石井竹次郎で、ルネサンス様式の模倣が随所に見られます。

  • 致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎<br /><br />明治17(1884)年創建、昭和32(1957)年移築<br />明治新政府の威信を示すため、初代県令・三島通庸の命で建設されました。

    致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎

    明治17(1884)年創建、昭和32(1957)年移築
    明治新政府の威信を示すため、初代県令・三島通庸の命で建設されました。

  • 致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎<br /><br />平成30(2018)年に修復工事を終え、創建当時の姿になりました。<br /><br />

    致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎

    平成30(2018)年に修復工事を終え、創建当時の姿になりました。

  • 致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎<br /><br />鶴を模した破風妻飾り<br /><br /><br />

    致道博物館 旧鶴岡警察署庁舎

    鶴を模した破風妻飾り


  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />元治元(1864)年建築<br />幕末に江戸中屋敷を一部移築したと伝わる藩主の隠居所。明治の廃城後は旧藩主の住居『酒井伯爵邸』となりました。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    元治元(1864)年建築
    幕末に江戸中屋敷を一部移築したと伝わる藩主の隠居所。明治の廃城後は旧藩主の住居『酒井伯爵邸』となりました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />三井家の雛人形<br /><br />致道博物館の雛飾りは、この旧荘内藩主御隠殿に展示されています。<br />玄関を入ってすぐ左側に三井家のお雛様が飾られていて、正面には三井弥惣右衛門家の段飾りが飾られています。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    三井家の雛人形

    致道博物館の雛飾りは、この旧荘内藩主御隠殿に展示されています。
    玄関を入ってすぐ左側に三井家のお雛様が飾られていて、正面には三井弥惣右衛門家の段飾りが飾られています。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />本来、三井家のお雛飾りは、巾2間半(約4・5m)の六段設えに雛人形・衣装人形・御所人形などを飾る盛大な段飾りです。この会場では再現することが難しいため、四か所に分けて展示されています。

    イチオシ

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    本来、三井家のお雛飾りは、巾2間半(約4・5m)の六段設えに雛人形・衣装人形・御所人形などを飾る盛大な段飾りです。この会場では再現することが難しいため、四か所に分けて展示されています。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />三井家は江戸時代から続く素封家で、代々、三井弥惣右衛門を襲名してきました。<br />お内裏様の女雛の裳には『古今斎原舟月作』と墨書きされ、朱筆で花押も書かれていました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    三井家は江戸時代から続く素封家で、代々、三井弥惣右衛門を襲名してきました。
    お内裏様の女雛の裳には『古今斎原舟月作』と墨書きされ、朱筆で花押も書かれていました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />1995年から開催され今年29回目の『鶴岡雛物語』<br />この段飾りは致道博物館に今年収蔵され、65年ぶりに公開されたそうです。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    1995年から開催され今年29回目の『鶴岡雛物語』
    この段飾りは致道博物館に今年収蔵され、65年ぶりに公開されたそうです。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />三段目 橘、『商家の花見』『猿曳き(男女)』桜<br />四段目 武田人形、『娘剣舞』『花娘』『牛若と弁慶』『駒まわし』<br /><br />名工と呼ばれた初代舟月は、大阪堺の出身で人形師として江戸に下り、日本橋十軒店に雛人形店を開き、従来の人形よりも華美を尽くした『古今雛』売り出し、店は大繁盛しましたが、江戸では造られなかった御殿雛を手がけたことにより、奉行所に呼び出され7年の江戸滞在で、江戸追放になってしまいます。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    三段目 橘、『商家の花見』『猿曳き(男女)』桜
    四段目 武田人形、『娘剣舞』『花娘』『牛若と弁慶』『駒まわし』

    名工と呼ばれた初代舟月は、大阪堺の出身で人形師として江戸に下り、日本橋十軒店に雛人形店を開き、従来の人形よりも華美を尽くした『古今雛』売り出し、店は大繁盛しましたが、江戸では造られなかった御殿雛を手がけたことにより、奉行所に呼び出され7年の江戸滞在で、江戸追放になってしまいます。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />五段目 立雛、みかわ万才<br />初代原舟月が安永年間(1772~1781)ごろに創作し、二代舟月によって(1789~1801)に完成された形式に仕上げられました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    五段目 立雛、みかわ万才
    初代原舟月が安永年間(1772~1781)ごろに創作し、二代舟月によって(1789~1801)に完成された形式に仕上げられました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />五段 市松人形<br />六段 市松人形、いづめこ人形、能面、貝とっくり、手堤弁当

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    五段 市松人形
    六段 市松人形、いづめこ人形、能面、貝とっくり、手堤弁当

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />お膳上 菓子器・押絵雛菓子・手作り小物

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    お膳上 菓子器・押絵雛菓子・手作り小物

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br /><br />お膳上 歌詞器・押絵雛菓子・手作り小物

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り

    お膳上 歌詞器・押絵雛菓子・手作り小物

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り<br />浮世人形 山吹の里<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    泉町 三井弥惣右衛門家の段飾り
    浮世人形 山吹の里

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />阿部家のお雛様 土人形<br /><br /><br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    阿部家のお雛様 土人形


  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />貝合わせ<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    貝合わせ

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />1人1人個性的な動きの或る五人囃子。<br />今にも動き出しそう。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    1人1人個性的な動きの或る五人囃子。
    今にも動き出しそう。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣装人形 六歌仙(小野小町)<br /><br />古今集に代表される平安時代のすぐれた六人の歌人。<br />歌舞伎舞踊では、小野小町と小町に思いを寄せる5人の男性歌人として登場します。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣装人形 六歌仙(小野小町)

    古今集に代表される平安時代のすぐれた六人の歌人。
    歌舞伎舞踊では、小野小町と小町に思いを寄せる5人の男性歌人として登場します。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣裳人形 六歌仙 大友黒主<br /><br />もとは天智天皇、その息子の大友皇子に仕えた一族でしたが、大友皇子が天武天皇との後継者争いに敗北してからは、不遇の時代が続きます。<br />六歌仙の中でひとりだけ『百人一首』や『小倉百人一首』にも選ばれていません。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣裳人形 六歌仙 大友黒主

    もとは天智天皇、その息子の大友皇子に仕えた一族でしたが、大友皇子が天武天皇との後継者争いに敗北してからは、不遇の時代が続きます。
    六歌仙の中でひとりだけ『百人一首』や『小倉百人一首』にも選ばれていません。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣裳人形 六歌仙 僧正遍照<br /><br />桓武天皇の孫にあたり、大納言安世の子供です。<br />仁明天皇の蔵人頭となり、宮廷での出世コースを歩みましたが、仁明天皇の死後妻にも告げず行方不明となり出家しました。比叡山で修業し、光孝天皇により僧正に任命されました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣裳人形 六歌仙 僧正遍照

    桓武天皇の孫にあたり、大納言安世の子供です。
    仁明天皇の蔵人頭となり、宮廷での出世コースを歩みましたが、仁明天皇の死後妻にも告げず行方不明となり出家しました。比叡山で修業し、光孝天皇により僧正に任命されました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣裳人形 六歌仙 在原業平<br /><br />平城天皇の孫、桓武天皇の曾孫で、阿保親王の五男。<br />『源氏物語』の主人公光源氏のモデルの一人ともいわれ、『伊勢物語』の主人公ともいわれています。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣裳人形 六歌仙 在原業平

