2022/10/17 - 2022/10/17
982位(同エリア7268件中)
パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2022/10/17
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徒歩での移動
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6:24 西壷川バス停
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徒歩での移動
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6:59-7:00 カフーナ旭橋A街区交通広場
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バスでの移動
7:10→7:26
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ノボテル沖縄那覇前バス停
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徒歩での移動
7:26→7:41
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徒歩での移動
7:45→7:53
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一中健児之塔
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徒歩での移動
8:05→ 8:19
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徒歩での移動
8:23→8:29
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徒歩での移動
8:41→8:52
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徒歩での移動
9:26→9:52
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金城2丁目バス停
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バスでの移動
9:52→
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この旅行記スケジュールを元に
梅雨の5月城巡りのリベンジです。 今回も那覇に3泊し路線バスで周りました。 雨は余り降らないシーズンを選んだ筈が、初日を除き全て雨予報と前日知る。スケジュールをドタバタで変更。三日目までは観光に差し障る程降られず。
⑦最終日は朝から厚い雲をものともせず、具志川城跡のつもりがバスが分からず。 遠出は諦めて降り出さない内に首里金城町、寒川町をノンビリ散策します。 https://4travel.jp/travelogue/11804383 の続編です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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(写真) 3:38 メルキュールホテル那覇客室より
☆The Fourth Day☆ 10月17日 (月) ⑦
雨は降っていませんが、まだ起きるのは早すぎ。 もうひと眠り。 -
(写真) 4:05 朝食は昨晩スーパーで買ったカップうどん(>_<)
一度目覚めるともう眠れません。 -
(写真) 6:11 メルキュールホテルフロント
ネットでは西壷川発 10時過ぎで潮平乗り換え、喜屋武行き以外は見つけられないが、別の行き方もあるかもしれない。 始発を目指して、チェックアウト。メルキュールホテル沖縄那覇 宿・ホテル
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(写真) 6:24 西壷川バス停 那覇バスターミナル方面行き時刻表
6:27琉球バス糸満線で潮平に行こうと運転手に聞く。喜屋武に行きたいと伝えると知らないと言われた。 キヤブでなくキャンだったと知ったのは今です。 しかも壷川通りを渡って(そば家鶴小壺川店側)のバス停は那覇バスターミナル行きだそうです。与儀十字路まで廻って那覇バスターミナルに行くのですね。 -
(写真) 6:34 西壷川バス停 #89糸満バスターミナル方面向き時刻表
6:45発に乗れば良かったのでしょうが、向いのバス停から乗ると思い込んでいたのでここで10分待つと本当に潮平に行けるのか? 又、潮平から喜屋武の検索結果も自信を持てなくなっていた。このバスに乗り7:11潮平に着いたとしても、#108バスは 10:50まで来なかったので、結果的には行かなくて良かった。 帰路那覇までタクるといくらなのか検討もつかなかった。 -
(写真) 6:56 #9那覇糸満線乗り場 那覇バスターミナル
ので歩いて那覇バスターミナルへ行く。こんなことならユックリホテルで朝食を取ってくれば良かった。那覇バスターミナル 乗り物
