2019/07/15 - 2019/07/15
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Akrさん
ご覧くださいましてありがとうございます。
今回は廃線となった線路跡を辿るお話です。
今年になって会社の健康診断で見事にひっかかりました(笑)
高血圧、高尿酸・・・
医者曰く、「太り過ぎだ、おめえ 笑」だそうで。
食事療法と運動。とにかく歩け。楽するな、とお灸をすえられました。
50代にもなると、命が痛ましいのかまじめにダイエットに取り組むことに!(笑)
とにかく運動不足なので、歩くことを心がけることにしました。
でも・・・ただ歩くのは苦痛なのです。
なら、趣味を兼ねて楽しく歩けばいいんじゃね?
となり、では地元の仙石線の旧線(地上線)時代の遺構探しをしてみることにしました。
まあ、このイベントはかねてからやってみたかったので渡りに船というわけです。
でも、仙石線の仙台~陸前原ノ町間の地下化ってもう19年も前のお話なんですよね。果たして現在でも廃線跡を辿ることができるのでしょうか?
そんな思いもあって、今回は、仙石線の仙台駅から陸前原ノ町駅までの間、約3kmを「廃線ウォーク」してみた話です。
興味を持たれた方はどうぞ、ご覧になって行って下さい。
それでは参りましょうか。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
PR
-
仙台と石巻を結ぶ、JR仙石線。
仙台から陸前原ノ町間の約3kmは平成12年に地下化されています。
もと民鉄の仙石線は、上の地図のように仙台を出ると住宅の軒先をかすめながらくねくねと進む、どこか地方私鉄の雰囲気が漂っていましたが、仙台駅東口の再開発事業で地下化され、昔ながらの道路も無くなり、新しい道路が作られ、まったく新しい街並みに生まれ変わってしまいました。
そんな仙石線地下化からはや、19年が経ちました。
現在、仙石線地上線時代の廃線跡を辿ることができるのでしょうか?
幼いころから沿線で暮らした勘を活かして歩いてみましょう。
なお、写真の中で線路があったあたりを赤線で表示してみました。正確に測った訳ではないので多少の誤差はありますので参考程度にご覧いただければと思います。 -
仙台駅の東口にやって来ました。
ここも昔の東口を知る者にとってはもはや未知の世界状態。
大変貌を遂げました。こうなると西口、東口どちらが表か分かりませんね(笑)仙台駅 (JR) 駅
-
東口を出てすこし北の方へ歩いて来ました。
新幹線のホームが遠望できます。 -
やって来ました、地上時代の仙石線仙台駅。
右手の立体駐車場がまさに駅でした。
仙石線は、東北本線の仙台駅に対して直角に作られていました。
駐車場の奥が新幹線のホームです。
これは、仙石線がもと民鉄の名残ですね。電化方式も東北本線が交流なのに対して仙石線は直流でしたので国鉄買収後も同じ駅には出来なかったのでしょう。 -
正面の駐車場の角が仙石線仙台駅の改札が置かれていた場所かと思われます。東北本線などのホームへはここから入って長い地下道で各ホームへ行くことができました。
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このあたりがホームがあった辺り。
当時は、1面2線の島式ホームでした。 -
さて、歩いてみましょう。
いざ歩き出すと、いくら趣味を兼ねているとは言ってもいまは「真夏」
今日も蒸し暑いのです。5分も歩けば汗だくに・・・
夏はやるもんじゃないな。
隣りの榴ヶ岡駅までに短縮しようか(笑)
とにかく限界まで歩いてみます。 -
当時の仙石線は仙台を出るとすぐに踏切がありました。
ちょうど私が居るあたりが線路でした。道幅はもっと狭かった。
う~ん、跡形も残っていないな。 -
ふと、足元を見ると・・・
お、踏切跡を示す表示が!
