
2023/03/18 - 2023/03/18
46位(同エリア156件中)
Akrさん
ご覧いただきましてありがとうございます。
今回は廃線巡りです。
その昔、国鉄東北本線の瀬峰駅を起点として「仙北鉄道」という、軌間762ミリの軽便鉄道が走っていました。
バス事業も展開し、戦時中に県内のバス会社を合併、「宮城バス」となり、本社を仙台市へ移転。現在の「宮城交通」の前身となったのです。その後、1964年(昭和39年)に鉄道路線は宮城バスの鉄道事業という形になりましたが、本業の鉄道事業は衰退し、1968年(昭和43年)に全廃。鉄道廃止後はバス事業を展開し、県南地区のバス会社も合併し、宮城県下を網羅するバス会社になり、現在に至っています。
ちなみに「仙北」は「せんぼく」と読みます。宮城県では、仙台より北の地域を「仙北」、南の地域を「仙南」と呼んでいます。
廃線マニアとしては「仙北鉄道」の廃線跡をいつか辿ってみたいと思っていましたが、仙台からも遠く、なかなか訪れる機会に恵まれませんでしたが、今回、会社の下見ということでウチの会社の運転手さんを連れて県北へ行くことになり、悪知恵だけはうまく働く私、Akrは、それに便乗する形で廃線巡りをすることに 笑 今回はその模様をお送りします。
ちなみに休日を利用して行っており、決して「サボり」ではない事を申し添えておきます 笑
かなりマニアックな内容ですが、ご興味のある方はどうぞ。
それでは参りましょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
仙北鉄道の路線図です。
適当に線を引きましたが、だいたい合ってます(ホントか)
東北本線の瀬峰が起点で、北へ向かい、築館を結ぶ「築館線」と東へ向かい、登米を結ぶ「登米線」の2路線を営業していた。
電化はされず、内燃機関(ディーゼルカー)での運転だった。
「築館線」は昭和25年(1950年)に早々とバス転換された。
今回は、登米線(瀬峰~登米間)を辿ってみた。
※地図はGoogleマップより引用。 -
宮城交通といえば、宮城県最大のバス事業者である。
このバス会社のルーツを辿っていくと田舎の軽便鉄道に行き当たるというのも非常に興味深い。
※写真のバスは、イオンモール新利府で2021年5月撮影。 -
さてさて、今日は休日だが、来月入っている仕事の下見で県北の登米市へやって来た。大型バスが通れる道路か?道幅は十分あるか?駐車場はあるか?などを実際に行く運転手さん2人を連れての下見である。
ひとりは、旅行記でもおなじみ「しんちゃん」もうひとりは初登場の鉄オタ乗務員「コバちゃん」当社には鉄オタが4人もおる。
休日返上で下見をする我々。なんと勤勉なのだろう(自分で言うな) -
平筒沼(びょうどうぬま)という景勝地。
桜の名所として有名。平筒沼ふれあい公園 公園・植物園
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まだ桜はつぼみ。
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道の駅米山。
道の駅 米山 ふる里センターY・Y グルメ・レストラン
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売店では地場産品を中心に販売。
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ちょうど店内のテレビで、WBC準決勝の劇的サヨナラ勝ちを観て感動。
負けたら終わりの試合で9回二死からサヨナラタイムリー打てる村神様、凄い。 -
日本が勝ったのでご褒美にソフト食べます。え?
今日は20度超えて、少し汗ばむほどの陽気。 -
いちご大福も。
おい下見はどこ行ったよ?
