2022/10/14 - 2022/10/14
87位(同エリア822件中)
パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2022/10/14
-
飛行機での移動
JL905 8:20 羽田空港発 → 11:05 那覇空港着
-
電車での移動
11:35 那覇空港発 → 11:46 旭橋着
-
バスでの移動
12:00 那覇バスターミナル発 → 14:01 勝連城跡前着 沖縄バ・52与勝線・屋慶名バスタ行
-
勝連城跡前バス停
-
徒歩での移動
14:01-14:07
-
車での移動
14:15→14:20 カート移動
-
車での移動
15:17 → 15:21 カート移動
-
徒歩での移動
15:40 → 15:44
-
勝連城跡前バス停
-
バスでの移動
16:03 勝連城跡前発 → 18:48 安里着 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・那覇バスタ行
-
安里バス停
-
牧志駅
-
電車での移動
ゆいレール
-
徒歩での移動
やんばるバス乗り場を探すも見つけれず
-
電車での移動
ゆいレール
-
電車での移動
19:41 → 19:42
-
壷川駅
-
メルキュールホテル那覇 19:45 着
-
壷川駅
-
電車での移動
20:33 →
-
徒歩での移動
やんばるバス乗り場を確認。パレットは閉まっていて夕食出来ず。
-
電車での移動
-
壷川駅
-
徒歩での移動
どの居酒屋も食材が品切れと言われ入れず
-
徒歩での移動
壺川通りのセブンイレブンで朝ごはんを調達してホテルへ
-
メルキュールホテル那覇 お疲れ様 明日も早朝発
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
梅雨と知らずに予約した、5月の沖縄。思い通りに城巡りできなかったので、6月2日にマイレッジ(往路Americanのマイレッジを使いJAL、帰路ANAのマイレッジ)で那覇往復予約しました。那覇3泊路線バスの旅、航空券只。今回も3泊、リベンジを果たせるように4日目の那覇発は夕方にしました。
ところが出発前日13日の朝、那覇の天気を再確認すると14日のみが曇り後雨で、以後は全て雨。やっぱ私は雨女か( ;∀;) スケジュールを組みなおし。 どうなることやら。
①初日は、5月に断念した勝連城跡を攻めます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(写真)沖縄彩発見NEXT (沖縄の全国旅行支援)クーポン
5/27に前回と同じメルキュールホテル那覇を3泊予約。 朝食付き25,113円。 スタンダードですが13Fの斜めに壷川駅と国場川の見える、前回と同じ部屋を押さえてもらいました。
9/28ホテルに全国旅行支援が使えるか問い合わせ。 もっと迫ってから連絡するように言われる。 10/6 再度問い合わせ。ここでもホテル側は分からず、「沖縄彩発見NEXT」の公式ページで確認するように言われる。又恐らく今回もSTAYNAVIを通して客自身で登録すると思うと言われた。
前回同様朝食だけはホテルで食べて出かけるつもりでいました。リベンジの勝連城跡、今帰仁城跡、第3日曜日11時からの玉陵世界遺産解説会(無料)+斎場御嶽の予定だったので、賞味3日半あれば余裕でしょ。ところが、検索すると続々行きたいところが出て来ました。レンタカーで行けばどうってこともないのですが、路線バスとなると。しかも10月の沖縄はまだ舐めてはいけない暑さだそうです。ので朝一観光が必須となりホテルの朝食は日曜のみとなりました。3泊朝付きのプランを一日のみ朝付きにする割引はないと言われ、10/6 朝食なしプランに変更。
キャンセルし再度取り直しは簡単な筈。STAYNAVIを通して予約すればそれで旅行支援が受けられるのではと試すも失敗。予約したりキャンセルしたりで1時間以上かかりましたが、この日に旅行支援のある予約をとる事できず。 3泊素泊まり20,250円で予約。メルキュールで旅行支援が受けられなかった時の事も考えて、色々なホテルを検討。
!!11日12:24 STAYNAVIで旅行支援を受ける登録に成功!! -
沖縄彩発見NEXT (沖縄の全国旅行支援)クーポン 金、日泊 各3千円 土泊千円 計7千円相当
キャンセル料の発生しない11日にSTAYNAVIで旅行支援受けられる登録が出来てホットしました。ですが11日朝から何度も再トライ。数日試みたので、通算一日はかかったのでは( ;∀;) ヨッポド暇人でないと出来ません。その間クーポンの使える店を調べたり、時給換算千円にもならなかった。支援が受けられたのですからマッイイカ! それに楽しかったし。
今回はのりとくチケットを買わない予定だったのですが、3日間バス乗り放題+24時間モノレール乗り放題で5,500円が「のりとくチケット キャンペーン」で4,000円に割引になっていました。2日目今帰仁城跡に往復高速バスを使うとお得ではなくなるので、帰りは路線バスで途中名護市役所、伊波城跡に行く事にしました。
ところが出発前日13日の朝、那覇の天気を再確認すると14日のみが曇り後雨で、以後は全て雨。スケジュールを組みなおし。 -
(写真) 羽田空港 小雨
ここでこの旅の出費報告。
◎3泊4日沖縄旅行出費金額計 !!\34,318!!