これは地元、宮城野区が主体となって設置したものだそうです。
「仙石線にも踏切があった歴史を後世に伝えるため」に市民団体が区へ働きかけて実現したそうです。 -
先へ進みましょう。
私が立っている場所からまっすぐに線路が伸びていました。
ちょうど、マンションとマンションの間を線路が通っていた感じ。 -
200mほど歩くと交差点に出ました。
ここにも踏切がありました。ちょうど私が居る場所から交差点を斜めに横切るように踏切があり、白いマンションの右側へと抜けて行きました。
ここの踏切には、踏切警手がおり、旗を振っていました。
なつかしい。
※見えづらいですが写真の中の赤線が当時の線路跡です。(だいたいですが・・・) -
前の写真の公園側から見た図です。
ちょうど、この公園を横切るように仙石線が走っていました。 -
線路跡に作られた道路。
なんとなく鉄道敷のような雰囲気があります。 -
とぼとぼ歩いてくると神社の前に出ました。
榴ヶ岡天満宮です。菅原道真公を祀る学問の神様として有名です。
私も高校受験の際にお参りに来ましたが、現状はこんなもんです(笑)
というかこの参道の前を電車が走っていたはず。 -
線路敷は現在は遊歩道になって残されていました。
左に道路が走っていますが、その道路より少し低い所を仙石線の線路があった記憶があります。
けっこう残っているものですねえ。 -
廃線跡を歩きます。ここはうまく整備しましたね。レールなんかでも一部残せば面白かったでしょうね。
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開けた場所に出ました。
仙台でも有数の桜の名所、榴ヶ岡公園です。 -
公園の入口に案内板がありました。
当時の仙石線はこの公園の底辺あたりを公園に沿って走っていました。 -
榴ヶ岡公園の前には広い道路。
宮城野通りといって、仙台駅から楽天生命パークまで一直線で結ぶ都市計画道路です。ちょうど私が立っているあたりが、旧榴ヶ岡駅。現榴ヶ岡駅は写真左奥に地下駅への入口があります。
こことほぼ同じ場所から撮影した41年前の写真があります。
次をご覧下さい。榴ケ岡駅 駅
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コレです。前の写真でのアングル的にはもう少し道路寄りでしょう。
榴ヶ岡を発車して宮城野原へ向かう72系の下り電車。 -
同じ場所から反対側(宮城野原方)を向いた所。
次に同じく、41年前に同じ場所で撮影した写真をお目にかけます。
白丸のあたりに踏切があって、そこからの撮影です。 -
こちら。
上り電車を写しています。
車体は103系、足回りは旧性能吊り掛け車という変わり種車、クハ79を先頭にした仙台ゆき。 -
新倉通り踏切。
ここにもありました。 -
榴ヶ岡から先へ進みます。
住宅地を抜けて行きますが廃線跡が道路になっており、比較的辿りやすいようです。 -
どんどん行きましょう。
このあたりで半分でしょうか。1.5kmは過ぎましたね。
写真だと分かりませんが、かなり息が上がって来ています。情けないなあ。夏じゃなければもっと平気なんだけど。 -
また、踏切跡に出ました。
荒浜街道踏切。 -
榴ヶ岡方を見ています。線路跡がそのまま道路になっていますね。
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ここが荒浜街道踏切跡。
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うっすらと踏切跡が・・・
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おお、これは国鉄時代の「境界杭」では?
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踏切の先も緩やかな左カーブを描いており、線路敷だったころの雰囲気が出ています。
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廃線跡はいまは駐車場になっています。
カーブ具合がいかにも鉄道っぽい。
この先は、行き止まりのようなので迂回しましょう。 -
ぜんぜん関係のない話ですが、ここは近くに楽天イーグルスの本拠地、楽天生命パークがある関係で、周辺の空き地という空き地はほとんどコインパーキングになっていますが、特別日が設けられており、この日は駐車料金がべらぼうに高くなっています。
特別日とは、言うまでもなく「野球開催日」です。
野球観戦と無関係な利用者は大変だな、こりゃ。 -
ほどなくして立派な建物が・・・
仙台育英学園の校舎です。
今年の夏の甲子園大会では、惜しくも星稜高校に負けてしまいました。 -
その育英学園の真向かいにあったのが宮城野原駅。
写真の公園の先が駅でした。2面2線の相対式ホーム。
現在の宮城野原駅は、写真右手、育英学園の南側の地下にあります。宮城野原駅 駅
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旧宮城野原駅です。
正面の道路に踏切があって、奥の2階建ての住宅のあるあたりが駅舎でした。 -
これは線路と道路の境にあった柵。
かろうじて残っています。意外と遺構が残されていてびっくりしました。 -
ここも線路跡のみ空き地になって残っています。
左手(白い矢印の所)に見える石垣に沿って線路が敷かれていました。 -
この先も陸前原ノ町へ向かって石垣沿いに線路が敷かれていました。
石垣だけは現在も健在のようです。 -
発見!