「うまいもの情報も乗務員として知っておく必要がある」 -
しん「りんご安かったんで買ってきたよ」
もう観光気分 笑
楽しみながら仕事もする。一石二鳥。 -
めだか3匹500円。
ミックスって? -
無事に下見も終わり、ここからが本題。
同行者2人はここからが私、Akrの趣味に付き合わされる 笑
やって来たのはJR東北本線瀬峰駅。
仙北鉄道の起点となっていた駅だ。瀬峰駅 駅
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駅前に昭和チックなパチンコ屋が。(廃業)
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駅前の街灯の柱にはホーロー看板っぽいものが。
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瀬峰駅は有人駅(業務委託)
駅員が電車を見送る光景も最近見られなくなった。 -
さて、仙北鉄道の駅があった瀬峰駅の東側へ移動。
奥がJR瀬峰駅のホーム。手前の駐車場が仙北鉄道の駅があった場所だ。
JRのホームは国鉄時代に長編成の客車列車が停まったために無駄に長い。 -
当時の写真と比べてみる。
ちょっと角度が違うがこのような感じで駅があった。
写真に写る車両は、手前の1両が気動車。後ろ2両は木造客車。気動車で客車を牽いていたのだ。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
ここがホームがあった場所と思われる。
下の当時写真とほぼ同じ場所。奥のこ線橋も今のは架け替えられたものだが、昔から同じ場所にあったようだ。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
駅舎やホームなどの遺構はほとんど残っていないが、駅があった場所には案内があって分かりやすい。
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こちらはJRのホーム。
ホームの地層で駅の歴史がわかる。 -
ちょうど上り電車が来たので見送ってから廃線めぐりスタート。
-
では廃線めぐりへ。
この道路はもと線路だった所。 -
途中で大きな通りに出るが、この先に見えるカーブする道路が廃線跡だ。
-
ここにも石碑の案内があった。
字が薄くなって見えづらいが「仙北鉄道登米線」と書いてある。 -
これが廃線跡。
道路転用の際に拡幅されて、見た目からは鉄道のイメージが湧かない。 -
途中から県道1号線と合流。
県道1号線は、仙北鉄道廃止後に、鉄道敷を拡幅して道路になった。
左に見えるバス停と待合小屋。
これは瀬峰の次の駅だった「沼崎下駅」があった場所。 -
これが当時の沼崎下駅。
盛土した小さなホームに木造の質素な待合室があった。まわりはなにもない。
まわりになにもないのは今もそれほど変わっていないみたい。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
矢印の下の小屋は「西郷バス停」
かつての「西郷駅」があった場所。ここで路線バスを運行するのは宮城交通の系列会社のミヤコーバス。バス停名に仙北鉄道時代の駅名が残されている。 -
これが当時の西郷駅。
説明によれば、機回し線と農業倉庫への引き込み線があった模様。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
さらに県道1号線を進む。
-
高石駅跡。
県道のわきに不自然に広い土地。ここが高石駅があった場所。
廃線跡めぐりって、探すポイントは「不自然に」だ。
「不自然に広い」「不自然にカーブしている」
可能ならば国土地理院の昔の航空写真で確認してみると想像が膨らむ。
こういう何もない場所にカメラ片手に立つ、おっさんも不自然極まりないが 笑南方歴史民俗資料館 美術館・博物館
-
これが当時の高石駅。
相対式2面2線で列車交換が可能だった。この写真で驚いたのはお客さんの多さ。
なにかイベントがあったのか、それとも日常からこんな感じで賑わっていたのか、それを想像するのも楽しい。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
この「不自然に広い道路」が駅前広場だった。
まわりの住宅地が隙間なく立っているのに対してこの部分だけ広くなっているのだ。
高石駅には貨物のホームや側線もあったようなので、当時はこの広場に米や野菜を積んだトラックで賑わったのだろう。 -
本線から分岐してさらに側線まであったのが容易にわかる敷地の広さ。
奥には駅と同名のバス停がある。 -
途中でミヤコーバス、瀬峰駅ゆきとすれ違う。
仙北鉄道の代替バスの役割を担っていると思われるが、本数は少ない。
昔は、仙北鉄道で瀬峰へ出て、国鉄に乗り換えて仙台へ行っていたが、いまは登米市内も仙台へ直行する高速バスもあってわざわざJRに乗り換えてと言う人は皆無だと思う。道の駅 みなみかた 道の駅