クーポン残額\5,000+αでお土産を購入
☆現地交通費計 \9,430
内訳
羽田~那覇 アメリカン特典航空券 JAL (7500マイル)のみ
那覇~羽田 特典航空券 ANA (9000マイル)+\610
10/14
のりとくチケットキャンペーン3日間+モノレール24H \4,000
10/15
高速バス 県庁前~今帰仁城跡入口 \2,000
10/16
Nバス 斎場御嶽入口~ 南城市役所 \300
Nバス 南城市役所 ~糸数往復 \600
(結果的には一日券を\700 で買った方が安上がりだった)
10/17
バス 那覇バスターミナル~ノボテル沖縄那覇前 \240
バス 金城2丁目~てんぶす前 \240
バス 松尾 ~ 宇栄原団地前 \240
タクシー 旧海軍司令部壕~イオン那覇店(小禄駅前) \700
モノレール 小禄~壷川 ¥230
モノレール 空港~壷川 ¥270
☆宿泊費 計 メルキュール3泊素泊まり支払額 \12,150 (割引額:\8,100)
☆観光費 計 \2,500
内訳
10/14 勝連城跡観覧 \600
10/15 今帰仁城跡観覧 \600
10/16 首里城入場料 \400
斎場御嶽入場料 \300
10/17 旧海軍司令部壕参観料 \600
☆食事代 計\8,538
内訳
10/14
ファミマにてオムスビ&ジュース \341
そば家鶴小壺川店にて沖縄そば+生ビール\1,210
セブンイレブンにて牛乳、パン等 \683
10/15
自販でお茶 \100
彦 パレットで幕ノ内+ビール\510 (クーポン\2,000使用)
10/16
ホテル朝食 \1,200
自販でシークワーサージュース\130程
かねひでにて スシ、ビール、カップソバ等\1,591
10/17
空港スナックコートにて ゴーヤチャンプルランチ+ビール \2,080
空港キリンビアで黒生 \693
☆その他 計 \1,700
内訳
コインロッカー \400
玉陵ガイドブック \300
快速宅空便 \1,000 -
(写真)羽田空港
☆The First Day☆ 10月14日 (金)
7:05 羽田空港第1・第2ターミナル(京急)着
東京都とは名ばかりの所に住んでいるので 電車が遅れたらどうなるの?と気になりJALに前もって問い合わせ。JALで手配した航空券ではないのでとつれない返信。でもアメリカン航空使えますよ。24時間電話通じます。電話すれば直ぐに次の便に変更可能と言われました。
ですが心配性な私は1時間15分前に空港着。事前チェックイン済んでいなかったので当り前か? でもこの位で良かった保安検査場混んでいました。 ~~発の方はこちらに!と案内があった程。 焦るとパニクルので。 -
(写真)羽田空港 9番ゲート こんな行列見るの久しぶり!
それはそうです全国旅行支援が始った最初の金曜日。 土曜泊だとクーポン千円。 少しでもお得にと金曜日発となったのですね。 -
(写真)7:59 羽田空港 9番ゲート
8:10発 JL 905便 まだ搭乗できません。
ウインドウ シートなので少し早い搭乗でしたが、着席できたのは8:20過ぎ。 -
(写真)8:51 JL 905便より
富士山が見えるよう翼から離れた46K席を取ってもらったのですが、富士山は見えず。離陸後20分程すると青空が見えた。 -
(写真)8:54 JL 905便より
雲間に森と町並みが見えました。 -
(写真)9:05 JL 905便より
何川でしょうか? -
(写真)10:37 JL 905便より
九州の端あたりでしょうか? -
(写真)11:00 JL 905便より
那覇空港着。 -
(写真)11:02 JL 905便より
予定時刻11:05の前に着陸こそしましたが、すぐには機から出られず。
初日の午前のみが晴れの予報だったので、日曜日午後の予定の勝連城跡に向う。
それには12:00那覇バスターミナル発の「屋慶名バスターミナル行」に乗りたい。その前に国内線ロビー1F、到着ロビーの 那覇空港観光案内所に急ぐ。 3日周遊バス+モノレール券 \4,000をクレジットカードで購入。使った事があるので急いで買いたいと告げる。もたついたようでもあるが、11:18カード決済。
◎のりとくチケットキャンペーン3日間+モノレール24H \4,000 -
(写真)11:26 那覇空港駅 てだこ浦西行きモノレール
24時間乗り放題券をモノレール駅で24時間券の本券に交換して貰う。
11:25発のモノレールが出たばかり。
11:35空港発だと、11:35旭橋着。バスの発車場所の番号の確認に時間がかかると、那覇バスターミナルで荷物を預ける時間がなくなるかもしれないと心配で、勝連城跡に前日電話してあまわりパークにコインロッカー(200円)があるのを確認した。バックパック1つなので持ち運べない程の重さではないのですが油断は禁物。 -
(写真)11:26 那覇空港駅 てだこ浦西行きモノレール
旭橋を降りて改札口の正面右手にコインロッカーがありますが、こちらは400円。 バスターミナルの小のロッカーは300円なのでそちらで預けよう。でも甘かった! -
(写真)11:52 那覇バスターミナル 5番乗り場
12:00 発 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行はここから発車。
ネット情報で「バスターミナルのコインロッカーは1階バスロータリーにある1番乗り場の先、国道330号線の歩道沿いを東へ進んだところ」とあったのですが、不安なので交通整理していた係員に再確認。旭橋でおりて急いでいる場合はモノレールのコインロッカーがお薦めです。100円お得な小ロッカーを捜しにバスタのコインロッカーに来たのですが、300円のロッカーの空き無し。ならよりお得なあまわりパークのコインロッカーにすればいい。でもここで迷いが万が一引き取り忘れたらどうなるの? と一瞬の判断でバスタの中(400円)のロッカーに預ける。
やれやれ、乗り場も確認できて11:52 5番乗り場に到着。
◎コインロッカー(中) \400 -
バスタ ファミマのごちむすび(牛すき)
直ぐに食べないので温めて貰わなかった。 勝連城跡で海を見ながら戴いたこともありとても美味しかった。
時間があったので目の前のファミマで食料調達。 -
ファミマで マルチビタミン ジュースも買う。
◎ごちむすび(牛すき)+ジュース \341 -
沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行 車内
12:00 バスはバスターミナルを定刻発。 乗車客は3人のみ。 -
(写真) 12:32 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
12:29着予定の第二城間(だいにぐすくま)で2人乗って来た。
浦添と言えば5月の旅の初日に訪れた所。浦添にもこんな賑やかな所があるのですね。
第一牧港(まきみなと)で2人降りると5人乗って来た。宇地泊(うちどまり)で1人下車。大謝名(おおじゃな)で7名乗っているのを確認。
沖縄の漢字の読み方って面白くて、アナウンスの度に「ナールほど」と唸ってしまう。 -
(写真) 13:07 普天間バス停少し手前。 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
その後も数人の乗り降りがあり13:05 宜野湾市役所前では 乗客5名。
バスは普天間市場入口を通る。 普天間市場入口で2人降り、乗客は3人だけになった。
勝連城跡は16日日曜日の午後、玉陵訪問後に山川から普天間空港線イオンライカム(開南経由)・イオンモール沖縄ライカム行 に乗り普天間で乗り換え、30分弱の乗り継ぎ時間でお昼をお昼を買う予定だったので、グーグルで予習していた。知った場所に来たようだ。 -
(写真) 13:09 上の古い石垣?は何だろうか?
沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
普天間バス停を過ぎるとバスは右折し県道81号に入る。
右折すると中城城跡、中村家住宅のサインが見えた。5月、中城城跡、勝連城跡が叶わず、今回リベンジとなりました。
石平のバス停通過。 -
(写真) 13:10 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
左手に普天間基地がありました。 -
(写真) 13:11 普天間基地 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
-
(写真) 13:13 北中城村役場 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
北中城村役場前もバスは通過 -
(写真) 13:13 北中城村役場 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
-
(写真) 13:13 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
バスは左の狭い道へ曲がりますと車内アナウンス。 -
(写真) 13:16 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
喜舎場、聞いたことがある名前。 その筈、5月中城城跡からこのバス停までタクリ、勝連城跡に行こうとし、断念したバス停でした。 -
(写真) 13:17 仲順を過ぎると右手に海が見える。 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
喜舎場の次のバス停、仲順で女性が1人乗ってくる。前方に海が見えたと思うと左折し、今度は右手に海が見える。少し進むと又左へ曲がり、
北中城高校入口へ。
与儀バス停で2名乗り乗車客6名となりました。
その後乗降がボツボツ。
高原南バス停で2名降りると学生が沢山乗って来て 計17名とにぎやかになりました。 -
(写真) 13:30 コザ高校 派手なコマーシャル。
沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓 -
(写真) 13:30 コザ高校前 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車内
コザ高校前で14名降り5名乗って来た。
乗り降りが続き、吉原入口では計8名の乗客。
美里入口で既に予定より18分遅れて、13:40。 その後も殆どのバス停で停車する。乗り換えのバスなら焦った筈。 雨は降っていないのに道は混んでいてバスはドンドン遅れる。 -
(写真) 13:31 コザ 漁師食堂、大ばんぶる舞い
沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓 -
(写真) 13:36 コザ十字路 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
交差点でなく十字路。混んでいました。 -
(写真) 13:49 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車窓
13:49 第二美里。未だ勝連城跡前の表示は出ない。右に又海が見えて来た。 -
(写真) 13:51 次は高江洲中学校前。沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由)・屋慶名バスターミナル行車内
高江洲では山の方に進み海はもう見えなくなった。 -
(写真) 14:01 勝連城跡前バス停
中塩屋あたりの道は狭く、道も空いていたが、トラックが前を走りスピードが出せない。
与那原で1人降りると乗客は3名となった。川田でやっと勝連城跡前の表示が現れた。
バスは浜屋入口、勝連団地前、に止まり
14:01遂に勝連城跡前に18分遅れて到着。こちらのバス停で私が降り、乗客は2名のみ。
バスのドライバーには進行方向の反対に進むように言われました。でも通りの向こうに 勝連城跡の石碑があるので通りを渡る。 -
(写真) 14:01 勝連城跡前バス停 こちらは那覇バスターミナルに向うバス停です。 帰りのバス停の位置を確認。
-
(写真) 14:02 勝連城跡 着いた(^^♪
こちらで切符を買って入ることも可能です。 チケットオフィスの方によるとこちらからだとカートに乗って城跡入口に行けないそうです。 -
(写真) 14:03 勝連城跡 石碑
-
(写真) 14:07 あまわりパークに着きました。
ので又通りを渡り、バスのドライバーに言われた方に行く。質問するけど指示に従わないのは私の悪い癖です。 あまわりパークは勝連団地前と勝連城跡前の中間にあります。 どっちからの方が近いのでしょうか? 14:07 あまわりパークに着きましたが、入口が見つからず ウロウロ。
やっと切符を買い、勧められるままに展示室に入る。
◎勝連城跡(常設展示室含む)観覧料 \600 -
(写真) 14:12 あまわりパーク
そうだった! 降り出さない内に城跡に行かなければ。 -
(写真) 14:15 あまわりパークの建物の向こうに勝連城跡が見えました。
写真左下に小さく券売機の表示が見えますか? こちらが券売機、写真撮るの忘れた(>_<) -
(写真) 14:18 布積みの城壁が見えて来た(^^♪
カートは私が乗ると直ぐに出発し14:20勝連城跡着。
大した距離でなかったが、入口からは急な坂道なので歩くときつかったかもしれない。
私のように、こちらの城壁側の入口に来てしまったなら、こちらで切符を買ってカートに乗らずに歩いた方が景色を楽しめたし、時間の節約にもなったのかな? -
イチオシ
(写真) 14:21 勝連城跡全景
カートを降りて写真を撮ろうとすると「こっちからの方が全体が取れますよ。」と、カートを運転していた人が教えてくれた。
5月のリベンジ果たせました(^^♪ -
(写真) 14:21 矢印の方に上っていきます。
-
(写真) 14:22 四の曲輪
標高約98mの小高い丘の上にあります。階段を上るまえから海が見晴らせました。こちらが四の曲輪と今頃分かりました。
今更ですが、写真中央勝連城跡の石柱の道路向こうに茶色の細長い板と直方体のコンクリートが写っています。 この後ろに門口(じょうぐち)のカーがあったようです。 下記のスポット一覧を予習して行くべきでした(>_<) 四の曲輪内に五箇所の泉があるようです( ;∀;)
★門口のカー 「 西原御門(にしはらうじょう)から城内へ入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたと言われる」カー(=泉) * http://katsurenjo.jp/spot/14/ -
この程度の階段なら軽いじゃん。と思ったのですが...