これは木造の架線柱の根本ではないですか。確か仙石線もこのあたりは昔ながらの木製架線柱のままだったはずです。 -
やがて線路は踏切を渡りながら右へ緩やかにカーブして陸前原ノ町へと向かって行きます。
作画がまったくダメダメで申し訳ありませんが、私が立っている場所から図のように道路を踏切で横切ってカーブしながら進んで行きました。 -
その踏切から陸前原ノ町駅方を望んでいます。
白い矢印の下の建物が現在の陸前原ノ町駅です。地下駅ながら地上に駅舎があります。ここはホームの先がもう地上なので、どちらかというと半地下のような構造です。
駅舎の右側の建物は、現在、宮城野区市民文化センターという施設になっていますが、ここの広い敷地が、今は無き「仙リハ」こと陸前原ノ町電車区の跡地です。
※「仙リハ」とは、車体に記載されている記号でその車両の所属先を表すものです。仙台鉄道管理局管轄の陸前原ノ町電車区という意味になります。「リハ」はりくぜんの「リ」とはらのまちの「ハ」です。現在、仙石線の車両配置は、ここよりもう少し東にある、仙台車両センター宮城野派出所となっています。
そしてここでまた、41年前の写真を引っ張り出して来ます。
ほぼ同じ場所からのアングルで・・・ -
踏切の脇から撮影しています。
電車が留置されているのが陸前原ノ町電車区です。
しかし、もっと新しい写真なかったものか・・・
撮影はおそらく昭和53年ごろです。 -
先ほどの場所から進んできました。
このあたりが旧陸前原ノ町駅があった場所です。
2面3線の配置で、3番線は主に出区列車用だったかと思います。 -
さらに進んで駅の東側へやって来ました。
正面のクロスする線路は宮城野貨物線です。そのクロス部分に当時、仙石線がくぐっていた事が分かる痕跡が見られますね。出区電車は車庫から一旦、この辺りまで来て方向を変えて本線へ入って行きました。ちょうどここに交通量の多い踏切があり、いつも渋滞していた記憶がありますね。 -
ここが踏切跡です。
踏切は解消されましたがいまでも交通量が多くて渋滞は変わりません。 -
現在の仙石線は貨物線とクロスした先から地上へ出ています。
当時の線路敷のさらに下です。 -
地下線からの出口部分を上から。
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地上へ出た電車は緩やかに勾配を上がりながら高架駅である苦竹駅へ進入して行きます。
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さて、無事3km歩き切りました。
足が痛い(笑)
陸前原ノ町駅へやって来ました。
旧国名が付く駅には似つかわしくない近代的な駅舎。
どうするって?