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佐沼にやって来た。
佐沼は登米市の中心都市。登米市役所も置かれている。
仙北鉄道時代もここは大きな町で沿線最大の駅だった。
駅があった場所は、痕跡はまったくなし。いまはJAの駐車場になっている。 -
向かいにはミヤコーバス佐沼営業所。
1978年(昭和53年)までは鉄道時代の木造駅舎がバスの営業所として使われていたが、宮城県沖地震で倒壊。周囲も区画整理で、昔、この地に鉄道が走っていた面影を知る手段はない。
ここで鉄オタでバスオタのコバちゃんが
「奥から2台目が震災の時に名古屋市営バスから譲渡されたヤツで、手前から2台目は名鉄バスの中古です」
と、解説いただいた 笑さとう食堂 グルメ・レストラン
-
この先は、ネットで色々調べたが、区画整理等により、廃線跡は辿れなくなっているようだ。国道346号でワープ。
「ここで止まって」「そこじゃない」「あああ、そこ右、右」
とうるさい助手席のおっさんに付き合ってくれるしんちゃんのストレスは如何ばかりかと(おまえが悪い 笑) -
ちょっと道に迷ったが、「石森駅跡」に着いた。
この松の木は、当時、ホームにあったそうだ。現在。この地は給食センターになっており、中へは入れなかった。 -
まちがいなく「石森駅跡」とある。
鉄道が走った歴史を風化させないよう、力を入れた登米市の努力は素晴らしい。 -
この先の道路は廃線跡。
カーブ具合でそれと分かる。 -
国道を斜めに横切る道路。これが廃線跡を利用した道路。
ちょうどこの場所に「浅水駅」があった。ここは特に案内板の類はない。
ここには当時、踏切があって踏切警手が居たそうだ。 -
廃線跡は続く。
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途中で専用歩道になっていた。
-
米谷(まいや)という集落にやって来た。
ここには「米谷駅」が置かれ、川に囲まれた地形の関係上、スイッチバック構造の駅となっていた。 -
このあたりが駅があった場所。
奥から来て、不自然に土地が広がっている。長谷山公園 公園・植物園
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頭端式で駅本屋に棒線ホーム。機回し線に貨物ホームまであった。
気動車に繋がれて来た客車はここで切り離されていたようだ。ここから終点の登米までは気動車単行で運転されていた。
駅名の「米谷」の中心部はこの先、北上川を越えた場所にあって当時はそこまで橋を架ける計画があったようだ。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
米谷駅と米谷地区の位置関係はこう。
本当は中心部がある北上川対岸まで線路を引きたかったが、架橋を断念し、手前に駅を設けた格好になった。 -
今回の廃線めぐりで最大の収穫。
この木造の建物は、何を隠そう「米谷駅の本屋」である。鉄道廃止後に移築され、民家の物置として使用されていたそうだ。 -
この写真の真ん中にある建物が本屋。
まさにこの建物だ。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
駅舎によくあるY字型の柱。
-
よく今日まで残ったものだ。
歴史の生き証人だ。 -
米谷から列車は向きを変える。途中まで同じ線路を走り、片や瀬峰方面、片や登米方面へと分岐する。
分岐地点は現在も道路として確認できる。
右の歩道が瀬峰方面への線路、手前のガードレールがある道路が左へ折れて登米方面への線路だった。 -
登米方面への線路跡がそのまま道路になっている。
-
分岐点から後ろを振り返ったところ。
道路の奥が「米谷駅」 -
終点の登米まではもうすぐ。
廃線跡の道路を進む。 -
ついに終点「登米駅跡」に到着~
いまは体育館や駐車場になっている。 -
ここにも案内板があった。
実際の駅はもう少し先だった模様。 -
なんの説明書きもなかったが、機関車らしき動輪が置かれていた。
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そして腕木信号機も。
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これが当時の登米駅。
駅舎は鉄道廃止後も残り、ミヤコ―バスの案内所として現役で使用されていたが老朽化のため、2007年に取り壊された。
動輪や腕木信号機もこの駅舎と共に置かれていたが駅舎なき後は、現在の場所に移設されたそうだ。
※当時写真は、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーより引用。
とよま振興公社 HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/ -