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(写真) 6:59 ▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
沖縄県営鉄道那覇駅跡出土の転車台遺構 説明板
バスの待ち時間に「那覇駅跡」を観光。 今までバスタを何度か利用しているのに気付かなかった。
ピンボケで全く文字が読めませんので 下記参照下さい。
*沖縄県営鉄道「転車台」遺構の公開について
https://www.city.naha.okinawa.jp/websyuccyoujyo/kaiken/2019kaiken/kaiken053002.files/shiryou20190530_01.pdf
1914年沖縄県営鉄道は那覇駅を基点に与那原線が開業し、1922年に嘉手納線、1923年に糸満線が開業した。起点となる那覇駅には、機関車を方向転換させる「転車台」がありました。2018年から始まったバスターミナル一体の再開発中、「転車台」の遺構が発見された。 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
沖縄県営鉄道 機関車と転車台のイメージ模型 (縮尺1:6) -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
那覇駅停車中の機関車の写真 那覇市歴史博物館提供 -
(写真) 7:00 ▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
那覇駅の構内の写真 那覇市歴史博物館提供 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
糸満駅の写真 那覇市歴史博物館提供 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
嘉手納駅の写真 那覇市歴史博物館提供 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
転車台遺構 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
那覇駅の写真 那覇市歴史博物館提供 -
▲▽カフーナ旭橋A街区交通広場▽▲
那覇駅跡説明板 写真では読みづらいので書き写しました。
沖縄における軽便鉄道各路線の起点となった那覇駅跡。
日本の鉄道は、近代化への象徴として、明治新政府により推進され、1872年に初めて新橋~横浜間が開通した。沖縄県でも、本土から来た寄留商人を中心に、鉄道事業の計画が何度かなされたが、資金調達等で目途が付かず、計画中止が相次いだ。
通常の線路幅である1067mmに対し、それ未満の線路幅の鉄道設置を認め、建設費や維持費の抑制を図った「軽便鉄道法」(1910年)の成立を受け、沖縄県では、1913年(大正2)に線路幅762mmの軽便鉄道の敷設を決定した。
1914年(大正3)12月1日に、那覇と与那原を結ぶ与那原線(全長約9.8km)の操業が開始され、その後、1922年(大正11)に那覇~嘉手納線(約23.6km)、1923年(大正12)に那覇~糸満線(約18.3km)が開業した。那覇港への引き込み線(約0.7km)も敷かれ、貨物専用として使用された。沖縄の軽便鉄道は、「アキフィーグルマ」(陸火車:陸蒸気船)とも呼ばれたが、人々からは「ケービン」の愛称で親しまれた。
那覇駅は、与那原線開業時に整備され、路線増加とともに拡充された。赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、隣接して鉄道管理所や交番が置かれた。構内には転車台・機関庫・石炭置き場、北端には職員住宅もあった。
車両は、蒸気機関車12両、ガソリン動車6両、客車52両、貨車51両あったといい、1930年(昭和5)に始めて導入されたガソリン動車では、快速運転も行われ、乗客から人気があったという。那覇からは、それぞれ30分(与那原)、60分(嘉手納)、50分(糸満)程で結ばれていた。普段は3両編成であったが、キビの収穫時期や盆・正月、波上祭の時期には5 ~ 8両編成になったという。沿線地域の子どもたちは、「シッタンガラガラ」と音を立てて走る「ケービン」の姿や、「アフィー・アフィー」と聞こえる汽笛を真似て、遊んだという。
那覇駅は、1944年(昭和19)10月10日の空襲により甚大な被害を受けたが、1 ヵ月後には、運行が再開され、沖縄守備隊の兵站輸送や、住民の本島北部への疎開に利用された。しかし、翌年の3月下旬には、米軍の攻撃により破壊され、運休となった。
終戦後の1947年(昭和22)には鉄道復興の計画もあったが、幹線道路の整備が優先された。さらに1950年(昭和25)の朝鮮戦争勃発による鋼材不足のため、スクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。
那覇駅跡周辺は、1953年(昭和28)から区画整理が始められ、1959年(昭和34)には那覇バスターミナルとなった。かつての那覇駅構内の北端に位置した仲島の大石は、ターミナル内の出入り口付近に残されている。
「仲島の大石は、ターミナル内の出入り口付近に残されている。」とありますが、写真を撮っただけでよく読んでいませんでした。時間はタップリあったのに見に行ってません(>_<) -
