2022/10/16 - 2022/10/16
1189位(同エリア7268件中)
パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2022/10/16
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メルキュールホテル那覇
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徒歩での移動
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西壷川バス停 7:14
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バスでの移動
7:26→7:48 #6那覇バスおもろまち線・おもろまち駅前広場行。240円均一料金。乗り放題券使用
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那覇メインプレイス東口バス停
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徒歩での移動
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伊是名殿内の墓 8:02→8:16
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徒歩での移動
8:17→8:29
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おもろまち四丁目(真嘉比方面)バス停 8:29→8:31
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バスでの移動
8:31→8:42 #7首里城下町線
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8:42 首里城前バス停
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8:43 聖アンデレ教会 外観のみ
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徒歩での移動
8:45→8:47
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徒歩での移動
8:48→9:52 首里城観光
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徒歩での移動
9:59→ 崎山馬場ギャラリーへ
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この旅行記スケジュールを元に
梅雨の5月城巡りのリベンジです。 今回も那覇に3泊し路線バスで周りました。 雨は余り降らないシーズンを選んだ筈が、初日を除き全て雨予報と前日知る。 練りに練った行程をドタバタで変更。 3日目午前は 銘苅古墳(メカルコボ)群、首里城、玉陵。 こちらは日程行程とも当初の予定通り。
④は銘苅古墳(メカルコボ)群、首里城のみです。
毎月第3日曜日 11:00~12:00 玉陵の世界遺産解説会があると5月沖縄から戻った後に知り、これに合わせて航空券を取りました。 のでその10分前には玉陵に着くよう近場を観光。
https://4travel.jp/travelogue/11796345 の続編です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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寒中お見舞い申し上げます。 本年もよろしくお願いいたします。
暮れに全て終了させるつもりが年を越してしまいました(>_<)
出費詳細はhttps://4travel.jp/travelogue/11787370 の3枚目写真を御覧ください。
☆The Third Day☆ 10月16日 (日) ④
(写真) 6:30 ビストロ ドゥ ラ メール (メルキュールホテル沖縄那覇1F)
シーサーが”Happy Halloween!"のご挨拶。
でも尻尾につけた飾りは笠?何か意味があるのでしょうか?
3日目は午前中那覇市内観光なので ホテル1階のビストロでバフェ朝食。
メルキュールホテルの朝食は6:30-10:00。 6:30より早めに開いています。 -
棚には壺とジャック・オー・ランタンがお洒落に飾られていました。
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席札 入口でこの札を貰って先ずは席取り。
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デザートコーナーにはオバケ。
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蓋をした鍋にはソーメンチャンプルー、温泉卵
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もずく酢、きんぴら牛蒡、小松菜の和え物
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スクランブルエッグ、ポークソーセージ、ハムステーキ
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まずはソーキでしょ。
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せいろに入った温野菜
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カレーも加熱器にのっています。
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朝カレーとソーキ、もずくとパン等々。 ドッサリ美味しく戴きました。
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フルーツコーナーでは、お化けのおもてなし。 HAPPY HALLOWEENと蜘蛛の巣、ジャック・オー・ランタンのリース。
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デザートも戴きました。
泡盛もありましたが、5月に試飲したので今回はやめた。 -
(写真) 7:14 西壷川バス停 壷川大通り(国道330号)にあるメルキュールホテルより最も近いバス停。
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西壷川バス停時刻表
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Shakey'sの前が西壷川バス停