登米は「みやぎの明治村」としても有名。
街の中に明治時代の建物が残されている。 -
雨ざらしじゃなくてもう少し保存方法を考えて貰いたいな。
-
これで仙北鉄道の廃線跡めぐりコンプリート。
登米では梅が咲いてた。
A「みんな付き合ってもらってありがとうね」
2人「すいません、まだお昼食べてないんですが・・・」
いやいや、申し訳ない。
すっかり夢中になって。すこし遅くなったけど何か食べよう。
現在、午後3時。
お昼って時間じゃねえぞ 笑
みんな、言ってよお。(お前がお昼にしようかと言わないのが悪い) -
では、手近な定食屋に。
幸い、この時間でも営業していた。
「つか勇」さんにお邪魔する。大衆食堂 つか勇 グルメ・レストラン
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登米は、「油麩(あぶらふ)」が有名。
その油麩を甘めの出汁でネギと一緒に煮て、玉子で閉じる「油麩丼」がB級グルメとして有名になった。
平たく言えば、かつ丼のかつが油麩になった感じ。味はかつ丼のそれと同じ。
この店ではほかにラーメンや餃子などがあり、店自体は町中華的な感じ。 -
せっかくなので「油麩丼」とこれも登米名物の「はっと汁」のセット。
「はっと」はすいとんのような感じの汁物。素朴な味わい。
正直、初めて「油麩丼」を食べた時は出汁がしょっぱくてあまり良いイメージが無かったのだがこのお店は美味かった。リピートあり。 -
物産館のような「遠山の里」を冷やかす。
お土産や食堂もある。最初はここでお昼食べようと思ったけど、既に食堂は閉まってた。喰膳 蔵・ら~ グルメ・レストラン
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油麩も売ってる。でも商品名は「仙台麩」
そう、仙台もお麩が有名なんだよ。 -
最後に、物産館の隣にある「教育資料館」を見学して行こう。
この建物は、明治21年(1888年)に落成した旧登米高等尋常小学校の校舎。昭和48年(1973年)まで登米小学校の校舎として現役だった。
県の重要文化財に指定されている歴史的価値の高い、木造建造物だ。
なぜ、ここに入るのか言うと、ここでは仙北鉄道に関する貴重な資料が展示されているのだ。入館料は私が持つのでとみんな一緒に見学する。
おれって太っ腹(物理的にもなっ 笑)
教育資料館HP
http://toyoma.co.jp/facilities-kyoiku/
入場400円。他施設との共通券もあり。
※本文中の古い仙北鉄道の写真はすべてこちらで展示してある写真から引用しています。教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎) 美術館・博物館
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入口は、もと昇降口。
下駄箱もそのまま。ここで靴を脱いでスリッパに履き替える。 -
廊下は外廊下。
これって雨の日や雪の日、大変だったろうな。 -
立派なバルコニーつき。
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ご覧ください、この造形美を。
究極の木造建築だ。素晴らしい。東日本大震災でもダメージはあったが持ちこたえた。 -
その校舎の一角に「仙北鉄道」のコーナーがある。
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ひとつの教室を使っての展示。
意外と資料が豊富で驚いた。残ってるものなんですね。
資料収集には、当時の鉄道ファンやもと社員などを探して、仙北鉄道所縁の品々を提供いただいたとか。
※本編で差し込んだ古い写真はすべてここの展示物を撮影したものです。 -
当時の主力ディーゼルカー。
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改札鋏。
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これは当時の出札窓口を再現したもの。
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旧駅舎を使っていた、宮城交通のグループ企業「宮交登米バス」の看板。
以前の宮城交通のバス路線網は、仙台市内と近郊を宮城交通が運行し、地方はエリアごとの子会社を作り、それぞれ運行していた。現在は、宮城交通以外の地方エリアはすべて「ミヤコーバス」が運行している。
うちら、同業者は、宮城交通を「みやこう」と呼び、ミヤコーバスを「カタカナミヤコウ」と呼んでいる(どうでもいい情報 笑) -
関係ないけど、100年前に流行した、スペイン風邪の予防啓発ポスター。
復刻版だろうけど、
"恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン」!"