-
布積みの美しい石垣
-
木の階段ですから とても楽です。
-
布積みの石垣アップで撮りました。
-
(写真) 14:24 四の曲輪の向こうに中城湾
芝と海のコントラストが奇麗とシャッターを切りました。
こちらが四の曲輪。 芝の中央に説明板があり、その後ろに網のかかったものウタミシガー。 手前の石垣下にある説明板の後ろにミートゥガーがあったようです。
★ウタミシガー
「ウタミシ」はお試し、「カー(ガー)」とは泉を意味する沖縄の言葉。旧暦元旦の初拝(はつうがみ)の際に、水の量によって一年の豊作・凶作を占うことから、「ウタミシガー」という名前が付いた。 *http://katsurenjo.jp/spot/11/
★ミートゥガー
「かつてこの泉が、男女の逢瀬の場であったという伝説から『縁結びのカー(泉)』と伝えられています。」 *http://katsurenjo.jp/spot/12/ -
美しい海が疲れを癒します。
-
上まで木ではなかったのですね。嫌な予感が。
-
ですが美しい布積みの石垣をみるとワクワクします。
-
(写真) 14:26 三の曲輪城門 説明板
三の曲輪城門は"赤門"と同じで、四脚門でした。 -
三の曲輪、埋葬人骨、勝連の按司の系譜の説明板
-
三の曲輪の説明(前の写真の左部分)
三の曲輪には古い時代は水を貯める施設が会ったと考えられています。
新しい時代になると、儀式などを執り行う広場に変わり、
城が滅んでからは祭儀の場と使用された。 -
埋葬人骨(前の写真の右上部分)
「グスク時代に属する幼児の人骨が降り曲がった上程で発掘され」ました。
勝連の按司の系譜(前の写真の右下部分)
「グスクの城主は英祖王系2代目『大成王』の五男勝連按司だった」そうです。
英祖王と言えば浦添グスクを築いた王様です。5月に浦添グスクを訪れた時は英祖王?聞いたことないだったのですが、馴染みになってきたようで嬉しい。
阿麻和利は10代目になります。 -
(写真) 14:28 三の曲輪より南風原(はえばる)の港
勝連城の交易船の発着した南風原の港は、現在の南原(みなみはら)漁港近くの「浜川(はまがわ)」。 *http://katsurenjo.jp/spot/21/ -
(写真) 14:28 三の曲輪
こちらの古めかしい木の説明はありませんでした。この木のそばにトゥヌムトゥがあります。 -
トゥヌムトゥ<神人の腰かけ>の説明板、三の曲輪
-
これらの石(トゥヌムトゥ)に祭祀(ウマチー)の際に神人(カミンチュ)たちが腰かけます。 三の曲輪
-
(写真) 14:30 二の曲輪に進む。
-
(写真) 14:31 二の曲輪説明板
-
(写真) 14:33 ウミチムン(火の神)説明板 二の曲輪
「沖縄の各家庭では台所に『火の神』を祀り」 これってお姑さんが言ってたオコウジン(荒神)様と同じですね。 面倒くさいと思ってましたが、よく話を聞いとけば良かった。民間信仰って通じるとこありますね。 -
ウミチムン どれが3個のかまど石かな?