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(写真) 7:26 西壷川バス停より
7:24 発 #6那覇バスおもろまち線・おもろまち駅前広場行来ました。 このバスは240円の均一料金で前払いです。この日までは 3日間バス乗り放題券が使えます。 -
(写真) 7:48 那覇メインプレイス東口 着きました。
「新都心公園」のそばにある筈の銘苅墓跡群に向います。写真の男性とは反対方向(写真の手前の方向)に進むと、正面に遊歩道がある。遊歩道を左方向に進む。 -
(写真) 7:53 おもろ天空橋
と左手に半円形の白い橋、おもろ天空橋が見えた。トンネル部に壁画が描かれていることに写真を写している時は気付きませんでした(>_<) -
(写真) 7:54通り(/ 県道251、那覇宜野湾線)向こうは「新都心公園」
通りを渡り右折し、新都心公園に沿って歩きます。 -
(写真) 7:56 新都心公園銘石
更に進むと新都市公園人工芝グランドがあった。 -
(写真) 8:00 銘苅墓跡群の小山
グランドの切れたところで左折し遊歩道を進むと右の角に写真の小山が見えた。 -
(写真) 8:01 銘苅墓跡群 小山より
階段を登るとチョットいい景色。 -
(写真) 8:02 銘苅墓跡群
向いの階段を降りると銘苅墓跡群の公園のようになっています。
小山には別に何もないので疲れていれば敢えて登る必要がありません。 -
(写真) 8:02 伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓
伊是名殿内の墓(那覇市銘苅2 -10-1)は那覇市消防局の真ん前にあります。 -
(写真) 8:03 伊是名殿内の墓 説明板左半分
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(写真) 8:03 伊是名殿内の墓 説明板右上部 正面図、平面図
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(写真) 8:03 伊是名殿内の墓
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(写真) 8:03 伊是名殿内の墓
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(写真) 8:03 伊是名殿内の墓
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(写真) 8:04 伊是名殿内の墓
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(写真) 8:05 ナハメカルパーキング
銘苅墓跡群と言うからには 伊是名殿内の墓以外にもある筈と外にでる。 -
(写真) 8:06
北方向に進むと 銘苅こども園があった。 -
(写真) 8:06
更に進むも墓らしきものは見当たらない。イヌの散歩中の人に尋ねるが、この近辺にそれらしきものはないと言われた。本当の所どうなんでしょうか? 銘苅墓跡群内に伊是名殿内の墓があり、その他は墓標のない墓跡ということなのでしょうか?
次のホームページを熟読すると「伊是名殿内の墓」とは別の墓があるようなのですが( ;∀;) *https://www.naha-contentsdb.jp/spot/674
「文化財(国指定史跡) 指定年月日:平成19年7月26日
銘苅墓跡群は、グスク時代から琉球王府時代、明治時代に続く大規模な墓跡群である。銘苅川北岸の指定地内には、36体の風葬人骨が出土した「囲込岩陰墓」のほか、「掘込墓」・「亀甲墓」など合計29基の古墓が保存されている。・・・
情報引用元
那覇市教育委員会設置看板」 -
アメリカンブルー (道端の花壇)
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ヤナギバルイラソウ(道端の花壇)
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(写真) 8:13 伊是名殿内の墓
他の銘苅墓跡を見るつもりだったのが見つけられず、名残惜しく伊是名殿内の墓に戻る。 -
(写真) 8:13 伊是名殿内の墓
「葬儀に用いた用具等を処分するための、石を積んでつくられた穴」だろうか? *伊是名殿内の墓 説明板 -
(写真) 8:15 伊是名殿内の墓
「裏庭を囲む石垣には『相方積み』を用い、隅には突出した石『隅頭』があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。」*伊是名殿内の墓 説明板 -
(写真) 8:15 伊是名殿内の墓
「入口をクランチ状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。」*伊是名殿内の墓 説明板 -
(写真) 8:15 伊是名殿内の墓石垣の隅頭
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(写真) 8:16 右側に石段発見
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(写真) 8:16 折角なので登ってみます。
登った事だけが勲章でどんなだったか全く記憶にない( ;∀;) -
(写真) 8:16 最後の一枚。
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(写真) 8:17 ニチニチソウの咲く遊歩道を自転車が走る。気持ちよさそう。
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(写真) 8:17 銘苅墓跡群西側、テニスコートとの間の道
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(写真) 8:18 不動産屋さんの手前に
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(写真) 8:18 こちらの銘苅墓跡群の小山があります。
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(写真) 8:19 銘苅墓跡群の小山
銘苅墓跡群の伊是名殿内の墓しか見られなかったのは残念。 -
(写真) 8:20 新都市公園人工芝グランド横の歩道沿いにサンダンカが咲く。
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(写真) 8:22 新都心公園信号のところで報道人が待ち構えていました。
レンズの向きがこちらではないので、私を待っていたのではなさそうです(^_-)-☆ -
(写真) 8:24 おもろ天空橋を写して、 新都心公園信号で左折。
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(写真) 8:25 無事におもろまち四丁目到着
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(写真) 8:28首里城に向うバス停は彦の前です。