"マスクをかけぬ命しらず!"
現代の新型コロナに通ずるものがあるね。 -
春ですね~(花粉症酷いけど)
-
無事、教育資料館の見学も終わり、帰途についた。
運転手さんも下見が出来て、気持ちに余裕を持って当日に備えることが出来たし、私も仙北鉄道の廃線跡を巡ることが出来て、win-winな一日となりました。
かなりマニアックな内容でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
おわり
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旅行記グループ
廃線跡めぐり
この旅行記へのコメント (10)
-
- つららさん 2023/04/01 08:03:16
- 「用事のついで」ですね
- Akrさま
こんにちは。
お仕事で下見にいらっしゃったということで、おつかれさまです。
休日返上ですが、ただでは転ばれませんね。(笑)
下見の後に、しんちゃんさま、コバちゃんさまのお二人が廃線跡探訪に快くご同行くださるのも、Akrさまのお人柄ゆえでしょう。夢中になっておられるAkrさまの「ここで止まって」「そこじゃない」「あああ、そこ右、右」と、空腹なのに黙ってお付き合いくださるお二人のやさしさが、ともに微笑ましく感じられました。
仙北鉄道は廃止になってから50年以上も経つのですね。道や空き地の不自然さ以外には痕跡をたどるのは難しくなっているのでしょう。一方で碑が建っていたり、腕木式信号や車輪、教育資料館では展示コーナに充実した資料があったりと、保存目的で残されているもののほうはしっかりしているのには驚きました。だって半世紀ですよ。登米市とその市民の方のご努力もすばらしいと思いました。今回Akrさまが行かれたり発見された場所について、登米市教育資料館の仙北鉄道展示コーナーにあった当時の写真と比較しながら説明いただいたので、マニアでない私にもよくわかり、楽しんで読ませていただきました。
奇跡的に残っていた米谷駅の元駅舎は、移転されて個人の方が所有されているのですね。東日本大震災でも倒壊しなかった木造の建物は、一般の住宅より頑丈に作られていたのかもしれませんね。内部の見学はできずとも、こうして外からながめられる形で原型で残ってくれたことはほとんど奇跡です。
最後の油麩丼はおいしそう。仙台麩は京都でもたまに売っているので、しっかりした甘めの味付けで作ってみようかなと思います。
つらら
- Akrさん からの返信 2023/04/01 13:48:01
- RE: 渡りに船でした
- つららさま
こんにちは。
コメントありがとうございます。
仙北鉄道は以前から取材したかったんですが、仙台からだとそれなりに遠いのでなかなか足が向かなかったのです。そしたら、なんということでしょう 笑 登米へ下見へ行く用事が出来たじゃないですか。
同行する2人には「趣旨」を話して、理解いただきました。廃線跡めぐりはクルマで一人で行くには難しいんです。運転しながら痕跡を探さないといけないので危ないですし。誰かに運転してもらって探索しながら進むのが廃線跡めぐりの理想なので今回はまさに「渡りに船」でした。
廃止されてから半世紀が経過しているので遺構を探すのは大変なのですが、意外に地元では仙北鉄道に対する思い入れが強くて、案内板や石碑を立てて保存運動に余念がないようでした。また、終点の登米駅近くにある教育資料館には尋常じゃない数の資料が残っていました。これは、地元の人やもと職員の方のお宅を訪ねて、当時のものがないか探したそうです。こういった努力の甲斐があってあれだけの充実した資料を遺せたのだと思いますね。
中でも当時の駅の写真がたくさん残っていたので、これを活用して現在の場所と比較することで分かりやすくすることが出来ました。
米谷駅は大収穫です。
まさか当時ものの駅舎が残っているとは。保存状態も良いので末永く残していって貰いたいものです。
油麩丼は、まんまかつ丼や親子丼の味わいです。
甘目の出汁を吸ったお麩がこれまたいい。ご飯が進みます。
公私混同ですが、楽しい1日となりました。
Akr
-
- とのっちさん 2023/03/27 21:28:26
- 痕跡がたくさん!