-
(写真) 14:34 ウシヌジガマ説明板 二の曲輪
「身に危険が及んだ時に逃げ込む場所」だったのですね。 -
ウシヌジガマ 二の曲輪
「この洞窟は一の曲輪『玉ノミウジ御嶽』脇の洞窟と繋がっており、城主である阿麻和利は、ここを抜けて現在の読谷村まで逃げ伸びたという伝説が残っています。」*説明板 -
(写真) 14:36 こちらは亀甲積みですよね。
-
(写真) 14:36 あまわりパークがよく見えました。
-
(写真) 14:37 右旋回の美しい曲線を描く階段
「勝連城の各曲輪くるわを結ぶ石階段は、城壁に沿うように右側から旋回して上る構造になっています。これは、敵軍による侵入を防ぐ工夫と考えられています。」*http://katsurenjo.jp/spot/10/ -
(写真) 14:38
全部が木の階段ではないので、しっかりした靴の方が安心です。
梅雨のシーズンに来るのは危ないと観光協会の人に言われた訳が分かりました。 -
(写真) 14:38 手すりはありますが、緊張の連続。
-
一の曲輪階段説明板
-
一の曲輪階段 階段幅が上にいくにつれて徐々に狭まっています。
-
(写真) 14:40 一の曲輪から
あまわりパークの向こうには、青い海に島々が浮かぶ。 -
海中道路が見えた。 ドライブでないと無理と思い込んでいましたが 路線バスも出ています。沖縄本島だけでも見所満載ですね。
*https://www.henza-sk.com/transportation.php -
(写真) 14:41 一の曲輪、阿麻和利 説明板
説明板の地図によればこちらの海は南側なようですが、グーグルマップと一致しない。 -
上の写真の左半分 一の曲輪の概要
グスクの中では首里城、浦添城と勝連城だけに瓦ぶきの建物があった。 装飾を施した豪壮なアーチ門があった可能性がある。 -
二つ上の写真の右半分 最後の城主 阿麻和利
本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、勝連を繁栄させたと伝承される阿麻和利の様子が古謡『おもしろそうし』に謡われています。
「若くして勝連の按司となった阿麻和利は、1458年、宿敵護佐丸を討ち、天下の統一を夢見たが王府軍に攻められて落城し、廃城になったといわれています。」 -
(写真) 14:42 一の曲輪 強い風が吹く。
左端の灌木のあたりに玉ノミウジ御嶽はある。 -
(写真) 14:43 一の曲輪。 見晴らし最高。
-
(写真) 14:44 一の曲輪。ホワイトパンツにのシースルーのスカートを身に着けた女性が連れの女性のリクエストで時折三味線を弾く。
-
(写真) 14:44 一の曲輪より。
あまわりパークのライトブルーの屋根。コバルトブルーの輝く池。緑の向こうは青のグラデーション。一面の白い雲からワスレナグサ色の空が覗く。 -
(写真) 14:47 一の曲輪。雲行きが怪しくなってきました。海もペールグレーに変わります。
-
(写真) 14:47 一の曲輪より。
阿麻和利の船出した南風原の海が雲間からの光に怪しく輝く。 -
(写真) 14:49 一の曲輪。 曲線の石垣と海
-
(写真) 14:50 一の曲輪より南風原の海。
-
(写真) 14:51 一の曲輪南風原の海。 雲が激しく動く。
-
(写真) 14:52 玉ノミウジ御嶽 一の曲輪。
この「洞窟は『かつては二の曲輪のウシヌジガマと繋がっており、有事の際の避難路として使用されていた』という伝説が残されています。」 *説明板 -
玉ノミウジ御嶽説明板。 一の曲輪。
-
玉ノミウジ御嶽 一の曲輪。
「霊石の表面が平坦にされていることから、グスク時代には、建物の基礎に利用されていたとみられます。」 *説明板 -
(写真) 14:53 一の曲輪より。 少し青空がでて来ました。
-
(写真) 14:54 一の曲輪より二の曲輪&三の曲輪。 美しい城壁の曲線。
-
イチオシ
(写真) 14:57 一の曲輪より二の曲輪&三の曲輪。
中央のこんもりした木のフロアが三の曲輪でその左にトゥヌムトゥも見えました。
ですが「肝高の御嶽」結局どれか分からず。 -
(写真) 14:58 二の曲輪の舎殿跡がアクセントになりより美しい。一の曲輪より。
-
(写真) 14:58 輝く南風原の海と城壁。
-
(写真) 15:00 下りはより緊張の上、強い風。 葉が風をよけしなっています。
-
(写真) 15:01 ”最終防御ライン”の一の曲輪階段の工夫もさることながら、この強風が味方すれば少ない兵で敵を退散させることが可能です。
-
(写真) 15:02 こちらの向きからは海中道路が見えます。 天空に浮かぶ竹田城と太平洋を一望できる勝連城甲乙つけがたい。
-
(写真) 15:03 角が丸くカーブした城壁と急勾配の石畳道。 難攻不落の面影を半分残し、観光客の為に木の階段を作ってくれて有難う。 お陰で団塊シニアでも登頂できました(^^♪
-
(写真) 15:05 二の曲輪 礎石それとも石灰石による石積み?