帰りはもちろん電車で帰りますよ。
帰りも歩いたら死にますって(笑)
その代わり、一駅づつ降り鉄してみます。
現在の各駅をご紹介致しますよ。陸前原ノ町駅 駅
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コンコースへ。
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仙石線は日中はだいたい10~15分ヘッド運転なので、乗ったり降りたりには便利です。
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石ノ森章太郎先生作品を纏ったマンガッタンライナーが来ました。
仙石線の電車はすべて205系(山手線と埼京線のお古)です。
なかなか更新しませんな。もうしばらくは205系使うのかな。マンガッタンライナー 乗り物
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マンガッタンライナーの石巻寄り先頭車は、もと2WAYシート車。
2WAYシートとは、ロングとクロス双方にすることが出来るおりこうさんなシートです。
「もと」としたのは、現在ではご覧のように「ロング固定」で運用されています。せっかくの機構なのになんとも勿体ない。 -
次の宮城野原で降ります。
1分で着いた。電車は速いなあ。冷房も効いて快適だし。宮城野原駅 駅
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ここは、楽天イーグルスの本拠地である、楽天生命パークの最寄り駅なので駅はイーグルス一色であります。おまけに発車メロディまでイーグルスの歌な訳です。
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地上へのアプローチもイーグルス。
この色、クリムゾンレッドというんですが、私はどうしても赤系だとカープを連想します。(カープ男子ではありません)
「駅に着いた時からイーグルス」な宮城野原駅でした。 -
さて、次の駅へ向かいます。
次は、榴ヶ岡です。 -
あおば通ゆき、来ました。
-
宮城野原から2分乗ってまた降ります。
なんか地下駅はどこもみな同じに見える。榴ケ岡駅 駅
-
まあ、至って普通の駅。
榴ヶ岡は子供の頃、自宅最寄り駅でした。
あの頃は木造の小さな駅舎だったなあ。まさかあれから40年でこんなに立派な駅になるとは思ってもみませんでしたね。 -
かと思ったら、ここも宮城野原ほどではないにせよ、イーグルス色が濃いですな。
宮城野原と榴ヶ岡の中間くらいに球場があります。 -
外へ出ます。
-
一度見たら忘れない自販機が駅前に鎮座しております。
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榴ヶ岡駅から仙台駅方面を望みます。
仙台駅までは800mしかなく、普通に歩ける距離です。仙台駅も見えます。
駅間が短いもと民鉄らしい駅配置ですね。 -
2015年5月で通過する列車は無くなりました。
仙石線の快速列車はすべて「仙石東北ライン」経由で運転されています。 -
さあ、ラストです。
あと一駅乗って行きましょう。 -
仙台駅到着~
今日のミッションすべて終わりました。 -
如何でしたか?
3km歩いて帰りは電車とか、良く分からないことをやってしまいました。
地下化から19年、意外と遺構は残っているものですね。実際に歩いてみてびっくりしました。
でも、歩くのは身体に良いです。
実は、ここ4か月で10kgあまりダイエットしたんですよ。
少しほっそりしてませんか?
リバウンドしないように頑張ります。
今回は、「廃線ウォーク」と謳い、仙石線の地上線時代の遺構めぐりのご紹介でした。
最後までご覧下さいましてありがとうございました。
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旅行記グループ
廃線跡めぐり
この旅行記へのコメント (14)
-
- ぽんたさん 2020/07/30 01:18:54
- 懐かしいです
- はじめまして。
生まれてから21歳まで榴ヶ岡駅の近くで育ち、2002年に上京してから数回しか仙台を訪れておらずとても懐かしい気持ちになりました。
当時仙石線はすでに地下化済みでしたが、まだ線路が残っていたように思うのでこちらで拝見させて頂いた仙台駅から榴ヶ岡駅までの線路の痕跡のなさが少し寂しいような気もします。
まったく関係ない話ですが、こちらを拝見していてなぜか鉄砲町のあたりにあった病院跡かなにかの廃墟を思い出しました(笑)
今後も懐かしい仙台の風景を見られる日記を楽しみにしております。
- Akrさん からの返信 2020/07/30 08:46:54
- はじめまして。
- ぽんたさま
おはようございます。はじめまして、Akrと申します。
仙石線の地上線跡の旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
榴ヶ岡駅近くに住んでいらっしゃったのですか。私も高校生までは榴ヶ岡駅が最寄り駅でした。もちろん地上駅時代です。構内踏切やこじんまりとした駅舎が懐かしいです。いまは何の変哲もない地下駅ですが・・・
仙石線が走っていた仙台駅の東側は再開発が進み、榴ヶ岡あたりまでは昔ながらの街並みや道路はほとんど残されておりません。榴ケ岡から東側はよく残されているという印象です。
鉄砲町近くの病院跡らしき建物ですか・・・
仙石線仙台駅の北側には古〜い病院がありましたし、榴ヶ岡駅前にも昔、病院がありました。そのどちらかもしくはそれ以外にもあったのかもしれませんね。鉄砲町、二十人町あたりはもう昔の面影がゼロで、寂しくなるというよりはよくもここまで都会にしてくれたなという驚きの方があるかもしれません。
仙台は駅の西側より東側の方が変貌が半端ないです。
また機会があればいろいろ仙台の街並みをお届けしたいと思います。
今後とも、よろしくお願い致します。
-Akr-
-
- kenyaさん 2019/10/04 12:44:28
- はじめまして
- わたしの生活圏です。
そして明日、逆のコースを歩く予定です。
仙台~榴ヶ岡で4カ所、榴ヶ岡~宮城野原で2カ所のプレートは発見してましたが最近、宮城野原以東にも追加されたようでそちらを確認してきます!