(写真) 7:05 那覇バスターミナル前
7:05発 #446那覇糸満線 の運転手に尋ねると潮平には行かないと言われた。
糸満バスターミナルに行きそこからタクればいいのでしょうが、貧乏性の私は往復タクシーだといくらかが気になり思い切れない。この日は雨予報だったので、前日行き損ねた金城石畳に行こうと決心。
7:10発 那覇バス・97琉大線・琉大北口駐車場行 の運転手に首里城に行きたいと言うと山川なら通ると言われ、乗る。 -
(写真) 7:27 ▽▲赤マル宗通り▽▲ (金城町大通り)
山川まで行かずノボテル沖縄那覇前(沖縄県路線バス)下車で金城石畳に向う。後払い。
◎バス代 那覇バスターミナル→ノボテル沖縄那覇前 \240 -
(写真) 7:28 ▽▲赤マル宗通り▽▲
ノボテルホテル
赤マル宗通りは緩やかな坂道。 振り返るとノボテルホテル(旧都ホテル)が良く見えた。 -
(写真) 7:31 ▽▲赤マル宗通り▽▲
ガジュマルの木。
木の間に見えるのは観音堂。 5年前に行ったので今回はパス。 -
(写真) 7:31 ▽▲赤マル宗通り▽▲
5年前には、都ホテルフロントで教えて貰ったのに、この道でなく玉陵前を通る(#50)道から遠回りで金城町石畳に行きました。今回は間違えません。 -
(写真) 7:35 ▽▲赤マル宗通り▽▲
観音堂バス停を更に進むと右手は下り坂になっていて那覇の街並みが見渡せた。この道と次の写真の階段の道は金城町大通りを挟んで続いている。 -
(写真) 7:35 ▽▲赤マル宗通り▽▲
階段を小学生が登って行く。 先に見えるのはヒルトンホテル。 -
(写真) 7:37 ▽▲赤マル宗通り▽▲
次の右手の坂道は広め。マンション専用の道でしょうか? -
(写真) 7:38 ▽▲赤マル宗通り▽▲
右手民家の石塀には石敢當の札が貼られていた。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
右手の下り階段の道。 遥か向こうの高いタワーマンション?の更に左手奥に薄っすらとテレビ塔も見える。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
左手のルーフバルコニーにはブーゲンビリア(マゼンタ)とアサヒカズラ(ルビーピンク)が茂る。 -
(写真) 7:39 ▽▲赤マル宗通り▽▲
寒水川樋川前バス停。
昨日乗ったバスが通った一中健児の塔が気になるので、そちらに向う。でも寒水川樋川って何? -
(写真) 7:41 ▲▽寒水川樋川▲▽
寒水川樋川(スンガーヒージャー)説明板。
カンスイガワヒカワではないのですね。
共同井戸の1つ。 -
(写真) 7:42 ▽▲寒水川樋川▲▽
寒水川樋川 名所・史跡
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(写真) 7:42 ▽▲寒水川樋川▲▽
通りの下にあるので見落としてしまいます。 -
▽▲寒水川樋川▲▽
足場が悪いですが帰路はこちらの道を。 -
(写真) 7:43 ▽▲寒水川樋川▲▽
小さな公園のような感じ。 -
▽▲寒水川樋川▲▽
この先は私有地です。 -
(写真) 7:44 ▽▲寒水川樋川▲ ▽
こちらからの方がテレビ塔が良く見えました。 -
▽▲寒水川樋川▲▽
相方積みの石垣を背景にサンダンカが映える。 -
(写真) 7:45 ▽▲寒水川樋川▲▽
順路だとこちらから降りるのですね。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
首里寒川町周辺案内図
「琉球王国時代の面影を感じる地域です。」
一中健児の塔に向います。 -
(写真) 7:47 ▽▲赤マル宗通り▽▲
ハイビスカス。 -
(写真) 7:48 ▽▲赤マル宗通り▽▲
風流な石壁と美しいハイビスカス。 -
(写真) 7:49 ▽▲赤マル宗通り▽▲
ホナガソウ。 -
(写真) 7:50 ▽▲赤マル宗通り▽▲
この道標を左に曲がり、玉陵ビラを進みます。この道標の向かいには一中健児の塔の→があります。 -
玉陵ビラは上り坂です。 玉陵と安国寺の間の道です。
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(写真) 7:51 ムラサキルエリア
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車がスピードを出して下りてきます。
キントラノオに飾られた石垣。 -
(写真) 7:52 ベニヒモノキ(長い赤い花穂)、オオゴチョウ(黄色)とアサヒカズラの茂る石垣。
一本目の道を右に曲がります。 -
(写真) 7:53 ▽▲一中健児之塔▲▽
少し進むと左手にありました。 一中健児之塔の入口(写真)が。 -
▽▲一中健児之塔▲▽
「・・・非戦闘員であるべき学業半ばの年端もゆかぬ二百有余の学徒兵は、いまだかたい蕾のまま散華した。・・・養秀同窓会」 -
(写真) 7:54 ▽▲一中健児之塔▲▽
長い直線階段を登ると -
(写真) 7:55 ▽▲一中健児之塔▲▽
正面に一中健児之塔があった。 -
▽▲一中健児之塔▲▽
「正面には、平和を象徴する鳩とそれを支える万人の手をデザインした白・黒・ベージュの大理石の壁面装飾があり、その上に久米島産の2トンもある緑石の一中健児之塔の碑が置かれている。供花台はギリシャ産の2トンの大理石の切石をそのまま使っている。」