あまわりパークにメールでお聞きすると、うるま市文化財課へ確認して下さいました。 「こちらの遺構は、その詳細な機能が明らかになっておりません。
グスク内の案内板には石積みとの記載があるようですが、城壁の石積みと同じような機能は無いと思われます。
過去の調査記録を確認したところ、その周辺にある礎石跡に、この遺構が重なっておりますので、礎石よりも後の時代に構築されたものである可能性があります。
この場合、礎石の上の建物を取り払い、この遺構を構築する必要があるため、礎石としてではなく、別の機能を有した遺構ではないかと考えられます。」 -
(写真) 15:10 三の曲輪
-
(写真) 15:11 三の曲輪
-
(写真) 15:13 カートが待っています。
-
(写真) 15:14 タチアワユキセンダングサ Wikipediaによれば「繁殖力は非常に旺盛で、在来種を駆逐する侵略的外来種」だそうです。
-
美しいカーブと思い、何枚か写真を撮りましたが、「敵軍による攻撃のアプローチを制限できる」利点があったのですね。
-
(写真) 15:17 勝連城跡ラストショット。 左手の木の手前がミートゥガーのようです。
降り出して来たのでカートを目指してダッシュ。
全て見たと勘違いして5つのカー(泉)見ていません(>_<)
マチダ・ナケージガー、ウタミジガー、ミートゥガー、仲間ヌウカー(カンジャガー)、門口のカーの5つです。 http://katsurenjo.jp/spot/ -
(写真) 15:14
「勝連城跡の石碑撮るの忘れた!」と言ったらドライバーがこちらでカートを止めてくれました。 「撮れましたか?」と確認後発車。
15:14 勝連城跡発 -
(写真) 15:22 あまわりパークのトイレ奇麗でした。
15:20 あまわりパーク着 -
強い雨となったので降りた時カートの写真は撮れませんでした。実際に乗ったカートかは不明ですが、どれも同じようです。 このカートで城跡まで無料送迎です(^^♪
-
(写真) 15:29(あまわりパーク) コトバンクによれば「ウチナンチュー」は沖縄方言で、沖縄の人。 沢山の沖縄の人々が世界で活躍しました。
-
ハワイ・米国へ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
1868年から日本人の海外移民が組織的に行われ、沖縄からの移民としては1899年契約労働移民としてハワイに渡った一団が有名だそうです。
「ハワイ移民が始まる少し前に米国本土に渡った若者たちも」いたそうです。 -
日本本土へ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
沖縄県が誕生すると日本本土へ留学・進学していった。 その代表格として謝花昇(じゃはなのぼる)、當山久三(とうやまきゅうぞう)、伊波 普猷 (いは ふゆう)がいる。
本土へ渡ったうちなーんちゅの大多数が「出稼ぎ」だった。
第一次世界大「戦後の反動不況や関東大震災、世界恐慌のあおりをうけ沖縄の人々の生活は困窮を極め」る。
伊波 普猷 の御墓、顕彰碑、5月に浦添城跡で見ました(^^♪ お時間のある方は下記御覧下さい。 https://4travel.jp/travelogue/11755018 -
台湾、フィリピンへ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
1895年日本の台湾統治が始まると多くの沖縄人が移住していく。「日本人移民に農業従事者が多かったのと比べ、沖縄移民の場合は、・・・漁民として自由に移住をしながら独自の集落をつくった」
フィリピンがアメリカの植民地となると、日本人の移民も要請された。多くのうちなーんちゅがフィリピンに移民した。 -
メキシコ、キューバへ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
「メキシコへは1904年と1907年に約470人が沖縄から契約移民として」渡った。過酷な労働+落盤事故の危険を逃れ多くが逃亡、渡米した。
メキシコ革命後にはキューバに流れていった日本人もいた。 -
ペルー・ブラジルへ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
沖縄から1906年にペルー移住が始まった。 ここから、ボリビア、メキシコ、米国へ転航するものもいた。 1908年最初のブラジル移民が始まる。 -
南洋諸島、満州へ 「ウチナンチュ ムーブメント」資料
第一次世界大戦後日本がドイツ領南洋諸島を占領統治を始めると多くのうちなーんちゅが移民。大阪やハワイへの移民数と並ぶほどとなる。
又関東軍が「満州国」を樹立させるとうちなーんちゅも移住を始めるが、「沖縄からの距離が遠く、自然環境の違いもおおきかったため、・・・他県とくらべると少数」だった。 -
玉城城跡行くつもりだったのですが。 次回の楽しみとなりました。 佐敷城跡も行って見たい。
-
前の図の上半分。
東側の外堀も防御田地も見なかった。お城って深いですね。 -
(あまわりパーク)グスク時代、高麗から瓦の作り方を学んでいました!
-
(あまわりパーク)グスク時代の釘の頭は四角形でした。
-
(あまわりパーク)グスク時代、動物の骨で、駒やサイコロを作り 双六のような遊びをした。
-
(あまわりパーク)小札(札状の鉄や皮をつなぎ合わせた武具)がグスク時代の集落で出土した。
-
(あまわりパーク) 14~15世紀アユタヤ王朝の無釉陶器(釉薬の掛かっていない陶器)壺の頸部。
アユタヤと交流があったのですね。 -
(あまわりパーク)15~16世紀 タイ産褐釉陶器壺 。 褐色の釉薬(うわぐすり)を使った陶器。
-
(あまわりパーク)
勝連に阿麻和利ありか! カッコいい。 -
(あまわりパーク)
上の説明の左部分
万国津梁の鐘オキミューで見ました。これは撮影禁止でした。
琉球王国はアジアにおける中継貿易拠点として発展する。
逆臣という最後を迎えた阿麻和利ですが、『おもろさうし』の歌詞等を見直した伊波普猷は「阿麻和利は沖縄最後の古英雄なり」と論考の最後を結びました。 -
(あまわりパーク)
二つ上の説明の右部分
王府へ刃を向けた逆臣の阿麻和利は悪。
中城グスクの護佐丸を討つも王府軍に敗北した阿麻和利。 -
(あまわりパーク)
『おもろさうし』巻16 名高い阿麻和利、肝高(勝連の美称)の阿麻和利と地域から誇りたたえれていた様子がわかる。 -
(あまわりパーク)こちらも進貢船でしょうか? おきみゅーで見た進貢船の模型には三角旗があり、舷側に目玉がありましたが、阿麻和利はこのような進貢船を使ったのでしょうか?