- Akrさま
こんばんは。鮮度のいい記事が出ましたね。油麩丼を召し上がっておられた午後3時頃、たらこちゃんを降りてあぜ道をとぼとぼ歩き、吹きっさらしの中、アレを待っていました。
野球勝ちましたね~と言いたいところですが昔からあまり興味がなく、昼休みはへたくそながらもサッカーや野球して遊んでたくらいで、特にこの時期はダイヤ改正で野球の国際試合どころではありませんでした。私の住む西の果ての田舎では電車の話は1ミリも続きませんので、人と話が合うように野球の試合をちゃんと見ないといけないのですが、こうしてインターネットで電車の話ができる時代なので…(笑)職場で電車の話が弾むのは羨ましい!
泉北…いや、仙北鉄道は初めて知りました。勉強不足だな~瀬峰は「くりこま」が急行待たせてぶち抜いていたイメージだけだったのですが、こんな味のある鉄道の接点だったとは!橋をかけられないからスイッチバックだなんて、心がキュンキュンします←変態。鉄道由来の施設が案外残っているものなのですね~豊肥線の南熊本から南東へバス路線を伸ばす熊本バスも、昔は熊延鉄道でした。一番手は産交バス(青バス)なので、熊本バス(赤バス)は3~4番手かもしれません。廃線跡も残っているようです。
油麩丼おいしそう!あのような味付け・ビジュアルは好きです。でも、東北テイストだから濃いめなのでしょうね…そういえば私の部署と取引のある会社と、同じ名前の食品会社が九州にあるので、「ひらがな○○」と言ったりします。バスで「みやこう」というと宮交シティーが思い浮かび、熊延鉄道が九州山地を越えて結ぼうとした夢の行先の県へ思いをはせるのでした。赤いのがまだ走っとるうちに行かねば…
とのっち
- Akrさん からの返信 2023/03/28 18:01:30
- RE: 仙北より泉北のほうがメジャーですね
- とのっちさま
こんばんは。
コメントありがとうございます。
たら子を下りて田んぼ道を歩いて待つアレとは?気になります。
野球好き、サッカー好きは私を含め、社内に多いので話は合うのですが、これはどの職場でもよくある光景ですよね。でも、休憩時間に鉄道の話で盛り上がる会社はあまりないと思います 笑 偶然とは言え、よく集まったものです。
「原型原色103も終わったねえ。207じゃ味気ないっす」
「キハ183も良かったけど、283のあの唸るようなエンジン音がまた聴けるとは思ってもみなかったです〜 惰行から力行の音でご飯3杯イケますよね?」
と、普通に聞こえて来ます 笑
さて仙北鉄道。
泉北のほうが有名ですね。あちらは「せんぼく」でこちらは「せんぽく」だったりします。
初見なのは当然です。地元でも地味ですから 笑 でも、県下最大のバス会社のルーツがナローゲージというのも興味深い話です。
でも、全国に数ある軽便鉄道の中でも、キハが客車牽いたり、長編成の貨物が走ってたり、スイッチバックしたりとネタには事欠きません。
起点の瀬峰駅は、仰る通り、急行くりこまが急行たざわをぶち抜いた伝説の駅です。
熊延鉄道は初めて聞きました。いろいろ調べてみます。
油麩丼は味は、ほとんどかつ丼だと思って下さい。なんだ、肉がないのかと思われるかもしれませんが、出汁をたっぷり吸った油麩も最高ですよ。味は確かに濃いめかもしれませんが西日本の方のお口にも合うと思いますよ。
宮交は宮崎交通。確かに。
それを言うと「せんだいえき」もです。新幹線の鹿児島中央駅の駅名標が、隣が「せんだい」となってて面白かったです。でも、正式には薩摩川内市なんですよね。
今回の旅行記は、今週末にアップ予定の物との兼ね合いで順番が逆になっています。
次回もちょっぴりマニアックです。
Akr
-