*https://youshu.com/ichukenji-no-tou/ 養秀同窓会ホームページ -
(写真) 7:56 ▽▲一中健児之塔▲▽
一中健児之塔刻銘碑
沖縄縣立第一中學校 鐵血勤皇隊 通信隊 學徒兵並職員 沖縄戦戦没者刻銘
「高さ1.8m、横5.53mの黒御影石造りで、碑の上段に一中の校章の『桜』が」飾られている。 *https://youshu.com/ichukenji-no-tou/ -
▽▲一中健児之塔▲▽
一中健児之像 -
▽▲一中健児之塔▲▽
手前の木はリュウキュウコクタン。 -
(写真) 7:57 ▽▲一中健児之塔▲▽
建立 県立一中二〇会 。
県立一中二〇会 とは
「昭和20年3月(米軍上陸直前)に県立一中に在学していた一中生の生き残りが戦後結成した気鋭の反戦グループ」 * https://www.shuri.net/20/ -
▽▲一中健児之塔▲▽
一中健児之塔碑文。
よどみなく
ふるいはけ
みし
健児ら
の
若き
血潮そ
空をそめ
ける -
(写真) 7:59 ▽▲一中健児之塔▲▽
沖縄県立第一中学校鉄血皇隊壕跡 説明板。 -
▽▲一中健児之塔▲▽
壕跡に行けるのでしょうか? -
(写真) 8:00 ▽▲一中健児之塔▲▽
階段を登って見ましたが -
▽▲一中健児之塔▲▽
この奥が壕でしょうか? 誰もいないので戻ります。 -
(写真) 8:01 ▽▲一中健児之塔▲▽
慰霊供養塔。 -
(写真) 8:02 ▽▲一中健児之塔▲▽
石敢當。
ニチニチソウは沖縄では雑草のようです。 帰りは階段でなく東側の坂道を下ります。 -
(写真) 8:04 左手遥かむこうにテレビ塔が2基みえます。 ほんの薄っすらしか写っていませんが(>_<)
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(写真) 8:05 来た道を戻ります。 正面の坂道は玉陵ビラ。
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(写真) 8:06 ベニヒモノキ。
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前の写真の民家の向いに一中健児之塔の道標はあります。
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イチオシ
(写真) 8:07 玉陵ビラのフウリンブッソウゲ。
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玉陵ビラのハイビスカス。
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(写真) 8:09 ▽▲赤マル宗通り▽▲
石敢當とオオバナアリアケカズラ(/アラマンダ)。
金城の石畳へ向う。 -
(写真) 8:10 ▽▲赤マル宗通り▽▲
ハナチョウジとランタナの茂る民家。 -
(写真) 8:11 ▽▲赤マル宗通り▽▲
寒水川樋川前バス停方向。 -
(写真) 8:13 ▽▲赤マル宗通り▽▲
緑の垣根の上に、白と赤い花が咲いていた。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
ラッパのような花はマンデビラでしょうか? -
(写真) 8:14 ▽▲赤マル宗通り▽▲
もうすぐ石畳入口。 -
(写真) 8:15 ▽▲赤マル宗通り▽▲
石畳入口バス停すぐ前の豪邸。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
石畳入口バス停。 -
(写真) 8:16 ▽▲赤マル宗通り▽▲
金城石畳に着きました(^^♪ -
(写真) 8:17 ▽▲赤マル宗通り▽▲
テリハイカダカズラ説明板。
初めて聞いた名前ですがブーゲンビリアの別名。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲
八重咲きハイビスカス。
テリハイカダカズラ説明板の直ぐ上にあったので、ブーゲンビリアの原型なのかと思い調べてみましたが、そうではなさそうです。 -
(写真) 8:18 ▽▲赤マル宗通り▽▲
金城村学校所跡 説明板。 -
▽▲赤マル宗通り▽▲ 金城町石畳道入口の民家にも石敢當の札ついてます。
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(写真) 8:19 ▽▲赤マル宗通り▽▲
首里金城町石畳道、シマシービラの道標。
右は昨日駆け足で歩いたシマシービラ。 今日は左に行きます。
昨日は夏の暑さでしたが、今日は速足で歩いても汗もでません。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
500年来の石畳古道と樹齢300年の赤木あり の案内が電柱にかかってます。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
首里金城町案内板。
上の写真の電柱のすぐ横に立っていました。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