★あまわりパークにメールすると次のような回答が来ました。
造船技術をご紹介するための「マーラン船」という、
船の種類になります。
おきみゅーさんに展示されている進貢船は、
進貢のために利用していた船で、
当施設に展示させているマーラン船も
勝連から進貢のために使用していれば「進貢船」ということに
なるかと思います。 -
(あまわりパーク)阿麻和利のアニメを見たかったのですが、帰りのバス15:56の次は17:16発なので、カット。
15:40 あまわりパーク発。 -
勝連城跡入口の垣根にサンダンカが咲く。 雨はすっかり止んでいた。
-
(写真) 15:44 略1時間に1本しか出ていません。
-
(写真) 15:44 那覇バスターミナル行き勝連城跡前バス停
あまりパークで始発停留所から近いので余り遅れないと言われた。 ので置いて行かれたら大変なので 10分以上前から待つ。 -
(写真) 15:49 勝連城跡前バス停より
海中道路は此方方向に走るとあるようです。 何にもないのに何で混んでいるのか?と思っていました(>_<) -
(写真) 15:49 勝連城跡前バス停より
こちらは往路(赤道、バスターミナル方向)の道。
赤道は「せきどう」でなく「あかみち」と読みます。
前方に聳えるのは勝連団地の給水塔でしょうか? -
(写真) 15:54
工事中のあまわりパーク。 数年後には賑やかになるのでしょう。 -
(写真) 15:55
森の向こうが勝連城跡ですが、こちらからは見えませんでした(>_<) -
(写真) 15:56 美しいサンダンカの垣根に無造作に置かれた興ざめなゴミ袋。
★あまわりパークの方が読んで下さり、ゴミ袋でなく
「土のう袋でガードのパイプを抑えるためにおいてる袋なのですが、
写真に写ってる土のう袋、何もおさえてなく、機能を果たしてませんで、
ゴミのようでしたね。 なおしておきます。」とのことです。
バスは7分遅れて16:03に到着。 誰も乗っていなかった。
バスは私が中ほどの席に座ろうとすると、走り出した。のでよろける。「大丈夫ですか?」 「大丈夫です。」 何とか踏みとどまり転ばずに済んだ。 ドライバーさん、反射神経抜群のシニア(誰の事?)で良かったですね。 優先席に座らないバーさんが悪いか?
隣の勝連団地前でジャージを着た女学生が1人乗って来た。 -
(写真) 16:16 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由) ・那覇バスターミナル行き車窓 右側に海が見えた。
-
(写真) 17:01 後原(くしばる)バス停手前の民家 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由) ・那覇バスターミナル行き車窓
-
(写真) 17:01 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由) ・那覇バスターミナル行き車窓 大渋滞の始まり
-
(写真) 17:01 次は後原(くしばる) 既に23分遅れ。
-
(写真) 17:05 うるま家具 直輸入って米国からでしょうか? 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由) ・那覇バスターミナル行き車窓
後原バス停から120mしかない所にあるうるま家具までバスで3分(>_<) -
(写真) 17:05 向かい側はキャンプ・フォスター
-
(写真) 17:10石平の信号、ローソンの所でバスは左折
この車列ですもの定時着を望めば事故に繋がります。金曜のラッシュアワーです。 -
(写真) 17:10 左折できました(^^♪
330号線を進みます。その後バスは我如古(がねこ)の交差点で右折して34号線に入ったようです。 -
(写真) 17:41 17:40まだ真栄原 (県道34号線 )
-
(写真) 17:42 暗くならない内に那覇に戻れると思っていたのですが。
-
(写真) 17:42 34テラス 中大謝名のGinowan hostel にあったのでは? せんべろって沖縄の飲み物と思えば、千円でべろべろに酔える居酒屋のことなのですね。
大謝名バス停で1人降りるとバスには3名乗っているのみ。
バスは大謝名で左折し58号線に入る。 -
(写真) 17:48 A&W 牧港店
ルートビア懐かしい!! 高校時代ベースに住んでいる若いアメリカ人夫婦の所に友人達と毎週通っていました。"Coke or root beer?"と聞かれ毎回"Coke, please."でした。ルートビア飲んでみたらと勧められ初めて戴きました。ルートビアにはベースの香りがします。 -
(写真) 17:49 次は牧港です!!