ローソンおもろまち四丁目店の横断歩道を渡ると彦本店の前がおもろまち四丁目バス停。 -
(写真) 8:30 おもろまち四丁目(真嘉比方面)バス停時刻表
平日、土、日・祭日では時刻が少し違うので要注意です。 -
(写真) 8:31 #7首里城下町線車内。
バスは1分前発。 -
(写真) 8:34 次は松川西。 #7首里城下町線車内。
バスはノボテル沖縄那覇前を通る。 此方には6年前に都ホテルだった時1泊した。 -
(写真) 8:42 首里城前バス停
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(写真) 8:43 聖アンデレ教会
8:55の首里城「御開門」の儀式まで少し時間があるので、聖アンデレ教会に寄る。 -
閉まっていたので網戸越し観光
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(写真) 8:45蘇る首里城の碑 植木光教書
★植木光教 Wikipediaによれば「三木政権では沖縄開発庁の長官として、沖縄県の振興策を推進した。長官在任中には『沖縄国際海洋博覧会』が開催されている。1980年代には首里城の復元実現に尽力」した政治家。 -
(写真) 8:47 守礼門
扁額の「守禮之邦」は、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。 1527~1555年に創建。沖縄戦で破壊され、現在の門は1958年に復元された。*沖縄首里城公園リーフレット -
(写真) 8:48 国王頌徳碑(/こくおうしょうとくひ)(復元)
尚真王の徳をたたえて、1522年(尚真王46)に建立された碑文。 -
(写真) 8:48 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) 世界遺産
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(写真) 8:48 園比屋武御嶽石門 屋根
「屋根の中央部分には唐草模様の彫刻をほどこし、火焔宝珠(かえんほうじゅ)やシャチをかたどった鴟尾(しび)の石彫が」ある。*https://www.okinawastory.jp/feature/heritage/sonohyanutaki_ishimon と5月の旅行記を書く折知り、前回は全体像から切り取りました。 今回はチャンと写しました。 -
(写真) 8:49 歓會(歓会)門方面から振り返り守礼門を見る。
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(写真) 8:49 歓會門前の雌のシーサーと隅頭のある城壁
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(写真) 8:50 首里城郭内に入る第一の正門、歓會門と雄のシーサー。
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(写真) 8:51龍樋・冊封七碑と瑞泉門 説明板 日本語説明のみ切り取り
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中山第一の石碑以外にも六碑あったようです。「龍樋の水の清らかさを称賛した冊封使たちの書を刻んだもの」です。 *龍樋・冊封七碑と瑞泉門 説明板
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瑞泉門 9時前ですが、観光客結構多かった。
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(写真) 8:52 龍樋 龍のように見えますか?
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康熙己亥冬至 中山第一 徐葆光(じょほこう)書 と刻まれているようです。
ネット検索を総括すると1719年12月24日 冊封副使、徐葆光が 中山第一(龍樋の水は琉球第一)と記したようです。 -
(写真) 8:53 隅頭のある城壁と「暘谷源霊」石碑
「中山第一」苦労して調べましたが、首里城公園 冊封七碑の所に書かれています。
* https://oki-park.jp/sp/shurijo/guide/52
城壁下の方にある石碑に「源霊谷賜」と書かれているのかと調べると上のホームページにヒットしました。右から左に読み、「暘谷源霊」(ようこくれいげん)趙文楷(ちょうぶんかい)書でした。「東のはての日の出るところにある不可思議な泉である。」が大意だそうです。他の五碑も首里城公園のホームページ(前述)に載っています。 -
うねる城壁が美しいと写真を撮りました。
左手に「活潑潑地」の石碑が写っていました(^^♪
「魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉である。」の意味 *首里城公園HP冊封七碑 -
(写真) 8:54 瑞泉門 こちらにもシーサー。 「双璧の石門の上に櫓がのっています。 この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。創建は1470年頃。沖縄戦で焼失し、1992(平成4)年に復元されました。」*瑞泉門説明板
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漏刻門説明板 日本語説明部
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漏刻門説明板 歓会門から正殿まで地図部
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(写真) 8:55 漏刻門
8:55御開門式ってどこでと思っていた時、「御開門(うけーじょー)始まりますよーー」と係員が大声で伝えてくれた。 -
(写真) 8:56 奉神門前に集まって来ました。
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琉球王朝時代の役人衣装を着用したスタッフ。
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(写真) 8:57 こちらの女性は案内役。
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(写真) 8:58
「銅鑼(どら)の合図と『御開門(うけーじょー)』の発声で開門します。」
*https://oki-park.jp/shurijo/event/184 -
(写真) 9:00 楽しみにしていたのに、もうお終い。
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(写真) 9:00 入場券を買います。
◎首里城入場料 \400 -
(写真) 9:05 首里の森の向こうには、那覇の街並みと海。
シマッタ 日影台(日時計)の写真撮っていない(>_<) 右手の人が集まっている所だったとは。2017年に訪れた時の写真にもないのでこの時も見逃したようです( ;∀;) -