    平城天皇の孫、桓武天皇の曾孫で、阿保親王の五男。
    『源氏物語』の主人公光源氏のモデルの一人ともいわれ、『伊勢物語』の主人公ともいわれています。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣裳人形 六歌仙 文屋康秀<br /><br />平安初期の歌人で、天武天皇の子孫。<br />紀貫之から『古今集』で、言葉はうまいが身についていない、人柄よりも技巧が勝っていると批評されています。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣裳人形 六歌仙 文屋康秀

    平安初期の歌人で、天武天皇の子孫。
    紀貫之から『古今集』で、言葉はうまいが身についていない、人柄よりも技巧が勝っていると批評されています。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />衣裳人形 六歌仙 喜撰法師<br /><br />山城国乙訓郡の生まれとされ、出家後に醍醐山へと入り、のちに宇治山に隠棲しやがて仙人に変じたと言われています。世間から離れて宇治でひっそりと暮らしていました。『喜撰』の名は、紀貫之の変名という説もあり経歴は不明です。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    衣裳人形 六歌仙 喜撰法師

    山城国乙訓郡の生まれとされ、出家後に醍醐山へと入り、のちに宇治山に隠棲しやがて仙人に変じたと言われています。世間から離れて宇治でひっそりと暮らしていました。『喜撰』の名は、紀貫之の変名という説もあり経歴は不明です。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />東北でお雛さまの行事といえば、日本三大吊るし雛の酒田市が一番有名です。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    東北でお雛さまの行事といえば、日本三大吊るし雛の酒田市が一番有名です。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />酒田市は日本一の大地主本間様のお膝元。<br /><br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    酒田市は日本一の大地主本間様のお膝元。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />鶴岡は荘内藩主酒井家の統治町。<br />現代の当主は18代。<br /><br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    鶴岡は荘内藩主酒井家の統治町。
    現代の当主は18代。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />『お殿様が暮らす町』として、現在、鶴岡公園なっているのは、かつての酒井家が居城としていた鶴岡城址で、その三の丸に致道博物館があります。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    『お殿様が暮らす町』として、現在、鶴岡公園なっているのは、かつての酒井家が居城としていた鶴岡城址で、その三の丸に致道博物館があります。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛 江戸時代後期<br /><br />酒井家は現在も致道博物館の隣接する邸宅に暮らしているそうです。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛 江戸時代後期

    酒井家は現在も致道博物館の隣接する邸宅に暮らしているそうです。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />熊本藩細川家九曜紋・荘内藩酒井家紋入り雛道具の一部です。<br />貝合わせなどを含め全部で362点あるそうです。<br />18代当主の息子19代目は現在荘内藩という会社の代表取締役をしているそうです。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    熊本藩細川家九曜紋・荘内藩酒井家紋入り雛道具の一部です。
    貝合わせなどを含め全部で362点あるそうです。
    18代当主の息子19代目は現在荘内藩という会社の代表取締役をしているそうです。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛天保15(1844)年京都製

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛天保15(1844)年京都製

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />古今雛は名工、末吉石舟の作で、高さ約50cmあり、18年ぶりに展示されました。末吉石舟は100歳以上長生きされたそうです。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    古今雛は名工、末吉石舟の作で、高さ約50cmあり、18年ぶりに展示されました。末吉石舟は100歳以上長生きされたそうです。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛 末吉石舟作 江戸時代後期 江戸製 酒井家所蔵<br /><br />江戸の町は度重なる大火に襲われ、また関東大震災や巨大空襲によって壊滅的な打撃を被り、多くの江戸製のお雛様が失われ現存するものは数少ないです。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛 末吉石舟作 江戸時代後期 江戸製 酒井家所蔵

    江戸の町は度重なる大火に襲われ、また関東大震災や巨大空襲によって壊滅的な打撃を被り、多くの江戸製のお雛様が失われ現存するものは数少ないです。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛 末吉石舟作 江戸時代後期 江戸製 酒井家所蔵<br /><br />現存している石舟の代表作として東京国立博物館が所蔵する作品とほぼ同じサイズであり、酒田市の山居倉庫で展示されている加藤家の古今雛とともに、庄内の古今雛を代表する銘品といえます。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛 末吉石舟作 江戸時代後期 江戸製 酒井家所蔵

    現存している石舟の代表作として東京国立博物館が所蔵する作品とほぼ同じサイズであり、酒田市の山居倉庫で展示されている加藤家の古今雛とともに、庄内の古今雛を代表する銘品といえます。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />仲秀英作 随臣(右大臣・左大臣)<br />江戸時代後期 江戸製 <br />三代に渡る江戸の人形師 <br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    仲秀英作 随臣(右大臣・左大臣)
    江戸時代後期 江戸製 
    三代に渡る江戸の人形師 

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />仲秀英 随臣(右大臣・左大臣)<br />江戸時代後期 江戸製<br />三代に渡る江戸の人形師<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    仲秀英 随臣(右大臣・左大臣)
    江戸時代後期 江戸製
    三代に渡る江戸の人形師

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />酒井家は徳川四天王の一人酒井忠次を祖とし、三代忠勝は元和5(1619)年信州国松代(現・長野県)10万石を領しました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    酒井家は徳川四天王の一人酒井忠次を祖とし、三代忠勝は元和5(1619)年信州国松代(現・長野県)10万石を領しました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛 江戸時代後期<br /><br />元和8(1622)年最上家の改易にともない、出羽国庄内(現・山形県)13万8千石を賜って入部しました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛 江戸時代後期

    元和8(1622)年最上家の改易にともない、出羽国庄内(現・山形県)13万8千石を賜って入部しました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />古今雛 江戸時代後期<br /><br />天保11(1840)年幕府より長岡藩牧野家、川越藩松平家との三方国替を命じられましたが、善政を慕う庄内の領民の反対によって撤回されました。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    古今雛 江戸時代後期

    天保11(1840)年幕府より長岡藩牧野家、川越藩松平家との三方国替を命じられましたが、善政を慕う庄内の領民の反対によって撤回されました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />江戸時代後期<br /><br />13代忠篤は江戸市中取り締まりの任にあたり、加増して17万石格となり、戊辰戦争時には徳川の譜代大名として最後まで薩長軍に抗戦しました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    江戸時代後期

    13代忠篤は江戸市中取り締まりの任にあたり、加増して17万石格となり、戊辰戦争時には徳川の譜代大名として最後まで薩長軍に抗戦しました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />江戸時代後期<br /><br />庄内藩は三代忠勝から13代忠篤まで約250年間続き、その後も旧藩主酒井家は鶴岡にとどまり、昭和25年に郷土文化向上のために致道博物館を設立しました。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    江戸時代後期

    庄内藩は三代忠勝から13代忠篤まで約250年間続き、その後も旧藩主酒井家は鶴岡にとどまり、昭和25年に郷土文化向上のために致道博物館を設立しました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />江戸時代後期<br /><br />昨年、令和4年は酒井家入部400年を記念し『、鶴岡姫様プロジェクト』が開催され、致道博物館、瀧の湯、丙申堂、荘内神社宝仏殿へ入場後、希望者にとても可愛い姫様カンバッジを先着でプレゼントしていて、欲しかったな。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    江戸時代後期