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(写真) 8:20 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
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▽▲首里金城町石畳道▽▲
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(写真) 8:21 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
石畳道の石敢當。首里金城町石畳道 名所・史跡
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▽▲首里金城町石畳道▽▲
首里金城の大アカギ、内金城嶽 道標。 -
イチオシ
(写真) 8:22 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
石畳道の石敢當。 -
(写真) 8:23 大アカギを目指す。ここにもニチニチソウ。
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ブーゲンビリア 民家の花々を楽しみながら散策。
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(写真) 8:24 ハナチョウジ説明板。
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ハナチョウジ。
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ハナチョウジと石敢當。
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センネンボク説明板。
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センネンボク。
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(写真) 8:25 オオバナアリアケカズラ説明板。
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オオバナアリアケカズラ。
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(写真) 8:26 コダチヤハズカズラ説明板。
1月~12月 って一年中? -
コダチヤハズカズラ。
ですが淡紫色の花は咲いていませんでした( ;∀;) -
(写真) 8:27ムラサキアリアケカズラ (/アラマンダ・ウィオラケア)。
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(写真) 8:28 ブーゲンビリア。
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(写真) 8:29 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
説明板。 -
▽▲首里金城の大アカギ▽▲
地図。
ですが内金城の御嶽がどこにあるか分からず。 -
(写真) 8:30 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
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(写真) 8:31 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
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▽▲首里金城の大アカギ▽▲
琉球国由来記やその他の史書によると 340余年前豊かな森だった。 -
(写真) 8:32 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
大アカギにシマオオタニワタリ(写真赤丸内)が着生している。 -
(写真) 8:34 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
こちらの幹にも2箇所シマオオタニワタリ(写真赤丸内)が着生している。首里金城町の大アカギ 自然・景勝地
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▽▲首里金城の大アカギ▽▲
民家がすぐそばにありますがヒッソリしています。 -
▽▲首里金城の大アカギ▽▲
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(写真) 8:35 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
大きなウロがあります。 -
(左写真) 8:36 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
ウロの中に器がありました。
(右写真) 2017.9.3 6:55
この時はノロのような人形が祀られていました。 -
▽▲首里金城の大アカギ▽▲
動物が寄ってくるので、うろに食べ物などを入れるのは禁止!!