-
(写真) 18:17 沖縄バス・52与勝線(美栄橋経由) ・那覇バスターミナル行き車窓、安謝(あじゃ)橋より 安謝川沿いの那覇糸満線も大渋滞。 橋の向こうにMax Value店がみえました。
バスは国道58号線を更に進んで行く。 泊高橋から29号線 (崇元寺通り)中之橋 に入る。 -
(写真) 18:34 繁華街に入り降車する客ばかりだった。
-
(写真) 18:50 ダイワロイネットホテル
18:10バスタ到着予定だったのですが、座り過ぎて腰が痛くなったので、運転手に安里でゆいレールに乗れるか尋ねた。長い事一緒にドライブした同志のようなのまなざしを向け「乗れますよ。」の答が来た。運転手さん長距離運転ご苦労様。そして有難う。
18:48頃 安里バス停下車
★今更ですが、赤道十字路で琉球バス・23具志川線※急行・那覇バスターミナル行に乗り継げた様です。予定乗り継ぎ時間13分で、バスは勝連城跡前を6分遅で到着。その間、乗降客の多いバス停もありましたので、実際乗り継げたかは不明。5月の路線バスの旅でコリゴリしたので乗り換え要のバスルートは無視しました。 -
(写真) 18:51 サイオンウフシーサー シーサー右は安里川に掛かる蔡温(サイオン)橋
翌日、古島駅かおもろまち駅のどちらで今帰仁城行きの高速バスに乗るか迷ったが、土曜日で混んでいるかもしれないと思い一駅前のおもろまち駅発を選んだ。
早朝でバス停が分からずで次のバスとなれば2時間後となるので、それは絶対に嫌だった。のでゆいレールでおもろまちまで。24時間チケットで只(^^♪ でも不思議安里のバス停で降りた筈なのにゆいレールは牧志駅。
おもろまちの駅員にバス停を教えて貰う。バス停は分かったのですが、高速バスの表示が全くありません。ここで間違えないと言う若い女性。もう1人のこれも若い女性はこのバス停に高速バスが止まるのを見たことがないと言う。どうしよう? 駅員に再確認ゆいレールと管轄が違うので詳細は分からないと。高速バスの管理会社の電話番号を教えて貰うも時間外で繋がらず。出発前にゆいレールにメールしたら、当日行けば教えて貰えますと言われたのですが。どうしよう? 駅員にホテルで教えて貰うように言われる。 -
(写真) 19:27 那覇バスターミナル
OKINAWA PORTAL再訪のつもりが5月に訪れたお気に入りの店でしたが、6月30日閉店となりました。ホームページで分かっていたものの、実際に見るとより悲しかった。コロナ禍+円安でダブルパンチでしたね。 -
那覇バスターミナルのロッカーは1階バスロータリーにある1番乗り場の先、国道330号線の歩道沿いを東へ進んでパーキングエレベーターのサインを左に曲がります。 上の写真の左方の奥にあります。 分かりづらい写真でゴメンなさい。
-
(那覇バスターミナル) こちらの自販のそばにロッカーがあります。
-
(写真) 19:30
(那覇バスターミナル) こんな時間ですから300円のロッカーも空いていました。 -
(写真) 19:38 旭橋駅空港方面プラットホーム
一駅だけですがゆいレールに乗ります。 -
(写真) 19:45 やっとメルキュールホテル那覇着。
全国旅行支援が始まりクーポンの配布などでフロント忙しそう。
おもろまち駅発の今帰仁城跡行き高速バスの乗り場を尋ねる。おもろまちでバス停はあるものの高速バスの表示がなかった事を話すと、県庁前でのることを勧められる。そちらだときちっと表示があるし、フロントのHさんも良く利用するそうだ。やんばるバスのバス停と各バス停の到着時刻をプリントアウトしてくれた。県庁前からだと若干高速バス代が高くなるし、出発も早くなるのでこちらは避けたかったのですが。 -
(写真)20:08今回は部屋の写真はピンボケ。 前回写さなかったバスルームの写真はマアマアかな。
-
(写真)20:31 ゆいレール壷川 てだこ浦西行きホーム
明日万が一バス停が分からなかったら困るので、県庁前まで偵察に。直ぐに分かりました(^^♪
ついでにパレットで夕食のつもりが閉まっていました。8時まででした。
フロントで10時までなら食事できますと言われたが、デパートは論外。 -
(写真) 21:12 そば家鶴小?壺川店
始めに建てた今日のスケジュールは、西壷川バス停に近いこのお店で?沖縄そばのランチ、そして具志川城跡でした。 夕食がここになってしまうとは( ;∀;) -
半そばと餃子のつもりが、餃子は品切れ。ので沖縄そばとビールとなりました。
実はここに来るまで3軒に断られました。食べ物が一切なくなってしまったそうです。
ホテル裏の「むるぶし」楽しみにしていたのにな。 「むるぶし」で教えられ「くまから屋」へ。 次は「やっぱりつぼ味」へ。シェーキーズなら食べられるのではと「やっぱりつぼ味」で勧められましたが、沖縄でシェーキーズ? 仕方ないか。 すると壷川通りの向こうの店「そば家鶴小」が開いてました。 ラストオーダー9:30までと言われましたが、充分です。 -
沖縄彩発見 NEXTのクーポン使えず。 味は普通。
-
(写真)21:15
クレジットカードも使えず。
でもこちらの女将さんは商売上手。「何もかもダメですみませんね。」 いえいえこちらに来なければ夕飯にありつけなかったのですから本当に有難かった。ご馳走様。
そばのセブンイレブンで朝食用牛乳、パン等調達。ここでもクーポン使えませんでした。店員に「スーパーなら使えるのではないでしょうか。」と言われる。
それにしてもナガーイ一日でした。 明日も早起きです。 お休みなさい。
総歩数 12,976歩
◎沖縄そば+生ビール \1,210
セブンイレブンにて牛乳、パン等 \683
ここまでお付き合い下さり有難うございました。
今帰仁城跡編に続きます。
2022.11.9 パッピー
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆① 勝連城跡
2022/10/14~
沖縄市・うるま市・伊計島
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆② 今帰仁城跡
2022/10/15~
美ら海・本部・今帰仁
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆③ 伊波城跡ついでに名護市役所
2022/10/15~
沖縄市・うるま市・伊計島
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆④ 首里城 & 伊是名殿内の墓
2022/10/16~
那覇
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆⑤ 玉陵 & 周辺散策
2022/10/16~
那覇
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆⑥ 斎場御嶽 & 糸数城跡
2022/10/16~
知念・玉城・八重瀬
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆⑦ 首里寒川町、首里金城町散策
2022/10/17~
那覇
-
II ☆GO TO お城s in 沖縄☆⑧ 旧海軍司令部壕
2022/10/17~
那覇
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
沖縄市・うるま市・伊計島(沖縄) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ II ☆GO TO お城s in 沖縄☆
0
168