    昨年、令和4年は酒井家入部400年を記念し『、鶴岡姫様プロジェクト』が開催され、致道博物館、瀧の湯、丙申堂、荘内神社宝仏殿へ入場後、希望者にとても可愛い姫様カンバッジを先着でプレゼントしていて、欲しかったな。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />荘内藩主酒井家伝来 芥子雛 江戸時代後期 酒井家所有<br /><br />豪華な雛人形を幕府が規制した反動から、趣向を凝らした精巧で小さな雛人形が作られました。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    荘内藩主酒井家伝来 芥子雛 江戸時代後期 酒井家所有

    豪華な雛人形を幕府が規制した反動から、趣向を凝らした精巧で小さな雛人形が作られました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />田安徳川家葵紋付雛道具 上野池之端七藩屋製 酒井家<br />酒井家9代正室と11代正室が、田安家よりお輿入れの際持参のお雛様道具です。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    田安徳川家葵紋付雛道具 上野池之端七藩屋製 酒井家
    酒井家9代正室と11代正室が、田安家よりお輿入れの際持参のお雛様道具です。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />田安徳川家葵紋付雛道具<br /><br />初代の酒井忠次は、徳川家康の父である松平広忠に仕え、家康の叔母にあたる碓井姫と結婚していたため、家康の外戚の叔父です。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    田安徳川家葵紋付雛道具

    初代の酒井忠次は、徳川家康の父である松平広忠に仕え、家康の叔母にあたる碓井姫と結婚していたため、家康の外戚の叔父です。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />家康の幼少時代から家臣として苦楽を共にし、三方ケ原の戦いや長篠の戦いで手柄をあげてきました。三代忠勝の時代に幕府より荘内藩の統治を任じられ、初代藩主となりました。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    家康の幼少時代から家臣として苦楽を共にし、三方ケ原の戦いや長篠の戦いで手柄をあげてきました。三代忠勝の時代に幕府より荘内藩の統治を任じられ、初代藩主となりました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />米が豊富な庄内平野と、北前船の寄港地の酒田港があり、生産性の高い農業地として、交易の豊かな経済治として栄えました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    米が豊富な庄内平野と、北前船の寄港地の酒田港があり、生産性の高い農業地として、交易の豊かな経済治として栄えました。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />代々、庄内は恵まれた地域で、飢餓が起こっても餓死者を出さないよう徹底した施策を行い、備えがあったために餓死者を出すことはありませんでした。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    代々、庄内は恵まれた地域で、飢餓が起こっても餓死者を出さないよう徹底した施策を行い、備えがあったために餓死者を出すことはありませんでした。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />周囲の藩は『困ったら荘内に行け』という共通認識を持ち、自分たちの土地で不作や飢饉が起こっても庄内に行けば食料を得ることが出来ると考えられていました。荘内藩は豊かさから困った隣人を助ける意識が芽生えていたのかもしれません。<br />

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    周囲の藩は『困ったら荘内に行け』という共通認識を持ち、自分たちの土地で不作や飢饉が起こっても庄内に行けば食料を得ることが出来ると考えられていました。荘内藩は豊かさから困った隣人を助ける意識が芽生えていたのかもしれません。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br />享保雛 近衛家伝来<br /><br />7代の酒井忠寄の時代には幕府の老中となり、15年間幕府の中枢で政治にかかわり、逆に交際費が掛かり財政を圧迫し、9代の忠徳の時代にはさらに困窮します。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿
    享保雛 近衛家伝来

    7代の酒井忠寄の時代には幕府の老中となり、15年間幕府の中枢で政治にかかわり、逆に交際費が掛かり財政を圧迫し、9代の忠徳の時代にはさらに困窮します。

  • 致道博物館 旧荘内藩主御隠殿<br /><br />忠徳は直接財政を立て直すことのみを目的とするのではなく、荘内藩の中枢を担う優秀な人材を育成するために、江戸中期の儒学者で思想家であり、5代将軍の徳川綱吉にも政治的な助言を行ったとされる荻生徂徠が、儒学を解釈し体系化した徂徠学を藩の学問として広め、致道館で学んだ藩士たちは財政立て直しに力を尽くしました。

    致道博物館 旧荘内藩主御隠殿

    忠徳は直接財政を立て直すことのみを目的とするのではなく、荘内藩の中枢を担う優秀な人材を育成するために、江戸中期の儒学者で思想家であり、5代将軍の徳川綱吉にも政治的な助言を行ったとされる荻生徂徠が、儒学を解釈し体系化した徂徠学を藩の学問として広め、致道館で学んだ藩士たちは財政立て直しに力を尽くしました。

  • 致道博物館 旧西田川郡役所<br />旧西田川郡役所<br /><br />致道の名称は荘内藩校致道館に由来し、『論語』の一節『君子学んで以って其の道を致す』をその出展とします。

    致道博物館 旧西田川郡役所
    旧西田川郡役所

    致道の名称は荘内藩校致道館に由来し、『論語』の一節『君子学んで以って其の道を致す』をその出展とします。

  • 致道博物館 旧渋谷家住宅(多民家)<br />文政5(1822)年創建、昭和40(1965)年移築<br /><br />出羽三山の山麓・田麦俣の民家。<br />山峡の豪雪地帯に適した構造で、明治時代に養蚕用に取り付けた高窓が特徴です。<br />

    致道博物館 旧渋谷家住宅(多民家)
    文政5(1822)年創建、昭和40(1965)年移築

    出羽三山の山麓・田麦俣の民家。
    山峡の豪雪地帯に適した構造で、明治時代に養蚕用に取り付けた高窓が特徴です。

  • 致道博物館 旧渋谷家住宅(多民家)<br />兜造りの茅葺き屋根<br />

    致道博物館 旧渋谷家住宅(多民家)
    兜造りの茅葺き屋根

  • 致道博物館 酒井氏庭園<br />江戸時代作庭 昭和46(1971)年修復<br />御隠殿奥座敷からの眺めが最も美しいと言われている書院庭園。<br /><br />

    致道博物館 酒井氏庭園
    江戸時代作庭 昭和46(1971)年修復
    御隠殿奥座敷からの眺めが最も美しいと言われている書院庭園。

  • 致道博物館 酒井氏庭園<br /><br />築山林泉庭園の様式で、作庭にあたって遠く鳥海山を借景としました。<br /><br />

    致道博物館 酒井氏庭園

    築山林泉庭園の様式で、作庭にあたって遠く鳥海山を借景としました。

  • 鶴岡市役所<br /><br />致道博物館の見学を終え、休日は開放されている市役所の駐車場に車を停めます。<br />市役所には『鶴岡雛物語』の大きな看板が掲げられています。

    鶴岡市役所

    致道博物館の見学を終え、休日は開放されている市役所の駐車場に車を停めます。
    市役所には『鶴岡雛物語』の大きな看板が掲げられています。

  • 大宝館<br /><br />大正天皇の即位を記念して大正4(1915)年に建てられ、赤いドームと白壁が特徴の洋風建築です。開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、現在は鶴岡が生んだ先人たちの偉業を讃える資料を展示しています。<br />

    大宝館

    大正天皇の即位を記念して大正4(1915)年に建てられ、赤いドームと白壁が特徴の洋風建築です。開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、現在は鶴岡が生んだ先人たちの偉業を讃える資料を展示しています。

  • 荘内神社<br /><br />1877(明治10)年、旧藩主を慕う庄内一円の人々によって鶴ケ岡城旧本丸跡に創建から120年以上を経た今も『神社はん』の愛称で、市民や近在の人々の心のよりどころとして親しまれている神社です。