これより先に赤い柵のある内金城の御嶽があったのでしょうか? -
(写真) 8:36 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
民家が近くにあると言うものの1人では心細いので戻ります。 -
(写真) 8:37 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
階段を上がりました。 -
(写真) 8:38 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
振り返るとこんな感じです。 -
(写真) 8:39 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
更に進みます。 -
(写真) 8:40 ▽▲首里金城の大アカギ▽▲
首里金城の大アカギの石碑がありました。 -
新垣養蜂園 (赤マル宗通りにある)。
新垣養蜂園の前の細道が帰路の道です。 -
(写真) 8:41 ▽▲赤マル宗通り▽▲
赤マル宗通りを石畳入口バス停方向に少し戻る。 -
(写真) 8:46 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
石畳に戻ります。 -
(写真) 8:47 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
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(写真) 8:48 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
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▽▲首里金城町石畳道▽▲
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▽▲首里金城町石畳道▽▲
野面積みの石垣。 -
(写真) 8:49 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
祠でしょうか? -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
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(写真) 8:52 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
金城村屋に向う。 -
(写真) 8:56 ▽▲金城村屋▽▲
石碑。金城村屋 名所・史跡
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▽▲金城村屋▽▲
那覇市民憲章。
那覇市民であることに誇りを持っているので、まちを奇麗に掃除し、誰にでも親切なのですね。 -
▽▲金城村屋▽▲
回り廊下のある懐かしい平屋。 -
(写真) 8:58 ▽▲金城村屋▽▲ お手洗い。
質素ですが広くて清潔なおもてなし精神タップリのお手洗い。
「一度にたくさんの上を流すと詰まりやすく、故障の原因と
なります・・・」とありますので水の流れが悪いのでしょう。
ご注意下さい(^^)/ -
(写真) 9:06 ▽▲金城村屋▽▲
雲の上に大きな竜のメダルが飾られていました。 何かの受賞の記念でしょうか? -
▽▲金城村屋▽▲
コロナ感染予防のため休憩は10分以内。 -
(写真) 9:07 ▽▲金城村屋▽▲
ガジュマル。 -
▽▲金城村屋▽▲
石畳道 英語説明板。 -
(写真) 9:08 ▽▲金城村屋▽▲
ヒギリ説明板。 -
(写真) 9:09 ▽▲金城村屋▽▲
朝食に飲むつもりだった牛乳。
封を開けると持ち歩くのが大変。 雨も降りだし、余計な物は持ちたくないので、全部飲みました。 美味しかったと言うより、飲み尽くして満足。 -
(写真) 9:19 ▽▲金城村屋▽▲
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(写真) 9:20 ▽▲金城村屋▽▲
この地図に他の文化財スポットも記されていたのに(>_<) -
▽▲金城村屋▽▲
赤丸の所に味のある石敢當があったのに気付いたのは今(>_<) -
(写真) 9:21 ▽▲金城大樋川▽▲
金城大樋川石積復旧工事中でした。 -
(写真) 9:22 ▽▲金城大樋川▽▲
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▽▲金城大樋川▽▲ 説明板
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▽▲金城大樋川▽▲
昭和初期の金城大樋川附近 写真。
坂本万七遺作写真集「沖縄・昭和10年代」より転載。
春の池
あめんぼー一匹
たちんぼー
と彫られているのは悪戯書きでしょうか? -
(写真) 9:23 ▽▲金城大樋川▽▲
個々の石の位置が貼られた石積み。
何の草だろうかと近寄ると -
▽▲金城大樋川▽▲
個々の石の位置が貼られた石積み。
石積みの個々の石の位置を書いた緑の紙が貼られていました。 -
(写真) 9:24 ▽▲金城大樋川▽▲
復元って大変な作業なのですね。 -
(写真) 9:25▽▲金城村屋▽▲
ガジュマルの方に戻り -
(写真) 9:26▽▲金城村屋▽▲
ガジュマルを背に坂道を下り、 -
(写真) 9:27 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
金城ダム通りへ向かう。 -
(写真) 9:28 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
民家の方々が落ち葉、草等を早朝から取り除きます。 -
(写真) 9:29 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
タイワンレンギョ(/デュランタ)。
石畳の左側にあった デュランタに気を取られていて気付かなかったのですが、この辺りの右側にGoogle Mapによれば新垣ヌカー、更に進むと潮汲川(ウスクガー)もあったようです。時間はタップリあったのに( ;∀;) -