また、他の旅行記も拝見させていただきますね。
- Akrさん からの返信 2019/10/04 16:12:53
- はじめまして
- Kenyaさま
こんにちは。はじめまして。Akrと申します。
旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
kenyaさまは仙台在住なのですね。私も仙台で生まれて早、52年です。
仙石線は幼いころからお世話になりましたので地上時代を懐かしく思い、歩いてみました。
踏切跡や線路敷の跡を辿るのは面白いですね。
今後とも宜しくお願い致します。
-Akr-
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- とのっちさん 2019/09/01 21:33:58
- メインが二つ!
- Akrさま
こんばんは。ただいまサハ813-402車内。一石二鳥旅行記ですね~
時折突っ込まれる“国電”の写真がすばらしい!スキャンたいへんだったでしょう。とにかく歩く、廃線跡を歩く。新シリーズになったりして…廃線跡マニアも裾野が広いですね~カーブや勾配など、それっぽく見えてしまいます。店の立ち方なんかも、いかにもという感じでした。
食べ物も酒もでて来ない(データ飛ばしたわけでもない)徹底した運動旅行記でした。こころなしかほっそりしたような…次はさすがに、通常運転ですよね…
とのっち
- Akrさん からの返信 2019/09/02 23:10:51
- 一石二鳥とはこのこと。
- とのっちさま
ご覧くださいましてありがとうございます。
医者に歩けと言われましても、普段から歩かないのに・・・
「小走りで歩くように」って、超絶乗り継ぎの時くらいしかしないのに(笑)
いきなり歩けませんよね。そこで以前から温めていた企画である「仙石線地上線時代の遺構さがし」をやることにしました。
おかげであっという間に3km歩いてしまいましたよ。
これぞ一石二鳥!
本題?の遺構もかなり探せましたし。いちおう、旅行記1本成立するくらいのネタ提供にはなったかと・・・
線路跡は、私の記憶を頼りにこのあたりかな?って感じで引きましたので若干の誤差はあるかと思います。
私らしさが出ていない旅行記なので次回以降は「平常運転」に戻らせていただきます。
追伸
とのっちさま、JR型はモハに乗らないのですか(笑)
サハはフラット音を拝聴する乗り物ですよ~
-Akr-
-
- Tagucyanさん 2019/08/25 16:07:10
- それでもまだ跡が残っているもんですね
- Akrさま
こんばんは
拝見しました。以前、昭和60年の夏に初めて1人で仙台に行ったと書きましたが、その時泊まったのが榴ヶ岡駅の近くにあった郵便貯金会館。今のメルパルクですね。
そして、当時仙石線は余裕で地上時代でした。半自動扉の103系が全盛で、真夏だったのに冷房率0で、暑かったなあという印象がありました。仙台駅は頭端式の島式ホーム、榴ヶ岡駅は相対式ホームでしたね。
途中で出てきた白黒写真、Akrさんが撮ったものですか。昭和鉄道史みたいな本からの引用かと思いましたが(失礼)、昭和50年代の写真なんですね。
そしてあの辺り、年に1回は楽天の試合を見に行っているのでなんとなく様子を分かっていたつもりですが、改めて拝見すると思ったより跡が残ってますね。次回行った時、私も徘徊してみようかなあなんて思ったりして。新倉通り踏切跡は、球場から仙台駅までの道沿いにあるので、私も知ってましたが。