漏刻門と城壁、海のコントラストにうっとり。
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5年前には確かにこのパネルはなかった(^^)/
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(写真) 9:06 順路を進んで行くと説明板も展示されていました。
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琉球王国時代の「首里の街なみ」 説明板 の日本語の部分を切り取り
今回は円鑑池や琉潭池周辺の散策はしませんでした。 -
現代につたわる首里の道 説明板 の日本語の部分を切り取り
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イチオシ
(写真) 9:07 一押しのパノラマ。
手前右手の門は久慶門左手前は歓會門。城壁向こうに園比屋武御嶽石門。 その先に守礼門が見えた。森の向こうの煉瓦屋根は城西小学校。那覇の街並みと東シナ海。 -
城壁の向こうは龍潭池とその右は沖縄県立芸術大学か?
左の赤白のタワーは豊見城高安送信所だろうか? -
少年が通ろうとしている左の門は廣福門で右の3人の観光客が潜っているのは漏刻門。
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(写真) 9:08 復元作業の行われている建物
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窓から復元工事の現場を見る事ができます。
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手前の煉瓦屋根の建物は沖縄県立芸術大学。 赤白のタワーは宜野湾デジタルテレビ中継局か?
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(写真) 9:10 城壁の向こうは龍潭池。
中央やや左の赤白タワーもテレビ電波塔か? -
日曜日だった為か作業を見る事は出来ず(>_<)
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丸穴を通しての見学
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ズームしてみました。正殿基壇か?
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首里城火災 2019.10.31 写真1
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首里城火災 2019.10.31 写真2
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(写真) 9:12 赤瓦、鱗などの瓦礫
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正殿の石高欄・赤瓦 説明板
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龍頭棟飾説明板
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(写真) 9:13 龍頭棟飾口髭フレーム
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単なる工事現場にしか見えません。
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(写真) 9:17 首里城公園の中で最も高い位置にある東(あがり)のアザナ
へ向います。 -
(写真) 9:18 御内原に植えられていた久年母 説明板
写真を撮った時には気付かなかったのですが説明板の左上に緑のクガニの実が写っていました。
九年母は「黄金木」とも呼ばれ、太陽の霊力を受けて黄色く熟す長寿延命の象徴。
二十才前後の女性が小さな九年母を玉に見立てて糸に通し、魔よけとして首にかける習慣が残っていた。 -
井戸状貯水遺構説明板
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井戸状貯水遺構説明板 日本語説明部切り取り
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(写真) 9:19 白銀門
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(写真) 9:20 白銀門・寝廟殿跡説明板全体
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白銀門・寝廟殿跡説明板日本語説明部切り取り
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(写真) 9:21 前述説明板右上部 沖縄県首里旧城図
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前述説明板右下部現況平面図
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寝廟殿跡 国王の霊柩を安置するところ
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(写真) 9:22 東のアザナもうすぐです。
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(写真) 9:23 東のアザナ着きました!
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(写真) 9:24 東のアザナ展望(西方面) ブルーシートが取れるのはいつでしょうか?
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東のアザナ展望(西方面) 今更ですが、工事現場に作業員発見。 この後作業始まったのでしょうか?
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(写真) 9:25 東のアザナ展望解説(西方面)
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(写真) 9:26 東のアザナより北西方向パノラマ
左手前の鮮やかな赤の門は右掖門 その先の古びた門が 歓會門。もう少し下り、尖った城壁の右手(中央よりやや左手)には 園比屋武御嶽石門。ベージュの道の先には守礼門が見えた。森の向こうの煉瓦屋根の建物は城西小学校。 -
東のアザナ展望解説(北方面)
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中央右寄りの海沿いに赤白のタワーが見えた。 宜野湾デジタルテレビ中継局か?