(写真) 9:31 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
石畳の敷石にも番号が振ってありました。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
-
▽▲首里金城町石畳道▽▲
石畳を車が通ります。 -
(写真) 9:32 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
石敢當の札の付いた野面積みの石垣の隅には隅頭がある。 -
(写真) 9:33 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
この旅最後のサンダンカ。 -
(写真) 9:34 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
-
▽▲首里金城町石畳道▽▲
民家のシーサー。 -
(写真) 9:35 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
素敵なビューの民家。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
金城ダム通りまでもう少し。 -
(写真) 9:36 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
ボランティアごみ袋に 那覇市民憲章が印刷されています。
1 私たちは まちを美しくしましょう -
(写真) 9:37 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
振り返って撮る。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
石垣に苔、草が生える。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
ここにも番号が振られています。 -
(写真) 9:39 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
素敵なシーサー。 -
(写真) 9:41 ▽▲ 首里殿内▽▲
石畳道にマッチしたお店発見。 -
▽▲ 首里殿内▽▲
おしながき。 -
▽▲ 首里殿内▽▲
お得な店ですが、10時前で流石にオープン前(>_<) -
▽▲ 首里殿内▽▲
-
(写真)9:43 ▽▲首里金城町石畳道▽▲
ムラサキゴテン。 -
▽▲首里金城町石畳道▽▲
首里金城町石畳道入口。
こちらから登って行く方が風情がありそうです。 -
(写真)9:44 首里金城町自治会掲示板。
前の通り、金城ダム通りを渡ると直ぐに識名坂の記念碑があり、欄干にシーサ
ーが乗った金城橋があったようです。
金城ダム通りをノボテルホテル方向に歩く。 -
(写真)9:52 那覇バス 寒川線 #15 三重城行きバス内。
1日に4本しかないバスが丁度来た。 バス代は先払い。
金城2丁目(大道向け) 9:52発 那覇バス 寒川線 #15 三重城行き
◎バス代 \240 金城2丁目(大道向け)→てんぶす前 -
那覇バス 寒川線 #15 三重城行きバス内。
つぎは寒川です。 -
(写真)9:58 運転席の方向。 那覇バス 寒川線 #15 三重城行きバスより。
松川の信号の所にある民家?の三角のペールブルーの屋根の頂上辺りにシーサーが載っていた。バスは県道29号を通り国際通りに向う。
最終日城に行かないので終点の三重城とやらに行ってみたくもあった。
時間はタップリあったが、5月の沖縄で大雨の中を歩き散々だったのでやめておこう。三重城は葛飾北斎の「琉球八景」に描かれていたとはその時は知らず。
ここまでお付き合い下さり有難うございました。
⑧最終編、旧海軍司令部壕見学に続きます。
2023.2.10 パッピー
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Decoさん 2023/06/30 20:34:07
- 石畳周辺歩き
- パッピーさん、はじめまして。
こちらの旅行記も、同じシリーズの他の旅行記も、楽しく興味深く読ませていただきました。私も以前はバスを使ってグスクめぐりをするのが好きで、また金城町石畳周辺を歩くのも好きだからです。
それにしても、よく歩かれましたね。私もほぼ同じエリアを歩いたので、アップダウンもあるし、大変だったのではと思います。
石畳道周辺も懐かしかったのですが、赤マルソウ通りの写真が懐かしくて。私もあの通りはなぜか好きなのです。でも観光地ではないで、写真をサボっていて…パッピーさんの旅行記を見て、あの雰囲気を思い出しました。寒水川樋川はすぐ近くを通ったはずですが、見落としていました…。
斎場御嶽と糸数城跡の旅行記ですが、私もこのあたりにバスで行きました。私は斎場御嶽の後、知念城跡に行ったのですが、知念城はあまり大きくなくて見学できるエリアも限られており、糸数城跡に行った方が良かったように思いました。
糸数城では、時間的には遅めで大変だったようですが、あの時間だったので渋滞にあわなかったのかも知れません。私が知念城跡から帰ったときには40分遅れでした。
こちらの旅行記を見て…懐かしい風景、首里の風景が見られて嬉しかったです。
Deco
- パッピーさん からの返信 2023/06/30 22:32:19
- Re: 石畳周辺歩き
- Decoさん、はじめまして。
旅行記アクセスいただき、コメントまで下さり有難うございます。
お仲間が見つかり嬉しいです。
二日酔いで睡眠不足の所、久高島、斎場御嶽、知念城跡とタフですね。
斎場御嶽では三角岩を通り抜けることもできたのですね。
7月に具志川城跡、久高島、知念城跡、玉城城跡などに行きたいと思い、
ツーリストインフォに問い合わせました。
暑いのでやめたほうがいいと止められました。当然ですね。
9波が始まったので早めの断念でよかった。
近いうちにお薦めの「 知念バス停→知念城跡&ノロ屋敷跡→知念大川→久美山バス停というコース」歩いてみたいです。
今後はDecoさんの旅行記を参考にできるので心強いです。
パッピー
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