    荘内神社

    1877(明治10)年、旧藩主を慕う庄内一円の人々によって鶴ケ岡城旧本丸跡に創建から120年以上を経た今も『神社はん』の愛称で、市民や近在の人々の心のよりどころとして親しまれている神社です。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />毎年8月には『荘内大祭』が催され、宵祭りでは様々な神事や伝統芸能の奉納、本祭りは旧藩主の参勤交代を忠実に再現した、総勢400年による荘内藩大名行列が行われ、城下町鶴岡に圧巻の歴史絵巻が繰り広げられています。

    荘内神社宝物殿

    毎年8月には『荘内大祭』が催され、宵祭りでは様々な神事や伝統芸能の奉納、本祭りは旧藩主の参勤交代を忠実に再現した、総勢400年による荘内藩大名行列が行われ、城下町鶴岡に圧巻の歴史絵巻が繰り広げられています。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />明治10年に荘内神社が創建されたことを記念して、旧藩主を慕う庄内一円の人々の相違により始められたお祭りです。<br />

    荘内神社宝物殿

    明治10年に荘内神社が創建されたことを記念して、旧藩主を慕う庄内一円の人々の相違により始められたお祭りです。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />以来百数十年にわたり、市民が一丸となって奉仕する祭りとして、城下町鶴岡を代表する伝統行事として、毎年開催され続けています。<br />

    荘内神社宝物殿

    以来百数十年にわたり、市民が一丸となって奉仕する祭りとして、城下町鶴岡を代表する伝統行事として、毎年開催され続けています。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />宝物殿では藩主ゆかりの武具や美術工芸品などの貴重な品々や、奉納された雛人形や五月人形など、季節にあわせて企画展示も行っています。

    荘内神社宝物殿

    宝物殿では藩主ゆかりの武具や美術工芸品などの貴重な品々や、奉納された雛人形や五月人形など、季節にあわせて企画展示も行っています。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 小野小町<br /><br />雛祭りには千菓子・生菓子・飾り菓子を供える慣習があります。

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 小野小町

    雛祭りには千菓子・生菓子・飾り菓子を供える慣習があります。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 文屋康秀<br /><br />伝統と職人達の技が凝縮されています。この時期、鶴岡市内の菓子店には色鮮やかな雛菓子が一斉に並びます。<br />

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 文屋康秀

    伝統と職人達の技が凝縮されています。この時期、鶴岡市内の菓子店には色鮮やかな雛菓子が一斉に並びます。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 大友黒主<br /><br />荘内神社には荘内藩の歴代藩主の中から4人の方々が御祭神として祀られています。<br /><br />

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 大友黒主

    荘内神社には荘内藩の歴代藩主の中から4人の方々が御祭神として祀られています。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 喜撰法師<br /><br />初代酒井忠次は徳川家康第一の重臣として家康の厚い信任を受け、江戸幕府の創業に功績を立てた武将を讃える徳川四天皇、筆頭として名を挙げられています。<br />

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 喜撰法師

    初代酒井忠次は徳川家康第一の重臣として家康の厚い信任を受け、江戸幕府の創業に功績を立てた武将を讃える徳川四天皇、筆頭として名を挙げられています。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 僧正<br /><br />織田信長から『背に目を持つごとし』と称賛される戦いで、桶狭間の戦い、長篠の戦いなど、歴代の重要な戦いに参戦しました。

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 僧正

    織田信長から『背に目を持つごとし』と称賛される戦いで、桶狭間の戦い、長篠の戦いなど、歴代の重要な戦いに参戦しました。

  • 荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 在原業平<br /><br />三方が原の戦いでは、武田信玄に大敗を喫した家康本体を倶加絵、太鼓を高々と打ち鳴らして徳川家の四季を大幅に上昇させ敵を追い払った『酒井の太鼓』と呼ばれ、信頼のおける部署でした。<br />

    荘内神社宝物殿 衣装人形 六歌仙 在原業平

    三方が原の戦いでは、武田信玄に大敗を喫した家康本体を倶加絵、太鼓を高々と打ち鳴らして徳川家の四季を大幅に上昇させ敵を追い払った『酒井の太鼓』と呼ばれ、信頼のおける部署でした。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />忠次公は社交性に長け、発言力・影響力も強く、参謀として大活躍をしました。舞踊の技巧にも卓越していて、有能な武人だるだけでなく、人間的魅力に富んだ粋人でした。<br />

    荘内神社宝物殿

    忠次公は社交性に長け、発言力・影響力も強く、参謀として大活躍をしました。舞踊の技巧にも卓越していて、有能な武人だるだけでなく、人間的魅力に富んだ粋人でした。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />二代目家次は幼少より家康公の家臣として仕え、父の後を受けて家康公・秀忠公を支え続けました。

    イチオシ

    荘内神社宝物殿

    二代目家次は幼少より家康公の家臣として仕え、父の後を受けて家康公・秀忠公を支え続けました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />徳川家の基礎を固め、国内和合の仁政に力を尽くした功により、越後高田10万石の領主に封ぜられ、酒井家の地位を安泰のものとしました。

    荘内神社宝物殿

    徳川家の基礎を固め、国内和合の仁政に力を尽くした功により、越後高田10万石の領主に封ぜられ、酒井家の地位を安泰のものとしました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />三代忠勝公は24歳で家督を相続し、元和8年に荘内14万石の領主として入国しました。

    荘内神社宝物殿

    三代忠勝公は24歳で家督を相続し、元和8年に荘内14万石の領主として入国しました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />領民の福利を考え、寛大な検地を行い(税金の納めをゆるめる清治)を実施しました。                                                                                      <br />

    荘内神社宝物殿

    領民の福利を考え、寛大な検地を行い(税金の納めをゆるめる清治)を実施しました。                                                                                      

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />また、11町商店街を開き、米札制度を創始するなど、『米の国荘内』の基礎を気づきました。<br />

    荘内神社宝物殿

    また、11町商店街を開き、米札制度を創始するなど、『米の国荘内』の基礎を気づきました。

  • 荘内神社宝物殿<br />木彫り立雛 江戸時代後期<br /><br />家臣の碌米を米札で支給し、米現物で支給しないことで、農民の年貢米ぼ大部分を京都・大阪・江戸などへ販売し、大きな利益をあげました。

    荘内神社宝物殿
    木彫り立雛 江戸時代後期

    家臣の碌米を米札で支給し、米現物で支給しないことで、農民の年貢米ぼ大部分を京都・大阪・江戸などへ販売し、大きな利益をあげました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />米承認の利益は莫大なもので、当時は酒田から積み出される米俵17万俵のうち12万俵が荘内藩の米俵だと言われています。

    荘内神社宝物殿

    米承認の利益は莫大なもので、当時は酒田から積み出される米俵17万俵のうち12万俵が荘内藩の米俵だと言われています。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />9代忠徳公は 長く続く財政難で、藩をあげての危機存亡の時に家督を継ぎました。

    荘内神社宝物殿

    9代忠徳公は 長く続く財政難で、藩をあげての危機存亡の時に家督を継ぎました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />忠徳公は江戸からの参勤交代の経費すら調達できないと聞き、涙を流したといウエピソードが残っているそうです。<br /><br />

    荘内神社宝物殿

    忠徳公は江戸からの参勤交代の経費すら調達できないと聞き、涙を流したといウエピソードが残っているそうです。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />統治の負債は8から9万両と言われ、借金の利子だけでも年1万5千両に達していたと言われています。