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(写真) 9:29 御内原ノマモノ内ノ御嶽 (ウチアガリノ御イベ) 説明板
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御内原ノマモノ内ノ御嶽 (ウチアガリノ御イベ)説明板 日本語説明部切り取り
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御内原ノマモノ内ノ御嶽の現況平面図
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御内原ノマモノ内ノ御嶽 (ウチアガリノ御イベ)
首里城内には数多くの御嶽があり、この御嶽は御内原にある御嶽のひとつで、白銀門の近くにあったので「白銀御嶽」とも呼ばれているそうです。 -
(写真) 9:31 湯屋説明板 日本語説明部切り取り
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(写真) 9:32 湯屋
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(写真) 9:34 右掖門(うえきもん)
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(写真) 9:35 右掖門説明板 日本語説明部切り取り
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(写真) 9:36右掖門を潜り抜けると扁額に「右掖」と書かれていた。
でも左掖門見ていません。その筈です。黄金御殿(くがにうどぅん)の一階にあるので再建されていなかったのですね。 -
(写真) 9:36, 9:38 庭になっていました。
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(写真) 9:38 淑順門か? 「女性がすべてを取り仕切る『奥』の世界へ通じる門」 *https://oki-park.jp/shurijo/guide/5674
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(写真) 9:41「連理の枝」 古典の授業の「長恨歌」で習いましたね。
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(写真) 9:42高校時代は「比翼の鳥」とか「連理の枝」 何て素敵と思ったのですが(^^)/
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(写真) 9:44ゲットウの実がなっていました。
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(写真) 9:45 銭倉説明板 日本語説明部切り取り
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銭倉をイメージした休憩所で少し休む。
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(写真) 9:47 この門の名は?
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出口の久慶門でした。
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(写真) 9:48 久慶門日本語説明
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石垣の上に瑞泉門が見えました。
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(写真) 9:51もう一度隅頭を写して
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(写真) 9:52 園比屋武御嶽石門の英語説明部のexceptionalのみが太字になっていた。 沖縄の漢字は読みづらいので英語表記Sonohyan-utaki Ishimonが役にたちます。
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と偉そうなことをいいましたが漢字にフリガナがありました。 「そのひやんうたきいしもん」 英語表記だと「ソノヒャン・・・」小さな「ゃ」なのですが??
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(写真) 9:53園比屋武御嶽石門裏側には
重要文化財園比屋武御嶽石門修理記が ビッシリ彫られています。割愛します。鮮明な写真をご希望の方はご一報下さい。 -
園比屋武御嶽石門裏側には別に何も見つからず。
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(写真) 9:54 「石門は神社でいう拝殿にあたるが本殿に相当する建物はなく石門の後ろに広がる森がそれにあたるという」ので森を拝んでみた(^_-)-☆
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屋根の右側の「鴟尾(しび)の石彫」をズームで撮り
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(写真) 9:55板葺唐破風屋根をズームで写す。 屋根中央には「火焔宝珠(かえんほうじゅ)」の石彫が。
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屋根の下に扁額があって何やら書かれています。
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(写真) 9:56 「石門は竹富島の西塘の作と伝えれられる 石材は主に琉球石灰岩を用い板葺唐破風屋根を表す」 *説明板
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少し遠くから屋根をズームで写すと 鴟尾の下に横長に「唐草模様の彫刻」が良く見えた。
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(写真) 9:57 左の鴟尾の石彫もズームで写す。
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最後の一枚を写すも結局「目の錯覚を利用した遠近法」がどこで使われているのか分かず。*https://www.okinawastory.jp/feature/heritage/sonohyanutaki_ishimon
これだけジックリ見れば園比屋武御嶽石門は卒業かな? -
(写真) 9:58守礼門を潜ると
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石垣にアサヒカズラが。
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振り返って守礼門のラストショット。
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イチオシ
石垣から伸びるアサヒカズラ。
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青空をバックにもう一枚。
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(写真) 9:59 See you again, Shuri Castle!
乱文にお付き合い戴き有難うございました。
⑤玉陵編もなるべく早く仕上げますので宜しくお願い致します。
2023.1.8 パッピー
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