でもこの暑い時期に歩くのはしんどかったのでは。きっかけが健康診断?ということで、汗をかいたのでよかったのかも知れませんが。そういう私も、外を出歩く部署から、全く外に出ない部署に異動になり、一気に体重が増えてしまいました。そして再来週、年に1回の定期健康診断です。やばいです(汗)
---
Tagucyan
- Akrさん からの返信 2019/08/26 10:31:17
- なにかと仙台にご縁がありますね。
- Tagucyanさま
おはようございます。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
昔からTagucyanさまは仙台になにかとご縁があるのですね
郵便貯金会館懐かしい。60年と言えば、いまのメルパルクではなく、山の上にあったころですね。私の旅行記にある、榴ヶ岡天満宮の傍だったはずです。これもまた懐かしいなあ。
仙石線は、旧型国電がお古の103系で取り換えられましたね。中古を中古で代替えする仙石線伝統の玉突き転属は現在も健在で、205系の後継がどうなるのか楽しみなところです。
103系の半自動はいまのようなボタン式になったのはだいぶ後の事で当時はドアに「取っ手」を付けて、よっこらしょと開けていましたね。冷房も無く天井では扇風機が回っていました。
あの72系の白黒写真は私が小学生のころ撮影したものですよ。写真の保存状態が劣悪なため、昭和30年代くらいの写真に見えますね(笑)
旧宮城球場(現楽天生命パーク)付近に行かれていると近くを仙石線が走っていた証を観察することができますね。新倉通り踏切をご存知だとは、Tagucyanさまも侮れませんな。さすが各地の廃線を辿っているだけあります。
確かに歩くのは身体に良い事なのですが、やはり真夏にやるとしんどい。おまけに汗っかきなもので不快指数がかなり上がりました。でも、健康診断のお蔭で体重を落とすきっかけにもなりましたし、良かったと思います。
Tagucyanさまは、旅行記では良くおいしいものを召し上がっている印象があるので体重増は気になるところですね。お互い、健康第一で旅行したいですね。
健康診断頑張って下さい(自分ではどうすることもできませんが 笑)
それでは!!
-Akr-
-
- へけけさん 2019/08/25 12:39:05
- リバウンドが楽しみです(笑)
- Akrさん こんにちは。すごいですね~、10キロ減は。だいぶスッキリしましたよ。今度お会いするのが楽しみです。できればネタ的にはリバウンドしてさらに太ったっていう展開のほうが受けると思います(笑)自分もあと10キロ痩せろって医者に言われてますが絶対に無理です。痛風予備軍なのでビールはやめて焼酎を飲んでますが、足の親指の付け根が痛いです。ヤバイかも。
昔の写真、いいですね。ツリカケの台車に103系の車体、懐かしいです。
へけけ
- Akrさん からの返信 2019/08/26 09:02:49
- 楽しみにしないで下さい(笑)(笑)
- へけけさま
おはようございます。
いつもありがとうございます。
最近、へけけさまが健康診断ネタで旅行記を作っていらっしゃったのでマネしてみました。
私もビールが飲める病院に入院したい(笑)
やっぱり、50過ぎるといろいろ来ますね〜
血圧も痛風も体重落とさないとダメだからとにかく痩せろと医者に言われたので歩いてみました。
食生活は、カップラーメンを止めて、コンビニで売っている千切りキャベツを食事前に1袋食べる。これだけで5か月で10kg減です。腹の周りの肉と顔にくっついていた肉が落ちて、見た目はだいぶすっきりしました。
リバウンドを楽しみにされているのですか〜???