- Tagucyanさん 2023/03/25 23:31:18
- そういう歴史は勉強になりますね
- Akrさま
こんばんは
あの逆転サヨナラした日の話でしたか。この日、我が家はお彼岸のお墓参りで、ずっとカーラジオで聞いてました。あのラストは興奮しましたねえ。
さてさて。
廃線跡も、今は調べればかつての路線がどこを通っていたのががそれなりに分かるので、それと現在の地図を見比べると、不自然なカーブ、不自然な膨らみ、不自然な幅の道路に突き当たることがたびたびあり、それを見つけるとニヤニヤしてしまうようになりました(笑)
特に地方に行くと、かつての駅舎がバスの待合室とか営業所に使われていたり、を見ることがありますね。今回訪れたところは、すでに取り壊されたところも多いようですが、一方で収穫もあったようで。
宮城交通のルーツがここだというのは、私も初めて知りました。カタカナミヤコウ、ミヤコーバスは、しばらくは系列だと知らずに「都(みやこ)バス」みたいな名前の会社だったのかな、とか思っていた世間知らずです(汗)
私の地元を走っている京王グループの西東京バスも、もとは国有化される前の青梅線(青梅電気鉄道)のバス部門が独立して、その後八王子地区と五日市地区のバス会社を吸収した形でできた会社です。グループ化を巡って京王と小田急が競った経緯があったり(となりの地域を走ってる立川バスは小田急グループです)、そういう歴史を調べるのは面白いですね。
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Tagucyan
- Akrさん からの返信 2023/03/26 11:48:50
- RE: 仙北鉄道と宮城交通
- Tagucyanさま
こんにちは。
早速、ご覧いただき、ありがとうございます。
ちょうど、道の駅米山に着いた時に入口のテレビでWBC準決勝を放送していたのですが、まさに9回2死でバッターボックスに村上。で、タイムリーを打つ瞬間だけテレビで見てしまいました。興奮しました。
廃線跡は痕跡を探すのが面白いです。
駅舎や路盤、橋梁の橋台などを見つけた日には歓喜しますが、廃止から年月が経っていると痕跡も無くて大変です。それでも道路のカーブ具合や築堤、そして不自然に広い敷地を見つけるとにやけてしまいます 笑
大きな駅も航空写真でみるとかつては側線がたくさんあったんだなと分かる土地を見つけることが出来ますね。
今回は駅の跡に石碑や案内板が立っていたり、駅舎がまるごと残っていたりとかなり収穫があったほうです。
宮城交通のルーツが仙北鉄道だというのは地元でも意外に知られておりません。
鉄道会社がバス事業に手を出し、合併で事業拡大し、拠点を仙台に移す。で、本業の鉄道が衰退。最終的には県南のバス会社も吸収して現在に至る。なかなか興味深い話です。お年寄りは宮城交通のことを当初の会社名「宮城バス」で呼ぶ人も居ます。
関東も私鉄系バス会社が多いので歴史を調べてみると面白いですよね。
Akr
-
- shuuu1983さん 2023/03/25 19:35:01
- カタカナミヤコウ(笑)
- Akrさま
こんばんは。
今回も非常に勉強になる旅行記でした。
ありがとうございます。
宮城交通、このような歴史があったのですね。
まったく知りませんでした。。。
仙石線の復旧前に石巻に住んでいたので、
仙台ー石巻のミヤコーバスさんには大変お世話になったのですが、
「カタカナミヤコウ」の呼び方良いですね(笑)
遅めのランチに登場した油麩丼、久しぶりに食べたくなりました。
よく考えたら、ちゃんと登米を見たことがないので、
行ってみねばと思いました。