    荘内神社宝物殿

    統治の負債は8から9万両と言われ、借金の利子だけでも年1万5千両に達していたと言われています。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />富商や地主層の多少の犠牲は構わないという一大決心をもって改革を進めます。

    荘内神社宝物殿

    富商や地主層の多少の犠牲は構わないという一大決心をもって改革を進めます。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />農民に対しては藩からの貸付米の返済免除、借財棒引き、低利融資、諸費用の農民負担の全廃など、家臣に対しては低利融資による高利負債の整理と様々な対策を施行しました。

    荘内神社宝物殿

    農民に対しては藩からの貸付米の返済免除、借財棒引き、低利融資、諸費用の農民負担の全廃など、家臣に対しては低利融資による高利負債の整理と様々な対策を施行しました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />9万両の借金を全て返し、逆に1480両の蓄えを築きました。

    荘内神社宝物殿

    9万両の借金を全て返し、逆に1480両の蓄えを築きました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />災害時に備えた基金の設立もしていたため、天明3(1783)年の凶作の際には備蓄米を放出し、餓死者を1人も出さなかったと言われています。藩政を改めるために優れた人材が必要であるとして、藩校致道館を創始しました。<br />

    荘内神社宝物殿

    災害時に備えた基金の設立もしていたため、天明3(1783)年の凶作の際には備蓄米を放出し、餓死者を1人も出さなかったと言われています。藩政を改めるために優れた人材が必要であるとして、藩校致道館を創始しました。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />藩財政を立て直し、農民の危機を救い、人材育成にも尽力した優れた藩主だったようです。

    荘内神社宝物殿

    藩財政を立て直し、農民の危機を救い、人材育成にも尽力した優れた藩主だったようです。

  • 荘内神社宝物殿<br /><br />この神社が酒井家の歴代藩主を慕う庄内一円の人々の創意により再建されたことがうなずけます。

    荘内神社宝物殿

    この神社が酒井家の歴代藩主を慕う庄内一円の人々の創意により再建されたことがうなずけます。

  • 荘内神社宝物殿<br />御所雛<br />

    荘内神社宝物殿
    御所雛

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />国指定充当文化財『丙申堂』は、荘内藩の御用商人で、幕末には鶴岡第一の豪商となった風間家の旧宅です。7代目当主の風間幸右衛門が、店舗兼住宅として建てたもので、敷地800坪、建坪380坪、部屋総数19室、蔵3棟、内蔵1から構成されています。入場料400円

    旧風間家住宅丙申堂

    国指定充当文化財『丙申堂』は、荘内藩の御用商人で、幕末には鶴岡第一の豪商となった風間家の旧宅です。7代目当主の風間幸右衛門が、店舗兼住宅として建てたもので、敷地800坪、建坪380坪、部屋総数19室、蔵3棟、内蔵1から構成されています。入場料400円

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />風間家先祖伝来のお雛様は通常は、酒田市の本間美術館に飾られています。<br />今年は3度目のお里帰りをします。昨年本間美術館で会いましたが、茶策軒の問題で写真撮影はNGと言われていて、風間家にお里帰りをしたら、ここでは写真撮影はOKになるかもと思っていました。

    旧風間家住宅丙申堂

    風間家先祖伝来のお雛様は通常は、酒田市の本間美術館に飾られています。
    今年は3度目のお里帰りをします。昨年本間美術館で会いましたが、茶策軒の問題で写真撮影はNGと言われていて、風間家にお里帰りをしたら、ここでは写真撮影はOKになるかもと思っていました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />9代当主の姉へ大正末に購入した、2代目永徳斎作の雛飾りが飾られています。<br />

    イチオシ

    旧風間家住宅丙申堂

    9代当主の姉へ大正末に購入した、2代目永徳斎作の雛飾りが飾られています。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />風間家は、鶴岡城下とその周辺を販売市場とし、武士層や上層の町民、農民を顧客として呉服などを商いし、廻船問屋を経由して京都・大阪から仕入れを行っていました。

    旧風間家住宅丙申堂

    風間家は、鶴岡城下とその周辺を販売市場とし、武士層や上層の町民、農民を顧客として呉服などを商いし、廻船問屋を経由して京都・大阪から仕入れを行っていました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />庄内藩酒井家の『御用達』を仰せつかり、幕末には鶴岡一の豪商となりました。<br /><br /><br />

    旧風間家住宅丙申堂

    庄内藩酒井家の『御用達』を仰せつかり、幕末には鶴岡一の豪商となりました。


  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />お雛様研究家故・安部英子さんより寄贈された品々を展示しています。<br />安部英子さんは昭和10(1935)年大石田町の旧家の長女として生まれ、地元高校を卒業して山形大の事務職員になりました。

    旧風間家住宅丙申堂

    お雛様研究家故・安部英子さんより寄贈された品々を展示しています。
    安部英子さんは昭和10(1935)年大石田町の旧家の長女として生まれ、地元高校を卒業して山形大の事務職員になりました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />昭和40年代から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼びかける『開箱運動』を始めました。<br />

    旧風間家住宅丙申堂

    昭和40年代から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼びかける『開箱運動』を始めました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />この運動が契機になって山形県内のほぼすべての市町村で雛飾りが公開されるようになったそうです。山形県芸術文化協会名誉会員、山形市芸術文化協会常任理事も務めていました。

    旧風間家住宅丙申堂

    この運動が契機になって山形県内のほぼすべての市町村で雛飾りが公開されるようになったそうです。山形県芸術文化協会名誉会員、山形市芸術文化協会常任理事も務めていました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />比較的裕福な家では3月3日にお雛様を飾り、近所の人たちに甘酒や雛あられをふるまう『お雛見』があったそうです。戦後、農地改革で旧家は没落し、お雛様は蔵に眠りつづけました。

    旧風間家住宅丙申堂

    比較的裕福な家では3月3日にお雛様を飾り、近所の人たちに甘酒や雛あられをふるまう『お雛見』があったそうです。戦後、農地改革で旧家は没落し、お雛様は蔵に眠りつづけました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />山形県は、江戸時代の最上川交易によって持たされた文化が現在も色濃く残っています。紅花を京の都に運んだ紅花商人が、帰りの船でお土産として連れてきたお雛様が大切に受け継がれてきました。

    旧風間家住宅丙申堂

    山形県は、江戸時代の最上川交易によって持たされた文化が現在も色濃く残っています。紅花を京の都に運んだ紅花商人が、帰りの船でお土産として連れてきたお雛様が大切に受け継がれてきました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />このお雛様を観光資源として生かせないかと考え、旧家をまわって公開を呼びかけたそうです。山形県ではお雛様を公開している市町村が多いのは、安部さんの『開箱運動』のおかげなんですね。

    旧風間家住宅丙申堂

    このお雛様を観光資源として生かせないかと考え、旧家をまわって公開を呼びかけたそうです。山形県ではお雛様を公開している市町村が多いのは、安部さんの『開箱運動』のおかげなんですね。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />座敷には本間美術館から里帰りした風間家先祖伝来の雛段飾りが飾られていましたが、雛段飾りの前には『撮影禁止』の張り紙が。

    旧風間家住宅丙申堂

    座敷には本間美術館から里帰りした風間家先祖伝来の雛段飾りが飾られていましたが、雛段飾りの前には『撮影禁止』の張り紙が。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />昨年、『酒田雛街道』へ行き、風間家のお雛様を見学し写真撮影は著作権の問題で禁止していると告げられたこと、今年、風間家にお里帰りをするので、風間家に戻れば写真はOKになるのかもと思ったことを話しました。

    旧風間家住宅丙申堂

    昨年、『酒田雛街道』へ行き、風間家のお雛様を見学し写真撮影は著作権の問題で禁止していると告げられたこと、今年、風間家にお里帰りをするので、風間家に戻れば写真はOKになるのかもと思ったことを話しました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />写真撮影禁止についてはそのままでした。風間家所有のものだから、写真はOKになるのではなんて安易な考えだったのかな?