確かにフォートラ的にはこっちのほうがウケがいいかも(笑)
今度お会いする際には、どうなっているか楽しみにしていて下さい。
-Akr-
-
- 横浜臨海公園さん 2019/08/25 11:12:23
- 仙石線廃止線跡
- Akrさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
小生、仙台駅北地下道が旧仙石線宮電仙台駅跡の時代は存じませんが、新幹線建設工事着工直前ですが、仙石線と東北本線の線路が接続していた時代は存じておりまして、実見では、仙リハのクモハ54型+クハ68型が郡山工場に全般検査で搬出される現場を目撃しております。
それにしても、だいぶ変りましたね。
東口なんて平屋の民家しか無かったと記憶しております。
横浜臨海公園
- Akrさん からの返信 2019/08/26 08:55:48
- 東口は飛躍的に変貌を遂げました。
- 横浜臨海公園さま
おはようございます。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
旧仙石線ホームから仙台駅を結ぶ地下連絡通路は、知る人ぞ知る、仙石線の前身である宮城電鉄の仙台駅ホーム跡なんですよね。
>仙石線と東北本線の線路が接続していた時代
わかります。仙石線仙台駅の手前に渡り線があり、これが廃止された後もレールが少しだけ残っており自分なりに調べたことがあります。これがなくなってからは全検などで郡山工場へ回送する際は、小牛田経由になりました。
仙台駅の東口は、昭和の時代と比べて飛躍的に変貌を遂げました。
当時は確かに、木造平屋の民家が並ぶ場所でした。そこを仙石線がくねくねとカーブしながら走っていました。つい最近まで仙台民は東口のことを「駅裏」と呼ぶほど、表と裏の違いがはっきりしていましたね。
-Akr-
-
- BTSさん 2019/08/25 07:56:12
- 廃線マニアには堪らない!
- Akrさまへ
おはようございます。
健康診断で高血圧、高尿酸など引っ掛かったようですね。私も40代後半(5年前)から数値が上がってしまい薬を飲んでいます。痛風は2度発症しています。Akrさんは、歩く努力をされていて感心します。確かに体重が落ちたようで顔がスッキリしています。私も見習わなければなりません。(汗)
仙台駅~陸前原ノ町駅間の地下化は19年が過ぎているんですね。ウォーキングを兼ねて廃線跡を追いかけるのは一石二鳥ですね。確かに目的無く歩くのは苦痛ですよね。ところどころ線路を書いてあるので廃線跡が分かりやすいです。
仙石線で走っていた103系の下回り(床下)はクハ79だったんですね。いわゆる車体更新でしょうか。起動時の吊りかけモーター音と車体のアンバランスさが何とも言えないことでしょう。
私も廃線を追いかけるのが好きで、過去には高崎線深谷駅から日本煉瓦製造工場までの貨物線4.2kmを自転車で追いかけたことがあります。いついしか常磐線土浦駅から筑波鉄道の廃線跡をサイクリングしたいと思っています。
この廃線シリーズは、今後Akrさまのメイン旅行記になりそうですね。楽しみにしています。お身体を大事になさってください。
BTS
- Akrさん からの返信 2019/08/26 08:41:09
- 一石二鳥でこれはいい!と思いました。
- BTSさま
おはようございます。
早速、ご覧いただきまして、ありがとうございます。
やはり50年も生きるとなにかとガタが来ますね(笑)BTSさまも痛風でしたね。薬を飲めば安心なんでしょうが、私の場合、発作がまだ無いので爆弾抱えているようです。ここに来て健康診断で引っ掛かり、医者からは「運動して体重落としなさい」と言われてしまいました。
食生活を改善(1日1回は食べていたカップラーメンを止めたのと主食前にコンビニの千切りキャベツ1袋食べるだけ)したら月2kg位づつ痩せました。
そんなところで歩きながら出来ることは無いかと考えていたら、「廃線巡り」を思いつきました。仙石線の廃線めぐりは前々からやってみたかったのでちょうど良かったです。「健康と趣味」のコラボで一石二鳥ですし。
歩いていたらいろいろ思い出して来て、写真に線路跡を書き込んでみました。
にせ103系のクハ79は、強烈な印象でした。確か当初は山手線と同じウグイス色でデビューして、その後京浜東北と同じスカイブルーに塗られた記憶があります。仙石線引退後、「本物」の103系の足回りに交換されて晴れて103系になり最後は川越線、八高線で活躍したはずです。
廃線めぐりは好きなのですが、なかなか遺構が残っている場所が少なくなっており、本格的にやろうとすると難しいですよね。自転車で巡るというのはナイスアイデアだと思います。
なにか機会があればまたやってみたいです。
体質改善頑張ります。
次、お会いする時は別人になってたりして(笑)
ありがとうございました。
-Akr-
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