これからはミヤコーバスさんをカタカナミヤコウと呼ばせていただきます。
shuuu1983
- Akrさん からの返信 2023/03/25 20:58:30
- RE: そこに食いつきましたか 笑
- shuuu1983さま
こんばんは。
早速、ご覧いただきましてありがとうございます。
コメントをいただき、「え?登米でニアミス?」と思っちゃいました 笑
それだけshuuuさまとはニアミス案件が多いです(それも全国広範囲で)
宮城交通は実はローカル鉄道会社からスタートしたという関係者とマニアしか知らない情報をネットで発信させていただきました。
震災後、仙石線の一部が長く不通だったのでミヤコーの高速バスは大繁盛でしたね。直後は各地から譲渡されたバスで前事業者のカラーそのままで走ってましたね。バスも草臥れたのばかりでしたが、最近では新車も導入されていますし、三陸道も4車線化したので所要時間も短くなりましたね。
カタカナミヤコウに食いついていただき、ありがとうございます 笑
まったくの業界ネタなのですが、的確に表現していると思います。
私も油麩丼、かなりご無沙汰でしたが、ここのお店は当たりでした。
見た目はかつ丼、親子丼ですが、食べれば両者とは似て非なる、油麩丼なんですよね。出汁が染みたお麩が美味いです。クルマじゃなければビールが欲しい所でした。
登米は歴史的な建造物が多く、ゆっくり街歩きにはいいと思います。
Akr
-
- 毛利慎太朗さん 2023/03/25 09:37:50
- お、こないだのやつですね。
- Akrさん、一番乗りで拝見しました。
こないだラインで送ってくれた廃線巡りのやつですね、こんな感じになったんですね。
廃線から暫したってるので、分かりづらくはなりつつありますが、仙台鉄道に比べれば、廃駅の目印などや記念館があったり、沿線も伝承活動に熱心でありがたい限りですね。
前に小牛田の「焙煎小屋風舎」で、仙北鉄道の腕木が残ってるとのタレコミを聞いたんですが、えー!まだあったんですね。
私はこれが一番の収穫ですね。
ちなみに「道の駅米山」ですが、2015年の2月の暖かい日に職場の先輩と一ノ関駅から自転車でいって、ソフトクリーム食って帰ってきたことがあります、マジで。
ここの名物はいちごソフトなんですよね。
毛利慎太朗
- Akrさん からの返信 2023/03/25 16:49:38
- RE: 順番入れ替わりましたが
- 毛利慎太朗さま
こんにちは。
「1ゲット」おめでとうございます。
旅行記の公開時期の都合上、投稿順が逆になっています。帰って4日で旅行記投稿は私も初めてかな。ある程度の組み立ては事前にしてましたので正味2日ほどで書き上げました。
仙北鉄道は、私が生まれた翌年に廃止されていますのでもう、半世紀が過ぎています。昔を偲ぶものはほとんど残っていませんが、地元が、ここに鉄路があった事実を後世に伝えるべく、保存活動をされているので意外に跡を辿るのは難しくなかったです。廃線跡マニアさんのブログなどはかなり参考にしましたが。
腕木信号は、終点登米駅の駅舎と一緒に保存されていたようですが、駅舎自体が老朽化で取り壊される時に動輪と一緒に現在の場所に移されたみたいですね。
米谷の駅舎も奇跡的に残ってて興奮しました。
一関から米山までチャリで?凄い。
そういえば、いちごソフトもありましたが、特におすすめ感もなかったので無難にバニラにしました。知ってればいちごにしたのに。いちご大福は旨かったです。いちごが酸味があるやつでして、餡の甘さと調和してました。
来週はよろしくお願いします 笑
Akr
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