    旧風間家住宅丙申堂

    写真撮影禁止についてはそのままでした。風間家所有のものだから、写真はOKになるのではなんて安易な考えだったのかな?

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />一度、建物を出てもう一度戻ってきた時に、襖の向こう側から、さっき私が言っていたことを檀瀬の方に放されている声が聞こえてきました。

    旧風間家住宅丙申堂

    一度、建物を出てもう一度戻ってきた時に、襖の向こう側から、さっき私が言っていたことを檀瀬の方に放されている声が聞こえてきました。

  • 旧風間家住宅丙申堂<br /><br />話はそこで終わっていて、こんな事聞かれる人はいないのかな?<br />話をした時、?って感じだったから、質問に戸惑っている様子がわかります。<br />旧風間家の見学を終え、湯の浜温泉に向かいます。<br />

    旧風間家住宅丙申堂

    話はそこで終わっていて、こんな事聞かれる人はいないのかな?
    話をした時、?って感じだったから、質問に戸惑っている様子がわかります。
    旧風間家の見学を終え、湯の浜温泉に向かいます。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯<br /><br />海岸から少し山手に入った蔵造りの御宿。<br />日帰り湯を楽しみに来たと思われる日知たちが、ホテルへと入っていきます。<br />湯めぐりも楽しめる、7つのお風呂に2種類の温泉(アルカリ性単純泉)(塩化物泉)<br />

    湯の浜温泉 瀧の湯

    海岸から少し山手に入った蔵造りの御宿。
    日帰り湯を楽しみに来たと思われる日知たちが、ホテルへと入っていきます。
    湯めぐりも楽しめる、7つのお風呂に2種類の温泉(アルカリ性単純泉)(塩化物泉)

  • お雛様が展示されている蔵ギャラリーには、ホテルの中庭から入ります。<br />昭和初期に造られた大山地区の酒蔵を移築・改築し、平成5年に展示館として改装されました。入場料無料<br />

    お雛様が展示されている蔵ギャラリーには、ホテルの中庭から入ります。
    昭和初期に造られた大山地区の酒蔵を移築・改築し、平成5年に展示館として改装されました。入場料無料

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br /><br />蔵ギャラリーは11月下旬~2月末まで休館になっています。<br />3月~11月にかけ、地域の方々や近県の個人・グループ・サークルなどの作品を展示しています。

    イチオシ

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    蔵ギャラリーは11月下旬~2月末まで休館になっています。
    3月~11月にかけ、地域の方々や近県の個人・グループ・サークルなどの作品を展示しています。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br /><br /><br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室


  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br /><br />蔵ギャラリー氷室の唯一の所蔵品展示『温泉宿のひな祭り』を開催しています。<br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    蔵ギャラリー氷室の唯一の所蔵品展示『温泉宿のひな祭り』を開催しています。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />古今雛<br /><br />江戸後期から昭和初期にかけて古今雛・享保雛・茶子雛・時代人形など約150点を展示しています。

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    古今雛

    江戸後期から昭和初期にかけて古今雛・享保雛・茶子雛・時代人形など約150点を展示しています。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />古今雛<br /><br /><br /><br /><br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    古今雛




  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br /><br />お雛様の前に控えているのは『犬筐』<br />犬はお産が軽いため、安産などの意味があるそうです。お守りの意味もあったようです。

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    お雛様の前に控えているのは『犬筐』
    犬はお産が軽いため、安産などの意味があるそうです。お守りの意味もあったようです。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />衣装人形 六歌仙<br /><br />六歌仙を飾るのも、江戸時代の粋な計らいだそうです。<br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    衣装人形 六歌仙

    六歌仙を飾るのも、江戸時代の粋な計らいだそうです。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />朝鮮通信使<br /><br />室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。<br /><br /><br /><br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    朝鮮通信使

    室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。



  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />朝鮮通信使<br /><br />1375(永和元)年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して、信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりです。<br />

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    朝鮮通信使

    1375(永和元)年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して、信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりです。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室<br />三歌人<br /><br />三歌人は和歌の三神ともいわれ、平安末期以来、歌人の本尊と仰がれてきました。<br />菅原道真の知恵<br />小野小町の美<br />柿本人麻呂の才能<br />にあやかって『賢く、美しく、才能豊かな女性に成長して欲しい』という願いを込められて作られ、江戸のお雛様に飾られていました。

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室
    三歌人

    三歌人は和歌の三神ともいわれ、平安末期以来、歌人の本尊と仰がれてきました。
    菅原道真の知恵
    小野小町の美
    柿本人麻呂の才能
    にあやかって『賢く、美しく、才能豊かな女性に成長して欲しい』という願いを込められて作られ、江戸のお雛様に飾られていました。

  • 湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

    湯の浜温泉 瀧の湯 蔵ギャラリー氷室

  • 湯の浜温泉 いさごや<br /><br />湯の浜温泉街で『鶴岡雛物語』に参加している展示施設は、瀧の湯・竹屋ホテル・いさごやの3施設で、次にいさごやのひな壇を見に行きます。

    湯の浜温泉 いさごや

    湯の浜温泉街で『鶴岡雛物語』に参加している展示施設は、瀧の湯・竹屋ホテル・いさごやの3施設で、次にいさごやのひな壇を見に行きます。

  • 湯の浜温泉 いさごや<br /><br />いさごやでは江戸時代に大ヒットした丸井お顔の可愛らしい次郎左衛門雛と古今雛を展示しています。<br /><br />

    湯の浜温泉 いさごや

    いさごやでは江戸時代に大ヒットした丸井お顔の可愛らしい次郎左衛門雛と古今雛を展示しています。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />明治43年より2年3か月を費やして建てられた2階建ての数寄屋造りで、欅財をたくさん使用しています。庭園は京文化の技法を有しています。

    湯田川温泉 旧白幡邸

    明治43年より2年3か月を費やして建てられた2階建ての数寄屋造りで、欅財をたくさん使用しています。庭園は京文化の技法を有しています。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />『湯田川温泉の雛祭り』は旧白幡邸が会場になっていて、雛祭り期間のみ旧白川邸はが一般公開されます。通常は菩提寺である長福寺集会場として利用されています。入場料は400円<br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    『湯田川温泉の雛祭り』は旧白幡邸が会場になっていて、雛祭り期間のみ旧白川邸はが一般公開されます。通常は菩提寺である長福寺集会場として利用されています。入場料は400円

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />湯田川温泉は712年(約1300)年前、傷を負った一羽の白鷺がこの地に沸いていた湯で傷をいやしたことに由来し、その昔『白鷺の湯』と及ばれていました。<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    湯田川温泉は712年(約1300)年前、傷を負った一羽の白鷺がこの地に沸いていた湯で傷をいやしたことに由来し、その昔『白鷺の湯』と及ばれていました。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />鶴岡の奥座敷と呼ばれる湯田川温泉は、荘内三名湯のひとつに数えられ、古くから豊かな自然と人情味あふれる湯の里としても知られています。<br /><br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    鶴岡の奥座敷と呼ばれる湯田川温泉は、荘内三名湯のひとつに数えられ、古くから豊かな自然と人情味あふれる湯の里としても知られています。


  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />湯田川地区『おくるみの会』の作品で、湯田川民芸品『おくるみ』も展示されています。『おくるみ』は綿を布で包み様々な布細工の小物で、その年の題目を1年かけて制作しています。<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    湯田川地区『おくるみの会』の作品で、湯田川民芸品『おくるみ』も展示されています。『おくるみ』は綿を布で包み様々な布細工の小物で、その年の題目を1年かけて制作しています。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />木目込み毬、梅の花、つるし飾り、庄内の野菜や魚なども展示されています。他では見られないオリジナル感満載のコーナーになっています。<br />今年のテーマは『灯守の妖精と桜』<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    木目込み毬、梅の花、つるし飾り、庄内の野菜や魚なども展示されています。他では見られないオリジナル感満載のコーナーになっています。
    今年のテーマは『灯守の妖精と桜』

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />ひな壇には幕末から明治期の人形が並びます。<br />湯田川温泉旅館女将の会がぜひ大勢の方々に旧白幡邸の雛人形を見ていただきたいという想いから『旧白幡邸のお雛祭り』が始められました。

    イチオシ

    湯田川温泉 旧白幡邸

    ひな壇には幕末から明治期の人形が並びます。
    湯田川温泉旅館女将の会がぜひ大勢の方々に旧白幡邸の雛人形を見ていただきたいという想いから『旧白幡邸のお雛祭り』が始められました。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />三人官女・右近の桜・左近の橘はお雛様に対して少し小さめであるため、後から買いそろえたものなのか、もしくはこれに似合うお雛様がもう一組あったのではないのか?<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    三人官女・右近の桜・左近の橘はお雛様に対して少し小さめであるため、後から買いそろえたものなのか、もしくはこれに似合うお雛様がもう一組あったのではないのか?

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br />古今雛<br /><br />女雛の宝冠は見事なもの。<br />左端の『ちょんびなさま』は千代紙を折って作ったお雛様の千代雛が名前の由来とされています。<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸
    古今雛

    女雛の宝冠は見事なもの。
    左端の『ちょんびなさま』は千代紙を折って作ったお雛様の千代雛が名前の由来とされています。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />新たな人形は付け加えず、何も取り下げずに、白幡家の古い写真を手掛かりに、当時のまま再現しています。<br /><br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    新たな人形は付け加えず、何も取り下げずに、白幡家の古い写真を手掛かりに、当時のまま再現しています。


  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br /><br />デカイ!高さ70cmもある高砂人形は他ではなかなか見られないものだそうです。<br /><br /><br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸

    デカイ!高さ70cmもある高砂人形は他ではなかなか見られないものだそうです。



  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br />六歌仙 僧正遍昭・大友黒主<br /><br />長福寺に旧白幡邸が寄付され、土蔵の2階に立派なお雛様があることがわかったそうです。<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸
    六歌仙 僧正遍昭・大友黒主

    長福寺に旧白幡邸が寄付され、土蔵の2階に立派なお雛様があることがわかったそうです。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br />六歌仙 文屋康秀・喜撰法師<br /><br />雛飾りが再現されたのは30年ぶりだそうです。<br />

    湯田川温泉 旧白幡邸
    六歌仙 文屋康秀・喜撰法師

    雛飾りが再現されたのは30年ぶりだそうです。

  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br />六歌仙 小野小町・在原業平<br /><br />ずうっと眠り続けたお雛様、たくさんの人たちに見てもらって嬉しいよね。<br /><br /><br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸
    六歌仙 小野小町・在原業平

    ずうっと眠り続けたお雛様、たくさんの人たちに見てもらって嬉しいよね。



  • 湯田川温泉 旧白幡邸<br />押絵人形<br /><br />フォートラで2023年はお雛様の旅行記が少ないと思ったのは気のせいかな?<br /><br /><br /><br />

    湯田川温泉 旧白幡邸
    押絵人形

    フォートラで2023年はお雛様の旅行記が少ないと思ったのは気のせいかな?



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この旅行記へのコメント (9)

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  • ムロろ~んさん 2023/05/13 22:39:12
    「人」によって文化が育つんですね(^_-)-☆
    こんばんは、ムロろ~んです。
    山形、鶴岡方面へ旅された旅行記を拝見しました。

    って、これって全て1日で巡られたんですよね…。
    すっごーい(◎_◎;)。
    そして、写真撮影もできるようになった経緯も「著作権」の問題、これには驚きました(◎_◎;)。
    何だかお雛様を見るのにもハードルが高い気がするのは私だけでしょうか…?

    庄内藩が栄えたことも詳細に描かれて、藩が借金を抱えた歴史もあったようですが、それを返して。そして、飢饉の時にも飢え死にを出さなかったこと、これもすごいなぁって思ったんですよ。
    お雛様が飾れる文化、人を大切にしてくれているから素晴らしいものになるんだなぁって。ちょっと感動してしまいました(^_-)-☆。
    そして、そのお雛様を観光の発展にと芽生えてくれた安部英子さんもすごい方だなぁって思ってしまいましたよ。

    って、べるちゃんとおちびちゃんも感じたのかなぁ(´艸`*)?


    ムロろ~ん

    まほうのべる

    まほうのべるさん からの返信 2023/05/17 12:46:28
    RE: 「人」によって文化が育つんですね(^_-)-☆
    > こんばんは、ムロろ?んです。
    > 山形、鶴岡方面へ旅された旅行記を拝見しました。

       こんにちは、ムロろ〜んさん。
     いつも書き込み有難うございます。

    > って、これって全て1日で巡られたんですよね…。
    > すっごーい(◎_◎;)。
    > そして、写真撮影もできるようになった経緯も「著作権」の問題、これには驚きました(◎_◎;)。
    > 何だかお雛様を見るのにもハードルが高い気がするのは私だけでしょうか…?

     1日でまわったんですよ。
     致道博物館に9時に入場して、車での移動なのでけっこう楽に移動できました。
     写真撮影には著作権の問題が大きくかかわってくるようですね。写真撮影がNGかどうかの基準はよくわかりません。
     
    > 庄内藩が栄えたことも詳細に描かれて、藩が借金を抱えた歴史もあったようですが、それを返して。そして、飢饉の時にも飢え死にを出さなかったこと、これもすごいなぁって思ったんですよ。

     いつの世もトップに立つ人の裁量で、大きく変わるものですね。
     藩の借金を返済し、飢饉のときも死者を出さず、近隣の村から助けを求めてくる人たちがいるなんて、すごいなと思います。

    > お雛様が飾れる文化、人を大切にしてくれているから素晴らしいものになるんだなぁって。ちょっと感動してしまいました(^_-)-☆。
    > そして、そのお雛様を観光の発展にと芽生えてくれた安部英子さんもすごい方だなぁって思ってしまいましたよ。

     山形はほかの県よりも圧倒的にひなめぐりが多いのですが、安部さんの努力で多くの市町村がひなめぐりを開催しているよになったことはすごいと思います。個人所有の立派なお雛様がたくさん残っているんです。

    > って、べるちゃんとおちびちゃんも感じたのかなぁ(´艸`*)?


     実は悲しいことにおちびちゃんは、鶴岡で迷子になってしまい見つかりません。
     べる1号(ベトナムで迷子)に続き、おちびちゃんまでいなくなってしまいました。迷子届も出しましたが、今日現在戻ってきていません。

     まほうのべる

  • aoitomoさん 2023/05/11 00:32:18
    貴重な雛人形ばかり~\(◎o◎)/!
    まほうのべるさん こんばんは~

    『致道博物館』
    建築物も楽しめお雛様も見れるという一石二鳥ですね。
    こちらのお雛様は年代物の貴重な雛人形などばかりで、
    原舟月作の雛人形も鑑定評価額はいったい・・
    なんて思ってしまいます。
    こちらは写真撮影ができて何よりです。

    『旧風間家住宅丙申堂』
    安部さんの『開箱運動』が山形県内の多くの市町村で雛飾りが公開される
    きっかけをむ作ったというのは先見の目がある人てすね~
    一方でそんな市町村の雛飾りを見る人々は、
    やはりSNSなどで情報を知って見に行ったりするわけですから、
    風間家先祖伝来の雛段飾りなど、今時『撮影禁止』は如何なものかと思いますよ。

    一方で風間家の御雛様の里帰りも所有権争いで大変だったようですね~
    折角、風間家側で公開できるようになったのですから、
    撮影も許可してほしいものです。

    aoitomo

    まほうのべる

    まほうのべるさん からの返信 2023/05/13 08:05:56
    RE: 貴重な雛人形ばかり??(◎o◎)/!
    > まほうのべるさん こんばんは?

      おはようございます、aoitomoさん。
     いつも書き込み有難うございます。

    > 『致道博物館』
    > 建築物も楽しめお雛様も見れるという一石二鳥ですね。
    > こちらのお雛様は年代物の貴重な雛人形などばかりで、
    > 原舟月作の雛人形も鑑定評価額はいったい・・
    > なんて思ってしまいます。
    > こちらは写真撮影ができて何よりです。

     昨年訪れているので、今回はお雛様を中心に見学しました。
     致道博物館は基本写真撮影はNGなので、お雛様の写真撮影できてよかったです。
     今回初めて飾られた三井家のお雛様をはじめ、素晴らしいものばかりでした。
     酒田の本間美術館でも写真撮影は今回からOKになった(お雛様だけなのかも?)らしいです。

    > 『旧風間家住宅丙申堂』
    > 安部さんの『開箱運動』が山形県内の多くの市町村で雛飾りが公開される
    > きっかけをむ作ったというのは先見の目がある人てすね?
    > 一方でそんな市町村の雛飾りを見る人々は、
    > やはりSNSなどで情報を知って見に行ったりするわけですから、
    > 風間家先祖伝来の雛段飾りなど、今時『撮影禁止』は如何なものかと思いますよ。

     1人の熱心な活動から、山形の市町村でひなめぐりが行われているなんてすごいなと思います。個人が所有しているお雛様にも、立派な古今雛や享保雛がたくさんあるのに驚いています。今では、全国の市町村でひなめぐりを企画しているところが多いですね。というより、冬の企画としてひなめぐりを行っているのが普通のようになっていますよね。

    > 一方で風間家の御雛様の里帰りも所有権争いで大変だったようですね?
    > 折角、風間家側で公開できるようになったのですから、
    > 撮影も許可してほしいものです。

     風間家のお雛様の所有権争いがあったらしいですが、きちんと文章でのやりとりがなかったのか?闇になかなのでしょうか?
     写真撮影禁止の明確な理由あわからなくて、フラッシュを使用しなければ問題はないと思うのですが。
     現在は美術館や博物館でも以前は写真撮影NGだったところでも、写真撮影0Kのところが多くなってきましたね。たくさんの人達に見てほしいのなら、いろんな角度から発信されていくのを受け入れたほうが良いのかな。(もちろん展示物の保護は前提ですが)

     まほうのべる
  • 唐辛子婆さん 2023/05/09 21:12:28
    堪能しました!
    まほうのべるさん

    あまりに沢山で覚えていられませんが湯田川の面々が表情豊かで面白いですね。
    開箱運動によって山形県全般でお雛様が見られるなんてすばらしい!
    ゆっくり時間をかけて回ってみたくなっちゃいますね。

    唐辛子婆

    まほうのべる

    まほうのべるさん からの返信 2023/05/11 21:14:36
    RE: 堪能しました!
    > まほうのべるさん

     こんばんは、唐辛子婆さん。
     書き込み有難うございます。

    > あまりに沢山で覚えていられませんが湯田川の面々が表情豊かで面白いですね。
    > 開箱運動によって山形県全般でお雛様が見られるなんてすばらしい!
    > ゆっくり時間をかけて回ってみたくなっちゃいますね。

     
     東北で雛巡りを調べていると、山形県がダントツに多いと思っていましたが、家々をまわって地道に努力なさったかたがいたからだと知り、納得しました。実は次の旅行記も山形の雛巡りなんです。来年も今から雛巡り楽しみです。

     まほうのべる

    唐辛子婆

    唐辛子婆さん からの返信 2023/05/11 21:43:11
    RE: RE: 堪能しました!
    まほうのべるさん

    >  東北で雛巡りを調べていると、山形県がダントツに多いと思っていましたが、家々をまわって地道に努力なさったかたがいたからだと知り、納得しました。

    それってもしかしたらものすごく貴重なことかも。
    海外に発信したくなっちゃいますね。


    >実は次の旅行記も山形の雛巡りなんです。

    うわ〜、楽しみです♩

    唐辛子婆

    まほうのべる

    まほうのべるさん からの返信 2023/05/13 07:40:41
    RE: RE: RE: 堪能しました!
    > まほうのべるさん

       おはようございます、唐辛子婆さん。
     書き込みありがとうございます。

    > >  東北で雛巡りを調べていると、山形県がダントツに多いと思っていましたが、家々をまわって地道に努力なさったかたがいたからだと知り、納得しました。
    >
    > それってもしかしたらものすごく貴重なことかも。
    > 海外に発信したくなっちゃいますね。

     今まで全くわからず山形って多いなっておもっていただけで。
     理由があったんですよね。
     
    > >実は次の旅行記も山形の雛巡りなんです。
    >
    > うわ〜、楽しみです♩
     
     コロナ感染でお雛様をこうy介している家が少なく、ちょっと悲しいのですが、個人所有で立派なお雛様があるのには驚きました。

     まほうのべる

    まほうのべる

    まほうのべるさん からの返信 2023/05/13 07:40:44
    RE: RE: RE: 堪能しました!
    > まほうのべるさん

       おはようございます、唐辛子婆さん。
     書き込みありがとうございます。

    > >  東北で雛巡りを調べていると、山形県がダントツに多いと思っていましたが、家々をまわって地道に努力なさったかたがいたからだと知り、納得しました。
    >
    > それってもしかしたらものすごく貴重なことかも。
    > 海外に発信したくなっちゃいますね。

     今まで全くわからず山形って多いなっておもっていただけで。
     理由があったんですよね。
     
    > >実は次の旅行記も山形の雛巡りなんです。
    >
    > うわ〜、楽しみです♩
     
     コロナ感染でお雛様をこうy介している家が少なく、ちょっと悲しいのですが、個人所有で立派なお雛様があるのには驚きました。

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